猫を起こさないように
<span class="vcard">小鳥猊下</span>
小鳥猊下

メランコリア


メランコリア


やったよ、ぼくらのヒロイン、キルスティン・ダンストに最高の当たり役が来たよ! 君は顔面アファーマティブ・アクションで出演させてもらっている女優じゃなかったんだね! 言わば食べられる方のブタ、演技ができる方のブサイクだったんだ! それもこれもサム・ライミの野郎の、ラース・フォン・トリアーとは別の意味で気の狂った配役のせいで、ついうっかり世界的に有名なブサイク(見た瞬間に処女ではないとわかる圧倒的なツラがまえ!)になってしまったのが悪かったんだ! キルスティン、極東より心からのおめでとうを言わせてもらうよ! 第一部は盛大な手ぶれカメラからの徹底した欝展開で、本邦随一のファンを自認する小生を陶然とさせる完璧な上がりでした。しかしながら、監督が「日常では屑そのものだが、終末ならば泰然と迎えられる自分」を称揚するために作った第二部は完全な蛇足です。アンチ・クライストのときも少し思ったけど、ラース・フォン・トリアーにカネを与えてはいけません。このオッサン、余計なとこに使うから。極東のファンはあなたの無一文からのワシントンが見たいと願っています。あと、モノホンのキチガイがモノホンのビョーキから作り出した冒頭の十分間を見て、テレンス・マリック某は深く深く恥じ入るべきだと思った。

ドライヴ


ドライヴ


ネットでの高評価だけを鵜呑みにして、何の予備知識もなく視聴したら前半と後半の落差にのけぞった。北野武の初期作品とか、長渕剛の昔のドラマとか、レザボアドッグスとか、そういうのと同じ匂いがする。つまり、強烈な怒りによって世に出た者に共通した、突発的かつ執拗なまでに残忍な暴力描写だ。メカに強くて運転がうまくて、普段は穏やかで欲がないが、他人のために怒ると滅法強い。この主人公像は、ある種の人々とってものすごく願望充足的に機能するんだろう。エンディングに流れる主題歌(?)の曲調と歌詞がストーリーの内容と異様にミスマッチだと感じた私は、監督の想定するヒーロー像に感情移入できておらず、おそらく理想的な視聴者ではない。中二病のアッパーバージョンみたいなこの内容を激賞する方々とは、ちょっと友だちにはなりにくいなー、と思った。あと、ドライ“ヴ”という邦題の付け方がこの映画の本質をよく表しているなー、と思った。

ストリングス


ストリングス


インセプションの作劇をチームアメリカの文法で撮影するとこの映画になります。監督の意識はおそらくノーラン側ですが、観客たる私の意識は常にトレイ&マット側でした。ラストシーンで爆笑するか号泣するかで、その人の資質をはかることができます。婚約前の恋人と見ましょう。え、私ですか? んもおおおお! 「横断歩道の白いとこ踏み外したら死亡」みたいな設定で感動させられると思うなよおおおお! 小学生かよおおおお! んもおおおお!

誰も知らない


誰も知らない


サクマドロップ、アポロチョコ。世界の残酷さを描くのに、プライベート・ライアンのような戦場ドキュメンタリー的映像を撮るか、原爆が投下される一日前に過ごされただろうありふれた日常を丁寧に追うかは美学の差である、みたいなことをどこかで監督が語るのを読んだことがある。話は突然変わるが、この夏をかけて諸君がスメリー・マウスで萌え萌え言っていたところの「けいおん」を全話視聴した。重篤な高二病の罹患者である私は、ブームが去ってからも一定の期間を置かないと人気作に触れられない気質なのだ。視聴後の気分をひらたく表現すると、とても感動した。あらかじめ失われることの決まっている日常が、丹念に描かれていたからだ。もちろん、現実にまま生じる負の要素が一切とりのぞかれていることをリアリティの欠如として指摘する向きもあるだろう。しかしながらこの物語の本質は、失われるものへの哀悼なのだ。喪失がより残酷さを増すためには、幸福は楽園の夢のように描かれなくてはならない。いつ桜高は桜女子高になったのか、みたいなツイートを以前したような気がするが、全話を通して見た現在、むしろその転換は必然だったと感じる。なぜなら、女は男より多くを喪失するからだ。男は五十の声を聞いても、少年ジャンプを読んでオナニーしてればいい。だが女は、若さも、美しさも、朗らかさも、すべての持ち物をただ時間に奪われていく。諸君は美魔女などという単語を聞くとき、眉をひそめてはならない。なぜならそれは、己が死への追悼を読みかえているのであり、弔辞を聞くときの厳粛さで受け止めるべきである。閑話休題。この映画を見て、例えば初めてのセックスのときに有線で流れていた曲のように、特別な記憶を呼び起こさないままにアポロチョコを食べることは、私にとって永遠に不可能となった。

