猫を起こさないように
日: <span>1999年7月7日</span>
日: 1999年7月7日

廣井王子(3)

 「近年青少年の間に広がる異性への無関心。小子化の一因であるとも取り沙汰されるこの現象、その裏に潜む現実とはいったい何なのでしょうか。我々nWoのスタッフはその真相に迫りました」
 nWoのロゴが回転する。サブタイトルに”青少年の現在”とある。暗い部屋。様々のグッズが積み上げられ、生活空間と呼べる場所はほとんど残されていない。ちょうどその谷間になる中央のモニターの前に座ってマウスをしきりとクリックしている小太りの青年。ただ座っているだけだというのにその息は荒い。画面には西洋人の成人女性の身体を持ち、東洋人の幼女の顔面を有した、この地球上のどの人種にもない髪の色の、女性存在の戯画とも言うべきキャラクターが、バスケットボール大の目玉にその容姿との異常なアンバランスさで男を誘う腐りおちる寸前の爛熟した果実を思わせる媚びを浮かべている。
 「(顔にモザイクがかかり甲高い変換された声で)ねえ、これ瑠璃子ちゃん。可愛いでしょ。え。ああ。うん。どうなんだろう。なんでかな。いいじゃないの、そんなこと。ほら、瑠璃子ちゃん。可愛いでしょ。(カチカチというクリックの音が室内に響きわたる)え。違うって。ムカつくなぁ。そんなのね、いくらでもできるのよ。みんな低脳だし。だいいちブスばっかじゃん。そうよ、いくらでも。めんどくさいだけだって。おれ自身を分け与えてやる気にもならないって感じだね。みんな低脳だし。何より鈍感だよ。(カチカチというクリックの音が室内に響きわたる。青年、しばらくモニターを凝視していたかと思うと目を潤ませ鼻をすすりあげる。感きわまったという吐息をつき)ああ! けなげだなぁ! 純愛だなぁ! 大丈夫、どんなつらい現実からもぼくが守ってあげるからね。だから君は泣かなくていいんだよ。瑠璃子ちゃぁん瑠璃子ちゃぁん瑠璃子ちゃぁん(画面の明滅にひきつけをおこし唇の端から泡をふいて後ろ向きに倒れる)」
 モニターにカメラが寄り、ゲーム画面を詳細に映し出す。nWoのロゴが回転する。
 「さて、ご覧いただきましたただいまの映像ですが、社会評論家の物議醸造さんにコメントを頂きましょう」
 「(黒縁眼鏡に出っ歯の中年男性がしきりと手を揉みながら)うぅん、なんと言いますやろか、ひっじょぉに言いにくいんやけれど、誤解を恐れずあえて言うなら、低脳なのはおまえたちのほうじゃボケェ、死にさらせって感じやね。あいつらは女のやらかいパイオツをもみしだいてそれが手のひらの中でもうたまらんようにひしゃげるのを感じたことがあらへんのや。それに、まぁこれが一番の理由なんやろうけど、わしみたいに東大出てへんやろうしね。(やくざな姿勢で煙草に火をつけて吐き出す)わしくらいやからできるんやけど、あんたたちにもわかるように簡単に言うとやね、人間ちうもんは何かの価値を社会に認めてもらわな生きていけへんわけよ。人間ちうのは社会生物やからね。そやから認めてもらうための何の才能も持ってへん、おまけにそれをカバーする蟻のようなしみったれた勤勉さをさえ持ち合わせてへんいうことになるとこれはもう社会構造そのものを否定しはじめるしかなくなってしまうわけやね。まぁ、否定という具合にあからさまな反抗になるとまだええんやけど、もっと消極的な無関心という形をとる場合もあんのや。その、社会を無視した引きこもりが今の連中やろうね。田舎で百姓やって土くさい地味な娘を見合い結婚で嫁にもろてさかりのついた犬コロみたくヤりまくって十何人も子どもつくってある日腎虚で死ぬような人生を送るていどの質の低い脳味噌しか持ってへんヤツがわしみたいのと同じ価値観の土俵でやりあわなアカン今の社会は確かにきついわな。知性に不相応な感受性、この言葉が彼らのすべてをあらわしとる思います。こいつらよりアタマ悪いかもしれへん金髪のにいちゃんねえちゃんかて街頭で人目はばからずずこばこ気持ちよぉやっとるっちゅうのにホンマ心の底からかわいそうや思いますわ。憐れみを感じますわ。かれらに幸あれかし、嗚呼、幸あれかし(大仰に天をあおぎ悲劇的な表情で両手を顔の前にあわせる)」
 「ありがとうございました。それでは次に認知心理学の権威でありまた同時に一流のマンドリン奏者でもある虎威三朗氏、の妻である虎威狩子さんにご意見をいただきます」
