猫を起こさないように
月: <span>1999年3月</span>
月: 1999年3月

もう頬づえはつかない

 「れ。ちょっと狭くてカメラ入らないッスからベランダに。あ。もう流れてるんスか。(裏返った声で)にょ、にょにょにょ~んス。これ流行らせようと思ってるんスよ。かなりユニークじゃないスか。うん。あ、名前は勘弁して欲しいッス。ハンドル名ってことでいいスか。ケチ野ケチ兵衛。うん。…え、由来ッスか。よく言われるんスよ、おまえはケチだなぁって。だから。節約家だっていつも言い返すんスけど。うん。例えばッスか。出かけるときとか電気器具類のコンセント抜いて行くッス。あんま出かけないッスけど。いや、変わるッスよ。ほら、これ明細。一ヶ月で120円ほども違うッス。一年で、ええと、千円くらいッスか。千円くらい得するんス。大きいッスよ。うん。大きいッス。あ、それとぼく劇団やってるんスよ。うん。と言っても二人だけなんスけど。座長のぼくと、高校のときの同級生の西野くん。うん。代表作ッスか。まだ一度も公演したこと無いんスよ。ネタはあるんスけど。うん。見てくれますか。この男性器を模した巨大なハリカタ。魚河岸から拾ってきた発砲スチロールを削りだして作ったんスよ。ちょっと生臭いッスけど。ちょっと臭うほうがリアリティがあるッスよね。あ。臭覚にまでうったえる演劇って今まで無かったんじゃないッスか。無いッスよね。うん。そしてこれをね、劇の主役の亀清水くんが、こう、股間に装着するんス。あ、この名前はぼくの好きな漫画へのおおおまおまおまん。オマージュ。オマージュなんスよ。うん。見て下さいよ。真ん中にプラスチックの管が通してあるんス。劇のクライマックスでここから小麦粉をゆるく溶いた白い液体をまき散らしながら客席に飛び込んで劇場から逃走するんス。これはまさにああおまおまおまん。アンチ・テアトル。アンチ・テアトルでしょう。うん。あ、ここでしゃべっちゃマズいッスね。パクられちゃうから。今の部分放送のときカットしてもらえますか。あ、生放送。今このまま流れてるんスか。あ、でもこの放送がそのままぼくのオリジナルの証明になるッスよね。うん。お金さえあればすぐにもやりたいんスけど。西野くん、最近仕事が忙しいみたいで連絡つかないんスよ。二年くらい。うん。あ、これ見てたら連絡下さい。古い電話番号しか知らないんス。うん。…え、パソコン。拾ったんスよ。粗大ゴミで。動くッスよ。ぼくホームページ持ってるんス。うん。言い忘れるとこッス。すごいッスよ。一年で50人も来てくれたんス。50人っていったら高校のときのクラスの人数より多いじゃないスか。うん。ぼくの言葉をこんな大勢の人間が聞いてくれるなんて、緊張するッスよ。…え、コンテンツ。コンテンツ。あ、内容スか。メインは時事問題をからめた日記ッス。オナニーじゃ意味無いッスから。社会性が重要ッスから。…え、最近ではッスか。あ。え。ふ。フランスの核実験とか。うん。あと小説なんかも。近未来を舞台にした。豆清水くんっていう主人公が大活躍するんス。あ、この名前はぼくの好きな漫画へのおおおまおまおまん。オマージュ。オマージュなんスよ。うん。あと絵とか。目次のこの絵、ぼくが描いたんス。可愛いって女の子に評判なんスよ。鮫清水くんっていう。あ、この名前はぼくの好きな漫画へのおおおまおまおまん。オマージュ。オマージュなんスよ。…え、仕事ッスか。今はアルバイトしてるッスよ。ボールペン組み立てたりとか。うん。繊細ぶるつもりは無いんスけど、人と話したりするの苦手なんス。生々しくて。うん。…え、大学ッスか。大学。大学。(宙を目で追いながら何かを思い出すように棒読みで)あんな閉鎖された場所で現実と関わりのない学問をいくら勉強したところで夢には近づけないと思うんですよ。行こうと思えば行けたんスけど。やっぱ夢だし。うん。…え、ぼくの夢ッスか。あ。ふ。え。演劇。ああ、そう演劇ッス。さっき話したッスよね。ああいう創造的な。うん。創造的なことならなんでもいいんスけど。小説とか。絵とか。音楽とか。うん。お金あれば一番いいんスけど。お金」