範馬刃牙


範馬刃牙


父性の本質は暴力だとどこかで書いたが、父親から行使される暴力の本質とは、無謬性ではないか。つまり、問答無用でぶん殴り、その正しさの証明が必要ないことだ。一方で、母親との関係はどこまでつきつめても、感情に落とし込まれる。父親がその父性を完遂するには、より強い暴力に負けないことが必要だ。多くの誤解を恐れずあえて言うと、昨今は父親が息子を問答無用にボコれば、即座に児童保護施設や警察がとんできかねない。家庭外の権力に屈した瞬間、あるいは長じた息子に殴り返された瞬間、父性は終わりを迎える。もしかすると人類史上、例えば狩猟を中心とした社会などでは、敗北しない父性が存在した可能性はあるだろう。しかしながら現代において父親とは、あらかじめその過ちを誰かに証明されるために存在する何かなのだ。ざっと最終回の感想を確認したところ、否定的なものがほとんどだった。わたしはこの結末を肯定する。あえて敗北を描かないことで、父性を描ききったからだ。

新少林寺


新少林寺


すごく久しぶりに中国映画を見たのだが、自分の中にアジアの物語文法が強く残っていることがわかって驚いた。考えてみれば、年代的にはちょうどキョンシーやらジャッキー・チェンやらが大流行した頃に少年時代を過ごし、その亜流を含めて山ほどアジア映画を見てきたのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。ひらたく言えば、感動した。ダークナイト・ライジングよりも、はるかにグッときた。いまから言うことは私を含め、ヒエラルキーの大部分を構成する人々を慰撫するためのステレオタイプだとわかっている。そして、あらかじめ設定した期待値を超えるかどうかが映画の評価につながる自分の傾向を自覚してもいる。新少林寺を見たときの気持ちは「雨に濡れながら捨て猫にミルクをやる不良少年」を見たときのそれと同等であり、ダークナイト・ライジングを見たときの気持ちは「夜中に裏山で捨て犬にエアガンの試し撃ちをする優等生」を見たときのそれと同等である。ヒエラルキーの頂点を形成する優等生諸君には申し訳ない例えだった。しかしながら、「数百年を経た寺社仏閣に躊躇なく大砲を打ち込む紅毛人をゲリラ作戦で奇襲して惨殺するアジア人」を見たときの気持ちは、不良少年も優等生も私に同様であろうと思う。ローマにとってのシルクロードの例えを持ち出すまでもなく、西洋には人類史の黎明期に刷り込まれた東洋への劣等感が内在している。差別意識とは、すべからく恐怖心に由来するのだから。

