猫を起こさないように
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ゲーム「FGO奏章III:アーキタイプ・インセプション」感想

 FGO奏章III:アーキタイプ・インセプションの後編を読了。ファンガスと制作陣のハワイ慰安旅行がルルハワへと化けたように、我々の課金をふんだんに使用したドバイへのお大尽ツアーが今回の水着イベントへと結晶したのだろう現実に微苦笑していたら、物語はいつのまにか奏章に変じたかと思えば、急激に加速しながらグングンと上昇してゆき、ついにはブルジュ・ハリファをはるかしのぐ高い位置にまで到達していました。エジソンやバーソロミューという、記号でしか内面を造形できない他ライターによるトップクラスに「悪い見本」である死にキャラたちを、彼らの生き方へと優しくよりそうことで見事に再生してみせた手腕は、ファンガスにしかできないと信じさせてくれるものです。「ビーストを見逃したことが、結果として人類を救う」展開は、指輪物語における「ゴラムを殺さなかったビルボの慈悲が、長い年月をへだてて、すんでのところで世界の破滅をふせぐ」の変奏になっていて、もうそうなることは半ば以上わかっていながら、いざその場面をむかえる段になると、「ずるいよー!」などと言いながら、泣き笑いに嗚咽するハメになるのでした。BBドバイなんて、ふざけた名前の過去資源再利用キャラに向けた小さな嫌悪感からはじまった旅路が、他ならぬ彼女の「あれだけがんばってるんだから、まちがうに決まってるじゃないですか!」という直球のセリフーークリプターのリーダーが言う「人間はみんな、がんばっているんだよ」に呼応しているーーにガツンとやられて、号泣させられるところへまでたどりつくとは、「稀代のストーリーテラー」という称号に恥じぬ書き手であることを、再確認した気持ちになっております。

 ファンガスの作家として特異な点を挙げるならば、「英霊システム」という、おそらくファミコンを「ピコピコ」と吐き捨て、蔑視の対象としていた我々のひとつ上の世代にとって、完全に理解の範疇外にある荒唐無稽の狭小な設定を用いながら、あらゆる人間に通用する高い普遍性を描いていることでしょう。「なぜかわからないが、泣いてしまう」という評は、弱き者たちへ向ける優しいまなざしと、意図せず大きな責任をあずけられた者が見せる気高いふるまいに、その理由の一端があると考えています。名も無き人々が粛々と生活を積みあげた先で、時に選ばれただれかが名をあたえられ、人類を救う仕事をするーーふだんの生活では決してたどりつかない、「世界のために善行をなしたい」という巨大な感情を自覚させられ、登場人物たちのそれに強く共鳴することによって、涙が流れるのにちがいありません。これは推測にすぎませんが、奏章IIIは過去の持ちキャラを動かしていくうちに、昨今における人工知能の急速な発展に対する思考と強い化学反応が起きてしまい、作者のつもりを越えて「書かされてしまった」物語なのではないでしょうか。ストーリー全体を通じて、あまりにFGOという作品の、もっと言えばファンガスという作家の集大成的な内容になっていて、ここまで世界の秘密を語り尽くした上で第2部の終章をどうするのか、外野ながら心配になるほどです。

 そして、人間を人間たらしめているのは、同時代を生きる他者とつながるための「仕事」であり、「仕事」の本質とは、後世と後生にたくす「継承」であるーー半世紀を創作にのみ捧げてきた人物が、なんのてらいもなくこれを正面から言えることに、わたしは軽い驚きを禁じえません。ゲームアプリという一過性の娯楽に、彼/彼女の才能が費やされていることを嘆く声もあるようですが、いったいなにを読んでいるのだろうと不思議に思います。FGOがなければ、ファンガスの生涯テキスト生産量は現状の10分の1にも満たないでしょうし、このような高潔の思索へと至ることはなかったと断言できます。創作のみで口を糊していける幸運な方々の予後は、あまりよろしくないというのが個人的な観察で、虚構排出を人間の営為の最上に置いてみたり、作品を通じて特殊な政治信条をたれながしはじめたり、”既存のものではない”宗教的な考えにとりつかれだしたり、人生のどこかで世界との接続が曲がるか外れるかして、深く静かにくるっていく。ファンガスの実像がどうなのかはおくとして、書かれているものにそれらの「濁り」が寸毫も、一文たりとも混入しないのは、じつのところ、すさまじい克己によるバランシングなのです。

 今回、死者の訪れなくなった冥界を比喩として、「終わらない物語」「終わろうとしない物語」「終わったことに気づかない物語」の”醜さ”に対する嫌悪感をあらわにした彼/彼女が今後、「終われない物語」となってしまったFGOアプリをどのように定義していくかは、非常に気になります。キリシュタリア・ヴォーダイムの名前が、作中で美しく想起されるのは、彼がFGOという進行形の物語において、ほとんど唯一「終わることをゆるされた存在」だからであると指摘できるでしょう。きわめて重要な奏章IIIが時限イベントにとどまり、結果として主人公の記憶からさえ抹消されてしまうのは、経済と大人の理屈で「死を喪失して」存続していかざるをえなくなったゲームアプリが、「美しく終わることもできたこと」を我々に覚えていておいてほしいからであるような気がしてなりません(蛇足ながら、「喪失の美しさ」と「生き続けることの汚さ」は、我々の心性に歴史がエンベッドした潔癖な倫理感であるやもしれず、そうなれば「英霊システム」の”英霊”も、異なった意味あいをもってひびいてきます)。

 奏章IIIにおいて語られた、いくつもの印象的なエピソード群のうち、個人的にもっとも大きな感銘を受けたのは、エジソンの冥界通信に関する挿話でした。亡くなった妻と話をしたいという欲望は、「死んでから、はじめて大切だったことに気づく」のではなく、ある種の人々にとっての「死んだあとでしか、大切にならない」という宿業、つまりは人外の冷徹さを描いているのではないかと、我が身に引きよせて感じられたからです。BBドバイへと仮託されたファンガスの悲鳴は、「生きているものを、生きているうちに愛したい」という、オタクたちの祈りにも似た願いなのかもしれません。

ゲーム「原神5章・ナタ編」感想(少しFGO)

 原神の第5章である「ナタ編」を実装部分までクリア。「戦争が恒常化した国家」とのふれこみから、ジューに対するナチの所業が、歴史の宿痾として残穢するミドルイーストの被虐殺国ーー不謹慎を承知で言えば、スターウォーズ4を持ちだすまでもなく、大衆向けフィクションは「反乱軍視点」を好むためーーが舞台になるだろうと予想していたのですが、フィールド音楽がライオンキングのテーマをモロにアレしている点からもわかるように、アフリカ・モチーフだったのには拍子抜けしました。キリンヤガの映像化を25年待ち続け、ぢじゅちゅ廻銭の連載より20年も早くムンドゥングゥ(呪術師)が主人公の小説を書いたアフリカ通にとって、評価のまなざしは、いきおい厳しいものにならざるをえません。うがった見方ながら、ロシア相当であるファデュイの悪魔化が薄まってきていることとあいまって、中華の経済政策とリンクした舞台チョイスになっているような気がしてきております。まずフィールド部分について言えば、フォンテーヌ編で導入された水中操作は大きなインパクトを与えましたが、ナタ編はここまでのところ既存エリアのギミックを集積させただけになっていて、新奇さの演出に成功しているとは言えません。特に、恐竜へとモーフィングすることで追加されるアクションの一部が、他のエリアならプレイヤーがふつうにできる行動と重なっているため、不便さの方を強く印象づけてしまっています。フィールドのサイズもフォンテーヌより、さらにコンパクトになっており、「狭いエリアでギミックの密度を高める」方向の調整がなされていて、スメールにあった「広大さに由来する冒険感」はかなり薄まってしまっています(まあ、あっちはちょっと広すぎましたが……)。

