猫を起こさないように
月: <span>1999年11月</span>
月: 1999年11月

ホーリー遊児(1)

 ただ聞き手に何の感興も起こさせないことをだけ目的に作られたバックミュージックのためのバックミュージックが軽々しく流れる中、応接間を想定したのだろう、奇妙に生活感の欠如したセットの中央に男女が差し向かいに座っている。女性、カメラに対して深々とおじぎをする。
 「(正気を疑う顔面のサイズの倍ほどもの高さに結い上げた頭髪で)みなさん、こんにちは。”nWoの部屋”の時間がやってまいりました。ホステスをつとめさせて頂きます、破裏拳逆巻です。本日はゲストとしてゲーム作家のホーリー遊児さんをお招きしております」
 「(二十年前のトレンドを思わせる薄い茶系統のグラデーションがついた、明らかに度の入っていない伊達メガネで見た目泰然と)どうも。ご紹介にあずかりまして。ホーリー遊児です」
 「ホーリーさん、今日はお忙しい中、わざわざありがとうございます」
 「(苦笑しながら)いま”トラ喰え7”の最終の追い込みにかかってまして、本当に忙しいんですよ」
 「ここでご存じのない方のために、少しホーリーさんの経歴を紹介させていただきましょう。ホーリーさんは老人介護問題を題材に扱った有名RPGシリーズ”トランキライザー、喰え・喰え!”のシナリオをメインで担当されており、普段まったくゲームをすることのないような大人たちをも感動させるその巧みな語り口は、”ゲーム界のトラさんシリーズ”と高い評価を得ています。”トラ喰え”欲しさに殺人強盗を働いた中学生の事件はみなさん記憶に新しいところではないでしょうか。”トラ喰え無ければゲーム無し”という言葉があるそうなんですが、”トラ喰え1”の発売当時、まだほとんど正式な企業としてすら見られていなかったゲーム制作会社の地位を向上させ、認知度の低かったゲーム市場の裾野を飛躍的に拡大したというホーリーさんの業績は、もはや伝説と化していると言っても過言ではないでしょう」
 「(見せかけの謙遜で片手を振りながら)そんな大げさなものじゃないですけどね。”トラ喰え”の第一弾が発売されたのが、そうね、まだ昭和の頃だったんじゃないかしら。ファミコンが全盛の時代だね」
 「(手元の資料に目を通して)昭和61年5月27日となっていますね」
 「へえ、そんなになるのか。(膝の上で手を組んで目をつぶり)あれから十余年、思えば遠くに来たものだね。当時はずいぶんと週刊誌やらマスコミに叩かれたものだったけれど」
 「あまりにセンセーショナルな内容でしたから。(手元の台本を見ながら棒読みで)当時私はまだ小学生だったんですが、友人に借りてなにげなくはじめた”トラ喰え1”にわけもわからないまま強い衝撃を受けたのを覚えています」
 「いまでこそ億単位の制作費で動いている”トラ喰え”だけど、当時はまだ何の知名度も無かったからね、あちこちの銀行に頭下げて金を借りにまわったものさ。社長以下――といっても当時まだ小さな会社だったから、名ばかりのことだったけれどね――みんなして駆けずりまわってさ」
 「(わざとらしく驚いて)そんなことがあったんですか。いまでは到底考えられませんね」
 「(下手な節まわしで)そんな時代もあったねと。×○銀行の受付嬢に小銭を顔へ投げつけられたことや、□△銀行の支店長に罵倒されたこととかね、昨日のことのように鮮やかに思い出すことができるよ。(女性の裏声で)『いつまでもいられちゃ仕事の邪魔なんだよ。これでもくれてやるからとっとと出ていきやがれ、この物乞いどもが!』、(したたるような悪意を込めた声音で真似て)『学生のサークル遊びの延長みてえなクソやくざ商売にどこの誰が金出すと思ってんだ、アァ? 来るとこ間違ってんだよ。ゲームだと? 金が欲しけりゃ腎臓でも売りやがれ、この社会の最底辺のダニめらが』…(握りしめた拳を震わせて)あの頃の屈辱を忘れたことは無いね。そう、一瞬たりともね」
