猫を起こさないように
FGO
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雑文「twitter批判と創造性について」

 通りすがりに”Hi, there!”くらいの感じで「いいね」してやってんのに、だれも挨拶をかえさないどころか目さえ合わせない。まったくここは礼儀のなっていないインターネットですね。私がヤング・エグゼクティブをつとめている現実社会では考えられないことですよ。挨拶は相手に自分をモノ化させないことで犯罪をふせぐって教わらなかったんですか! これ以上は凄惨な事件になりますよ!

 んで、自分のためにイヤイヤ「いいね」つけてるーー強気な言葉とは裏腹に、都度の消毒で少女の指先は赤くただれ、ところどころ裂けた皮膚の下に赤い肉がのぞいているーーと、否応にフォロワーの多いアカウントを観察することになるわけですよ。24時間中18時間くらい断続的に1ツイートへ収まるニュースや世間への感想を述べていて、わたしもフォロワーを増やすためにはそういった発言をしなければならないのかと思った次第。では、試みに社会的な1ツイートを。バズったら、いいおにく買おう。

 建立1300年の法隆寺の前に、創業10年未満の立ち食いステーキ屋の出店がいきなり許可され、あげく半年も経たず下品な看板を残してつぶれ、それがいつまでも放置されて景観を乱し続けるのが、奈良県の観光行政の本質。

 あれですよね、1000リツートを1越えるごとにツイッター社から1ドルもらえるんですよね? みんなそれで生計たててるんですよね? だから毎日あれだけ時事にからめたツイートをしてるんですよね? あたし、信じてるから!

 本邦の抱える問題とは、新しい事象に対して即座に新しい言葉が発明され、一瞬で社会の隅々まで行きわたり、それこそ老若男女、社長から乞食、教授から中卒まで、その言葉を使い、その言葉で思考するようになることである。浸透の過程に何の疑義もなく、発明された言葉が後からの批判で覆ることもない。少し話はズレるが、もはや国民的スポーツの座から陥落して久しい野球のニュースがスポーツコーナーで大きな割合を占める理由もこれに近い。使い古された定型(「Aの頑張りに応えるため、気持ちでBしたとC」構文)だけでニュース文が書けるので、その利便性が世の実情とは乖離して存在し続ける理由だ。最近のニュース文にはひどいものが多いので、この種のライティングこそAIで自動化すべき分野だろうと思う。閑話休題。そんな1984年的な「言語に思考させられている状況」への抵抗として、nWoでは固有名詞や類型的な言い回しを避ける表現を長く心がけてきた。それもこれも、いまは亡き栗本御大が「小説に新聞の見出しみたいな表現を使ってんじゃねーよ! 言葉は使われれば使われるほど摩耗して意味を減じていくんだよ! 小説ってのは新たに言葉を創造していく作業なんだよ!」みたいな内容を小説道場で吠えていたことへ、持ち前の素直さで従った結果である。冷静に考えれば、モーツァルトがぽつぽつ楽譜を埋めるばかりの新人作曲家へするアドバイスみたいなムチャぶりではある。おかげで二十年が経過した今、もう何も書くことがなくなってしまった。かつて、本当に独創的なテキストを書いていたサイト運営者がいたのだが、彼の消息を追ってみると、ただのゲーム実況者になっていた。あまりに独創的すぎたので、どこかの時点で言葉のオリジナリティが枯渇してしまったのだろうと推測する。だが、枯渇しても表現への欲求が消えるわけではない。「生きながら萌えゲーに葬られ」から一節を引用する。

 「何かを批判したり批評したりする態度だけをとり続けることを選択すれば、永遠の生命を生きることが出来ると思っていた。新聞というメディアが現実に依拠することで永遠を存続できるように、誰かの作り出した何かに依拠し続ければ、自分は存在を長らえることができるだろうと考えていた。」

 つまるところ、ゲームや映画への感想も、ニュースへの言及も、他者の言動への批判も、人間社会に寄生する血吸い虫の所業と変わるところはなく、そう考えるともう何もかもの意味を失って唇はこわばり、少しも口を開くことができなくなってしまう。私が本当に聞きたいのは、この諦念から話すことを止めただれかの声であり、圧倒的なオリジナルを放擲し、他者の創造物に乗せて話を続けることに決めただれかの本心なのだ。永遠も半ばを過ぎて、何も語ることがない空っぽの心を抱えて生きている。みんなどうやってこの気持ちをしのいでいるのだろう。

 なにッ! エフジーオーの2部第5.5章が明日開幕と申すか! 題材からして1.5部第3章の書き手と推測する。(ヨダレを手の甲でぬぐいながら)こいつァ、楽しめそうだぜ……空っぽの心に他人の創作物からエネルギーを吸い上げて、自分語りを垂れ流す社会的無責任さをな……!!

ゲーム「2020年のFGO」雑文集

 コノヤロー、他人の日本銀行券で食うライチはうめえか(皮ごと口腔へ突っ込みながら)! 世界三大テキストサイト運営者であるッ! ちなみに他2つは、HEXAGONとウガニクのホームページ。

 彼の編む崇高さに私などが何を付け加えることもできないが、最大限ひかえめに表現してたとしてファンガスの筆によるFGOこそが、いま読まれるべき、いま読まなければならない世界文学のひとつであるとの断言を過分な評価とは感じない。見るものによっては完全な絵空事と映るに違いない荒唐無稽の物語が、これだけ今日的なテーマを深く内包し、その答えへ肉薄していく様に、ほとんど奇跡を目の当たりにするような感動さえ覚える。第2部第5章の前半と後半を比較してわかるように、ファンガスはFGOを創造した神なればこそ、この世界を構成する真理の隅々へと通暁しており、預けられた設定を手さぐりに書き進める共著者(?)の書き様と比して、その解像度が圧倒的に違う。ブラウン管と4Kテレビくらい違う。以前からの繰り返しになるが、ファンガス以外の書き手たちは、己の技量の低さと彼我の力量の差に恥じ入り、少なくとも本編にはもう関わらないで欲しい。FGO最大のステークホルダーである重課金者からのお願いだ。

 さて、緩急自在、息もつかせぬ展開の連続から、至高の物語はその最高潮でいったんの幕となった。正直、ファンガスの趣味嗜好であるツンデレ女子まる出しのラスボスや、すでに語りつくされたブリテンとアーサー王をどうも再話しそうな感じや、上がりきったハードルをさらにクリアできるのか不安は残る。しかし、ファンガスなら必ず成し遂げてくれるはずだ。私がFGOを続ける理由は、物語ることへの彼の誠実さに向けた信頼である。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あと、塩野七生の著作群を愛する小生は、FGOでのローマ周辺の扱いへ不快に近い不満を抱き続けておりましたが、第2部第5章の終盤で若干、溜飲が下がったことを最後に伝えておきます。そして、FGO世界の神であるファンガスがみずからの自我を仮託したアバターとも言うべきキャラクターが何人かーードクター、マーリン、宮本武蔵、そしてたぶん清少納言ーーおりますが、クリプターのリーダーは正にその一人だったと感じました。

