「見るな! 路地裏でポリバケツの残飯に鼻をつっこむ、腐汁にまみれたみじめなワシを見るな!」
「探したよ、本当に…ドラ江さん。もういいんだ。帰ろう」
「のび太、ワシはクズや。お前にいろいろなことを無責任に決めうっておきながら、その実自分の話している言葉に対する実感は何も無かったんや。もしあの頃のワシがお前の目に超然とした存在として映っていたとするなら、それは単にワシがいかなる種類の現実とも連絡を持っていなかった、ただそれだけのことなんや」
「全部わかってるよ。なぜか今のぼくにはすべてわかるんだ。もうぼくにはそんなふうにおびえて話す必要は無いんだよ。だからね、帰ろう。ぼくたちの家に」
「…誰かが言うていた。『誰とも触れず、いかなる現実をも知らず、ひとり清く孤高であることは簡単です』。ワシは実際のところ何も知っていなかった。こんなみじめさも、生きるということのみっともなさも。他の誰でもないように思考できる自分を誇らしいとさえ思っていた。おまえたちの生活にハエのようにたかっていたくせに、その実ワシはお前たちを見下していたんや」
「…ドラ江さん」
「ああ、そうや、しづかは、しづかはどないしとる? ワシはあの娘にも謝らんといかん。会うことがあったら伝えて欲しい。ワシの今の言葉を伝えて欲しい」
「彼女は、死んだよ」
「死んだ…?」
「君がいなくなってすぐのことさ。買い物の出先でダンプにはねられたんだ」
「死んだ…」
「霊安室にひっそりと横たわる彼女のなきがらは、彼女らしいつましさで、まるでただ眠っているかのように安らかだったよ」
「それは、ワシの、せいや」
「君は悪くないよ、ドラ江さん。ぼくは彼女が君を失って苦しんでいるのを見ずに、ただ自分の殻にひきこもっていたんだ。彼女のことをねたましいとさえ思っていた。ぼくにはすぐそばにいた彼女に手をさしのべることもできたのに。これはぼくの孤立と、つまらないプライドに与えられた相応の罰なんだよ」
「のび太、笑ってくれ。人を傷つけ、人を死なせまでするみじめな存在やけど、こんな人生の底の底を這っている存在やけど、それでもやっぱりワシは生きたいんや」
「誰も君を笑わない。誰も君を責めないよ、ドラ江さん。君はただ君の生に忠実だっただけなんだ。ぼくはいま君を助ける力を持っていることを誇りに思う。つまらない自己擁護のそれではなく、他人へと広がっていく豊かな愛を高く持てることを嬉しく思う。そのためにぼくの十年があったんだ。君を迎える強さを得るために。行こう、ドラ江さん。誰も君を拒絶したりしないよ。ぼくはやっとあのとき、僕のもとから離れていくとき君が言ったことがわかる。たとえ君が何も決めうってくれなくても、たとえ君が何もぼくを笑わせるようなことを言ってくれなくても、ぼくは君のことを愛している。君がどんな最悪の、無意味な音を発するだけの肉の塊に過ぎないとしても、ぼくは君のことを愛するだろう」
「のび太…」
「依存でも庇護でもなく、ぼくは君と同じように歩きたい。ぼくには君が必要なんだ、ドラ江さん」
「さぁ、見えたよ」
「のび太」
「なんだい、ドラ江さん」
「家の灯りというのは、こんなにまぶしいものやったろうか」
「ああ、ドラ江さんは」
「(眠るような安らかな表情で)暖かいなぁ、ここは」
「ほんとうに何も知らなかったんだね…」
ドラ江さん
最終話 『家 族』
~ Sleep in heavenly peace ~