猫を起こさないように
東日本大震災
東日本大震災

雑文「新世紀エヴァンゲリオン一周忌に寄せて」

 追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

 新世紀エヴァンゲリオンが独裁者の手による陰惨かつ無意味な死をむかえてから、1年が経過しました。かつてのエヴァを愛したわれわれファンの悲しみは、いまだ癒えることを知りません。

 「数学者の大きな功績は、20代の頃に作られる」という話を聞いたことがあり、フィールズ賞の受賞資格も40歳以下となっています。知力そのものは向上し続けると私は考えますが、これは思考を途切れさせず深め続けることができる気力の減退と大きく関わっているのでしょう。個人差こそあれ、人間は必ず衰える生き物です。考え続けることができなくなると、それへのいらだちから安易でわかりやすい結論へととびつくようになってしまうのかもしれません。

 シンエヴァは「旧劇の展開をなぞり、今度は全員を救済する」という安易でわかりやすい構図になっていて、四半世紀を生きながらえたキャラと物語が自律的にたどりついた場所ではなく、クリエイターの衰えによって思考停止の果てに選ばれた結論であることが痛いほどに伝わってきました。だれにも頼らず、自分だけで結論を出さなければならないのは、さぞかし苦しかったことでしょう。けれど批判者を遠ざけて、だれにも頼らない孤立を選んだのはご自身ですし、作品で正しさを証明することができなかったばかりか、エヴァという万民の公共物をだれにも触れない場所へ未来永劫、閉じこめる結果になってしまったことに、どう説明をつける気ですか!

 「独裁者の晩年」というのは、非常に興味深いテーマと言えます。若いうちはひとりでする決断すべて図に当たったスーパースターが、己の能力の衰えを自覚しないまま、若い頃と同じやり方でふるまってしまうことで、大きな過ちを引き起こすようになるのだと思います。「老いては子に従え」ではないですが、「周囲の意見を聞いて、大事な決断をあずける」ことが必要になる人生の季節は遅かれ早かれ、だれにでも、どんなスーパースターにでも、必ずやってきます。東日本大震災の被災者とエヴァンゲリオンに対する明白な冒涜であるエヴァQへの反省を、作品内外にわずかも示さないことがシンエヴァを決して認めない理由のひとつであることは、以前にもお話しました。

 あの大失敗作のあと、シン・ゴジラが過去の焼き直し的な手法で大成功してしまったことは、独裁者にしのびよる衰えを周囲に対して、そして何より自分自身に対して覆い隠してしまった。そして、苦手分野の裁量と決定を人にあずけず、「オレはまだまだイケる!」と独断専行した結果、シンエヴァなる認知症的大凡作を産み落としてしまうこととなったのです。某国の大独裁者による半島での成功と小国での失敗が決断のトレードオフになっているように、本邦の小独裁者によるシン・ゴジラの成功とシン・エヴァンゲリオンでの失敗もまた、決断のトレードオフになっているのです。どちらも「政策で自分を語ること」と「作品で自分を語ること」を、そろそろやめなければならない人生の季節にさしかかっているのかもしれません。

 ……などと努めて穏やかな語り口でテキストを入力していたところ、「エヴァ防災アプリ」なるニュースが目に入ってしまう。とたん、1年前に劇場でシンエヴァを見終わったときと同じ、冷え冷えとした怒りが心を満たす。東日本大震災の被災者だというアプリ制作者に対してではなく、この企画に許諾を出すとき、このニュースリリースをマスコミ各社へ流すときに監督兼社長の胸に去来したものを、まざまざと想像してしまったからである。たぶん、こう思ったのだろうーー「この人物の挿話は、イメージ戦略に使えるな」、と。

 実体を伴った証拠が新たに提出されたことで、新劇場版15年の軌跡が以下の通り確定しました。

エヴァ序「新スタジオの実績作りと資金集めを目的とした著名なIPの再始動。海外発注で失敗したテレビ版6話のリベンジ」

エヴァ破「序の成功に意気を得た、テレビ版後半を語り直すためのスプリングボード。旧劇モチーフの意図的な前倒し導入」

エヴァQ「宮崎翁のそそのかしに屈した、東日本大震災と作品世界との強引なリンク。独断的路線変更による友人との訣別」

シンエヴァ「実写の成功に伴う、失敗の認知症的忘却。戦争経験者への隠しえぬ羨望と、晩年を迎えたDINKs夫による懺悔録」

 まさに、サイエンス・フィクションとは何の関係もない、特定の人物のバイオグラフィーになっていますね。私が新劇に感じている断絶の中身を、ご理解いただけたことと思います。シン・ウルトラマンかシン・仮面ライダーが世界情勢に影響を受けた独断的路線変更でグチャグチャの私小説へと変じ、シン・ユニバース(バズらなかった)とやらが特撮オタクの情動失禁を揶揄するフレーズになる未来を、心から願っております。

 取り巻きの女性たちはニュース映像を前に、「あなたは映画監督でしょ? だったら、この惨劇に作品で応える義務があります!」って、ちゃんと詰め寄ってくださいね! そうでもしてくれないとエヴァンゲリオンが、戦争未経験者によって壊されたエヴァンゲリオンだけが、あまりにもかわいそうじゃないですか!

アナザー呪詛「『シンエヴァ:呪』はてブ!コメント全レス祭り」

Day1 -2021.4.28-

いつまでも緞帳の裏に貧相な全裸でふるえているわけにもいかないので、20時になったら勇気を出して舞台へ飛び出そうと思います。南無八幡大菩薩、願わくは「はてブ」コメント173件への全レス祭り、やり遂げさせ給へ。

それでは、予告通り「:呪」につけられた「はてブ」コメント173件すべてにレスをつけていく! 古いものから時系列に回答していき、1問1分としても2時間強はかかる計算だ! もちろん、飛び入り質問も大歓迎である! おそらくこれがシンエヴァにまつわるnWo最後の祭りとなろう! 拡散しつつ関与せよ!

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kotorigeika/n/nad89dd308a22

質問1:さっき観てきた。なんだか強引な「やりたかったこと集大成てんこ盛り」「伏線ありったけ回収」「庵野氏の自分語り」に寄った感が否めず、こういう気持ちになる向きにも同意。それにしてもなんちゅー記憶力で文章量(w
回答1:「やりたかったこと集大成」は同意できないかなー。夏休み最終日に手つかずの宿題(イコール、アニメ制作からの卒業)をやるときみたいな感じで、「味は考えずに、冷蔵庫に残ってる余りモノをぜんぶブチこんだ」ように見えました。

質問2:“仮に二人が破局を迎えるとしたら、次のエヴァが作られる土壌になるのは確実で、その内容も展開も完全に予想できます” 熱量いっぱいの文章の中で、個人的に一番パンチ力があるのはここだった。奥さんへの依存度心
回答2:ハッピーマニアの続編に昔の男とか不倫の調査みたいな話が出てきてて、本当にパンチアウトしないか心配になってきました。

質問3:シン・エヴァ見て怒ってる人、だいたいエヴァを完結されたことに怒ってるな
質問3:正確には、あのエヴァを「考えうる最悪の形で」完結されたことに怒っています。

質問4:こういう感想文を読むたびに、やっぱエヴァは終わらせないといけなかったんだなということがわかってくる。
回答4:マトモな物語は「終わらせる」のではなく、みずから「終わる」のですよ。この語法が、エヴァという作品の本質を表している気がします。

質問5:”「Qのミサトの態度を観客に納得させるためには、どう演出したらいいか?」の設問ありきで、回答はどれもこれも9年を費やしたあとづけの言い訳ばかり” 作品原理主義サイドからの感想
回答5:物語原理主義者と言ってほしいです。エヴァQを撤回する以外に、物語を正しく終わらせる方法は無かったことだけがわかりました。

質問6:すごい熱量。一気読みした。
回答6:ありがとうございます。私の込めた「熱量」を受け取れる感性と、あの長文を「一気読み」できる知性を持つ者だけが「呪い」を追体験できます。半分は貴方自身の手柄です。

質問7:そもそも呪われていなかったために「冷静に見たら娯楽作品としては駄作では?」という人も割といるような気がする。私も友人がエヴァにはまってたってだけで私自身はロボアニメとしか見てないしな…
回答7:まったくおっしゃる通り、ごもっとも。そういう方々は公開から二ヶ月が経とうとする現在、すっかりシンエヴァのことなんて頭の中に残っていないと思います。

質問8:ここまでひとつの作品を愛せるのはすごいな。
回答8:「愛の反対は無関心」と言いますが、公開から二ヶ月が経ったいま、絶賛派は己の言辞を恥じるようにシンエヴァを忘れたがっています。彼らは元よりエヴァを愛していなかったのです。エヴァを愛する自分を愛していたのです。

質問9:nWoやってらした小鳥猊下でらっしゃるのかな。あそこ閉じてしまったときには悲しかったので、なんだかうれしいぞ。そして変わらぬキレッキレっぷりに大歓喜。
回答9:その小鳥猊下です。エントリープラグに取り残された破のレイのように、20年以上インターネットに閉じ込められています。萌え画像が寄贈されたら復活する予定です。

質問10:ここまで細々と批判する気はないけど、『シンナウシカ』は10年早いし、ギャグでやるならもっとしっかり笑わせてくれとは思った(特に後半)。佳作と言われれば佳作かもしれんが、前半は良かったと思うよ。
回答10:ダブルエンディングを期待していたので、シンジがブンダーに戻るくらいまでは希望が残っていました。「シン・ナウシカ」の件ですけど、御大の著作物なら怒られるのが怖くて、ちゃんとするんじゃないですかね?

質問11:「本当につまらん女に育ったな戦場ヶ原。昔のお前は劇的ではなくとも最高ではあったぞ。今のお前は本当につまらん。贅肉に塗れ重くなったな」鑑賞後こんな気分になった。
回答11:何かの引用かと思いますが、よくわかりません。EOEとシンエヴァの比較という意味なら、とてもよくわかります。

質問12:あからさまなギャグですよねあれはw『プラグスーツを着たままの綾波がウロウロ歩いてるのは、ほとんどギャグにしか見えませんでした』熱のこもったレビュー。少なくともモヨコさんは、庵野秀明を25年生かした。すごい
回答12:愛によって生かされたこと自体は寿ぎたいのですが、生き延びてしまったシド・ヴィシャスやジャニス・ジョプリンが幸せに肥え太って、大衆に迎合する愚かなメッセージを発するようになっていくのを見せられている感じです。

質問13:#エヴァンゲリオン #シン・エヴァンゲリオン劇場版 「Q」で見捨てなかったファンも、あそこから強引に話を畳んだのも(たしかに後付け感はある)、それはそれですごいと思う。はじめて劇場で見る私が言うのもナンだが。
回答13:後付け感しかないんですよ。思い入れの深さと作品への評価が完全に反比例になる作りで、昔からのファンを自認しながら褒めている連中が本当に許せない。

質問14:旧世代エヴァ心情/プラグスーツのところは後半の特撮スタジオと真逆で、特撮モチーフをリアリティのある方に持ち込んだ着衣型のセット(舞台装置)に過ぎないと思う。結局ネルフ跡地でしか話は転換しないのだから。
回答14:擁護する方はこういうワケのわからん理屈を使いますねえ。まあ、序破とQシンの違いは「作品外からのメタな読み方を許すか許さない」かではあるんですけど。メタってのが90年代ぽいっていうか、もうダサくないですか?

質問15:この作品のコアはどこまでも私小説的なもので汎用的なプロダクトとして残すことと相性が悪すぎる。この20年のカジュアルな使い方で感覚が鈍麻していた。
回答15:パチンコ以降、カジュアルに使われるようになりましたね。キャラクターたちを集金装置としてカスカスになるまで搾り取るために使いながら、作品そのものはファンと他のクリエイターを無視して私物化する。最悪の水と油です。

質問16:エヴァのことは興味ないのでわからないけど、小鳥猊下ってあの小鳥猊下でいらっしゃる?懐かしさでいっぱいになった。
回答16:あの小鳥猊下です。みなさんに忘れられて、どこへも行けないまま、まだここにかろうじて生きています。

質問17:そういや今回、島本和彦の発言無いな。見に行ったはらしいけど、特にコメントはしてない。同人誌も出るか微妙なニュアンスだし
回答17:シン・ゴジラのときとは大違いですよね。シン・仮面ライダーのことでも深く傷ついているように見えるし、監督は友人をもう少し大切にしてあげてほしい。事前に話を通しておくとか、少し制作にからませてあげるとか。

質問18:読んだ。宗教性の相違はあるものの、言ってることはすごくわかる。オタクってめんどくさいですね
回答18:めんどくさいんですよ。英語で表現するところの「キャント・ヘルプ・ドゥイング」で、どうしようもないんです。主題歌の歌姫じゃないですけど、「イッツ・オートマティック」なんです。

質問19:シンエヴァの感想ってどうしてこう、ことごとく長いんだろうね。
回答19:思い入れのある側にとっては、完結までの時間の長さもあいまって、人生と骨がらみになってしまっているからです。

質問20:うわー、小鳥猊下だ! エントリの内容も文句なく面白いのだが、もう25年来見ている作品に対する、20年来読んでるネットの書き手の文章が読めること自体が幸福だった。
回答20:そう言っていただける方も少なくなりました。私はずっと変わらずにやってるつもりですが、テキストサイト的な文章というのがもう流行らないんでしょうねえ。テキストの評価が、「現実で有名」なことに直結する時代です。寂しい限りです。

質問21:熱量に圧倒されるし、妥当な部分もあるだけに、かなり刺さる批判だなぁ。Qの時より質の高い批評が増えている気がする。
回答21:批判でも批評でもなく、「呪い」です。Qは味のしないスッカスカのスイカ(JPNラップ)みたいなもんで、「クソまずい」「ぜんぶダメ」以外の感想を出しようがなかったですからね。

質問22:“批評家連中が旧エヴァと関連させて語りやすい要素をストーリー全体のそこここにまいてあって、「あ、これはあれとからめてこう語れる!」という喜びがきゃつらの好印象の正体”
回答22:あれからわざわざカネはらっていくつか見たり読んだりしましたけど、本当にこの指摘どおりの中身ばかりでした。

質問23:あの小鳥猊下?と思ったらほんとにあの小鳥猊下でびっくり。 観ながらこれ旧劇好きな人達は呪解されど激怒するのではと思い頭に浮かんだのがあの頃のテキストサイトの人達なので、やっぱりこうなるのかという感想。
回答23:すいません、あの小鳥猊下です。反応が予想の範囲内に収まって、申し訳ない。あの頃のテキストサイト運営者で、まだ生きている人たちは、もっとシンエヴァへの声を聞かせて下さい。

質問24:”「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の続きを見たかったと切望する生者”としてはわりと溜飲が下がる内容。”自己模倣に終始”というのは強く感じて、エヴァで何かを作るよりもう本当に終わらせたかったんだなと思った
回答24:「嫌気がさしていた」というのはすごく伝わってきました。でも、旧劇の赤い砂浜へ土足で踏み込んできたのだけは、心の底から許せないです。

質問25:愛情の反対は憎しみ。オタクは作品に恋をしていつしか相思相愛だと思い込む。愛して愛して愛した分憎しみも激しい。オタクは恋愛脳
回答25:憎しみの反対は愛情だけど、愛情の反対は無関心なのです。モラハラDV夫に尽くして尽くして愛して愛して、ようやく暴力も間遠になって平穏が訪れたのに、今度は夫がボケはじめて暴力が再開したのがQシンです。

質問26:こういう呪詛までもが書き手の人柄が丸見えになる長文になるのは、やはりすごい作品なんだな、アレは。
回答26:すごい作品だったんですよ、破までは。エヴァの根幹を作っていたハイパークリエイターたちが櫛の歯が欠けるようにいなくなり、最後には骨抜きのタコみたいになって、監督の感情をスミとして吐くだけの何かに堕してしまったのです。

質問27:”それを救済のメッセージとして伝えたいなら自分語りじゃなくて作品の内容で表現しなきゃダメ“そうね
回答27:ですよね。一流のスポーツ選手が無言の流麗なプレーで憧れさせるのではなく、ボディビルにハマった中年オヤジがポージングしながら「見ろ、この筋肉美! オマエはオレのようになれ!」と言われても、「キモイ」以外の感想は出てきません。

質問28:愛/一緒に観に行った若い人の感想気になる。「一方的に託されてウザい」みたいなこと言われんのかなあ(自分は若い時に思ってたので)。大人は勝手だよね、とは思った。
回答28:別のとこで書きましたけど、私の「ゴミ」というつぶやきに対して、「え、そこまで? 私はおもしろかったけど」の発言でした。シンエヴァは「だれにも託さずクシャクシャに丸めてゴミ箱に突っ込んで、そのまま遁走した」ような作品だと思います。

質問29:「破滅を目前にした人類の共闘」「エヴァ世界の拡充(GガンダムならぬGエヴァ!)」 …それだと納得できたの?まじで?
回答29:いや、これ監督自身の発言なんで。「だれか自分以外のクリエイターにエヴァでGガンダムみたいなのをやってほしい。まずはその土台を作っておきたい」と始めたのが新劇なんで。まあ、ご存じの通り大失敗しましたけど。

質問30:40代で新劇を始めた庵野は30代に作った自身の旧劇を越えられると思ってたんだろうな。実際にはそれはかなわず、60代の経営者として自分の尻を拭く、と。だせえな。
回答30:いや、別のとこで書きましたけど、古巣を出て新しいスタジオを立ち上げるのに、必ずヒットしてカネになるIPが必要だっただけですよ。私を含めたファンたちが「旧劇越えのアイデアが!」と色めきたったのは、本当に馬鹿みたいでした。

質問31:つまらない女、つまらない男、その呪いのために酒タバコ身分不相応な行動により自身のみならず周りも破壊していく古今東西の人間達へ。
回答31:うーん、けなされてんのかほめられてんのか、よくわからない。まあ、古今東西老若男女焼肉定食、みんな読んで。

質問32:映画館で二回目をみたくなるようなタイプではなかったね / 初VS13のしょぼいCGとか、4番艦が急に出てくるのとかギャグなのか。ギャグにしては、面白くないのだが……
回答32:すいません、自分の気がくるってるのかと思って、2回も見てしまいました。しょぼいCGはカラーのCG班の実力でしょうけど、4番艦はナディアのオマージュらしいです。あ、自作のコピーはオマージュって言わないんでしたね。

質問33:熱量が凄い。愛だなあ……。冒頭の簡潔な感想にほぼ同意する。んだけど、自分にはここまでの呪詛を吐けるだけの気持ちが既に無かったことに気づけた。どんな形でも終わってくれてありがとうという気持ちのが大きい。
回答33:たぶん、2回にわたる延期が無ければ、貴方と同じ感想で終わったような気がします。公開を待つ間に、ついつい二十年前を思い出しながら文章を書き始めてしまったことがよくなかった。まあ、それでバズったので怪我の功名……ではないか。

質問34:つまらん感想文だ。もう、おじさんおばさんなのだから過去がつまらなくなる事を喜び楽しめ。貴方と貴方のお子さんの関係性こそ大丈夫なんだろうな?
回答34:次はもっと面白く書けるよう努力します。家族については別人格なのでコメントしません。よく子どもの写真とかSNSにアップする人いますけど、正気かって思います。今回は怒りのあまりつい触れちゃいましたけど、本当は言及することすらアウトだと感じます。

質問35:庵野補完計画。庵野監督はパンツを脱ぎ過ぎたのか
回答35:いやー、今回は厚着でしたよ。贅肉の上に肉襦袢をまとい、その上からダッフルコート着てましたね。奥さんとの関係を前面に出すことで、かつての友人たちとの軋轢や、東日本大震災からの影響を完全に隠蔽しようとしてますからね。

質問36:こういう庵野の心情を一方的に邪推するオタクって『監督不行届』やガイナ騒動への声明読んでんの?昔はどうか知らないけど、庵野は悪意や自己弁明で物を作る人には思えない
回答36:当然、すべて読んだ上での記事です。よろしければ、他のエヴァに関する私の記事も読んでみて下さい。もしかすると悪意は言い過ぎたかもしれませんが、自己弁護と怯懦はたっぷり表現されていたように思います。

質問37:他の作品から色々借りてきて無理やりエヴァを終わらせたような映画だった。これが庵野だと言われたら確かにそうなのかもしれないけれど、見たいエヴァではなかったと言われればそう。
回答37:旧エヴァってSF要素と監督要素がせいぜい7:3ぐらいで、序破では9:1ぐらいに薄まり、新劇への意志が感じられました。それがQで突然4:6ぐらいに逆転して、シンではさらに悪化して1:9ぐらいで終わった印象です。

質問38:エンターテインメントとしての完結じゃなくて鬱病患者が理解あるパートナーに救われました!エンドならそりゃね。映画外の庵野監督の個人情報追ってないの?とかもはや映画単体での完結放棄してんじゃん。
回答38:そう読ませるように作ってあるのが「悪意」だと思ってたんですけど、NHKのドキュメンタリーを見てから「無邪気」ではないかと思うようになりました。愛されキャラとして、ファンに甘えて許してもらおうとしたのかもしれません。還暦のオヤジがですよ!