BIUTIFUL


BIUTIFUL


『幸せにしてやりたいと思っている。でも、その方法がわからないんだ』。太陽と、鏡と、霊媒と。死者の声は聞こえても、生者とどう向きあえばいいのか、わからない。一個の死に向けて、収束しようとしない世界。それは逆説的に、あらゆる生命が平等であることを証明している。ようやく、イニャリトゥが日常の舞台に戻ってきました。基本的にいつも結末を投げっぱなしの監督ですが、その個性が今回は物語のテーマと絡みあって素晴らしい効果をあげています。私は本作こそが、氏の最高傑作であることを疑いません。けれど残念なことに、本邦ではバベルほどに視聴されないのは必定です。なぜなら前作をみなさんがご覧になったのは、ケン・ワタナベが中核的な役割を演じたノーラン監督のインセプションと同じく、菊地うん子? まん子、でしたっけ? 名前はよく覚えていませんが、自国の俳優が出演しているという事実が主たる理由だったでしょう。あらゆるマーケティングや作品の出来そのものさえも押しのけて、自国の俳優が出演しているかどうかが、外国映画の最大の広報になるお国柄です。これじゃ、近隣諸国の愛国的な所作を笑えません。BIUTIFUL、みんな見てね、アジアからは中国人しか出てないけどね、ホモのね。

ドラゴンクエスト10


ドラゴンクエスト10


正直、全然期待してなかった。発売の時期的にディアブロ3をヘビー(社畜なりの)にプレイしていると思っていたので、アマゾンで予約注文こそしたものの、届くまでその存在をすっかり忘れていた。ちょうどディアブロ3に行き詰まりを感じていたこともあり、ほとんど気の迷いみたいにWiiの埃をはらってインストールしてみたところ、気がつけば週末通して30時間くらいプレイしていた。自分でもびっくりした。MMOなのにオフゲーっぽい雰囲気で、シナリオを追うだけならソロでも大丈夫なバランス。底意地の悪い楽しみ方だが、ビッグタイトルが閾値を下げたゆえに流入した、従来のネットゲーにいなかった層のふるまいを見ているだけでも相当に面白い。無料期間が終わればこういう奇矯な人々はガクッと減るだろうので、立ち上げ時期限定の状況だとは思う。そしてやはりと言うべきか、全体的に同社のFF11を徹底的に研究している感じがあって、そのコアな部分への意識した逆張りで、カジュアルなオンラインゲームを作ろうとする姿勢が見えて好ましい。公式サイトの冒険者の広場や3DSでのすれちがい通信プログラムの配信など、MMOなのにプレイヤーを外へ外へと誘導していく感じも新しい。FF11なんてもう怖くて触れない(時間的に)といった社畜の諸君にも、接続への脅迫なしに楽しめる仕上がりである。グラフィックは確かにアレだが、じっさい触ってみれば、ゲームにとってそれは三の次くらいだと納得できるだろう。本邦の企業体はとかく改革を叫びがちだが、その実質はほとんど革命に近い。過去をすべて棄却して、ゼロからの土台に何かを築こうとする姿勢だ。伝統や踏襲が検証なしに悪とみなされ、新しいアイデアは新規に議論されたという事実のみが重視され、その自己陶酔感の中でこれまた検証の薄いままに実施されていく。かくして、名と外殻のみを同じうする異形が世に顕現するのである。例えば、現在のファイナルファンタジーはもはや異形と化している。ディアブロ3も、たぶんそうなんだろう。必要なのは不易の部分を見極めることであり、今作ではオンライン化という最大の流行を前にして、その他すべてを変えないという決断が成されている点がすばらしいのだ。え、国民的ビッグタイトルだから、だれも進言できないだけじゃないかって? なるほど、確かにそうかもしれない。しかし、得られた結果がプラスならば、何の問題も無いではないか。とかく自信の無いヤツほど、転職やら何やら、ウロウロと意味もなく現状を変えたがるものだ。我らがホーリー遊児の、確たる才能に裏付けられた安定感を見よ。明確な意志ではなく、喪失した自信が薄っぺらな変化を加速させている本邦で、その変わらなさは力強い輝きを放っている。もちろん、薄毛的な意味ではないよ。

