小鳥猊下が年末年始恒例のあの状態。
「慈愛、みたいな? 親しみやすさを前面に押し出し、どんな内容の書き込みにも優しく全レスする、みたいな? web拍手やメールにも対応するよ!」
月: 2008年12月
小鳥猊下呪殺のようす
薄い頭痛に目を覚ます。身体を起こそうとして、両肩に鉄の板を差し渡したような凝りにうめく。仕事のせいというより、内臓から来ているのに違いない。ここのところ飲みすぎだ。締め切った雨戸から差し込むわずかの光線が、室内に埃を舞わせているような錯覚に陥る。どこからでも染み入る陽光が、心底恨めしい。起きぬけにパソコンを起動するのは習い性だが、最近めっきりと寒くなった。暖房器具としての意味合いもある。かじかんだ両手をすりあわせつつ、ゴミの山から灰皿をひっぱりだすと、煙草に火をつける。この古いCRTモニターが映像を写すのには、本体の起動より時間がかかるのだ。じわじわと滲むようにデスクトップ画面が出現すると、すかさずnWoへアクセスする。更新をして、しばらく経つ。メール、掲示板、web拍手、mixiと順に巡るが、未だに何の反応も無い。ブログ世代の速読力と読解力という言い訳へ、アルコールを多めに追加して己をごまかしてきたが、もはや堪忍と肝臓の限界だ。字面を追えど、中身は伝わらぬ。膨大な情報を恣意のみで取捨選択し、己の主観に対する批判的な視点は絶無である。現代の生んだ、より位相の深い文盲どもはまとめて呪殺だ。強く噛みすぎた臍から流れ落ちる血の生暖かさに我へ帰る。ほとんど吸わぬまま短くなった煙草を灰皿に押し付け、食卓へと向かった。家人が外出中だったのは、幸いである。誰とも話さぬ生活を続けると、感情の境界と対象が曖昧になる。ネットに由来する怒り現実へぶつけて、元より良いとは言えぬ関係を更に悪化させることもあるまい。口蓋と歯の裏にこびりついたニコチンをバターの如く食パンでこそげつつ、食す。古くなったパンは、ただただ口中の水気を吸い上げるばかりで、精液のように不快に粘った。その感覚がまた、怒りを加速させる。上半期のアンケートでは、萌え画像の送付を5名が約束したはずだ。手元に届いたのは2枚であり、どうにも計算が合わぬ。俺の更新の頻度か品質かに対する、無言の批判に違いあるまい。その想像に、「目の前が赤くなる」が比喩でないほど瞬間的にカッとなる。呪殺。途端、胸に差込みが来、頭がくらむ。食卓に上体を預けたまま、しばらく獣のように荒く息をする。近年の高血圧と生来の気性の激しさとの結婚は、俺にとって時に致命的だ。萌え画像到着を遅延させ、わずかの感想を書き込まぬことで、奴らは俺を合法的に殺人しようとしているのだ。なんという狡猾な連中だろうか。呪殺、そう呪殺だ。どこまで行っても匿名という安全圏のネット世界で、俺のファンを自認するのならば、「ラッセラッセと斬殺ワロスwww」くらいの気軽な感想がなぜ書き込めぬ。もしくは人気ブログなどで積極的に紹介し、砂漠への灌漑の如く涸れたアクセス数と同時に俺の心を潤そうとは思わないのか。テキストサイトとやらの黎明期にnWoを開設し、はや10年。他の大手サイトがこの忌々しい弱小メディアを軽々と踏み台にしていったのに対し、これだけ長い歳月をかけて未だ100万ヒット到達すら適わない。呪殺――いえ、本当に呪い殺したいのは、この私。才能もカリスマ性も無いのに、ネットだからこそ許される過激な文言のストリップで、他人の関心を乞食のように得たいだけの私を、呪い殺してしまいたい。愛らしい北欧系の白人少女にメタモルフォーゼした高血圧で脂性の俺は食卓に伏したまま、いつしか泣きつかれて眠ってしまったのでした。おやすみ、小鳥猊下。家人の怒号が君を夢の楽園から連れ出すまで、ゆっくりとおやすみ……
少女保護特区(8)
これはいつの記憶だろう。
薄闇のむこうに、ロウソクの炎がゆらめいている。両親は誕生日を祝う歌を英語で歌い、兄はおどけて床を転がりまわる。うながされて息を吸いこむが、頬がこわばったようになって、どうにも吹きかけることができない。兄の目が一瞬、真剣なものを宿す。テーブルに身を乗り出すと、唾を飛ばさんばかりの勢いで、兄はケーキのロウソクを吹き消した。母が兄の無作法を叱るうち、父が笑いはじめ、兄は上目づかいに私を見ながら頭をかく。電気が点くと、危うい瞬間はまるで嘘のように消えた。
どうして私の頬はこわばったのだろう。幸福な家族の一場面が、私によって完成されることを拒んだのか。私はいつも外側に立って、幸福の像が小さな球の中で、まるでロウソクの炎のようにゆらめくのを見ていた。