 また、しばらくぶりに世界レベルの上限が解放され、プレイヤーの強さはすえおきのまま、敵のレベルだけが10ほども上昇し、反射神経の衰えた世代による「帰宅後の酩酊プレイ」は、いよいよ厳しいものとなってきました。さらに地方伝説をふくめ、「元素パズル」や「純粋アクション」な高難度チャレンジが追加されているのですが、「ターゲットロック」「ローリング」「防御」「パリィ」がすべて”存在しない”原神において、一撃で3万超あるHPを蒸発させるボスの攻撃には、「気がくるってる」以外の表現は思いつきません(初回アップデート前のエルデンリングDLCで、大盾もローリングも使えないボス戦を想像してみましょう)。原神の戦闘は、上記のアクション群がない代わりに「元素爆発」なる必殺技の無敵時間を使って敵の攻撃を回避する仕組みなのですが、これに加えて超必ゲージにあたる「元素エネルギー」の蓄積を阻害するオーラを一部のボスがまとうという、きわめてストレスフルなギミックを導入してきました。RPGというジャンルの欠かざる美点は、「レベリングでプレイヤースキルの拙劣さを緩和できる」ことであると、ゲーム制作者のみなさまにはくりかえしお伝えすると同時に、原神プレイヤーの9割が求めていないことが過去のアンケートでも明らかな、高難度の緩和施策をホヨバに強く求めるものです。個人的に、格闘ゲームへ嫌気がさしてプレイしなくなったときと似た感覚があり、このままではちょっとまずいような気がします。開発チームのみなさまにおかれましては、先進国のチーズ・カウではなく、ゲームにはじめてふれる「アフリカの子ども」を念頭においた調整をお願いし申し上げます。

 ここまで、さんざんゲーム部分の文句を言ってきましたが、ストーリー・パートはあいも変わらぬハイクオリティを維持しており、中華フィクションの真髄および真骨頂は、世界的な超ヒットとなった三体の例をとりだすまでもなく、「気の遠くなるような長い時間」のあつかい方であることを再確認しました。ナタの炎神であるマーヴィカは「赤髪ライダースーツのお姉さん」であり、開いた胸元にはじまる前面のチャックが股関に向けて伸びてゆく、昨今のポリコレ潮流をガン無視したギンギンにセクシャルな造形ながら、彼女を形づくる内面には毛ほどもチーズ・カウ的な劣情を混入させないのは、原神や同社の崩スタの大きな特徴だと言えるでしょう。今回はストーリーの初期から、炎神とのコミュニケーションを深める機会が幾度も設けられており、自然と「TINTINスタンディングの状態から、その魂の高潔さに触れて、崇敬の念に膝を折る」気持ちにさせられるのです(マーヴィカが実装されたあかつきには、雷電将軍と同じだけの課金をしようと固く心に決めました)。また、ナタにおける部族たちの時間感覚は「過去・現在・未来がひとつながりの糸(未来からのホットライン!)」のようになっていて、「個人のふるまいに対する集団の記憶が、長い時間をかけて英雄を形づくる」という仕組みは、非常に考えさせられるものがあります。エス・エヌ・エスでは「いま、この瞬間」だけが常にフォーカスされ、個人の感情を微細にドぎつく言語化してゆく一方で、ロングタームでの集団の記憶は形づくられにくくなり、人々に行動の規範を示して皆の精神を鼓舞するような「古名」は、出現をさまたげられてしまうのかもしれません。

 そして、ナタ地方においては「モノに宿る記憶と精神」が現実へ物理的な影響をおよぼす描写があり、これは重要な伏線になるだろうと予想しています。炎神の孤独と責任の旅路を慰撫すべく、建築物か美術品へと託された「500年前に妹が残した、姉へのメッセージ」がどう描かれるのか、いまから楽しみで仕方ありません。「人間であった時期があるから、私はこの世界を愛おしく、守る価値のあるものだと信じることができる」という彼女の言葉は、現代の孤独な王たちの倦み疲れた心を癒すものではあるでしょう。「王になる」とは、個人であることを捨てて、計画やシステムそのものと同化することに他なりません。夜中に自室で「だれかがここで、やらねばならぬ」とつぶやいた言葉が、ふいに呼び水となって号泣するような、元より少ない仲間をさらに失った就職アイスエイジ・エラのマネジメント層にとって、炎神マーヴィカのふるまいは、まるで血を分けた同志のように感じられることでしょう。最後に別作品の話をしますが、FGO奏章IIIの中編における、箱男の文化的対偶であるところの盾女が叫ぶ、「いえ! わたしひとりで、やるのです!」という決意の言葉は、ファンガスその人がFGOのライティングへ向けた宣言のようにも聞こえて、ひどく胸をうたれました。あなたとはちがう世界に生きていて、組織の規模も養うべき人間の数も、きっとケタ違いなのでしょうけれど、わたしもここで、ひとりでやってみせます。

雑文「FUNGUS, HOYOBA and FGO(近況報告2024.7.25)」

 ホヨバ幹部とファンガスの対談記事を読む。崩壊サード(未プレイ)ローンチ時の反省をふまえて、ブレワイの影響下と揶揄されがちな原神に、英雄伝説のフォロワーと言われやすいスターレイルと、じっくりていねいに新規IPを育ててゆき、それらの世界市場におけるプレゼンスが充分に先人たちの実績を凌駕したことを何度も指さし確認してから、かつて好きだった作品や作家へ最大級のレスペクトをもって、コラボやイベントへの登壇(田中芳樹!)をおずおずと依頼するーーこの態度は、以前にも「本邦のエンタメ業界にとって、真の脅威である」と指摘した「謙虚で内省的な、かしこい中華人民」そのものだと言えるでしょう。本対談におけるファンガスのホヨバ作品へ向けた分析には、さすがにするどいものがありましたが、「ライターたちへ、もう心やすまる日々は訪れないとお伝えください」など、ウエメセの先輩風を接待ーーくれぐれもハニトラには注意して! ファンガスの性癖である「昼は聖女で、夜は娼婦」を体現する美人コスプレイヤーを当てがわれますよ!ーーで気持ちよく言わせてもらっている、小鼻の広がってる感がただよっており、完全に他業種の他人事ながら、エロゲー時代からのいちオタクとしてはどうにも忸怩たるものがありました。

