猫を起こさないように
<span class="vcard">小鳥猊下</span>
小鳥猊下

忘備録「ベネディクト16世との思い出」

 これでインタネトー上に光の猊下と闇の猊下が揃ったことになる。互いの存在を強く意識してはいるが、バベルの呪いから未だリプライには及んでおらぬ。もしそうなれば、光と闇の対消滅に、現世は無へと帰すだろうがな。それも世界の選択か。ラ・ヨダソウ・スティアーナ。

 質問:ククク……ついにローマ法王が退位を決意したようだな……。しかし、不用意なツイッター参戦がその引き金となったことを看破した者は多くあるまい……。奴らにとって決して世間に漏れてはならぬ秘中の秘……すなわち、コンスタンティヌスの寄進状に裏書きされた、光と闇の両猊下の禁じられし融合による、実存世界の対消滅……!! 小癪なヴァチカンの都市結界による援護があったとは言え、ベネディクトの奴め、この光の猊下との精神念波を通じた千日戦争を、命冥加に凌ぎきりおったわ……!! 敵ながら天晴れな奴よのう……観念世界からの侵略を水際で防いだ、正に世の英雄というわけだ……。ククク……教皇選出のコンクラーベがこの千日戦争、すなわち日本語の「根比べ」を語源に持つと知る者は、もうシスティーナにも限られておろうがな……。(次第に小声で)しかし、あのヘテクロミアの枢機卿め……なるほど、面白い……きゃつが17世というわけか……!!(kotorigeikaさん)

 回答:聞こえていますか? あなたの心に直接語りかけています。この類の妄想を三十代で保持し続けているとは、さぞやおつらい現実をお過ごしのことでしょう。しかし、あなたのそれは借り物の言葉と設定に満ちており、オリジナリティの欠片も見当たりません。この類の妄想は、素晴らしいフィクションへの昇華でマネタイズできる才能が無いのなら、早々に放棄してしまうのが賢明です。さもなくば、悲劇的な結末が待っていますよ。ねえ、聞いてるの? 直接心に語りかけてるんだから、耳ふさいだってムダよ?

アニメ「輪るピングドラム22話」感想

 『鈍感がクセになって、賞賛はウソばっか』

 我が子を食らうサトゥルヌス(鏖殺)! きょうはアタシみんなにあやまらなくちゃならないことがあるの! 西の情弱エリア在住とか耕運機にまたがってフカシこいていたけど、よくよく調べてみたらピンドラが世界でいちばん早く放映される情強地域在住だったの! アタシのTLではピンドラのネタバレ禁止とかトラクターの上から見下してチョウシこいてたけど、いまから22話のネタバレ感想するね! ゴメンね! てへぺろ(シュヴァンクマイエル作品のリアルな舌で)!

 今回は「ぼくたちはあらかじめ失われた子ども」とか「あれは美しい棺だった」とか、監督の自意識が漏れだしてるセリフを、キャラクターが与えられた自我を越えて話す場面がいくつもあったけど、アタシこういうのだぁい好き! 作り手が客観性を失うほどの情熱で作品に入れ込んでいることの証拠だから!

 あと、ピクトグラムの警官が死体になった瞬間にリアルな描写に変じる場面の、監督の「ドヤァ!」が聞こえてくる感じがすごい好き! 書き割りに過ぎなかった他者が死によって実在感を取り戻す、このワンメッセージ、ワンシーンのために21話の演出を積み重ねてきたんだぜって表情が見えるようなの! この演出で監督が感じているだろう気持ちよさは、例えるなら21日後にオナニー解禁って感じかしら? きゃっ(羽生生純が描写した両手で酒焼けに紅潮した顔をおおう)!

 何が言いたいかっていうと、他者にとって書き割りに過ぎない自分を想像して、日々無力感と無効力感に甘く痺れているアタシだけど(電気フグを装着した股間のアップ)、それを乗り越えて何か発信しようって気にさせる情熱を伝播する作品ってホントすごいわよねってことなの!

