猫を起こさないように
日: <span>1999年7月20日</span>
日: 1999年7月20日

となりの高畑くん

 「(こわばった表情で)おい、ちょっとこれ見てみろよ」
 「(鉛筆を走らせる手を休めずに)なんだよ。あとにしてくれないか。いまちょうどノッてきたとこなんだ」
 「(声を荒げて)いいから!」
 「(びくりと肩をふるわせて)ちぇっ! 主線が歪んじまった! …なんだよ、いったい。(無言で差し出された紙束を受け取って)なんだっていうのさ、これが…(目を通す)お、おい、こりゃ」
 「さっき高畠さんの作業机で摩耶子ちゃんが発見したんだ」
 「(両手で口を押さえて泣きながら)もう見れません。見たくありません」
 「(青ざめて)確かにこいつはひどいな…どういうつもりなんだろう、監督」
 「(摩耶子の背中をさすってなぐさめながら)いずれにせよ確かめる必要があるな」
 「(人差し指と小指をつきだした両手を身体の両脇にくねくねと動かしながら戸口より登場する)みなさぁん、おはようございまぁす。(やたらにフリルのついたその衣装をひらめかせつつ小指を軽く噛みながら)今日もはりきって絵、書きましょうねぇん(ウインクする)」
 「(勢いこんでつめよる)監督ッ!」
 「(大仰に肩をすくめて)どうしたの、そんな怖い顔しちゃって…そう、わかってるわ。アタシが遅刻したのを怒ってるのね。昨日はランボオの詩を翻訳していたらつい興がのっちゃって遅くまで…ごめんなさいね?(小首をかしげて斜め下から見上げる)」
 「そんなスタローンがどうなろうとおれたちの知ったことじゃないです! 高畠さん、これはいった…うわっ」
 「ビキッビキビキッ」
 「(地の底から響くような低い声で)…スタローン、だと?」
 「ザワッザワザワッ」
 「(内側から盛り上がる大胸筋の力で洋服をはじけさせて)ふざッけるなぁッ!(気迫が渦巻く波動となりスタッフ全員を吹きとばす)」
 「うわあああっ」「きゃあああっ」
 「スタローンだと、てめえ、怒りの脱出か、怒りのアフガンか、ああ!? (目から光線がほとばしり机の上のセルが熱に溶解する)この低能の、文学音痴の、ビチグソどもがぁ~~ッ! ハリウッド映画に興奮して思わず徹夜か、ビデオキャプションで楽しく英語のお勉強か、ああ!? (倒れている一人の襟首をつかんで高々と持ち上げて)どうなんだ、そのニラレバを喰う口で言ってみろ、言ってみろよ、斉藤ォォッ!」
 「か、監督、た、高畠さん、苦しい」
 「(高畠の足にすがりついて)やめて下さい、監督、死んでしまいます! 作画チーフが死んでしまったらこの作品を期日どおりに仕上げることはできません、監督、高畠さん!」
 「(持ち上げたスタッフが青い顔で白目を剥いて泡を吹いているのをみて手を離す)けっ。そもそもおまえらがつまんねえこと言うからだ。脳みその入ってないやつが書いた絵にどうやったら思想が込められるってんだよ(ソファに身を投げ出す)。おい、なんか上に着るもん持ってこい」
 「は、はい、ただいま!(部屋から飛び出していく)」
 「(自分で自分の肩を揉みながら)あ~あ、疲れた。今日はなんだかもう仕事する気分じゃねえな」
 「(おずおずと)高畠監督」
 「(不機嫌に)ンだよ。俺ァ今日はもう仕事しねえぞ」
 「(真剣な表情で)このことだけは今日聞いておきたいのです…(紙束を差し出して)これはいったいどういうことでしょう?」
 「なんだよ(紙束を手にとる)…ああ、これか。シーンの追加分だよ」
 「(全身をぶるぶるとふるわせて)こ、今回の作品は、”となりの山田くん”はホームコメディなんですよ! いったいどこをひっくりかえしたらこんな、こんな、(泣きそうな声で)こんな異常な場面が出てくるっていうんですか!(机の上に広げられた紙にはスキンヘッドの暴走族に鉄パイプで頭蓋が変形するほど激しくなぐられ眼窩からカニのように両目と様々の体液を噴出している山田家の父の姿やスキンヘッドの大男にのしかかられ首をしめられて苦しさに泣きながら舌を突き出す全裸の山田家の娘の姿が尋常でないリアルさをもって精神病患者の執拗さで細部まで克明に描かれている)」