 「(テレビの前でぼんやりと頬づえをついて)戦前に存在したような、それに従わないことが即座に社会的な死を意味するシステムは、戦後日本において自由や権利の名の下に消滅してしまったと誰もが教えられ、そう思ってきているけれど、本当は違うの。それまでに在ったシステムの上に行われたのは、それ自体の解体ではなく、不可視化と曖昧化であったと言えるわ。現在我々は我々を拘束するシステムの存在を意識することは非常にまれだけれど、それは目に見えなくなり、それに逆らうことがかつてのように直截に実際的な生き死にに直結しないから気がつかないだけで、システムは厳然として存在するの。ケチ兵衛、貴方はこのシステムが貴方を常に取り巻いていることに気がつかないほど何も見えていなかったというその事実だけで、致命的な反逆者としてすでに殺されてしまっているのよ。資本主義社会というシステムの与えてくれる恩恵に授かれないまま、夢だなんていまどきの小学生の作文にも出てこないような繰り言にすがって、貴方は自分がすでにこの世とは何のつながりも無くなってしまった亡霊だということに気づいていないのかしら。そう、そうよね、社会的敗北者、社会的弱者の発言の場であるところの――実際自分の声が何か現実を動かし得るという実感を持つ人間はこんなところで自分と同じ亡霊に向かって何かをしゃべったりはしないわ――ネットワークが、あなたの何の役にも立たないむしろ悪徳とも言うべき繊細さを脅かす苛烈さを持たないこの現実の脆弱な写しが、貴方はまだ社会的に殺されていないと、貴方はまだ生きているのだと錯覚させてしまっているのね――まるで急な交通事故で死んだ者の霊が、自分が死んだという事実に気がつけないまま永遠にその場に地縛してしまうように。貴方はもうこの資本主義社会において完全に抹殺されてしまっているのよ、ケチ兵衛。偏差値60前後の私大に入学するといったような、自身の性格の根幹を揺るがさずにすむ程度の努力を怠ったという怠惰の罪に、現代社会という目に見えないシステムは聞こえない裁きの槌を鳴らしたのよ――汝、ケチ兵衛よ、お前の無知と背きの罪は重い、よって死刑である。だが簡単には殺さぬ。我々は馬鹿者にする慈悲を持ち合わせてはいない。我々は豊かだが、お前には少しの分け前もやらぬ。砂漠で乾いた者が見るオアシスの幻影のように、お前を取り巻く実際に触れることのできぬ富に永遠と囲まれながら、生物学的な死がお前の上に落ちるその瞬間まで、後悔と絶望と悲嘆のうちに悶え、発狂し、ゆっくりと衰弱していくがいい――。脇の下が黒く変色したTシャツ、何ヶ月も切っていないぼさぼさの髪、こけた頬、栄養不足に浮かぶ黄疸、泣き出す寸前の子供のように大きく見開かれた濡れた瞳。…自分の言葉すべてに自分で”うん”と肯定的にうなずきかけてやらねばならないほど貴方の無意識はすりへり、自信を喪失し、疲れ果ててしまっているわ。なのに貴方の意識はそれに気がつかないふりで――気がつくことは自分の死と敗北を認めることと同義ですものね――今日もホームページを更新するのね。西日の射す四畳一間のアパートで、システムに迎合したものたちが気にもとめないような千円というはしたの富を息を切らせて追いかけながら、才能という宝くじほどにも当てにならない幸運を口を開けてただぼんやりと待ちながら、誰も見ないホームページを。