 「(困った顔でスタッフに助けを求める視線をやりながら)ええっと、それは何と言いますか、その、たいへん哀れな、その」
 「まァ、いまやあの連中もこぞってぼくのところに日参してくるがね。ぼくに幾ばくかの金を融資するためならケツ毛に付着した大便の欠片をも競って舐めとりたいといった様子でね。実際に今日は△×銀行の頭取にぼくの靴を舐めさせてきてやったよ。どうだい、顔が写るほどにピカピカだろう?(ガラス製のテーブルの上へ音高く右足を投げ出してみせる)」
 「(スタッフの指示で強引に話題を変えて)あの、長いシリーズですけど、私は”トラ喰え1”が一番面白くて好きなんですが、あの」
 「へえ、そうなの。天下の破裏拳逆巻さんにお褒めを頂けるとは光栄ですね(ちっともそう思ってないぞということを誇示するような殊更な鷹揚さでテーブルの上のジュースのグラスを取り上げてみせる)。これはシナリオ書きとしての興味から聞くんだけど、どんなところが一番印象に残ってますか?」
 「ああ、ええっと、それはその…(スタッフの差し出すボードの助け船を横目で確認して)それはやっぱりエンディングでしょう。確か、こんな感じでした。『仁科教授の脂肪質の生白い腹部にぱっくりと縦裂きに開いた裂傷から…』」
 「(ドサ回りの演歌歌手の執着で強引に後を引き取って)『…大量の血液が吹き出すのを和男は呆然と眺めた。女性器は縦に開いているのか横に開いているのかに毎夜煩悶する思春期の男子学生の迷いを具象化したようなその傷口は、圧倒的な男性性で無理矢理破瓜を迎えさせられた処女のそれのようでもあり、和男はそのあまりの非現実的な淫猥さに軽い眩暈を覚えた。今自分の眼前で一人の人間が死なんとしている。和男はどうすることもできない自分を痛いほどに、強姦の如く無理矢理に自覚させられた。無力感が、救ってやれるという傲慢な思い上がりを塗りつぶしていくのを絶望的な気持ちで眺めるしか、和男にはできなかった。噴出し続ける血液は、和男の真新しい白衣を次第に真っ赤へと染め上げた。和男はこの世で最愛の女の貞操が自分ではない男のペニスで奪われるのを想像する時のような、やるせない切なさを感じた。そうして、その切なさこそが、この世界にある絶望の正体だと知った』」
 「(鼻白んで)ええっと。あの、もしかしてご自分の書いたものをすべて覚えてらっしゃるんでしょうか」
 「(軽蔑した調子で、鼻で笑って)わからないだろうけど、これくらいは当たり前にできないとシナリオ書きはつとまらないんだよ」
 「(スタッフの差し出すボードに目をやって)あ~、(棒読みで)いま聞いてもすばらしいですね。十年経っても色あせないどころか、違う種類の感動を我々に与えてくれるなんて」
 「(一瞬だけ、ほんのわずかに小鼻を膨らませる)他の人はどうだか知らないけど、ぼくはシナリオを書くときクラシックを想定するんだ。ぼくのシナリオにはたとえ最初の印象は強くなくとも、年月に聞き減りしないそれらの音楽のような濃度を持たせるようにしたいといつも思っている。古くさいだとか時代錯誤だとか、的の外れた批判もたくさん耳にするが、それはぼくがシナリオに込めたこの崇高な精神を読みとることができていないんだね。白痴、そう白痴という言葉がぴったりくる愚かさだと思うよ。(ソファの背に片手を乗せ、尊大な態度で卓上のジュースを取り上げて)まァ、結局はぼくがはるかに時代を先取りしていたということなんだけどね。コペルニクスの例を挙げるまでもなく、すべからく先駆者というのは大局的な視点を持たない近視眼の大衆に、その先進性ゆえに忌避されるものだとわかってはいたのだけれどね。ようやく時代がぼくに追いついてきたという感じがするよ。十数年かけてのろのろとね。そうは思わないか、君(狂信的な、焦点のわずかに外れた目でのぞきこむ)」