 ここ10年近く、FGOからの課金でホヨバ以上の収益を得ていた時期がありながら、古くさい前時代のアプリを1ミリも刷新せず、新聞広告やリアルイベントに加えて、昔からのファンしかプレイしないような低クオリティの派生作品やリメイクの乱発に稼ぎを浪費しつづけ、たった5年ほどで作品クオリティと収益の両面において、完全にホヨバへ追いぬかれてしまった。本家の屋敷を粛々と増改築することに専念すべきだったのに、門外に安普請のバラックを何棟も立て続けたあげく、そのほとんどがすでに住む人もなく倒壊している事実を見れば、学生あがりの同人サークルからアップデートされていない組織風土と、ほとばしる情熱と分析的な視点をかねそなえた企業体との違いを、痛いほどに実感せざるをえません。学生ノリとは、この祭りは必ずいつか「終わる」ことを無意識のうちに内在化した、都の大路で銭をまきながらねり歩くような、瞬間のハレに特化した狂熱に他なりません。一方でホヨバの姿勢は、いつまでも祭りを「終わらせない」ために、神輿のメンテナンスや担ぎ手の健康管理という圧倒的なケを粛々と引き受けつづける、「祭りの外から祭りを見つめる者」であることを徹底しています。

 ファンガスのふるまいはその好対照になっていて、彼/彼女は神輿の上から民衆の狂乱をあおりたてる半裸の巫女であり、その死が祭りの終わりとわかちがたくイコールになってしまっている(もしかするとこれは、本邦のフィクション全般に当てはまるのかもしれません)。FGOがホヨバの作品群にかろうじて対抗できる要素は「巫女の託宣」、すなわちファンガスの筆のみであり、第2部終章へと向けた年単位の牛歩戦術がくりひろげられている現在、それすらもあやしいものとなってきています。原神やスターレイルのクオリティでFGOのキャラが実装されていく世界線も、我々がもっともふんだんに課金をしていた時期に有能なフィクサーがいれば、充分にありえたことを過去の後悔としていだくのと同じ強さで、めずらしく純粋に国籍と人種の観点から、ファンガス個人を応援したい気分もあります。彼/彼女がこの対談で高らかにうたいあげた「美しいものを書きたい」という宣言は、他のすべてのひねくれた見方をふきとばして、強く心に響きました。なんとなれば、小鳥猊下はnWo開設から25年を経てなお、この場末のテキスト墓場で、「美しいものを書きたい」という気持ちを失ってはいないからです。

 そして、ここからが重要なのですが、ファンガスの幽閉先である「さいはての塔」で行われたホヨバ幹部との交流を、「国家間の機密」とまで表現したことからわかるように、いよいよFGOは第3部からホヨバ謹製の原神規模アプリとして新生することが、確定的に明らかになったと言えるでしょう。サーバントの引き継ぎに関してはオレも動く。抗議デモだよ。はっきり言ってオレが声をかければ、元テキストサイト運営者の半数以上は動くだろう。皇帝、四天王、10傑(オレ含む)、3本柱などの超一流だ。なによりも強いのは、全員ツイッターでのデモをブッとおしで何日も可能なことだ。リアルでの予定が……なんてヤツは一人もいない。サーバント引き継ぎなしとかふざけんなよ。馬鹿ばかなの? 死ぬの? そもそも大量に課金しないと強くなれない仕様にしたのは型月だろう? 型月にはサーバント引き継ぎをする社会的責任があるはず。なんだよ星5キャラ1枚の天井が6万円で5枚引きの宝具最強を強要って、しまいにはコンテンツ参加にはクラス縛り。普通の企業なら優良な客には特典つけるのが常識(iTunesカードとか最たる例)。ちょっと顔なじみのエロゲー作家に話つけてくるわ。

雑文「SHINEVA, STARRAIL and FGO(近況報告2024.5.20)」

 Qアンノによる「エヴァの続編」発言が、弊タイムラインをゆるい便のごとく垂れ流れてくるのを目にし、ひさしぶりに心の底の底までがしんとする、あの冷たい怒りを思いだす。これは確認するまでもなく、会社経営だけを念頭においた初老男性によるマウス・サービスa.k.a.ブロウ・ジョブa.k.a.フェラーティオウであり、自らが殺めて山に埋めたキャラクターたちの遺体を、嬉々として掘りおこしにいくがごときサイコパスな言動は、目にするたびに背筋へゾッとしたものが走ります。アルコールへ肉抜きで耽溺し続けることに起因する前頭葉の萎縮および加齢による健忘の影響でしょうが、またぞろ「エヴァをガンダムのようなプロダクトに」へ類する妄言もとびだしているようで、手づから稀代のサイファイに凡庸な私小説を上書きして抹殺した現実は、先ほどすませたばかりの昼食を再び息子(非実在)の嫁にせがむ老父がごとく、まったく記憶からは消えてしまっているようです。2013年までに新劇を完結させ、2014年というエヴァにとってのアニバーサリー・イヤーで別監督によるGガンダム方向の完全新作を発表するーーそんな絵図も序破の段階では確実に存在したと思いますが、東日本大震災の影響でひりだした駄作をファッション鬱のせいにする、いつもの逃亡癖(例のセリフ)ですべて台無しのご破算にしたのは、他ならぬ監督ご自身じゃないですか! 新規プロジェクトを始めるにあたり、まったく同じ内容とクオリティを準備できたとして、「この瞬間しかない」という決定的なリリースの時宜があるのは、マネジメントのご同輩には痛いほどおわかりのことでしょう。いったんそれを逃してしまえば、どれほど手元にあるプランの質を高めようともいっさい無駄であり、のちにふり返るとすべてを捨てることがもっとも有効な損切りだったとわかるのです。「もしかすると、ワンチャン生きてるかも?」と、東日本大震災の犠牲になったキャラクターたちの埋葬塚を掘りかえしたときの遺骸は、どういう状態でしたか? グズグズに腐敗がすすんでいて、もはや原形すらとどめていなかったでしょうに! もうだれも、社長以外は時宜を逃したコンテンツにさわりたくないだろうし、会社の健全な成長を考えるなら、空白の14年(笑)とやらの映像をパチンコ新台の確定演出に細々と提供し続けるのが、現在のエヴァンゲリオンの”格”にもっともみあった展開だと、場末のコンサルから進言し申し上げておきます。

