猫を起こさないように
<span class="vcard">小鳥猊下</span>
小鳥猊下

ゲーム「シェンムー3」感想

 発売されたことに1ヶ月近くも気づいていなかった。なんとなれば、私のアクセスするエス・エヌ・エスでは誰からの言及も無かったからである。「もーっ、みんななんで教えてくれないのよー! あたしが鈴木裕、大好きなの知ってんじゃんよー!」などと一人でモニターに向かってオドケながらダウンロードし、三時間ほどプレイして真顔になった。

 グラフィックがアレなのは、キックスターター発のインディーズゲームと考えれば、ご愛敬の範囲。アジアとクンフーのオープンワールドという点も、いまだ新鮮に映ります。何が問題かと言えば、プレイフィールがほぼそのまんま初代シェンムーなこと。

 モッサリとしたレスポンスに、スキップできない上に不気味なぐらい無感情で棒読みの会話、くるぶしほどの段差さえ越えられない移動制限だらけのフィールド。初見殺しのシビアすぎるQTEに、少し走っただけでfalloutのサバイバルモードなみに減りまくる腹イコール体力、さらにオマケどころではないプレイ必須で攻略性の薄いミニゲーム群。シラミつぶしの会話によるフラグ立てに、セーブの仕方さえ教えようとしない不親切なチュートリアル、かてて加えてブツ切りに入りまくるローディング。土間から座敷に上がるとき、靴を脱ぐムービーを見せるために二回ロードが入ったのには乾いた笑いが出た。

 この二十年、オープンワールドタイプのゲームがコツコツと積み上げてきたノウハウとかテクニックをガン無視して、二十年前の不便・不満・不都合をそのままに引き継いだのが本作なのだ。何年か前にファミコンのゲームが三十年ぶりに発売されるみたいなニュースを見たが、鈴木御大はそれと同じ制作姿勢で当たられたのだろうと思う。感性の摩耗とか、進取の喪失とか、そういった安易な批判をしてはいけません。正当進化ではない、かといって退化でもない、初代そのままのゲームをこの令和の御代に作ることを決め、実際そうされたのだ。初代ファンには恍惚の体験をもたらす仕上がりなのかもしれないが、一見さんにお勧めできる要素は絶無である。残念ながら、本当に、何ひとつ、ない。

 そして何より気になったのは、全8部作とブチ上げた初代・第二作から、二十年ぶりのシリーズ第三弾であるにも関わらず、ストーリーが1ミリも進まない点である。いよいよシェンムーシリーズも本作をもって、作者の死が物語の終わりとイコールになる例の作品群に繰り込まれたようだ。

 何度も引き合いに出して申し訳ないが、オールドクリエイターの諸氏はランス10の潔さを見習って欲しい。

忘備録「じんりん」(2010.12)

 おもろないときは、わざわざおもろないといわんでええ。だまっときなはれ。いうたびにてきをつくるし、なによりあんたのくちびるがへる。

 ただな、おもろかったら、そのおもろかったひゃくばいほどほめてやりなはれ。それはひとをそだてるし、いざゆうときみかたもできる。それがじんりん、ゆうもんでっせ。てれびはどぎついことばっかやりよるから、なんやみんな、いけずのわるばっかりかとおもうけど、よのなかしょうみのとこ、100のうち93くらいはじんりんなんやで。

 あんたのすきなかるぴす、ありますやろ。もとのえきがいけずのわるで、みずがじんりんや。あじほどに、もとのえきはおおないんや。よのなか、かるぴすとおなじやで。よーお、おぼえときや。つまりな、あんたのまわりがしんとしづかなんは、じんりんをはずさん“じぇんとるめん”ばっかりがあんたをみとるゆうことや。あんたのこりくつほどにむずかしいことはあらしまへんで、たんにあんたのげいがおもろないゆうことや。

 ありゃあ、なんでやろ、きゅうにいんでまいたくなったわ。ああ、くるし、ああくるし。くう。

 おわり(制作・著作 NWO)

映画「シンエヴァ冒頭10分公開前夜」

 ヘイ、ユー! 話題のエヴァ・アプリはもうインストールしたかい? 最初にヴィレ(笑)かネルフ(キリッ)かの所属を選ばされ、いったん決めると二度と変更することができない、ゴキゲンのクール仕様なんだ! イングレスじゃあるまいし、情報アプリでなぜ陣営を選ぶのか!