優しい人たちだったと思う。私といっしょに、幸福を手に入れようとしていた。いや、それはあらかじめあったのだ。幸福は所与のもの、不幸だけがこの世に新しい。人にできる努力は、与えられたものを壊さないようにすること。そこに関わる人たちすべての同意を前提としなければ、たちまち崩れてしまうような、もろいもの。いったん失われれば、神の御業を人の身で再生することは不可能なのだ。小さな私はただそれを壊さないように身を固くし、やがて埒外から眺めるようになった。
何が悪かったかといえば、私の中にはあらかじめ与えられた幸福がなかったこと。だからといって、私に権利があったとは思わない。ただお互いを尊重し、別々のように生きることができればと望んでいた。死ぬことは論外だった。異物である私と、あの人たちの幸福は不可分なほど一体化していたから。
私が望んだのは消滅。この世界のすべての記憶から抜け出し、何の痕跡も残さずにいなくなりたい。
許可証の入ったパスケースを食卓に置いたときの気持ちは、おそらく悲しみだった。ただ内気だと信じられていた私のうちあけ話に、集まった人たちは目を輝かせていた。まるで、これまでの長い誤解とすれちがいが、今こそすべて解かれると信じるかのように。私が求めたのは、この小さな球からの離脱。ここにある幸福をそのままに、私だけがいなくなる。だとすれば、期待は正しくむかえられるはずだった。私が求めたのは法外な対価ではなく、ただ埒外にいる権利だけだったのだから。
沈黙が降りる。幼い頃から、私とこの人たちが境界線の上にいるときにいつも響いた、身体になじんだ静寂だ。おどけた兄が軽口を言いながら、許可証に手を伸ばす。兄はほんの少しだけ、両親よりも私に近い場所にいるような気がしていた。決して自分のことを語らず、道化を演じつづけてくれた。ただ、私が遠くへ行かないように。
慣れ親しんだ悲しみは、このとき私を突き抜けて、沸騰した怒りへと転じた。食卓へ、血に濡れた短刀を突き立てる。兄の人差し指がちょうどそこにあった。絶叫が響く。そして、私たち家族の時間は永久に停止した。
絶叫は、今でも頭蓋の中に響き続けている。
主に予の頭蓋の中に響くファンファーレとともに、より強い少女の殺害を企図する列島縦断の旅は幕を開けた。北加伊道では短刀を口に四足で襲いくる少女殺人者のこめかみへすれ違いに抜きつけ斬殺し、青森県ではねぷたを引き裂いて奇襲する少女殺人者をラッセラッセと浴衣姿で斬殺し、岩手県ではワカメに足をとられながらも南部鉄器で防護を固める少女殺人者を初太刀で斬殺し、仙台県では冷凍サンマを高速で射出する少女殺人者のホタテから水月へ切り込み斬殺し、秋田県では人喰いウグイス二羽を使役する刈目衣装の愛らしい少女殺人者の顔面へ柄当てして撲殺し、山形県ではグラスに割り入れた生卵を飲み干した予があべスあべスと坂道を駆け上がり、若松県では合気柔術を駆使する少女殺人者に苦戦するも超々至近距離からの抜刀で斬殺し、茨城県では爆砕した畑の畝からセリとミツバを煙幕に襲い来る老齢の少女殺人者を二人の従者ごと心眼で斬殺し、栃木県では鬼怒川温泉に傷を癒す予の少女へてばたきしてランク上昇を告げにいぐ予のとうみぎがちゃぶれかけ、群馬県ではだるま状少女殺人者の正中線最下部内奥に鎮座した近代こけしへ刀を止められるもそのまま強引に斬殺し、埼玉県では美豆良に埴輪状の胴回りをした登校中の一般学生風少女殺人者三人を三方切りに斬殺し、千葉県では沖のクジラに手を振りながらフード付の灰色ジャージ上下で予が浜辺をランニングし、東京都では電脳街に違和感なく溶けこむも撮影に及ぼうとする濡れ雑巾の臭気放つ小太り青年たちを予が追い払い、神奈川県では白人男性の外見をした少女殺人者を疾走するタクシーの屋根から金網越しに斬殺し、水原県では投擲した複数枚のフリスビーを足場に迫る犬状の耳をした少女殺人者を空中戦の末に斬殺し、相川県では周囲にかがり火を焚いた能舞台で金銀能面の少女殺人者姉妹を演武の如き極遅の面打ちで斬殺し、新川県では早稲の香の中でチンドン屋に扮するきときと少女殺人者の不意打ちを激突の一刀で斬殺し、金沢県では少女殺人者に霞ヶ池へと引きずりこまれるも予が水面へ投じた加賀友禅を足場に斬殺し、足羽県ではハープの音階を物理衝撃波として操る少女殺人者に衣類を裂かれるも予の期待空しく斬殺し、山梨県では青木ヶ原樹海の遊歩道付近で少女殺人者が首を吊って虫の息なのを発見して斬殺し、長野県では体操服にブルマーを着用した少女殺人者がその健康な足技を