質問39:読みごたえあった
回答39:この長文に読みごたえを感じられた貴方の知性に感服です。

質問40:同意。つまんねー映画作ったよ庵野は。もう今の状態が続く限りまともに作品作りできないだろう。どーでもいい映画をネームバリューで売り上げるだけの装置になるんだろうし、シン・ウルトラマンが思いやられる。
回答40:シン・ウルトラマンは他社IPだし、原作への尊敬があるのでシン・ゴジラぐらいはやってくれると思います。けど、他社IPを私小説でブッ壊すツソ・ウノレトラマソをどこかで期待している自分がいます。

質問41:アニメーション制作が集団作業である以上、監督の「自分語り」に周りのスタッフを巻き込むなら、ある程度の完成度に到達させる責任も発生するんじゃないの?という視点もあって良さそうに思えてきました。
回答41:その視点への回答は、NHKのドキュメンタリーで与えられていましたね。追い込まれることでドーパミンが出て作品の質が上がった経験があるクリエイターは、いつまでもその手法に囚われてしまう典型例でした。日本の長編アニメは畢竟、どれも私小説でしかないのかもしれません。

質問42:小鳥猊下さんが活動継続してたことにまず驚いた。
回答42:商業とかに回収されてると思ってたでしょ? されてないんだなー、これが。同人誌は出したので、興味あったら声かけてね。

質問43:みんなの呪いを解くための最後の完結編って感じでまあ満足したけどなあ。まだエヴァの呪縛を受け続けたかった人もいるのか。
回答43:旧劇から受けたそれは確かに呪縛と呼べるものでしたけど、シンエヴァのは侮辱とか冒涜とか呼ぶべきものでしょうね。

質問44:TV版最終話放送終了後にniftyの会議室に書き込まれた長文を彷彿とさせる様式美。京アニ放火の後では露骨な表現もできなくなってるのが違いか。
回答44:最近、作品や作者にとって都合のよくないふるまいをするファンの言動を封殺する目的で、例の事件が使われ始めましたね。みんな、身体欠損のある父親のような無敵の殴り棒が欲しいんでしょうね。

質問45:『ナウシカの再アニメ化でクシャナ殿下のこのアクションだけを映像にしたいと宮崎御大に申し入れて、「オマエはそんなことだからダメなんだ!」と叱られたときから、1ミリも前進していない』ははは
回答45:(泣き虫サクラの母親が息子の両目に親指を突っ込むときの表情で)笑うなー!

質問46:モヨコ氏の「おおきなカブ」(と監督不行届)は一番良い副読本だったなあ。あれがあったからすんなり飲み込めた。映像面やギミックではあまり楽しめなかったけど、そのへんは序・破・Qがあったからいいやと。
回答46:これ言う人おおいけど、ワケがわからん。電車でおばあさんに席をゆずるクリエイターの作品は傑作になるんですか? 夫婦の初めての共同作業ですか?

質問47:最初のエヴァで話題になりすぎて、期待値が高まった所ある。同じ様に謎で引き付けてる名探偵コナンやワンピースはどう風呂敷を畳むか。今の庵野はラブ&ポップとシン・ゴジラは作れるが、世代を作る作品は厳しい。
回答47:「最初のエヴァ」ってどれを指してるの? コナンやワンピースは正直どうでもいいです。「世代を作る作品」は限られたクリエイターに生涯一度だけ訪れるスペシャルなのに、それを人為的に繰り返せると思ったことが間違いの始まりでしょう。

質問48: 最高。
回答48:イェア!

質問49:ひぐらしみたいなタイトルだ……解、祭、絆、粋、奉、煌、業……
回答49:ひぐらしってセミ? それとも四年にいちど目覚める警官?

質問50:いいね。奥さんがなくなってから作られるエヴァも嬉々として見に行くだろうな。自分はガイナックスの崩壊と重ね合わせて見てしまったから、純粋に作品としてはもう見れないな。
回答50:あんな還暦のフヌケ男じゃなくて、ガーゴイルが悪役のエヴァが見たかったなー。監督の人生を歴史年表みたいに傍らに置かないと読み解けない作品って、50年後にはどんな見方をされるんでしょうね。

小休止。再開は21時。声をかけてよい。

番外質問1:小鳥猊下、はてブなんて新興勢力との格の差を見せつけちゃってください
番外回答1:いま調べたら15周年なんですって。nWoは1999年1月開設の22周年なので、勝負にすらなりませんね。ちなみに「2ちゃんねる」とかいう新興勢力は1999年5月開設のようです。

番外質問2:これを知らないのはちょっと意外。
番外回答2:実物をショウ・アンド・テルされて、引用先がわかりました。知ってましたが、読んだことはありません。

質問51:どうして俺を置いて大人になっちゃったんだよ庵野!という呪詛
回答51:いやいや、誤読もいいとこ。どうしていつまでも、社長になった後もガキみたいなメンタリティでいられるんだよって呪詛。

質問52:「たった14年で家の内装があんなに古びて詫びた感じになるものなの?」農村なめんなよ
回答52:これはすいません。奈良の北部っていう中途半端な田舎に住んでいるものでして、ガチ僻地の知識がありませんでした。

質問53:筆者がどうかは知らないが、シンエヴァに怒ってる人の多くは「私たちを置き去って庵野は幸せになりやがって。」って言ってる気がしてる。
回答53:監督が幸せだろうが不幸だろうがどうでもよくて、Qでエヴァの根幹を作った人たちを怒らせて、シンに触らせないよう彼らをスクリーンアウトした結果、駄作になったことに失望してるんです。

質問54:まあCGについてだけは同意だな/「俺の旧劇に触るな」クソワロタw庵野のだぞw
回答54:かつての優秀なスタッフのものでもあります。作品を見て、心の中に生まれる風景は個人のものでしょう。それを二十年も経ってからグチャグチャに踏みにじりに来るって、ひどくないですか。

質問55:猊下の文章が読めるとは。ありがたやありがたや。「ここ、怖いところだと思うんですけど、監督からの一方的な恋慕を、作中のキャラに「好きだった」と言わせることでまるで両想いだったみたいに改竄してるんですね」
回答55:私の文章をありがたいと思ってくれる方がまだインターネットにいる事実にありがとうを言いたいです。twitterとnoteで細々やってるんで、また見に来てくださいな。

質問56:「ナウシカの再アニメ化でクシャナ殿下のこのアクションだけを映像にしたいと宮崎御大に申し入れ」ああ人間に興味ないゲンドウそのものw/ここのブコメ反応を分類したい
回答56:本当に人間ドラマに興味が無いんですよ。形が似てるからって、はまらない場所に無理やりピースをはめにいってる感じがすごくします。全レスつけながらコメントの分類してますけど、驚くほど私の記事に対する否定的な意見が少ないのですね。

質問57:ほぼ完全に同意。あんなクソつまんない、外連味もセンスオブワンダーもない駄作を、「終わらせた」一事をもって評価してるみんな、甘やかしすぎ/トップ※が意味解らん。日本語読めてなくない?
回答57:私も日本語読めてないって思いますが、「殺すぞ」って言葉が悪すぎたので、「ブチころがすぞ」に読みかえるようエラッタを出しました。センス・オブ・ワンダーは本当にゼロでしたね。あのエヴァなのに、ビックリしました。

質問58:熱心なエヴァファンほど考察癖がついている。本作はファンに対する皮肉が込められていて、結果庵野の思惑を勝手に考察して勝手に死んでくファンを含めてさらばエヴァンゲリオンが完成してるなと思う。面白い。
回答58:力量不足による凡作を、ファンに考察させるための伏線みたいに読みとる人がいるあたり、究極の入れ子細工だか合わせ鏡だかが完成している感じはあります。ひとりで爆死してくれればいいものを、抱きついてくるから……

質問59:凄すぎる!1文字1文字に込められた呪詛、怒り、どんな表情をして鑑賞したのか。超兄貴からみやむーにまでイマジネーションが膨らむ感情。まさにご自身で書かれている評論家そのもの。更にエヴァを見たくなりました。
回答59:過分な評価をありがとうございます。評論家と違うのは、商業ムラに所属していないので、干されることを恐れての忖度が絶無なところでしょうね。シンエヴァ、あのムラでは肯定か沈黙をしか選べない作品になってます。

質問60:シンエヴァの感想の重さはそのままその人がエヴァに寄せてきた思いの重さなのかなぁ、と思うとかした。
回答60:まったくおっしゃる通り。真冬の八甲田山を25年にわたって行軍してきて、指揮官の最後の命令が「自決せよ」ですからね。みんな素直にバタバタ自決していくのが、気味が悪いです。

質問61:長いエヴァの感想見るたびに、成仏したはずの90年代個人ホームページの魂が盆に帰ってきたような感覚になる
回答61:いや、ずっと仏間に座ってるだけで、死んでないです。いちどトイレに立ったら親族がいよいよ死んだかと勘違いして、号泣していたことはありました。

質問62:面白くなさを受け入れるのが大人になることなんだよというのが、あの映画のメッセージだったような気がするな。映画全編から、みんな、ごめんちゃい…って感じが伝わってくるからね
回答62:たしかに「このくらいのところでもうゆるして」みたいな上目遣いの哀願は感じました。でも、面白くなくした原因が明白なので、憤っているのです。私は監督の奥さんではないですし、これを受け入れるいかなる義理もありません。

質問63:自分は今でも「エヴァは旧劇で終わった」って思ってるよ。これは別物。エヴァはあの時にしかなかった奇跡。
回答63:まったく同感ですけど、新劇は旧劇と地続きであることを何の誤解もできないようゲンドウの台詞で明言しちゃいましたからね。これが非常に大きいです。

質問64:“回答はどれもこれも9年を費やしたあとづけの言い訳ばかりじゃないですか。”これならもっと早く出せたやろと言うのはそう/笑うところがあるのは全然いいだろ。ちゃんと笑え
回答64:笑うところというか、自分にとって大切な人が公衆の面前で笑いものにされているのを見ている気分になりました。ぼくはもう、だれとも笑えません。

質問65:今作に否定的な内容の作文の中で「死ね」だの「殺すぞ」だのが平気で出てくることにかなりショックを受ける。しかもこの記事は監督に届きますようにと締められている。あのな、クリエイターは血の通った人間だぞ。
回答65:観客も血の通った人間で、ときに虚構というのは人生そのものと同じ価値を持ちます。あなたの言葉の裏には「たかがフィクションごときで」という侮りを感じます。

質問66:見たので感想巡りをしてる。庵野監督の作家性を超えたメッセージや私情、心理を邪推できる内容として捉えた人もいるのかもしれないけど、しかしこれこそが旧エヴァから続く「エヴァらしさ」であるとも言えると思う。
回答66:「邪推」ではなく、言葉は存在しませんが、その対義語(聖推?)の状態です。作家性は執拗なアングルと特撮へのオマージュだけで、あとは加工されていない「私情、心理」の垂れ流しでしょう。

質問67:もうなんつーか自分が気持ちよくなるためだけの文章だな 腐せるところをできるだけ腐してるだけの文章 クリエイターはこういうのと対峙しないといけないのほんと大変だな
回答67:自分が気持ちよくなる以外の文章作法を知らないものでして。ファンと対峙しているクリエイターなら、こんな腐すところしかない結論は持ってこないでしょう。

質問68:ネチネチ感すごい。
回答68:これでもまだ全然たりなくて、アディショナル、リカリングと呪詛を吐き続けています。よろしければ、そちらもどうぞ。

質問69:始めた人には好きなように終わらせる権利もあるんじゃないかなあ。
回答69:正確に言えば「始めた人」じゃなくて、「乗っ取った人」なので。自分以外が構成したエヴァのクリエイティブに、もっと敬意を払って欲しかったです。

質問70:精神世界のアレは茶番なのであのクオリティでいいのではと思う。 メタ的に鑑賞した場合、監督はやっと落ち着いたんだなとホッとした。 感想が面白いぐらいバラバラでこれがエヴァの醍醐味なんだなと改めて思う
回答70:さっきも指摘しましたけど、「凡作であることが監督の意図」って、いくらもらって書いてるんですか? 親に捨てられたあの少年の行く末を見たかっただけで、還暦のオヤジの精神状態なんて正直どうでもいいです。

質問71:自分は彼氏いておしゃれして他にも推しがいるくせに自称最推しがデキ婚するとさようなら〇〇君最後にあなたのプロ意識について~みたいなお気持ち愚痴ブログを垂れ流す女子オタを連想した
回答71:そういうブログを読んだことがないので、ご指摘はいまいちピンと来ません。女子オタって言われたらそうかなー、まいっちゃうなー。あたし、キレイ?

質問72:エヴァに脳を深く侵食されすぎててシンエヴァでは呪いが解けなかった人の感想って感じ
回答72:逆に聞きたいのですが、シンエヴァって観客の呪いを解く意図で作られてました? 監督がエヴァから逃げたがってる気分だけはたっぷり描かれてましたけど。

 質問73:(ネタバレ)観た人が感じたであろう色々も記されているが、それはさておき呪詛だ
回答73:シロクマ先生、こんにちは! インターネットの生ける呪詛、小鳥猊下です! 以前、「生きながら萌えゲーに葬られ」へコメントつけてたって聞きましたけど、どんな内容だったんですか?

質問74:農村についてジブリが引き合いに出されるのは庵野と宮崎の関係などから正解だとは思うがあれはむしろ細田守的世界観に見えるんだ。キャラ造形も宮崎より細田っぽい。
回答74:あー、そうかも。羽虫や地虫や陰湿な人間関係が脱色された、オオカミと菅原文太(ブンター)と過ごすロハスな田舎暮らしって感じ。そしてエンディングは新海誠っぽいですよね。

質問75:「ロボットアニメなのに監督の私小説…続編や派生作品にだれも手を出せない」エヴァはガンダムになって欲しかったのに、昭和の泥臭い価値観を提示して終わってしまった糞、という呪詛。ご愁傷様と言うより他はない。
回答75:お悔やみをありがとうございます。別にガンダムにならなくてもよかったんですけど、Qの断絶を取り除いて、序破からの連続性と整合性のある物語を見たかっただけなんです。

質問76:シンを観てもなおこんな風になるのか。賛同も多いのね。(少なくともエヴァにおいては)今までの関係性から次に進まなければと感じそうなもんだけどね。ネタとしても自分は面白みを感じない。CGはまぁね・・・
回答76:「君は次に進め」ではなく、「オレは次に進む」というメッセージを物語としてではなく、説教として聞かされたことに反発を抱いています。逆に聞きますけど、この映画を見て次に進む気持ちになったの?

質問77:エヴァを終わらせてファンを解放するための映画だったのだから、これまでのエヴァを観たかった人には呪われても仕方ないのかもしれない。私は頑張ってまとめてくれてありがとう、と庵野総監督に言いたいですけれど。
回答77:そんな目的の映画だったの? SFを指向してると思ってた。なら、あのていたらくもしょうがないですね。最近、クリエイターにとって都合のいい観客を演じる人が増えた気がします。ほめてもらいたいの?

質問78:正直今後の人生で、もうエヴァについて考えなくていいことに最大の価値がある。
回答78:173件のコメントに全レスつけてるのを見てもらえばわかると思いますが、この2ヶ月というもの「考えなくていい」と真逆の状態にいます。いつまで続くのか、自分でも怖い。

質問79:あの頃の殺害予告出してた奴らもこのノリだったんだろうなと。言いたいこと分からなくはないが生身の人間に向ける言葉ではない。
回答79:「ノリ」と片付けられるのはシャクです。貴方の言葉を借りるなら、「生身のエヴァファンに向ける映画」ではなかったですね。あと、なんでそんな優等生なの? だれかに素行をほめてほしいの?

質問80:あんなに薄っぺらい映画、なかなかないよ。これをスタッフの誰も止めない、観客も褒めるって…。オトナオトナいう癖にやってる事は幼稚園のお遊戯。金と時間の分は満足させようという気概がないのが腹立つ。
回答80:「ありがとう」は言えても、「ごめんなさい」が言えない人物っていますよね。旧劇の立役者やQで離れた方々に「ごめんなさい、戻ってきて下さい」が言えていたらと思うと、残念でなりません。

質問81:筆者が厳しく指摘してる箇所がことごとく作り手側が明確にギャグとしてやってる(プラグスーツ田植えとか)しあえてダサくして無価値化を狙ってやってる(アナザーとかアディショナルとか)箇所ですれ違いを感じた
回答81:なぜギャグとしてやってるとわかるの? 25年間、コミカルとシリアスを明確に分けてきたのに、最終作で突然それを変えたってこと? 「力およばず凡作になった」だけで、制作側にはなんの意図も無いんじゃないの?

