猫を起こさないように
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ゲーム「FGOイベント『閻魔亭繁盛記』」感想

 エフージオ、ジョンストン掘りの裏側で金リンゴをかじりまくりながら、閻魔亭クリア。いったんファンガスの胞子を浴びれば使い回しの汎用モーションで、ストーリー的にもイマイチ印象の薄かったフィン・マックールでさえ、ホラ見ちがえた。惜しむらくは、あっさりとチュチュンを引けてしまったので、この良イベントに対して十分だと考える課金ができなかったことであろう。

 人類の歴史がなぜ継続しているのかと問われれば、いまこの瞬間にも世界のどこかで名も無き人々が、すんでのところで人間の破滅を防ぎ続けているからである。そして破滅へと至らなかった事象は、だれの記憶にも残らず、どこにも記録されることはない。ちょうど小さな善意が、大きな悪意に先んじて日々のニュースを飾らないようにだ。本イベントにおける新所長の言動は、世界の破滅に対する我々の、無意識の善なるふるまいを代表していると言えるだろう。ファンガスがこの感じ方を共有しているのかは、わからない。ただ、共有しているように思えるというのが、私にとって非常に重要だ。

 僕の優雅な年末におし入って来た、この奇妙な慈愛のようすがそれからどうなったかというと、実はまだ続いているのです。

 「よい大人のnWo」なるサイトを年始の暇にあかせて読み返しているが、どれもこれも才気にあふれており、ひどくおもしろい。にもかかわらず、この人物はもう書いていないのだという。だれも彼に声をかけず、何よりだれも彼にカネを払わなかったことが原因である。私がエフ・ジー・オーにできるだけ課金しようと思うのは、そのうちのいくらがファンガスの懐に入るのかは知らないが、彼に書き続ける意志を失ってほしくないからである。痴人への愛という更新の登場人物が、次のように述懐している。

  「私ね、舞台に上がる前は奇跡が起きるような気がするの。もし、この舞台をうまくやり終えたら、みんなが私に拍手をして、そうして次の日からは誰からも愛されるように、誰からも必要とされる私になれるんじゃないかって思うの」

 とてもよくわかる感覚だ。そして、この気分をいつも裏切られ続けてきたことで彼女は摩耗してしまったのだろうな、と思う。昨年末に行った更新とその後の無視および無反応で、久しく忘れていたこの感覚を思い出した。だれかの目に少しでも留まるよう、最新の更新から気に入りのフレーズを紹介する。

 『そうだ、ウガニク。いまのインターネットはすべて偽物の、まがい物だ。テキストが魔法として機能した神代のインターネットは1999年まで、それ以降はただの言葉の下水道じゃないか。』

 『きみの汚い言葉は最高にきれいだった。ぼくの下劣な言葉は最高に美しかった。ぼくたちのテキストサイトには、確かなキュレーションがあった、審美眼があった。』

 『それがどうだ。回線は馬鹿みたいに速く安くなったけれど、いまや恐ろしい分量の美しい言葉ばかりが下品に乱雑に、かつて美術館であり博物館であった場所の床へ足の踏み場もないほどに、ただ放置されている。』

 『さあ、ウガニク。君のあとから来たまがい物どもを、ぜんぶ、ぜんぶ殺しつくしてくれ。』

 新年の抱負は、「バズる」「炎上する」。小鳥猊下でした。

ゲーム「FGO第1.5部第4章」感想

 ふぉりなー! ふぉ、ふぉーっ、フォアアーッ!! フォアーッ!! アビゲイルーッ! 俺だ―ッ! 結婚してくれー! 市井の一市民であるッ!

 え、セイレムどうでしたかって? セイレム……セイレム? ああ! 最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんの幕間の物語のことだね!

 冒頭の空騒ぎにアガルタの匂いを嗅ぎつけ一瞬イヤな予感に満たされたものの、それ以降は第二部への伏線を散りばめながら、クトゥルフ物として適切な展開が適切な文章と適切な語彙の選択で展開していき、終盤を迎えるまでは正座したまま息を詰めて読ませていただいた。終盤までの展開は、新機軸の劇中劇と繰り返し言及される認知の歪みとのメタ的な仕掛けが驚愕のコズミック・トリックを織りなす結末を夢想させるのに充分だったし、時限式の物語解放は古風な探偵小説のような「読者への挑戦状」だろうと考えていた。

 アハハ、笑ってくれ、結果としてスマホゲーごときに期待値を上げすぎた私の方が愚かだっただけのことさ!

