過度なアルコール摂取にしばしば意識を喪失する、いわゆる寝正月の最中、西方蛮族提供の流感みたいな名前の動画配信サービスに、「あしたのジョー2」が追加されているのを発見し、長い前髪で片目を隠しながらジャージ姿の体育座りで視聴を行う。途中、家人が無神経に部屋の扉を開け放ち、「マア! また暗い部屋でテレビ見て! 目が悪くなるわよ! 前髪も切りなさい!」などと甲高い声でまくしたてるので、「うるせえババア! ブッ殺すぞ! あと、お酒買ってきて!」と絶叫したりした。
最終話近く、少年鑑別所時代のジョーの仲間が喫茶店に集い、昔のことをふりかえるシーンがある。うろ覚えの記憶で再現すれば、こんな感じだ。
「ぼくたちは変わってしまったけれど、矢吹丈だけがあの頃の青春のままにいる。それが、たまらなく嬉しいんです」
「へえ……おまえ今、小説家とか、学校の先生でもやってんの?」
「いいえ、地方の工場の、ただの工員ですよ」
かつては気にも留めなかったこのやりとりが、いまでは強く胸に迫る。おのれが矢吹丈その人ではなく、矢吹丈のことを語るだれかであることを知っているからだ。ウルフ金串の回といい、元全日本チャンプの回といい、昔はものをおもはざりけり、年齢を経た現在だからこそ感じられる哀切の数々に、成熟を拒否し続けてきたこの身が、遠くまでよろよろと、なんとか歩いてきたことに気づかされた。物語後半へ進むにつれて力尽きてゆく作画と演出も、ジョー自身の崩壊とリンクしているように感じられ、涙なしには見ることができない。
「へへ、ほんと、テキストサイトなんてのは運だよなあ。たった一発のラッキーヒットですべてが決まっちまうんだから。あのとき、あのラッキーヒットさえなけりゃ、メジャーのスターダムにいたのは、俺だった。俺の方だったんだ」
あのころ、ぼくたちはみんな、矢吹丈になりたかった。