 さて、けったくそ悪い義務感からする感情労働はこのくらいにしておいて、口なおしに崩壊スターレイル第3章後編の話でもしましょうか。最近ではマトモな虚構を体験したければ、40代以降を対象とした低品質な続編とリメイクの跋扈する列島より、半島や大陸の新規IPをファースト・チョイスにするのが、テッパンで間違いのない世界線に我々は生きていますからね! 内容的には、「ライトノベル」とラベルが貼られる以前の古いジュブナイル小説の朗読を聞くような感覚であり、ゲームとして遊べる部分は極少で、昔の食玩についていたガムほどもありません。「ホタルよ…生きるために死ぬのだと」の場面に涙腺を刺激され、おんおん泣きながらストーリーを読み進めるのですが、カヲル君の声をした黒幕がその精神世界において「私が目指すのは、週休2日でも3日でもない……週休7日の世界だ!」と宣言するあたりから、だんだん雲ゆきがあやしくなってきます。ラストバトルでは、唐突にROUGH(ラフ)の大将軍が大艦隊を引きつれてやってきて、「しゃあっ! シンクン・ソード!」と必殺技をくりだしたのには、「いや、背後の軍艦やのうて、オマエが撃つんかい!」と思わずツッコんでしまいました。その後のエピローグでは、退場したはずのアベンチュリンが文脈ゼロでシレッと復活しており、ここまで影も形もなかったトパーズが「あのう、こんな状態ですが、カンパニーとピノコニーの調停って、できますか?」とおずおず申しでるのに、ROUGH(ラフ)の大将軍は「はい! 一生懸命お願いすれば、以前より関係を強くできますよ!」などとニコニコ笑いながら、無根拠に安請けあいする始末。きわめつけに白々しいスタッフロールが流れだし、思わず「なんじゃこりゃ? シンエヴァか?」と虚構に向ける最大限の侮蔑が口からほとばしりでたところで、「貴方はいつのまにか、都合のいい夢にすべり落ちてしまった……分岐点はいくつかあるけど、どこだと思う?」と驚愕の解決編が始まったのです! 読み手の思惑と感情を縦横にあやつるその手腕に、思わずコントローラーを額へと当てて謝罪しましたよ、「シンエヴァなんてひどいこと言って、ごめんなさい」って。まあ、花火たんの「相互破壊確証ボタン」とホタルたんの「3度目の死」が伏線として回収されていないような気はしますが、他ならぬホヨバのことですから、次の惑星(江戸星?)へワープする前の幕間でスッキリと解決されることでしょう(この信頼を抱けるかが、スタジオ・カラーとの大きな違いです)。

 あと、ひさしぶりにFGOへも言及しておきますと、「魔法使いの夜」のコラボイベントは、とてもよかったです。ミステリ要素のあるこのくらい規模の中編が、もしかするとファンガスにとってのホームグラウンドなのかもしれません。「売れなかったアイドルと、たったひとりのファン」という、文芸小説にでもなりそうなテーマを世界の破滅へまで持っていくのは、彼/彼女にしかできない剛腕だといつも感心させられてしまいます。物語フレームそのものはいわゆる「セカイ系」なのに、弱き者たちを描く解像度の高さとだれも裁かない慈愛のまなざしがあるために、よくよく考えればひどく荒唐無稽な内容にもかかわらず、大文字の文学として成立しているのが、他の追随をゆるさないファンガスのスペシャルな持ち味で、それは創作の最初期から数十年を通じて一貫しており、少しもブレていない。多くの者が長い歳月のうちに、思想信条など「生身からの浸潤」によって初期動機を変節していく中で、そのメトロノームのような「ブレなさ」は広く周囲を見回しても、小鳥猊下ぐらいしか他の実例が思いつきません。肝心かなめの第2部ストーリー本体は、引きのばしと設定の建て増しでひどい状態ですが、今回のように100%ファンガスの筆による上質な小品がときどきは読めるのなら、細々と追いかけていこうという気にさせられます(ガベッジしか排泄、いや排出されないガチャのひどさは、どこかで改善してほしいところですが……)。じつを言うと、PC版「魔法使いの夜」をプレイしたことがあり、内容自体はほとんど忘れてしまっている一方で、終盤の展開とビジュアルが完全にエヴァ序のフォロワーになっていて、微笑ましく感じたのだけはおぼえております。ファンガスからエヴァ破以降のクラップa.k.a.タワーリング・シットに言及があるのを見たことはありませんので、きっと私と同じ気持ちでいるのだろうと、一方的なシンパシーを抱いておる次第です。主人公格の拳児っぽい男子がミンチにされるスプラッタ描写を読んで、しばらくぶりに「もっともアナーキーだった頃のエロゲー」がまとっていた香気ーー鼻腔の奥からする鉄錆びのにおいーーをかぎ、ひどくなつかしい気分にさせられたことも、あわせてお伝えしておきます。

 しかしながら、2002年開設ーー忘備録として、nWoは1999年開設ーーというテキストサイト界の新参者であるバンブー・ブルーム・ダイアリーに、続編へ設定を先送りにすることをほのめかす記述を発見し、「おまえ、もしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」と真顔になりました。前作が12年前であることを勘案すれば、あと2作ぐらいでファンガスの健康寿命は尽きる計算になりますが、長年の持ちネタであるところの「まだ何か重大な秘密や、明かされていない設定があることの”におわせ”」はそろそろやめて、ランス10のいさぎよさを見習って、カタツキ世界をたたみにかかる人生の季節じゃないですかね! 中年期は身体への負債をまとめて支払う時期で、若い頃の無茶がたたって突然に死んだとして、なんの不思議もありませんよ! 仮にそうなったとしても、銭ゲバどもは「故人の遺志を継ぐため……」とか神妙な顔でショウ・マスト・ゴー・オンするのでしょうが、私はアナタ以外の書いた続きなんて、ぜったいに読みませんからね!

ゲーム「FGO『白天の城、黒夜の城』」感想

 聖杯戦線の最新イベントをクリア。このコンテンツ、盤面でキャラの性能差を表現できない以上、どうひっくり返したってシミュレーションゲームにはならないのに、「難易度が無駄に高い上に、コンティニュー不可能」という、FGOの中でもかなりキライな部類のコンテンツでした。それが今回は、「コンティニューありのイージーモードで、物語にスパイスをきかせる程度のSLGゴッコ」にとどまっていて、本邦の課金ゲーム最有翼としてホヨバの世界的調整ーー人種、年齢、性別、学歴など、プレイヤーの属性が何であれ、数回の試行で必ずクリアできるーーからようやく学びを得たなと感じました。しかしながら、最終戦だけはまごうことなきタワーリング・シットであり、指さし確認してターン終了したのに、ランダム無限リポップの敵がマスターの隣に出現し、3回連続でなぐられて敗北となったときは、しばらくぶりに心の底からの絶叫がほとばしりでました(遠くから近づいてくるサイレンの音)。ストーリー展開もひさしぶりにFGOらしいもので、「敵サイドの際限なきインフレーション」と「絶望的な状況から起こす奇跡の大逆転」が魅力的な筆致で描かれています。

 また、「王とは何であるか」の語りも、無印Fateからずっと引き継がれてきたテーマだと思いますが、己の人生の変遷もふまえた上で、非常に考えさせられる内容でした。「王の決断は、いつも最善になってしまう」というフレーズがまさにそれで、「トップの発した言葉が検証を経ないまま即座に組織の隅々まで浸透し、部下たちがその実現へ向けてフルスロットルで動きだす」という光景は、その集団に属さない人間にとっては恐怖でしかないでしょう。上に立つ者の決断を「最善にする」のは、常にナンバー2以下の仕事であり、調子のいいときの組織は現実そのものさえ変容させていきますが、いざジリ貧になってくると現実を描写する情報の方が曲がっていくのです。「トップの孤独と、セカンドの地獄」という言葉は、どんな人間集団にも当てはまるものなのかもしれません(余談ながら、大企業にとってナンバー1のすげかえは「社長の代がわり」にすぎないのかもしれませんが、中小企業にとってのそれは「古代における王の死」と同じ重さを持ちます)。