披露するも高まる世論に降参して斬殺し、岐阜県では赤いマスカレードマスクを装着した少女殺人者が忍者衣装で襲い来るのを檜ごと両断して斬殺し、安倍県では野宿の深更を焼き討ちされるも延焼を防ぐため草木へと繰り出した剣撃が匍匐前進の少女殺人者を偶然に斬殺し、愛知県では少女殺人者から先端に味噌を塗りつけたういろうを頬へ押し付けられ苦戦するも金太・マスカット・ナイフで切り斬殺し、三重県では真珠を射出するガトリング砲を装着したフォーミュラカーに搭乗する少女殺人者のヘルメットを面打ちでラッコ割りに斬殺し、滋賀県では琵琶湖から飛び出した雑食性の少女殺人者を飯の詰まった桶めがけ腹開きに内臓処理しながら斬殺し、京都府では祇園祭宵山巡行の死闘で実に十四基の山鉾を中大破しながらも牛頭全裸の少女殺人者を秘剣・大文字切りで斬殺し、大阪府では電脳街に違和感なく溶けこむも撮影に及ぼうとする濡れ雑巾の臭気放つ小太り青年たちを予が追い払い、兵庫県では白鷺城の天守閣へ追い詰めたスーツ姿の男装麗人少女殺人者が突如歌い出すのを背後から斬殺し、和歌山県では紀州備長炭を頭上に紐でくくりつけた少女殺人者が炊事を開始するところを苦もなく斬殺し、鳥取県ではブロンズの肌理をした百二十人の少女殺人者を一昼夜におよぶ死闘の果てに砂丘の底へと斬殺し、島根県では宍道湖周辺で七人の少女殺人者から奇襲を受け水際へ押し込まれるも相撲の足腰で体を残して七方切りに斬殺し、岡山県ではグラスに割り入れた生卵を飲み干した予が高病原性トリインフルエンザに感染し予の少女から看病を受け、広島県では歯軋りのひどい少女殺人者を平和記念公園でみね打ちしてから水没した鳥居まで電車で移動の後に斬殺し、山口県では宇部市小野地区の茶畑を横目にしながらフード付の灰色ジャージ上下で予がランニングし、名東県では襦袢・裾除け・手甲に網笠の少女殺人者が連から三味線を振りあげるのをヤットサヤットサと斬殺し、香川県では有名チェーン店の従業員少女殺人者に背後からコシの強い麺で喉を締め上げられるも所詮はうどんなので斬殺し、愛媛県ではなもしなもしと迫る着物姿の少女殺人者が二階から飛び降りて腰を抜かしたところを斬殺し、高知県では百キロ級の土佐闘犬にまたがる少女殺人者が興奮した飼い犬に逆襲されて死にかかるのを介錯の形で斬殺し、福岡県では便座より噴射する液体を浴びしとどに濡れるも左斜め後ろより迫る少女殺人者の水月を刺し貫いて斬殺し、佐賀県では玄海原子力発電所の3号機から4号機へ跳びうつる際にプルサーマル少女殺人者がキセノンオーバーライドで出力低下するところを斬殺し、長崎県ではアイパッチの海賊少女殺人者を平和祈念像の前からフロントネックロックで対馬海流上に引きずり出してから斬殺し、熊本県では五人を殺害した少女殺人者を「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』」と唱えつつ裏腹に斬殺し、大分県ではひとり山肌に槌を打つ僧衣の少女殺人者のトンネルを背後から掘削しつつ恩讐の彼方に斬殺し、宮崎県では基礎体温による避妊法を連想させる元アイドル似の少女殺人者を人工の波うち寄せる閑散としたドーム内で斬殺し、鹿児島県では言葉だけでは表せない海苔巻きむすびの如き顔面の軍服少女殺人者をごめんなったもんしと斬殺し、沖縄県ではフード付の灰色ジャージ上下の予が子犬を足元にまとわりつかせながら首里城正殿めがけて階段を駆け上り達成の歓喜に諸手を挙げて振り向けば予の少女が繰り出される御殿手をかいくぐりつつ少女殺人者をちょうど斬殺するところだった。
マフラーの下から白い息を長く吐くとわずかに身を沈め、身長の三倍はあろうかという門扉を助走なしで跳び越した。途端、赤いランプが回転し、警報が鳴りひびく。詰め所から警棒を振りかざし襲いくる警備員を瞬く間に大地へ切り伏せると、雨樋を利用した三角跳びで予の少女は三階の窓を蹴破り、施設内へ侵入を果たした。割れた硝子がリノリウムに跳ねる音が止むと、非常灯のみに照らされた廊下には完全な静寂が訪れた。
