猫を起こさないように
よい大人のnWo
全テキスト(1999年1月10日~現在)

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ゲーム「アークナイツ:エンドフィールド」感想

 アークナイツ:エンドフィールドをサルのようにプレイ中。いよいよもって、なにか新しいゲーム体験を得たいと思ったとき、本邦のそれをファースト・チョイスにする選択肢は無くなってきたように思います。少なくとも虚構分野において、パトリオティズムに起因するエクスクルーシオニズムは、私の中で完全に消滅しました。これまで、原神ブレワイのビジュアル的フォロワー、崩壊スターレイルが軌跡シリーズの精神的フォロワーであると指摘したことになぞらえると、エンドフィールドはゼノブレイド系の「完全上位互換である」と表現できるかもしれません。リリースしたばかりなのに、すでにとんでもないボリュームのコンテンツが実装されていて、手ざわりはオンラインのソシャゲというより、買い切り型のオフライン大作RPGといった具合です。ゲーム開始から最初の5時間くらいは、「美少女たちと歩む、超絶美麗オープンワールド」といった風情なのですが、それは新規プレイヤーを引きかえせないほど深く巣の奥にさそいこむための、チョウチンアンコウの発光部分が女体になっている捕食者による、下準備みたいなものでした。ユーザー・インターフェースがけっこうわかりにくくて、「ホヨバのゲームなら、どれに相当するか?」を手がかりに脳内で翻訳しながら、ようやく操作感が手になじみはじめたころに、突如として怒涛の工場チュートリアルがはじまるのです。説明の文章をなんど読んでもサッパリ意味がわからず、これは相手が自分の言語能力を上まわっているからか、中国語からの翻訳に難があるのか、けっこう真剣に悩んだほどでした。

 理解を断念して、工場生産パートをスキップして先に進めようとするのですが、ストーリー展開とマニュファクチャリングがあざなえるナワのように一体化しており、避けて通ることは不可能になっているのです。正直なところ、土日の休みをはさんでいなければ、ここで永久に脱落してしまっていた可能性は充分にありました。なかば意地になり、数十個はあるチュートリアルを順にクリアしてゆき、手にいれた図面から製造システムを設置して、ああでもないこうでもないと丸一日さわり続けるうち、エウレカ的な瞬間が訪れて、すべての設備が詰まることなく流れはじめると、一気にゲーム世界へと深くダイブする感覚がありました。さらに驚いたことに、いったん自動化に成功した工場設備は、ログアウトしたあともサーバー上で生産を続けているのです。この仕様は、「時間の経過を裏切る、現実の積みあがらなさ」をつねになげく、社畜マネジャーたる小鳥猊下のハートをワシづかみにしました。アークナイツ:エンドフィールドは工場生産パートの存在によって、これまで大陸および半島から上梓された大作ゲーム群のどれとも異なった存在となることに、成功していると言えるでしょう。また、鉱石の採掘場を建設するために、電柱を小脇に抱えてフィールドをかけめぐるのも楽しく、先のオートメーション・ファクトリーにくわえて、どんどん設置物を増やしても寸毫の処理落ちさえ生じず、ほんのわずかな刺激でCTDしまくるベセスダゲーを経験してきた者として、いったいどんな超絶技術がこのゲーム体験を裏でささえているのか想像するだけで、「本邦の衰退」という言葉とともに、背筋のうすら寒くなる感じをおぼえるほどです。