 (ガッツポーズで上を向いて)これは、回答結果によって続編の展開が決まるのに違いない! やった、ポッと出のヴィレに数で負けるわけもなく、ネルフの圧勝で破の続きが決定だ!

 (突然うなだれて下を向いて)よく見ると、ヴィレのロゴがネルフより少し上に配置してあるな……おまけにネルフのロゴはQで使われた文字化けアイコンになってる……これはQの続きであることがもはや確定的に明らか……

 (ガッツポーズで上を向いて)いやいや、あのエヴァのこと! 他のアニメと差別化するための物量作戦でどちらの続編も作ってあり、劇場数を倍増して2つの結末を同時公開くらいはやるに違いない! 旧ファンよし、新ファンよし、作り手よし、まさに三方一両得、ウィン・ウィン・ウィンじゃないか!

 (突然うなだれて下を向いて)でも、カントクは悩んだけどヴィレを選んだって書いてある……これはやはり、Qの続編だというメッセージに違いない……

 (ガッツポーズで上を向いて)いや待て、作曲家のツイート画像には2冊の脚本が写っている! これは間違いなく2種類の続編が作られていることを裏づける証拠じゃないか!

 (突然うなだれて下を向いて)でも、参加声優のツイートにはBパートまでしかアフレコが終わってないってあるな……公開までの期間を考えれば、やはり作られているのは1つだけ……Qの続編である可能性が濃厚……

 (ベロを長く突き出した入道雲パーマ、異様に長細い両腕をぐるぐる回転させながら)キモッ!! キーモキモキモキモキモキモキモ、キモォッ!!

ゲーム「グリムドーン&FGOクエスト」感想

 令呪(れいわ)! 小鳥猊下であるッ!

 最近ではもっぱら、グリムドーンをプレイしている。ディアブロ2の良い部分をディアブロ3のシステムで再構築した感じで、プレイフィールがたいへんによろしい。正直なところ、ラダーとかシーズンとか、充分なプレイ時間が確保できない社畜にとって、先頭集団に追いつかねばと気ばかり急かされる辛い要素でしかない。それがないだけで、たいへんに心やすまる。世間的には周回遅れであろうと、自分のペースでポツポツ進めることができるのは、ありがたい。

 「気ばかり急かされる」つながりで言及しておくと、今回のエフジーオーのイベントと恒例のエイプリルフール限定アプリを順に体験し、私はなんともそら恐ろしい気分にさせられた。プログラマの技術力よりファンガスの思い描く設計が優越する暗転まみれの大奥に、数ヶ月にわたる制作の労を24時間でご破算にするFGOクエスト。そもそもエフジーオーにもっともカネを落とす年齢層が、年度初めの平日にドラクエ1と同規模のゲームをコンプリートできるはずがない。ファンガスはそれをわかっている。わかっていて、かくあるべしという己の想いを優先しているのだ。クリエイターとしてのこの傲慢さは例えるなら、庵野秀明が描いた緻密な軍艦の絵を、夜間だからの理由ですべて黒塗りに演出した高畑勲の領域にさえ到達している。

 予言しよう。現在進行中の第2部が終われば、どれほどの収益があろうとも、どれほど皆が哀願しようとも、エフジーオーが二度と起動できなくなる未来を。そう、まさにエイプリルフール限定のアプリのように。

 私は、ファンガスのそんな傲慢さを愛する。逆にそうならなければ、彼を軽蔑するだろう。だからこそ、いずれは無に帰すこの沼へ、カネを注ぎ続けるのである。

 え、今回はどのくらい注いだんですか、だって? 一千万プレイヤーかつクリスチャンの俺様にとっては、十分の一税にも満たぬビー・ケー・シーに過ぎぬわ!