カンフーハッスル


カンフーハッスル


いつ見ても、日本のサブカルの精髄が、他国民によって深く尊重され、みごとに換骨奪胎される様に、歯噛みをする思いになる。本邦の自称・映像作家たちになぜこれができないかと言えば、スクールカーストにおける位置づけが実社会でも保持されるからに違いない。おたくどもの手なぐさみを、リア充の俺がカッコよく昇華してやろうという勘違いが修正されず、名作の普遍性が個人の自己実現に卑小化される。閑話休題。この作品が真にすばらしいのは、アジア人の貧相なオッサンを底の知れない、不気味な達人として描いている点だ。西欧からの根深い人種的蔑視を取り除くには、この手法しかない。今こそ我々には、第二のショー・コスギが必要である。すなわち、「日本人はみな、ニンジャかサムライ」というステレオタイプを虚構の側から補強する映像作品だ。西欧の街並みを行けば、十戒の如く日本人の前に道ができる。それくらい徹底的にやって欲しい。「中間管理職の悲哀」がテーマみたいな、リアル貧相オッサンがターゲットの時代物はもうおなかいっぱいです。

痴人への愛(3)

 痛んだ傘を折りたたむのにてまどって、ちょっとぬれてしまう。舗装の悪い道路には、雨が何か所も水たまりを作っていて、いくども足をとられかけた。
 その店は、目ぬき通りからすこし路地裏へ入ったところにあった。どぎつく明滅するネオンサインを水たまりが照りかえし、コーデリアはなんだか異国の地に迷いこんでしまったような気がして、かるいめまいをおぼえた。
 やせぎすのからだをあずけるようにして重いスチールの扉を開けると、手すりのないひどく急な階段が地下へとつづいている。
 せまいおどり場にあるさびた傘たてには、すでに傘が何本か入れられている。そのうちのひとつに、見おぼえがあった。「背の高い人用」と書かれた購入時のラベルがそのまま柄に貼られている。
 コーデリアが、小鳥尻の誕生日に贈ったものだった。
 小鳥尻は傘を持つことをきらっていた。どんな大ぶりでも、コートひとつで出かけていき、海の底を散歩してきたみたいになって帰ってくる。
「なんか雨にうたれてると、すこしだけ気もちが楽になるの」
 なぜ傘を持たないのか、いちどたずねたことがある。さいしょ、小鳥尻はじっと黙ったままだった。その反応はとくだん珍しいことではなかったので、コーデリアもそれきり黙ったまま、つくろいものをはじめた。
 ゆうに五分は経ったろうか、そう小鳥尻が答えたのである。
「どうして楽になるの?」
 小鳥尻の両目が一瞬、遠くを見るようにさまよって、やさしくゆるんだ。
「私ね、子どものころ、悪いことをするとよくお母さんに家の外へ追いだされてね。そんなときはなぜか決まって雨が降ってたわ」
 コーデリアはいちど、小鳥尻の母親に会ったことがある。
 このたびは、うちの娘がたいへんなご迷惑をおかけしまして――
 病室の敷居にきっちりとつま先をそろえ、定規をあてたような深いお辞儀をする姿をおぼえている。示談の話しあいにきたのらしかった。ぜんぶ両親が対応したので、コーデリアは二言三言を交わすきりだった。
 印象は悪くなかった。すこしやせすぎのきらいはあったけれど、品のいい、知的な女性だったと思う。
 いっしょに暮らすようになったさいしょのころ、小鳥尻が母親のことを悪しざまに言うのを何度か聞いたことがある。それはあまりに病室での印象とちがっていて、コーデリアが「冗談でしょう」とか「思いちがいじゃないの」とか相づちをうつうちに、いつしか小鳥尻は母親の話をもちださなくなった。
「雨の音ってやさしいでしょ。知ってる? 雨ってね、あったかいのよ。家のなかはうるさくて冷たくて、雨にうたれてるほうが、ずっとよかったわ」
 コーデリアには、小鳥尻がなにを言っているのかわからなかった。それどころか、すこし意地わるく、「ちょっと悲劇ぶってるわ」と考えたりもした。
