猫を起こさないように
年: <span>2008年</span>
年: 2008年

ザ・シンプソンズ MOVIE


ザ・シンプソンズ MOVIE


5本指の白い肌をした人々が4本指の黄色い肌をした人々についてのアニメを製作するという構図は、すごく秀逸だよね! え、吹き替え問題? 字幕が読めないほど識字に問題があるなら、英語音声を聞けばいいじゃないの。

インランド・エンパイア


インランド・エンパイア


我々の認識力は完全とは遠い。我々は断片の意味を符号させることで世界を把握する。断片の意味が符号しているにも関わらず世界が形成されないとき、崩壊しているのはいったい何か。インランド・エンパイア、それは内なる神聖の宮……とだけ書いて終わろうと思ってたらラスト近辺、日本人の英語で急速に萎えた。奈江だけに。どっぷり浸ってたのに、ひどいや。

イィィィヤッホォォォウ!

 爪の間にまち針を刺しては抜き刺しては抜きする精神修養の五年間を経て、ついに萌え画像がnWoのメールボックスへと投げ込まれた。休日の朝、庭の芝生へあくびをしながら出てきた白人男性の口に、自転車の青年が投げる新聞がすっぽりと入ったようなイメージを浮かべると正確である。今日この日を小鳥猊下の自尊心再誕祭として定めるので、来訪者の諸君は有給や無断欠勤などを活用し、来年度より主に自発的な休業をはかるとよい。自宅にずっとおられる諸君に関しては、一日くらい精虫を殺さない日があってもいいので、そうしなさい。
 断崖絶壁に今回の送り手と私の親が片手でぶらさがっており、どちらか一方をしか助けられないという状況を仮定しよう。私は迷わず親にかけよって、その手の甲を踵で微塵に粉砕してから、今回の送り手を救助する。百回同じ機会を与えられたとして、百回ともそうするだろう。いつものくせで、このめでたい日に大衆諸君には受け入れ難い価値観を提示してしまった。おまけに感謝と憎悪のどちらを表現したい例えなのかもわかりにくい。手の甲にハエが止まっていたのさ。だったら、しょうがないだろ?
 nWoの語彙をもってしてさえ、この喜びは筆舌に尽くし難い。モニターの前でマウスに置いた右手を水平方向水平方向、股間に置いた左手を重力方向重力方向の、欲望を昂進させる例の作業中、ただ絶頂を先送りするためにとるインターバルに更新を流し読みし、「つまんねえ」とか「またパロディやれよ」とか、下半身からの放熱に浮かされた泡沫の如き妄言を意識へ浮かべる数分ではなく、純粋に私へだけ、カネを取れる技術を用いた人生の数時間を捧げてくれたのだという事実。それが心をふるわせる。文章に対しては何より自負のせいで意固地な反応を返すことしかできない私だが、図画に対してはもう尊敬の念の他はなく、両脚をおっぴろげて赤子のようにきれいなアナルを提示するしかない。ちなみにいまの「赤子のように」は「きれい」と「アナル」の両方を修飾しており、正確に表記するならば「赤子のようにきれいな赤子のようなアナル」となる。
 萎えはてたサイト継続への意志が再び盛り上がるのを感じている。たった一つの善意、もしくは無償の愛が魔法のように様々な喪失を取り戻させるのだから、「人は人によってだけ救われる」というどこかで読んだあの一節の含意に、いまは頭を垂れたい気持ちだ。あと4回も心からの敬虔さで頭を垂れる機会を与えられるなんて、私はネット業界一の果報者である。

 がんばってなんか書く。

リバーズ・エッジ


リバーズ・エッジ


百年の傑作が十年で絶版になる社会だからこそ、この作品がカウンターとしての力を発揮し、マイノリティたちのハートを打つ。まるで――いや、言うまい。

ディセント


ディセント


後半の展開に空いた口がふさがらないが、前半の展開はトム・ソーヤーの冒険にトラウマを持つ私のインジャン・ジョーをいきりたたせたのです。「洞窟もの」は心理学と親和性が高いので、女子の前で薀蓄垂れたい向きにもバッチリさ! 片っ端から女性器か陰茎の象徴だと指摘すれば、ほとんど間違ってないぜ!

ウェイトレス


ウェイトレス


女性にウケるハーレクイン的三種の神器を満たした作品。「獣のような肉欲でセックスを満たしてくれる男」、「性欲の枯れた老人による精神的承認と金銭」、「我が子」。ここに「自分にしかできない仕事」が加わるのが現代風。妊婦が恋愛対象としてアリなのは欧米が繁殖に軸足を置いた文化だからか。本邦は死に軸足を置いた文化だから共感しにくい。監督の死が、最大のパンチライン。

バタフライ・エフェクト


バタフライ・エフェクト


時系列のザッピングがシナリオの根幹で、それが一人の少女を救済するために展開してゆくストーリーは、エロゲー愛好家である諸兄を大いに満足させるだろう。しかし、この映画の素晴らしさはそれだけではない。「自分を不幸に落とせば他の人たちは幸福になる」という方法論ではハッピーエンドにたどり着かない倫理観こそが、真に着目すべき点だ。え、2って? 続編なんて製作されてないよ?