ディセント
後半の展開に空いた口がふさがらないが、前半の展開はトム・ソーヤーの冒険にトラウマを持つ私のインジャン・ジョーをいきりたたせたのです。「洞窟もの」は心理学と親和性が高いので、女子の前で薀蓄垂れたい向きにもバッチリさ! 片っ端から女性器か陰茎の象徴だと指摘すれば、ほとんど間違ってないぜ!
リバーズ・エッジ
百年の傑作が十年で絶版になる社会だからこそ、この作品がカウンターとしての力を発揮し、マイノリティたちのハートを打つ。まるで――いや、言うまい。
爪の間にまち針を刺しては抜き刺しては抜きする精神修養の五年間を経て、ついに萌え画像がnWoのメールボックスへと投げ込まれた。休日の朝、庭の芝生へあくびをしながら出てきた白人男性の口に、自転車の青年が投げる新聞がすっぽりと入ったようなイメージを浮かべると正確である。今日この日を小鳥猊下の自尊心再誕祭として定めるので、来訪者の諸君は有給や無断欠勤などを活用し、来年度より主に自発的な休業をはかるとよい。自宅にずっとおられる諸君に関しては、一日くらい精虫を殺さない日があってもいいので、そうしなさい。
断崖絶壁に今回の送り手と私の親が片手でぶらさがっており、どちらか一方をしか助けられないという状況を仮定しよう。私は迷わず親にかけよって、その手の甲を踵で微塵に粉砕してから、今回の送り手を救助する。百回同じ機会を与えられたとして、百回ともそうするだろう。いつものくせで、このめでたい日に大衆諸君には受け入れ難い価値観を提示してしまった。おまけに感謝と憎悪のどちらを表現したい例えなのかもわかりにくい。手の甲にハエが止まっていたのさ。だったら、しょうがないだろ?
nWoの語彙をもってしてさえ、この喜びは筆舌に尽くし難い。モニターの前でマウスに置いた右手を水平方向水平方向、股間に置いた左手を重力方向重力方向の、欲望を昂進させる例の作業中、ただ絶頂を先送りするためにとるインターバルに更新を流し読みし、「つまんねえ」とか「またパロディやれよ」とか、下半身からの放熱に浮かされた泡沫の如き妄言を意識へ浮かべる数分ではなく、純粋に私へだけ、カネを取れる技術を用いた人生の数時間を捧げてくれたのだという事実。それが心をふるわせる。文章に対しては何より自負のせいで意固地な反応を返すことしかできない私だが、図画に対してはもう尊敬の念の他はなく、両脚をおっぴろげて赤子のようにきれいなアナルを提示するしかない。ちなみにいまの「赤子のように」は「きれい」と「アナル」の両方を修飾しており、正確に表記するならば「赤子のようにきれいな赤子のようなアナル」となる。
萎えはてたサイト継続への意志が再び盛り上がるのを感じている。たった一つの善意、もしくは無償の愛が魔法のように様々な喪失を取り戻させるのだから、「人は人によってだけ救われる」というどこかで読んだあの一節の含意に、いまは頭を垂れたい気持ちだ。あと4回も心からの敬虔さで頭を垂れる機会を与えられるなんて、私はネット業界一の果報者である。
がんばってなんか書く。
インランド・エンパイア
我々の認識力は完全とは遠い。我々は断片の意味を符号させることで世界を把握する。断片の意味が符号しているにも関わらず世界が形成されないとき、崩壊しているのはいったい何か。インランド・エンパイア、それは内なる神聖の宮……とだけ書いて終わろうと思ってたらラスト近辺、日本人の英語で急速に萎えた。奈江だけに。どっぷり浸ってたのに、ひどいや。
グッドナイト&グッドラック
メディアの暴力が言われるのは、集権的な個人が存在できなくなったゆえか。魔王を持たない勇者か、勇者を持たない魔王か、本来向かうべき対象を失ったその一撃がかすめれば、当初の意図が何であれ町人は即死である。
ザ・シンプソンズ MOVIE
5本指の白い肌をした人々が4本指の黄色い肌をした人々についてのアニメを製作するという構図は、すごく秀逸だよね! え、吹き替え問題? 字幕が読めないほど識字に問題があるなら、英語音声を聞けばいいじゃないの。
プラネット・テラー