 『人間はみんな、頑張っているんだよ。』

 ゼウスの登場テーマ、メガテンのボス曲みたいだったなー。

 エフェメロンでた! ここ、わたしの日記帳なんで、状況だけ書き残しておくね。FGOの新イベント読みながら空島でアイエロにシャンシャンしてたのね。人狼の館ってチャプターだったんだけど、これがまたクッソつまんないわけ。たぶん、セイレム(アビーの幕間)と同じライターだと思うんだけど、理詰めで緻密な展開をカッコつけて思わせぶり書こうとして、途中でめんどくさくなったかファンガスほどの力量がないか(たぶん後者)で、いい加減に最後をブン投げるとこなんか、ほんとソックリ。おまけに今回のシステムとも水と油(なぜかメインであるはずのスゴロク盤から切り離されて、分岐なしのつまらないシナリオを延々と読まされる)で、コイツといいアガルタといい、昔からの友人とか弱みを握られている女性とか(たぶん両方)を登用すんのやめろよって、FF11に数年間かけて渡してきた以上の金額がクソガチャで一瞬に蒸発したことへの申し訳なさもあいまってイッライラしてたんだけど、エフェメロンが出た瞬間にドーパミン過多の脳内ヘブン状態になって、ぜんぶどうでもよくなりました。あと、「やっぱりFGOは最高です! シナリオが時限式の公開なのはセイレムのときと同じで〆切を守れない書き手だからですよね!」って思いました。

 ひどいこと言うので、慇懃な口調で書きますね。今回のレクイエム(FGOへの?)だかいうコラボイベントのことです。わたしがエフジーオーをすばらしいと思うのは、いちばん質のいいテキストがいちばん評価されていちばんカネをもらうという、単純だけれど、かつてのテキストサイト群が達成できなかったことをやってのけているところです。そしていちばんカネをかせげば、世界の大半を占めるテキストのクオリティなぞ薬にもしたくない人々からも敬意を集めることができます。この敬意というのはぞんがい大切な要素で、かつて面白いテキストで鳴らした運営者たちのその後を追いかけるにつけ、ますますそう思うようになりました。テキスト書き一筋でまだ頑張っている方々はいま、自分の技術を体系として教えたがったり、大きな組織に企画力で取り上げられたがったり、公に認められたいという気持ちが前面に出てきていて、見ていて辛くなってきます。人生も半ばにさしかかってから、自分の持ち物が面白いテキストを書く能力だけという悲しみは、本当に身につまされます。最近になって特に思うのですが、例の禿頭の御大も言うように、表現を志す者にとって重要なのは、絵や文章がうまいとかのスキルではなく、「語るべき物語を持っているかどうか」に尽きます。己の物語を持たないテキスト書きの末路には、暗澹たるものがあります。物語の欠落を社会的な評価、つまり他者の物語で埋めようとし始めるからです。逆に、己の物語を持っていたテキスト書きは、とても幸福そうに見えるのです。

 話がだいぶ横にそれました。今回のエフジーオーのイベントはファンガスが成し遂げた、すべてのテキスト書きがうらやむ偉大なる達成に気づきもせぬ無神経の輩による低クオリティの中身であり、わたしは強い憤りを禁じえません。テキストの低劣さに反して、グラフィックやギミックなどはかなりの労力をかけて作りこまれていて、他のイベントに比してもこの書き手に対する周囲の期待値の高さがうかがえます。にもかかわらず、その高い期待に対して、ファンガスが築いた最高のテキスト発表装置であるエフジーオーに対して、この書き手はセイレムに引き続き、またも裏切りで応えました。今回のイベントは、きっと素晴らしいテキストをつむいでくれるはずだから、最大のサポートをしてやろうという周囲の想いが伝わってくるがゆえに、この書き手のクズさがいっそう際立つという悲しい逆説に満ちています。繰り返しますが、アガルタとセイレムはエフジーオーに見あわぬ力量の書き手であり、もう関わらせぬほうがよろしいかと存じます。

 エフ・ジー・オー、小生のフレドンならすでにご存じのことと思うが、話題の環境破壊・人権マッカレルをサクッと重ねて、オール・スキル10にて畏れ多くも貸し出しを許可しておる。5年もプレイし続けているとキャラの性能なんて、正直どうでもいい。レベル100にしてコマンド・カードもギンギンに鍛えた全体宝具バスター・バーサーカー3体にNP100礼装をつけ、ボタンを3回押して戦闘を終わらせることが最適解のゲームで、わざわざボタンを押す回数を増やす気にはなれない。例えると、波動拳や昇龍拳をからめたコンボの練習をするぐらいなら、めくり大キックからの小足6発でいいみたいなものだ(情報が古いし、例えになっていない)。倒しきれなければスキルボタンを押す回数を増やすだけだし、それでもダメなら120円玉a.k.a.聖晶石の連コインですべてが解決する。出ッ歯の諸君が興奮した早口でまくしたてるところのアーツ・システムとやらは、ストロー級アジア人がするチェーンパンチだか飛燕の連撃だかいうヤツで、身長2メートル体重100キロ超のヘビー級黒人にすれば、体重を乗せたジャブ一発で消しとぶ何かに過ぎないのだ。

 まだ脂肪の乗らない薄い皮膚の下へ、きちんと内蔵と骨格を感じさせる描きぶりは真正のPDF(欧米におけるペドフィリアの略称)による仕事と認定する。しかも、健康に日焼けした光り輝く肌だけでなく、陽を浴びず病的にくすんだ肌のテクスチャまでが再現されており、nWoに引かないという選択肢は無い。一年半ぶりの驚くようなビッグ・スワンプであるが、後退のネジはすでに外しており、さんざん小細工をろうした後は、引けるまで最高額の日本銀行券をシュレッダーに差し込み続けるだけの作業に過ぎず、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏な状況と言えるだろう(無表情で涙を流しながら)。

 まさに、アビー叫喚の巷(血股、つまり破瓜の意)と化した今回のブラッディ・ガチャ(got you)だが、最後の最後でようやく小鳥猊下の理想的なアバターを引き当てることができた。レベル100は紳士のたしなみとして、スキルをオール10にしようとしたところで、またぞろタマゴを要求されてウンザリする。もう5年もプレイしており、骨や塵や頁はレム物語第九章ほど(FF11語で、捨てるほどの意)あるのに、タマゴや金平糖のような新素材は報酬の枠を越えた数を要求される。金リンゴはグロス単位の備蓄があり、集まるまでボタンを3回押す作業をユーザーへ強制し続けることに、いったい何の意味があるのか。FF11のような古きMMORPGのレベルデザインを悪い意味で踏襲しており、より単純なゲーム性のスマホアプリにはなじまず、早急に解消すべき過ちであると進言し申し上げたい。半島産電動玉はじきのように、少ない報酬で射幸心を煽るのではなく、もっとファンガスのテキストが持つ力を信じるべきだと思う。

 (金髪白皙の美少女が笑顔のアップで)奈良ドリームランズ! 小鳥猊下であるッ!