 ……そして、世界にとっての書き割りに過ぎないという事実を打破するには、現代社会ではほとんどの個人にとって自殺と他殺しか手段がないということだ。結局のところ、「死」だけが重要なのだ。自らに死を与えたものの芸術や、他者に死を与えたものの教義、それらが論理や科学の分析を超えた不可侵の意味をまとう様を見よ。この世界には何かがいる。超越的な何かが。それは断じてすでに名付けられた神などではない。そう、すべてが暴かれたこの場所では、ただ「死」だけが重要なのだ。

 ドヤッ!

ゲーム「ディスティニー」感想、あるいは大作化の問題点について

 ディアブロとヘイローとスカイリムのゲーム性を同じ鍋で煮詰めて、スターウォーズとスタートレックとマジックザギャザリングの世界観を香りづけとしてふりかけた超大作。あちこちで宣伝しまくっていたので、ゲームに興味が無くとも名前を知っている向きは多かろう。操作感は軽快だし、画面のクオリティは超絶的だ。制作側の愛と熱気も充分に感じられる。しかしながら、冒頭の要素の足し算にはなっておらず、結果としてそれぞれの劣化コピー感ばかりが強く感じられる仕上がりとなっている。

 だが何より恐ろしいと思うのは、十年近くと5億ドルを制作に費やした超大作であるのに、リリース直後の48時間程度である程度まで評価が定まってしまい、いったん悪いふうに定まってしまえば後からの追加要素でそれを覆すのが極めて困難だということだ。エンターテイメントを食い散らかすわれわれ飽食のブタへ、天井知らずに高まっていくクオリティを維持しながら、本質的にはすでにどこかで語られてしまった物語をそうではないように提供する作り手側の恐怖は、いかばかりかと思うのだ。

 いったいどうやって、彼らは作り続ける意志を保つのだろう。それは大河に落とす一滴のようなもので、きっと自分がやらなくても他の誰かが同じように、あるいはもっと上手くやってくれるのだ。他の誰かがではない、今ここにいる「自分」が作らねばならない、物語らなければならないと、どうすれば信じることができるのだろう。現在のnWoの停滞とはまさにその停滞である。いくつかの新たなアイデアから更新に着手しようとはした。だが、なまじ一般受けをねらって球を投げたばかりに、書く動機を失ってしまったのだ。私小説や日記をのぞいて、特定の人物が語らなければならない虚構が、いまの世界に存在するのだろうか。

 ……というのが最初の5時間くらいまでの、しかつめらしい感想。

 それからさらに10時間ほどプレイして、先ほどストーリー部分をレベル18でクリアしたが、物語の展開がびっくりするほど理解できない。これほど理解できないのはFF13以来だが、実際のところファルシのルシをコクーンでパージをはるかに超えるレベルで理解できない。いつのまにか自分が発狂しているか、脳に重篤な障害を抱えているのではないかと疑うレベルで、本当に何も、何ひとつデスティニーという物語が理解できない。正気を確かめるためにいくつかのSF作品を見返したぐらい、己の認知崩壊を半ば信じかけるレベルで理解できない。でも、ゲームとしてはすごい面白い。プレイ時間に比例して面白くなる。なんだこれ。

 「大変です! コーテックスにフレイヤーが侵入しています!」 え、なに? もう一回言ってくれる? 小鳥猊下であるッ!