質問82:呪いは解けない。時代のコンテンツの呪いの聖杯は進撃の巨人が受け継いだ。エヴァから時代の聖杯は離れた。聖杯はこれからも世界中の人をインターネットを通して呪い続ける
回答82:もっとも多感な時期に体験したエンタメが聖典化するだけのことでしょう。それが君には「進撃の巨人」だったし、私には「エヴァンゲリオン」だった。人類共通の聖杯は存在しません。

質問83:これがエヴァで中二病になった人間の末路?
回答83:大学生だったんで、ちょっとズレるかな。末路ということなら、そう。

質問84:犬猫でさえ王子王女扱いなので子供が生まれた日にはうちの子の映画作るってのは監督不行届でも描いてたな。
回答84:子どもについては、そこからの悪意的な想像です。恋人も奥さんもペットも特撮も溺愛するタイプの人物なのに、自分のオリジナル作品だけには冷淡だというのが面白いですね。

質問85:気持ちを代弁してくれてありがとうという感じ 今までエヴァを見てきた時間を全て台無しにするような最低の映画だった
回答85:まったくです。個人的には旧劇を引き合いに出さなければ無視するぐらいで済んだんですけど、突如として旧劇に抱きついて自爆しやがったんで、「コノヤロー、ぜったい許さねえ!」って気持ちになりました。

質問86:こういう反応がもっと多いかと思ったけど、むしろ少ないってのが不思議(自分はここまでの熱量はなく、「ああ終わったんだなあ」という感慨深さの方が大きかったが)
回答86:「手心を加えて労うべし」という空気が最初に醸成されましたからね。いちばん深刻に怒ってるのはエヴァに感化されて活動を始めた商業作家のうち、一言もコメントしてない人たちだと思います。その心中を想像すると、怖くなってくる。

質問87:猊下ノートやってたのか。生きてただけで素晴らしい。いまこそあなたの日曜日には僕は行かないの出番ですよ。
回答87:私の生存を認知してなかったファンがいるのが寂しいですが、「日曜日には僕は行かない」ってリンク集ですよ? シンエヴァを憎む方々に相互リンクを申し込んで、キリ番ゲットしろってこと?

質問88:にくいねっ! 作品殺しは人殺しではないから罪は問われないらしい! 自身が呪いの記事書いても誰にも呪われないよいう自信が相当おありで!
回答88:「人を呪わば穴二つ」は理解しております。むしろ呪いの記事が届いての「呪詛返し」を切望しているのです。あと、作品が人を殺すことはあります。

質問89:自分としては始まった物語を終わらせるための儀式やったけど、終始監督の顔がチラついてたの辛かった。
回答89:私も葬儀だと思って参列したんですよ。そしたら焼香のとき、棺おけに横たわった監督がカッと目を見開いて、痰の混じった黄色いツバを吐きかけてきたもんだから、そっからはもう、つかみあいの殴りあいですよ。

質問90:俺は「終わらせてくれて良かった」的な感想を見る度に寂しい。前は別れまいと縋り付いたであろう者たちがありきたりの別れを歓迎する様が寂しい。疲れて遊園地の閉園時間にホッとするような大人たちが寂しい。
回答90:「歳を取って、衰えた」ことをだけ表現する作品に、己の寿命から逆算した安堵を次々と表明するファンたち。シンエヴァって、オタクの特別養護老人ホームですね。

質問91:後で読む
回答91:読んだ? どうだった?

質問92:ここまで思い入れがあるのすごいわ。とにかく終わって良かったねって感想しかない。
回答92:あのエヴァが、終わった事実だけをして「良かった」と言われるような、要介護の作品に成り下がったことが許せないです。

質問93:色々批判文読んだがどれもこれも自分の思い通りにならなかったからキレてるようにしか見えん。庵野氏もうんざりだろうな。
回答93:思い通りというか、これまでの伏線や物語の自走性からはたどり着かない結末なので、キレてます。シンQは作り手の沿わせたい筋書きでキャラの人格を無視する、典型的なイディオット・プロットだと思いますよ。

質問94:こういう人達の中でエヴァが死んだんなら本望なんじゃねかな
回答94:死ねなかったんですよ。だから困ってるんです。

質問95:トウジの父親じゃなく、ヒカリの父親では。/人間味を感じない文章。矛盾してこそヒトでは?
回答95:ヒカリでしたね。誤認も含めて、当時の感情の記録だと思うので、直してません。作品が矛盾したらアカンでしょ。

質問96:若いのに老人。そういう内容。昭和末期にいっぱいいた。
回答96:ちょっと意味がわかりませんね。うまいこと言った気になってる?

質問97:エヴァが完結させられたことじゃなくて、よりによって25年の集大成がこの出来かよって怒りでしょ。特に後半。
質問97:そうそう! 「ファンや作品のためではなく、自分のカネもうけのためにエヴァをリブートした」ことを事実として確定させる作品になっちゃいました。

質問98:呪詛はこのくらい強くないとね。
回答98:いま読み返すとリーダビリティと面白さに寄せてて、呪詛としてはまだ強くなる余地が残っているなと感じます。続きも読んでね!

質問99:トップコメントで思ったけど「色々あったけど完結したからとりあえずOK!」みたいな感想が少なからずあるんだよな…。シンには監督の作家としての良心を感じなかったのでそこで怒りを感じてる。
回答99:作家としての良心はゼロでしたね。エヴァQのせいでヤマトのリブートに関われなかったり、シンエヴァのせいでシン・ウルトラマンの撮影に関われなかたり、エヴァが邪魔で邪魔でしょうがなかったんでしょう。

質問100:猊下へ 高天原勃津矢や生きながら萌えゲーに葬れが人生に影響を与え、MMGFからの閉鎖を経験した下々の気持ちも想像していただきたく存じます。
回答100:私にここまでの関心を持ってくれて、ありがとう。しかしながら、20年以上を観客たちの沈黙にさらされ続けた私の孤独とやるせなさも、想像してみてほしいです。

小休止。再開は22時過ぎ。拡散してよい。

番外質問3:私小説的文脈の大変卑怯な点は具体さを欠いたまま視聴者のマスなパーソナルに寄せる/寄り添う事で作品の本質的な評価を見失う事
番外回答3:作品の客観的な評価じゃなくて、監督の私的な感情へ主観的に寄り添えるか反発するかが軸になっちゃってるんですよね。そして、かなり意図的にそう作ってある気がします。

番外質問4:きみの猊下が!
ということで、恐れ多くも小鳥猊下に微課金(a.k.a. Love)させていただきました
番外回答4:note記事への課金を確認したゼ! 諸君もこの姿勢を見習って、ウマ娘の虚無ガチャへ福沢諭吉を投入する前に、夏目漱石ぐらいを小鳥猊下へ課金するのが見返りの点でオススメだゼ!

番外質問5:小鳥猊下にrtされて気が動転している
番外回答5:動転するならカネをくれ!

番外質問6:作品全肯定視聴者は増えた気がするけど、そんな人も深夜のマジでこれどうすんだみたいなアニメは叩いてたりするので、権威への擦り寄りとか”分かってる自分”アピールに見えて、何を感じてどう思ったのかが先行してないので、信頼できない。好きか嫌いかで意見が合わなくていいから、生の感情をくれよ。
番外回答6:なんか、ポジショントークが増えましたよねー。特に業界に関わってる人は、シンエヴァは褒めなくちゃいけないっていうか、批判を封殺する雰囲気を感じます。個人的には、カズ・シマモトの呪いが聞きたいなー。

番外質問7:思い入れが強いわけではないけどEOEで良かったと感じていて、そのため新劇の序破は居心地悪く、Qが「そこまで面白くないけど、もっと精緻濃厚にEOEをやり直す準備だよね?期待してるよ」と構えてたら、空気投げレベルの肩透かしを食らった。小鳥猊下と逆方向にガッカリしていた
番外回答7:シンエヴァみたいのを出されてしまうと、EOEの結論で全然よかったですよね。この後の回答にも書いてますけど、新訳Zガンダムみたいに、ちょろっと結論を変えるくらいで良かったと思います。

質問101:25年もの間にエヴァに代わるアニメが無かったがためにここまでの熱量がくすぶり続けたかと思うと成仏出来るだけ幸せだよ、どんな形であれ。
回答101:熱量が伝わったことはうれしいけど、いやいや、ぜんぜん成仏してへんのよ。呪いが強すぎるあまり、この世を永久にさまよい続ける怨念と化してしもたのよ。つまり、怨念がおんねん。

質問102:かつては憧れたこともあったけど最近は見下してたオタク友達から久々にきた連絡が結婚式の案内状でキレてしまい目に映る全てがクソになったオタクみたいな文章だ
回答102:いや、かつて互いに衆道を極めた相手が家督を継ぐため見合い結婚した醜女を見て、「この花に捧げたのか」と心中で毒づくときの感じ。あるいは、街中で煙草をせがまれたルンペンに侮蔑の視線を向けたら、二十年前に憧れた生徒会長だった感じ。

質問103:見た。この映画のコピーは「やっぱり、コミュ障は氏ね。」が適切だと思う。
回答103:「コミュ障のオタクでも、結婚すれば世間に受け入れられた気分が味わえるよ!」じゃないかなあ。

質問104:さすがに途中で読むのやめた。長文だからじゃなく、門外漢の自分にも既に類型的な反応すぎて…
回答104:公開3日目まで、シンエヴァを否定する類型的な反応はひとつもありませんでした。あと門外漢なのに、なぜ専門職の文章を読もうと思ったの?

質問105:1割も理解できた気はしないけど、こういう熱い文章がタレ流れてくるのを読むだけで幸せになる。
回答105:「読書百遍意い自ら通ず」と申します。熱いことは伝わっているのなら、百回読んでもっと幸せになろうよ!

質問106:いい感じに完結したと思うけど、マニアには気に食わないんだろうな
回答106:いい加減に完結したと思うけど、シロウトにはわからないんだろうな

質問107:初号機vs13号機の戦闘について,ここまで感想が違うのか。私ですら(祥太氏ほどではないが)異常な手間をぶち込んだシーンだとわかったぞ。虚構の破壊と現実への侵食をテーマに執拗に絵が描かれていた。
回答107:うーん、ここは順番が逆だと思うんですよ。CG班が監督の満足するものを上げてこなかったから、彼らの技術でも可能な演出プランに途中で切り替え、結果として物語を閉じるのに旧劇を持ち出さざるをえなくなった。許さない。

質問108:プラグスーツ農作業はめちゃくちゃ今どきっぽい萌え要素(古い言葉だ)だと思うので、言っちゃ悪いけど庵野のほうがオタクとして先端を走っていて昔で止まってる人は止まったまま。もっとアニメを見なさい。
回答108:萌え要素なの? ヤマト2199劇場版の感想に、「この世界では、モデル体型を維持できなくなった四十路の女性は、全員宇宙葬形式で退艦させられるに違いない」と書いたら、メチャクチャからまれたことを思い出した。いい大人がアニメなんか見て、恥ずかしい!

質問109:きっとこのオタクは20年前から時が止まってるんだろうなあ。序破Qシンゴジを踏まえると感動的な流れなのにね。
回答109:エヴァの完結を見にきとんのに、なんでトカゲの映画を見なアカンねん。それ、フィクションの感動の仕方とちゃいまっせ。「はじめてのおつかい」を見るジジババみたいな情動失禁でっせ。

質問110:愛をどういう形で自分の中で完結させるかが人間としての器、って気がするよ。/ beautiful worldへの入り方すごく良くなかった!?
回答110:高い期待に無言でサラリと応えるのが大人としての器量って気がします。2時間35分の苦痛を、曲の入り方の数秒だけでチャラにできるの? 音楽関係の方?

質問111:Qをちゃんと見てないと、わりとスムーズに楽しかったよ。気持ちが入り過ぎると大変だねえ。
回答111:ワールドカップのときだけサッカー見るような人種ですね。旧劇序破Q百回見てからコメントして。

質問112:序くらいの頃から見始めた人らは「なんで俺ら急に説教されてんだろ」と思ったに違いない というかわしは思った
回答112:やっぱりそう思われます? 酒グセの悪い上司に飲み会の席でからまれてるみたいでしたよね。参考にならない特殊な人生訓を垂れ流されてる感じ。

質問113:“エヴァを愛して貴方の下に集まった人々を庇護するために、エヴァをガンダムと同じものにすることこそ、貴方の本当の「仕事」だったんです” そんなことをエヴァを愛した人が望むわけねーだろ…
回答113:見解の相違ですね。私はプロダクトとしてのエヴァを望んでましたよ。貴方がエヴァを愛してないだけじゃないの?

質問114:『エヴァに関しては自分でちらかしたのを自分でかたづけて、「えらいねー」と取り巻きの女性に頭をなでてほめてもらう得意顔の子どもがいるようにしか見えません』
回答114:この一文に、何を感じられたのでしょうか?

質問115:自分とは全く違うお気持ち表明だけどこういうの読むのも楽しい。
回答115:楽しんでいただけて何よりです。こういうコメントが正しい多様性の受容じゃないですかね。

質問116:子供の頃ナディアでガーゴイルに爆弾落とされ、ネモ「何とか耐えたがもう一発きたら危なかった」ガーゴイル「念の為もう一発落としとこう」で爆笑した自分としては、ヴンダー4号激突はギャグでもいいやと思います
回答116:ありましたね、そんなシーン。大真面目に演出をつけてるのにギャグにしか見えないのは、コピーのコピーのコピーになってるからでしょうね。

質問117:愛であり、言祝ぎであり呪いですね!共感出来ました!
回答117:そう、愛なんだよ! ニワカどもにはそれがわからねんだ。でも、言祝いでない。言祝いでないよ。

質問118:「見た目は大人、頭脳は子供」の人がこういう感想を述べるんだよな。とんでもない逆コナンくん発見機を監督は作ったと思う。
回答118:うまいこと言ったと思ってる? ジブン、正直スベッてるで。

質問119:映画「シンエヴァ」の締め方に怒っている人たちを見ると、映画「パトレイバー2」の締め方で、長年押井守に粘着しているパトファンと被って見える。特に「自分の好きだったカップリングを完全否定」された点とかね。
回答119:マモルさんの怒られは原作者から作品を奪って原作側を二次創作にしてしまう強烈な作風から発生しています。一方でシンエヴァは原作者による原作の二次創作化なので、ぜんぜん違うと思いました。お話さえしっかりしてれば、カップリングはどうでもいいです。

質問120:ストーリーや動機云々より、映画としての絵作りの最高潮が予告公開の部分で終わっちゃってたから後味微妙なんよな。Qと違って完成度が低いわけでもないので悪し様にも言いづらく。長いから印象が拡散しちゃうし。
回答120:予告編から想像していた内容以下のものを出されたガッカリ感は、確かにあると思いました。あと、完成度が低いから悪し様に言ってるわけですが、まあ、Qは思い付きの突貫工事でひどすぎましたからね。

質問121:本文読んでないし映画も見る予定なかったのに、ブコメ読んでたらなんか凄く見たくなってきた。ブコメおもしろいなあ
回答121:コメントだけ読むみたいな文化あるんですね。映画見て、本文読んで、また感想聞かせて下さい。

質問122:なんて他力本願な人なんだろう。これをよんだ率直な感想。作品はあなたに何も強要していない。自由なはずなのに、自分が感じたことを呪いと言って人のせいにしてばかり。
回答122:他人の作品に対して、自力で本願を達成する方法を教えて下さい。シンエヴァは、制作側の意図する感情と解釈への誘導が不自然なまでに強いと思います。聞きますけど、貴方は「自由」にこの作品を視聴できたんですか?

質問123:ここまで他人を掴んで離さない、「さよなら」と言っているのに離してくれないような人を産み出すようなコンテンツって、今後、出てくるんだろうか。観客側の要素も大きいだろうけど。
回答123:旧劇から二十年、人生と骨がらみにだれかと並走してきた作品は、もはや公共財みたいなものじゃないですか。地域に長年親しまれてきた緑地を、最後の権利者が「ここは更地にしてマンションにするから」と老人や子どもを追い出して、立ち入り禁止の黄色いテープを貼ったみたいな映画でした。

質問124:これだよな。この内容を監督も自分に叫び続けてたから今まで作れなかったんだろうけど、自分が生み出したキャラクターを幸せにする義務でも感じたのか。執着を捨てることが終着、それがエヴァンゲリオンレクイエム。
回答124:まあ、旧劇も含めて「すべて自分に言ってる」のだろうことはなんとなくわかります。アニメを捨てて、シン・ゴジラで評価を得た特撮に行くため、もともと執着の無いキャラクターを、虫のように順に潰していったとしか感じられませんでした。

質問125:ゲンドウの真情吐露が最たるものだけれど、ずっっっっっっと「説明して!」って思ってたいろんなことをちゃんと説明してくれたというだけでももうめちゃめちゃ感動してしまった。
回答125:ゲンドウの心情って、旧劇では同じ内容がソリッドな演出と短い台詞で充分に観客へ伝わっていました。全体的に、俳句とかギャグに解説文をつけるみたいな野暮ったさでした。感動できるのが意味不明です。

質問126:熱い感想。岡田斗司夫の感想が早く聞きたい
回答126:少しだけ動画を見ましたけど、「元ネタがすべてわかり、それを言語化できる」喜びは伝わってきましたね。

質問127:最後めちゃくちゃ「気持ち悪い」終わり方で、エヴァ変わってなかったんだなって感じたけどな。
回答127:ラスト30分がメチャクチャ気持ち悪いことには同意しますが、新劇を始めるにあたっての宣言から大幅に退行して、旧作の無難な自己模倣になったことが問題だと思います。

質問128:“現実の個人がどんな生活を送っているかとサイファイのセンス・オブ・ワンダーの間には何の連絡もないし、むしろ何か関係があったらダメなんだよ!” ??理解に苦しむ
回答128:読解力の無さとか頭が悪いことをなんでわざわざコメントで残すの? ? 理解に苦しむ。 

質問129:庵野語りが強すぎる感はあるが、その辺の忖度は褒めてる方のレビューでも割とそうなので、まぁ。
回答129:繰り返しますが、監督に言及しなくては解釈できない作りがQシンの問題点です。序破の段階では作品語りはあっても、監督語りなんて絶無でしたよ。

質問130:25年以上付き合ってきたのに庵野のこと何もわかってないのなといった感じ。旧劇と違って温かいメッセージしか感じなかったけど、人によってここまで感じ方が違うのかという驚き。ひどいCGとかもわざとだぞあれ
回答130:なぜSF作品を見るのに、赤の他人を理解しなきゃいけないの? 擁護派の人たちって、低クオリティのCGと物語をわざとって言いますねえ。でも、低クオリティであることは認めてるんだから、わけがわかりません。まあ、あれを温かいと思う感性なら、仕方ないか。

質問131:お焚き上げのようなものだったので浄化されてたまるかってなるのもわかるし供養され満足気に逝く様をみる寂しさもわかる、リアルタイムで追えたことに感謝
回答131:昔と比べてインターネットって、ヌルくなりましたね。クオリティが低いことは認めながら、感謝、感謝って、なんかの宗教なの?