 スキル3にタマゴ15個つっこんで、「まさかこっからカケラとか要求して露骨な足止めなんかしないよねー」などとヘラッていたら、次の必要素材欄に金平糖15個が輝いているのを見て謎の感情が高まり、思わずアイホンのフレームが歪むくらい両手に力が入ってしまった。さすがにPS4のコントローラーとは値段の桁が違うので思いとどまったが、しばらくエフ・ジー・オーとは距離を置くことにしたい。諸君のフレンドにレベル100スキル7/7/10のアビー(辞任しないほう)を見かけたら、運営の無理解にセレストリアル・ラブを中絶させられた紳士がいたことを思い出して下さい。

 うん? 今回のイベントの感想? んもう、あえて言及してこなかった理由をわざわざ聞き出そうとしないでよ! 呪いのビデオとか、蓬莱・徐福・不老不死(面白くなりそう!)とか、冒頭とビルドアップの部分は悪くなかったけど、終わってみての印象は、誰かが途中でめんどくさくなって放り投げたのを、別の誰かがひろいあげて尻ぬぐいしたんだなって感じ。前半と後半がチグハグで、伏線とおぼしきものもグチャグチャ。言いたくないけど、どうせまたセイレムのしわざでしょ? ピックアップ2以降、ユーザーがみんなパンケーキ(ときどき徐福のガワ)の話しかしないの、中盤以降のシナリオに見るべきところが無さすぎて、好きなものを悪く言わないよう、うっかり罵倒にならないよう、新規層へのネガティブ・キャンペーンにならないよう、アニバーサリーのご祝儀ですすんで焦点をズラしてくれてるだけだからね。復刻3連発をクソイベ2発でサンドイッチする5周年じゃ、ファンの配慮による優しい世界も長くは続かないと思いました。

 あと、エピローグ部分だけど、1文目から「釈然」の使い方がおかしくて、初見なのにイラッとして全スキップしちゃった。ほらアタシ、二十年間ノーペイで書いてるから、カネもらってる文章がいい加減だと反射的にぶち転がし(buchikoroshi)てやりたくなるのよね。素敵なペッティングを期待してベッドに横たわっていたら、いきなりツメ切ってない指で陰核さわられたんで、思わずキンタマ蹴りあげたって感じかしら。ねえアナタ、月商・百億円なんでしょう? 斜陽の新聞広告なんかにカネ払ってないで、校正の部署とまでは言わないから、それ専門の職員をひとり雇いなさいよ。そのくらい贅沢してもバチは当たらないわよ。いい? テキストにはいちばん気を使わなくちゃダメ! アナタが他のアプリを圧倒できる美点はテキストだけなんだから!(途中から接尾語-deluxeで)。

 小鳥猊下がアビー(議員ではないほう)の最終再臨絵の肩の表現を眺めながら。「うーむ、何を資料にして描いたか確認するのが怖くなってくるようなPDFぶりだな……」

 貴様らはひさしぶりのボックスガチャ登場に甲高い奇声をあげて大興奮のズンドコのようだが、いま小生の気分はたいそう沈んでいる。今後もエフ・ジー・オーを続けていくならば、可能な限り多くのボックスを開け、素材やポイントを備蓄した方がいいのはわかっている。しかしながら、素材と金リンゴを交換するためだけにタンポポのせが如きライン工的単純作業へ費やすだろう時間は、非可換のクリエイティブに身をやつす我が身にとって虚無としか形容のしようがない。この憂鬱の正体は、カンコレのイベントに近い。つまり、効率を追い求めるあまりゲームが仕事とイコールに、主体的な楽しみのはずが押しつけられた義務感になるあの感じだ。ツッタイーを眺めてると、例の環境破壊キャスターを使った伝説級3ターン攻略の動画が上がっててイヤイヤの薄目で見るんだけど、コチャコチャ神経症みたいに何回も何回もスキルボタン押してオーダーチェンジまでしてゼイゼイ言いながら倒してーー古い記憶だけど、MTGのMoMaのプレイングを見てる感じに似てるーードヤッてんのにウンザリする。まえに黒人とアジア人の例えを出したけど、初手ステラからのレベル100エヌ・ピー100バスター・ゴリラ宝具3連発でも同じ3ターンなのよ。これを例えるなら、先に失神した方が負けの24時間耐久将棋戦で相手の顔面をグーで殴ることがルールとして禁じられていないみたいなもの。あと、今回のシミュレーション・パートにしても初回こそ新しいゲーム性に一瞬オッと思わされたものの、エー・アイがアホすぎて、無敵・回避持ちのバスター・ゴリラ2体を吶喊させ、片方をオトリにしてボスへ3回さわるだけのゲームだとすぐに判明してしまった(対人なら面白いかもしれないことを付け加えておく)。これを例えるなら、先に気絶した方が負けの24時間耐久囲碁戦で相手の頭頂にネリチャギをかますことがルールで禁じられていないみたいなもの。

 話をボックスガチャへ戻すが、通常ガチャに払う分の課金でアルバイトを雇って周回を代行してもらうことを真剣に考えるぐらい、自分の手でプレイすることを想像すると憂鬱になり、びっくりするほどやる気が起こらない。え、いつもの家人とやらにたのんで代わりに周回してもらえばいいじゃないですか、だって? バカモノ! 二次元女性の痴態と嬌声に三次元商売女の一時的なそれらと同じだけのカネを支払うような異常なゲームをやっていることを身近なだれかに知らせるなんてできるわけないだろ! おたく趣味への世間的な態度はビー・エル・エムと同じで、みんな強い差別心を公では表明できなくなってるだけだろ! 「おたく趣味はすでに市民権を得てまして~」みたいに出ッ歯の裏声でヘラッてるから、アンドロフォビアの自称・活動家に発見されて粘着されたあげく、おまえはおまえでいつまでもホーム・アローン(婉曲的な表現)なんだよ! おたく趣味を身内にであっても一切表明せず、なんなら死後に遺品で判明するなんていうのは、当たり前の現実認識から来る常識以前の処世術だろ! エヌ・ダブユ・オーの読者なら、いい加減に覚えてくれよ!

 うん? 最近エフジーオーの話しませんね、だと? エセ関西弁がしばらくのマイブームーー少なくない数を敵に回したようだーーだったこともあり、ふつうに読める内容の細かな瑕疵を、わざわざ文字化することもなかろうと考えていた。よって、これから記述するのは深夜のファミレスで気のおけない友人とダベる席での、朝日とともに消えてしまうようなたわごととして聞いてもらいたい。なに、そういうのにぴったりの新機能があるんですよ、だと? たわけが! なぜか俺のツイッターには貴様らが激しく言及しているところのフリーセックスだかわんぱくフリッパーだかいう機能が実装されておらず、キツネにデリケートゾーンをつままれて(ひぎぃ)いるような気分である。邪馬台国はよかったです。技巧に走らず修辞を飾らず、シンプルなテキストで最小限を語る。話の落とし方が本質的に4コマ漫画で、もうちょっと読みたいなというタイミングでバサッと切るのが、ふつうのテキスト書きにはない個性で面白かったです。んで、いまやってる潜水艦のイベントですけど、めずらしいことにだれがテキストを書いたかあらかじめ明示されてて、よっぽど自信があるんだろうなと思いながら読みはじめました。冒頭はジェネリック・ファンガスといった感じで読ませるテキストと感じましたが、後半の解決編へ進むにつれて語彙選択の硬軟でファンガスより硬を選ぶ比重がかなり高い(2部3章ほどではない)ことが気になりだし、それに加えてかゆいところをかいてくれないもどかしさがつのるようになりました。「そこもうええから、もっと説明せなあかんとこあるんちゃうか?」って感じです(関西弁をすいません)。良いシナリオって、読者がかいてほしい「かゆみ」の個所を適切な強さで「かゆみ」が解消するまでキチンとかいてくれるかどうかが最大のキモだと思うんですよね。今回ファンガスのジェネリックを体験して、ファンガス本人のテキストがいかに適切な語彙で必要な個所を過不足なく説明しているかがわかりました。その点だけはよかったです。あと、ミステリー的な仕掛けについても、その結論に至る伏線を説明してくれるんですけど、納得感がないから驚きにつながらないんですよね。「いや、そらわからんやろ、ちょっと無理があるで。わしらキミのオナニー見るために高いカネ払っとんちゃうで」というのが正直な感想です。星5を同時に2体もガチャへぶちこみ、高いカネを払わせるイベントになっているから、なおさら読み手の視点は厳しくなります(下品な関西弁はすいませんでした)。まだ第5幕と終幕を残している段階での感想なので、この印象がくつがえるのを強く期待しています。