 質問:e3,TGSとありましたが、今期待しているゲームがあれば。

 回答:E3やTGSが何を指すのかわからず検索したほどにはゲーム業界の事情に疎い俺様だが、もうBloodborne一択である。以前も話したように思うが、すべての携帯ゲーム機には今この瞬間、即座に爆発して欲しいし、破砕したそのガラスが蒙昧な似非愛好家どもの水晶体を苛烈に切り裂いて欲しいと真剣に願っている。先日発売されたらしい乱闘撲殺兄弟の最新作や、かつて愛した怪物殺戮者シリーズなどは、目先の小銭に目がくらむあまりプラットフォーム選択を明らかに失敗しており、もはや深刻な憎悪しか感じない。ロス在住の外タレである俺様が求めるのは、巨大モニターとサラウンドを兼ね備えたゲーム専用シアターに火を吹かせる正真正銘の次世代ゲームであり、携帯ゲームなどという尻毛に付着した糞の欠片を積極的に舐め取ろうとする貧乏人どもは、それこそ半島の電動玉はじきでもやっていればいいのである。君や私のような金満家たちは、そろそろ貧乏人からゲームを取り戻そうではないか。某有名美食家ふうに言うならば、「なんという汚らしい画面と音声だ! 必要もない連中がゲームをするからだ!! 馬鹿どもにゲームを与えるなっ!」の心意気である。それこそソフトやハードの価格を十倍にして、真の愛好家以外をふるいおとせばいいのだ。いつまでも貴様らの母親がゲームのことを「ファミコン」とか「ピコピコ」と表現するのは、正に貴様ら低収入の無業者どもがスマホや携帯ゲーム機を使用し続けるがゆえである。ゲームが本邦において文化として成熟できず、貶められ続けている原因は、正に貴様らであることを自覚せよ。

 「あのケッチにケルがいるはずです!」 ごめん、もういいや。小鳥猊下でした。

 うむ、私だ。何ッ、アースホールが閉経し申し上げただと!? 小鳥猊下であるッ!

 なんかアイポンを大画面にしたら、突如イングレスがプレイできなくなった。なので営業中に生じたその隙間に、デスティニーの世界観のことをぼんやりと考えていた。設定集であるところのグリモアを読んでも読んでもわからないストーリーになんか既視感あるなー、なんだったかなーと考えていたら、諸君の期待を裏切って誠に申し訳ないがエヴァQではなく、桜玉吉「なぁゲームをやろうじゃないか!!」のアコンカグアの回だった。「漫画専門学校の生徒がつい描いてしまいそうな、ひとりよがり設定のファンタジー」という欄外の解説は、デスティニーの正体を過不足なく語り尽くしており、ようやく胸のつかえがとれた次第である。この回は傑作なので、諸君にもぜひ読んでみて欲しい。小鳥猊下だった。

 デスティニーの内部告発みたいな文書を目にする。クリエイター側がこだわりのあまり制作に時間をかけすぎ、業を煮やした販売サイドが制作サイドからゲームを取り上げて、物語の枝葉をばっさり切った上でリリースのための突貫工事を行ったことをうかがわせる内容だった。クリエイターのこだわりが過ぎて作品を取り上げられるのってなんか本邦でも見たことあるなー、なんだったかなーと思っていたら、FF12とFF15だった。

 またエヴァQの悪口になるけど、いっしょに見に行った家人が「優秀な人たちにたっぷりの時間とお金をあげてもうまくいかへんのやから、アニメを作るのって難しいんやねえ」みたいなことを話していたのを思い出した。まったくその通りである。海の上のピアニストという映画で主人公が「鍵盤の数が88という有限だから無限の音楽を奏でられるのであって、無限の鍵盤を持つピアノでは誰も音楽を奏でられない。それは神のピアノだ」って語る場面があるんだけど、最近はいろんなジャンルでこの神のピアノ問題を見るなあと思った。

 あと、かぐや姫の物語が取り上げられなかったのは、さすが高畑監督だなと思った。

 なんかデスティニーってさ、今のゲームの悪いところの象徴って感じ、すんだよね。ゲームは基本的に子どものもんだって気持ちがどこかにあって、その上で「大人も楽しめる」ってのが理想なんだよ。今のゲームってさ、子どもは無視して大人めがけて作ってて「大人しか楽しめない」ってのがすごい増えてる気がする。そりゃ、子どもって属性は時間とともに失われるテンポラリーなものだから、少子化の時代にそこ目がけて作っても先細るっていう理屈はわかんだよ。でもそれってやっぱ大人サイドの理屈じゃん。デスティニーって、5億ドル使って10年かけて作ったんだってさ。10年っていう制作スパンが、もう子どもって属性を無視してるよね。10年って赤ん坊が小学生になって、小学生が成人を迎えるような年月だよ。例えば神格化された初期のドラクエ三部作は、2年にも満たない年月で続けざまにリリースされて、まさにその時代の子どもが子どもの属性を失わないうちにシリーズの完結までを体験できたことが大きいと思うんだ。

