猫を起こさないように
月: <span>1999年12月</span>
月: 1999年12月

媾合陛下

 こう-ごう【媾合】性交。交接。交合。(広辞苑第四版)
 「媾合陛下ご懐妊の報を受けてセッティングされた今日の記者会見、いったいどうなるんだろう」
 「あの媾合陛下のことだ、何事もなく会見が終わるとは思えないな」
 「みなさま、たいへん長らくお待たせしました。媾合陛下がお着きになりました」
 「申し訳ありません。行きつけの産婦人科で膣内と子宮口の触診を行っていたのですが、薄紫色に靄のかかった陰部の穴を医者が探り当ててじょうごを差し込むのにずいぶんと時間がかかりまして」
 「さすがは媾合陛下、やんごとなき理由ですな」
 「それでは順に質問をお受けしたいと思います。なにぶんこのようなお身体ですし、万一のことがないとも限りません。みなさまがいつも相手にされるような、母親のへその緒で自慰を覚えてよちよち歩きをする前におしゃぶりを下の口でくわえこんで処女膜を裂いたようなあばずれ女優たちへするのと同じようにはなさらず、各人が理性を持った一個の責任ある人格として品位あるご質問をどうか願います。なお、途中で媾合陛下のご気分がすぐれなくなったりした場合、質問の途中であっても会見を中断することがありますのでご了承下さい。では、逢坂スポーツさんから」
 「まずはご懐妊、おめでとうございます」
 「どうもありがとう」
 「さて、今回の媾合陛下の妊娠は自然妊娠であったと報道されましたが、自然妊娠とはいったいどういう意味でしょうか」
 「いかがいたしますか、媾合陛下」
 「お答えします。つまり体外受精などの人工的な手段を取らず、卵子が排出される週に男性器を女性器内部へ招聘し膣内深部に精子を放出させる作業を数ヶ月にわたって定期的に執り行った結果妊娠に至ったということです。蛇足ながら付け加えるなら、ゴム製の精子受けなどは一切使用しませんでした」
 「媾合陛下は現在の夫と29歳で結婚なさってから数年の間、周囲の無言の期待にもかかわらず、ずっと妊娠なさらないままでした。このことについては様々の口さがない噂や怪情報が飛び交いましたが、真相のほどはいかがなのでしょう」
 「いかがいたしますか、媾合陛下」
 「お答えします。数年の間私が妊娠しなかったのは、私の側というよりもむしろ夫の側に責任の所在があったということをこの会見の席で公にしておきたいと思います。最初に断っておきますが、それは主婦の方々の井戸端会議で邪推するような夫の精が薄かった、つまり彼が精薄だったということでは残念ながらありません。私には現在の夫と結婚する以前、様々の週刊誌に書き立てられたように、定期的に性交を行う程度に親密なつきあいのある男性がいました。その男性とは大学在学中からになりますから、そうですね、十年ほど交際が続いておりましたでしょうか」
 「では現在の夫の妻となるはるか以前に媾合陛下は清い乙女ではなくなっていたということですか」
 「いかがいたしますか、媾合陛下」
 「お答えします。私の子宮口と外界を隔てる文化的な意味を付加されることの頻繁な不可逆の薄膜を屹立した男性器でもって内部方向へ引き裂いたのは確かにその男性です。男性と女性の交錯するときに生まれる快楽を教えてくれたのもまたその男性です。私はこのような過去の経歴から性に対する少なからぬ経験を持っていたのですが、夫は私と出会うまで女性と経験をまったく持っていませんでした。訂正しましょう。少なくとも現実の女性とは交渉を持っていませんでした」
 「それはいったいどういう意味でしょう、媾合陛下」
 「いかがしますか、媾合陛下」
 「お答えします。話が前後するとみなさまの混乱を招くと思います。順を追って話しましょう。私の意味するところもその過程で自然と理解されるかと思います。現在の夫と結婚してからの数年は、絶望的な苦闘の年月だったと表現することができるでしょう。はじめ夫はことに際して男性器をまともに屹立させることすらできなかったのです。それは屈辱的な事実でした。私の戦いは、まずその事実を受け止めることからはじまったのです。他の誰でもない自らの夫が、妻たる私の肉体を見ても欲情できないという冷酷な事実を受け止めることから」
 「しかしこのたびご懐妊に至ったのは、最終的に成功に性交したということの証左ではないかと思うのですが、どうでしょう」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。その通りです。私はまず手や口で夫の男性器に刺激を与えることから始めました」
 「待って下さい。それは尺八と解釈してよろしいのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。そのように考えられてよろしいと思います。以前の男性との関係から女性器以外の部位を使って男性に男性性を達成させる技術を文字通り身をもって修得しておりましたので、屹立しない男性器にその技術を流用するのは当然の流れでした。しかし以前の男性を大いに悦ばせたこれらのやり方も、現在の夫の男性器にはほとんど効果を持たず、挿入が可能なほど硬化させるには及びませんでした」
 「その段階で夫が不能者であるとは考えなかったのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。当然その可能性は真っ先に考慮しました。ですが夫は私との性交に失敗すると決まって漫画かアニメーションでもって手淫を行っていました。妻たる私の目の前でそれはもう本当に気持ち良さそうに口の端からよだれを垂らして手淫を行っていました。妻にとってこれほどの屈辱があるでしょうか。嫉妬の対象が現実に存在すらしないのです。ただの現実の肉である私がどうしてそれに対抗できましょうか。夫が手淫によって放出したものを指の腹にすくいとって膣壁に塗りつけたりもしてみましたが、結局私の身体には何の変化も起こらないままでした」