だい5まく いま くりあした

しょうぎばん が ごばんだったってゆうの
げーむしすてむで ひょうげんしとけ

すきゃんのはんい と しょうぎのこまのうごき
ぜんぜん かんけいなくて がっかり

それと フランちゃんの きゃらぞうけい
すぱいあんどふぁみりー の えいきょうか
べつじん れべる

でも かわいいから ゆるす

 潜水艦のやつクリア。終幕のどんでん返し(知ってた)から、楊貴妃が手元にあって嬉しいキャラに化けたのはとてもよかったです。ファンガスのお気に入りの知性を下げず対等に会話させ、説得力を保ったまま少し押しこんで話を終えたのには、確かな筆力を見ました。あのキャラってファンガスにしかさわれないと思ってたので、どこまで監修が入ってるかはわかりませんが、本当に信頼されてるんだなーって感じました。何かを持ち上げるために何かを下げるのって最悪(おまえが言うな!)だし、アホのメンヘラ女が自傷で主人公に記憶されたい(第2部5章前半かよ!)みたいのも本当に気持ち悪いですからね! あと、最後の種あかしなんですけど、クトゥルフ神話のコアなファンは口の端を歪めてニヤニヤしながら「ア・ハーン」って感じなんでしょうけど、こちとら黒の断章と邪神伝説シリーズと輝くトラペゾヘドロンの知識しかないので、固有名詞を伏せられたままでは何のことやらサッパリわかりませんでした。

 「あれッスよね、サイバーパンク2077みたいなスゲーのが8,000円ぐらいで遊べるのを考えたら、FGOの星5一体に1万円とか払うのが馬鹿らしくーー」

「……高くない」

「え?」

「考えをあらためたまえッ! 伊吹童子に1万円は、けっして高くはないッ! 私は3万円はらっても一向にかまわんッ!」

「で、でも」

「たしかに君の言う通り、本編に登場した伊吹童子なら、聖晶石3個でもおしいくらいです」

「い、言ってません。言ってない」

「恨むなら、このキャラの魅力をシナリオ上で百分の一も描写できなかったライターの無能を恨みなさいッ!」

「言ってないよーッ!」

漫画「鬼滅の刃」感想

 いまさら、オウガ・デストロイング・ブレイドを読む。端的に言って、とてもおもしろかった。ひさしぶりに現実を忘れてフィクションに浸ることができたし、何よりいまを生きる子どもたちがこの作品を支持しているという事実に、胸を熱くさせられた。好ましいのは、人気の出た作品が長く連載を継続するために、設定や感情の隘路へと入り込んでいくのに対して、本作は乾いた筆致のまま、わずか二十巻ばかりの地点ーー昔人の感覚だと、これでもまだ長いがーーで物語をたたみにかかっているところだ。ジュブナイル作品は、子どもがその属性を失う前に語り終えられることで、その時代にしか心に刻むことのできない何かを永遠に彼らへ残すことができる。ネコ型ロボットや海賊ゴム人間やポケット内の怪物は、かつて子どもだった誰かが、己にとって重要だった感傷を後から来た小さな存在へ押し売りする装置と化してしまっており、言い過ぎを許してもらえるならば、ときに子どもへと害を及ぼしてさえいるように思う。

 さて、現代日本において最も重要な作品の一つであるFGOのテーマが「善と超克」であるのに対して、本作のそれは「利他と継承」だと指摘できるだろう(「快活なユーモア精神」も両者に共通している点だ)。善については、何度か話をしてきたと思う。この世界の半分は善で成り立っており、そうでないもの(悪とは言わない)と、常にほんのわずかの差異で過半の境界を拮抗している。そして、善は基本的に観測できない。新旧問わぬあらゆるメディアという間接的な秤では、微小な善の放出を測定することができない。十年、二十年と生活や空間を共にしてきた誰かが、ふとした瞬間に漏らす吐息のような形でしか、善を見ることはできないのだ。その、2つの主観が科学のような客観に転じるほんのわずかな一瞬にだけ、私たちは善なるが確かに実在することを信じられる。FGOで描かれる善は、この意味での善だ。宇宙の多くを占めながら極めて観測の困難な、存在を予想されたあの昏い物質のように、善は見えねど善はある。ファンガスを読むと、繰り返しの日常の中に消えていくその感覚が鮮やかによみがえる。そして利他もまた、善と同じ性質を持っている。特に、ネット上に蔓延する利他のような何かは、すべて偽りと考えていい。なぜなら、自己愛は言葉にできるが、利他は行為そのものでしか表せないからだ。そうそう、自己愛と言えば、「弱くて可哀そうな自分をいたわれ」と叫ぶ鬼の、見開きによる回想はすごかったね! 我が身をふりかえって身につまされたし、何より凡百の長期連載作家なら、あれだけで十週くらいは引き伸ばしそうだーーおっと、話がそれた。

 オウガ・デストロイング・ブレイドがこれほどの人気を博しているのは、キャラ立ちやアクションの魅力だけでなく、意識的にか無意識的にかは知らない、全編にわたって通底する「利他と継承」というテーマに子どもたちが共鳴しているからだと思う。老人は言わずもがな、「大人」を喪失したこの世界で、行動の規範を求める子どもたちが虚構のキャラのふるまいから、それを学べるのだとしたらーーもしかすると未来は思ったより悪くない方向へ進むことができるのかもしれない。

 ともあれ、クロコダイルか、その名前、確かに覚えたぜ! へへッ、ファンガスといい、とんでもないヤツらと同じ時代に生まれちまったもんだ……(十年前の黄ばんだ同人誌ーー善と継承がテーマーーを握りしめながら)