質問132:エヴァだからこういう感想もあって当然。まあそのうちいつか誰かが、また違ったエヴァを作るだろう。作れば売れる作品を放っておくはずがない。
回答132:第弐話の初号機暴走や、「使徒、侵入」のシナリオや、旧劇の量産機戦を手がけた方に破の続きから作り直していただくことを切に希望しております。

質問133:何というか、こういうテキストサイト()的なノリの文章もたいがいダサくて時代遅れなんだよな クリエイターへのリスペクトの欠如を露悪的に書き散らすのが面白いみたいなの、正直もう見ててキツいっす
回答133:キャラクターの人格や物語の自走性、もっと言えば一時代を築いた「エヴァンゲリオン」へのレスペクトが絶無なのが正直もう見ててキツいっす。まとめブログのテンプレみたいのがいいの? いかがでしたか?

質問134:nWoだ。テキスト黎明期の呪詛師みたいなひとで、世の中への愛憎が煮詰まった蠱惑的な文章が好きだったし、こういう言説は畢竟自分語りでしかないということもここで知った。
回答134:何かへの呪詛は畢竟、自分語りに過ぎず、私小説にしかなりません。新劇の志とは、そのもどかしさを別の何かへ昇華していく道程でした。それが最後の最後で退行して、「幼年期の終わり」ではなく「幼児がえり」になってしまった。

質問135:旧劇から何も変わってない人間は叩いてるイメージ
回答135:シンを前向きだと思える単細胞が褒めてるイメージ

「ツイート送信の1日の制限回数を越えています」とのこと。また、想定していた時間をオーバーしていますので、残念ですが続きはまた明日。

Day2 -2021.4.29-

例のドキュメンタリーの長尺版が本日20時から放映のようなので、「はてブ」全レス再開は19時とします。

では、全レス再開します。えーっと、どこからだっけ?

質問136:それでもBlu-rayかDVDとか出たら買うしテレビ放映も見逃さないし、配信もチェックする人なんだろう。
回答136:そうね、それはそうかもしれない。エヴァを思春期の終わりに体験したことは、ヒヨコの刷り込みに近いと思います。

質問137:創作者の現実と直接的に結びつけ過ぎだし、その上での批判としては言葉が強すぎる。一方で指摘内容には概ね頷ける。褒める感想にも同意できるけど、こういう心情も並行して感じてたんだよな。「わざと」だとしても。
回答137:個人的には、リーダビリティと面白さを追求してしまったので、まだ弱いと感じています。繰り返しますが、創作者の現実と結びつけるように作ってあるからですよ。

質問138:きっとこの人の中では何周も回って結果こういう攻撃的な文章になったのだろう。90年代のオタクのテンション。まさにエヴァの呪い。
回答138:回ってなかったし、終わってたんですけど、2回の延期でエヴァの思い出を書き始めたら、己のテキストで自家中毒みたいになっちゃった。

質問139:綺麗に終わってよかった派だけど、雑な面は多々あったのでわからないでもない。こういう人に対しては死ねゴミと思ってもらうことでサヨナラしてもらおうという意図があってのあれだと思ってます。
回答139:また、「わざとつたなく作ってる」ことを主張する方ですか。NHKのドキュメンタリーで、それは否定されてると思うんですけどねえ。エヴァをエヴァたらしめていた方々の離脱が、こうなった主因(手淫)でしょう。

質問140:いい歳こいたおじさんおばさんが、たかがアニメに20年近く執着して呪いだなんだとニチャニチャやってんのは本当にキツい、もう大人にはならなくていいからせめて人間になれよ
回答140:「人間に育ててもらえなかった」人々への救済がSFの真髄だと信じているし、旧劇の赤い砂浜は私にとっての聖域でした。健やかに成長できた貴方がうらやましいです。

質問141:やっぱりどう考えてもQが余計だったわけで、破のあとに旧劇ベースでソフトランディングするのが良かったように思う。
回答141:新訳Zガンダムを見たことが新劇のきっかけらしいので、たぶん初期の構想はそんな感じでしょうね。最後に発狂しないカミーユを見て、「壊れないシンジ」ルートを描く気だったと思います。

質問142:面白かった。記事を読んでいくにつれて 、「あれ、この人山本一郎かな?」と思うほどに彼の文体に似ていた。しかし山本一郎氏はエヴァにはそこまで思い入れはないはず。
回答142:山本一郎ってだれやねん。調べてみたら、私と同じくらい古くからネットにいる有名人なんですね。文体が似てるっていう指摘は気になるなあ。私の文章の源流は翻訳小説と栗本薫です。

質問143:Qで裏切られたと思い込んだままに、新作にかこつけて庵野をこき下ろしたいだけって感じだな、大御所を引き合いにだせば庵野も言い返せないだろう的な打算やら、特にガンダムのくだりは取って付けたような批判
回答143:だから、ガンダムの下りは本人の発言ですってば。私物化された作品とキャラ(特にシンジ)が不憫でならず、死者の代弁をしているつもりです。貴方はQでの変節はまったく気にならなかったの?

質問144:なんか語り口まで25年前に戻ってる人が多くない?ずいぶん罪深い作品だな、やっぱり。
回答144:私は20年間ずっと、この語り口でした。罪深いのは作品というよりは、監督でしょう。

質問145:実生活で溜まった負のエネルギーをネットに吐き出すタイプの人だ
回答145:「私」という我を殺して社会生活を送っているため、「私」を出したいエネルギーが溜まっているのはそうかも。「負」かどうかは、各自ご判断ください。

質問146:勝手に自己投影して、勝手に呪ってて笑う。周り見渡してみなよ
回答146:自己投影できる作品強度が無かったことを呪ってるんですよ。見渡しましたが、ハプスブルク家みたいなコピペの感想とまとめサイトしか見当たりません。

質問147:あまりにも傷つけまくってて途中までしか読めなかった。嫌いになったから呪いの言葉を述べるの、アイドルが脱退卒業する時に一部のファンがアンチになる瞬間と同じに見えるから庵野はアイドルなのかもしれん。
回答147:どんどんL結界密度(笑)が濃くなるな! 途中で読めなくなるほど、共感能力が高いのはいいことだと思います。私のアイドルはシンジであって、監督ではありません。

質問148:こいつはこの文章を書いて何を埋葬したのかな。
回答148:ちがうよ、生きたまま埋葬されたので、大雨の深夜に墓穴から這い出してきたんだよ。

質問149:ぽかぽかしました(テキストで殴るスタイル)
回答149:ポカァ、ポカァ!(右頬を殴られたら左頬を差し出すタイプ)

質問150:よくも憶測でこんなにモノがかける。自己陶酔して喜んでるのは自分だろ。
回答150:自己陶酔は長文を書くときの常なので、そう。事実無根の憶測は意外なほど少ないと思います。

質問151:こういうのも含めてエヴァだと思ってるので読めてよかったです。
回答151:ありがとう。貴方の声が聞けてよかったです。

質問152:頭悪いなー
回答152:オマエモナー

質問153:なんか事件起こしそうで怖い。
回答153:むしろ言語化できないヤツが事件起こすと思うんですけど。事件により過去の文章を読んでもらえるようになるという妄想はあります。

質問154:もちろん庵野秀明はジオウ劇場版を見たと思われるが、その上で彼はソウゴではなくクォーツァーになり、醜いエヴァを均して整地する方を選んだ訳だ。なれば均されぬ凸凹を愛していた人は当然怒るか
回答154:比喩がぜんッぜんわかんないんだけど、かつてのエヴァは美しかったですよ。それが腹の出た飽食のオヤジになっちゃったことを嘆いているだけ。

質問155:エヴァの呪縛
回答155:古い鯖に当たったときのような、深刻な蟻走感

質問156:庵野大好きかよ
回答156:旧劇が大好きだったんだよ!

質問157:「何も終わっちゃいません!何もです!エヴァは続いている!俺にとっちゃ今でも!」 これがエヴァに呪縛された魂。庵野が解き放つ事を願ってシンエヴァを送り出し、それでもなお捕らわれたままの存在
回答157:その小芝居、いる? 解き放つことを願ってないと思いますよ。シン・仮面ライダーが迫ってるから「終わらせることを最優先」にしただけ。

質問158:しらんがな
回答158:せやな、せやせや

質問159:今作ならではの新しいものが何一つなかったのには同意。真面目に終わらせた感慨はあるけど映像作品としてのマジックは起きなかったなー
回答159:9年もあったのに人為的に〆切がキツイ状態を作り出して、「神様が降りてこない」結果、旧劇の模倣に手を出したのが内幕なんでしょうね。

質問160:アニメ監督は奉仕活動じゃないからね。そこまで明確に自分の見たかったエヴァ像があったのなら自分で同人書いて昇華するのもありかもしれない。エヴァに依存せずに健康的にエヴァを愛し続けられそうな気がする。
回答160:どうにも原理主義者なので、オリジナルをしか本物と認められないんです。聖書やコーランが改訂できないのと同じ。リアルイベントとか二次創作とか、必要性をまったく感じられない。

質問161:で、考察厨はこの先どうなるの?
回答161:考察厨は鉄道マニアと同じメンタリティなので、廃線になった鉄道と同じ楽しみ方をすると思います。

質問162:憑き物が落ちなかったお方の感想。
回答162:落ちてた憑き物を拾い上げて、また覆いかぶせてきたんです。

質問163:こういうロクに批評の作法も知らない自己愛感情開陳オタクくんには辟易する
回答163:批評の作法って何? ただのテキストで、感想ですよ。お行儀のいいインターネットには辟易する。クリエイターに褒めてもらいたいの?

質問164:エヴァの規模で散らかしたものを自分で片付けたら普通に偉いし褒められていいだろ。スターウォーズ9批判ならともかく8批判を前提にしてQとシンをそれになぞらえるのもセンスない
回答164:9批判に8の前提が必要ないって、さてはアナタ、「最後のジェダイ」傑作派ですね? だとすれば、私から貴方にお話することは何もありませんし、皆さまにもそれでご納得いただけるかと思います。

質問165:逆だろ。エヴァとしてはこれ以上ないゴールだけど映画としてのレベルは低い。長くてダレるしCGのクオリティは序から変わってないし。
回答165:まあ、同意できないこともありませんが、旧劇からの原理主義者にとっては、「これ以下は存在しないゴール」でした。

質問166: いいなぁ、いいなぁ。これだよ、これ
回答166:よい目利きをなさる。そう、「これ」でしょう。しかし、「これ」の良さが分かる方々も最近では少なくなりました。

質問167: 庵野監督はもうエヴァンゲリオンという題材では才能を発揮できる人ではないわけで、そんなのシンゴジラを観てればわかるはずだけど、尚それでも期待されてしまうのが庵野監督でありエヴァなんだなあと思いました。
回答167:ならエヴァQなんか作るなよ、新訳Zガンダムぐらいの再編集リメイクで、シンジが量産機からアスカを助けて終われよ、って思いました。

質問168:後で読む
回答168:そろそろ読んだ? どう思った?

質問169:たとえ昭和的手段がわざとだとしても、あれだけもったいぶった最終回でオタク排除くらいしか示せなかった監督の手腕はアレだよねという感想。簡単じゃんそんなの。
回答169:示されたのはオタク排除じゃなくて、キャラクターの人格ロボトミーによる作品破壊じゃないですかね。あと、なにが簡単なの?

質問170:土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ
回答170:ラピュタだっけ? 結論を考えてから作らないのと、特定の結論にたどりつくためには最初からのビルドアップが必要だと理解していないから、まともに畳めないんでしょう。

質問171:色んな意味でこの文章を書くのは自分には無理だなーと思わせられたでゲソ。ブコメの色んな意見読める機会になったことには感謝してるでゲソ。
回答171:お褒めいただき光栄エヴァ。コメントも玉石混交なので気をつけるエヴァ。

質問172:思い入れが強すぎるけど、指摘は割と良いとこ突いてる。
回答172:オマエ、ウエメセ、マザファッカ、ファイア。オレラ、シタウチ、ムカチャッカ、ファイア。

質問173:私怨による呪詛によって、当たってるところもある批判の価値を減じさせているのがクレバーじゃない感想。落ち着け。冷静じゃないから関係ない文脈すら見出して変な方向に論が行くんだよ。
回答173:あ、「最後のジェダイ」がスターウォーズ最高傑作と言ってらっしゃる方ですね。だとすれば、私から貴方にお話することは何もありませんし、皆さまにもそれでご納得いただけるかと思います。

質問174:薩川、磯、貞本らの努力の上にあった旧版に泥かけたのが腹立つしそれをエヴァは私小説だから、とか言って酷い出来の脚本,演出にも目を瞑って考察という名の忖度している連中もむかつく最後のシャッターとか酷すぎ
回答174:コメント増えとるがな! エヴァという稀代のSFの、本当の核になる部分を作った人たちへの「感謝」が完全に欠落していますよね。カヲル君の声優もシャッターについては批判的な見解を述べていたように思います。

質問175:「概ねその通りだな…」という感想です。親子のエヴァCG対決は「あかん」と思った時点で旧劇の量産機まわり担当した人らに頼むか、でなきゃ白組にでも外注すべきでしたよね。あの場面の失笑というか、落胆たるや。
回答175:肯定派の方々には、ミサトの部屋やシンジの中学校で戦う初号機を見た瞬間の気持ちを教えてほしいです。「これが見たかった!」って思ったの? 1996年2月7日を最後に、25年間いちども活躍したことがない初号機が、エヴァのイコンみたいに扱われているのは滑稽としか言いようがありません。

質問176:最後の救済?シーン、シャッターガラガラとか情緒もへったくれもないし旧劇を彷彿とさせるのもまじ最悪,救ってやれると思ってんの?庵野秀明による補完計画である本作に対する感想はこれしかない「気持ち悪い」
回答176:旧劇の「気持ち悪い」みたいな、強い感情を惹起する要素がどこにもありませんでしたね。縁側で猫を抱く、かつてドンファンだった老人が回想する、堕胎させた恋人のいない、都合よく改竄された離乳食・イコール・老人食みたいな褪色した記憶になってました。

「はてブ」コメント全レス、おしまい! 例のドキュメンタリーの長尺版が終わるまではいますので、気軽にお声かけ下さい。

あれ、コメントの数が合わないな。見落としてる?

質問177:シンエヴァには不満が多かったけど、こういう言葉を見つけるきっかけになったという意味では観てよかった。今の時代に自分もこんなにエヴァのことを考えたり今更旧作DVDを買ったりする気になるとは思わなかった。
回答177:見落としてました。ご指摘の点は確かにそうですが、本来的には無用の感情を空費させられている虚しさは否めません。エヴァは旧作がすべてでしたね。2007年以降の十余年は、まったく無駄な時間だったことがシンエヴァで確定しました。残念です。

「友情にヒビが入ろうと」

カルテ「シンエヴァ・リカリング呪詛(2021.3.26~5.8)」

承前:ドキュメント「シンエヴァ・アディショナル呪詛(2021/3/6〜3/24)」

「旧劇なほもて成仏をとぐ、いはんや新劇をや」

2021年3月26日

 エヴァのテレビ本放送、後半戦に入ってからは本当に掛け値なしに人生の中心をそこに置いていたし、ほとんど過集中みたいに呼吸を止めるように見て、CMに入った瞬間、ホーッと息をつくことを思い出す感じだった。いまでもときどき思い出してイラッとするんだけど、緊迫の絶頂でAパートが終わった直後、男性のアナウンサーが「しんせーき、えばーん、げりおーん」みたいなマヌケな発音でタイトルを読み上げるフィギュアだったかプラモだったかのCMが、当時は心の底からゆるせなかったなー。「薄汚い商売人たちには、エヴァのすごさがわからないんだ!」とか、テレビの前でひとり親指の爪を噛みながら、静かに憤ってたなー。それがいまや、公式のコラボがあんな感じだもんなー(ANNA SUIのHPを見ながら)。隔世の感、あるなー。初号機色のやつなんか、店頭でタダでもらっても帰りに駅のゴミ箱につっこむ自信あるなー。エヴァ・ブランド、毀損されちゃったなー。

 ふと、天野大気さんのことを思い出す。あれからもう7年、夏には必ず旧劇を見返すって言ってたけど、いったいどんなふうにシンエヴァを見たのかな。きっと「乳の大きいホニャララ」って台詞には反応して、なんか描いただろうな。

 例のドキュメンタリーを見返してるけど、監督は「周囲に自慢できるトラウマが欲しかった、トラウマの無い人」だって感じがすごい伝わってくるなー。監督の戦争経験者への憧れも、「他の全員を黙らせることのできる逸話」としての魅力を感じているに過ぎないのではないでしょうか。監督は、父親が事故で足を欠損した話を持ちネタとして何度も何度も語りますが、それってわかりやすいがゆえに、だれも同情以外の反応を示すことができない、「思考停止を強要する悲劇」だからだという気がします。戦争経験者の件もそうですけど、真実に悲惨な過去を持つ人物って、あえて自分からそれを語ろうとはしないし、むしろ表向きはそこへ踏み込ませないために極めて社交的で明るいキャラクターを身にまとって、己の悲劇をだれにも明かさず墓まで持っていくようにふるまうと思うんですよね。「事故で足を失った父親」というのは監督にとって言葉は悪いですが、「周囲を恫喝して黙らせるのに有効なフィクション」として機能している気がします。希死念慮だけでなく生育史も含めて、「自分の人生をカッコよく見せる舞台装置」である薄っぺらさを隠そうとする仕草こそが監督の持つ魅力であり、同時に限界でもあるという気持ちが、シンエヴァの視聴を通じて私の感じた「正味」なのかもしれません。

2021年3月27日

 一同、礼ッ! 「アグリカルチャー綾波」の略称であるところの「アグ波」考案者、アズ・ノウン・アズ小鳥猊下であるッ!

 公開から3週間近く経ったみたいやけど、「:呪」の閲覧数は3万2千、スキが350ぐらいで、どうにも伸びなやんどるみたいやな。肌感覚やけど、だいぶ肯定派と中庸派に追い込まれとるようやで。おどれら、これが最後の祭りやねんど! まだまだ盛大に「:呪」を拡散して、イングリモングリやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、24年間のび放題のワキ毛ジャリジャリいわしたろかい、ワレェ!