 「要約すると、あなたの現在の夫は平面的な媒体に描かれた女性にしか興奮できない特異な体質の持ち主であるというわけですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。現実にも性の対象はあったようですが、それはごくごく限られていました。現実のものとは思えないほど整った造作をした少女の裸体などがその例外に当たります。女性の女性性を切り売りする女性の助成で成立する商業ビデオを使っているのを見たこともあります。モニターを通じて二次元に変換するという行程が必要だったのかも知れません。そんなわけで私は妻として、女性としての満足を与えられないまま最初の二年間を過ごしました。水でもどる干し椎茸のような夫の代物を口に含んで湿しては吐き出し、吐き出しては含む虚しい作業を毎夜繰り返しながらです」
 「媾合陛下、もうその辺で」
 「続けます。決定的な転機が訪れたのはそう、一年ほど前のある晩のことでした。いつものように性交に成功しないまま夫が手淫を始めるのを私は麻痺した心でぼんやりと眺めていました。瞬間、私の中に天啓のような閃きが訪れました。考えるよりも先に私は動いていました。成人向けの漫画に鼻を埋めるようにして手淫に没頭する夫の生殖器を夫自身の手から奪うように口に含んだのです。するとみるみるうちに夫の生殖器は膨れ上がり硬度を増してゆきました。もっとも、その大きさについては私とおつきあいのあった以前の男性のものと比べるとエノキと松茸くらいの差があったのですが、それは関係ありませんのでおくとしましょう。夫は私へは一瞥もくれず、ただただ成人向けのしかし成人が一人も描かれていない漫画だけを食い入るように見つめながら、私の口腔内で果てました。これが夫が私との交わりにおいてした初めての射精でした」
 「媾合陛下、もうその辺で」
 「続けます。口腔内での射精を膣内での射精に置き換えるのはあっけないほど簡単でした。言ってみれば夫は私の生殖器を使って自慰をしているようなものです。最近は目にかけるバイザー状のモニターで成人向けのアニメーションを見ながら私の生殖器を使って自慰するのがお気に入りのようです。こうして、私たちの間の夫婦の問題は穏便な解決をみたのです。もっとも夫が雨に濡れた子犬のようにわずかに痙攣しただけで毎回果ててしまうので、夫が眠った後に私は自分で自分を慰めなければならなくなってしまったのですけれど」
 「媾合陛下、もうその辺で」
 「続けます。聞けば夫の家系にはこんなふうに現実の人間に興味を持てない人物が実際たくさんいたそうです。牛馬としか交わりたがらずに座敷牢に閉じこめられた女の話だってあるくらいです。現に夫の妹は商業ベースでない冊子に二次元の男性の肛門性愛を主なテーマとした作品を描き続けています。現実と隔離されたところで珍獣のように生かされている彼らにはそれも無理もないかも知れません。その性質が現代に固有の病巣と結びついたというだけの話だと私は思っています」
 「ときに媾合陛下はどのような母親になりたいと思われますか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。現代は母性の喪失した時代であると言うことができるでしょう。私は赤ン坊が腹を下したその始末を毛先ほどの躊躇もなく口と舌でするような、人間が集団を維持するために作り上げた方便であるところの矮小な知恵による社会規範に浸食されない獣の母性を持ちたいと思っています。同時に、カマキリの雌が交尾の最中に雄を頭から喰ってしまうような、親猫が生まれたばかりの目も開かない子猫たちのうちの特別に生きていくに不向きな虚弱なものを歯牙に捕らえて喰ってしまうような、そういった野生と人間の感覚を超越した不合理さを私の中に共存させなければならないと考えています。これが私の母親としての在り方です」
 「ときに媾合陛下は妊娠何ヶ月であられるのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。六ヶ月になります。もう少し早くお知らせするつもりだったのですけれど、母子にとって大切な時期を不特定の大衆という雑音にわずらわされたくなかったのです」
 「その割には媾合陛下の腹部に膨らみを感じないな。どういうことだろう」
 「媾合陛下、その口の端から垂れ下がっている血の付着したヒモ状のものはいったい何なのですか」
 「いかがいたしましょう、媾合陛下」
 「お答えします。これは昼間食べたうどんです。ただのうどんの切れ端に過ぎません。それ以外の何物でも、げぇぇッぷ」
 「媾合陛下のおみ足つたいに流れて床に水たまりを作っているその液体はいったい何なのですか」
 「いかがしましょうか、媾合陛下」
 「ああ、気分がすぐれません。どうやらお昼を食べ過ぎたみたいです。ちょっと横になりたい気分がします」
 「みなさま、ご気分がよろしくないようなのではじめに断りましたように、媾合陛下がご退場なされます。今日の会見についての記事は掲載の前段階に一度こちらの委員会を通して頂きます。どうか各社ご理解のほどを願います」
 「ああ、気分がすぐれません。どうやら調子にのってお昼を食べ過ぎたみたいです。なぜって思いもかけず三つ子、げぇぇッぷ」