猫を起こさないように
FPS
FPS

ゲーム「ボーダーランズ4」感想(少しFGO)

 発売初週で、エンドゲームの薄さに文句をつけている異常者たちを尻目に、ゆっくりとボーダーランズ4をプレイ中。近年に類を見ないほど、心中にハクスラ熱が高まっており、発売3日で72時間プレイするようなキティ・ガイ(子猫系男子、の意)たちーー中の人は、大富豪か生活保護受給者ーーと勝ち目のない勝負をして優越感をあたえたりしたくないので、「ラダーもシーズンもないハック・アンド・スラッシュ」を探し求めた結果、本作へたどりついたというわけです。昔ッから、ファースト・パーソン・シューターに苦手意識があり、最後にプレイした純粋FPSーーアンチャーテッドみたいな「使用武器に銃もある」だけのゲームはのぞくーーは、おそらく初代プレステのキリーク・ザ・ブラッドにまでさかのぼります(操作性の悪さと、なにより初めて体験するポリゴン空間に脳が慣れていなかったため、いつも車酔いのような症状に悩まされていたことが、昨日のように思いだされます)。なにより、コントローラーのレバーを使ったエイムが極端に苦手で、ゲーム内で銃を手にしたさいのこれまでの命中率を合算して平均すれば、きっと50%を下まわっていることでしょう。そういったわけで、どれほど世間をにぎわせていて、どれほど名作の呼び声が高くとも、ずっと純粋FPSを避けてきた人生だったのに、なぜいまボーダーランズ4なのかと問われれば、そのきっかけはサイバーパンク2077にあります。同ゲームの1周目を刃傷沙汰プレイでクリアしたあと、2周目のJUNKER(スナッチャー!)プレイであまりに拳銃が当たらないため、ふとした思いつきで目の前のマウスをつかんでエイムしたら、今後の人生でなんど訪れるかわからない、かなり大きめのパラダイムシフトを経験したからです。なぜか、ずっと疑問をいだいてこなかったコントローラーによるエイムとカメラ操作のチグハグさは、iPadでコマンド入力の複雑な格闘ゲームをやっているみたいなものだったことがわかった瞬間でした。

 長い前置きとなりましたが、いよいよボーダーランズ4の中身の話をしていきましょう。コントローラーで移動を行いながら、マウスでエイムするプレイスタイルならば、超遠距離の敵もスコープなしで狙撃できますし、短中距離からはヘッドショットによるクリティカル連発で命中率は体感90%を越え、永遠もなかばを過ぎたいまになって、ついにファースト・パーソン・シューターの楽しさに開眼した次第です。正直なところ、システム的にはひと昔もふた昔も前の手ざわりになっていて、ファストトラベル地点がそれぞれ間遠なため、かなりの時間を割くことになるロケーション間の移動に、オープンワールドのキモである探索要素が皆無ーーマップにバラまいてあるボックス・イコール・宝箱の中身は、ほぼすべて弾薬ーーだったり、マップの高低差をどこまで二段ジャンプで越えられるかの基準があいまいだったり、クエスト等へのガイド機能がいい加減でいつまでも目的地にたどりつけなかったり、純粋FPSゆえにプレイヤーのとれる行動は少ないはずのにクエストのヒントもまた少なく、せまいエリア内でむなしい試行錯誤を延々と行うハメになったり、エネミーやオブジェクトがポリゴンの隙間に消失してクエスト進行不可となったり、マッチング機能が弱くてずっとソロプレイを強いられたり、ディアブロ2のごとく「マルチにタダ乗りしてストーリー部分をスッとばし、ハクスラの醍醐味である”装備掘り”のステージへ早々に突入する」ことを意識していた最初の10時間ぐらいは、近年の他ゲーム群に比してきわめてムダの多いこれらの仕様に、心の底からイライラしていました。しかしながら、大富豪の生活保護受給者と勤め人が、ゲームの進捗で張りあったところでしょうがないと考え方をあらため、ボーダーランズ・ワールドをじっくり楽しむほうへ軸足を移すと、気がつけばこの世界のことがすっかり好きになってしまっていたのです。マッドマックスに銃夢を足して軽薄を調味料にしたような世界観で、主人公はトリガー・ハッピーかつ利己的な快楽主義者、NPCたちは底抜けに頭の悪いゴロツキかクチの悪いロボばかり、リッパーたちの生命はどこまでも粗末に軽く、「世界の命運」なんて言葉がいちばんにあわない物語だと言えるでしょう。