 「(目の前に置かれたジュースを完全に飲み干してなおストローでずるずると音を立てているところをカメラが写す)がふっ。ごほっ。げほん。え、何。何なのよ、いきなり」
 「申し訳ありません。先ほどの映像についてご意見をうかがいたいのですが」
 「(服装を正して)ああ~、ええっとねえ。まぁクズです。そう、クズよ、クズ。うちの主人みたく教授でもないし、だいいち女性を見ても勃起しないんでしょう。勃起しないのよね。あまつさえ射精しないんでしょう。射精しないのよね。そんな脳に欠陥のある変態はいつどんな陰湿な犯罪を引き起こすかもしれないからどこか一カ所に閉じこめて厳重に監視しておくべきだと思うわ。と、大学教授であるうちの主人なら言ったでしょうね……ってそこのあなた、聞いてるの!? 認知心理学の世界的な権威でありまた同時に一流のマンドリン奏者でもある主人を持つところのこの私に対してなんて無礼な!」
 「(顔に帽子をのせテーブルに両足を投げだした姿勢でいびきをかいている。目を覚ましサングラスをはめ)ん。ああ、ちょっとねむっちまってたみたいだ。すまねえな、オバハン。あんまりチンポな話なんでよォ」
 「(顔をどす黒く染めて立ち上がり)ちちちちちちチンポとは何事か! 認知心理学の世界的な権威でありまた同時に一流のマンドリン奏者でもある主人を持つ私に、チンポな、チンポが」
 「そんなに怒んなよ。俺ァ”陳腐”って言ったんだぜ。溜まってんじゃねえのか、オバハン。(隣に座っている人物に)陳腐って言ったよなぁ、おれ?」
 「(車椅子に乗り苦しげにあえぎつつ何事か言う)……(取り出したボンベを吸引する)」
 「そうだっけか? 悪ィ悪ィ、昨日の酒がまだ残ってるみてえだな(馬鹿笑いする)」
 「あ。が。ぐ。つ。つまみだしなさい! こ、この無礼な男をつまみだしなさい! 認知心理学の世界的な権威でありまた同時に一流のマンドリン奏者でもある主人を持つこの」
 「(さえぎって)まぁまぁそうむきにならんと。で、このお二方はどなたです?」
 「株式会社赤い王国のゲームプロデューサー・廣井王子氏です。お隣の方は廣井氏の同行者です」
 「(からかい口調で)赤い王国総帥の廣井王子でぇす。んで、こいつはうちのシナリオライターの疋田くん。よろしくね」
 「(あえぎながら何事か言う)……」
 「先ほどのVTRに写されていたゲームをお作りになったのはこのお二方です。議論に公平を期すためにゲーム制作者側代表としてお呼びしました」
 「(大げさにうなずいて)なるほどなるほど。現場の意見を聞こうちうわけやね」
 「(乱れた息を整えながら吐き捨てるように)あんた低劣なものを文化と称して垂れ流すような連中に弁解を許すことはないわ」
 「(わずかに身を乗り出して穏やかに)いま低劣とおっしゃったが、あのような物語でも必要としている人間が多くいることは確かなんですよ。ここにいる我々ふたりを含めてね」
 「はん! 気が知れないわね。こんな出てきた女がすべて股を開くようなおまんこゲームに物語も糞もあるもんですか。若者たちはうちの旦那みたいにもっと高尚な文学を読むべきよ、(皮肉っぽく口まねで)あなたたちを含めてね」
 「(スタジオの空気を切り裂く大音声で)だまらっしゃい! (皆が気圧された中、静かに)物語はそれの持つ寓話性自体が世界への批判なのだ。その批判を批判するというあなたの行為はナンセンス極まりない。我々は物語が必要であると言った。より正確には物語を物語ることが、だ。(疋田を指さし)この男は心臓に先天的疾患を持っている。医者は両親に三歳までは生きないだろうと言ったんだそうだ。幸いにしてその予言は外れたんだが、子供時代のほとんどを病室で寝たままに過ごしたためにこいつの手足は充分に育たず虚弱で自身の重さを支えることもままならない。度重なる高熱のために睾丸は機能しなくなった。この男は生物学的に見れば完全に劣等だ。種を残すことが生あるものの使命だとするならばかれの存在は無意味ですらあるだろう。だがそれでもなお、こいつは生きていたいと望んだ。物語ることを望んだ。自分をこのようにした世界という不条理に批判を与えるために。自分をこのようにしなければならなかった世界という不条理を理解するために。自己の再生産のかなわない存在として自分が確かにあったことの痕跡を世界に残すために。そして何より、自分の意にそわず断絶してしまった世界とのつながりを取り戻すために。知恵とは壊れた本能の代替物であると言った人間がいた。