 ごめん、またエヴァの悪口言うけど、序の所信表明に若者のアニメ離れを食い止める、みたいな文言があって、その気宇にすごい感銘を受けたんだけど、それって正に子どもっていうテンポラリーな属性のうちに体験することの重要さを言ってると思ってたんだよね。でもそっからもう10年近く経とうとしてるわけ。序ではじめてアニメに感動した子どもは、もうエヴァという物語の完結を見ずに、この世界には存在しなくなってるわけ。もういい大人になってるぶんにはいくらでも待つけど、子どもは待てないんだよ。以前スカイウォードソードの感想でも似たようなこと書いて、そのあとゼルダの制作期間が5年は長すぎる、みたいな社長インタビューをネットで読んだんだけど、まさにこの失われる子どものことを言ってんじゃないかなあ。

 初代ポケモンとか体験した世代だけど、あれも今日まで生きながらえているけれど、もうぜんぜん今の子どものものじゃない気がする。かつて子どもだっただれかが、自分の子どもに自分の子ども時代の感情を追体験させているっていう感じがすごくする。不純物が多く混ざってる気がする。日曜朝のライダーとかレンジャーとかプリキュアとかもそういう感じがすごいする。だから最近は、レベルファイブってすごいなあって思う。

 10年くらい前にローグギャラクシーとかいうゲームがあって、グラフィックがきれいだけどストーリーが意味不明っていう、まさにレベルファイブ版のデスティニーなんだけど、これをプレイしたときは本気でブッ殺すぞって思った(今でも鮮明に思い出す「二つの塔で苦労も二倍だな!」)。実際にそこから一切レベルファイブの関わるゲームはプレイしていないんだけど、ローグギャラクシーの反省からか子ども向けの新規タイトルをずっとリリースし続けていて、ついに妖怪ウォッチを大ブレイクさせたのがすごいなって思う。就学前の子どもが「じばにゃん、じばにゃん」と言いながら走り回るのを見かけるにつけ、本当にひさしぶりに、子どもだけに向けたゲームが出てきたことを実感する。親が我が子のためにグッズを買いに走り、でも何がそんなに面白いのかはわかってない感じが、すごく子どもだけのものって気がする。

 このブームを見て、やっぱりすべての物語には賞味期限があって、その中でも子どもに向けた物語だけが幾度も幾度も、趣向を変えて語られ続ける意味があるんだなと思った。かつてジュヴナイルと呼ばれた物語類型だけが、何度も何度も子どもたちに向けて新たに語り直される意義を持っているような気がする。バンジーには、たぶん無理だろうな。

忘備録「中川某さんについて」

 質問:中川さんの炎上事件についてどう思われますか?

 回答:どの中川さんか不明ですが、ググってみました。たぶん、ネットの集合知が生んだワードのエグみを女性が若い時期だけに持つ普遍的な価値で中和した上で、自分の発案のように用いて少し有名になった、あの知的窃盗犯のことだと仮定してお答えします。nWoこと「猫を起こさないように」は意外なことに猫派なのですが、この四足獣に対する思い入れがときに捕鯨反対派のする論理と同じように働いてしまうことを常に自覚しています。本質的に世界に意味は無く、生命はおしなべて無価値であります。黎明期の人類はこれに抗うべく、すべての事象や営為に指差し確認で価値や意味をタグづしてきたのです。その行為の連なりが、我々の歴史を形づくってきました。後から来た我々には価値と意味の大洪水する現在ですが、何のことはない、よく見ればすべて着脱可能なタグに過ぎないのです。件の知的剽窃魔は、芸能人が政治家への近道である本邦において、有名であることが与える力の感覚に酔い、こういった世界の真相を見誤ったんでしょうね。