筋書きの辻褄を合わせることや細部の整合性にこだわることが奪ってしまう「何か」で満ちている。ヒロインはヒロインだからこそ強く、憎いアイツが肉ごと爆ぜれば気分爽快だ。それ以外に必要なものなんてなかったはず。
*読みにくいため、転載。
おやおや! 短いのを二三読んだだけでこの掲示板に書き込むなんて、思慮の足りないプッシーちゃんが迷いこんだものだわね! 愛らしいトップ画像がそのままサイト運営者の内面を表しているだなんて、甘い勘違いをしてるんじゃなかろうね! だがしかし、こういう無垢で純真なプッシーちゃんたちを無下に追い返してきた路地裏のドラ猫ミュージカルが今日のnWo衰退を招いているという批判も無視できないので、ねっとりとした前戯を交えつつ懇切丁寧にお答えしようではないか! まず大前提として、インターネットにしか文章を発表する場所を持たない連中は、ひとからげに下水へ流して何ら問題のない、致命的な欠陥を抱えたクソ共である! 無論、当サイトも全く例外ではない! 下水=インフラの暗喩からもわかるように、我々の存在はネットワークのトラフィックを増大させ、当初無限と思われた有限の架空資源を無駄に食い潰すことにしか寄与していない! たわけめ、アドバイスを求める先がそもそも間違っておろうが! なに、癲狂を装いながらその実、能力の足りないだけの凡人が聖者のふりで幼児虐待の被害者たちを断崖絶壁へ連れてゆくこのいじましい行軍にあえて加わりたいと言うのか! ならば聞け! 貴様はまだ若い! 少なくとも書きぶりが未熟さを想像させるという意味で若い! そも、文章を書きたいなどと思わず、理科系の分野へ邁進せよ! 理科系の仕事は地上に塔を建てることだ! 貴様が三階までを完成して死ねば、次の者は四階から作業を始めることができるだろう! 対して、文章を書くことは穴を掘ることだ! まず岩盤は固すぎて、生半可なつるはしではその表面を叩き割ることさえできない! 例えそこを突破できたとしても、掘り進むほどに穴は暗く湿り気を帯び、ときどき視界を横切る気味の悪い地虫だけが貴様の朋友となる! 例え貴様の両手の爪がはがれ、両腕の筋肉が萎えたとしても、誰かの助力を期待できると思うな! 掘り始めればいずれ例外なく、己の掘った穴の深さへしか関心は向かないようになり、何より常に貴様一人のスペースしか穴の最突端にはないのだ! そして覚悟せよ! 貴様が死ねば、その穴は埋められる! その穴の価値は己で掘ったという過程にだけ存在し、つまり貴様の内側にだけ存在し、誰も客観的にはそれがいい穴なのか悪い穴なのか判断できないからだ! 貴様が期待できるスペクタクルは、同じ深さにまで掘った先人の遺体を発見することぐらいである! 浅くしか掘るつもりがないのなら、それは一般大衆の足元を悪くするだけだ、いますぐ断念してしまえ! 貴様、まだ懲りないのか! よし、ならば今こそ教えてやろう! 文章を書くことは素潜りと同じだ! 穴を掘ることだといま言ったばかりじゃないですか、だと? 俺に対する批判的な言辞は許さん! 次から肛門の反対側についたその粘膜で肛門から出る物体以下のものをひりだすときは前と後ろにサーをつけろ! もう一度チャンスをやる、文章を書くことは素潜りと同じだ! サー、文章を書くことは素潜りと同じであります、サー! よし、鶏大の脳味噌でよくこの長いセンテンスを復唱できたな! 文章を書くときは、自分で定めた深度まで潜って書け! 海面で浮いている状態のときは書くな! いずれ呼吸が続かなくなって浮上することになるが、次に書くときも必ずまた同じ深度まで潜って書け! 浅い深度で書くことは論外だが、無理をして深く潜りすぎてしまうのもダメだ! 同じ深度まで潜れなければ、書いたものに断層が生じるからだ! nWoの更新が間遠なのも、より深くを追求しすぎた結果、前回の深度という自縄で自縛されているからであり、貴様はこの轍を踏んではいけない! 自分が一定して潜れるぎりぎりの深度を身体で理解しろ! それは貴様にしかわからないことだ! そしてこのアドバイスが有効に働き、貴様が世界への橋頭堡を得たとしたら、真っ先に小鳥マン軍曹へ一割を還元しろ! サー、イエス、サー! 今日の演習は以上だ! サー、サンキュー、サー!