「でも、雨にぬれると風邪をひくでしょ。もう子どもじゃないんだから、雨の日は傘をさしてね。こんど、プレゼントしてあげるから」
 コーデリアの言葉に、小鳥尻は悲しそうにほほえむきりだった。
 玄関の傘が二本になり、この話題はそれきりとなった。
 壁に手をつきながら、すべらないように一段一段をふみしめる。階段のつきたすぐ右手が、喫茶店のようになっていた。できるだけめだたないよう、すみのテーブルに腰をおろす。
 すわったことにホッとすると、人心地がもどってくる。
 コーデリアは、前かけにサンダルをつっかけているじぶんに気づいた。大またに前を行く背なかを見うしなわないようにするあまり、気がまわらなかった。はずかしさに顔があつくなる。
 いすの背もたれは毛羽がたっていて、なにかの液体がかわいたようにゴワゴワしていた。手をふれたテーブルの表面はわずかにねばっている。いまさらながら、ひどく場ちがいなところにいる気がした。
 口ひげをはやした小太りの店員が、水をもって近づいてくる。コーデリアは手ぐしに髪をなでつけた。
「ご注文は?」
 あわてて前かけのかくしをさぐると、がまぐちに指がふれる。すっかり紙のくたびれたメニューをひらくと、よくわからないカタカナがならんでいた。アルコールのたぐいらしい。
「あの、ウーロン茶をください」
 一週間分の食費と同じ値段だった。店員が失笑めいた鼻息をもらしたような気がして、コーデリアは思わずうつむいた。
 それでも注文をすませてしまうと、居場所をえたような気もちになった。
 まわりには、すでに何人かの客がすわっている。奥にひとつ高くなったところがあり、左右にカーテンのようなものが下げてあって、どうやらかんたんな舞台になっているらしい。
 ウーロン茶がはこばれてくると照明がさらにしぼられ、カーテンのそでからだれかがあらわれた。かん高い声の、ふたり組の女性だった。
 すぐにかけあいがはじまる。漫才のようだ。言葉が多すぎて、どんな内容なのかコーデリアの頭にはまったくはいってこなかった。あたりを見まわしても、客たちはだれも舞台を見ていない。どういうお店なのだろう。
 すぐ目の前のテーブルに、若い男がひとりですわっている。ゲーム機なのか携帯電話なのかよくわからないもので、アニメを見ていた。画面の中では、馬に乗った制服姿の少女が刀をふりまわしている。場面が変わるたび、ちがった色の光が横がおにうつりこむ。
 なんだかコーデリアは、ひどく正しくない、ふつうではないことが行われているような気がした。
 まばらな拍手に、はっと我へかえる。ふたり組の女性は大きく一礼して、舞台のそでへとひっこんでいった。
 入れかわりに、セーターに巻きスカートの女性が、グラスとビンを片手でひっつかみ、小さなテーブルをひきひきあらわれる。
 とたん、コーデリアの心臓ははねあがり、あたまの芯にはしゃきっとしたものがもどってきた。小鳥尻だ。
 すでにひどく酔っているようで、足もとはふらつき、目は赤く充血している。
「飲めば飲むほどおもしろく、ってわけにはいかないけど、しらふでできる芸でもないのよね」
 卓上にグラスを置き、こはく色の液体をそそぐ。
「とりあえず、きょうの出会いに乾杯」
 客たちへむけてグラスをかかげると、いっきにあおった。とたんせきこんで、ほとんどを床にこぼしてしまう。長身をおりまげてせきこみ続けるようすに、コーデリアはそばへかけよりたい衝動にかられる。
 やがて口もとをぬぐいながら、
「それじゃあ、はじめましょうか」
 小鳥尻が巻きスカートをはぎとり、客席へと投げる。それはだれにも触れられることなく床に落ちた。肌色のタイツには、股間のところに亀の子タワシがはりつけられていた。
 「わたしのタワシ、気持ちいーでー、わたしのタワシ、気持ちいーでー」
 芸をはじめたとたん、酔いに正体をうしなっていた小鳥尻の声がぴんと張った。家でのぼそぼそと聞きとりにくい話し方とはまったく違っていて、コーデリアはファンとして観客席にいた昔を思い出して、胸がつまるような気もちになった。