 「王の器」というのは確かに存在していて、それは能力の多寡といっさい関係がなく、品位や魅力さえ実体に比べれば添え物にすぎません。「王佐の才」は人工的に作りだすーー最高学府の就職先に、外資系コンサル会社がズラリーーことができますが、「王の器」はただただ出現するのを待つしかない。「王の器」とは、あらゆる人間集団に必要な「決断する機構」のことであり、その作家人生を鳥瞰するにつけ、奇跡的に思想と物語のバランスが取れていた頃の作品である「銀英伝」に青春を汚染された者たちは、「最良の君主制と最悪の民主制があったとして、我々はいつも後者を選ぶ」という態度を美徳のように語りますが、いったん管理側に回れば、どんなに民主的な組織にも「決断する王」が必要なことは、骨身で理解できるでしょう。今回のイベントにおける「王の決断は、”必ず”最善になってしまう」という言い様はけだし名言であり、当人の抱く恐怖と裏腹に、世界のクロノロジカルな「再試行不可能性」によって、その実現性は常に担保されていくのです。

 一介のライターにすぎない人物が、この真実を知っているのは驚くべきことだし、もしかすると10年近いFGOの運営を通じて、組織が拡大するにつれて食わせねばならない人間の数が増えていく事実に、以前までの書生的かつ観念的な「王の話をしよう」ではない、他ならぬ「王の自覚」が身内に芽生えたゆえなのかもしれません。これこそ、私がファンガスを最果ての塔に閉じこめておけと念ずる理由であり、もし彼/彼女がSNSなどやっていようものなら、「会社経営と有名税つらいお。あの頃のいちオタクに戻りたいお」みたいなツイートに雨散霧消しただろう愚痴が、本イベントにおいて極上の物語へと変換されたのは、「王の孤独」を身にまとったからではないでしょうか。SNSにアカウントを持っている作家のことごとくを信用できないし、彼らの著作を手にとろうとも思わない理由は、まさにこの一点です。それにしても、この至高の物語変換装置が私の脳にもそなわっていればな……という愚痴ツイートによる、物語原型の雨散霧消で終わります。

雑文「STARRAIL SENSATION(近況報告2023.10.26)」

 崩壊スターレイル、PS5版の登場による実装分を最後までクリア。以前、「西洋のSFは空間の横軸的な広がりを志向するのに対して、東洋のSFは時間の縦軸的な経過を志向する」と指摘しましたけど、新キャラの専用イベントを通じて、その確信はますます強まりました。さらに、ファンガスの記述するFGOが「生命の一回性を通じて、人間讃歌をうたう」一方で、崩スタは一貫して「不死は呪いである」と繰り返すことで「定命である尊さ」を逆説的に浮きあがらせることに成功しているのです。メインストーリー部分では現在、ロシアと中国をモチーフにした2つの惑星が実装されていて、中華人民とその歴史を魅力的に語るーー皮肉ではないーー段階をようやく終えて、今回は3つ目の惑星へと旅立つまでの幕間が描かれたのですが、いまを生きる人々が読むべき緊張感をはらんだ内容となっています。幹部たちが2つ名で呼びあうカンパニーなるアメリカ(の企業体)相当の組織が登場し、先祖の残した数百年前の借金をカタにロシアへ主権を売りわたすよう詰めより、その代わりに極寒の大地をテラフォーミングでかつての温暖な気候に変えてやると迫る。若い君主が国体の維持と国民の幸福を天秤にかけられて苦悩する中、日本人・中国人・ドイツ人・異星人から構成される「列車組」ーー武力介入しまくるので、国連というよりは「沈黙の艦隊」的な存在ーーが両者の調停に立ちあがる……どうです、そこの未プレイ組のアナタ、読みたくなってきたでしょ?

 パッと見は、美少女・美青年を美麗に彫刻する超絶3Dモデルの「萌えゲー」なのに、ほんの一皮をめくれば現代の世相に対して、かなりハードに接近した物語になっている。そして、すべての組織のメンツをつぶさないまま、「絶対悪」を想定しない解決を語りきる手腕は、もう脱帽という他ありません。まさに、ホヨバの企業理念である”Tecn Otakus Save the World.”を、絵空事ではなく実践してやるんだという気概が、ビンビンに伝わってくるのです。かつて栗本薫が好んで使った「飢えた子どもの前で、文学は有効なのか?」という問いに、彼らは「少なくとも、私たちは有効だと信じている」と歯を食いしばりながら答えるだろうと信じさせてくれる。この、創作物を用いて現実と真正面から対峙する「意気と視点の高さ」は近年、界隈において見つけるのが難しくなってしまったものでもあります。そして、これだけ今日的に重要な課題に取り組んでいるにも関わらず、崩スタにせよ、原神にせよ、本邦において批評的な言説の俎上にのぼるどころか、ほとんど感想をさえ見かけません。今回の幕間劇は、「どれだけキレイごとをならべても、最後の解決は暴力によって行われる」という矛盾、すなわちJRPGというシステムの宿痾に対して、アンサーを与えるべく苦心しているようにも見えるし、かつてのエロゲー全盛期に存在した「傍流に一流が集結する」、あの梁山泊的な熱気が吹きあがっていて、現在進行形で追いかけるべきゲームであることを、強く感じさせてくれます。

 古いオタクたちは、16bitセンセーションなる「初老男性の懐古的な自分語り」を目的とした昭和の談話室に引きこもるのはやめて、令和の不愉快な黒船である崩壊スターレイルをこそプレイするべきだと、ここに断言しておきましょう。ゲイカ、あっちのアニメの制作者インタビューにもイヤイヤ目を通しましたけど、どうしたらあの本編からこの内容が出てくるんだという感じの、コンサルそっくりの語り口になっていて、「いやー、豪華なパワポやねえ」というのが、商材の実際を見てしまった者のいつわらざる感想でした。「どんなガラクタでも売ってみせますよ」というのは、居酒屋で放言する個人の自負としてはけっこうなことですが、企業としては魅力的な製品を作っていただくことが、まずもって先決ではないでしょうか、知らんけど。その点、ホヨバさんの商品はどれもこれも生地と縫製がしっかりした(て)はるわー。今後も贔屓にさせてもらいますさかい、あんじょうよろしゅうお願いします。

