猫を起こさないように
日: <span>1999年3月29日</span>
日: 1999年3月29日

コナン・ザ・ファイナル

 無人のビルの谷間を蝶ネクタイ型のマイクでしゃべりながら遠くから一人の少年が歩いてくる。
 「げに恐ろしきは殺人天国日本。一万人殺せば英雄で、一人殺せば商売になる。鉄道会社も喜びいさんで殺人商売にタイアップ。日本縦断殺人旅行。殺せ殺せ、みんな残らず殺してしまえ!」
 バス停脇のベンチに座っていた男が横倒しに倒れる。その後頭部に深々と細長い針が突き刺さっている。
 「役に立ったよ隠れ蓑。だって子供にゃ権利がない。経済大国日本じゃ、金の量が権利の量。金を持たない子供には、何の意見も認めません。さぁ、思う存分殴れ殴れ。おまえが子供だったときにやられたように、蹴って殴って脅迫しろ、『今夜のご飯はぬきです!』。なァに、心配はいらない。世間様には教育だと言っておけ!」
 街灯から茶色のコート、帽子を身につけた小太りの男がロープで吊り下げられている。周囲にただよう異様な臭気。
 「無能を養う余裕なんて、今の日本にゃありません。死ねば権威は糞まみれ。どんな権威も糞まみれ。民間人にだしぬかれ、次から次へとだしぬかれ。あるのは逮捕の権利だけ。そのくせ俺のような最悪の、殺人者をのうのうと泳がせて。おかしいねえ!」
 禿頭のビール腹が白衣を血に染めて道端に転がっている。
 「どんどん発明殺人マシーン。在野の科学者、本当かい? 人を見る目がなかったのが、致命的な失敗よ。あなたにもらったスニーカー、増強されたキック力。なんどもなんども蹴り上げられて、大人の威厳もどこへやら。中年は、血にまみれても中年です。やだねえ、しまらないねえ!」
 少年、スクランブル交差点の中央で立ち止まる。昼間だというのに人ひとりいない。
 「さて…」
 少年の足下に一人の女性がうつぶせに倒れている。
 「ここに一つ死体があります。彼女の背中からは包丁の柄が見えており、その刃は心臓にまで達していると思われます。まず彼女が自分で背中に手をまわして突き刺したとは考えにくい。女の力、物理的にもそれは不可能でしょう。これは明らかに他殺です。犯人はいまだ見つかっていません。いや、それ以前に警察が動いていない。これほど明確に人が死んでいるというのにです。警察が動かない以上、犯罪ではない。あなたたちの大好きな完全犯罪の成立です! しかしどうして? 平日の昼間、いちばん人目につくだろうこんな大都会のど真ん中という最も密室とはかけ離れた場所で、最も密室であるような状況が発生している。ふふ、悩んでいますね。私にはこの謎がすでに解けています。さァ、僕からの視聴者のみなさんへの挑戦です。犯人はいったい誰なのか。また、犯人はいかにしてこの完全犯罪を成し遂げたのか。答えはCMのあとです。(カメラ目線で指さしながら)君にこの謎が解けるか」
 画面が砂嵐になり何分か続く。
 「犯人は……私です。これは簡単ですね。なぜってこの物語のヒロインたる彼女の実存を抹消してしまうことのできるのは、作者をのぞけば、彼女よりも虚構内での位相が上位の私をおいて他ありえませんから。昨晩私は彼女の恋人をかたり、彼女をここへ呼びだした。彼女はまったく疑う様子もなくやってきた、その恋人にぞっこんまいってしまっていましたからね。そして交差点にひとり来るはずのない恋人を待つ彼女を、背後からあらかじめ用意しておいた出刃包丁でぶすり、とこういうわけです。ひどく苦しむものだからこいつの(蝶ネクタイを見せる)麻酔で眠らせてやりました。二度と醒めることのない眠りを眠らせてやったんです。ハハハハ。ああ、おかしい(目尻の涙をぬぐう)。しかしここまで聞いてみなさんは不思議に思うかもしれない。なぜそこまであからさまな殺人でありながら誰にも気づかれていないのか。じつは非常に簡単なのです。奇想天外なトリックを予想されていた方、申し訳ない。我々はこれまでの十億回になんなんとする連載の果てに、日本人口一億二千万人すべてを、あらゆるトリックでもって殺人しつくしてしまったのです!  これが目撃者ゼロの真相です。警察も動きようがない。なぜってその構成員すべてが何らかの殺人事件の被害者になって、死んでしまっているんですからね。最後まで残った毎回物語に絡んでくるメインキャラクターたちは私が殺しました(カメラが引いて、交差点の信号の上に小学生三人の死体が乗っているのが画面に写る)。彼女と同じ理由から私が殺さねば死ななかったからです。なるほど、ここまではよくわかった、だが動機は何なのか。ええ、ええ、それを疑問に思うのはもっともです。動機は…あなたたちが一番よくおわかりのはずでしょうに。この日本においていったん語られはじめた虚構は、それが金を生む限りは語られ続けなければならないからです。あなたたちは一億二千万人殺しても飽き足りない。あなたたちは人死にが見たくて見たくてしようがない。(大声で)バカヤロウ! おまえたちのお望みどおりに死んでやろうじゃねえか! (ふところから拳銃を取り出しこめかみにあてる)見てろ、見てろよ…(少年の膝頭が次第にふるえだし、ついには失禁する)ヒヒィ、ヒヒヒヒィ、ヒィ…いやだ、いやだぁっ!」
 少年、拳銃を捨てて駆け出す。
 「(鼻水と涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら)やだ、やだよぅ、死にたくないよぅ…(後ろを振り返り目を見開く)ぎゃあっ、ぎゃああああっ」
 少年の胴が突然まっぷたつになる。吹き出す大量の血。やがて完全に静かになる世界。
 以上の内容の原稿が乗った作者の机が実写で大写しになる。