列島の縦断は、予の少女をロリ板ランキング三位へと浮上させる。しかし、戦いは未だ終わりを見ず、まさに永遠へと続いていくようだった。一人殺しても、その間にまた次の少女が許可証を握っている。それは、たった一人で人類全体を殺害しようという天文学的な試みだったのだ。補給は断たれない。戦いの際に真っ先に叩くべき敵の輜重は無尽蔵のみならず、男を知らぬ少女にすればほとんど不可視でさえあった。だから、予の少女がここへたどりつくのは、もはや時間の問題でしかなかったと言える。幸いにして予は生まれながらにして自身の精神が持つ不可侵の貴族性にどこかで気づいていたし、その事実が単純に生育過程で経なければならない教育機関での時間を難しくしたとは言え、これまでの生涯を――あるいは、己が生きてある力を疑ったことは微塵も無かった。判断の基準は常に精神の内奥へとすえられていたからだ。しかし、例えば幼少期に得た養育者からの虐待が、現在の自分の上に依存とか、自己否定とか、不安感とか、自殺願望などを深刻に残していると悟ったとき、その原因となる人物と対話を試みようとすることは全く意味のない空転だろうか。予の少女の行為を馬鹿げた妄想だとか論理性に欠けるとか、非難の言葉はいくらでもあるに違いない。だが、世に満ちた、生命の与奪を伴わないがゆえに可能な99%の評論を乗り越えるには、1%の情熱あるいは狂気だけが原動力となり得るのである。その前進が新たな地平を押しあげれば常識を拡充した勇気として語られ、失敗すれば世界の埒外でする愚劣な人間の消費、すなわち狂気として地に落とされる。ただどちらも、ひとつの動機より発した結末の側面を違えたものであることは、覚えておかねばならぬ。予の少女にとってはおそらく、得られる結果というよりも対話という行為そのものが必要だったのだ。遺伝という名付けの消極的で薄弱な根拠をしか持てなかった両親はすでに互いの始末をつけ、他界している。予の少女を真にこの世界へ産みだした誰かが、この奈良県立政策科学研究所にいるはずなのだ。
自らの呼吸音に苛立ちながら門扉をよじのぼり階段を駆けあがった予は、予の少女へと合流を果たす。膝に手をかけ肩で息をする予を一瞥し、スカートの埃を軽くはらうと、予の少女はゆっくりと右手を柄にかけた。奥の暗闇に、猛獣よりもなお危険な何かが息を潜めている。予は気配を殺しつつ伝令を発し、予の子飼いに斥候目的の暗視機能を解放させるよう命じる。耳障りなほど大きく響く作動音へ呼応したかのように、消失点の彼方から輝く金属片が床すれすれに飛来し、子飼いを通じた予の視界へ急速に拡大する。たちまち時間の観念が吹き飛び、己の正体を知らぬがゆえに泣き通しだった子ども時代の場面が驚くほどの鮮明さで、整然とした時系列に脳裏へ再生され始めた。もしや、これが走馬灯というものであろうか。中学時代を迎えてから自室のみで繰り返されるようになった現実の光景は、予の内側に展開されていた哲学的スペクタクルを伴わない物理的な事実の羅列だったので、そのあまりの変化の無さに予は思わず早送りボタンを探したりした。
鋭い金属音が、予を走馬灯から現世へと引き戻す。リノリウムの床に突き刺さった短刀が、未だ余勢を残して蠕動している。予の少女の抜刀が、予を殺すはずのそれを鼻先で叩き落したのである。予の子飼いが提供したスロー再生で顛末を確認した予は、文字通り一髪差での攻防に全身の毛が太くなり、太くなった分だけ縮むのを感じた。
――誤算だった。
廊下の暗闇を滲ませるように出現する和装の少女は、怪談の一場面を思わせる眺めである。だが、予に訪れた震えは、むしろ彼我の戦闘力が拮抗している事実に由来するものだった。予の少女は何者も寄せつけぬほどに強くなったはずだ。しかし、眼前の少女――老利政子をはたして殺せるかどうか、予は確信できない。予の少女は恐ろしい早業で抜き身を鞘へと返す。予の迷いを断ち切るかのような鍔鳴りは、澄んだ残響を伴って静寂にしばしの色を与える。
――いや、正確には私の中にあった破滅を求める性向が、あえてこの誤算を看過したと言うべきか。もはや、眼前の少女殺人者が老利政子と同じほど強いことに何の疑いもない。互いの生死が定まるのに刹那も必要あるまい。勝敗のわからぬ戦いを戦うのは、二度目である。自棄に近いこの感情は、実に心地よい。特に、老利政子にとっては。
語られる内容とは裏腹に、老利政子の口調にほとんど抑揚の変化は感じられない。それが、生き人形のような人外の不気味さを醸成していた。
――この奥に、予の保護者と特区法を生んだ頭脳がある。もし私が殺されれば、老利政子はようやく敵に出会い、そして死んだと伝えて欲しい。
己の死さえも陶酔を超越したところで計算に入っている。予の持つ生来の貴族性は、老利政子の示した高い精神性への場違いな共振に揺れた。時の経過と共に積もりゆく生の余剰に価値を見ないがゆえに、いつでもすべてを捨てて死の零地点へと帰ることができる。これが処女性Aランクの所以か。瞬間、ロリ板が奥行きを伴って立体化し、予は屹立する思想の中身にぞっとさせられる。