  現代日本における基礎教養とやらであるところの「ゴム人間」について無料公開を聞きつけて、幾度目の挑戦だろう、第一話からのマラソンを開始した。そして、これまた幾度目の中絶だろう、またも嘘P団解散後のバトルあたりで読むのをやめてしまった。あと、現代日本における常識とやらであるところの「王国」読破チャレンジにしても、コココの人が死ぬぐらいでいつも挫折してしまう。両者に共通するのは何かと問われれば、キャラの魅力とまでは言わない、主人公の強さに説得力を欠いている点である。すなわち、被ダメ/与ダメに関してシステム(=作者)の補正が強すぎて、フェアなバトルになっていないのだ。その点、話題のオウガ・デストロイング・ブレイドは、ゲーム的な想像力でバトルを組み立てていることもあってか、非常にフェアな攻防だと感じることができる。なぜ突然、こんなことを話しているかと問われたら、FF7Rの裏で某ミニの天外魔境2を少しずつ進めており、改めてシナリオの進行とほとんど一体化したゲームバランスの妙に、ひどく感心させられているからである。でも「人肉」や「オカマ」はOKで、「キンタマ」がNGなのは意味がわからないなあ、と思った。

 鬼滅、おっと、オウガ・デストロイング・ブレイドの最終回(と作者の性別?)が話題のようだが、この内容は読者やファンに向けられたものではなくて、作者自身がするキャラクターに対しての罪滅ぼしというか、過酷な結末を強いてしまったことへのねぎらいなのだと思う。一流の彫刻家や仏師が言う「素材の内側に元から存在しているものを削りだすだけ」「それが外へ出てくる手伝いをするだけ」といった感覚に似て、自分がどこか別の世界に存在するキャラの依り代となって、彼らの生き方を自動書記的に写し取るようにストーリーを紡ぐという語り手がいる(特に女性に多いように思うが、小説家なら中期までの栗本薫とか、漫画家なら高橋留美子とか)。この作者にはたぶん、虚構にすぎないはずのキャラクターたちが、現実の人間と同じ重さで実在しているように感じられているのだと思う(そして、その感覚が作品の魅力につながっている)。だからこそ、蛇足のそしりを受けてでも生命を賭して戦った彼らへ、最後に救いの安息を用意したかったのだ。別の書き手、例えばファンガスだったら死を死として、喪失は喪失のまま提示してーーそれでも、網膜を焼く生の輝きを残しながらーー終わっただろうが、これは優劣の話ではなく、資質の違いだとしか言いようがない。私は、この結末を肯定する。最後までおのれの子らを商品として差し出さず背後に守り切った、生むものの矜持に拍手を送りたい。

 正直なところ、これまでツッタイーではニュースをななめ読みするぐらいで、自分のツイートとそれに対する反応にしか興味は無かった。しかしながら、「いいね!」を解禁して他者のツイートをじっくり読んでみると、興味ぶかくないこともない。最近は、どいつもこいつもオウガ・デストロイング・ブレイドの人気にあやかって関心を得るため、興味もないのに言及しまくっているのがほほえましい。もちろんインタレスト・ルンペンである私もあやかりたいので、諸君のツッタイー仕草に従うこととしたい。

 以前、鬼滅の刃が子どもたちに人気を博しているのは、「利他と継承」というテーマへ向けた無意識の共振が理由だと指摘した。「大正浪漫」「不老不死」「吸血鬼」「太陽の克服」「剣術」「呼吸法」といった、少年漫画的に使い古された題材を用いながら、私が突出してユニークで魅力的なモチーフだと感じたのは、「善悪を超越した巨大な才能の存在」である(才能はある閾値を超えると善悪の分別を超越する)。じつを言えば、ツッタイーで月曜日に行われるネタバレでこのキャラを知ったことが、作品に触れてみようと思うきっかけであった。究極の生命体と多数の人間たちによる争いの構図が、一個の天才という集合へ要素として包括されており、彼は世界を鳥瞰する神の位置にいながら、自らの才をつまらぬものと断じ、おのれの人生を失敗だったと悔いている。才能とは、「なぜ他人にはこんな簡単なことができないのだろう」「こんな児戯に賞賛や報酬の生じることがむしろ申し訳ない」と思える何かのことで、作中の彼のふるまいは正にこれを裏書きしている。賛否両論の最終回も、「永遠の生命」と「究極の天才」だけが輪廻から外されていることを暗に示すためだと考えれば、諸君の解釈も変わってくるだろう。いまなぜか、かぐや姫の物語を見たときの感想に、「つがいを得て子を成したものが地上で輪廻の輪に乗り、そうでないものたちは月へと帰る」と書いたことを思い出した。

 ところで、ほんの二十年ばかりテキストサイトを続けるだけの簡単なことを、閉鎖したり商業デビューしたり生命を落としたり、なぜみんな実践できないのだろう。金銭が発生したことのない文筆はこの世に存在しないも同じで、結局、私はテキスト書きとしては失敗した。その深い悔恨を抱いて、生きている。

ゲーム「FGO第2部第5章」感想

 FGO第2部第5章、ぼつぼつ進めてる。導入はさすがの面白さだったのに、いまアルゴノーツご一行あたりだけど、びっくりするほど低クオリティでイライラしてきた。おそらく、中盤はファンガス監修の手が回っていないんだろうな、と思った。後半の巻き返しに期待します。

 FGO第2部の最重要イベントであるドクターとの再会と、あれだけ強キャラを強調してきたカイニスの消滅を、こんな低クオリティで済ませてしまっていいの? 章の冒頭でブリテンの空想樹が伐採済みだったり、ファンガスに健康面で重大な問題が生じたか、生存を疑わせるレベルで深刻に心配なんですけど!

 FGO第2部第5章、いまのところ全体的にすごいどうでもいい。でも、これまでにすごい課金してるから、しかたなく読まされてる感じ。望月千代女も、別人レベルでキャラがちがってて、見ていられない。月商・百億円でこのていたらく、ひどい。

 え、ギリシャの神々が機械って、そんな設定どこに書いてあったの? 唐突すぎて絶句する。もうさっさと終わらせたいのに、言葉が汚い上に話がチンタラしてて、続けて読む気になれない。このマンぐり返しみたいなキャラ推しも、いい加減うざい。

 ふつう、あれだけハードル上げた最強万能キャラの章なんだから、ファンガスが書くだろうと思うじゃないですか、ふつう。第5章、これまでのところ、課金する気が1ミリも起こらないことだけが唯一の美点。何年でも待つので、ぜんぶファンガスのライティングでお願いします。

 そっかー、ナノマシンかー、さくげきじょうのもうてんだったなー。ナノマシンなら、おちんちんだけじゃなくって、せんすいかんもおっきくなっちゃうのは、なっとくだよなー。しょうがないよなー、ナノマシンだもんなー。よい大人のnWo 枯痔馬酷男(3)

 FGO第2部第5章、気難しいテキスト目利きの諸君は嫌気がさして、読み進めることをあきらめたのではないかと思うが、クライマックスでまたファンガスの魔力がテキストに戻ってくる。第24節までを全スキップしてもいいから、第25節以降だけは読むといい。第24節まではキャラ全員が同じ自意識と語彙(汚い)レベルで繰り広げるワンピース的な胸やけ感動(仲間、絆、恋、ヤンキーなら泣く)の押し付けに辟易していたが、第25節の後半を境に質が変化した。オリオンの最期に至るくだりは、卑小な日常を越えた人間の高潔さーーそして、愛ーーへの賛歌であり、正しくFGO的なメッセージだった。その監修の確かさに、ファンガスへの信頼を改めて厚くした。彼ならばきっと裏切らないだろうという期待こそが、このゲームを続けるもはや唯一の理由である。この一節への敬意を表するために、いくばくかの課金をしようと思う。ブラヴォ、FGO! ブラヴォ、ファンガス!