 「(聞こえないふりで目をそらしつつ、いつも他の芸能人達に接しているときとは異なった明らかなやっつけ仕事のテンションの低さで)ホーリーさんはシナリオをお書きになるとき、どのようにして、その、インスピレーションを得られるのですか」
 「いい質問だね。いい質問だと思います。最近のゲームのシナリオを描いている若い連中にありがちなところなんだけど、アニメや漫画なんていう、それ自体がすでに二次的な文化であるものからほとんどそのまま受け取って、極端には固有名詞を変更したくらいのニュアンスでアウトプットして、これがシナリオでございとふんぞりかえっている。これはもう、お話にならないね。シナリオだけにね。そうは思わないかい、君(狂信的な、焦点のわずかに外れた目でのぞきこむ)」
 「(困惑した微笑で)ええっと、あの」
 「要するに言っちまえば、パクりだね。コピー文化のコピー、何度も使ったティーバッグにまた熱湯を注ぐみたいなものだ。まったく効果をあげないことに執着することのできる気狂いめいたその熱意だけは認めないこともないがね。これじゃ、ゲーム文化がいつまでも向上しないわけさ。別に老大家のやっかみや嫌味で言ってるんじゃないんだよ。ただ、(カメラを睨んで挑発的に)いつまでもぼくの一人勝ちじゃどうしようもないんじゃないの?」
 「(テーブルの下で小指のささくれを引っ張りながら)手厳しいお言葉です。それではその後輩達のためにホーリーさんのシナリオ作法を少々でも開帳願えませんでしょうか。これは本当に、(あくびを噛み殺しつつ)興味のあるところだと思います」
 「そうね。ぼくはやはり文学作品にインスピレーションを与えられることが多い。よく尋ねられるんだが、三島? ハ、いじましい国産の文学になんざ毛ほどの興味も感じないね。人間が人間として存在するためには不可避であるこの世の不条理たちとの対決という意味において真に政治的な世界の巨匠たちの作品は、ぼくにすばらしいアイディアを閃かせてくれる。各方面からの指摘がすでにあるように、ぼくのシナリオは確かにそれらへのオマージュの形をとることが多いと言えるかもしれない。最も顕著な例が、”トラ喰え4”だ。この頃は”嘔吐”にイカれていてね、主人公の猿捕佐助(さるとるさすけ)の妹である和子の過去が密教の予言者の秘儀によって回想される、物語上極めて重要な場面なんだが、この部分だ……(陶酔しきった表情でオペラ歌手のように朗々と)『牛の胸部より丹念に絞り出した白濁液をふんだんに使ったたっぷりとした肉汁の中には背筋のぞっとするような恐いくらいの太く長い肉詰と、馬鈴薯をしなやかな葉で包んだものが暗示的にプカリプカリと浮かんでいる。和子はおそるおそるフォオクの先端を、肉食獣の檻に手を差し入れるときのようなおびえようで、肉詰の表皮へと触れさせる。危うい均衡で辛うじて肉汁の表面に荒々しい全身の半面を見せていたその恐ろしい太く長い肉詰は、一旦肉汁の海へと沈み込むと一瞬間後、色合いの異なった反対の側面を和子の方へと回転させた。その動きは、肉詰の持つずっしりとした質量がさせたせいだろう、肉汁のうちのいくらかを和子へと跳ね上げた。牛の胸部より丹念に絞り出した白濁液をふんだんに使った、しかし馬鈴薯のせいだろうかわずかに黄味がかった液体は、和子の平板な顔面をねっとりと伝い落ちた。最初はその突然の熱さに驚くしかできなかった和子だったが、額を伝い、鼻を伝い、頬を伝い、唇へ流れ落ちる液体をおそるおそる長い舌で舐めとってみた。美味しい。和子は味蕾の全てを破廉恥にも開放させるその官能に思わず我を忘れた。和子は襟元からナプキンを引き抜くと、丸々とした太く長い馬鈴薯を鷲掴みにし、歪により太くなっている側の先端から上唇と下唇を押し割るようにして喰らいついた。その勢いに和子の口の中で縛ってあった肉詰の先端がほどけ、熱い汁がビュビュとほとばしった。見る者が見たならばそれは”貪欲”とでも名付けたくなる一枚の絵画のような光景だったろう! 