猫を起こさないように
月: <span>2011年12月</span>
月: 2011年12月

小鳥猊下慈愛のようす

 (白衣を着た小太り。どどめ色の頭髪。ハンドポケットに荒い呼吸音)年末慈愛……(つぶやきと同時に大量のビー玉が白衣の裾から床へとこぼれ落ち始める)

 毎年恒例、「小鳥猊下慈愛のようす」! nWo掲示板、mixi、twitterの三箇所での大々的な同時開催をここに宣言するものであるッ! 初めての諸君に説明しておこう! 「小鳥猊下慈愛のようす」とは、普段のすごい感じ悪い対応ぶりをやや緩和し、諸君からのあらゆるメッセージに全レスを約束する年末年始限定のファン感謝企画なのだ! 諸君はこの機会を最大限に利用して、更新の感想や愛の告白や萌え画像の寄贈などを行い、ネット界の珍獣・小鳥猊下との親睦を深めまくるがよいわ!

 あと、冒頭にて小生の白衣からこぼれ落ちたビー玉は、減少するアクセス数とフォロワー数、それに伴う同数の赦しを暗示しているッ! 貴様ら臆病な有象無象はこれを機会にnWoへアクセスし、慈愛に満ちた小鳥猊下をフォローしろ!

100,000年後の安全


100,000年後の安全


十年は人の暮らし、百年は時代の流れ 、千年は歴史の移り変わり。もしくは、一億と二千年経っても愛してる。百年を永らえた政策は無く、千年を存続した国家は無く、一万年を耐えた建造物は無く、十万年を生きた種はいない。ヒトの操作から完全に独立した廃棄物処理施設をつくる。なぜって十万年後には、いま我々がヒトと定義する存在は消滅しているだろうから。人類の滅亡が書生の諦念ではなく、プロジェクトの想定する必然として淡々と語られることに哲学的な眩暈を感じる。日本在住のヒトは、これこそを今年最後のマスト・ウォッチとせよ。

スカイリム


スカイリム


きょおホワイトランのさかばでカジートとアルゴニアンとけんかおしてしまった。カジートとアルゴニアンとぼくでけっこんだんぎおしていたらぼくがアエラがいいとゆったらカジートもアエラがいいとゆってアルゴニアンもアエラがいいとゆったからだ。ハチミツしゅでよっていたぼくわかっとなって「おまえたちわけものなんだからにんげんとわけっこんできない。トカゲとネコのしょじょまくおろうばのさいふみたいにビリビリにやぶいてろ」とゆったらカジートとアルゴニアンわまじぎれしてそれから3にんでそうぜつななぐりあいになった。とめにきたけいびへいのひとが20にんくらいまきぞえおくった。ブリーズホームにもどるとリディアが「ながいきしてくださいね、じゅうしさま」とゆいながらへやのくらいすみでパンをむしゃむしゃたべていた。「おかずもなしにパンだけたべておいしいの」とぼくがたずねると「なみだがじゅうぶんしおからいから、だいじょうぶですよ」とゆったきりリディアわしたおむいてしまった。そのよこがおおみるとぼくのむねわいたくなりました。なぜだろお。

エリックを探して


エリックを探して


『最も高貴な復讐は、赦すことだ』。 主人公の抱える苦しみや家族の課題がひどくリアルに描かれる一方で、その解決篇は釣りバカ日誌を思わせるいかにもフィクション然とした内容であり、強い違和感を覚えた。しかしながら、初老の郵便配達員を取り巻くどうしようもない現実をきれいさっぱり解消する方法など実際にあるはずもなく、この結末を虚構の効能として受容するのが正しい態度なのだろう。現実と虚構の継ぎ目をいかに自然に見せるかこそが、佳作と傑作を分けるのかもしれない。『バレエみたいだった。一瞬、自分のクソ人生がどこかに消えていた』。そう、素晴らしい文章を書けたとき、私も一瞬だけ自分のクソ人生を忘れることができる。しかし、素晴らしい文章とこのクソ人生との間には、何の関係も連絡もない。