 「なーなー、わたしのタワシ、気持ちいーでー、わたしのタワシ、気持ちいーでー」
 がにまたで上半身をそらせ、いくどもタワシをこすりあげる。やはりだれも舞台を見ようとはしない。ただひとり、目の前のテーブルの若い男だけが、アニメから目を離し、食い入るように小鳥尻を見つめていた。
「うるせえぞ!」
 さけび声とともに、客席から舞台へグラスがとぶ。酔っぱらい相手の舞台には、よくあることなのだろう。
 けれどこのとき、運の悪いことにそのグラスは小鳥尻のこめかみを直撃した。たまらず長身を折りまげ、卓に手をつく。こめかみを押さえた手のすきまから赤いものがしたたり、小鳥尻の両目はむきだしの、凄惨なものをたたえていた。
 思わず、コーデリアは席を蹴って立ちあがった。椅子の背もたれが床にたたきつけられて、大きな音をたてる。まわりの客から、いぶかしげな視線が向けられた。
「いってーなー、おい! いってーなー、おい!」
 ことさらな大声が、みなの視線を舞台へともどす。小鳥尻は背中で床をそうじするみたいなオーバーアクションでおどけて、のたうちまわっていた。その表情は、すでに芸人のそれにもどっている。
 観客から笑い声があがる。たちの悪い笑い声だった。
 コーデリアはもう見ていられなくなって、狭い階段をかけあがるようにして店を出た。
「傘、忘れてるわよ」
 看板のネオンが消えると、背の高い人かげが細い路地から出てくる。傘をさしだすコーデリアを肩ごしにちらりと見ると、そのまま何も言わず歩きだす。
「ねえ、傷はだいじょうぶなの」
 うしろをついていきながら、声をかける。小鳥尻は、猫背に首をうめるように両肩をもちあげて、話しかけられるのをこばんでいる。コーデリアは一瞬、ひどく悲しくなった。しかしすぐにそれは、むかむかとした怒りにとってかわられた。
「こんなに心配してるのに、その態度はなによ!」
 じぶんでもびっくりするほど大きな声だった。
 その剣幕におどろいたのか、小鳥尻は足をとめてふりかえる。こめかみにはガーゼが雑にはりつけてあった。
「仕事のときはくるなって言ったじゃない。それに、あんなのいつものことだから、心配なんていらないわ」
 先ほどの舞台とは別人のように、ぼそぼそとした言いわけだった。それがますます、コーデリアをいらだたせる。
「わたしをなんだと思ってるのよ! 猫のせわ係じゃないんだから! わたしにだって、心配する権利くらいあるんだから! こわいんだからね! わたし、怒ったらこわいんだから!」
 むちゃくちゃを言っているなと思ったが、もうとまらなかった。
 体はおおきいくせに、小鳥尻にはひどく気のよわいところがある。このときもうろたえたふうにコーデリアから目をそらして、「これはわたしのことだから」とつぶやいた。「ぜんぶ、わたしひとりで証明しなくちゃいけないのよ」
「だれに証明するのよ! なにを証明したいのよ! だれも見てない舞台で、みんなわすれた芸をして、どうやって証明できるのよ!」
 小鳥尻が大またに近よってきて、手をふりあげた。これだけ言われれば、そうするしかないのはわかっていた。山のように大きくてまっ黒なものがおおいかぶさってくる。
 わたしは逃げない。逃げてたまるもんか。
 コーデリアは小鳥尻を受けとめるように、両手をいっぱいに広げた。いつかまえにもこんなことがあった、と考えながら。
 のけぞるあまり、ふんばった足がぬれた地面にすべった。
 ネオンにふちどられた空が見えたかと思うと、すぐにあたりはまっくらになった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 目をあけるとコーデリアのかたわらに、ぬれるのもかまわずすわりこんで、小鳥尻がすすり泣いていた。
「私、きょうね、本当はね、すごくうれしかったの。はじめて、家族が舞台を見にきてくれたから」