熱さに喉の奥を焼かれながら、和子はふと馬鈴薯を包んだレタスがつるりと剥けるのを眼の端に捉えた。次の瞬間、肉詰が肉詰という名前ではなく肉詰そのものを表す実存のように、馬鈴薯が馬鈴薯という名前ではなく馬鈴薯そのものを表す実存のように、レタスがレタスという名前ではなくレタスそのものを表す実存のように、人間の意識という夾雑物による認識阻害を超えた現実感で和子の脳髄に溢れた。恐ろしい墜落感覚と崩壊感覚が和子の精神を余すところ無く蹂躙した。それは狂いだった。和子は肉詰を上唇と下唇の間に右手を添えてくわえたまま、残った左手で隣のテエブル席に座っていた客の頬を力任せに殴りつけた。それは狂気という名前をした完全な、生まれて初めて和子の感じる文字通り完全な自由であった。あまりの衝撃に折れた骨が皮膚から突きだしてしまっている左手を気にも留めたふうもなく、和子は突然カウンタアの向こう側に並ぶ高価な洋酒の瓶めがけてテエブルの上から水泳の選手がやるような要領で飛び込んだ。凄まじいガラスの破砕音と共に和子は立ち上がった。口腔にある肉詰はもう既に冷めてしまっており、中に包まれていた熱い汁も全て散逸してしまっていた。和子は嫌悪感に頬を漲らせ、かつて肉詰だった残骸を音高く吐き捨てた。和子はそこでふと首筋に違和感を感じた。手をやると、割れたバアボンの瓶の破片が深々と突き刺さっている。和子は何の躊躇もなく忌々しげに、冬のセエタアについた毛玉にやる無頓着さでそれを引き抜いた。瞬間、和子の首筋から驚くほど大量の鮮血が吹き出した。血流の勢いによろめいて仰向けにひっくり返りながら、和子は自分の知っている限りの猥褻な言辞を呪詛の言葉に混ぜて吐き散らしたのだった…』(空中に高く手を差し伸べたポーズで滂沱と涙を流す)」
 「(スタッフの一人に小突かれて目を覚ます)あ、あふ。(わけもわからず拍手して)素晴らしいです。素晴らしい。あの、お時間も差し迫って参りましたので、視聴者のみなさんもやきもきしていると思います、最新作である”トラ喰え7”について少しお話をうかがいたいのですが」
 「(途端に不機嫌にソファに身を投げ出すように座って)ぼくはたいへん怒っている」
 「(とまどって)は?」
 「(苛立ちを押し隠すように目を細めて)君は、旧弊社を知っているか」
 「あ、はい。大手の出版社…ですよね?」
 「大手かどうかは知らないが、そうだ。そこが発行している漫画雑誌に、”少年ザブン”というのがある。知っているか」
 「はぁ、まぁ、名前だけは。駅のキヨスクなんかでよく見かけますね」
 「連載されているどの漫画のストーリーもテーマもすべて同じ、ぼくなんかのシナリオとは本当にくらべるべくもない、ほとんど環境破壊に貢献するしか役目がないような、ポンチ絵をしか描くことのできない脳言語野に先天的疾患を持った連中を喰わせるためだけに存在する、言ってみれば社会福祉が主目的の三流誌なんだが、唯一の見所としてぼくの”トラ喰え”の紹介記事をずっと掲載しているんだね。1から最新作の7に至るまでずっとだ。宣伝としてザブンがまったく役に立たなかったというとそれは嘘になるが、今やこれだけ有名になり、会社も昔とは比べものにならないくらい大きくなってしまっているし、旧弊社から完全に引き上げて手下の出版部にすべて任せてもよかったんだよ。なぜそれをしなかったのかというと、独身時代に住んでいた風呂トイレ共同のボロアパートを、つい引き払うのを忘れていたようなものなのさ。それがこんなことになるとはね! まったく不愉快極まるよ(震える指でポケットから煙草をつまみ出そうとする)」
 「(感情が無いことを隠すための微笑で)あの、いまひとつお話が見えないのですが」
 「まったく君たちマスコミという人種は! こんな重大事を見ずによくのうのうと居座っておれるものだ!(片手で目を覆い天を仰ぐ)」
 「(時計を気にしながら)あの、お時間の方が。手短にお願いできますでしょうか」