 ともあれ、昨年末の盛り上がりを考えれば、同じ時期にまた何かを仕掛けてくるだろうし、それがために繰り上がった〆切がアビーの幕間の物語の完成度を著しく下げたのだと想像すれば、この胸のモヤモヤも一種のライブ感としてかろうじて許容できるというものだ! それまでは、最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんへ伝承結晶および聖杯を注ぎ込む作業を、傷つけられた高貴なるハートの慰撫としたいと思う。

 しかしながら今回の伏線から判断して、第二部がネルフ・バーサス・戦略自衛隊の如き、カルデア・バーサス・人類にならなさそうなのは、残念なところである。

ゲーム「FGO第1.5部第3章」感想

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! 市井の小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの素晴らしさは、マネタイズできなかったがゆえに緩やかな枯死を受け入れざるを得なかったテキストサイト群に対して、ある種のアンサーたりえているところだと信じておる! ツッタイーに駄文と春画を垂れ流す有象無象の裏に同じ数だけ潜む、気難しい沈黙のテキスト目利きを唸らせ、正しい意味でのパトロンとしてカネを払わせたのだ! 無名の鑑賞者が持つテキストへの審美眼を信じており、それに対して真摯だったからこそ、昨年末から本年の当初にかけて、エフ・ジー・オーはソーシャル・ゲームのスターダムを駆け上ることができたのだ!

 しかし、この十ヶ月というもの、アガルタに代表されるスタンディング・クラップを監修無しに提供し続けるなど、一度はエフ・ジー・オーを信じた目利きたちを侮辱し、愚弄し続けてきた! アーリー・アダプターは同時にアーリー・リーバーでもある! 最もコアな層が最初に見限り、彼らが醸成していた熱気に寄せられていただけの、本質の見えぬスカム・バグどもが、いつの間にか消えていた熱にようよう気がついて最後に離れる、その過程がソー・コールド、ブームの正体なのだ! 正直なところ、復刻、復刻、クソアガルタ、クソ水着二部、そして復刻の流れ(言い忘れたが、原作を知らないセラフは素晴らしかった)の中で、日々エイ・ピーを惰性的に消費することへ嫌気がさし、もう二部を待たなくてもいいかなと思いはじめていたところだった!

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! オイ、剣豪七番勝負すげーおもしれーよ! 物語的に役割を終え、二次創作的にも消費され尽くした盾女が出てこないのもすげー好感度高い! 何よりかつてのギャルゲー、テキストゲーを丹念に読む手触りを想起させるのが素晴らしい! まだ最後までクリアしていないので、俺様の実存と御言葉を求めてやまぬ貴様らを置き去りにしてプレイに戻るが、最後に予言しておく!

 次作、カイロ・レンは母を殺せないことでライト・サイドへ立ち返り、レイはその強大なフォースゆえにダース・ベイダーと化すであろう! 万人を鏖殺(FGOの影響だ!)し、何人の反撃も受けつけぬ暴力を得たとして、貴様はそれを行使しないほど強い倫理や信仰を持つことができるのか? エピソード1~6がアナキンの物語であったように、レイは新しいサーガの主人公となるために、出自の知れぬままダークサイドへ堕ちるしかない。

 市井の小鳥猊下であった。センキュー、センキュー!

ゲーム「FGO第1.5部第2章」感想

 6章、7章、終章、新宿と来て、この内容で大丈夫と判断したクオリティ・コントロールの甘さにびっくり。たぶん2章、4章を書いたのと同じ人だと思うんですけど、すいません、もはやドラゴンボールのチャオズ的存在に成り果ててますので、この辺で置いていくべきではないでしょうか。

 血の通わない、実感に乏しい語彙を並べるだけの、腐臭放つ壊死したテキスト群。ハンターハンターの最新刊を読んだ直後なので、余計に鼻についたのかもしれませんけれど。もし関係者の目に届くならば、どうかお伝え下さい。この内容を許容することは、FGOの終わりの始まりであると。