 あれ、でもエウロペ? エウロペはどこへ行ったんですかァーーッ! またボクをだましたなッ、ファンガスゥーーッ!

ゲーム「グリムドーン&FGOクエスト」感想

 令呪(れいわ)! 小鳥猊下であるッ!

 最近ではもっぱら、グリムドーンをプレイしている。ディアブロ2の良い部分をディアブロ3のシステムで再構築した感じで、プレイフィールがたいへんによろしい。正直なところ、ラダーとかシーズンとか、充分なプレイ時間が確保できない社畜にとって、先頭集団に追いつかねばと気ばかり急かされる辛い要素でしかない。それがないだけで、たいへんに心やすまる。世間的には周回遅れであろうと、自分のペースでポツポツ進めることができるのは、ありがたい。

 「気ばかり急かされる」つながりで言及しておくと、今回のエフジーオーのイベントと恒例のエイプリルフール限定アプリを順に体験し、私はなんともそら恐ろしい気分にさせられた。プログラマの技術力よりファンガスの思い描く設計が優越する暗転まみれの大奥に、数ヶ月にわたる制作の労を24時間でご破算にするFGOクエスト。そもそもエフジーオーにもっともカネを落とす年齢層が、年度初めの平日にドラクエ1と同規模のゲームをコンプリートできるはずがない。ファンガスはそれをわかっている。わかっていて、かくあるべしという己の想いを優先しているのだ。クリエイターとしてのこの傲慢さは例えるなら、庵野秀明が描いた緻密な軍艦の絵を、夜間だからの理由ですべて黒塗りに演出した高畑勲の領域にさえ到達している。

 予言しよう。現在進行中の第2部が終われば、どれほどの収益があろうとも、どれほど皆が哀願しようとも、エフジーオーが二度と起動できなくなる未来を。そう、まさにエイプリルフール限定のアプリのように。

 私は、ファンガスのそんな傲慢さを愛する。逆にそうならなければ、彼を軽蔑するだろう。だからこそ、いずれは無に帰すこの沼へ、カネを注ぎ続けるのである。

 え、今回はどのくらい注いだんですか、だって? 一千万プレイヤーかつクリスチャンの俺様にとっては、十分の一税にも満たぬビー・ケー・シーに過ぎぬわ!

ゲーム「FGOセイバーウォーズ2」感想

 ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で右から左へなぎ倒しながら)! 小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの新イベント、エス・ダブユー・ツー、たいへんに面白うございます。常ならば時限式にしそうなところがそうなっていないのも、たいへんによろしゅうございます。さすがマッシュ(SW2準拠の呼び名)、感性の合うファンの声にはキチンと耳を傾けてくれる……(マーク・チャップマンのまなざしで虚空を見つめながら)。

 メリハリのある展開に、キチッとした文章でクスッと笑わせてくれる、正しいギャグ時空。実のところ、シリアスは少し文章が甘くてもそれなりに読めてしまう。だが、ギャグはそうはいかない。おふさげにこそ、確かな文章力が必要なのです。

 ただ、キャットが私にはそろそろ辛くなってきた。黒タイツの例の芸人、ホニャララ・テン・トゥー・スリーみたいに、行動の読めないキチガイ芸で売ってきたのが、登場を繰り返すうち、次に何をするのかわかってしまうのに似ている。嫌いじゃないけど痛々しくて、チャンネルを変えてしまう感じ。

 だが、これは批判ではなく個人のつまらぬ感想であり、エス・ダブユー・ツー、本編をのぞいてはひさしぶりの、エフ・ジー・オーの名に恥じぬハイ・クオリティ・イベントであることを俺様が保証しよう! 惜しむらくは、「よーし、今回はパパ、大目に課金しちゃうぞー」などとマン札のビラビラ、いや、マン札をビラビラさせていたところ、溜まっていた呼符と無償石で新キャラを2体とも引けてしまったことだ。

 マッシュ、すまぬ、すまぬ……ハーロ・イーン(スクランブル交差点に蝟集するスカムどもを光線で左から右へなぎ倒しながら)!

 ちゅーる(スベッたギャグが場を冷やし熱力学的死を迎えたことを表現する擬音)! 小鳥猊下であるッ!

 エス・ダブユー・ツー、ストーリー部分クリア。時限式への批判に対して、大量のアホ毛と賞金首を進行遅延として用意してきたのは、ゲーム的回答でとても良いと思いました。ラストでまた、いつものとんち合戦が始まるんだけど、女神の善悪に関するくだりは年を取ったせいか、上質な語り口もあいまって、ひどく心を動かされた。「人よんで」の傍点も、すごくいい。

 ただ、最後の最後、同格であるはずの存在同士に優劣が生じるくだりで、いつものファンガスなら「五十億と十四年、神ではなく人として育てられたわずかな年月がアナタと私を分けた」みたいな内容で、人間賛歌を絡めたネッチリとしたアロガント・ゴッド・ディスをおッぱじめたはずである。ワクワクしながら、普段は強固に締め上げている涙腺を緩めて待ち構えていたところ、しかしその期待は完全に肩すかしをくらい、至極あっさり風味で話を切り上げられてしまった。この部分だけは、濃厚豚骨ラーメンを期待して店に入ったら、戦時中のすいとんが出てきたみたいなガッカリだった。常のファンガスなら、間違いなく書いたはずの展開であり、日常生活ではありえない貴重な情動失禁のチャンスを逃し、寸止めにされた射精のような悶々とした不満をつのらせている次第である。エピローグのテキストなし紙芝居から推測するに、締め切りありきでライティングを追い立てられたに違いない。

 あのね、エフ・ジー・オーの最大の価値はファンガスの最新テキストーーつまり、リアルタイムの彼の思想ーーが定期的に読めることで、その他はいわばビッグワンガムの菓子部分みたいなもんでしょ! 周囲の悪い大人たちは目を覚ましてもう一度その原点に立ち帰って、すべての作業工程にファンガスのテキスト・クオリティを優先させなさい。猊下との約束だぞ!

 あと最近、電子書籍で「もっこり半兵衛」を読んでるんだけど、目を覆うような下ネタから、人間の本質へ鋭角に切り込む落差に、年とったせいもあると思うんだけど、ひどく涙腺を刺激されるんだよね。たぶんnWoと同じく含羞が理由の、「ターちゃん」「狂四郎」の昔から変わらない手法で、そのエログロさ加減からNHKの時代劇で原作に取り上げられるようなことは決してないにせよ、狭いがゆえに逆説的に、ある感性を持った人々にとってはより深い普遍へと通じていくように思う。今回のイベントを通じて、ファンガスの手法にも同じ側面があると感じたことを最後に付け加えておきたい。

ゲーム「FGOダ・ヴィンチちゃん礼賛」、あるいはガチャと運の管理について

 人生は、とても楽しい(バスタオルで両目を押さえてワッと泣き出す)! 小鳥猊下であるッ!