忘備録「小島某さんについて」

 質問:ギレルモ監督と小島監督でサイレント・ヒルをつくるそうですが、何かあれば。

 回答:すいません、小島さんの「監督」という肩書は、ちょうどネット泡沫の私めが己を猊下と呼称するような、皮肉とか揶揄の類だったんじゃないでしょうか。良いゲームプロデューサーでこそあれ、ピンで映画を撮ったことなんて無いでしょう。彼は前世紀の名作洋画のパロディを得意とする、いちゲームクリエイターに過ぎません。ゲームという芸術が二流だった時代に、映画というすでに一流の芸術から、彼我の格差をいいことに流用・剽窃しまくるのが、唯一の手法だったじゃないですか。セルフプロデュースが異様に上手いことだけは認めますけど、今回のもそれ以上じゃないでしょう。国内でヒットした一本しか持ち歌の無い演歌歌手がブロードウェイの舞台に立ったのを、白人が黄色人種を貶める筋立てなのを隠して、メディアがすごいすごいと取り上げてる感じがします。あんまり本邦のアニメや特撮からのオマージュで作品を作りすぎたギレルモ監督が後ろめたくなって、分野の違うゲームでひとまずお返し、あるいは罪悪感の解消をしようと思ったというのが真相かもしれませんね。少しでも矜持と反骨心のある日本人監督なら、サイレント・ヒルよりサイレンの方を映画化しようと思うはずですから!

漫画「ギガントマキア」感想、あるいはベルセルクについて

 みんな蝕のシーンにやられて、ここまでついてきた。あれは後にも先にも無い、絶望を描き切ったアンチクライマックスの極北だった。

 彼の復讐劇の果てに、蝕の対となる真のクライマックスが訪れるはずだと、だれもが期待した。そして、十年近くが経った。キャラは増えに増え、描きこみの緻密さに比例するように、掲載の頻度は間遠になっていった。みんなもうどこかで気づいていながら、間違いなくかつての愛から、この物語の最期をどうにか看取りたいと願ってきた。

 だれもが完結を待つそのファンタジーを中断してまで描きたかったとのふれこみに、よほどのことかと手にとった。プロレスと少女と飲尿、そして既視感を伴う人体模型デザインの巨人。過剰な固有名詞はあるが、物語の中心はからっぽだ。テーマを失い、設定だけがふくれあがる近年の例のファンタジーと、それは相似を為していた。

 そして、悲しみとともに知る。もう二度と、蝕はやってこないことを。

ゲーム「FGO第1.5部第4章」感想

 ふぉりなー! ふぉ、ふぉーっ、フォアアーッ!! フォアーッ!! アビゲイルーッ! 俺だ―ッ! 結婚してくれー! 市井の一市民であるッ!

 え、セイレムどうでしたかって? セイレム……セイレム? ああ! 最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんの幕間の物語のことだね!

 冒頭の空騒ぎにアガルタの匂いを嗅ぎつけ一瞬イヤな予感に満たされたものの、それ以降は第二部への伏線を散りばめながら、クトゥルフ物として適切な展開が適切な文章と適切な語彙の選択で展開していき、終盤を迎えるまでは正座したまま息を詰めて読ませていただいた。終盤までの展開は、新機軸の劇中劇と繰り返し言及される認知の歪みとのメタ的な仕掛けが驚愕のコズミック・トリックを織りなす結末を夢想させるのに充分だったし、時限式の物語解放は古風な探偵小説のような「読者への挑戦状」だろうと考えていた。

 アハハ、笑ってくれ、結果としてスマホゲーごときに期待値を上げすぎた私の方が愚かだっただけのことさ!