 終章で姿を消す重要人物へするニガーの言及に、ガワだけ同じ後輩キャラもどきがする「てめーは俺をおこらせた」発言、FGOを愛する真摯なファンがその瞬間ライターへ感じた気持ちをこの上なく的確に代弁しており、アガルタの女のメタ・アンチ・クライマックス。

ゲーム「FGO第1部第6章」感想

 じつはさー、ちょくちょくフェイト・ゴーやってんだよね。ケイタイの、課金するやつ。え、以前ちいさい画面でするゲームは死ね、滅びろ、みたいなこと言ってませんでしたか、だって? バカヤロウ! それはロスにサラウンド完備のシアターを併設した大邸宅を持つところの小鳥猊下将軍様のことであって、その分霊たる俺様には何の関係もないことはない!

 で、どうしてフェイト・ゴーはじめたかってえと、かつてnWoにトップ画像を寄贈したことのある、十数年前に一度オフ会であっただけのソウルメイト、カルメン伊藤女史がすごい楽しそうにツッターイ・ウォンカムラオで語っているのを偶然見たからなのであった。ネットで影響力を持つインフルエンサーに弱いエクス・アルファブロガーの俺様は、たちまち流行りに飛びついたというわけさ! サンキュー・フォー・アスナ・イトー!

 そのフェイト・ゴーってアプリ、スーファミ時代のRPGの戦闘だけに特化したみたいな作りで、懐かしい感じもあってダラダラ続けてたワケ。でさ、このゲーム章立てになってて、ふた月にいっぺんくらい新しいストーリーが配信されんの。導入部こそ引きこまれたものの、まあずっと安定してつまらなくないこともないわけ。んで、こないだ第6章だったかが追加されて、ちんちんさわった手で画面に恥垢の指紋つけながらプレイしはじめたのよ。そしたらさ、一時間後くらいかな、アルコール不織布で画面をぬぐって、居住まいを正しながら石鹸で洗った指先でプレイするゴスロリ少女がそこにいたわけよ。

 第6章を担当したっていうエッグプラント・ファンガスだけど、人類に共通する高い普遍性を語ることができる稀有の人材なのよ。その普遍性が一部の世界文学しか持ち得ない域に達しているにも関わらず、エロゲーやらスマホアプリやらに惜しみなく廃棄していく様子は、かつてテキストサイトなる廃文院に至高の世界文学を廃棄し続けた小鳥猊下を重ねあわせちゃうね。例えるならエッグプラント・ファンガスは、昆虫食専門のフードファイターみたいなもので、彼が食べるとき、ゴキブリさえも視聴者の目には極上の飴細工と映ずるぐらいなの。んでさ、技工だけじゃなくって、恐ろしい量の昆虫を食べることだってできちゃう。なのにさ、ジャンルそのもののニッチ/ゲテモノぶりが、彼を老若男女が視聴するメジャーのスターダムから否応に遠ざけてるんだよね。同じ界隈にいたエンプティ・アビス・ブラックは、無垢な存在のサクリファイス、汚濁が清浄に変換する一瞬のカタルシスという一芸のみで、メジャーの舞台から声がかかるようになったじゃん。なんで多芸のエッグプラント・ファンガスがマイナーの小屋に留められているのか、ボクには不思議でならないよ!

 え、ユア・ネイム・ピリオドで現在メジャーのスターダムを駆け上がっているシンカイ=サンは何に例えることができるかだって?

 それをボクに聞くのかよ! すでに評価が確立している高級店しか扱わず、おまけにひどいクチャラーなのに、食べ物を口に入れた瞬間に無難で適切なコメントを吐き出すことができるから重宝されているグルメ・レポーターという位置づけに決まってるだろ! あんなのと比較させるなよ! ボクだけが理解できる、エッグプラント・ファンガスの高潔が汚れるだろ!

 もうッ、また罵倒芸になっちゃったじゃないの! アタシに聞くのが悪いんだからね!