 「ふん。他に競合相手がいなかったせいで偶然成立してしまった巨大媒体にふんぞりかえる、原始メディア風情めが。おまえたちにはゲーム業界の持つ比類無いかがやかしい進取性をほんのわずか理解することすらできまい。(突然火のように激しくテーブルを拳で殴りつけて)旧弊社めが! 他人の創造性に寄生することでかろうじてお目こぼしの人生を授かっていることにも気がつけない、最低の性病持ちの息子どもめが!」
 「(わけもわからず平服して)申し訳ありません、申し訳ありません」
 「やつらのやったことはぼくという破格のクリエイターに対するこれ以上は考えられない冒涜と言っていいだろう。”トラ喰え”は1,3,5の奇数シリーズにおいては男性器を、2,4,6の偶数シリーズにおいては女性器をテーマとした物語を展開してきた。今回の7では当然これまでのシリーズ構成を踏襲したもの、つまり男性器を物語の主体においたものとなるだろうと誰もが予想する。ぼくは受け手が当たり前のものとして訪れるだろう男性器をだらしなく口を開けて待ちかまえている弛緩しきったこの現状に一クリエイターとして我慢がならず、ある重大な決断に踏み切ったわけなんだが……(激しくテーブルをひっくり返す)旧弊社めが!」
 「(失禁して床を這いずりながら)ひいいッ! ごめんなさい、ごめんなさい」
 「ぼくはひとつの重大なポリシーとして、発売前のゲームのシナリオは例えそれが絶大な宣伝効果を持つとしても、極力内容を明らかにしないという態度をつらぬいてきた。旧弊社のやったことは、そのぼくの意志に対する裏切りであるし、何より人間の尊厳と信頼を手ひどく踏みにじる行為だと考えている。これはもうあの社会の最底辺のスノッブ共が明らかにしてしまったので仕方なく言うが、ぼくは”トラ喰え7”において周囲のしたり顔な期待を裏切って、男性器と女性器を同時に表現する矛盾を超克するやり方で臨もうとしていた。わかるかい、なんと両性具有をテーマに据えることにしていたんだよ! まさにこれは”トラ喰え”自身が作り上げてしまった一つのパラダイムの、抜本的な変革じゃないか。その、疲弊を見せ始めたゲーム業界全体にする至高の革命を、革命前夜のくだらぬ密告によって台無しにされてしまった気分だよ……(天を衝く怒髪がセットの天井を突き破る)旧弊社めが! (急に冷静に肩をすくめて)もっとも、旧弊社のやったことは”トラ喰え7”の与えるだろうほんの最初の衝撃を軽減するくらいの効果しか及ぼせていないのであって、”トラ喰え7”の持つ革命性そのものは少しも傷を与えられていないんだけれどね」
 「(腰を抜かしたまま両手の力だけで元の椅子の上へはい上がろうとしながら)そ、それは災難でした。災難。飼い犬に手をかまれたというわけなのですね」
 「まさにその通りだよ。人に危害を与える狂犬は、保健所で毒殺されるだろう? (危険なギラギラする目で)言っておくが、旧弊社もね、もう長くはないよ」
 「(スタッフに促されて)そろそろ時間も無くなって参りました。最後に一言、視聴者のみなさんにお願いできますでしょうか」
 「そうね。では、最新作”トラ喰え7”からの一節を引用することで一言に代えようか(立ち上がり、左手を胸に右手を中空へと差し伸べる)…『厳しく緊縛された亀頭はもはや男性器としての尊厳と能動性を喪失させられていた。尿道に爪楊枝を根本まで突き立てられ、それの引き起こす刺激に耐えかねて断続的にビクン、ビクンと痙攣する様はむしろ女性的であると表現しても過言ではなかったろう…』」
 「(あわててさえぎって)今日のお客様はゲーム作家のホーリー遊児さんでした。それでは来週のこの時間までご機嫌よう(びっくりするような大音量で番組のテーマ曲が流れ出す)」
 「(うっとりと陶酔した表情で)『わずかに顔をのぞかせた爪楊枝の握りの部分は、女性の乳首の如き受動的哀切を見る者に与えた。それは美と性のアンドロギュノスという形容さえ決して過分であるとは…』」