 「(悠然と煙草を取り出して火をつけると深々と吸い込む)…わかってんだよ、もうな。見に来る連中の層が。この原作だって時点で。世界の変容を知らずに旧態依然とした家族という幻想に我利我利亡者、みっともなくすがり続けるようなやつらだよ。自分の息子が二階の部屋でヤクきめて幼児ポルノビデオ見てオナッてんのを知らず一階のリビングでPTAの奥様方と午後の紅茶を楽しみながらクソほどの役にも立たねえ自己満足の教育談義に花さかせてるようなやつらだよ。やつらが欲しがってんのは自分がいまいる位置への保証だ。自身の現実を揺るがすことなく楽しめる表層的なエンターテイメントだ。(両手を広げて)いいともさ、おれの技術でめいっぱい楽しませてやるぜ、快楽の声をあげさせてやるぜ! だがな、おまえたちが最後に手に入れるのはおまえたちがもっとも見たくないと、見まいとして目をそむけ続けている現実だ! そうさご名答、だらしなく与えられる愛撫を受け入れて精神を完全に弛緩させきったところにいきなりこいつをブチこんでやるのさ(紙束を取り上げて手の甲で叩く)! ひひひ、恐慌に陥る観客どもの姿が目に浮かぶぜ! 小市民どもめ、誰がおまえらに迎合する作品なんかつくるかよ! やつらの近視的な小市民性からくる根拠のない安定と対象のない優越を縮み上がらせてやるぜ! ちょうど交尾の真っ最中の犬ッころに水をぶっかけるようにな!(ソファごとうしろにひっくりかえってげらげら大笑いする)」
 「(握りしめた拳をわななかせながら)ぼくは、そうは思いません」
 「あ?」
 「みんな、みんなそんなことはわかってるんだ。みんなわかっていながら、自分の無力を感じて、それでもなんとか自分の力で対処しようと毎日必死に生きてるんだ! へとへとに疲れてそれでも明日はなんとかなるだろうと必死に生きてるんですよ! なんでこんな最悪の戯画をわざわざかれらに見せつけなくちゃならないんですか! みんなの心を休らわせるのが、一瞬でもいい、過酷な現実を忘れさせてやるのが、ぼくたちの仕事なんじゃないですか! こんなのは違う! 違います!」
 「(目を細めて)若けぇ…若けぇな。(肩越しに後ろに)おまえたちも同じ意見かい?(後ろには幾人ものスタッフが取り囲んでいる。みな、無言でうなずく)やれやれ、万国の労働者よ立て、だ。(机の上の紙束を手にして)わかった、こいつは引き上げるとしよう(スタッフの間をすりぬけ部屋を出ようとする)。おっと、最後に……おれは、まだおまえたちにとって監督、だな?」
 「そんな…当たり前じゃないですか!」
 「(微笑んで)そうか。ならいい…ちょっとちらかっちまったが、かたづけといてくれ。(引き締まった顔で)明日から本格的に作業に入るから、そのつもりでな」
 「(全員顔を見合わせて涙ぐんで)はいッ、監督ッ!(高畠、その声を背に部屋から出ていく)」
 『(略)…とたんに細密になる背景。ぐっとあがる頭身。不安定なカメラアングル。そこはこれまでの”山田くん”の世界ではない。そこは我々の世界だ。誰も特別でない、人間が不条理に死ぬ世界だ。人の死が意味性を持たない世界だ。誰もが不条理に殺される、我々のよく知っている空間だ。家庭というファンタジーの中でさえ精一杯の虚勢でかろうじて成立していた父の権威は、その残酷な現実においてもはやまったく力を持たず無力を露わにしてしまっている。家庭を守る存在として家庭から送り出されたかれは、自分の力が現実世界においてまったく役立たずなことを知りながら、なおすべてを放逐して戻ることを自らの矜持によって許されず、蟷螂の鎌、よろよろ立ち向かわねばならないのだ。すでに腐りかけている自分が権威であるという家族からの認識を少しでも長持ちさせるために。我々と同じ頭身の人物が工事用のヘルメットをもうしわけにかぶり、少しでも現実との対決を先延ばしにしようと立ち止まったり後ろ手に両手を組んでみせたりし、その心の動きのあまりに惨めな矮小さが、何よりそれを我々があまりによく理解できてしまうことが、我々の上に目を覆いたくなるような、耳をふさぎたくなるような、現実以上に生々しいリアリティをつきつける。