ゲーム「FGO第2部第4章」感想

 fgo第2部4章、私の観測範囲では無音に近い。nWoの更新もそうだが、あまりに完成度が高いものは、ときに圧倒的な沈黙を招くことがある。忘れた頃にやってくるこのハイクオリティの本編こそが、ゲーム部分では惰性のエー・ピー消化と化したエフジーオーを続ける唯一と言っていい理由だ。

 今回は登場するすべての人物に血肉が通っており、歴史上の有名軍師におたくのガワをかけてネットスラングをしゃべらせるだけの、中身の無い昆虫みたいな突貫工事のキャラ立てとは天と地ほどの違いである。もしかすると、「不自然なほどすべてのキャラが書き手から平等に愛されている感」に瑕疵を感じる向きもあろうが、私は諸手を上げての全肯定である。

 この4章、第2部の他と比べてあまりにレベルが違いすぎて、例えるなら「100m走で9秒台をマークしたと思ったら、優勝者のタイムは2秒だった」ぐらいの感じさえある。この違いがわからない君には、特段エフジーオーをプレイする理由はなかろう。確かに手クセっぽいところはあるし、「強大な敵への対処は、いつも屁理屈を屁理屈で上書きするトンチ合戦と化す」や「ただの人間でも体術や拳法を極めれば、魔獣や英霊をも凌駕できる」といった「あー、ハイハイ、またコレね」と言いたくなる展開を食傷とみなす向きもあるかもしれない。でも、好き! 好き! 大好き! これらの要素はいわば贔屓の定食屋を贔屓にする理由、焼きすぎる魚のコゲや、少しだけ辛すぎる漬物と同じ性質のものだからだ。

 緻密なストーリー構成を、過不足の無い文章と挑戦的な修辞表現が編み上げていく。終盤の展開に至っては、二転三転、四転五転と、読み手の予想をハイペースに裏切り続ける。しかしその裏切りは、確かな技術に支えられているがゆえに、裏切らんを目的とした凡百の物語とは異なった快楽を与えてくれる。そして、ブラヴォと言うべきだろう、彼の物語に通底する人間賛歌の美しい音階が確かに響いている、聞こえてくる。

 われわれ凡人が凡人のまま世界の救済に寄与できること、凡人が世界の残酷さに切り取ったわずかな時間の積み重なりが、時に愛されただれかに人類を存続させる究極の仕事をさせるということ。歴史に名を刻む英雄はひとりでは立たず、永久に名も知られぬ無数の人々がその背中を支えているのだ。基礎研究とノーベル賞は悪い例えだが、それは私たちの世界の実相を喝破していると言えるだろう。

 以前も述べた気がするが、惜しむらくはこの高い普遍性が、スマホアプリで体験するフィクションという新奇性ゆえに、彼のメッセージを受け取るべき本邦の多くの人間には不可視だという事実である。私が思い描くある種の人々は、その外殻だけで拒絶をするし、仮に目を通すに至ったところで、この物語を理解するための多すぎる前提に阻まれて、内包する高い普遍性には到達できないに違いない。

 「不出来を罪と断ずる神の輪廻」--このモチーフだけを見ても、書き手が現代という病理に対して、正面から真摯に向きあおうとしていることがわかる。第2部4章の前には、諸君の言う「虚無期間」が2週間ほどあった。イベントの実装を年単位で計画する人気スマホゲーにはあるまじき、不自然の空白である。これは、なぜだろうか。もしかすると6月1日を境として、第2部4章の公開を遅らせることを決める何かの衝撃が書き手にあり、そこから急遽、相当量の加筆や書き直しが行われたのではないかと推測する。

 ある種の人々にとっては荒唐無稽の、現実から最もかけ離れたジャンルであるにも関わらず、第2部4章は確かに時代と照射しあっており、「いま書かれなければならない」という衝動と切迫性を強く感じる。これは裏を返せば「いま読まれなければならない」という意志でもあり、この傲慢さに至ることのできる数少ないクリエイターを私は愛する。

 「世界の悲惨を前にして、芸術は無力か」という古い問いを思い出す。引きこもりが、空を見上げたっていい--彼の物語は、いつも優しさに満ちている。あらゆる一隅を照らすその暖かなまなざしが、もしかすると世界に知られない場所で、ほんとうにだれかを救ったかもしれない。

 え、この不確かな時代と四つ相撲で格闘する書き手を教えてくれませんか、やっぱ芥川賞候補者たちですかね、だと? キミね、バカも休み休みおっしゃい。そんなの、fgo第2部4章と、ランス10を読みなさいよ。

 あと、nWoも読みなさいよ。