冬の別離

 「(冬の大気に渇いた唇の荒れとその下にある悪い歯並びを一本一本確認できるほどのリアルな描写で、演壇に木製の槌を気狂いの暴力性でガンガン打ちつけながら)カフェインを多量に含んだ琥珀色の液体を穀類から抽出する作業に”煎れる”と漢字を当てる自意識の持ち主は死刑!」
 「あっ。小鳥猊下が誰もいない傍聴席に向かって口角泡飛ばしているぞ」
 「なんて肥大した自我領域と自尊心の持ち主なのかしら。私の愛想もそろそろ尽き果てたわ」
 「(同心円状に渦を巻いた黒目で)女性器の内壁に男性器を密着させる作業に”挿入る”と漢字を当てる自意識の持ち主は死刑!」
 白い壁に四方を覆われた、光源の特定できない不安定な小部屋の隅に、あばらの浮くほど痩せた一人の男が膝を抱えて座りこんでいる。その顔に生気はなく、目はうつろで焦点を持たない。両手足の先は紫に変色しており、指先にいたっては茶色く腐りはじめている。
 男の上に人影が差す。
 「猊下…」
 「(わずかに眼球を動かす。ほとんど聞き取れないようなかすれた声で)……やぁ。真奈美、ちゃんじゃないか(頬の筋肉をわずかに痙攣させる)」
 「いったいどうしてしまったっていうの、猊下。(しゃがみこんで男の手を取る。蛆の浮いたそれに頬ずりしながら)ああ、なんてことでしょう! あの誰をもよせつけない、あなたの神々しいまでの邪悪な傲慢さはいったいどこへいってしまったの(むせび泣く)」
 「(唇を歪めて)そんなものは、最初からどこにもありはしなかったんだ」
 「(激しく首を左右に振って)嘘、嘘! じゃあ、わたしの見ていたものはなんだったっていうの。わたしの、何を捨ててもいいと思うまでに愛したあれはなんだっていうの」
 「(目だけで見上げて)幻想さ。君の中の、君にしか見えない、ね」
 「(悲鳴のように)言わないで! (弱く)…そんな残酷なこと、いまさら言わないで。わたしはもう引き返せないの。あなたがどう変わろうとわたしはあなたと心中するしか残されていないのよ」
 「(皮肉に笑って)そうやって君はいつもぼくを追いつめていくんだよな。もうそういうのはまっぴらなんだ。真奈美ちゃん、君がまだ少しでも、君自身の自己愛の裏返しのようではなく、本当にぼくのことを想い、愛してくれるところを持っているのなら、どうぞこのままぼくを放っておいてほしい。ぼくがいま一番求めているのは、誰からもかえりみられることのない解放される死のような放埒さだけなんだよ…(目を閉じる)」
 「(ぞっとする怨念とともに、強く)させないわ。そうやってわたしのすべてを奪っておきながら、わたしの世界を何の幻想も無い苦痛の場所へ無惨にも改変しておきながら、自分だけわたしをおいてまた一人の世界へ閉じていこうというの!(男の腕をつかむ)」
 「(わずらわしそうに振り払って)うるさいな」
 「お願い、もどってきて。(懇願するように両手をもみしぼり)ねえ、猊下、わたしはあなたじゃなくちゃダメなの」
 「(悲しそうに)それが嘘だっていうんだよ。もう遅い。どうやら追いつかれたみたいだ(周囲の大気がゆっくりと動き出す)」
 「きゃあッ! な、なに、これ…寒い。寒いよ、猊下。助けて、たすけ(両手で肩を抱いてガチガチと歯を鳴らしながら床へ倒れ込む)」
 「(憐れみをこめて)ここは現実と虚構の狭間の部屋なんだ。完全につくられた実存である君が長くいられる場所じゃないんだよ、真奈美ちゃん(様々の悪意に満ちた嘲りが自我を圧迫する奔流のように、無意識を陵辱する強姦魔のように、原色に渦巻きはじめる)」
 「(涙を浮かべ、震える唇から押し出すように)さむい、さむいよぅ……ねえ、わたし、死ぬの?」
 「(少女の頬に手を当てて)ごめんよ。でもこれは、――胸をつかれたように一瞬沈黙し――君の罪じゃない」