  シンエヴァ、例のドキュメンタリーを通じて、秘密の仕事部屋に引きこもって、監督がひとりで最後まで脚本を書き上げてから、現場にどういう絵と演出にするかを丸投げしてることがわかったけど、無駄かつ無意味に制作が難航したことの最大の原因はこれですね。ぶっちゃけ、監督って人間に興味が無い上に日本語がヘタクソなので、脚本を書く人物としてはまったく不適だと思うわけです。監督の苦手分野をぜんぶひとりでやって、監督の得意分野についてはぜんぶ丸投げするって、自分とスタジオの強みをすべて消しにかかっているとしか思えません。シナリオは外注するか破のような合議制にして、監督が「ここの台詞とト書き、どんな映像を想定してるの?」と聞いて、ライターが「アイ・ハブ・ノー・アイデア。それを考えるのがアナタの仕事でしょ?」と冷たく突きはなす現場だったら、はるかに短い制作期間と高いクオリティで完成したと思いますよ。こないだも少し書きましたけど、監督は自分を周囲にどう見せたいかの戦略については常に意識的なのに、中身に関しては徹頭徹尾、他人の過去の事象からの借り物なわけです。その軽薄さが同時に魅力でもあるわけですが、黒澤明の「天気待ち」じゃないですけど、周囲の反応を見てるっていうか、狂気の監督としての自分を演出することが、意識のどこかにあるような気がします。今回、外部の撮影クルーを入れたのも、いよいよ還暦を迎えて、過去の映画監督が持つような破天荒の逸話を自分に紐づけたい気分が勝っただけではないでしょうか。 

2021年3月28日

 夜、寝床について、家族からも社会からも離れたひとつの個にもどるとき、消えたと思っていた呪いが枕元に立って、私を見下ろしているのに気づく。いまでこそ旧劇の信奉者である私だが、第26話「まごころを、君に」を受容するのに、どれだけの時間とエネルギーを要したことか。ふりかえれば、それは次のような段階を踏んでいる。

⒈ 戦わなかったシンジが許せない。
 なぜ、助けられるアスカを見殺しにしたのか。何のための翼持つ初号機だったのか。許せない。

⒉ 実写パートが入るのが許せない。
 なぜストーリーの本筋と関係の無い実写が入るのか。通勤のシーンに物語として何の必然性があるのか。許せない。

⒊ 実写パートの固有名詞が許せない。
 なぜサイエンス・フィクションなのに作中で文具店や監督の名前を出す必要があるのか。許せない。

⒋ 実写パートの親指男が許せない。
 なぜエヴァへの敬意を致命的に欠いたこの男が、作品へ永久に刻まれるのか。編集で消して欲しい。許せない。

⒌ シンジの得た悟りの内容が許せない。
 あれだけの超越体験を経たシンジが、最終局面に至って「これからも考え続ける」「当たり前のことに何度も気づくだけなんだ」みたいなクソ薄っぺらい話しかしない。許せない。

 でもね、彼岸の赤い砂浜で横にいるアスカを見たときのシンジの表情と、両の親指を血管に食いこませ、本気で殺そうとしているのがわかる首絞めに、最後はぜんぶ感情を持っていかれてしまう。私にとって物語の本質とはディスコミュニケーションであり、もっとも近しい人々にさえ、私の本当のところは決して伝わるまいという諦念が、いつまでもどこかにある。その冷たい場所へ、旧劇のラストシーンはずっと静かに寄り添ってくれていたのだ。シンエヴァはその静謐にズカズカと土足で踏み込んできて、すべて台無しにしてしまった。代わりに渡された紙片に書かれていたのは、すでに試した有効ではない処方箋。いちど語られた虚構は、それを受け取った人のものだと思う。生みの親にだって、だれかの心の中にある物語をまで壊す権利があるものか。私はただ、私の大事な場所を、そっとしておいて欲しかった。

2021年3月31日

 サイバーパンク2077、新しいパッチが来たのでプレイを再開。やっぱり、成熟した世界への処し方を求めるのなら、海外SF作品に当たるのが間違いありませんね。シン・ゴジラのときは、「この作品は本邦特有のもので、西洋の輩にはわかるまい!」と意気軒昂でしたが、シン・エヴァときたら「この作品は本邦特有のもので、西洋の輩にはわかるまい……」と意気消沈ですからね。あかん、またムカついてきた。前半のパートを奇矯な実写の手法でモッチャラクッチャラやって時間を空費して、後半のパートは「ここからは間に合わないので、普通に絵コンテを切ってやります」ってシャチョーそれ、どんなマネジメントですのん。そして出来上がった後半部分では、旧劇の自己模倣と昭和特撮の他者模倣がエンディングまでビッシリと敷き詰められ、エヴァンゲリオンの革新性をすべて覆い隠していくのです。監督、自分の作品を模倣することは、オマージュって言わないみたいですよ! 9年もあったらケトゥ族は映画シリーズのトリロジーとなんならシークエルまで完結させ、ゲームのAAAタイトルだったら世界を丸々2個ぐらいは創造してしまいますよ! 「血を流して作る」は御大から頂戴したカッコイイ座右の銘なのかもしれませんが、シン・エヴァでは血を流すことが自己目的化してたんじゃないですか! 寿命が200年くらいある想定で創作活動するの、ちょっとサイエンス・フィクション過ぎて、逆に面白い(否定しない漫才師のツッコミで)。

2021年4月1日

 ドキュンサーガの単行本を買う。あらためて紙面で読み直すと、いくつかのコマにハンターハンターからの影響を感じられ、作者は富樫先生のフォロワーに違いないと思う。それはすなわち、「虚構のキャラといえど一個の人格であり、それを作者が改変することは基本的にできない」という強い信念による作劇が為されているということである。すべての登場キャラクターに対して作り手の敬意を感じられることが、素直に嬉しい。シンエヴァとは比較にならぬ作品強度を持っており、シン肯定派こそドキュンサーガを読み、己の軽薄さについて恥じ入るべきではないでしょうか(宣伝)。私が同作で最も感情移入するのは、メンザだ。「神がどうとか頭をよぎること自体が致命的な低脳化の証明だ……!!」の台詞に前駆する嘔吐こそがサルトルのそれであり、東日本大震災に影響を受けたエヴァQに起因する、監督の個人的な自傷に過ぎないDSSチョーカーへの反射としての嘔吐とは決定的に質を違えた、人類普遍の苦しみである。「貴方は科学技術の進歩により、永久に生きられるようになりました。価格は100円です。どうしますか?」という不死をコモディティ化(笑)するSF的深淵をはらんだ問いへの回答を、シンエヴァとその監督ははたして持っているのでしょうか。ドキュンサーガは持っていますよ。

 シンエヴァのメッセージって考えるほどにヤバくて、ひいき目に言っても社会に対するバリアーに過ぎないものを、強いウェポンだと思ってふりまわしてる感じだよなー。ここ、突きつめていくとどんどんヤバくなっていくような気がするなー。

「なに、いつも孤独で満たされない気がする? それはもう結婚しかないな!」
「なに、結婚したのにまだ孤独で満たされない気がする? それはもう子育てしかないな!」
「なに、子育てが終わったのにまだ孤独で満たされない気がする? それはもうペットでも飼うしかないな!」
「なに、もうすでにペットは飼っているのにまだ孤独で満たされない気がする? それは選ぶ配偶者を間違えたせいだな!」
「なに、選ぶ配偶者は間違えていないと思うのにまだ孤独で満たされない気がする? それは子どもの育て方を間違えたせいだな!」
「なに、子どもは自分に似ず良い人間に育ったと思うのにまだ孤独で満たされない気がする? それは感謝が足りないせいだな!」
「なに、自分のような無能のロスジェネが生きていけることに日々感謝しかないのにまだ孤独で満たされない気がする? それは感謝を捧げるための具体的な対象が無いせいだな!」
「さあ、この不思議なツボに水を満たして、毎朝きれいな言葉だけをかけ続けるんだ!」
「(目を伏せて)お値段の下限は100万円からで、救われたいお気持ちをそこへ上乗せしていただければ。ただ、お聞きしたところ、相当に深い業をお持ちのようで、前世からの影響も疑ってみるべきではないかと。その場合、下限は500万円スタートになります」

 ……てな具合にどんどん退行していって、最後にはスピリチュアルな物品を売りつけられるんだろうなー。まえに「エヴァは原始宗教」って指摘したけど、まさか新興宗教だったとはなー、こんな教義には、1円たりとも支払いたくないなー。

2021年4月2日

 婉曲的に表現するところの「邦画キチガイ」、単行本も持ってて前から好きなんですけど、エヴァQ回を経た最新のシンエヴァ回にはビックリしました。作者はエヴァにあまり思い入れが無く、ただ今回の登場人物にフォーカスして、ネームを面白くしようとしただけだと信じたいです。しかし、もし旧エヴァからのファンでありながらシンエヴァを大傑作と評したのだとしたら、これまで数々の邦画へ向けられてきた愛に満ちたブラックなディスりが、すべて信頼のおけない眼差しで行われていたのではないかと疑わざるをえません。以前、エヴァ芸人の走りみたいなテキストで小銭を稼いでいた人物が、公開当日に絶賛を表明するという冗談みたいな話を紹介しました。過去に遡行してすべての著作の評価が反転するという意味で、シンエヴァはクリエイターを名乗る者たちにとって、作品そのものの持つなまくらさとは真逆の、じつに鋭利なモノサシとして機能していると言えるでしょう。

 僕の優雅な憂悶におし入って来たこの呪詛がそれからどこへ成仏したかというとーー実はまだインターネットにいるのです。

2021年4月3日

 「シンエヴァを見てから、”beautiful world”がゲンドウのことを歌っているようにしか聞こえない!」という悲鳴みたいな書き込みを見てドキッとして、あわててヘッドホンをつけて同曲を聞いてみたら、あれだけ正しいシンジのキャラソンだったのに、もうゲンドウのテーマにしか聞こえなくなっていた。これにはもうアッタマきてヘッドホンを床に叩きつけて、「すげーわ、シンエヴァ、旧劇ばかりでなく、新劇で新たに好きになったものまで、ぜんぶ、ぜえんぶブチ壊していくわ!」と夜中に絶叫せざるを得ませんでした(部屋に駆け込んでくる家人)。あのさあ監督、序の所信表明で自分が宣言したこと、覚えてます? 「中高生」の「ファン」に向けた「エンターテイメント映像」を「サービス」するって言ってましたよねえ! すいません、少しだけ、ほんの少しだけ想像してみてほしいんですけど、貴方がウルトラマンに向ける深い敬意と同じように、エヴァンゲリオンに深い敬意を捧げてきたファンがたくさんいるんですよ。再撮影による延期が取りざたされているシン・ウルトラマンに、スーツアクターが怪獣の着ぐるみの上半身だけを脱いで、煙草を吸いながら他の役者と世間話をしているシーンを入れますか。入れないでしょう。その「入れない」判断をするとき、貴方の心に生じた感情と同じものを、ファンたちもエヴァンゲリオンに向けていたんですよ。まったく、貴方のエヴァファンへの仕打ちは、まるで愛人にカネをせびるジゴロみたいですね。いつ帰ってきてもいいように、温かい風呂と食事を用意して待っているのに、カネが必要なときだけ戻ってきたと思ったら、感謝の言葉もあらばこそ、カネの入った封筒だけを奪い取って、寛一お宮ばりの蹴手繰りをかまして出ていってしまう。オメコのひとつ(勝利のメイク・ラブだ!)ぐらいあっても、バチは当たらないんじゃないですか! 旧劇のときは、私たちファンとの関係には、例えば哭きの竜とヤクザの元愛人みたいな、ヒリヒリするような緊張感がありました。でも、シンエヴァときたら、はるか昔の唯一のヒット曲を勝手に編曲したあげくーーしかも、作詞家と作曲家の意向を無視して!ーー調子っぱずれにがなる腹の出たドサ回りの演歌歌手みたいで、私たちファンとの間にはもう惰性の関係しか残っていません。ある批評家が視聴中に「他のだれが何と言おうと、絶対に俺はこれを擁護すると決めた」なんて思考を許されてしまうぐらい弛緩して弱りきった、観客を殺すどころか皮ひとつ傷つけられない貴方の姿なんて、見たくはなかった。何度でも言いますけど、エヴァQの路線変更で貴方の元を離れた人たちのところへ直接に出向いて、平に頭を下げてスタジオに戻ってもらって、エヴァ破の続きをプロダクトして作ることが、本当の「落とし前」だったんですよ。シンエヴァは「過ちを認めること」と「頭を下げること」をどうしてもしたくないあまり、心の深い部分にあったかもしれない後悔まで己を洗脳するように塗り潰した上で、「特撮が大好きな自分」と「結婚して変化した自分」を語るだけの、新興宗教のしょうもない自費出版にエヴァを「堕とした」んですよ。アタシ、貴方のこと、もう待てない!(ちゃぶ台に湯気のたつ味噌汁を残したまま、エプロン姿の裸足で四畳半から外へ駆け出していく)

 そっかー、シン・仮面ライダーかー。エヴァなんていうファンがめんどくさい自社IPを維持するより、他社IPに乗っかって、正常位で一回ファックしては去っていく方が監督も気が楽だもんねー。シン・ナウシカ、シン・ヤマトときて、禿頭の御大が旅立たれるのを待ってからシン・ガンダムを作って、宣言どおり70歳で引退したら、昭和オタクの人生としては文字通り完璧なアガリだなー。エヴァ、本当に心の底からいらなくなったから、適当に終わらせられちゃったんだなー。悲しいなー。

2021年4月4日

 フォッ、フォッ、フォッ、はぁ(ため息)。ひと晩たっても、まだ悲しい。親に捨てられただけでなく、世界から存在を消されたあの少年のことばかり考えてる。決めた、もうグレンラガンの螺巌篇がシン・エヴァンゲリオンだったことにしよう。

2021年4月9日

 海外から「:呪」に感想が来たところの(関係代名詞)グローバル猊下であるッ! しかもエゲツないレイ派からだ! いよいよnWoも初バズと炎上を経て、海外展開をも視野に入れねばならぬようだな! よし、真希波マリばりの流暢な英語(アスカのドイツ語よりはマシの意)で、ケトゥ族からのご質問にお答えしようではないか!

Question: Hi, I read your blog with great interest. Specifically, I agree that Shin Eva is an overtly self-indulgent work. But isn’t one important thing left out? Of course, Shin Eva is a failure as a Science Fiction work. It has no realism, so what drives the “story” forward? I would like you to consider what changed from 1995 TV and 1997 End of Evangelion. Also that Tsurumaki Kazuya, and Hideaki Anno, are Asuka fans. Big Asuka fans!  They also don’t like Rei. So Asuka gets a more powerful body, and Rei gets a weaker one. Doesn’t this adequately explain the drive behind the movie?

Answer: Thank you for reading such a long article. Did you see Shin-Eva in the theater? I am basically not interested in the question of “who is the true heroine of Evangelion?”. In Japan, the terms “LAS” and “LRS” have long been used to refer to the Asuka faction and the Rei faction respectively, but in my opinion, this is not the essential issue of Evangelion. If Anno and Tsurumaki seem to be favoring Asuka, it is because she is an “easy-to-make-act” character for the directors. Rei, who has no emotions, loses her meaning as a character when she acquires emotions, and there is nothing more to say about her. Even in Shin-Eva, the moment she acquired emotions was when she had to leave the story. Asuka’s underlying character is Nadia, from “Nadia, The Secret of Blue Water” in 1990.(The battle in Paris at the beginning of the movie and the relationship between Asuka and Kensuke, which seems so sudden, is also a rehash of Nadia. The final battle of the Nautilus took place over Paris, and Nadia married Jean, who has a similar face to Kensuke.) And EOE shows that the director’s love affair for Asuka’s voice actor deepened(berserk!) when he reprised a character that was familiar to him. You asked about the difference between the TV version and EOE, but to be more precise, it is the difference between the TV version up to episode 19 and the TV version after episode 20. Up until episode 19, it was a radical science fiction work, but after episode 20, it gradually turned into Anno’s personal novel. The structure of EOE was divided into the first half as a science fiction and the second half as a personal novel. I had expected that Shin-Eva would replace that order. In other words, in the first half of the film, Anno will finish his personal novel, and in the second half, the young talents of Xapa will vividly revive the Eva that died in Q as a radical science fiction work again. It’s quite a shame that if this had been done, it would have impressed the audience with the generational change and at the same time increased the value of Anno’s company. In the end, it became clear that Xapa was the empty palace just for a dictator and his cronies who were scared of his moods, and not the “Mount Liang” of the animation studios like Gainax. If I were an investor, I wouldn’t want to buy Xapa’s stock after watching Shin-Eva. It’s clear that they have absolutely no future!

 別言語で呪いを外して考えたらわかったけど、シンエヴァってまんまナディアでしたね。ケンスケはジャンだし、「アスカはアスカだよ」は「ナディアはナディアだよ」をそのまま引き写しただけ。まあ、それに気づいたところで、シンエヴァが自己模倣のカタマリであることの再確認にしかなりませんけど。

 あと、「初めてのルーブルは、なんてことはなかったわ」ってあれ、ゲンドウの台詞ですね。人類の至宝たちを前にこの感想だから、平気で何億人も殺して文明を崩壊させることができたんですよ。サイファイ史上もっともチープな人類を滅ぼす理由と、「小人閑居して不善(massacre)を為す」の典型例にめまいがします。この貧困なる精神の土壌となった京都大学は、ただちに廃校にすべきでは?(山岡士郎が「悪い官僚ばかり輩出するから東京大学を潰すべき」と主張するときの顔で)

 え、ゲド戦記やってんの? あれはシンエヴァを擁護したくなるレベルの粗大ゴミで、「世襲のクリエイター」というアタオカ命題を全世界へ向けて提起してしまった、政府レベルでの対応が求められる本邦最大の恥さらし。よく生きてられるなあと、その図太さには感心しきり。

2021年4月11日

 最近はみなさん、冬月について語るのがホットみたいなので、乗っかっておきますね。Q以降の新劇における冬月ですけど、ゲンドウの計画へ加担する動機がまったく存在せず、意味不明のキャラになってしまいました。旧劇ではユイの胸元をチラ見するようなカットがあって、補完時の描写でもユイが迎えに来ており、教え子への横恋慕とゲンドウへの申し訳なさーーたぶん、結婚後に1回寝てるーーが動機と考えられますが、Q以降はゲンドウについていく理由がどこをひっくりかえしても、本当に何ひとつ見当たりません。勝手に行間を読んでホモセクシャルな関係を見出す剛(腐)の者もいるようですが、作品内に描写が無いので妄想の範囲にとどまる話でしょう。まあ、最大限に好意的に譲歩すれば、監督の頭の中では冬月、ユイ、マリはゴルゴダ・オブジェクトからやって来た第一始祖民族(吉田寮に潜伏してたのかも。やっぱり、京都大学は廃校にすべきでは?)で、2001年宇宙の旅でいうところの「月のモノリス」とか、スタートレックでいうところの「史上初のワープ航法」とか、人類のブレイクスルーを見守る不死のオーバーロードとして描きたかったんでしょう。もっとも、第三村パートに時間を取られすぎてまったく描けてないんですが、「イスカリオテの~」とか「人類の科学技術はここまで~」とかにそのむなしい試みの残骸を見ることができます。以前、テレビ放映のときにも指摘しましたけど、破の段階では明らかに冬月をゲンドウの上位者として描こうとしていて、Qが次回予告の通りに展開していたのなら、シンジの目の前で冬月がゲンドウを射殺するなどし、それが物語を新たな局面へと駆動する要素になっていったことでしょう。旧劇は普遍的な孤独の話だったのに、シンエヴァは個人的な失敗の話に過ぎず、このクラクラするような落差、物語のスケールダウンでもっとも割を食ったキャラクターが、冬月コウゾウという男なのです(和傘の裏から糸目で振り返りながら)。

 いつまで終わったものの話をしてんだって感じですが、「暴走」の概念が陳腐化したのも新劇のダメなところだと思うんです。エヴァの中に取り込まれた「母なるもの」の制御できない獣性がテレビシリーズのそれで、実戦においては初号機だけが持つスペシャルであり、初号機が他のエヴァとは違うことを強烈に裏書きしていました。そして旧劇場版での「暴走」は、母親と和解して電源を失った弐号機において、本来は起こるはずのない事象であり、高いプライドの持ち主が悲惨な凌辱を受けたことによる負の感情の発露、いわば人の「呪い」によって顕現したそれは、観客を圧倒する強いドラマツルギーを生み出していました。それが新劇ではパイロットの意志でスイッチを入れることができ、機体のリミッターを外すだけの「機能」へと矮小化されてしまいました。まあ、「暴走」については破の段階から扱いに疑問を感じていましたので、予告通りにQ以降が作られていたとしても、文句を言っていたかもしれません。

 あと数理系のバリキャリと思われる女性が、商学部の学生をおもしろおかしくからかったり、「文学部シン・エヴァンゲリオン学科」とかツイートしてるのを見て、ド文系の自分は大学から離れて久しいのに、ひどく肩身の狭い、つらい気持ちになりました。じっさい文学部での学びと成果なんて、シンエヴァ語りと似たようなもんですからね(暴言)!