 さて、ここまでをほぼ両手ばなしの絶賛で埋めてきたわけですが、いにしえよりインターネットに棲息する、すれっからしの虚構アディクトとして、約束された輝かしいエンドフィールドの未来をさらに盤石なものとするために、いくつか苦言を呈しておかねばなりますまい。まず、前作?であるアークナイツのシナリオを、エッキスに巣くう虚業従事者たちが絶賛しているのを横目にながめていたこともあり、事前にかなり期待を高めていたのですが、長大なメインストーリーと膨大なサブシナリオのどれもが驚くほどつまらなくて、逆にビックリさせられました。これは物語の進行がマップの開拓と綿密にからみあっているせいかもしれず、スターレイル方式ーーマップを無視して会話劇とムービーだけで物語を進めるーーを踏襲しはじめた最近の原神は、もしかしたら正しかったのかもしれないと考えさせられた次第です。システム面はすばらしいのに、少なくともストーリーへの興味に駆動されるゲーム体験にはなっておらず、今後の改善が期待されるところでしょう。次に、ゲーム内の音楽がどれもまったくと言っていいほど、耳に残らない。リリースから3日で20時間以上プレイしたはずなのに、頭の中にフレーズが充満して幾度もリフレインされるというあの感覚が、まったくもって生じません。しかしながら、これは生粋のトーンデフによる難クセの可能性が捨てきれないことは、付記しておきます。最後に、かなり致命的な弱点である気がしているのですが、固有名詞のセンスがどれも絶望的に悪い。パンダの見かけをしたキャラの名前がダパンだったり、舞台となる惑星の名前がテラから安直にタ行とラ行で連想したタロだったり、既存の神話由来のものをのぞいては、人名や造語の”ツクリモノ感”がひどく、世界観への没入を阻害する要因にさえなっています。あらためて、カルデアとか、キリエライトとか、アニムスフィアとか、FGOの固有名詞はどれもセンス抜群だったなと思わされました。

 ともあれ、数年単位を惰性で続けているいくつかのアプリゲーを引退してまでプレイ時間を捻出したいと思わせた、業界最高峰の技術の集積体であるアークナイツ:エンドフィールド、いちばんダイナミックにゲームそのものが変容していく、まさに旬の時期であるリリース直後のいま、ゲーム好きなら少しでも体験しておくことをオススメします。

映画「閃光のハサウェイ・キルケーの魔女」感想

 閃光のハサウェイ・キルケーの魔女をIMAXで視聴。配信で見た前作の「ガンダムっぽくなさ」が気に入っており、次作は必ず劇場で見ると決めていたのです。あいかわらず「アニメを実写の手法で撮影する」ことを徹底していて、「室内にはためく厚手のカーテン」「真昼の陽光に照らされた滑走路」「日没の夕闇に沈む大都市」など、アニメか現実か見分けのつかないハイパーリアルな背景とともに、基本的に引いたカメラで撮影はなされてゆきます。演出のつけ方も、「塩をおさえ、素材の味を出汁のうまみで食わせる割烹料理」といった淡麗さで、場面転換は特に強調されずスッと行われるため、前作を数年前にいちど見たきりで、人名・地名・組織名の予備知識がほぼゼロである人物には、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」しているのかが非常にわかりにくく、くわえてみなさまのご指摘どおり、光源のない屋内や夜の場面が異様に暗く設定されていて、IMAXシアターであるにも関わらず人物の描線さえ視認できず、眠気を追いはらうためにシート上でなんども身じろぎしたほどです。前作では気にならなかったのですが、作戦室?のドアと窓をていねいに閉める描写など、演出意図の不明な部分も散見され、とつぜん走りだしたハサウェイをきっかけに音楽が流れはじめ、元カノとのなれそめが新海誠みたいな映像でフラッシュバックするのには、思わず笑ってしまいました。その一方で、必要と思える描写が多く削られていて、視聴後にエッキスでおっぱい艦長は戦死しているとの指摘を目にしたとき、「ええッ!! どこで!?」という声が大きめにほとばしったほどです。

 100分ちかくある上映時間のうち、80分ほどはひどく退屈で、なんども睡魔におそわれかけたのですが、終盤、突如として逆襲のシャアの映像がインサートされた瞬間から、モノトーンだった視界は物語全体に遡及してフルカラーとなり、理解不能だったハサウェイという男の人格と葛藤が立体化して、生々しく眼前にせまりはじめます。たとえるなら、淡麗割烹の板前がコースの終わりにやおらカウンターの上に土足で立ちあがり、白い調理服を脱ぎすてた下には隆々たる体躯をトゲつきの革ジャンがつつんでいて、岩塩とコショウをガリガリにすりこんだ牛肉のブッ刺されたBBQの鉄ぐしをバルログみたいに眼前へクロスさせたかと思うと、モウモウたる煙の中でジュウジュウに焼きはじめ、最後はたっぷりと特製特濃ソースにひたして手わたしてきたようなもので、「まあ、和食だし、こんなもんか」と内心でごちながら黙ってカウンターに座っていた客たちは、いまや滂沱の涙を流しながら、「あ、あじッ、味がするッ!! これッ、すッごく、味がしますゥ!!!」と牛肉串にむしゃぶりつく。忘我の賞味を終え、みながハッとわれにかえると、板前はなにごともなかったかのように、元の白い調理服を着てしずかに包丁を研いでおり、ほおに残る涙のあととソースで汚れた口元だけが、異常な”おもてなし”の行われた証拠として残るーーそんな体験でした。全体的にガンダムファンのための映画ですし、本作を激賞しているのはガンダムファンですし、本作の興収を押しあげているのもガンダムファンですし、ガンダム要素ぬきに単体の映画として自立する感じは、まったくしません。