ゲーム「FGOサバフェス2023」感想

 サバフェス2023の前半?までクリア。肩の力を抜いたファンガスの筆に、ところどころ他のライターによる文章ーー同人誌制作パートとかーーが混ざるので、読み味はいまいちスッキリとはいきませんでした。しかしながら、尽きせぬ揶揄の源泉たる「シャチョーのハンコ絵」をひらきなおってネタにするふてぶてしい態度は、「6体の水着キャラ」という重課金要素こみで意図せぬ押入り強盗ぽいふるまいになっており、思わず笑ってしまいました。8周年記念で配布された石と札だけでハンコ絵バーサーカーの宝具は4まで重なったのに、欲しかった方の星4キャラ(どっちかはヒミツ)が1体も手に入らず、毎度のことながらじつに排出バランスの悪いガチャになっていて、乱数をまともに組める人間がいないんじゃないのかとカンぐってしまうほどです。ここまでのストーリーについて感想を述べるならば、主人公格の通称アルキャスについては、本編である第6章から引き続いて「過酷な生育環境を経たため、他者が抱く負の感情へ敏感になってしまった子ども」のような描かれ方ーー設定的には「あらゆるウソを見抜ける」だそうですーーをされており、「高潔なる英雄」である無印セイバーのネガとして配置されているのは重々に承知ながら、茨木童子とのやりとりなどでは大の大人に「アイタタタ……」と目をおおわせてしまうような痛々しさを覚えました。また、今回のイベントテキストも例年どおりオタク界隈の最新トレンドをふんだん取りいれていて、特にブルーアーカイブ方面への目くばせはなんだか強めに感じましたねー。でも、「ガネーシャ不在のカルデア・ゲーム部」みたいな、かゆいところへ絶妙に手の届かない”雑さ”ーーおそらくファンガス以外のライティング・パートーーこそ、半島や大陸のつむぐ物語によって少しずつ本邦のオタク業界が版図を押しこまれている遠因となっているのではないでしょうか、知らんけど。本イベントのライティングがいつなされたのかはわかりませんが、山火事や台風上陸など現実のディザスターとのシンクロニシティが偶然に生じてしまうあたり、まことに不謹慎ながら「稀代の巫女、神おろしの自動書記」であるファンガスの有様を再認識する気分にはなりました。

 最近、他者への想像力を欠くブンガク畑出身の人物に向けた批判がタイムラインを下ってきましたけれど、あの界隈の文字列が本来の意味での「文学」だったことはついぞなく、ヒューマンロストの昔からひとつ残らず「私小説」の範疇にとどまり続けることが、あらゆる問題の大元であり根源でしょう。世界と何の接点もない個人の感想が公の場で取りあげられるのは、「大文字の文学」と「単なる私小説」が賞レースという枠組みの中でずっと混同され続けてきたからだと指摘できます。ひと昔前なら面相のうるわしい若きアイドル文士たちに冠が与えられていたところに、近年では「ゲイ」「レズ」「クリップルド」などの属性がその対象となってしまったことへ、表層的な時代の変化だけは否応に感じざるをえません。これは「私小説」の「わたくし」部分が、あえて言いましょう、「一過性のトレンド」によって首をすげかえられている状態であり、この意味で本邦の「ブンガク」は「文学」とほど遠い場所でマニュファクチャリングされた、「値段のつく感想文の集積」と同義になってしまっているのです。この類の問題を考えるとき、どこで触れたのかは忘れましたが、「私たちは一見、たがいに異なっている。けれど、その皮一枚の下は、だれもがみな同じだ。そして、さらに少し先で、やはり私たちはみな異なっている」という言葉がいつも頭によぎります。ゲイがゲイの、レズがレズの、クリップルドがクリップルドの生活実感を記述したものは、2段階目までの中身がせいぜいで、下手をすれば1段階目の表明に満足しているケースさえあります。私の言う「文学」とは、このフレーズの3段階目にある普遍的かつ荒涼とした孤独のことなのです。

 例えば、どんなアングラな場所でのささやきであっても「ペドフィル的な愛」が手ひどく糾弾されるのに対して、いまや「ゲイのファック」や「クリップルドの性欲」は大っぴらにしていいばかりか、あまつさえ大量の紙に印字されて全国の津々浦々へと配られてさえいる。この状況を目のあたりにして私が思いうかべるのは、冨樫義博のレベルEに描かれた「愛する者の肉を食べる欲求を隠して生きる宇宙人」の話です。結局のところ、社会や法律の枠内であるからこそ発信をゆるされている事象には、それらを気どったところでなんの叛逆も孤絶もふくまれません。もしFGOのつむぐ物語が文学たりえるとするならば、最も重要なファクターのひとつは語り手たるファンガスの「無属性”性”」なのかもしれません。SNS上で外形的な個人情報の列挙から始まり、果ては知りたくもない性自認までをもストリーキングのごとくひけらかし、ジャンルを問わず生活感情の延長たる私小説にしかならない書き手は、普遍的な人間の苦しみとは一生涯、なんの連絡も持てないでしょう。神話の匿名性を保つため、公の場から遠ざかり、容姿を隠し真名を伏せた、ゲイやレズやクリップルドであるかもしれないファンガスのテキストを、ゲイやレズやクリップルドであるかもしれない小鳥猊下が読むーーこの営為の鳥瞰にこそ、私は深い文学を感得します。現在の暗澹たる社会状況を眼前にしながら、ファンガスがなお筆を止めないことへの感謝を表すため、追加の大きめな課金で水着クロエたんを引かんと試みたのですが、結果は大爆死に終わりました(だれか、星4の引き方を教えてほしい)。やはり、本邦はロリコンには生きづらい社会なのですね……正しい性嗜好の在り方を拡張していくため、小鳥猊下はこれからも徹底的に戦っていきますよ!

雑文「PAPER MOONとFINAL FANTAZY(近況報告2023.6.26)」

 ファイナルファンタジー16を進めながら、ディアブロ4にも触り、原神と崩スタのデイリーを消化する中で、FGOの最新章を数日に分けて読む。困ったときの物語フォーマットとしてたびたび登場する「聖杯戦争」ですが、無印フェイトへ何の思い入れもない身にとって、「またかよ」とウンザリする気分はありました。手塚治虫のスターシステムと神話や歴史の人物を紐づけてのバトルロイヤルは、物語のビルドアップをスッとばせる発明だったとは思いますが、いい加減20年近くが経過し、そろそろ賞味期限を考える時期ではないでしょうか。テキストそのものはさすがに読ませるクオリティだし、インドの新キャラたちは充分に魅力的だとも感じますが、既存作品からの使い回しに没入をさまたげられます。メドゥーサのセイバーとか、過去作や派生作まで追いかけているファンにとっては、大興奮の大歓声なのかもしれませんが、「語り終えられた関係性に依存するコア層へのサービスであり、本質的には不要の再話」としか思えません。アルターエゴについての説明も、「オレの最強設定集」をくだくだ読みあげるのを聞かされてる感じで、ちっとも頭に入ってきません。この点に関する今後の期待は、フォーリナーの説明をほのめかしにとどめず、版元にキチッと許可をとって、クトゥルフ神話にからめながらガッツリやってくれることですね。