本能とは個が世界という全体へつながるため、神が与えた装置だ。本能の明らかな下位装置である知性は、しかし世界につながりたいという意志において、つまり物語ることによって本能がした本来の機能を回復し得る。物語ることで人間は神の正道へと立ち返ることができるとさえ言えるかもしれない。その意味においてかれの物語はどんな文学にも負けず純粋だ。そこには語りたいという意志以外何も存在しない。ただ世界へとつながりたいという強烈な願望だけがかれを唯一物語らせる。(虎威狩子を指さし)あんたはただの一時的な感情からくる押しつけで一人の人間から世界を取り上げる残酷をすることができるのか? (静まり返るスタジオ)…おっと、悪ィ悪ィ。こんな完全に反論を封じてしまうようなやり方をとるつもりじゃなかったんだ。しかしあなたがた古い世代の人間たちが全く認識しようとしない、それこそワイドショー的な興味でしか目を向けない、それがあることさえときには忘れてしまっている現代の問題についての血肉をそなえたあまりにも具体的な象徴としてかれから話をはじめることは重要だった。唐突に響くことを恐れずに結論から言おう、我々はすでに滅びてしまっている。これは電波を通してセンセーショナルに響くことや、弁論術として最初に聞き手の興味をひくための手管ではない。おれが言うのはまったく、完全に文字通りの意味だ。我々はすでに滅びてしまっている。滅びとは世間に噂されるような恐怖の大王による大騒ぎの結果ではなく、我々の内側から忍びよって気がついたときには手遅れになっている、そんな性質のものなのだ。滅びとは最終的な結果のみをあらわすものではなく、すべての死滅に至るその道程をあますことなくしめす言葉なのだ。我々の歩いているこの道の先には確実な無がある。我々はもう致命的な――文字通り致命的な――引き返せないところに来てしまっている。あなたたち古い世代の人間たちが取るに足らないものと楽観視している間に、あなたたちの子どもたちは引き返せないはるかな場所にまで人類を連れて来てしまっている。これを滅びと言わずして何と言おうか。そして我々の滅びは決して威厳に満ちたキリスト教的殉教者のそれではない。惨めで、崇高さをかけらも持たず、良心を持つものならば誰もが目を覆うような、少しの潔さも感じられない、醜悪極まるものなのだということをあなたたちに断っておきたい。(独白めいたささやき)おれたちの運命は決まっていた。ただセルの上に盛られた絵の具にすぎないはずの無垢な少女が魂をとろかすような微笑みで微笑むのを見たその日から、四角いドットの集積に過ぎないキャラクターが神性を勝ち得て信仰となったその日から、モニターに踊るテキストの構築する脆弱な虚構を現実がわずかも凌駕できなくなったその日から、おれたちの運命は滅んでいくと決まってしまっていたんだ。おれたちはもう一秒たりともそれなしではやっていけない。投影された自己愛の鏡の迷宮に迷い込み、おれたちはもう一瞬たりともそれなしではやっていけないのだ。天才の自我の中、白痴の盲目さでアニメの少女に心の底からの恋をして、モニターに映し出された妖艶な美女にこの上なく興奮してオナニーする。誰も他人を愛さない、憎むべき自分を再生産することはさらに望まない。それらが真に意味するところもわからないままにかれらは歩み続ける。ただ確実なのは、みなさん、これは、我々の世代がいま作りだしているものどもはすべて人類という種の終焉を暗示しているということなのです。地球上に残された最後の人々は、そのときにもっともかれらの魂を捕らえているアニメやゲームの登場人物の名前を連呼しながらビデオの前を離れようとせず、そのキャラクターをかたどった等身大の人形とともにベッドに横たわるでしょう。そこにはどんな威厳もありません。ただ人類の積み重ねてきたこれまでの歴史を、尊厳を、粉々に破砕せしめる低劣さがあるだけなのです。(両手で胸元を激しくかきむしる。破れた皮膚の下から吹き出す血)おれはなんという未来を予見しなければならないのか! おれにどんな罪があったというのだ! おれが荷担したからか! おれはただ…おれが救われたかっただけなのに! この滅びは、おれたちの迎えるこの運命はなんと醜怪であることか!(テーブルの上に立ち上がる)」
 「(滂沱と涙を流しながら何事か言う)……」
 「おお! 不快なり!」
 廣井王子、テーブルの上に仁王立ちの姿勢で絶命する。