 そうか、ここから来たのか……

 個人的な印象ですけど、海外のエヴァファンってキャラ萌えかアート的な関心ばっかで、SF作品として享受してる層ってほとんどいないように思います。文芸批評や大学教授の語りの対象になったりとかは、間違ってもありえない感じ。

2021年4月13日

 新劇の新しい設定として、使徒を倒したことを「沈黙」ではなく「形象崩壊」と言い換えたことと、「虹」が挙げられます。前者は「目標は完全に沈黙」が他作品でも使われまくって陳腐化してるのを感じて、新たに摩耗していないカッコいい表現(流行らなかった)をでっちあげただけでしょうけど、後者はとても重要な設定でした。にもかかわらず、Q以降は意味づけを放棄されたビジュアルのみになってしまいました。「虹」は旧約聖書において神との契約が果たされたことを示すもので、序破の段階では使徒を倒したときとか、シンジが綾波のおっぱいを揉んだときとか、初号機がアスカを噛み潰したときとか、人類補完計画の条件がクリアされるたびに「虹」が現れていました。いまとなっては虚しい妄言ですが、テレビ版と旧劇を新約聖書(ひとりの救世主の話)に見立て、新劇は旧約聖書(神にまつわる群像劇)として描くことで、よりプリミティブな神への接近をしていくのだろうと考えていました。まあ、結果は「神イコール監督」だったわけで、ノアの方舟っぽい設定も出てきてましたけど、神学どころか監督のツーケのナーア(失礼)で新も旧もごちゃまぜになって、もはや「くそみそテクニック」って感じです。

 ATフィールドの扱いが変わったのも新劇の特徴で、破の後半において旧エヴァでは平面の表現に過ぎなかったそれを立体的にしたり伸び縮みさせたり、別の描写へと変えてきました。ATがAbsolute Terrorの略だとわかったときの興奮や、第弐話で初号機がATフィールドを破るときの効果音には、「強姦を想起させるため、絹を裂く音を当てている」といった演出の意図を聞いたときの感動をいまでも思い出します。少し話がそれましたが、新劇での変化を決定的にしたのは、Qの冒頭で「アンチATフィールド」なる呼称の、バリアとしてのフィールドを突破する機械の登場です。それは、旧劇で冬月が口にした人類補完計画の根幹である単語がエヴァもどきの名詞に堕とされ、ATフィールドが神秘性を失って、伸縮自在・質量可変の攻守に使用可能なエネルギー兵器と化した瞬間でした。そして、このQの路線を堅守するのかと思いきや、シンエヴァでは補完時のゲンドウに旧作と同じATフィールドの使わせ方(心の壁)をしていて、もうブレブレの大迷走としか感じられないわけです。Q の路線変更のまま新劇というくくりの中でチープで陳腐なメロドラマとして終わらせておけばまだよかったものを、Q の尻ぬぐいのためだけにテレビ版と旧劇を持ち出してきたのは最悪の判断で、もはやキチガイ沙汰としか思えません。永井豪がデビルマンを何度も何度も再話するようなオリジナルへの執着と言いましょうか、「偶然に自分を依り代として超越的な何かに語らされた傑作」への敬意が、まったく感じられませんもの!

 シンエヴァの語り口って、カウンセラーのそれではなく、新興宗教の勧誘の手口と同じなんですよ。これまでの人生(序破)を丁寧に話させて、生き辛さ(Q)を取り除いて、再び同じ人生のレール(急)を自分で走れるよう手助けするのではなく、これまでの人生のできごと(序破)を教団の教義(Q)に合うような解釈(シン)で聞かせ、充分に愚かな者たちを入信(宇部新川)させる手口そのものです。なので肯定派との対話は、新興宗教の教義に深く洗脳された者への説得と同じ性質を持ちます。否定派を自認するおのおのがた、辛抱強く粘り強くまいりましょう。

 あと、あんまり指摘されてるのを見たことないけど、斜めに降っていく巨大エレベーターとか、内側から肉が膨満して破裂する描写とか、エヴァって「AKIRA」からのビジュアル的影響が大きいですよね。

Question: There are of course, many such interviews which confirm the same, but this tweet from Khara Animator:
https://twitter.com/HideMatsubara/status/1381478454785318921

Also proves the Asuka favoritism in Shin Eva.

Answer: I don’t care which creator likes which character, but the problem is that the love for a certain character makes it impossible to kill it or distorts the whole story for it to be alive. In “Demon Slayer (a.k.a. Kimetsu no Yaiba),” which has been a huge hit in Japan, the characters that needed to be killed were killed exactly when they needed to be killed, regardless of whether they were the author’s favorites or popular among the fans. This is worthy of praise.

Question: I think this is just as true for Japan, especially with the new generation of Eva fans.
If you look at the last 20 years of Eva, characters, couplings and art is the only thing left.

Answer: As you say, the actual situation for the average fans in Japan is probably not much different from the West. However, you won’t find any researchers writing papers on Evangelion seriously, any intellectuals taking up as the subject in literary criticism, or any celebrities giving their thoughts on Evangelion on TV shows in the West. Evangelion is not only accepted by geeks, but by society as a whole in Japan.

2021年4月15日

Question: EVA is accessible to all of Japan.
But only otaku will make the effort to find anime. Even if it recently became available on Netflix, it’s still a niche.
Western Eva fans = Japanese Otaku fans. That’s why Asuka and Kaworu is preferred overseasm but Rei is #1 in Japan.

Answer: I’m not sure if I have read your comments correctly, but living in Japan, Evangelion appears quite naturally in our daily life, such as in convenience stores, bookstores, posters in trains, etc. You don’t even have to look for it. I understand that this is a feeling you can get only if you live in Japan. Also, Evangelion’s entry into the Pachinko(kind of slot machine) market has played a big role in expanding the generations of Eva fans. However, I can’t really catch your logic behind “Rei is No.1.” in Japan.

Qestion: Authors are entitled to favorites, but some times it goes to far.
Demon Slayer deserves praise for avoiding bias. However, Shin Eva does not.
Characters die, live or change simply because Tsurumaki or Anno has personal investment.
What do you think? I think it’s the #1 problem.

Answer: I completely agree with your opinion. In Shin-Eva, they did “exit” characters from the story, but they didn’t “kill” any of them. This definitely takes the tension out of the whole movie and is the biggest difference from EOE, where they killed off all the characters except Shinji and Asuka.

質問:呪詛とても共感持てます。いいぞもっとやっていこう。よろしくお願いします。

回答:いやいや、応援はありがたいねんけど呪詛な、閲覧数34,000のスキ377で止まってもうとるがな。シンエヴァの興収やないけど、大失速ゆうやつや。おクチだけやのうて、もっとこう、ビロッとひろげてもらわんとこまんねん。ランス10で、よごれたタマシイを輪廻にもどして、ちょっとずつ創造主を弱らせる、みたいなキャラがおんねんけど、この呪いも同じことやで。おどれら、もっとワアワアやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、おへそナデナデしたろかい、ワレェ!

2021年4月16日

 「絶望のリセットより希望のコンティニュー」ってそれ、シンエヴァはファンにとって「絶望のコンティニュー」だったわけですが……小鳥猊下であるッ!

Q: Now that Khara’s EVA has embraced the “loop” setting, all deaths are meaningless, and the story is reduced to character pandering. Loops are a lack of creativity.
About EoE though, everyone can come back. Even Rei is still alive, in her new form. 
Alive as in, “not gone”.

A: Please read my article again carefully. As you said, the loop setting was introduced to Eva, but it means that the worlds of the new films up to Shin-Eva had been a loop. In the ending of Shin-Eva, the director’s birthplace was shot in aerial live-action, and all the characters were absorbed into the ego of Hideaki Anno and disappeared into this reality we live in. After Shin-Eva, there is complete nothingness in Tokyo-III and Village-III, and fans of Rei, fans of Asuka, and fans of the Eva world have all been eternally isolated to this reality, and no one can return to Evangelion(including EOE) anymore..

Q: In the 90’s, 2000’s and so on, Rei ranked #1 on all the popularity polls. With Rebuild being anti-Rei, that changed, and now Kaworu/Asuka is on top.

However, this is too a question of demographics. If you ask the newer otaku generation (2chan, 5ch), they will not pick Rei.

A: I guess you are a little too attached to each character, especially Rei. The reason I’m sharing this open letter with my followers is that I want you to become an ambassador to spread my curse abroad. This is not a counseling session with the person who deeply loves Rei. However, I am glad that I was able to verbalize what is too obvious for Japanese Eva fans to need to talk about.

 この海外オタク、しつこいな! すべての話題をレイにねじまげていくのも怖い。エヴァのキャラ萌えについては正直よくわからんから、だれか代わりに相手したげて。お願い。

2021年4月18日

 以前、「シンエヴァに碇シンジは一秒も登場していない」という指摘を紹介しましたが、いま思えば地続きに思えるテレビ版と旧劇でさえ、ずっと演じてきた声優自身が「映画版はシンジのキャラがまったく違う。悩みの内容が思春期の少年のものではなくなってしまった」と漏らすぐらいの違いがありました。まあ、ご存知のように監督がキャラに憑依して、映画冒頭で堂々と、シンジの一人称を変えてまで「エヴァはオレのオナニー」宣言をしたせいなんですけどね! いろいろシンエヴァの感想を読んでて、いちばん笑ったのは「第三村での全裸アスカから浜辺でのピチピチプラグスーツのアスカまで、あらゆるオナニーチャンスを与えられながら、シンジは一度もアスカでオナニーしなかった。えらいぞ、シンジ君、大人になったな」というものでした。それで気づいたんですけど、序破とQシン(救心みたいだな)の違いは「男と女への拘泥」だと指摘しましたが、Qシンと旧劇の違いは「性的メタファーの有無」だと言えるでしょうね。生命の樹に変化した初号機をペニスに見立て、巨大アヤナミの額に出現したヴァギナ(クリトリスまで描いてある)へ突き立てた後、膣内で回遊する精子を思わせる綾波の群れが出現するとか、補完の過程が性を想起させる場面まみれなのに、シンは旧劇を模倣しながら不思議なほどその要素が抜け落ちている。もっと言えば、シンエヴァの補完計画は全体的に性欲が無いというか、インポテンツっぽい感じが漂っています。あ、別に実在の人物と紐づけてしゃべってませんよ。そんな感じがするという極めて個人的な印象を述べているだけです。やっぱり、見るべき第一はスクリーンにあると思うので……(上目遣い)。加齢で性交できなくなってから、互いに背中の肌を手でさすりあう中国の老夫婦の話を思い出しましたけど、一般論として還暦を越えると健康とEDの問題は直結するのかなー、一般論として。旧劇での量産機の自殺を模倣した「すべてのエヴァを終わらせる」槍ブッ刺しも、甲高い効果音も相まって妙にペカペカと薄ら明るい感じーー「え、Qのおまえ、エヴァだったの?」と笑わせる演出が冴えてるーーで、あれだけ旧劇であからさまだった「ハリカタを使った女性の自慰(絶頂イコール死)」を連想させる淫靡さは微塵もありません。あと、槍ブッ刺しのときに全裸の妻の左脇へヒョッコリ顔をのぞかせる気まずげなーーそりゃ、「親戚の集まりが苦手」ぐらいの理由で人類を滅ぼそうとしたんだから、気まずいに決まってるーーゲンドウの表情を見て、これどこかで見たことあるなー、どこだったかなーと考えてたら、ビデオフォーマット版の第弐拾弐話で加持さんの後ろからヒョッコリ姿を現して、アスカに「なんでアンタがそこにいるのよ!」と絶叫されるシンジだった。オタクって強い自己愛(自分のこと、可愛いと思ってるでしょ?)の裏返しから、現実におけるヘイトは決して時間では揮発しない事実に鈍感で、何をやっても心から謝ったら許してもらえると小学生みたく無邪気に思ってるフシがありますよね。シンエヴァのゲンドウって、その極北にいる気がします。いやだなあ、深読みはやめてくださいよ。ゲンドウの話ですよ、もちろん。

2021年4月22日

 公開からはや一ヶ月半、臥薪嘗胆の思いを新たにするため、さんざん悩んで購入したシンエヴァのサントラを流しながら、愛車の軽トラで奈良の峠を攻める。劇中の順で曲が流れるたび、愛するSF作品が生きながら眼前に解体されてゆく惨劇の地獄絵図がまざまざと再生され、あいまいに薄れかけていた憎悪と呪いを新鮮なものへと上書きしていく。やがてCDも2枚目に入り、ゲンドウが己の精神史を独白する場面で流れていた曲へと差しかかった。ふと、カーオーディオのディスプレイに目をやると、そこへ表示されていた曲名は「born evil」。思わず強めにアクセルを踏み込んでしまい、あやうく崖下へコースアウトして死ぬところだった(シンエヴァなんかに殺されてたまるもんですか)。長めの英語や仏語や音楽用語の曲名は作曲家がつけてると思うけど、「born evil」、この曲名には監督の自意識から漂うドブの臭いがプンプンするぜえ! 「生まれながらのワル」ってアンタねえ、親戚の集まりが苦手な陰キャが、理系の女子率が極端に低い大学へ入学し、オタサーの姫にコロッとひっかかった(オレはオレのことが好きな女子が好き)だけのことじゃないですか! 発達に特殊性があることを言ってるならそれは悪ではなく性質だし、人類をウッカリ半壊させたことを言っているならそれは悪ではなく心神喪失の疑いがない責任能力を有した大人による自覚的な犯罪行為に過ぎませんよ! どうしてそこまで自己陶酔的に自分を見れるのかなあ! 自分のこと、可愛いと思ってんでしょ! でもね、どこかの芸人みたいに「オレって、イービルだろぉ?」とポージングする監督を生温かい笑顔で「ハイハイ」とあしらいながら、不倫漫画の原稿に向きあっている奥さんのことを想像するとき、もはや不穏な空気をしか感じません。ピンチに陥ったウルトラマンが自らマスクを剥ぎ取ると監督の素顔が、カントクマンにゼットンがマスクを剥ぎ取られると奥さんの素顔がそれぞれ現れ、そのまま2人で血みどろの殴りあいと痴話喧嘩を始める次回作「ツソ・ウノレトラマソ」、こらワンチャンあるで! そして改めてここに、監督が他社IPを私小説でブチ壊せたとき初めて、私はシンエヴァのことを認めると宣言しておきます。

 あと、ファンガスとかホノオモユルとか、クリエイター職でありながらシンエヴァへの感想をいっさい述べていない人たちは、全員が内容に納得していない否定派であることも指摘しておきましょう。シン・ゴジラであれだけ行われた応援上映とか、影も形も無いでしょ? 実施したら劇場が血の海になることがみんな薄々わかっているからで、ネットの表面に見えている以上に我々の仲間は多いんですよ。まあ、シンエヴァを初週に見た人の90%は意識の片隅どころか、もはや何を見たかさえ忘れているでしょうがね!

2021年4月25日

 シンエヴァ公開から3日間の、エアストリップ・ワンに迷い込んでしまったかのような感覚を忘れることができない。泣いたの感動したの、肯定的な意見ばかりがネットにあふれかえっていた。これまで恐れてきた通り、ついに自分が正気を失ったのではないかと半ば疑いながら、「アジア最後の人間(The Last Man in Asia)」が残す地下室の手記として「:呪」を書いたことを思い出す。そして今、公開から二ヶ月近くが経過し、いよいよ中庸派とニワカどもがエヴァの存在を忘却して退場(シャッターが閉まるビジュアル)し、肯定派と否定派の一握りだけが事象の地平面へと残された。肯定派が立つのは陽光に照らされた常夏の青い砂浜、否定派が立つのは白夜の闇に覆われた真冬の赤い砂浜。

 オイ、何をフヌケた顔して突っ立っとんねん! こっから善と悪の最終決戦、アルマゲドンが始まるんやぞ! わずかの絶賛派は80億にも届かへん興収とネット世論を塗りつぶせへんかった気まずさで、我がの発言をはよう忘れてくれんかとダンマリを決めこんどる! ヌルい肯定派のダボどもの息の根をキッチリ止めて、ワイら否定派の言葉を永久にインターネットへ刻む最後のチャンスやねんど!

 おどれら、もっとワアワアやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、鼠径部さすさすしながら「はてブ」のコメント173件に全レスつけたろかい、ワレェ!

 これまでの全てのカース(Curse)に、ケリを付けます。35.3%
 生きる事は、憎む事と呪う事(Curse)の繰り返し。35.3%
 小鳥猊下の呪詛(Curse)は恩人で、仇なんです!29.4%

 わかりにくいので補足しておくと、上から順に「肯定」「否定」「白紙」です。

 あと、「はてブ」はこれ。

2021年4月27日

 うーん、賛成と反対が同数かー。いま緞帳の裏で全裸なんだけど、舞台に飛び出しにくくなっちゃったなー。(ケンスケの憂い顔で)みんなシンエヴァどころじゃないんだな、もはや。

2021年4月28日・29日

アナザー呪詛「『シンエヴァ:呪』はてブ!コメント全レス祭り」

2021年5月1日

 「はてブ」ユーザーへの呪レス命中確率、シックスナインです! あのさー、キミ、女性声優に「シックスナイン」って言わせたいだけでこのセリフ書いたでしょ? あと、オペレーション画面で「確率」を「確立」って誤字ってんの、どこのユーチューバーなの? 小鳥猊下であるッ!