 文句ばかりならべましたが、物語の最後において、ある人物が自身の罪悪感の正体について吐露する場面には、大きく心を動かされました。例えるなら、強盗殺人犯に対して「家の扉を開けてしまった」事実をずっと反芻し続ける子どもの話で、人生において「しなかったこと」は後悔になり、「してしまったこと」は罪悪感になるのを、あらためて確認する思いになります。彼女の告白を聞きながら、「長く生きていれば、それはだれもが抱く感情だよ」と心の中で語りかけていたら、まったく同じ内容の選択肢が画面へ現れたことに、ふいをつかれて泣いてしまいました。ほとんどの人間が世界にとっての主人公ではなく、ただのモブとして人生を終えるーーその事実に優しく寄り添う視点を持っているかどうかが、すべての物語にとって重要なのだと思います。奏章Ⅰ「ペーパームーン」(川原由美子!)は、この一点において、私にとって忘れられない物語となりました。一方、ファイナルファンタジー16のストーリーテリングはこれの真逆になっていて、優れた部分も多くあるのに、デリカシーのなさがすべてを台無しにしていくのです。

 いまは「13年後の5年後」の世界で、鉄道オタクの住処みたいな名前の国へ潜入してマザークリスタルを破壊したところですが、主人公と被差別民たちが終始、鬼滅の刃で言うところの半天狗みたいな被害者ヅラをふりかざし続けるのに、ゲンナリしています。体制側を差別的で酷薄な悪鬼として描くのは、全共闘に敗れてエンタメ業界に潜りこんだ方々が、フィクションに託して革命思想を拡散してきたのを、外形だけを見て無批判に継承してしまっているように感じられます。現段階での率直な評価を述べれば、グラフィックA、アクションB、ゲーム性とストーリーがFといったところでしょうか。見かけを作りこまれたマップなのに、探索など戦闘以外の遊びの要素が絶無であり、ただ「通過するための場所」にしかなっていないことは、大きな問題でしょう。その戦闘にしたところで、ボタン連打と必殺技の繰り返しに過ぎず、育成や収集の要素もかなり薄いことがわかってきました。これらすべてがあいまって、「13年後の5年後」からのゲーム進行は、画面の豪華さに比しておそろしく単調なものになっていて、その退屈さに耐えきれなくなって、プレイ中にも関わらずしばしばスマホへと手が伸びてしまうほどです。主人公サイドの言動と感情は、いよいよ支離滅裂さを極めており、7・8・13・14・15あたりの持つ「ダメなファイナルファンタジーっぽさ」だけは、全面に出てきたことをお伝えしておきます。「とりあえずクリアはする」と宣言しましたが、プレイ時間は日に日に短くなってきており、このまま何も変化が生じないとすれば、それさえ厳しいかもしれません。

雑文「STARRAIL, DIABLO4, OTAKU-ELF and KYLIELIGHT(近況報告2023.6.9)」

 崩壊スターレイル、最新イベント「パンクロード精神」を最後まで読む。正直なところ、ログボ取得とデイリー消化の、所謂「ボイド・ターム」が続いていたため、ほとんど視界から消えかけていたのですが、心のファイヤーが再び着火されたことをお伝えしておきます。いやー、やっぱり億単位のユーザーを相手にする会社はちがいますねえ! いまの自分が奪われたらもっともダメージのあるものが何かと問われれば、やっぱりあちこちに課金したゲームのアカウントなので解決編に納得感があるし、何よりこのシナリオにはアホがひとりも登場しないのがいい。原神もそうですけど、膨大な数のプレイヤーにはあらゆる属性の人間が含まれるわけで、そのだれひとりをも軽んじないシナリオというのは、もはや世界を相手にするメーカーにとっては、必須とも言える要件なわけです。不興を買った1名が毎月数千万ドルを課金するアラブの王族だって可能性も、冗談ではなくあるわけですからね! また、新たな固有名詞によって明かされる世界観がほんの氷山の一角に過ぎず、まさに宇宙レベルの広がりを想像させてくれるライティングもすばらしい。どこぞの死ネヴァーー*おおっと、ミスタイプ!*ーーみたいに、世界はベニヤ板の書き割りでキャラは還暦オヤジが裏声のゴッコ遊びで演じわけてるような、ペラッペラの情けない土人サイファイとは格の違いを感じますね! 崩スタ、原神ほどはプレイあたりのカロリーが高くないーーある程度まで進めたあとは、週日10分週末1時間くらいでOKーーので、ぜひ体験しておくことをオススメします。

 ついでにディアブロ4の近況報告もしておきますと、サブシナリオで各地をウロウロしているだけでレベル40台も半ばに近づき、そろそろメインストーリーを進めようかと着手したら、レベルと装備は充分なはずなのに、節目節目のボス戦でなかなか勝てない。説明しておくと、手持ちのポーションが何個かあって、ボスの5目盛りほどのライフゲージを1目盛り削るたびに、新たなポーションが2つ落ちる仕様なのね。そして、ボスはプレイヤーのライフを半分以上フッとばす必殺攻撃をときどき放ってきて、ボス戦以外ではほぼ使わない新アクションならぬ死にアクションのダッシューー無敵時間もないのに長めのクールタイムはある、なんとなくの思いつきで入れたポンコツーーでぜんぶ回避する必要があんの。あのさあ、ディアブロにアクション要素なんてビタイチいらねーんだよ! 反射神経の衰えたアルコール・ソークト脳なミドルエイジでも、コツコツ装備を集めればやがてどんな難敵にも余裕をもって勝てるっていう爽快感が、ハクスラ最大の売りじゃねーか! なんで偉大なジャンルの創始者がその面白さの本質を理解せずに、わざわざゲームの間口を狭めにいってんだよ! 大味なマウス操作でボスの攻撃の狭い隙間をぬっての回避なんて、できるわけねーだろうがよ! ここだけゲーム性がファミコン時代のアクションか、昔のイース・シリーズみたいになってんだよ! オレがなりきりたいのはバーバリアンであって、アドル・クリスティンじゃねーんだよ! ボス戦だけまんま3のクソさを継承してて、「ディアブロ2に似てる」なんて言ったオレがバカみてーじゃねえか! 「キチンと成長させれば、どんな強敵にも余裕をもって勝てる」っていう、ホヨバのバランス調整を見習えよ! いちばんカネを余らせてる世代の親指5本ブッチャーに不快なゲーム体験を与えて、いったいどうしようってんだよ! Buriza-Do社のエイジ・ハラスメント、最低や!

