猫を起こさないように
篠澤広
篠澤広

雑文「学園アイドルマスター、あるいは篠澤広について」

 一時期、たびたびタイムラインに流れてきて気になっていた学園アイドルマスターをダウンロードし、3時間ほどプレイ。同シリーズはブラウザ版の時代から片目でその存在を認識してきており、音ゲー版を少し遊んでいたこともあるが、課金をするまでハマるということは、ついぞなかった。本アプリはシステム面において、ウマ娘の後発であることを強く感じさせる作りになっており、同一キャラをくりかえし育成することで、アンロックによって初期の能力値が底上げされてゆき、時間をかけて高い評価を得ていく流れになっている。登場するアイドルたちは、いずれも魅力的に描かれているが、その中でも、いや、20年近くにわたるアイドルマスター・シリーズにおいても突出して異質な存在が、篠澤広である。二次元キャラクターとしては、綾波レイ以来の大発明ではないかと、真剣に考えている。短いズボンからストンと棒のように落ちるガリガリの両脚は、まさに拒食症患者のそれであり、きわめて病的なシルエットをあたえられている。女子に女子たることを期待しない「広」というそっけない名前の背後には、理系の研究職にでもついているのだろう、感情の起伏に乏しい両親の存在を想像させる。この少女は数学と物理の天才で、飛び級の末に14歳で博士号を取得しており、自身の研究室まで構えているような発言さえある。理系分野においては、人生でただの一度も挫折を経験したことがなく、大差が大差に見えないような圧倒的な能力で水のようにすべてを得てきた彼女がアイドルを目指す動機は、絶対的に能力の欠落した分野において、「ままならないこと」「うまくいかないこと」「どうしようもないこと」を経験したいという、刃牙シリーズにおける「敗北を知りたい」最強死刑囚のような、被虐の欲望なのである。

 篠澤広を称揚するために、だれもを不快にさせる極端な言説から始めるとすれば、本質的にアイドルなんてものは、「セックスしたい」とか「痛いほど勃起する」などの下半身ベースの欲望を、「この娘を推している」やら「舞台で輝いている」やらでパラフレーズしただけの、高級娼婦の変形にすぎない。古くは巫女や花魁のような、見てくれの整った若い肉へ、さらに文化的・経済的な付加価値を与える現代的な装置が、アイドルなのである。誤解をおそれず言えば、本作における、いや、過去のアイドルマスター・シリーズにおけるキャラクターたちは、絢爛な見かけの内側でいずれも「若い女性としての魅力を最大化させるため、歌やダンスや演技のスキルを磨く」という文脈を、ついぞ外れることがなかった。篠澤広は、ちがう。もっとも成功しそうにない分野で、これまでの人生に存在しなかった「失敗の甘美さ」という自身の生き血をすすりたいと欲望していて、そこには「商品価値のある、若い女性」という自意識が、寸分も介在していないのである。うまくいかなかったレッスンを一日の終わりにふりかえるとき、マゾヒスティックな悦びに輝く彼女の表情へ劣情をいだくのは、共犯者にさえさせてもらえない男性側の一方通行な投影なのだ。以前どこかに同じことを書いた気がするが、この「一方通行性」こそ、逆説的にもっとも不適格な存在へアイドルの資格を照射しており、荒々しい凌辱さえも「個人的な体験」として失敗の悦楽の裡に回収されてしまい、彼女の人生に寸分の影響も残すことができない狂おしさは、きっと耐えがたいものだろう。娼婦の群れの中にまぎれこんだ、異質な自己愛モンスター、それが篠澤広である。

 最初は、花海姉妹の関係性を今西良と森田透になぞらえて語るーー酒場でヤクザにからまれて透がピリつくところへ、良が天真爛漫に「ちゃんちゃきおけさ」を歌って場をおさめ、スジモノたちをファンにしてしまう際の対比などーーつもりだったのだが、彼女の存在ですべてブッとんでしまった。よろしい、インターネットに四半世紀あまりを住まう、電子妖精たる小鳥猊下の永久アバターのひとりとして、ここに篠澤広を認定するものである。