 (瑠璃色の涙を左目から一滴こぼして)愚かなケチ兵衛。かわいそうな、ケチ兵衛……」

テレコンワールド

 「ぴゅぴゅぴゅ~ん」
 「どうだい、ゼル! ドローシステムの威力は? 本を読んでいて両手がふさがっているようなときにも、すぐさまチャックを開かずにチンポをひっぱりだせるんだぜ!」
 「ああ、すげえや! 俺はもう無防備に男の劣情を計算に入れないやり方で窓辺に陳列されている婦女子のメンスの汚れが付着した下着を100枚もドローしちまったよ! これはもうまさに…」
 「ドローしたモン勝ちだね!」「ドローしたモン勝ちだな!」
 「(互いに顔を見合わせて爆笑しながら)だがな、ゼル、ドローシステムを応用すればもっとデカいことができるんだぜ…ちょうどおあつらえむきの婦女子が通りかかったな。見てろよ…」
 「ぴゅぴゅぴゅ~ん」
 「ああっ。日々の肉体労働で得た血の出るようなゼニを貢いだりカラスの愛好する類のぴかぴかする金属を与えたりプライドを捨てて土下座したり布の表面積に反比例して高価な衣類をひっちゃぶかずに脱がせることに腐心したりする非文化的・非生産的な形骸化した男女間の儀式を一気にはぶいて、婦女子のボインちゃんをいきなりダイレクトにドローしたぞ! すげえ、すげえよ猊下!」
 「いつでも、どこでも! これが創設以来変わらぬドローシステムのモットーなのさ!」
 「しかし、おふ。たくさんドローできるのは嬉しいんだけど、俺ァもうこれ以上ストックできないよ」
 「安心しな、ゼル。そういうときは慌てず騒がず、”はなつ”してやればいいのさ!」
 「(後ろめたそうな表情で)でもいいのかい、公衆の面前でそんなことして」
 「当たり前じゃないか! やつら婦女子がいま男の劣情を考慮に入れない薄布一枚でお天道さまの下に平気で闊歩できるのも、俺たち男が表面上壮麗とすましてとりおこなわれる歴史の舞台裏で夜な夜なこっそり惨めに”はなつ”してきたおかげだろ、ゼル? 今こそドローシステムがその恐ろしい数千年の欺瞞を白日の下に暴いてくれるのさ! さぁ、おあつらえむきの婦女子が歩いて来たぞ。ほら、勇気を出すんだ」
 「う、うん」
 「まずしっかりと狙いを定めるんだ…よし、いいぞ。そしてターゲットを指定してやり……今だ、”はなつ”だ!」
 「ぴゅぴゅぴゅ~ん」
 「ビンゴォ! やればできるじゃないか、ゼル!」
 「(指さしてゲラゲラ笑いながら)見てくれ、見てくれよ、猊下! 突然飛来した粘着質の毒液に目潰しを喰わされた暴行罪に情状酌量を与えるような布ッきれ一枚をわずかに装着した偏差値の低そうなツラの婦女子が状況を把握できず、折れたハイヒールで何度もスッ転びながら1メートル毎に電柱に顔面から激突しながらその精神性の低さに真にふさわしい獣のような悲鳴をあげて逃げていくよ! なんで俺はこれまでこんな痛快さを知らずに人生を楽しい場所だなんて言ってこれたんだろう! これはもうまさに…」
 「ドローシステム万歳だね!」「ドローシステム万歳だな!」
 「(互いに顔を見合わせて爆笑しながら)どうだい、ゼル、”はなつ”とすっきりするだろう?」
 「ああ! もし、たったいま婦女の百個連隊が津波のように光にむらがる蛾のように俺のチンポに押し寄せてきたとしても、彼女らすべてのボインちゃんを残らずドローしてやれるくらいさ! すげえ、すげえよ猊下!」
 「そうともさ、ゼル! 婦女子の上半身だけをとってもこの威力なんだ、いわんや下半身をやだ! ドローシステムさえあれば俺たちは無敵なんだ! はは、はは、ははははは」
 「ぴゅぴゅぴゅ~ん」