 個人的には前作の流れから、ガンダムの皮をかぶった現代の若きテロリストの話を期待していたのが、結局のところ、現代の若きテロリストの皮をかぶったガンダムの話だったので、すこしガッカリしました。なぜ、これを作るのに5年もかかるのかはサッパリわかりませんが、おそらく乗りかかった船として、3作目も劇場に足を運ぶことになるでしょう。もちろん、ガンダムに興味がわいたからではなく、ただひたすらにエロかわカッコいいギギ・アンダルシアの肢体をながめにいくためです。あと、みなさん、「おっぱい、おっぱい」「肉欲、肉欲」と、ハサウェイを揶揄して大よろこびの様子ですが、正確には「肉欲と世俗を断ちきる」と言っており、仏教的な意味での”現世への執着”をあらわしているように思います。もしかすると、母親が日本人であることに影響されているのかもしれませんね。

ゲーム「ドラクエ7リイマジンド」感想

 ドラクエ7リイマジンドを20時間ほどプレイ。まず、プレステ1で発売されたオリジナルについて、ザッとおさらいしておくと、「もっとも制作期間の長い、もっとも売れた、もっともつまらないドラクエ」だったと言えるでしょう。エフエフの同ナンバリングが、クリエイターの交代による新生を印象づけたのに対して、おそらく「大人のドラクエ」としての脱皮をめざした結果、本来のはつらつとしたユーモアをうしなって、「ギリシャ悲劇小品集」のような、鬱々たるぎこちないパッチワーク的な連作に堕してしまったのです。この時期のホーリー遊児はスランプに陥っていたか、もしかすると心を病んでいたのかもしれません。5年にもおよぶ、遅々として進まない制作状況に対して、当時のメインプログラマーがどこかの酒場で、他社の人間から「おまえがしっかりしなきゃダメだろ」と叱咤されたという話が、いまに伝わっているほどです。クリアまで70時間はゆうに越える、ディスク4枚にわたるウンザリするようなこの超大作は、「いつまでもいつまでも延々と終わらないプロローグ」「バイカル湖の底みたいな不気味の谷そのもののムービー」「回転機能を悪用して建物の死角に配された見つからない石版」「長時間プレイを続けると熱暴走のハングアップで進行不能」など、ある才能の枯渇とシリーズの終焉を印象づけるような、まったくひどい製品でした。これを書いているのは、6から導入された全職業の魔法や特技が累積する転職システムこそ、ドラクエを壊したガンであると断ずる「ドラクエは5まで派」であり、7のことは「アスカの原型となったマリベルを生んだ以外に、見るべきところはなにひとつない、古めかしい凡作」としかとらえていません。これ以降、「レベルファイブの助力を得てすこしだけ持ちなおした原点回帰の8」「キャバ穣への偏愛をダイレクトに出力した”エッチな大人の”9」「結果としてシリーズに大停滞をもたらして新規層の流入を途絶えさせた10」と続いたことをふりかえると、やはり7はドラクエにとって、大きな負のターニングポイントだったと言えるかもしれません。