 20年前、侍魂(not テキストサイト)みたいな物理法則を無視した幕末剣術アクション漫画で有名な先生(PDF)が、エヴァ旧劇の感想に「こんなにもキャラクターに愛がない作品は、私にはとうてい受け入れられない」みたいなコメントを残しているのを見たことがあった。当時、旧劇の熱烈な信者だった私は「なに言ってんだコイツ。不殺って、どれだけひどいケガしても主役級は死なないって意味だろ。自キャラも殺せないフヌケ野郎は、ノースリーブ少女の露になった肩でもナデナデしてろよ」と憤っていましたが、20年が経過した今、彼が正しかったことがわかりました。ここに実作者ゆえの慧眼を認め、平に謝罪させていただきます。本当に、申し訳ございませんでした(露な頭頂部の皮膚とカメラフラッシュ)。あと、ビデオ(PDF)貸してください。

2021年5月6日

 去年のGWは何をやってたのかnote記事をさかのぼってみたら、FF11をライトなりのヘビーさでプレイしていたようです。順に追いかけて(自分が)読みやすいよう、関連記事をリンクでつなげてみました。

 そろそろ呪詛から趣向を変えてFF11の話、聞きたい?
 黄金の鉄の言葉で出来ているノオト 9.1%
 どちらかというと大反対 9.1%
 エヴァだけ考えとったらええんです 81.8%

2021年5月8日

 そっかー、「:呪」で増えたフォロワーが多いから、こういうアンケート結果になっちゃうかー。最近の若い子はブロント語なんて知らないんだろうなー。

 俺は別に旧エヴァへの愛をアッピルなどしてはいない。俺の呪詛を面白いと感じてしまっているやつは本能的に長寿タイプ。

カウンセリング「シンエヴァ・ファイナル呪詛」(2021.5.11~)

シンエヴァ「第三村節考、あるいはケンスケについて」呪詛

承前:ドキュメント「シンエヴァ・アディショナル呪詛(2021/3/6~3/24)」

*記事の後半で、津波の文章が書かれます。

 チョムスキーの生成文法が上梓されたとき、「これで我々は、あと10年は食える」とのたまった言語学の先生の話、しましたっけ? いまの気持ちは、居並ぶ経済学者たちに、「みなさんは、どうしてこの大不況を予想できなかったんですの?」とお訊ねになられたエリザベス女王の逸話を聞いたときと同じものです。え、いったいなんの話をしてるのかって? もちろん、シン・エヴァンゲリオン劇場版の話に決まってるじゃないですか!

 アスカとのカップリングで急にスポットライトが当たったケンスケですけど、2回目の視聴を脳内で反芻しながら確認していくと、シンエヴァでのケンスケの描き方ってすごいサイコパスみ(アタシ、西古パス美! 17歳、女子高生!)あるなー、と思いました。還暦を過ぎた読者のために、もう少し噛みくだいて言えば、生来的に共同体へなじめない人として、気づく者だけが気づくように、ソッと毒を入れて演出をつけてある感じがするのです。この描き方はもしかすると、本作のプロットに対する副監督からのささやかな抵抗なのかなー、とパンフレットを読んでて思いました。つまり、オタクがオタクを卒業できないまま、ある種の反社会的な異常性を抱えたまま、ずっとひとりで生きていくと覚悟を決めていた(アスカと同じ)のに、ひょんなことから社会に居場所を持つことができてしまった。そして、それを喜ぶ気持ちと望まない気持ちが半々ぐらいで拮抗している状態を描いているような気がするんですよねー。「俺たちが持ってんのは、卒業できるような生ぬるい特性じゃねえんだ、結婚して日和ってんじゃねえぞ、コラ!」という副監督の声にできない恨みが、ケンスケに込められているのではないかと推測するのです。

 昭和の大家族、「貧しいながらも楽しい我が家」で居場所のないシンジーーケンスケもなじめないーーを引き取って、自宅までの道すがら、夜の底をふたりそぞろ歩きながら、だれも聞いていないのをいいことに「ニアサーも悪いことばかりじゃない」なんて、ギョッとするようなことーー他の村人が聞いたらどう思うのかーーを言い出す。直前の、トウジと委員長のなれそめを語った延長の台詞のようでいて、実はそうではないとも聞こえる。友人のいないミリオタで、野営ゴッコとひとりサバゲーが好き(テレビ版)で、自分がまっとうではないことに気づいていて、学校という強制力のある集合が消えた先には社会のどこへも所属できず、糸の切れた凧みたいに飛んでいくしかないことが薄々わかっている。そんな漠然とした将来への不安が、突然の大災害によってすべて消滅してしまった。文明の壊滅した世界では、アマチュア・オタクの聞きかじった技術や知識でも人の役に立つことが「できてしまい」、そして何より信じられないことに、かつては遠巻きに見つめるばかりだった学校のアイドルが、はぐれ者どうし引き合うゆえなのか、自分の家へと転がりこんできた。

 おそらくケンスケは、エヴァのコクピットではない場所で「世界がどうなったっていい」といつも願っていたもうひとりの少年で、その妄想の実現により世界を阿鼻叫喚の地獄絵図へと堕とすことを代償として、彼のような人間にとっては平穏な日常がただ続いていくだけの未来よりも、ずっとマシなものーーファイナンスのような「ブルシット・ジョブ」では得られない、共同体と地続きで役に立つ実感を伴い、面と向かって感謝もされる立ち場ーーが結果として「手に入ってしまった」。だからこその、「ニアサーも悪いことばかりじゃない」発言であり、声優の静かな演技とあいまって、世界の壊滅をどこかで喜ぶ魔を心にすまわせる感じがビンビン伝わってきます。シンジに向けられたうっとおしいばかりのトウジの善意を、じつはいちばん疎ましく思っているのがケンスケで、「シンジも早く第三村になじんでくれればいいんやが」という言葉を黙って聞く彼の横顔からは、やはり人外の魔のにおいがかすかにただよってくるのです。

 終盤、「*津波の映像が流れます。」のテロップ予告もないまま、民家の高さを倍するインフィニティ津波が第三村へ迫る中、トウジが「ニアサーを生き延びたワシらの運を信じるだけや」とかすげえテキトーにつけられた台詞を言うかたわらで、ケンスケはファインダー越しにではなく、己の両のまなこで(「少女保護特区」の名シーンを彷彿とさせますね!)結界・イコール・防波堤を乗り越えんばかりの津波を凝視します。残された人々を生かしてきた結界は、その実、旅と放浪を奪われたスナフキン、人間の共同体の中にずっとはいたくないだれかを閉じ込める機能をも同時に果たしてしまった。アスカがシンジに向けて放った「生きたくもなければ、死にたくもない」という言葉、それはもしかすると、いつかケンスケが閨でアスカにつぶやいた言葉だったのかもしれません。目前に迫る破滅を見つめながら、彼の胸中には「この偽りの理想郷・第三村ごと、ボクの偽りの幸福を押し流してくれ!」という、人ではないものの叫びが渦巻いていたに違いないのです。しかし、第三村の描写はその短いシーンを最後にブッツリと途絶え、その断絶は事故で即死となった人間の意識はかくやと思わせる唐突さにまで至り、監督はQを作ってしまったことへの贖罪どころか、再び被災地とその暮らしを踏みつけにしたまま遁走し、私小説「個人的な体験」へと退行していくのです。ケンスケの抱いた昏い願いが成就したのかどうかは、宇部新川のアホみたいな脳天ファイラーの空撮で幕となった劇中では、いっさい触れられることがありません。

 激情のあまり気づいてなかったけど、いろいろシンエヴァの感想を読んでたら、空撮シーンのBGMって「残酷な天使のテーゼ」なんですって。つまりあのエンディングは、テレビ版の第弐拾六話のラストとオーバーラッピング(笑)して読ませるよう仕組まれていたわけで、本当に監督の悪意は底抜けですねえ! それとも生粋の女たらしの、「無邪気で可愛い人」なのかな! シンジ・イコール・監督の幸せな悟りに対して、劇場に座ってる私たち観客へ「おい、『おめでとう』って言えよ。おい、拍手もしろよ」って演出で強要してやがんですよ! ねえ、殴りたおされてから顔を足で踏まれてるのに、なんで君たちヘラヘラ笑ってんの? 悪意ある仕打ちに、みんなもっと真剣に怒っていいと思いますよ! 唐突に津波のシーンを入れたのも、自分のリハビリのために津波を描きたかっただけで、DSSチョーカーを見てシンジがゲロをはかなくなったのと同じような理屈、遠回しな自分語りなんでしょ? もうボクは震災による傷を乗り越えましたって、あの瞬間は鎌倉にいて特撮のビデオでも見てたんだろうし、その傷ってリスカの自傷痕じゃん。

 この映画を褒めている人たちは、ある不幸に対する監督の底抜けの無神経さをどう思ってるんでしょうか。繰り返し放映される津波の空撮(空撮!)をモニター越しに眺めながら、家々が押し流される様に指を折りながらフレーム数を数えて、いま見ているものがどうアニメーションにできるかをまず考えたんでしょ? いや、非難はしてませんよ、その冷徹な観察は超一流のクリエイターにとっての避けられない業(カルマ)でしょうし、「人間であることを捨てた」先にたどりつける創造の極地には、あこがれと畏敬の念すら抱きます。許されないのは、それを優れたSF作品に昇華させるのではなく、自分語りに消費したことなんですよ! おいコラ、観客に「おめでとう」って言わせる前に、まず被災地の方々に「ごめんなさい」だろうがよ! 宮崎翁から発される有形無形の赤い圧力に抗しきれず、みなさんの不幸をエンタメにしてすいませんでしたって、そこから逃げずに(逃げちゃダメだ!)ごまかさずに、取り巻きや批評家や作品に大便(失礼、代弁)させずに、まず自分の口でそれを言えよ!

 すいません、また少し、ほんの少しだけ冷静さを欠いてしまいました。旧エヴァと新エヴァが地続きであることは、ゲンドウの台詞だけで判明(絶対に許さない)してしまいましたが、「終劇」の先でエヴァ世界にとっての現在である第三村とそこに住む人々がどうなったかについては、いろいろと考察(笑)があるようです。おそらく正確なところは、第三村は三人目の綾波をふくめて副監督の担当パートであり、監督は基本的にそこへ興味や関心を持たないばかりか、作品を終わらせるにあたって意識の上にさえ無かったーーだから「空撮エンド」をビッグ・アイデアだと信じることができたーーということでしょう。「見るべき第一はスクリーンの中にある」と仮定した場合、エヴァ世界は新旧ともに監督の自我へと吸収・合併(さすがビジネスマン!)されて完全に消滅したとしか、作中で提示された情報からは読めませんね。丁寧に描写された第三村も、人知れぬケンスケの苦悩(それはキミの妄想)も、チンチンに短い浴衣で「エヴァンゲリ音頭」を踊って村人たちに笑われるネモ船長(それもキミの妄想)もすべて失われ、「終劇」の先は大津波にさらわれたように何も残されていないのです。おや、図らずもシンエヴァという作品が、エヴァ世界にとっての東日本大震災だったという結論になりましたね。2012年にQを見た直後のシンエヴァ予想に、「ゼロが空集合なのは前作との連続性を否定する意味に違いなく、次こそ正統の続編が制作され、オープンエンドのマルチバース的世界観が明らかに」って書いたけど、監督の未来に向かってオープンエンド(笑)のシングルバースで、昔からのファンにとってはデッドエンドって、これどないなっとんねん。エヴァっちゅうあの巨大IPがメタメタに(ダブルミーニング)されてしもて、もうどうにも商売になれへんがな。

 あのね、メタって軽いスパイスとしては有効だけど、メインディッシュにはならないんですよ。でも、時代と接続した一回こっきりのイレギュラーである旧劇の成功で、勘違いしちゃった。シンエヴァの終盤でコックが自信ありげに出してきたのは、黒胡椒がひかれもせず粒のままで敷き詰められたパイ皿みたいなもんで、どうやって食べるんですか、これって感じ。メタの絶妙な使い方で思い出すのは、ランス10に登場する新聞記者のキャラですね。ランスシリーズって、鬼畜王と戦国で極度に肥大化したファンの作品イメージに長く続編を足止めされて、エヴァ新劇を取り巻く状況と似たようなところがあるんだけど、こちらは表現方法を模索するため、ジャンルさえ違えた紆余曲折の果て、30年近く続いたシリーズにも関わらず、フィクションの内側だけですべての世界設定を回収して、二度と語りなおせない永遠の物語としてみごとに終わらせたんですね。エヴァンゲリオンはもう取り返しがつかないけど、「終わらない物語」を現在進行形で語っている定命の人たちは、ぜひランス10に触れて、その手腕を見習って欲しいです。

 話を戻すけど、この新聞記者はランスシリーズの30年来のファンとイコールの存在として造形されていて、発言の端々に作品を外側から俯瞰するメタ的な視点が垣間見えるの。このキャラのイベントを進めていくと、最後の最後で「あなたがこの世界のことを忘れても、わたしはずっとここにいて、この世界の行く末を見守り続けてる」みたいなことを言うのね。どんなに心ふるわせる傑作を体験しても、人生と時間は否応に前へと進んでいって、やがてすべての虚構は現実の背後へ、忘却の彼方へと過ぎ去っていく。いそがしい日々のはざまで、ときどきフッとランスシリーズのことを思いだすとき、このキャラがいまでも私の代わりにあの世界を見守ってくれていると想像すると、本当は何も存在しないはずの場所から暖かで前向きなエネルギーが湧き上がって、生きることを肯定してくれるのです。

 もう言ってもせんのないことですが、私がシン・エヴァンゲリオンに期待していたのは、虚構よりも現実へ多くの時間と感情を割かなければならなくなった大人たちへ向けた、すべてを忘れたあとにさえ人生の一部となって背中を押してくれる、成熟した何かだったのだと思います。あらゆるフィクションにはその力があり、それを信じられないまま、もしかすると一度もそれを感じたことがないまま、つまらぬ生活感情の表出と己の過ちを糊塗することを、虚構の持つ豊潤な可能性へ優越させた情けなさに、ただただ涙がこぼれます。あ、いま気づきましたけど、「糊塗すること」って「槍でやり直す」構文ですね。やー、テキスト書きとして恥ずかしいなー、アハハハー……はぁ。

有志による英語版:The ballad of Village III

ドキュメント「シンエヴァ・アディショナル呪詛(2021/3/6〜3/24)」

承前:アニメ「2021年のエヴァンゲリオン」雑文集(1/15~3/5)

2021年3月6日

どんどん気持ちが不安定になっていく。人生で2回エヴァが終わるなんて信じられない。

終わるのを見届けるなんて生やさしい感情じゃない、俺がエヴァを殺しに行くんだって気分になってる。じゃないと逆に殺される。

端的に言って、ビビッてる。これまでのエヴァへのディスりの数々が、これから戦うヘビー級チャンピオンを攪乱するための盤外戦に過ぎなかったことがわかる。それもただのボクサーじゃない、25戦25KO、そのうち20人をリング上で殺してる。

計量をパスした後の記者会見で、挑戦者の俺はビビッてることを隠すため、さらに狂騒的にしゃべり続け、チャンピオンはただ擬と黙っているだけなのに、こちらの心と体力がみるみる削られていくのだ。

この9年を平気な顔で生きてきたくせに、シンエヴァ視聴まで残り36時間ぐらいを残すばかりの今になって、突発的な事故や病気で死なないか不安になってきた。明日は家から一歩も出るまいし、あさっては劇場への移動に細心の注意を払わねばらならないだろう。

俺とエヴァとの間にある感情は複雑きわまる。ルックスが超絶好みの美少女ゾンビとつきあいだして、最初は幸福の絶頂だったのに、次第に束縛と浮気がひどくなり、人生のリソースを9割以上もっていかれるようになって、もう別れてくれと懇願するのに、別れてくれない。

追いつめられたあげく、殺しても殺してもドロリと復活する美少女ゾンビへ馬乗りになって、「死んでくれ、頼むから死んでくれ」と泣き叫びながら、何度も何度もその頭蓋に大きな石を打ちつける感じ。

そして、このイメージにさえ、旧劇ラストの首しめが色濃く反映されており、美少女ゾンビに石を打ちおろしていたはずの自分が、いつのまにか美少女ゾンビに石を打ちおろされている。エヴァを殺すというのは、もはや自分を殺すことと同義であり、もうどうすればいいのかわからない。

シンエヴァの終わりを見届けた瞬間、劇場の座席に座ったまま心臓マヒで死ねれば、それが最も幸福な結末であるような気さえしてきた。同じ想いを抱いた同胞が、劇場で本当に自殺をはかってニュースにならないか、半ば本気で心配している。

なあ、俺のことをいつも見てたんだろ? おまえも不安で不安でしょうがないんだろ? よし、期間限定の慈愛をしよう。シンエヴァ公開直前、エヴァに関する質問へ全レスすると同時に、この嵐の夜に互いを暖めあう目的でエヴァを語る、本当の意味での慈愛をしよう。

ただし、シンエヴァを最高のコンディションで視聴するため、3月7日22時を慈愛の期限と定める。正体を知られたくないワケありの君は、以下の匿名質問箱を使ってもいいし、使わなくてもいい。

2021年3月7日

残り24時間。処刑台へ上がる前に過ごす、最後の一日。

碇容疑者という単語がテレビから聞こえてきて、ビクッとする。

エヴァQを見る前の自分が何を感じていたか、確認してきた

驚くほど、いまの気分と酷似している。
『明日の今頃、ここにいる私はいない。いるのは、シンエヴァを見てしまった私だ。シンエヴァを見るために、この9年を生きたと言っても過言ではないだろう。明日の今頃、どんな気分が私を満たしているのか。それは新たな数年を余命に加えるのだろうか。』

シンエヴァの個人的な見どころは、「旧劇を超えるかどうか」しかない。あの巨大な感情を超えるかどうか。旧劇への言及を徹底的に避けてきたカントクが、衰えた創作パワーを補充するために、新劇を終わらせるためだけに旧劇を引っぱり出してきて、もし中途半端にしやがったら生みの親でも許さねえ……!!