――もし眼前の少女殺人者が殺されれば、老利政子は誰に何を伝えればよいのか。
予の少女は一瞬だけ予のほうをうかがうと、静かに首を振った。
――そうか、実にうらやましいことだ。
言い終わらぬうち、老利政子は予の少女の前にいた。予の子飼いのスロー再生さえ、コマ送りの残滓をしかとらえぬ。日本刀三尺三寸を封じる九寸五分の間合い。しかし、翻る短刀より先に雁金抜きからの右袈裟が放たれている。若松県での死闘で見せた、超々至近距離からの抜刀である。鎖骨と肋骨を砕かれ、複数の動脈を切断された老利政子は、一瞬にして絶命した。噴出する血液と倒れこむ身体を、予の少女は半身でかわす。濡れたモップを床に叩きつけるような音が響いた。予の心に湧き上がるのは、畏敬である。本来、生命の喪失はひとつの哲学の終焉と同義なのだ。死が弛緩させた筋肉は老利政子の表情から険を奪い、その顔はほとんど笑っているようにさえ見えた。日本刀が音を上げて空を切り、血の飛沫が壁を汚す。続く鍔鳴りは、仏壇の鳴物の如く弔意を示して響いたように思った。
研究所の中枢へ近づくにつれた激しい抵抗を予想していたが、もはや拍子抜けするほどに人の気配はない。もっとも、ランキング二位の老利政子を退けたいま、予の少女を止める手立てが他にあるとは思わない。猫足立ちに先を歩く予の少女がふと立ち止まる。廊下の突き当たり、わずか開いた扉の隙間からかすかな物音が聞こえてくる。予の少女は完全に気配を消して一足に歩み寄ると、回避に充分な距離をもって鋭くドアノブへ柄当てする。扉はしかし、ただ軋みを上げて開くのみであった。
室内の光景は、まず予の内奥にかすかな不快感を生じさせた。続いて、その理由が既視感ゆえであることに気づく。だが、それが病室にも似た部屋の外装へ向けられたものか、片隅のベッドに横たわる老人へ向けられたものかは、判然としなかった。
――君たちがついに、君たちの旅のひとつ目の窮極であるここへ足を踏み入れたということは、あれは死んだのだな。
生きているのが不思議なほど小さく皺がれ、弱々しく震えている。傍らの機械から数本のチューブが伸び、老人をベッドへと拘束していた。
――老利数寄衛門と言う。ずっと会いたいと思っていたが、いまはこれほどにも君たちの顔を見るのがつらい。なぜなら、あれを殺さなければ誰もこの部屋へたどり着けないことを知っているからだ。誰かの死を悼むには、私は年をとりすぎていると思っていた。若い死、老いた死――何より私たちの世代には、生命に意味付けをできないほど、死が多すぎたから。ともあれ、私を始末する前にしばらく時間が欲しい。勝者は敗者からすべてを聞く権利がある。
濁り震える呼吸音に、ほとんどかき消されてしまいそうな弱々しい声だった。しかし、それゆえに呪縛となる。圧倒的に蹂躙できると理解したときに生じる躊躇は、逆説的な人間の証明か。予と予の少女はあらゆる行動が眼前の老人を殺し得るという事実に、完全に制止させられた。
――青少年育成特区は民主政の生んだ鬼子だ。あまりに多くの意思がその成立に寄与したがゆえに、誰も確たる意図を同定できないほどに複雑化し、肥大化してしまった。私が語る内容さえ、青少年育成特区の持つひとつの側面に過ぎない。同じだけ深く関わりながら、私と全く別の見解を持つ者もいるだろう。
言葉を切ると、老人は部屋の奥を見る。視線の先には、どっしりとした両開きの扉があった。どうやら、ここが研究所の最奥ではないようだ。
――老人がする童女への歪んだ情愛が、青少年育成特区を成立させたと揶揄される。醜聞としては、よく出来た部類の報道だ。私があれを愛したのは事実だからな。だが、最初の少女は老利政子ではない。仁科望美だ。
ロリ板のトップに君臨し続ける少女殺人者の名である。それを口にするとき、老人は消え入りそうな声をさらに低めた。だが、充分ではなかったらしい。予と予の少女は何か人外の意識がこの場所をとらえ、まざまざと注視するのを感じた。
――ランキングは官僚的な形式だ。飾りに過ぎない。事実、仁科望美は過去に一度だってその座を明け渡しはしなかったのだから。最初の少女は、特区法成立以前から究極の治外法権として存在し続けてきた。法に縛られぬ埒外の実在を国家が許容することはできない。特区法とそれに付随するシステムは、すべて仁科望美を法の内側へと規定するための方便だ。書面やモニターの上ならば、膨大な文言と無意味な細則の積み重ねで、まるで仁科望美が青少年育成特区の一部であるかのように錯覚することができるだろう。しかし、あの少女だけは別なのだ。破格なのだ。一日数トンの動植物を摂取し、年間で二億トンの二酸化炭素を排出する怪物。集落ごと仁科望美の食餌と化した例さえある。その知能は狡猾極まり、日中は深山へ身を潜め、己を傷つける可能性を持つ大型兵器の前へは決して姿を現さぬ。個人が携行できる規模の銃器では、硬質化した肌をわずかも傷つけられない。極めて単純な物理的能力によって、最初の少女は法を超えている。