再録「nWo名作ツイート劇場vol.5(2010.9)」

 「あッ、街頭で春をひさぐ女性のメイクをした小鳥猊下が両手で相手を拒絶する仕草を作りながら、爪先から臀部の直下までを固めたギプスで地面をカツカツいわせながら、汚れた下履きを誇示しつつ紙ずもうの力士に似た動きで延々と後退してゆくぞ」

 「(アヒル口で)ストライキ・ビッチーズ!」

 「挑発しているのよ! 彼の脳内にしか生息していない、仮想敵どもを激しく挑発しているのよ!」

 「(アヒル口で)ストライキ・ビッチーズ!」

 (遊女が窓辺でうなじを見せながら)悲シクハアリマセン。悲シミナンテ、モウドコカヘ行ツテシマツタ。フオロワーガ増エテモリツイートノ増エナイ悲シミナンテ、ゼイタクナ甘ツタレデス。

 ダケド、夜パソコンノ前ヘ座ツテ、昔ノヨウニスグ更新ヤツイートスルコトガデキナイノハ、タシカニ悲シイ習慣デス。頭ガ重ク、背中ヤ腰ガ痛ク、ソシテ心ガ痛ムノデス。

 考エテモ更新ヤツイートデキナイノヲ、ドウシテモ繰返シ考エテイル、一番重ツタイ、エヌダブユオウノ時間デス。

 『何ガアンナツイートヲサセルノ』フオロワードモガカナラズ聞キマス。『オマエタチノ無関心ノセイダヨ』カナラズ答エルコトニシテイマス。

 幾通リモ作ツテアル、ツイート用人格ノヒトツヲ演ジナガラ、フオロワーノ失笑ヤ馬鹿笑イニ、憎々シサガコミアゲテ眼ヲソラシマス。

 一度本気ニナツテ、ホントウノコトヲリプライシカケタコトガアリマシタ。ソノフオロワーハ、トドノヨウニ太イ腹ヲシテイマシタ。エロゲーガ好キナ人デシタ。『君ノツイーテイングハ、悲シミガコオリツイタヨウダ』トカ言ツテイマシタ。

 ダケド、ソンナフオロワーハ、メツタニダイレクトメツセージシマセン。筋書ノキマツタツイートヲスラスラタドリナガラ、ホカノコトヲ考エテイル毎夜デス。

 (遊女が窓辺でうなじを見せながら)悲シクアリマセン。

再録「nWo名作ツイート劇場vol.4(2010.8)」

 諸君、アインシュテュルツェンデ(崩壊、の意)! 小鳥猊下です。

 先のツイーティングで著名人にとってのツイッターを鋭く分析しながら、諸君のような一般ピーポー(救急車、の意)へ言及しなかったのは、全くの片手落ち(右手ないし左手に先天的あるいは後天的な器質の欠損がある、の意)であったことを深く反省している。

 小生があまりにネット上で著名すぎるための見落としには違いない。しかし、言い訳をさせてもらうならば、今回の状況は諸君が蟻を踏み潰したのに気づかぬのと同様であるし、アスファルトに転がる蝉の遺骸が諸君の接近に伴い飛び立ったときの驚愕と同様である。

 小生の著名さを表す逸話として、雨戸で閉めきった四畳半で平日の昼日中に「今や小鳥猊下はキリストよりも有名だ」とつぶやき、全国各地の耶蘇教を信奉する施設から抗議の電話が殺到しなかったことは、諸君もよく知るところだと思う。

 閑話休題、なんとなれば、nWoは諸君のような名も無き無辜の市民の盲(右目ないし左目、あるいはその両方に先天的もしくは後天的な器質の欠損がある、の意)をとくために前世紀から(前世紀から!)存在しているのだから、あえて今回の御幸に恐縮することはない。

 結論から提示するならば、諸君のような一般ピーポーにとって、ツイッターが有効に機能するために必要なエレメント(リュック・ベッソン、の意)は、人格ないし幻想の共有である。

