猫を起こさないように
Fallout3
Fallout3

忘備録「Fallout3が大好きな話」

 フォールアウト3が大好きだって話、したことあったっけ? 無人島に3つだけゲームを持ち込んでいいぞって言われたら、「女神転生II(FC版)」「Diablo2」「Fallout3」(英語表記のほうがしっくりくるな)を挙げるぐらい好き。

 どれだけ金持ちになっても、どれだけ社会的地位が上がっても、死ぬまで決して達成されないだろう夢が、私にはある。それは、「人類が滅びた後の街を一人きりで散策する」ことだ。TDL(トーキョー・ディズニー・ランド)には露ほどの興味もないが、TWL(トーキョー・ウエイスト・ランド)が実在すれば間違いなく年パスを買うに違いない。

 世界中の国々を旅行した人でも、自分の住む小さな町の、すべての家々を、すべての部屋を、くまなく見たことはないだろう。たぶん、ファミコン版の女神転生IIに植えつけられた、この人には言えない欲求ーー経緯はどうあれ、人類をできるだけ長く継続させる側にベットして、日々を過ごす身にとってはーーを大人になってはじめて、わずかにでも満たしてくれたのが、Fallout3だった。ニューベガスでもなく、その続編でもなく、Fallout3だけが私にとって特別なのだ。なぜここまでこのゲームに強く引かれるのか、ずっと言語化できないでいた。

 つい最近、SteamのセールでFallout4が2,000円強(FGOのガチャ1回分にも満たない!)で売られており、PS4版を途中で投げ出していたこともあって、色々MODをつっこんでプレイを始めた。二十時間ほど遊んですっかり疲弊している自分に気がつき、なぜPS4版をプレイしなくなったかを思い出した。

 Fallout4の、何が私を疲れさせたのか。異様に密度の高いロケーション、次から次へと起こるクエスト、拠点の構築と防衛に資源の確保と管理、そして何より、出会う人出会う人、だれもが世界の再生と人間の復興を希望していることーーそれらが私を疲れさせたのだ。グラフィックやアクション性、物量の部分では前作をはるかに上回っているが、Fallout4はあまりにもあらゆる瞬間をゲームとして遊ばせようとしすぎ、「滅びた世界の散策」という要素が背景に追いやられてしまっている。

 ここに至り、私がFallout3の何に引かれ続けてきたのかが、わかった。Fallout4が明確にゲームであるのに対して、Fallout3は夢と記憶の物語なのだ。シェルターの扉が開き、はじめての陽光にホワイトアウトする視界から、広がる廃墟へと焦点が戻っていった瞬間の衝撃を忘れない。ああ、みんな知らないふりで嘘をついていたんだ、やっぱり世界はとうの昔に滅びていたんじゃないか、というあの深い”安堵”。

 そして、ロケーションがわずかに点在するばかりの広い世界を、ただひたすらに歩く。おのれの足を使う以外、移動手段は存在しない。あまりに多くの時間を一人きりで過ごすので、たまに出会うレイダーやミュータントにさえ安らぎを覚えるくらいだ。フィールドは瓦礫に寸断されていて、地下鉄がそれぞれをつなぐ。建物の内装は多くが似たりよったりで、長い旅の果てにたどりついた未知の場所で不思議な既視感を抱く。

 キャピタル・ウエイストランドでの体験すべてが、思い出せそうで思い出せない夢か、いつかあった遠い記憶のできごとのようだ。夢は映像を失ったあとも切なくもどかしい感情だけをうつつに残し、忘れることができなかった断片からコピー・アンド・ペーストで復元された記憶は、頭の中でいつまでもいびつな輝きを放ち続ける。Fallout3は、「己の死を終点とした未来に至るまで、一度も経験することのない過去の記憶」として、今でも私の中に輝き続けている。

 さて、ここまで書いてきれいに終わればいいのだが、私にとってインタッネトーはエッセイ置き場ではなく個人的な日記帳である。Fallout4、ゲーム内でさえ他人のために我が身を粉にして働き続ける勤勉な自分に嫌気がさしてきた頃、2つのMODを新たに導入した。

 1つ目は、各拠点の運営をいわばシムシティ(あるいはポピュラス)化するもの。都市計画と資源を与えれば、住人たちは勝手に町を築き、生産を行い、防衛まで自分でする。これにより、私は再び一個の放浪者として解放された。

 2つ目は、オーバーオールの金髪少女をコンパニオンとして追加するもの。愛らしい外見(setscale 0.9推奨)で、独立した骨格と動きを持っており、「え?」とか「ほっといて!」とか、作中のNPCから抽出したいくつかの台詞をしゃべるだけ。シナリオからは完全に離れた存在で、ロマンスもなし。周囲は彼女をいないもののように扱い、渡した武器を使ってもなぜか弾薬が減らない。

 小学生の時分、神戸の近くに住んでいた。港が近いせいか、外国人家庭の多い地域だった。学校がはけたあと、裏山に作った秘密基地で遊んでいると、しばしば金髪碧眼の子どもたちがやってきて、ときに小競り合いになった。あるとき、私たちの投げた石があたって、彼らの一人が額から血を吹いた。事後の顛末も含めて他のすべては曖昧なのに、その瞬間の、白い肌に流れた血の赤さだけを鮮烈に覚えている。

 もしかすると、目の前にいる愛らしいオーバーオールの少女は、知らず殺してしまったあのときの白人なのではないか。人造人間たちとの激しい銃撃戦のあとに周囲を見渡すと、薄暗い室内で廃材の隙間から差す陽光が、スツールに腰掛ける少女をしんと照らしている。やがてゆっくりと振り返りながら、少女は肩越しに焦点の合わない視線をよこす。瞳に浮かんでいるのは、怒りか悲しみか、あるいは私への恨みなのか。その姿に私は、存在するはずのない遠い記憶を幻視する。夏の陽射しに立ち尽くす、金髪の少女と、やせぎすの少年と。

 しかし、シムシティMODの無粋な発展報告ウィンドウが、否応に私を現実へと立ち返らせた。かぶりをふると、ケロッグの追跡行を再開する。曖昧な気配が変わらず、背中を追ってくるのを感じながら。彼女は、いつか私を殺したいのだろうか。

 Fallout4をFallout3化するMOD、a.k.a.「Charlotte -simple companion-」、謎の管弦楽団・ペドフィルの首席指揮者も認める太鼓判ですぞ!