 ともあれ、昨年末の盛り上がりを考えれば、同じ時期にまた何かを仕掛けてくるだろうし、それがために繰り上がった〆切がアビーの幕間の物語の完成度を著しく下げたのだと想像すれば、この胸のモヤモヤも一種のライブ感としてかろうじて許容できるというものだ! それまでは、最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんへ伝承結晶および聖杯を注ぎ込む作業を、傷つけられた高貴なるハートの慰撫としたいと思う。

 しかしながら今回の伏線から判断して、第二部がネルフ・バーサス・戦略自衛隊の如き、カルデア・バーサス・人類にならなさそうなのは、残念なところである。

ゲーム「FGO第1.5部第3章」感想

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! 市井の小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの素晴らしさは、マネタイズできなかったがゆえに緩やかな枯死を受け入れざるを得なかったテキストサイト群に対して、ある種のアンサーたりえているところだと信じておる! ツッタイーに駄文と春画を垂れ流す有象無象の裏に同じ数だけ潜む、気難しい沈黙のテキスト目利きを唸らせ、正しい意味でのパトロンとしてカネを払わせたのだ! 無名の鑑賞者が持つテキストへの審美眼を信じており、それに対して真摯だったからこそ、昨年末から本年の当初にかけて、エフ・ジー・オーはソーシャル・ゲームのスターダムを駆け上ることができたのだ!

 しかし、この十ヶ月というもの、アガルタに代表されるスタンディング・クラップを監修無しに提供し続けるなど、一度はエフ・ジー・オーを信じた目利きたちを侮辱し、愚弄し続けてきた! アーリー・アダプターは同時にアーリー・リーバーでもある! 最もコアな層が最初に見限り、彼らが醸成していた熱気に寄せられていただけの、本質の見えぬスカム・バグどもが、いつの間にか消えていた熱にようよう気がついて最後に離れる、その過程がソー・コールド、ブームの正体なのだ! 正直なところ、復刻、復刻、クソアガルタ、クソ水着二部、そして復刻の流れ(言い忘れたが、原作を知らないセラフは素晴らしかった)の中で、日々エイ・ピーを惰性的に消費することへ嫌気がさし、もう二部を待たなくてもいいかなと思いはじめていたところだった!

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! オイ、剣豪七番勝負すげーおもしれーよ! 物語的に役割を終え、二次創作的にも消費され尽くした盾女が出てこないのもすげー好感度高い! 何よりかつてのギャルゲー、テキストゲーを丹念に読む手触りを想起させるのが素晴らしい! まだ最後までクリアしていないので、俺様の実存と御言葉を求めてやまぬ貴様らを置き去りにしてプレイに戻るが、最後に予言しておく!

 次作、カイロ・レンは母を殺せないことでライト・サイドへ立ち返り、レイはその強大なフォースゆえにダース・ベイダーと化すであろう! 万人を鏖殺(FGOの影響だ!)し、何人の反撃も受けつけぬ暴力を得たとして、貴様はそれを行使しないほど強い倫理や信仰を持つことができるのか? エピソード1~6がアナキンの物語であったように、レイは新しいサーガの主人公となるために、出自の知れぬままダークサイドへ堕ちるしかない。

 市井の小鳥猊下であった。センキュー、センキュー!

ゲーム「FGO第1.5部第2章」感想

 6章、7章、終章、新宿と来て、この内容で大丈夫と判断したクオリティ・コントロールの甘さにびっくり。たぶん2章、4章を書いたのと同じ人だと思うんですけど、すいません、もはやドラゴンボールのチャオズ的存在に成り果ててますので、この辺で置いていくべきではないでしょうか。

 血の通わない、実感に乏しい語彙を並べるだけの、腐臭放つ壊死したテキスト群。ハンターハンターの最新刊を読んだ直後なので、余計に鼻についたのかもしれませんけれど。もし関係者の目に届くならば、どうかお伝え下さい。この内容を許容することは、FGOの終わりの始まりであると。