 例えば、現実に面識・交流があれば、「大便でした」等の意味不明の妄言的ツイートであっても、小学生時代、かの君が調理実習中に行った排便を想起して、たちまち文脈を立体化できる。

 例えば、同じ萌えゲーを愛していれば、「君子ちゃんマジ君子」等の意味不明の妄言的ツイートであっても、冠位十二階の制を題材にしたあの美少女ゲームのことだなと、たちまち文脈を再構築できる。

 そして、諸君とnWoはあらゆる現実を共有していない。連続性のあるツイートによって再三、小生が文脈構築を試みるのは、この事実を認識するがゆえだ。

 さらに言うと、就職すれば職場の愚痴、結婚すれば家庭の愚痴のような、肉の養生に魂の独立を絡めとられているストレイト・ツイーティングを嫌うゆえであり、いかに現世から遊離した架空に浮き足立てるか、嘘と猥褻とアレを追求できるかに挑み続けたいがゆえである。

 アレが何を指すのかはあえて伏せるが、まったく今回の文脈から乖離した豆知識としてツイーティングするが、回教徒の結婚および性交可能年齢は開祖の言行録に照らして、女子において9歳であることを付け加えておく。

 では諸君、ノイバウテン(バウテン、ノイ。ではなく、再建、の意)!

忘備録「託宣の少女について」

 質問:例の国連スピーチ、どう思いました?

 回答:男性原理の支配したこの世界では、一人の少女が突如として託宣の巫女に選ばれることがある。大人になるまでのわずかな時間、時々の政治の潮流を批判し、相対化するメッセージを、原理の外側から伝えるためだ(不思議なことに、少年がこの役割を果たしたことはない)。

 しかしながら、彼女はその試しとなるはずのスピーチに失敗した。ひとつ前の巫女であるマラ×2のスピーチが好対照だ。穏やかな語り口で対立を煽らず、「ワン・ティーチャー、ワン・ペン、ワン・ブック」みたいな、だれもが切り取りやすい知的で簡潔な、印象に残るフレーズが織り込まれていた。

 それに比べて、みんなのうらみはと言えば、米・ビッグ頭領に対する憎悪に満ちたやぶにらみとハウ・デアくらいしか印象に残らないというていたらくである。世の裏側にいるオーソリティたちは、カミさんに叱られているときみたいな口ごたえを許されない感じに、イヤな気分にさせられたに違いない。

 このスピーチを境として、線は引かれなかった。少し期待していただけに、じつに残念だ。私は、次の少女の到来を待ちたい。

ゲーム「艦これ2019夏イベント」感想

 うん、カンコレ? ……3海域だけだし、久しぶりに甲勲章ねらえるかもなどと考え、じっさい友軍が来るまえにイー・ツーをすんなりと抜けてしまったのがマズかった。イー・スリーも最終段階にさしかかり、ボスの装甲破壊ギミックに着手するも、なぜか基地防衛の航空優勢がなかなかとれない。調べてみると甲は乙の倍ほど制空値が必要なのだという。なけなしの装備をかき集めてみると、イー・ツーでもらったばかりの局戦の熟練度を最大まで上げれば、ギリギリ航空優勢の制空値に届きそうな感じである。そこで、イー・ワンに戻っての熟練度上げを始めた。

 幾度も出撃・撤退を繰り返すが、熟練度は遅々として上がらない。ちょうど二十回目の出撃後ぐらいだろうか、私の脳髄にトカトントンが響き始めた。人生の貴重な時間を、こんな無駄な作業に費やしていていいのか。何か大病をして、人生の残り時間が決まった場合、まっさきに後悔するのは正にこの時間なのではないかーーそう考えると、手が止まった。

 それ以来、一週間ほど遠征による資源回復も行わず、放置したままである。もしかすると、本当に引退かもしれない。

 カンコレのイベントどうなりましたか、だって? ハハハ、君はこんなバスエ・サイト・マネジャーの昏い趣味にまで気をかけてくれるいいヤツだなあ! あるいは、クリア済みの甲提督が優越感でなぐりに来ているのか、んん? まあ、その気分はわかる。イー・ツー・甲をクリアできないグズどもを見るのは、本当に胸のすく感じだったからな!