予は甲殻類の心を持った少女が、両目を細める様を思い出していた。
――青少年育成特区の終焉を望むならば、仁科望美を殺すがいい。老利政子を殺した君には、権利と可能性がある。もっともそれは、未だ試みられていないという程度の意味合いに過ぎないにせよだ。君を規定しているすべては、仁科望美に付随した人間世界からの余剰だ。もし、目的を完遂することができれば、君は仁科望美に成り代わり、新たな王として君臨するという選択肢もある。もっとも、いずれを選ぶにせよ私には関係のないできごとだがね。
老人は息を吐いた。細く、長く。室内は充分に暖かかったが、なぜかその息は白く見えた。
――いまの私にあるのは、君に対する憎しみだけだ。心の底から君を憎んでいる。血のつながりこそなかったとはいえ、あれはかけがえのない私の娘だったのだからな。できうることならばこの手で君を殺したいという気持ちだけが、最後に残った私の持ち物だ。しかし、少女殺人者を相手に老いさらばえた身体にこの復讐を完遂する力は無い。だが、あれの係累やあれを愛した者たちの誰かがいつかその宿願を果たすかも知れぬ。この希望を抱けば、私は死ぬことができる。覚えておくといい。君が殺してきたすべての少女殺人者の背後には、私がいたのだ。憎悪の種子はかように広く多く蒔かれ、そのどれひとつも萌芽しないなどということはありえぬ。仁科望美と同化する以外の道が、君に残されていることを祈るよ。
注意していなければ見過ごしてしまうほどかすかに、老人は微笑んだ。
――さあ、私を殺し、君たちに残った最大のひとつを消しにゆけ。しかし、そのひとつは人類の憎悪を人類ごと抹消するという、大いなる救済を孕んだひとつであったことを覚えておいてくれ。仁科望美は強大だが、それでもなお人類が殺し得る。あの少女が全世界を殺害できるほど強くなれたならば、歴史の宿痾とも言うべき親から子、子から他者へと連鎖する憎悪の連なりを断ち切り、人類は新たな再生へと進むことができたものを。いや、これは過大な妄想と言うべきか。
語り終えたことを示すように、老人は目をつむる。予の少女はうながされるように、のろのろと柄へ手をかける。だが、そこで動かなくなった。待てど訪れぬ死に、歳月に薄くなった目蓋が再び開かれる。
――この光景を目にするのは幾度目だろう。人の心とは不思議なものだな。多くの同胞たちを呵責なく殺し続けてきた誰かが、ひとつの無力を前に立往生するのだから。
言うなり、老人は機械につながる管をまとめて引き抜いた。赤・黒・黄の体液がチューブを逆流して噴出し、皺がれた身体が痙攣する。
――うむ、快なり。
ほどなく老人の両目は、生命を持つ者が宿す輝きを失った。予の少女の手が、放心したかのように柄から滑り落ちた。これまで殺してきた多くは、予の少女にとって単独の死に過ぎなかった。だが、二つの死が編んだ質感は、思いもかけぬ衝撃を与えたようである。なぐさめに肩を抱こうとする予の指先は、かつての拒絶を思い出し震える。布越しの感触は、その場で斬り捨てられたとて後悔せぬほどの甘美な柔らかさだった。しかし、わずかの抵抗さえ示さず、予の少女は俯いたまま睫毛を震わせるばかりである。はかなげな横顔が訴えるのは、殺戮を続けることへの倦怠か。だが、ここですべてを頓挫させるわけにはゆかぬ。途中で降りるには、意味なく殺しすぎた。予が指先へかすかに力をこめると予の少女は頭を軽く振って、おぼつかぬ足取りで一歩をふみだした。他に進むべき方向はない。引き返す道は、すでに少女たちの遺体で埋まってしまっているのだから。
研究所の最奥へと続く扉は、厳重なセキュリティとは無縁の無防備さで、あっさりと侵入者を受け入れた。薄暗い部屋の中央には、楕円形の会議机が配置してある。異様なのは、すべての席に人形が置かれていることだ。和人形、磁器人形を初めとして、予の卓抜した知識でさえ出自を特定できないほど、多種多様である。それらは一様に眼前のラップトップ式パソコンを注視するようで、画面からの照り返しが与える不気味な陰影は、無機物であるはずのものどもを有機物のように見せていた。