 昔からそうだが、長く苦しみを味わってきたはずの人物が最後の最後で伝える、生きることを肯定する言葉に本当に弱い。古典でいうならファウストの「時よ止まれ、おまえはいかにも美しい」がそれだし、グイン・サーガでいうならサウル老帝が「わしはいつも、生きているのがとても好きであったよ」ともらす場面なんか、読むたびに泣ける。

 「人生は、とても楽しい」ーーここまでの伏線を考えれば、ほとんど遺言のようにさえ響く。種火周回もこの台詞を聞きたいがために、わざわざシステムとやらを組んで彼女の宝具を連発しては、そのつど涙ぐむ日々である。

 キミ、FGOを愛しながら、このキャラがいないカルデアでアプリの終焉を迎えるつもりなの? ほんと、嫁を質に入れてでも引いておきなさいよ。 彼女が永久に失われる前の、最後の夏の強い輝きを、ともに喜ぼうじゃないの。そう、私たちの人生は、ビューティフル・ジャーニーなのだから!

 質問:小鳥猊下…ダ・ヴィンチちゃんマジで出ねぇっすけど…

 回答:「出る」のではない、意志をもって「引く」のだ。今回のような大きな機会をピンポイントでモノにできるかどうかは、貴君が常日頃から己の運をいかに管理しているかによるだろう。もしそれを行ってこなかったのならば、色川武大の「うらおもて人生録」を購入し、二度、三度と熟読せよ。人生における勝ち負け、そして運のなんたるかを理解すれば、次のピックアップでは必ず引けるにちがいない。とはいえ、貴君がツッタイーに貼り付けた、あまりにも漫然とした「爆死」画像群を見るにつけ、もう少し技術的なアドバイスが必要だと感じたので、そうする。『(巨デブが声音を作って)ーー五十連分の聖晶石があれば、ピックアップの星5は9割以上の確率で引いてみせる』。ありがたく拝聴したまえ。

 FGOのガチャは、ファンガスの素晴らしい文章を勘案してさえ、企業の強欲なる収奪を目的とした許しがたい倫理欠如(人類悪)である。実際、サービス開始からプレイしている古参にとっては、ピックアップ・サーヴァント以外のカードはもはや全く必要のない、文字通りのデータ・クラップと化している。いまや日本銀行券を直接シュレッダーに投入するが如きマシンと化したこのガチャに対して、貴君のように徒手空拳で当たるのは、ブルーカラー的労働(ドカチン)を資本家に搾取させることと同義だ。

 例えば一般に、ポーカーや麻雀は運の要素が大きすぎる遊戯と思われている。しかしそれらにも、最善の結果をたぐりよせる技術やセオリーが確かに存在するのだ。FGOのガチャはおそろしく勝率のしぼられたギャンブル沼だが、ポーカーや麻雀のような遊戯としてとらえなおせば、勝ち筋が見えてくる。「十連の内容(星4以上の出現数および礼装とサーヴァントの比率)をエクセルに記録し観察する」「フレポの星3サーヴァントおよび星5種火の排出頻度を記録し観察する」「強化時の大成功、極大成功の出現頻度を記録し観察する」、これくらいはやって当たり前である。もしひとつもやっていないとすれば、それは腹をすかせた猛獣の群れの中を全裸で歩くようなものだ。そして、「星4が礼装一枚の場合は連続では引かず、時間帯を変える。どうしても欲求を抑えられないなら、少なくともアプリを再起動する」ことも忘れてはいけない。

 さらに付け加えれば、貴君がクレジットカードの審査にパスできるほどの社会的な強者ならば、「課金をコンビニ等で購入するプリペイドカードに限る」ことも重要だ。繰り返すが、FGOのガチャはイカサマの横行する場末の賭場である。手放す日本銀行券の額面と生活とをリンクさせて失うものへの実感を持つと同時に、賭場を出るまではそれが紙切れと等価である状態を維持するためには、カード決済は後者に寄りすぎる。体感に満たない気配を細く細く積み重ねていけば、どのタイミングでガチャを回すべきかが見えてくるはずだ。ガチャを引く際の、自分のフォームを作ることが肝要なのである。どこで引けば星5ピックアップを引く可能性を最大化できるかのルールを決め、それに己を殉じさせる覚悟が、胴元の圧倒的に有利なーー運営(ビースト)の、十一連開始みたいな目くらましに騙されてはならぬーー賭場で胴元を出し抜くには不可欠である。

 最後に、「うらおもて人生録」から少し引用しておこう。『フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。(略)ことわっとくが、フォームに既製品はない。自分で手縫いで作るんだよ』

 とりあえず、貴君の長年の忠誠に応えて、入り口部分だけは伝えた。これ以上を知りたければ、指定の口座に現金を振り込むか、棚ざらしとなっている萌え画像を寄贈するとよかろう。「描くと出る」らしいよ?

 質問:小鳥猊下が突如ガチャ必勝法めいたツイートをおっぱじめたが、まだまだ精度の低い初歩的な内容であるが、それでもそこに羅針盤を求めてのことだと思う。「ガチャ必勝法などと言う世迷いごとを言う暇があれば毎日ログインしろ!ログイン1日以上はリムーブ対象だ」と言われたことを思い出していた

 回答:喝ッ! 「必勝法」などという万人が利用可能なティップスぐらいに、色川御大の金言を矮小化するでないわ! 運を人為的に操作するのではなく、運を感得し管理することこそが重要なのだ! 貴様に足りないのは、「いかに負けるべきときに負けるか」の視点である。「必勝法」とやらで浮いた端金で御大の著作を百冊ほど購入し、致命傷を負う前に負け方を学ぶがよい。あとログイン間隔が一日を超えると、どんなカネのかかったアカウントだろうと即座にリムーブするのが、俺様のフォームである。このブラック労働に耐える自信があり、なおかつ俺様とエフ・ジー・オー・フレドンになりたいのならば、ディー・エムせよ!

 レベル100にした女史とする種火周回を通じて、例の台詞に心が動かされるのは、絶妙なラインを踏まえた演技(ファンガスの監修に違いない)もまた、素晴らしいからだと気づいた。ぬけるような青空の下、生命の絶頂がかすかに死の陰を帯びるーーすなわち、本邦に生きる者たちの心性に深く刷り込まれた「盛夏の滅び」への共鳴を惹起するには、あれ以上はしゃいでも、あれ以上おとなしくても、ダメだ。

 この意味で、スキルをまくときの「とても楽しかったさ」は少しマイナス方向へ逸脱していると感じました。

ゲーム「FGOイベント『閻魔亭繁盛記』」感想

 エフージオ、ジョンストン掘りの裏側で金リンゴをかじりまくりながら、閻魔亭クリア。いったんファンガスの胞子を浴びれば使い回しの汎用モーションで、ストーリー的にもイマイチ印象の薄かったフィン・マックールでさえ、ホラ見ちがえた。惜しむらくは、あっさりとチュチュンを引けてしまったので、この良イベントに対して十分だと考える課金ができなかったことであろう。