 あれから、トカトントンが響いていない瞬間は私の人生には無かったことに気づき、なんとか航空優勢のギミック解除にまではこぎつけた。しかし、それがワナだった。すなわち、ビッグ・スワンプの始まりである。大破、撤退、大破、撤退。ボス旗艦を中大破に追い込んでからの夜戦敗退は数知れず。繰り返される虚無と空費は、瞬発的な怒りとは異なった、日常生活では意識することのない、根源的で巨大な感情の存在を顕現させる。表面はしんと静まり返っていて、煮え立ちもしない。

 しかしこれこそが、他者の肉に刃物を通し、幻想の肉を火刑にし、肉親の骨を鈍器で砕き、偽りの肉を電気コードで締め上げるときの感情なのだ。私たちの世代が本質的に呪われていることの証左である。受験、就職、結婚、出産、育児、マイカー、マイホーム、昭和の追憶を表面だけトレースしても、決して満たされることはない。こんな玄妙極まる激情を惹起するゲームは、他にないだろう。

 そして、ほとんど誤差にしか見えない微細な数値を膨大な時間を費やして積み重ねた先に、かろうじて届く領域がある。これは最高のギャンブルと同じで、技術を突き詰めた究極の先には、純粋に運だけが残る。その場所では、自分は勝てないことを改めて思い知らされた。人生についての苦い学びがあるのは、良いゲームの証拠だ(そういえば、エフエフ・イレブンもそんなゲームだった)。やがてバケツが尽き、アルミが尽き、燃料が尽きた。イベントの終了期限から判断して、難易度を乙に落とす。すると、エス勝利が2回続いて嘘のようにスッとクリアできた。

 至高のステージでは敗者にしかなれず、一流にはわずか届かない技術で二流を相手に糊口をしのぐ。つまらない勝ち、達成感のない勝ち、無意味な勝ちだけが積み重なる日々。本イベントは、己の人生をふりかえって自嘲するが如き顛末に終わった。カンコレ、罪なゲームである。

忘備録「表現が不自由な話」

 「アウチ!エリナトンレー」みたいな展示会で、小生の親族の写真a.k.a.御真影にダメージを与える行為を繰り返す人物が「父がインペリアル・ファミリーが嫌いだって言ってたからやったのに、ボクの作品を見たときの父の表情が曇ったので傷つきました」とか話しているドキュメンタリーを偶然目にした。親子間に生じた確執やトラウマを公共の場所で垂れ流すこととか、脳か身体にダメージがある人物の作成した何かを芸術と呼ぶのって、ホント、本邦の病を直截に表している事象だなー、と思いました。

 あと数年前、「ゆとり・エデュケーション」導入の旗振りをしたモンカ・ショウのエクス・ビューロクラットがヌース・ペパーでインビュータを受けているのを読んだ。「ずっと折り合いの悪かった父親から、深夜に塾帰りの小学生がコンビニ前にたむろしているのを見て、『おい、あんなことで日本の未来は大丈夫なのか』と言われたことがきっかけでした」みたいな内容が語られていた。親に認められたい、親に褒められたいだけの脳に深刻なダメージのある高学歴の人物が、親子間に生じた確執やトラウマを公の場所で解消しようとするのが、本邦のポリティクスの病理の正体だなー、と思いました。

 みんなトラウマ解消の作法として、ジョージ・ルーカスのやり方をもっと学んで欲しいと思いました。

ゲーム「FGOセイバーウォーズ2」感想

 ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で右から左へなぎ倒しながら)! 小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの新イベント、エス・ダブユー・ツー、たいへんに面白うございます。常ならば時限式にしそうなところがそうなっていないのも、たいへんによろしゅうございます。さすがマッシュ(SW2準拠の呼び名)、感性の合うファンの声にはキチンと耳を傾けてくれる……(マーク・チャップマンのまなざしで虚空を見つめながら)。