 体には力がはいらず、頭のうしろは割れるように痛んだ。小鳥尻を心配させまいと、コーデリアはなんとかあいづちをうつ。
「昔、なんども行ったじゃないの」
「あれはファンとしてでしょ!」
 口をとがらせるようすがひどく幼く見え、コーデリアの胸はしめつけられるように苦しくなった。視界がじわりとにじむ。
「どっか痛むの?」
 具合のわるい親を心配するときの子どものような、あどけない表情。コーデリアはなぜか、カッコウの托卵のはなしを思いだした。
「ううん、だいじょうぶよ。ねえ、さっきの話、くわしく聞かせてくれる? だれに証明したかったの?」
 恋人どうしのはずなのに、対等ではない気がしていた。ずっと一方通行なかんじがしていた。それはきっと、小鳥尻の想いが、親を求める子の想いと同じものだったからだ。
 のどの奥にうまれた氷のような嗚咽のかたまりを飲みくだすと、コーデリアはやさしくたずねた。
 小鳥尻は視線をさまよわせて、しばらく考えるそぶりをみせた。
「やっぱり、パパ、かな」
「お父さん?」
 意外な答えだった。父親のことを聞くのは、これがはじめてかもしれない。
「うん。わたしのパパ、すごいのよ。……の社長でね」
 だれでも聞いたことのある、少し大きな会社の名前だった。
 小鳥尻はどこか浮世ばなれしていて、芸人なのに、生活によごれた感じがなかった。良くも悪くも、お金に頓着がない。それは裕福な家庭に育ったことが理由なのかもしれないと、コーデリアは思った。
「小さいころからずっと、パパのこと、自慢だったなあ。でもね、わたし、勘当されちゃったの」
 小鳥尻の口もとが、泣くのをがまんする子どもみたいに、への字にまがった。
「お母さんが、わたしがこうなのは、こころの病気のせいだって。育て方とかじゃなくて、病気なのが悪いんだって。プロだから、わかるんだって。わたしのことでパパとケンカするとき、いつもそう言ってた。病気なんかじゃないのに」
 頭は熱いのに、手足が冷えてきて、みぞおちのあたりには吐き気があった。小鳥尻は気づいたふうもない。
「プロって、なんのプロ?」
 かろうじて、そううながす。わたしはいつでも聞き役だわ、とコーデリアは思った。
「私のお母さん、こころのお医者さんだったの。パパと結婚してから、働くのはやめたみたいだけど。じぶんの生まれた家はケッソンカテイだったって、いつも言ってた。ねえ、知ってる? そういう壊れた家庭にそだつと、子どものころの失敗をとりかえそうとして、大きくなってからも同じ環境を作ろうとするんだって。絶対にうまくいかない人間関係を、のぞんで作ろうとするんだって」
 ああ――
 小鳥尻は、いまじぶんが話していることがどういう意味なのか、わかっているのだろうか。
「わたしずっとヘンだなって。子どもだったから、言葉にできなかったけど、病気の人が病気の人の病気をみるってすごいヘンだなあ、って思ってた。お医者さんになるために病気になるみたいで、すごいヘン」
 小鳥尻の母親はきっと、成功しないことに成功したのだ。呪いを、次へと手わたして。
「わかったわ。お母さんの言ってたことがまちがいだったって、お父さんに証明したいのね」
「そうそう!」
 うまく伝えられない話を大人が先回りしてくれたときの子どものような、とびきりの笑顔だった。
「ねえ」
「なあに?」
 コーデリアはあらためて、この一方通行な関係を悲しく思いながら、言った。
「これだけは信じてほしいの。わたしはあなたを本当に助けたいと思っている。しあわせになってほしいと思っている」
 小鳥尻をまっすぐに見つめる。
「わたしは、あなたのことが好き。でもね、すこしだけ、つかれちゃった」
 まぶたを閉じると、とたんに全身が重くなって、背中から地面にすいこまれるような感じがした。小鳥尻の泣き声が遠のいていくのを心地よく思うじぶんにぞっとしながら、コーデリアは意識を手ばなした。