 さて、ようやくリイマジンドの話にはいりますと、鳥山明のデザインをほぼ完璧に3D化した”ドールルック”なる見た目は、ドラクエ世界の表現として100点満点の完全な正解をだしていて、今後のリメイクは珍奇なる”HD2D“という不出来の赤点をすべて棄却し、この形式でデータを蓄積したものを使いまわしていくべきだと感じました。UIも従来のドラクエからガラッと変えてきていて、少ないボタン数で快適かつ直感的に操作できるし、近年の海外ゲーで不満をおぼえがちな「フォントがダサすぎる問題」も、ドールルックにフィットするハイセンスな選択がなされていて、非常に好印象です。敵味方ともにこれでもかとアニメーションするにもかかわらず、戦闘のテンポはとても軽快で、ストーリーの誘導も適時適切におこなわれ、オリジナルにあった「石板を探して数時間をさまよう」などという事態は、ぜったいに起こりません。にもかかわらず、神さまを解放したあたりで、もう3日ほどプレイが停滞しているのです(余談ながら、オリジナルにおける神さまの登場は、ナディアのネオ皇帝回のように、世界中の空へ同時出現する演出だったのが、本作では室内でのできごとに矮小化されていて、ガッカリしました)。すべてのマップはあらかじめ開示され、次の目的地は一直線にしめされて迷うことはなく、戦闘はかしこいAIが”バッチリ”雑魚からボスまでを完封し、適正レベルを越えると棒ふりでモンスターは一蹴でき、ふんだんに用意された女神像はMPを管理する手間をはぶいてくれ、プレイヤーは新たな町に着くたびにタンス開けとツボ割りとテキストを読む作業だけしていれば、あとはゲームの側がすべて遺漏なくやってくれます。

 この違和感をたとえばなしでお伝えすると、毎晩を店にかよって高級シャンパンを入れ、心から相手に寄りそって尽くしているのに、ホストからは裏で邪険にあつかわれる女性事務員みたいなものだと表現できるでしょう。エンドフィールドが数時間もしがみつづけて、ようやく陶然となる味のしみだしてくる熟成ジャーキーだとしたら、7リイマジンドは米粒のよく砕けた中華がゆであり、さらに言えば咀嚼の必要ない流動食であり、もっと言えばアゴさえ使わずにすむ栄養剤の点滴であり、最悪もしかすると、嚥下の衰えた者にする胃ろうみたいなゲームなのです。難易度は3段階どころか、モンスターの強さから獲得する経験値とゴールドの多寡まで細かく調整することができ、しつこくステーキハウスでもたとえておくなら、立地よし、門がまえよし、内装よし、接客よし、テーブルに案内され、調度品よし、カトラリーよし、大ぶりな皿の上には生のシャトーブリアンがのっていて、なぜかそれを持って厨房へ移動するよううながされる。案内されたピカピカのキッチンには、考えられるかぎりの調味料や副菜が用意されており、「調味から焼き加減からサイドメニューまで、すべてお客様ご自身でご自由にお選びいただくことができます」と、うやうやしく告げられるーーオイ、プロの矜持をかなぐりすてて、プロのスキルや責任までを客にあずけてんじゃねえぞ! オマエは席まで人間が誘導しておきながら、スマホで注文させる飲食店かよ! けったくそわりい、ミスや不快の責任をすべて客に押しつけるのは、サービスとは言わねーんだよ!

 ドールサイズに縮小された細ぎれのフィールドに探索要素はほとんどなく、体験版で期待したような物語の分岐も用意されておらず、導入時の好印象は時間の経過とともに薄れてゆき、最後はゲームをしているのにすこしも楽しくなくなり、なんども寝落ちにコントローラーを取りおとすところまでいきます。いまはオリジナル版の悪癖である「同じマップを再利用したプレイ時間の引きのばし」の最たる「四大精霊をたおせ!」という展開をむかえており、「だっるッ!」とさけんだところに崩壊スターレイルのバージョン4.0がやってきたため、エンドフィールドの重めなデイリー消化とあいまって、ドラクエなのにクリアまでいたらない可能性さえ出てきました。数だけはムダに多い氷河期世代の現在を慰撫する過去の郷愁のみで、いい加減なリメイクが売れつづけてきたドラクエシリーズは、ポケモンのようには新しい世代へ浸透せず、われわれの退場とともに消えゆくさだめなのかもしれません。だって、この冒険感ゼロのベルトコンベアーみたいな作業、ほんとうにつまんないんだもん!