 メリハリのある展開に、キチッとした文章でクスッと笑わせてくれる、正しいギャグ時空。実のところ、シリアスは少し文章が甘くてもそれなりに読めてしまう。だが、ギャグはそうはいかない。おふさげにこそ、確かな文章力が必要なのです。

 ただ、キャットが私にはそろそろ辛くなってきた。黒タイツの例の芸人、ホニャララ・テン・トゥー・スリーみたいに、行動の読めないキチガイ芸で売ってきたのが、登場を繰り返すうち、次に何をするのかわかってしまうのに似ている。嫌いじゃないけど痛々しくて、チャンネルを変えてしまう感じ。

 だが、これは批判ではなく個人のつまらぬ感想であり、エス・ダブユー・ツー、本編をのぞいてはひさしぶりの、エフ・ジー・オーの名に恥じぬハイ・クオリティ・イベントであることを俺様が保証しよう! 惜しむらくは、「よーし、今回はパパ、大目に課金しちゃうぞー」などとマン札のビラビラ、いや、マン札をビラビラさせていたところ、溜まっていた呼符と無償石で新キャラを2体とも引けてしまったことだ。

 マッシュ、すまぬ、すまぬ……ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で左から右へなぎ倒しながら)!

 ちゅーる(スベッたギャグが場を冷やし熱力学的死を迎えたことを表現する擬音)! 小鳥猊下であるッ!

 エス・ダブユー・ツー、ストーリー部分クリア。時限式への批判に対して、大量のアホ毛と賞金首を進行遅延として用意してきたのは、ゲーム的回答でとても良いと思いました。ラストでまた、いつものとんち合戦が始まるんだけど、女神の善悪に関するくだりは年を取ったせいか、上質な語り口もあいまって、ひどく心を動かされた。「人よんで」の傍点も、すごくいい。

 ただ、最後の最後、同格であるはずの存在同士に優劣が生じるくだりで、いつものファンガスなら「五十億と十四年、神ではなく人として育てられたわずかな年月がアナタと私を分けた」みたいな内容で、人間賛歌を絡めたネッチリとしたアロガント・ゴッド・ディスをおッぱじめたはずである。ワクワクしながら、普段は強固に締め上げている涙腺を緩めて待ち構えていたところ、しかしその期待は完全に肩すかしをくらい、至極あっさり風味で話を切り上げられてしまった。この部分だけは、濃厚豚骨ラーメンを期待して店に入ったら、戦時中のすいとんが出てきたみたいなガッカリだった。常のファンガスなら、間違いなく書いたはずの展開であり、日常生活ではありえない貴重な情動失禁のチャンスを逃し、寸止めにされた射精のような悶々とした不満をつのらせている次第である。エピローグのテキストなし紙芝居から推測するに、締め切りありきでライティングを追い立てられたに違いない。

 あのね、エフ・ジー・オーの最大の価値はファンガスの最新テキストーーつまり、リアルタイムの彼の思想ーーが定期的に読めることで、その他はいわばビッグワンガムの菓子部分みたいなもんでしょ! 周囲の悪い大人たちは目を覚ましてもう一度その原点に立ち帰って、すべての作業工程にファンガスのテキスト・クオリティを優先させなさい。猊下との約束だぞ!

 あと最近、電子書籍で「もっこり半兵衛」を読んでるんだけど、目を覆うような下ネタから、人間の本質へ鋭角に切り込む落差に、年とったせいもあると思うんだけど、ひどく涙腺を刺激されるんだよね。たぶんnWoと同じく含羞が理由の、「ターちゃん」「狂四郎」の昔から変わらない手法で、そのエログロさ加減からNHKの時代劇で原作に取り上げられるようなことは決してないにせよ、狭いがゆえに逆説的に、ある感性を持った人々にとってはより深い普遍へと通じていくように思う。今回のイベントを通じて、ファンガスの手法にも同じ側面があると感じたことを最後に付け加えておきたい。