 終章で姿を消す重要人物へするニガーの言及に、ガワだけ同じ後輩キャラもどきがする「てめーは俺をおこらせた」発言、FGOを愛する真摯なファンがその瞬間ライターへ感じた気持ちをこの上なく的確に代弁しており、アガルタの女のメタ・アンチ・クライマックス。

ゲーム「FGO第1部第6章」感想

 じつはさー、ちょくちょくフェイト・ゴーやってんだよね。ケイタイの、課金するやつ。え、以前ちいさい画面でするゲームは死ね、滅びろ、みたいなこと言ってませんでしたか、だって? バカヤロウ! それはロスにサラウンド完備のシアターを併設した大邸宅を持つところの小鳥猊下将軍様のことであって、その分霊たる俺様には何の関係もないことはない!

 で、どうしてフェイト・ゴーはじめたかってえと、かつてnWoにトップ画像を寄贈したことのある、十数年前に一度オフ会であっただけのソウルメイト、カルメン伊藤女史がすごい楽しそうにツッターイ・ウォンカムラオで語っているのを偶然見たからなのであった。ネットで影響力を持つインフルエンサーに弱いエクス・アルファブロガーの俺様は、たちまち流行りに飛びついたというわけさ! サンキュー・フォー・アスナ・イトー!

 そのフェイト・ゴーってアプリ、スーファミ時代のRPGの戦闘だけに特化したみたいな作りで、懐かしい感じもあってダラダラ続けてたワケ。でさ、このゲーム章立てになってて、ふた月にいっぺんくらい新しいストーリーが配信されんの。導入部こそ引きこまれたものの、まあずっと安定してつまらなくないこともないわけ。んで、こないだ第6章だったかが追加されて、ちんちんさわった手で画面に恥垢の指紋つけながらプレイしはじめたのよ。そしたらさ、一時間後くらいかな、アルコール不織布で画面をぬぐって、居住まいを正しながら石鹸で洗った指先でプレイするゴスロリ少女がそこにいたわけよ。

 第6章を担当したっていうエッグプラント・ファンガスだけど、人類に共通する高い普遍性を語ることができる稀有の人材なのよ。その普遍性が一部の世界文学しか持ち得ない域に達しているにも関わらず、エロゲーやらスマホアプリやらに惜しみなく廃棄していく様子は、かつてテキストサイトなる廃文院に至高の世界文学を廃棄し続けた小鳥猊下を重ねあわせちゃうね。例えるならエッグプラント・ファンガスは、昆虫食専門のフードファイターみたいなもので、彼が食べるとき、ゴキブリさえも視聴者の目には極上の飴細工と映ずるぐらいなの。んでさ、技工だけじゃなくって、恐ろしい量の昆虫を食べることだってできちゃう。なのにさ、ジャンルそのもののニッチ/ゲテモノぶりが、彼を老若男女が視聴するメジャーのスターダムから否応に遠ざけてるんだよね。同じ界隈にいたエンプティ・アビス・ブラックは、無垢な存在のサクリファイス、汚濁が清浄に変換する一瞬のカタルシスという一芸のみで、メジャーの舞台から声がかかるようになったじゃん。なんで多芸のエッグプラント・ファンガスがマイナーの小屋に留められているのか、ボクには不思議でならないよ!

 え、ユア・ネイム・ピリオドで現在メジャーのスターダムを駆け上がっているシンカイ=サンは何に例えることができるかだって?

 それをボクに聞くのかよ! すでに評価が確立している高級店しか扱わず、おまけにひどいクチャラーなのに、食べ物を口に入れた瞬間に無難で適切なコメントを吐き出すことができるから重宝されているグルメ・レポーターという位置づけに決まってるだろ! あんなのと比較させるなよ! ボクだけが理解できる、エッグプラント・ファンガスの高潔が汚れるだろ!

 もうッ、また罵倒芸になっちゃったじゃないの! アタシに聞くのが悪いんだからね!