――いいぞ、いいぞ。老利政子はずっと死に体だったからな。流動性が担保されるのは、実に結構なことだ。
こちらに背を向けた白衣の男が、わずかに常軌を逸脱した激しさで頭上に手のひらを打ち鳴らしている。奥の壁面にはモニターがびっしりと並び、和装の少女が斬殺される瞬間が幾度も繰り返し流れていた。予の少女は、その悪趣味に顔をそむける。白衣の男は椅子ごと振り返ると、愉快そうに予の少女を眺めた。
――ついにたどり着いたか。ぼくのことを知るはずもないだろうが、ぼくにとって君たちはずっと特A級の観察対象だった。まるで、憧れていたアイドルに初めてに会うときの少年みたいな気持ちだよ。それにしても、あの日本列島殺人行脚は大ヒットだったね。あやうく公僕の立場を忘れて、大手旅行社と鉄道会社へタイアップ企画を持ち込むところさ。
雑草のように無秩序な髪は白いものが多く混じっている。軽薄で軽躁的な話しぶりとは裏腹に神経な視線を銀縁眼鏡で覆い、内臓の虚弱を疑わせるほど頬は痩け、皮膚と同じ色をした唇は酷薄な印象を予に与えた。相反する印象が集積した外見は、老人のようでもあり青年のようでもある。
――ようこそ、少女審議委員会へ。委員長の五嶋啓吾だ。政策研究所の所長も兼務している。そして、ここに居並ぶのは、当委員会の錚々たる構成メンバーのみなさん方だ。会議に欠席する場合、あらかじめ代理人として人形を立てるよう決まっている。ご覧の通り、実在の名士なんてのはこういう輩ばかりさ。少審は委員長の諮問機関に過ぎず、決裁権は委員長であるぼくが握っているから、会議の運営はもはや他に類を見ないほど円滑だ。
言いながら突然、手近の椅子を人形ごと床に蹴り倒す。磁気人形の頭髪が剥がれ、黒い空洞がのぞく。ひび割れて対象性を失った顔面は、ひどく既視感を刺激した。
――そして、罷免も任命もぼくの思いのまま。いつだって、ひとり分の席は空いている。必要なのは、永久に自我の形を変質させる一種の諦念だけだ。何も放棄せずに、何かが手に入るわけはないからね。
異様な光を帯びた視線が予へと向けられた。瞳に込められた熱量次第で、年齢についての印象が全く変わる。だが、予の経歴に対する遠まわしの揶揄も予をひるませるには至らなかった。これまでの人生に後悔はあるか。いや、ない。予は毅然と胸をそらしたのである。
――君が少審にあげる動画や報告書は、実に興味深い。委員へ推挙したいくらいだ。魅力的な申し出とは思わないか。君の反社会的な本質をそのままに、君は確たる社会的な地位を得る。これがどれほど度外れた大逆転の可能性か、君ならばわかるはずだ。
浮かされたような口調に釣りこまれそうになり、予は主導権を取り戻すべく老利数寄衛門の死を告げた。社会的地位は少女殺人者にとって何ら盾にならぬことを、五嶋啓吾に思い出させるためである。傍らに立つ少女殺人者は、居ながらにして脅迫と同じ効果を持っている。ただ、予の少女が今日の死に倦んでいることだけは、悟られてはならぬ。
――見ていたよ。残ったのは恋着した童女の行末を見たいという妄執だけで、実際あの老人は長い間ずっと死に続けていた。よくもった、と言うべきだろうな。ただ、青少年育成特区の設立に寄与したという一点でだけ、歴史に名を残す資格はある。政治屋にしてはまあまあ話せる人だったけど、いつだって容れ物を作ることが前提から目的へすりかわってしまう。何を納めるかはどうでもよかったんだろうね。フレームはなくても、実体はある。抽象概念だけが、この世の底とつながっている。老利数寄衛門との議論は平行線だったね。何を見せたいと思うかが政治だとすれば、青少年育成特区は世の人々に何を見せたかったのか。
わずかに細めた目の下に皮がたるみ、その顔はたちまち時を刻んだ。年老いた分だけ口調の帯びるトーンに憂鬱さが加わり、人格の置換さえ疑わせる変容である。もっとも、青少年育成特区導入からの歳月を考えれば、設立に関わったというこの男が見かけほど若いはずはない。
