猫を起こさないように
ゲーム「原神・冥府へのレクイエム」感想
ゲーム「原神・冥府へのレクイエム」感想

ゲーム「原神・冥府へのレクイエム」感想

 原神、中年期以降の人生における体感時間に照らせば、スネージナヤ実装からの怒涛の展開にようやくひと息ついたところ、次の呼吸をするいとまもなく新バージョンが投入されたような印象で、その矢つぎばやな供給に目を白黒させております。さらにそこから、アナスターシャとレインドットによる丁々発止のやりとりを通じて、女皇の正体と神の目の用途が明らかとなり、ロノヴァより死の権能を奪って完全に消滅させるところまで行くのだから、もうすこし長く原神世界にひたっていたい者としては、「待って待って、はやいはやい」と軽快に駆けてゆくホヨバの足元にすがりつきながら、引きずられているような状態になっている。神の目を利用した時間操作で生の執政による蘇生を遅らせ、天理が眠りについているーーパイモンの自我が優勢だからーーさいにのみ有効な、天空の島による理屈不在のオート・パニッシュメントを起動させる流れは、ファンガスの書くFGOなみにゾクゾクするギミックでしたし、テイワット世界の根幹でもある”不死の呪い”の大元を断つ展開は、スレイヤーズ!で言うならシャブラニグドゥーー30年ぶりぐらいに意識の上にのぼった固有名詞ーーの分体ではなく本体をうち負かし、ドラグ・スレイブーー同30年ぶりーーなる魔法を地上から永久に消滅させたようなものです。

 あと、ロノヴァを討滅するさいの豪華ムービーがハチャメチャにエヴァンゲリオンで、エネルギーの奔流をシールドで受けとめて2つに割るとか、上空からの落下物をバリアーで受けとめるとか、大爆発の直前に無音となって白背景に線画のエフェクトが入るとか、黒煙が晴れてゆくと無傷の敵がこちらを見下ろしているとか、もうとにかく徹頭徹尾、エヴァンゲリオンの映像文法で演出がつけられているのです(特に、テレビ版の第拾九話をつよく感じる)。特撮の手法をコピーした旧エヴァの段階では、たとえば爆発のさいの演出に関して言えば、「白背景は閃光に目がくらんだことを表現しており、無音は爆風による一瞬の真空状態を意味する」ような、現実と地続きの物理法則にのっとった意図が背景にあったと思うのですが、原神からは「Qアンノがそうしていたのが、最高にカッコよかったから」という、崇敬からの五体投地的なオマージュをしか感じられないのは、オタク文化が何世代か進んだことによる、じつに興味ぶかい変化と指摘できるでしょう。死の執政の消滅により、人類の持つ科学技術の進展を阻害する要因が消滅し、ヤドリギ計画を最終段階へと進めようとするところで今回のバージョンは幕となるのですが、これまでそれなりの課金をしてきたファンとしては、原神の終わりに向けた心の準備がまったくできておらず、「待って待って、はやいはやい」と、ただただホヨバの腰にしがみつきながら、うろたえるばかりなのです。

 それと、今回のストーリーで大きな感銘を受けたのは、氷の女皇による「私は自分の記憶さえ、信用していない」というセリフで、過去に天理から特定の人物に関する情報の改竄を受けたことへ起因する行動原理なのですが、この言葉はマネジメント層の持つべき、ある種の心がまえであるように感じました。なぜなら記憶というものは、我々が強固だと信じているよりもずっと簡単に、自己弁護や一時的な感情によって書きかわってしまうからです。つまり、接点を持つ人物たちの評価をふくめて、公に物事をジャッジするとき参照すべきは、記憶ではなく記録のほうであり、不確かな主観には立脚せず、客観的な事実のみをベースにせよという”いましめ”を説いているのだと言えましょう。家族愛のどっしりとした大切さを、軽佻浮薄な本邦に在住するオタクたちに思いださせるだけでなく、じっさいに有効な人生訓まであたえてくれるゲームを、寡聞にして他に知りません。ねえ、ほんとうにホヨバは原神を終わらせるつもりなの? 現実の世界情勢をビビッドに反映した、中国とロシアが星の命運をにぎるSFファンタジーなんて、人類史上、まさに唯一無二の存在だというのに!