 「(首をわずかに持ち上げて)ねえ、猊下、わたし、生きたかったわ。春も、夏も、秋も、冬も、猊下といっしょにいようって。猊下がおじいさんになって、わたしがおばあさんになって、それまで猊下といっしょにいようって。猊下がわたしを見なくても、猊下がわたしを必要としなくても、それでも猊下といっしょにいようって……(力を無くして床に首を落とす)そう、決めてたのに」
 「(苦痛に眉を寄せて)ごめんよ」
 「猊下、死ぬまえにひとつだけわたしのお願いを聞いてほしいの。(涙にうるむ小動物の目でみつめて)わたしのこと、好きだと言って」
 男、少女の目を見返す。だが、口を引き結んだまま一言も発さない。間。
 「(理解を含んだ寂しそうな微笑みを浮かべ)さいごまで、まなみは、げいかを、こまらせてばかり…(少女の目に白く濁った膜がかかる。焼けた鉄板に水滴を落としたような音とともに少女の身体はかき消え、白い泡だけがその場に残される)」
 「(床に残された白い泡のかたまりを見つめたまま立ちつくす。そして振り返り)君たちが殺したんだ。これで満足だろう?」
 やがて男はすべてに興味を無くした瞳で再び元の位置へと座り込み、自分だけの王国にささやきかけるようにそっとつぶやく。
 「君が尻軽な売女なら、まだぼくは救われたのに。それって、愛じゃないか」

十万ヒット御礼小鳥猊下基調講演

 「……いつまでそんな片隅でやくたいもない繰り言を続けるつもりですか。誰も、誰ひとりあなたのことなんて見ちゃいないし、あなたのことを少しでも重要だと思う人間なんていないんですよ。もしいるとしたらそれはあなたと同じレベルのつまらぬボウフラのごとき生き物が、他人の位置を常に追い求めることでしか自己の立つべき場所を見いだせない生き物が、優越を満たすためだけに気のないふうに出歯亀の陋劣さでわずかにのぞき見ているにすぎないんですよ。天才を持たないあなたたちの語る世界への絶望は、完全に個人的な妄言の範疇に収まってしまっており、いかなる普遍性をも持ち得ず、ただただどこまでも不快なんですよ。あれえっ。どうなってんだい。静まり返っちゃったよ。おい、今日の演説の草稿書いたの誰よ。榎木谷くん。聞かない名前だなぁ。そんなのうちにいたっけか。え、何、ネットで拾ったの。ぼくが。はいはい。あのナントカいうサイトの運営者ね。思い出したよ。へえ、君がそうなんだ。もっとおたくっぽい外見かと思ってたよ。あのね、殺して。うん、そう、殺すの。何度も言わせないでよ。ショットガンで原形をとどめない肉片になるくらいずたずたに、文字通り完膚無きまでに殺してよ。まったく、おおよそ一万ヒット程度のサイト運営者の浅知恵が考え出しそうな内容だよね、これ。本当のことを何のひねりもなくそのまま言ってどうすんのよ。その程度までの視力ならね、誰でも持ってんの。自分だけがわかったツラでことさらに強調してみせて馬ッ鹿みたい。自分の矮小な能力と偏狭な世界観いっぱいいっぱいのシロウト人間分析で悦に入ってんじゃないよ。君らみたいのはぼくなんかと違って人としての根本の器がまず決定的に小さいから、自分の知ってること全部吐き出さなくちゃ相手の興味をひき続けることをやってけないから、見せちゃ自分が危ないとこまで自分を見せなきゃいけないはめになって、結果として身を守る裏返しですべてに対して攻撃的にならざるを得なくなるのよ。こんなのに一瞬でも期待をかけた自分が馬鹿だったね。ムカつくよ。いいよ、いいよ。おれ今からアドリブでやるから。あ、殺すまえにそいつにも聞かせてやってよ。ここから先は無いと諦めていた無明の闇の果てへ自分の進むべき未来への方向性を見いだした瞬間に死ななければならない絶望と無念は、それはもう格別だろうからね。けけけっ。