 少し話はそれますが、FGOの最新イベントである「新撰組・ジ・エンド」が、「ぐだぐだに外れなし」を更新する出色のできで、さすがファンガスの次に信頼する書き手だと感心させられました。本来のなりわいである漫画家の持つ特性でしょう、キャラクターの内面をしっかりと把握した上での短いセリフのかけあいでストーリーを進行させ、「だれの人生にも、ゆずれないものがある」からこそ起こるコンフリクトを、絶対悪を作らずに登場人物のだれも下げないまま語りきるのは、ファンガスの創作手法ととても似ているように感じます。今回のシナリオも、冷厳かつ辛辣な歴史家の視点で、敵味方の双方から近藤勇という人物を徹底的に批判していきながら、最後の最後に「でも、」と言って、他ならぬ作者その人が彼にやさしく救済の手をさしのべる。世界に必要なのは、いつだってこの「でも、」なのであり、「どこまでも人の争いは絶えず、いくら時代を経ようとも人の知恵は深くならず、いまの戦争は未来の戦争の火種を次の世代へと植えつけ、本質的に多くの人生は生きる価値の無いものである」との諦念へと沈んだあとに、「でも、」と言いながら顔をあげられるかが重要なのです。今回のシナリオで個人的に気にいったのは、人斬り抜刀斎が空腹のときにオニギリをもらったお礼として神を斬るエピソードで、あきらかにファンガスと社長の関係性への目くばせがあり、長きにわたり近くで2人を見てきた人物だからこそ可能な、FGO終章へささげる最高の手向けだと思いました。

 意図的にそらせた話をボーダーランズ4へもどしますと、本作のサブクエストはどれもよくできていて、この世界観を好きになる決定的なきっかけは、自我を持った不発弾であるジジのお話でした。かつてちゃんと爆発できなかったことで、おのれのアイデンティティに悩む爆薬を爆発させてやるため、ミサイルのガワと起爆装置を用意してやるというブッとんだ筋書きなのですが、道中に少女の声でとつとつと語られる内省的な”自己定義”の弁にすっかり感情移入させられて、荒唐無稽な出だしにゲラゲラ笑っていたはずなのに、やがてこれは本質的に自殺幇助の話なのだと気づかされて真顔になり、発射台のカウントダウンにせまる大量のエネミーをむかえ撃つころには、両目は涙でいっぱいになっていました。そうして、無事に爆発の本懐を遂げたジジの正体が、弾道ミサイルではなく打ち上げ花火だったのには、「ああ、よかった! あんなにやさしいキミが、人を殺す道具でいいはずがない!」と、ひとり哀悼の嗚咽をもらしたのです。ふざけたハンドルネームからもわかるように、小鳥猊下がまさにそれで、ぐだぐだの作者もきっとそうだと確信していますが、なにより含羞から、最初はだれにもとりあってほしくなくて、下品なギャグやオドケから軽薄にはじまった語りが、次第に熱をおびて真剣さを増してゆき、最後には「わたしを愛してくれ!」という魂の絶叫へと変じる、”臆病なくせに尊大な自我”を隠しきれない書き手が大好きなのでしょう。以上、ぐだぐだ新撰組と不発弾ジジと小鳥猊下の三者へ、身勝手な牽強付会の共通点を見つけだす自分語りのご紹介でした。

 あと、最初のうちは英語音声でプレイしていたのですが、複数の敵と交戦するエイムの過集中において、リスニングだけで内容を理解できる英語力を持ちあわせていないため、泣く泣く日本語へと切りかえたところ、本作のローカライズは過去に例を見ないほどクオリティが高く、ビックリさせられました。原文を生かしながら、本邦のオタク文化とネットスラングをたくみに織りまぜて、ギャグや方言や固有名詞のすみずみにいたるまで、すべてを徹底的に我々のローカル言語へと置換して、ボーダーランズの世界観を”日本語の感覚”で再構築することに成功しているのです。まさに翻訳ソフトや人工知能ではたどりつかない、人のする文系スキルの結晶になっていて、いちテキスト書きとしてうれしくなってしまいました。不発弾ジジの話も日本語でなければ、ここまで感動しなかったような気もしますし、まだかろうじて地上に残されている”人の御業”に対して、素直にシャッポをぬぎたいと思います(もちろん、デュエルシャポー)。