暴走族のヘッドライトが山田家の父という失墜した権威の真実を無惨にも照らし出したとき、確かに目に見えてある残酷に対してまったく無防備な山田家の母と祖母が無知極まる様子でフライパンと鍋をおたまで打ちならしながら街路の向こうから登場したとき、私はかれらが確実に惨殺されるのだと覚悟した。”山田くん”の中にあるそら恐ろしいまでの脳天気さ、現実対処への眉をしかめるような甘えは、つくられた虚構の空間であるからこそ通用し、我々にも安堵と優越の笑いを起こさせたのであるが、結局のところそれは現代の現実とあまりにも――山田家の母と祖母が緊迫した人が死ぬ状況の中におたま片手に現れたときの悲しいまでの滑稽さ、自分たちを世界の中心にすえ自分たちがそういう状況において殺されることはないと思い上がった、あるいは想像力を欠如させた様子にはやりきれない気分にさせられる――あまりにもかけはなれてしまったものである。もはや主役という位置から引きずり下ろされたかれらが平凡な一家庭の構成員という立場で現実の危険と直面しその緊迫感が絶頂にまで高まったとき、暴走族の握りしめる鉄パイプが父の権威を喪失したただのくたびれた中年男の頭蓋を砕くその直前、かれらの頭身は2頭身へと変化し、カメラアングルはこれまで通りの安定したものに戻される。かれらは再び誰も死なない安全な虚構の中へと戻ったのだ。観客は緊張を解き安堵のため息をつく。高畠勲は”山田くん”の家族を現実に放り込み、さんざんっぱらその認識の甘さと現代の世相とかけ離れてしまった滑稽さをからかったあとに、ひょいとかれらにかれらの虚構の中での特権性を返却することであり得べき破局を回避させる。これはなんという皮肉だろう! この挿話が”となりの山田くん”全体に及ぼしている効果は激甚であり、物語すべての解釈を反転させるものですらある。この挿話の機能により山田家の脳天気さで切り抜けたそれまでのすべての状況の語り直しが行われるのである。つまり、”山田くん”の世界に、我々の現実という選択肢が新たに発生するのだ――たとえばデパートではぐれたのの子が最悪の変質者につかまり惨殺死体として山奥で発見される、といったような。この挿話の存在により”となりの山田くん”はまったく別の物語になってしまっていると言っていいだろう。(略)…高畠勲は人々の凡庸な小市民性を満足させるために”となりの山田くん”を作ったのではないということだ。変わってしまった世界を見ようともしないまま、もはや現代において無意味どころか有害ですらある旧態依然とした皆の安住するところの現実認識に冷水をあびせかけるためにこそ”山田くん”を作ったのだ。しかも、その批判気がつかない人間は自分が見たもののこの上ない皮肉さに気がつかないまま劇場を出て、かれらの行動によりさらに現実そのものが批判されるといった複雑きわまる構造で。ある意味では悪人・高畠勲の面目躍如と言えるのかもしれない。(略)…最後のシーンで今晩の夕食について好き勝手に言い合いをする家族にむかって山田家の父が言う『うるさい! おれが決める』という台詞、これは前時代の不器用な父権の生き残りを意味するのではない。現代において喪失された父権の回復を意味するのではさらにない。家族を社会という現実から物理的にも精神的にも庇護するという役割をもはや果たせなくなった――それは現実が苛烈になりすぎ、もはや個人の手にあまるということでもある――ひとりの疲れた男が、もはや何の特権も持つことのできない集団へ対して発したまったくニュートラルな一個人の苛立ちの言葉である過ぎないのだ。(略)…夜の公園でブランコに腰掛け、自分が月光仮面であったらと夢想する…そこにはたどりついてしまった大人の切なさがある。かつてそうありたいと願っていた物語のヒーローのようではなく、家族を守ることすらかなわない、現実に倦み疲れた自分。その心の空漠さはいかほどのものだろう。でも、私は家族を持つひとりの父親として山田家の父親に言ってやりたいのだ。確かに私たちは無力で、家族を守ってやることもできないつまらぬ存在かもしれない。しかし、それでも私たちは生きているんだ。生きているんだよ、と』

(アニメムンディ誌八月号 『チンポ大帝のアニメ丸かじり!』より抜粋)