猫を起こさないように
落語
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アニメ「あかね噺」感想

 ネトフリであかね噺を7話まで見る。いつもはアニメから原作に入るのですが、今回は順序が逆で、漫画を既刊21巻まで先に読んでいました。きっかけは、コミックスの帯にQアンノが推薦の辞を寄せていたことで、それを目にしたとたん、瞬間湯沸かし器のように感情がカッと燃えあがったからです。結果として、さまざまな既知の落語をこれまでにはなかった斬新な漫画表現で再発見するという、稀有な体験をすることができました。棋士ほどではないにせよ、男性優位の落語界で女性が高座にあがることには、有形無形の障壁があると推察しますが、本作は「女性落語家としての苦労や葛藤」にはいっさいフォーカスせずに進んでいくことから、少女を主人公にしながら純然たる少年漫画になっているのは、おもしろいところです。またも未完の作品に手をつけてしまった後悔から、あかね噺のストーリーにおける瑕疵未満の気になる点をならべていきますと、唐突なフランスへの武者修行は主人公の強さイコール知名度をリセットして、作中の時間をいたずらに進めるだけで、帰国後の展開になんら影響をあたえていないのには、迷走感があります。また、主人公の必殺技が北斗の拳の無想転生を彷彿とさせる「個我を消失させて、噺そのものになりきること」なのは、ライバル2人を超個性派にしたてているせいか、少年漫画としてはなんとも地味で、フラストレーションがたまりました。そして、作中において最大のミステリーとされている「志ぐまの芸」にしたところで、死神と芝浜の熟達を求める昭和前期の噺とくれば、その正体が「戦争講話」であることがなんとなく読めてしまうのです。ベテランになったあかねが、寄席ではなく小中学校の体育館に呼ばれて、平和学習の一貫として「志ぐまの芸」を披露するのをまざまざと幻視し、ひどく気持ちが落ちこみました(昭和人間の人生に由来する感情なので、あかね噺はなにも悪くないです)。

 アニメ版は原作を忠実に再現していて、非常にていねいに作られているとは思うのですが、「紙面から音が聞こえる」たぐいの漫画を映像化するときの難しさが、そのままあらわれていると言えるでしょう。つまり、「読者の頭蓋にひびいていた音を越えられない」という問題です。この課題をクリアして大成功をおさめたのは、近年ではブルージャイアントですが、あちらは超一流プロの上原ひとみをかつぎだし、モノホンのジャズで正面からブンなぐるという反則級の荒技で成立したものです。一方であかね噺のアニメは、画面の派手な演出や観客とライバルの驚きで芸のすごさを強調しながら、肝心かなめの落語のクオリティは、「声優が懸命に台本を読んでいる」以上のものではありません。求められていたのは、日常会話を声優、高座をプロの女性真打が担当する、マクロス7ばりのボディダブルならぬボイスダブルだったと思います。落語界、噺家本人、あかね噺の三方一両得のアイデアを、なぜ関係者のだれも思いつかなかったのか、不思議でなりません。その代わりに、どこであかね噺につけられた潤沢な予算が空費されたかと言えば、落語とはなんの関係もない桑田佳祐の主題歌になのです。これはあかね噺にとって、複雑骨折および内蔵破裂級の大事故だったと言えるでしょう。昭和の女性観a.k.a.「オンナは1回ヤッたらみんなおなじや」を令和の御代になお信念としていだきつづける、ちょいワルおやじならぬこの超ワルおやじは、若い世代のファンをとりこみたいという欲望と、アニメなどという低俗なものにおのれの楽曲を使われることへの屈辱ーー昭和の歌手には、一般的な感情ーーとの葛藤から、とんでもないイタズラーー令和の辞書では、性的暴行の意ーーをあかねチャンへとしかけてきたのです。

 オープニングテーマである「ひとたらし」の歌詞を検索しますと、「女流名人を論破して、燃える勝負をしたい」という一見して意味不明の内容が出てきます。しかしながら、よくよく注意してケースケの歌唱を聞くと、「女流名人ナンパして、燃える小便したい」とじっさいは発声しており、これは「オレは名人と認めない”女流”落語家をコマして、熱いスペルマを彼女の膣に射精したい」と、ハレンチにも宣言しているのです! そうなれば、直後のとってつけたような”ガラスの天井”なるポリコレ・ワードも、処女膜の読みかえであることがあきらかになってきます。今回の件は、ヨネヅのアホがメダリストにしたのと同じ種類の狼藉で、現世ではもうだれも面とむかって文句を言えないような大御所が、木ッ端アニメ(失礼)を権威にみたてて反抗してみせるアナーキー仕草は、まさに全共闘世代のヤンチャーー令和の辞書では、暴力行為の意ーーそのもので、自分より若い世代のクリエイティブに対する敬意を欠いた行為には、暗澹たる気分にさせられます。桑田佳祐へ支払うギャランティの10分の1もあれば、実在の女性噺家をボイスダブルに当てることができ、アニメ化の価値は10倍にもハネあがったのにと、心から残念でなりません。原作に準拠しない、ほおを赤らめ瞳をうるませた恍惚の表情や、光るふとももを強調するカットなど、アニメーターがする手クセの性的要素も散見されるし、いまは女性を徹底的にモノ化する昭和の男性性(manliness)の充満、マン充がこわい。おあとがよろしいようで。