 あと、ディアブロ4のオトモに話題の江戸前エルフを再生したけど、昭和生まれの独居オタクをねらいうちにしたレトロなキャラデザと内容で、メチャクチャおもしれえじゃねーか! 生まれ落ちた性別を捨てて不老不死となり、世話をしてくれる美少女たちを衰えた性欲から孫子に向ける視線で愛で、スのままの自分をいっさい変えずに近隣住民と地域社会へ受け入れられるーーまさに初老オタクにとってのトリプル数え役満、男性版ハーレクイン・ロマンスな盛り盛りの願望充足器ぶりには、画面の前で思わず「すげえ!」と感嘆の声がほとばしりでちまったほどだぜ! 願望充足器で思い出したけど、オイ、目をそらしてんじゃねーぞ! オマエのことを言ってんだよ、FGOサンよ! 全サーバントの中でもっとも絆レベルの低い薄情な盾女(箱男の文化的対偶)の宝具を、見えないところでしれっと強化してるんじゃあないぞ! ここまで何年も何年も、さんざんっぱら引っ張りに引っ張っておいて、昔からのファンであればあるほど絆レベル上限解放にあわせて、第2部終章あたりでシナリオと連動した宝具強化をするんだろうと、ジリジリしながら待ってたはずなんだよ! 「いつまでも宝具スキップの実装を許さない、ファンガスの意固地なまでのスタボーンネス」にしても、その偏執狂的なまでのこだわりがシナリオのクオリティにつながってることをみんなわかってるからこそ、生あたたかい微笑で見守ってきたんじゃねーか! 建て増しと耐震補強でなんとか持たせている古臭いアプリを皆が見離さずにいる理由として、「ストーリーテリングにおける手抜きの無さ」の他に何があるってんだよ! よりにもよってその、いちばん裏切っちゃならねえファンの信頼の部分を裏切りやがって! 怒りすぎて血管の強度が心配になってきたのでこのくらいにしておくが、後付けでもかまわないから納得のいく行間の補完をしろよ……しろよ!(まあ、本当に怖いのは「ファンガスが事故や大病で、いま現場のジャッジをできない状態にある」ことなんですが、関係者のみなさん、大丈夫ですよね?)

ゲーム「FGOリリムハーロット」感想

 崩壊スターレイルの合間に、FGOの最新イベントを読む。アーケード版は未プレイであり、物語の背景はよくわかりませんが、すべてファンガスの筆なのでたいへん気持ちよく読めました。しばらく翻訳ダラダラ長文ばかり読んでいたので、日本語ネイティブの達人による各単語の定義がカチッと決まった畳みかける短文は、まるでぼやけていた視界のピントをしぼられるようで、少し背筋の伸びる感じがあります。しかしながら、PSP版エクストラ?の世界観について、かけた労力と思い入れに比して満足な反応を得られていないと感じているのでしょうか、FGOを含めて何度も何度も再話されるのには、いささか食傷ぎみなことも事実です。特にこのネロ・クラウディウスというキャラクターは、ファンガスにとっての惣流・アスカ・ラングレーに相当しており、作り手の思い入れが観客のそれを凌駕してしまっている点でも共通しています。また、第1部終章における人類悪の概念は文学方向にもっと普遍的な解釈を許すものでしたが、その候補者たちがすべて出そろったいま、結果としてFate世界におけるキャラクターの話になってしまったのは、非常に残念なところです(「人類悪は人類愛」なるスットコドッコイの定義も、Fate世界の神であるファンガスによって明言されてしまった)。

 崩スタは第2章の公開されているところまでストーリーを進めましたが、「不老不死を終わらせるため、非人間的な概念に近い神を殺すことを目途として、宇宙を彷徨う船団」という設定と展開には、ひさしぶりに背筋がゾクゾクしました。もしかすると、「神が人の知恵と言語で定義できる内面を持つべきではない」というのは、かつてラブクラフトやムアコックを愛好したがゆえの、抜きがたい「刷り込み」となっているような気がします。ドラコーの内面を記述するテキストの見事さに嘆息しながらも、書かれている内容へ共鳴する部分が少なかったのは、個人的に「泣いている子ども」の話はもういいかなと思いはじめているからでしょう。その一方で、毎夜アルコールを入れつつ推しの子のミュージック・ビデオを見てはらはらと落涙しており、もしかするとこれは「愛されること」から「愛すること」へとうの昔に視点が移動していた事実に、ようやく気づかされたゆえなのかもしれません(ちなみに、第2話以降のサスペンスには、やはり関心が持てませんでした)。

 あとさー、今回のイベントに「きれいはきたない、きたないはきれい」ってフレーズが出てくるんだけど……貴様ッ、見ているなッ(星マークの刺青)! もちろん、シェイクスピアからの引用だってことは百も承知だけど、そう考えたってしょうがないじゃん! 昔っから小鳥猊下って無名なのをいいことに、エロゲ作家とか、ラノベ作家とか、純文学作家とかから、無断で引用されまくってるんだもん! 最近、AI絵師が商業絵師にオリジナルであることを否定されて暴れてる様子がタイムラインに流れてきたけど、なんだか気持ちはわかるって思っちゃったなー。クリエイター職の人って、非クリエイター職の人に対して、ときどきビックリするほど冷淡なことありません? それも、他の職種からは決して感じないレベルの、かつての地域差別に近いようなトーンなのです。あの感情って、いったいどこから来てるんでしょうね?

 それと、原神の新しい伝説任務を読みましたけれど、これってほとんど「Kの一族」の話じゃないですか? 来たる鍾離先生ピックアップのためにコツコツ貯めていた石をぜんぶ使って、白朮先生を引くハメになったことを最後にお伝えしておきます。原神って、「永遠の否定」をテーマとして強く押しだしているので、この人がラスボスでもおかしくない感じ、出てきちゃったなー。

 FGOの新イベントに関する感想をつぶやいたら、半日もしないうちに2名ほどの匿名オタク(or本人)が現れて、「特にキミのファンでもないんだが、ふだんあまりゲームもしないんだが、ファンガスが書いたというのは事実誤認なんだが? リリムハーロットはスチールアロー刃の手によるものなんだが?」と中指で眼鏡を押しあげながら、一方的に宣言して去ってゆかれました。わざわざご指摘いただき、誠にありがとうございます。余計なお世話なんだよ、テメーら! テキスト嚥下障害のあるウチのオジキがちゃんと飲みくだせて症状も緩和されてんだから、だれが書いたものだろうと何の問題もねーじゃねーか! それをプラセボだのジェネリックだの、いちいち小うるせーんだよ! 気になって調べてみたらよ、スチールアロー刃が所属していた良く効く心臓病の薬みたいな名前の会社は、オレがインターネット便所壁へと上梓した「慟哭ゲー」の内容を剽窃するエロゲーを、贄の刻印の如く明白なエア・マルシーを無視して、強引に発売へと踏み切ったところじゃねーか! 「ヒロインを選択する際の一回性」や「USBイコール小型HDが販売メディア」というクリティカルな部分のアイデアをシレッとパクりやがって! まどマギのライターからニチャッと横目で社内回覧されたんだろうが、オマージュならオマージュでぜんぜんかまわねえから、元ネタにはキチンと言及して敬意をもって紹介しろよ! なんでリアルにくらべてネットでのオレの扱いは、いつもいつもこんなにぞんざいなんだYoYoYoYoYoYoYoYo, Yo Men! コイツらもじっさいに会ったら、どうせ「昔から読んでました」とか「あまりに恐れ多くて」とか言うんだろうけど、そんな身銭を切らないオツイショーはもうビタイチいらねーんだよ! 初対面での親しみやすさと距離感が最接近状態で、その後はどんどん出ッ歯ムーンウォークで遠ざかっていく系のオタクを救えるのは、現世のオーソリティであるキサマらだけなんだよ! 遠巻きに後頭部へ片手を当てて会釈してないで、ただただオレのテキストに現世の利益を誘導してくれよ! この度は、ご指摘ありがとうございました。真摯に受け止めて、次へ生かしたいと思います。