 「……この世は残酷な場所です。神の視点においては人間もアメーバも区別が無い。ぼくたちはただ増え、そして空手で死ぬ。人の心は移ろう。 あなたは裏切られ、明日にはかれの中でまったく意味を失ってしまうでしょう。確かに永続するものは何ひとつとしてない。天上の愛もいつかは赤銅色に錆びつき、路傍にうち捨てられ、風化して朽ちることもままならず、その残骸を屈辱のうちにさらし続けるだろう。永遠に続くものがあるとすれば、それは朽ちた愛情の惨めさだ。愛される救済の瞬間はまたたきのうちに消え去り、やがて自己投影の幻想に気づいた象徴の両親たちは鼻をつまんで自らの失敗作から身を遠ざける。誰もあなたを本当に求めはしない。真実のあなたが認められるはずはない。だからあなたは誰にとっても都合のよいあなたをいつまでも演じ続ける。そうしてついには真実の自分と偽りの自分の落差に倦み疲れ、ひとり勝手な憎悪に身を焼いて、絶望も意味をなくす空虚さの中で完全に心を硬直させてしまう。無数の他人からの投影に道化師のように応え続けるあなたは、ついにはどれがあなただったのかすらわからなくなって、呆然と立ちつくしてしまう。この世は残酷な場所だ、でも。ぼくは安易な希望を語ることをしない。ぼくは希望を信じていない。それは人間が抱く自分以外の対象への身勝手さに他ならないからだ。けれど、この世が残酷な場所だと認識し、絶望に満ちていると確信し、その最悪の悲嘆の中でなおあらわれるかすかな”でも”という声に含まれた希望のひびきをぼくは信じる。すべてが様変わりし、あなたを見返らないそのときでさえ、ぼくはあなたの側にいる。心変わりした恋人がかつての両親のようにあなたを見捨てるそのときでさえ、ぼくはあなたを見捨てない。ぼくは決して変わらない。あなたがおそれるような、あなたを必要としないぼくにはならない。ぼくはいつでもあなたの醜悪さのすべてを受け止め、丸がかえする。あなたがわずかの時間でも傷ついた羽根を休め、また再び残酷な世界へと舞い戻って行くことができるように。ぼくはあなたの持つ虚しい現実の情報の蓄積ではなく、あなたの魂を愛している。ぼくには誰でもない、真実のあなたが必要なんだ。ただ時間を埋めるためだけのすべての意味の無い言葉の群れのうちで、ぼくがあなたに告げるこの言葉だけは本当だと信じて欲しい。”I need you.”(しわぶき一つないしんとした静寂が会場を満たす。やがて聞こえるかすかな嗚咽)
 「ってな具合さ。人間は壊れやすいよ。だから心のいちばん敏感なひだに触れるように、そっとやさしくやるんだ。やつらが心底そのように理解されたがっているカタチに理解してやるんだ。人間は誰も飢えた野良犬と同じなんだよ。やさしくのどの裏を掻いてやりさえすれば、簡単にだらしなくよだれまみれの舌を突きだしながらひっくり返って腹を見せてくる、下品で簡単な赤犬なのさ。コートでかたく身をよろっているように見えても、ちょいとやさしく暖めてやればストリップよろしくたちまちコートも何も脱ぎ捨ててすべてを投げ出してくる。ごたいそうな心の傷へポルノビデオよろしく官能的に舌を這わせてもらいたがってるんだよ。その手管を知っている人間なら誰でもいいんだ。ぼくじゃなくてもいいんだ。金を持っていさえすれば誰にでも股を開く商売女と同じさ。なんて博愛的な平等精神にあふれた、この上なくつまらない連中なんだろうねえ! 死んじゃえ。みんな死んじゃえ。みんな残らず死んじゃえ。
 「……うう、寒い。え。あ、そう。死んだの。破片はちゃんと全部かきあつめて肉ダンゴにして別荘のニシキゴイにやってよね。あれやるとさ、鱗の色彩の照りがずいぶん違ってくるんだよね。自然から出てきたものはちゃんと自然へと還元してやらないとね。これこそ大往生ってもんですよ。かれもあの世で喜んでるだろうね。涙流して地団太踏みながらね。けけけっ。それにしても、ハイヤーまだ来ないの。え。他のサイトの講演に全部出払ってる。気にくわないなぁ。え、百万ヒットの。ふぅん。ぼくを殺して。うん、そう、ぼくを殺すの。おい、目をそらすなよ。待てよ、どこ行こうってんだよ。離せ、チクショウ、触んな。おれの命令が聞けねえのかよ。殺せよ、早くおれを殺せよ。誰でもいい、誰かおれを殺してくれェェェェェ!