――全体主義的な風合いに対するカウンターとして消極的に採用された民主政は、対立項への嫌悪ゆえに真逆の極端へと暴走していった。均質化と個性化は常にせめぎあい続けなければならず、どちらかへ完全に着地することこそ避けねばならなかったはずなのに。結果はご覧の通り、行き過ぎた個人主義が価値を拡散させてしまった。価値とは「何を是とするか」という命題に対する回答、すなわち善の様相を意味する。善は自由の名の下に組織、あるいは人間と同じ数にまで際限なく分割されていく。一方で、悪は変わらないままその版図を維持し続ける。悪は法により規定されるが、善は法により規定されないことを考えるといい。善が悪に勝利できなくなったのは、道理じゃないか。最初期段階で青少年育成特区が目指した理念とは、目指すべき社会システムの可視化にあった。個々人の戦争状態は恒常的に存在し続けるべきだ。不可視であるがゆえに、穏やかな天秤の例えで結論を次代へ先送りにする破滅への保留を廃し、少女殺人者たちは現状が常に戦争であるという事実を人々の前へ顕在化させる。さらに、青少年育成特区は舞台の主役である少女たちを抽象化した。ネットやテレビや新聞や、手の届かない場で繰り返される虚像には実在を薄める効果がある。哲学書や思想書の文言なら涙が浮かぶほど身に沁みるが、隣人や親族の小言は許容できないほど苛立たしいからね。形が無く、ほどよく遠いということが啓蒙には重要なんだ。……まあ、ここまでは建前だね。この国の政治に統計データは必要ない。つまり、小説を書くように政策を書けば、あとは人気投票次第で自動的に事が運ぶのさ。実のところね、ぼくはただ、少女が、大好きなだけなんだ。
異様な光に目を輝かせながら、五嶋啓吾は爬虫類を思わせる長い舌で色の無い唇を湿した。大きく開かれた目が顔全体の皮膚を持ち上げ、劇的な若返りの印象を容貌へ与える。嗅ぎ取った臭いに全身は粟を生じ、想起した同族嫌悪という言葉に予は首を振った。
――ただの一瞥で男どもを蹂躙する少女たちが、陰惨な陵辱の末に社会の枠組みへと規定されてゆく過程にぼくは切歯扼腕してきた。青少年育成特区は、フェミニズムなんてメじゃない、国家の庇護の下に少女たちが他を圧倒し君臨し、暴力で世界をほしいままにするシステムだ。少女たちの神聖を守るためには、社会からの同調圧力を退けねばならぬ。万が一にも誰かの手に入ってしまうような可能性があってはならぬ。現世の誰からも触れられないよう少女たちの存在をエンターテイメント化し、つまりいったん実在から実存へと引き上げることで一時化し、外的・抽象的・遠隔的消費が可能な状態を作り出すことにこそ、青少年育成特区の真の目的がある。消費され尽くすということは、関心を完全に喪失することだからね。その先に少女たちは、路傍に苔むし、打ち捨てられた道祖神の持つ、何人もその由を遡れないがゆえの不可解の聖性を獲得することができる。
じっと話を聞いていた予の少女は、そこで何かを言おうしたのか、わずかに唇をひらく。先ほどまでの虚脱の様子は消えており、予は傍らから漲る圧を感じる。しかし、五嶋啓吾はかぶせるように言葉を続けた。
――ぼくを狂っていると思うか。いや、正常と異常は時空において相対的だなんて、つまらない指摘はたくさんだ。自然とは異なった環境に置かれて壁に頭蓋を骨折させるマウスの発狂が固着したものが、人の持つ知性なのだろう。だから、カウンセリング的な、心理学的な救済に神を感じて心乱される。本当はただ発狂しているだけにすぎないのに。環境への適応が知性を作り出したのなら、皮肉にもそれは神の不在をそのまま証明しているじゃないか。いまや君たちは余人からの入力を受けつけず、外部からの刺激に殺す以外の応答を必要としなくなった。ぼくたちは一方的に君たちへ祈りを捧げ、愛と欲望を投影し、次の少女の到来を望むがために、君たちがただ消えてゆくのを傍観し、やがて完全に忘却する。君たちをこの世のものとも思われないよう神秘的に、蠱惑的にするために「殺し」を与えたが、言葉まで奪った覚えはない。君たちには、それを保持し続ける自由もあった。けど、殺人の享楽をさまよううちに、言葉を放棄したんだ。言葉は「殺さない」ためにあるものだからね。
予の少女は、つまらなさそうに前髪へ手櫛を入れる。五嶋啓吾が一瞬、ひるんだように視線をそらす。続く一声はわずかにかすれていた。
――さあ、ぼくの話はここまでだ。仁科望美のところへ向かうといい。君が人がましく話すのを聞きたくはない。もっとも、少女殺人者に何かを強制できるとは思っていない。ぼくの存在と言葉を無化する手段は、すでに与えられている。
予と予の少女への興味を失ったかのように、白衣の男は再び壁面のモニター群へと向き直った。しかし予は、肘掛からのぞく指先がかすかに震えているのを見逃さなかった。無頼と狂気を装った一世一代の大芝居は、ただ助かりたいがゆえだったのか。誰かに向ける最も冷酷な感情は失望である。はたして気がついているのか。いぶかった予が、端整な横顔をのぞきこんだ瞬間――
一閃、予の少女は白衣の男を椅子ごと切り伏せた。