 人類の歴史がなぜ継続しているのかと問われれば、いまこの瞬間にも世界のどこかで名も無き人々が、すんでのところで人間の破滅を防ぎ続けているからである。そして破滅へと至らなかった事象は、だれの記憶にも残らず、どこにも記録されることはない。ちょうど小さな善意が、大きな悪意に先んじて日々のニュースを飾らないようにだ。本イベントにおける新所長の言動は、世界の破滅に対する我々の、無意識の善なるふるまいを代表していると言えるだろう。ファンガスがこの感じ方を共有しているのかは、わからない。ただ、共有しているように思えるというのが、私にとって非常に重要だ。

 僕の優雅な年末におし入って来た、この奇妙な慈愛のようすがそれからどうなったかというと、実はまだ続いているのです。

 「よい大人のnWo」なるサイトを年始の暇にあかせて読み返しているが、どれもこれも才気にあふれており、ひどくおもしろい。にもかかわらず、この人物はもう書いていないのだという。だれも彼に声をかけず、何よりだれも彼にカネを払わなかったことが原因である。私がエフ・ジー・オーにできるだけ課金しようと思うのは、そのうちのいくらがファンガスの懐に入るのかは知らないが、彼に書き続ける意志を失ってほしくないからである。痴人への愛という更新の登場人物が、次のように述懐している。

  「私ね、舞台に上がる前は奇跡が起きるような気がするの。もし、この舞台をうまくやり終えたら、みんなが私に拍手をして、そうして次の日からは誰からも愛されるように、誰からも必要とされる私になれるんじゃないかって思うの」

 とてもよくわかる感覚だ。そして、この気分をいつも裏切られ続けてきたことで彼女は摩耗してしまったのだろうな、と思う。昨年末に行った更新とその後の無視および無反応で、久しく忘れていたこの感覚を思い出した。だれかの目に少しでも留まるよう、最新の更新から気に入りのフレーズを紹介する。

 『そうだ、ウガニク。いまのインターネットはすべて偽物の、まがい物だ。テキストが魔法として機能した神代のインターネットは1999年まで、それ以降はただの言葉の下水道じゃないか。』

 『きみの汚い言葉は最高にきれいだった。ぼくの下劣な言葉は最高に美しかった。ぼくたちのテキストサイトには、確かなキュレーションがあった、審美眼があった。』

 『それがどうだ。回線は馬鹿みたいに速く安くなったけれど、いまや恐ろしい分量の美しい言葉ばかりが下品に乱雑に、かつて美術館であり博物館であった場所の床へ足の踏み場もないほどに、ただ放置されている。』

 『さあ、ウガニク。君のあとから来たまがい物どもを、ぜんぶ、ぜんぶ殺しつくしてくれ。』

 新年の抱負は、「バズる」「炎上する」。小鳥猊下でした。

ゲーム「FGO第1.5部第4章」感想

 ふぉりなー! ふぉ、ふぉーっ、フォアアーッ!! フォアーッ!! アビゲイルーッ! 俺だ―ッ! 結婚してくれー! 市井の一市民であるッ!

 え、セイレムどうでしたかって? セイレム……セイレム? ああ! 最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんの幕間の物語のことだね!

 冒頭の空騒ぎにアガルタの匂いを嗅ぎつけ一瞬イヤな予感に満たされたものの、それ以降は第二部への伏線を散りばめながら、クトゥルフ物として適切な展開が適切な文章と適切な語彙の選択で展開していき、終盤を迎えるまでは正座したまま息を詰めて読ませていただいた。終盤までの展開は、新機軸の劇中劇と繰り返し言及される認知の歪みとのメタ的な仕掛けが驚愕のコズミック・トリックを織りなす結末を夢想させるのに充分だったし、時限式の物語解放は古風な探偵小説のような「読者への挑戦状」だろうと考えていた。

 アハハ、笑ってくれ、結果としてスマホゲーごときに期待値を上げすぎた私の方が愚かだっただけのことさ!

 ともあれ、昨年末の盛り上がりを考えれば、同じ時期にまた何かを仕掛けてくるだろうし、それがために繰り上がった〆切がアビーの幕間の物語の完成度を著しく下げたのだと想像すれば、この胸のモヤモヤも一種のライブ感としてかろうじて許容できるというものだ! それまでは、最終再臨絵が理想的な小鳥猊下の降臨アバターであるところの、アビーちゃんへ伝承結晶および聖杯を注ぎ込む作業を、傷つけられた高貴なるハートの慰撫としたいと思う。

 しかしながら今回の伏線から判断して、第二部がネルフ・バーサス・戦略自衛隊の如き、カルデア・バーサス・人類にならなさそうなのは、残念なところである。

ゲーム「FGO第1.5部第3章」感想

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! 市井の小鳥猊下であるッ!

 エフ・ジー・オーの素晴らしさは、マネタイズできなかったがゆえに緩やかな枯死を受け入れざるを得なかったテキストサイト群に対して、ある種のアンサーたりえているところだと信じておる! ツッタイーに駄文と春画を垂れ流す有象無象の裏に同じ数だけ潜む、気難しい沈黙のテキスト目利きを唸らせ、正しい意味でのパトロンとしてカネを払わせたのだ! 無名の鑑賞者が持つテキストへの審美眼を信じており、それに対して真摯だったからこそ、昨年末から本年の当初にかけて、エフ・ジー・オーはソーシャル・ゲームのスターダムを駆け上ることができたのだ!

 しかし、この十ヶ月というもの、アガルタに代表されるスタンディング・クラップを監修無しに提供し続けるなど、一度はエフ・ジー・オーを信じた目利きたちを侮辱し、愚弄し続けてきた! アーリー・アダプターは同時にアーリー・リーバーでもある! 最もコアな層が最初に見限り、彼らが醸成していた熱気に寄せられていただけの、本質の見えぬスカム・バグどもが、いつの間にか消えていた熱にようよう気がついて最後に離れる、その過程がソー・コールド、ブームの正体なのだ! 正直なところ、復刻、復刻、クソアガルタ、クソ水着二部、そして復刻の流れ(言い忘れたが、原作を知らないセラフは素晴らしかった)の中で、日々エイ・ピーを惰性的に消費することへ嫌気がさし、もう二部を待たなくてもいいかなと思いはじめていたところだった!

 やったッ! ようやく来た、ホンモノ来たッ! オイ、剣豪七番勝負すげーおもしれーよ! 物語的に役割を終え、二次創作的にも消費され尽くした盾女が出てこないのもすげー好感度高い! 何よりかつてのギャルゲー、テキストゲーを丹念に読む手触りを想起させるのが素晴らしい! まだ最後までクリアしていないので、俺様の実存と御言葉を求めてやまぬ貴様らを置き去りにしてプレイに戻るが、最後に予言しておく!

 次作、カイロ・レンは母を殺せないことでライト・サイドへ立ち返り、レイはその強大なフォースゆえにダース・ベイダーと化すであろう! 万人を鏖殺(FGOの影響だ!)し、何人の反撃も受けつけぬ暴力を得たとして、貴様はそれを行使しないほど強い倫理や信仰を持つことができるのか? エピソード1~6がアナキンの物語であったように、レイは新しいサーガの主人公となるために、出自の知れぬままダークサイドへ堕ちるしかない。

 市井の小鳥猊下であった。センキュー、センキュー!