序と破の視聴終了。いま見ると、序は後半ですらまだまだ手堅くアイアンで刻んでる感じ。それに対して、破の前半は思いっきりドライバーをぶん回してる感じ。

ここにも書いたけど、19話のリメイク部分はあれだけ絵を動かして尺も取ってるのに、全体的に薄まっててダルい。ベテランが触るのを怖がって、若手に突っ込ませて成功しなかった感じ。

Qはどうしようかなー。こないだ劇場でIMAX版見たばっかりだしなー。見ると怒りで血圧が上がるのは確実なので、シンエヴァ直前に脳溢血とかで倒れたらシャレにならないしなー。

2021年3月8日(1回目)

時が来たね。

見終わった。

2時間35分がぜんぶエヴァQの続き。

端的に言って、ゴミ。「エヴァらしさ」をはきちがえた、自己模倣のカタマリ。

声優とか関係者とか試写会を見た人たちが、微妙に言葉を濁す感じの裏にあるものがわかった。

2回見るつもりでチケットも押さえてあるけど、もう行かない。

いい年齢をした大人が熱にうかされたみたいにアホみたいな文章を一ヶ月にわたって書きつらねたあげく、責任のある大人が仕事の都合をつけて平日の朝イチからアニメを見に行ったという恥ずかしさ。

「成熟した大人が体験するには恥ずかしいもの」として観客に突きつけるという意味なら、制作者の目論見どおり、私のエヴァンゲリオンはきょう終わりました。

「コピーに魂を込めることでオリジナルを超える」人が、還暦を迎えてアニメ界の大御所になった結果、周囲を見渡したらもうコピーする先が無くなっていたので、自分の過去作をしこしことコピーし始めるのを、劇場の大画面で見せられる悲しみ。

いまは、心の底がシーンと冷たくなる感じで、許せない。
『シンエヴァの個人的な見どころは、「旧劇を超えるかどうか」しかない。あの巨大な感情を超えるかどうか。旧劇への言及を徹底的に避けてきたカントクが、衰えた創作パワーを補充するために、新劇を終わらせるためだけに旧劇を引っぱり出してきて、もし中途半端にしやがったら生みの親でも許さねえ……!!』

朝ドラみたいな、「となりのトトロ」のコピーはあったな。

シンジくんの声優、あれ、ホンマあかんで。事前にかなり大きなネタバレしてるやん。

シンエヴァ、朝イチの回を視聴後に呆然と帰宅して、今まで気を失うように寝てた。

エンタメとして始まった新劇が突如Qで私小説と化し、再びエンタメに路線を戻すかが今回の焦点だった。それが、旧劇と同じくまた私小説としてエヴァを終わらせてしまった。

しかも、浅いリストカットをひとりで手当てして、「すっかり治りましたー」みたいに自傷痕を見せびらかす感じ。

旧劇で「甘き死よ、来たれ」が鳴りはじめた直後の、タイトルとセル画裏返しが連続で流れるシーンを、プロジェクターで体育館の壁へ映す演出には、端的に「殺すぞ」と思いました。

あのエヴァの終わりが、東日本大震災に影響を受けたリブートの大失敗を自己回収する作品って、監督以外のカラー関係者は納得してるの? シンパ側近女性のフィルターによる取捨選択を通してしか進言が届かない、裸の王様になってんじゃないの?

“NEON GENESIS”の”NEON”は”NEW”の意味じゃないとテレビ版のときからさんざん言われてきたのに、「碇君がネオン・ジェネシス、新しい時代を作るのよ」みたいなぞんざい極まる回収ための回収には、もはや「ハア?」という脱力感しかない。

ちょっと、9年前の気持ちを再掲しとくよ。驚くほど、いまの気持ちとブレてないから。

『あのな、難しいことゆうてへんねん! ワシはシンジ君が初号機で大活躍するのを見たいだけやねん! それがあんなワケのわからん戦艦のエンジンにされてしもて、活躍どころの話やあらへんがな! 正味、女子の乗るロボットの活躍は14年前のんでお腹いっぱいやねん!』

『ステーキハウス開いたからゆうてステーキ食いに来とんのに、さんざん待たしたあげくデカいジャガイモをツマに出されて、やれ有機農法やら、やれバターが上等やら、そんな講釈はいらんねん! さっさとブ厚いステーキに塩だけふって持ってきたらええねや!』

『おどれ、まさか続編で被災地の綿密な取材にもとづいたサードインパクト後の街を描写したりせんやろな! まさか、 今回は生きとるか死んどるかわからんかったキャラが街の復興の(加地さんとかトウジとかや)旗振りしてんの見てはげまされるみたいな展開にするんちゃうやろな!』

『どんな気にくわん世界でも我がの気持ちでチャラにしたらアカン、この新しい小さな幸せを守るためにボクは戦うんやとか言い出さへんやろな! サードインパクト後に生まれたトウジと委員長の子供なんかが作劇上のギミックになったりしてな! うう、考えただけでサブイボやわ!』

『そんでラスボスのおとんに立ち向かうみたいな展開にホンマなりそうで、ワシいますごい怖いねん! エヴァQのラストシーンと予告からは、そんなベタな臭いしかせえへんねん!』

いやー、設問が簡単過ぎたことはありますけど、ほぼ9年後の続編を予見してましたねー。

世界の片隅のいちファンの想像が、先回れるような作品であってほしくはなかった。

2021年3月9日

呪いを書いてる。だれも幸せにしない、書いた本人さえ救われない、呪いを。

2021年3月10日

呪い、明日の14時46分にnoteで公開予定です。

2021年3月11日

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

2021年3月12日

拡散してほしい。世界を呪いで塗りかえたい。

批評家どもの「シンエヴァは傑作。続きはサロンで」商法にだまされて、「よくわからなかったけど、褒めていいみたい」と脊髄だけで生きている脳無しニワトリどもが安心してペチャクチャやりだした今のヌルい空気を、呪いで黒く塗りかえしたい。

少し目を離している隙に、けっこうバズッてますね。「炎上してアホに発見されて怒られが発生して閉鎖」がここ数年の目標だったので、嬉しいのと同時に呪いが成就するためには、まだまだケタが足りないという気分もあります。

「こいつみたいのが青葉容疑者になるんだろうな」とか言われてますが、ファンの心性とはすべからく(エヴァ語)ジョン・レノンに対するマーク・チャップマンのそれを特濃として、どれだけそこから薄いかというグラデーションの違いでしかありません。

私のエヴァ語りにむらがるニワカファンどもは、こちらのnote記事をリンク先も含めてすべて読んでから、「:呪」にダ・カーポ(笑)して下さい。ファンの脳内に巣食う、「本物のエヴァンゲリオン」を見せてあげますよ。

あと、2012年に書いたこれもすごい面白いので、「:呪」に共鳴した貴君は読むといいです。

今週末、旧劇のときすでにこの世にいた人と2回目を見るチャンスがあるんですけど、正直どうするか迷ってる。前にどこかで「地獄が続かないのなら、愛を続ける他はない」って書いたけど、憎しみだけを続けるのって、特に年を食うとパワーを使うんですよね。

何回もシンエヴァを見ることで、許したり、認めたり、もしかすると、愛したりする気持ちに傾くのが怖い。「旧劇にふれられたら、それはもう戦争だろうが!」というオールド・ファンの「まごころ」を失いたくないのです。

 雑文「エヴァンゲリオン大学心理学部形而上心理学科」

2021年3月13日

 エヴァ芸人の走りみたいなテキストで小銭を稼いでいた人物がシンエヴァを絶賛していることを知る。「え、それって貴方のアイデンティティの明確な否定じゃないの? もしかして、テレビ版と旧劇の内容を全く読めていなかったの?」とまず驚き、続いてえいと塹壕から飛び出した瞬間、味方(そう、味方と思ってた)に背中から撃たれた兵士の気持ちになりました。やっぱり商業ムラでの生活が長くなると、仕事が回ってこなくなる村八分を恐れる余り、発言がヌルくなっていけませんね。「こんなの俺の愛したアヤナミじゃねえ、予定調和まみれのツキナミだ!」ぐらい言ってキレちらかしてくれてると思ってたのに! かつては舞台上で抑えきれない深刻な衝動からアンプを蹴り倒して破壊していたロックスターが、いまやアンプが壊れないようにヨボヨボの足を当ててソッと倒す「ロック仕草」に終始して、往年のファンがそれに拍手する。そして、初源の熱気を知らない若いファンが、そういうものだと思ってつられて拍手する。あのエヴァなのに、もはやこれ、伝統芸能と化しちゃってますよ。業界内でのポジショニングを気にして日和った言動に流れるぐらいなら、最後まで皮膚病の野良犬でいようとの決意を固くしました。いま思いましたけど、シンエヴァってナウシカ歌舞伎みたいなものかもしれませんね。旧劇を底本にした、エヴァンゲリオン歌舞伎。

 小鳥猊下だお! 仕事つらいお! 謎の定額制サービス「働かせホーダイ!」に加入中なので、もちろん今日も仕事でしたお! いい大人のクセして、月曜日にマンガ映画を見るためにすべての社会的責任を投げうって休んじゃってるし、しょうがないよね(てへぺろ)! いま確認したらnote記事「:呪」の閲覧数が2万、スキが200を超えてました。最初の週末を越えるのに、まずまずの走り出しと言えるでしょう。はてなブックマークのコメントも160くらいついててぜんぶ読んでるんだけど、人気コメントのトップが「クリエイターも人間なのに、『殺すぞ』なんて言葉を使って正気か」という内容でした。ここ10年のインターネットの変化について頭では理解していたつもりでしたが、あまりに慎重に深く深くワールドワイドウェッブの底へもぐりすぎていたため肌感覚ではわかっておらず、いつのまにかズレが生じてしまっていたということでしょう。また、ウマ娘の大流行に乗っかってバズらせたいあまり、売り言葉に買い言葉で「種無し」なんて表現を使ってしまったことも、いまでは後悔しています。これらの過ちを真摯に反省(過ちを認めるのが「大人」だからね! )し、note記事「:呪」について次のようにエラッタを出させていただきます。既閲覧者2万人すべてへ届くよう拡散の方、よろしくお願いします。

 「同記事内に登場するすべての『殺すぞ』を『ブチころがすぞ』、すべての『種無し』を『限りなく透明に近いスペルマ』に読み替える。この効果はインターネットが存在する限り永続的である」。

 ですので皆さんは、当該の表現がお手持ちのデバイスやモニターに表示されるたび、必ずエラッタの指示どおりに赤の極太マッキーで画面へ直接、修正を行ってください。各ユーザーが修正を怠った場合に生じる全ての道義的・社会的責任については、これを永久に放棄します。

2021年3月14日(2回目)

 2回目を見てきた。夜に少しつぶやくかも。

 シンエヴァ、2回目を見てきた。何も言わないでおこうと思ってたけど、無理でした。少し長くなります。「虚心に客観的に」を心がけて見て、印象が大きく変わらなかったのは、良かったのか悪かったのかわかりません。ただ、「監督の人格から切り離した一個の物語として視聴する」という試みは、完遂できませんでした。理由は後述します。私にとってのエヴァンゲリオンとは、「公開時点で他のすべてのアニメ作品から、ぶっちぎりで抜きんでた最高峰」を指すブランドのことであり、旧劇・序・破までは見事にこの高すぎる期待値を越えてきたのです。2回目は初回のような激情から離れることができて、ゴチャゴチャよくわからないアクションシーンも、音楽に集中して見ることでイライラせずにすみました。Qのときもストーリーは意味不明だったけど、曲はすごくよかった。シンエヴァも劇伴だけ取り出したら最高峰だなー、と思いました。でもやっぱりこの出来には、他のだれより監督自身が満足しているとは思えません。「俺は社長で小学生 今日も乗り込むエヴァンゲリオン 我が社の金庫を守るため 我が社の社員の給料が」と、断腸の思いで片目をつぶって完成したことにしたのを、なぜか批評家もファンも大絶賛してて、いちばん首をかしげてるのが社長自身のような気がします。下手に語りだすとまた1万字とかになるので、2回目の視聴で気になったところだけ、断片的に指摘します。

 第三村でアスカがシンジの口にレーションを突っ込むシーンの台詞、「アンタは宮崎駿の言うことを聞いて震災を反映したエヴァを作っただけかもしれないけど、その程度の精神強度でエヴァに震災を反映してほしくなかったわ!」と聞こえました(呪い)。

 アグ波(agriculture Ayanami)がレーションとSDATを渡しに行ったときのシンジさんの台詞、「エヴァQで新劇の初期プロットをメチャクチャにして会社を危機に陥れたボクに、どうしてみんな優しいんだよ!」と聞こえました(呪い)。そっかー、だれもキミに厳しいこと言ってくれなかったんだねー。ふつう他人に優しいのって、その人の人生に関心がないか、下手なこと言ってからまれたくないかのどっちかじゃないかなー。優しくせずにキチっと叱るのって、全身全霊のパワーを使う行為だから、どうなってもかまわない人には、僕はやらないなー。

 補完計画が進行する中、ゲンドウが鉛筆画を背景にベラベラと情動失禁的にしゃべる長広舌(もうこのパート、小説でいいじゃん)だけど、旧劇の補完シーンではソリッドな表現と短い独白で、同じ内容が過不足なくぜんぶ観客に伝わってましたよ。「お前が拒絶した、すべてがひとつになる世界」という台詞(台詞で!)で、旧劇とのつながりが明示されてしまったことは、やはり心の底から許せない。しかし、ダイレクトエントリーなる奇矯なアタオカ実験で妻を失ったことへの悔恨は、正しい形で死者の弔いをできなかったゆえの執着だという描き方は、すごく共感できます。先日、ある親しい人を亡くしましたが、感染症の影響からひっそりと家族葬で送られました。ご遺体のお顔を見て、ご遺体とともに一夜を過ごして、故人を愛した人々の中で読経を聞いて、初めて解かれる執着もあります。このパートだけは、とても今日的だと思いました。

 あと、「イスカリオテのマリア」なんて最高にアタマの悪い単語を言わされて、これが声優としての最後の仕事になるかもしれないなんて、冬月の役者さん、かわいそう。

「監督、結局マリが何者なのか作中で説明できてませんよ」
「アホ、マリは俺のヨメだろうがよ!」
「し、しかし監督、それじゃ観客が納得しませんよ」
「適当に聖書の単語を並べときゃいいんだ! 俺やお前なんかが考えるより、よっぽどうまくエヴァファンどもが説明してくれんだよ!」
「そんな無責任な! アマチュアの発想を上回ろうとする努力を放棄するなんて、プロ失格じゃないですか!」
「うるせえ、言われたとおりにしろ! 俺がいちばんうまくエヴァを創作できるんだ!」

 それと、シンジが三本目の槍?を手に「ネオン・ジェネシス」って言うの、作中の人物の視点からでは出てこない単語で、これ、みんなまたマジメに理由を考えてんの? 「新たな創生記」って意味で言ってんなら”New Genesis”だし、仮にシンジが英語に堪能だったとしても出てこない台詞で、テレビ版のタイトルから引いてきた以外の回答がない。考察班(笑)の皆さん、ご苦労様としか言いようがない。

 「:呪」に「普通の映画としては佳作から凡作の間」って書いたけど、例の波打ち際に8号機でマリが迎えに来て、事象の地平面から現実へ戻ったあと、この映画の構成でもし「普通の映画」だったら、シンジのいない世界で第三村で下船したクルーと人々が共に生活する様子を描いて終わり、じゃないですか。あれだけ余計な尺を使って描いた村の人々が、無事だったかどうかも知らされないまま、クルーたちのその後にもいっさい触れずに、宇部新川なんて一般の客にはなんのことだかわからない町の空撮で終わる。守るべき人々や生活なんてのはQへのエクスキューズ(と、宮崎駿への目配せ)に過ぎず、監督には元よりどうでもよかったことが、この展開で明らかになります。旧劇のときすでにこの世にいた人にラストシーンのことを話したら、「そうなん? あれ、第三村が発展したんやと思ってたわ」ですって。まあ、ふつうの人がふつうに見たらそうなりますよね、ふつう。「見るべき第一はスクリーンの中であって、作者個人とからめて読むのは違うと思うので……」って、おいィ? お前らは今の言葉聞こえたか? お前、この唐突なラストシーンをどう説明すんだよ! 旧劇の内容と切り離してさえ、補完計画以降は普通の映画として読解させるような構成になってねーんだよ! 序と破はキチンと「普通の映画」として作ってあって、こんな読み方を許さなかったし、じっさいだれもしてなかったじゃねーかよ! Qといいシンといい、物語の作り方に問題があるんだよ! 「普通の映画としてさえ凡作から駄作の間」に格下げだ!

 監督、資料を管理する会社とか特撮のための博物館とかでモノを残すのにご執心で、十年後のエヴァ回顧展とかで「ホウ、これがあの伝説の空撮に使われたドローンの実物ですか」とか、渋川先生みたいな口調でオタクどもがニチャクチャやってるのが目に浮かぶようです。しかしながら、そこに2009年7月から2011年3月の間に制作されただろうモノは展示されないに違いありません。それはまるで政治家や官僚と同じ手法で、監督が「正しい歴史」を自由に編纂できる無謬のオーソリティと化してしまったことを意味します。それは「悲しい」ことですが、新劇の結末がこうなってしまったいま、とくだん「残念」なことではありません。2回目の感想は以上です。

2021年3月15日

 エンジェル・ブラッド(サブイボ)! アグ波(agriculture Ayanami)はぜひ流行らせていきたい! 小鳥猊下であるッ!

 2回目を見終わってから、いろいろと感想を読んでるんだけど、ストーリーの中身ではなくてカップリングで炎上している界隈があるんですねえ。中でも、なんの伏線も無いまま唐突にアスカとケンスケがくっついたことへ、強い憤りを表明している方が多いようです。あの、伏線はちゃんとあってね、旧劇で撮影されながらオミットされた実写パートで、生身の声優がキャラ名で生々しい(と、監督が信じる)女性の実態を演じるドラマがあるんだけど、そこでアスカと同棲してるのがケンスケ(トウジだったかも?)なんですよねー。脚本段階では「うえー、口の中にまだ残ってるみたい」とか「いい年して、まだエッチなビデオ見てんの?」とか、監督が女性声優にエロい台詞を言わせたい気持ちがムンムンに漂っていて、女性の下ネタ的発言をカセットレコーダーで収集している「えの素」の小さいオジサンを否応に想起せざるをえません。それにしても、こんなエヴァファンにとって必履修級の実写パートの存在を知らないで、よくノコノコと完結編を見に行けましたね! 「25年ROMってろ」がオールド・ファンからニワカの諸君に贈るまごころの言葉です。

 あと以前、MIYAMOOが出演しているとおぼしき裏ビデオの話をしたことがありましたけど、ブンダーを直下から撮影していたケンスケが急にアスカへカメラを向けて、アスカが「もう、撮らないでよ」って手で顔を隠すシーンがあるじゃないですか。初回も2回目も、なんかこの場面に既視感があるなーって思ってて、まさかあの裏ビデオに同じ場面があった……? もはや確認する術(VHSデッキ)は無いんですけど、もしこれがシン(真)だとするなら、監督のMIYAMOOに向けた執着、怖ッ!

2021年3月16日

 「黒波」なんて、エヴァQからアップデートされていない中二病くさい名前じゃあないかい? 今日からオマエは「アグ波」だ! 農業を意味するアグリカルチャーから2文字をいただいた、「アグ波」だよ! 「アグ波」流行らせ隊であるッ!

 シンエヴァ、2020年6月27日か2021年1月23日に公開されてれば、「:呪」を含めた数万文字にわたる雑エヴァ語りはぜんぶ無かったと思うんです。恨みごとのひとつは言ったかもしれませんが、ここまで長大なものにはならなかったでしょう。2012年のQから半年くらいは昏い感情が胸中に渦巻いてましたけど、そこから8年ばかりは時折の言及こそあれど、エヴァへの関心を基本的に失っていました。それが二度にわたる延期のせいで、潜伏感染していたヘルペスみたいにエヴァが再発したと思ったら、みるみる重篤化して心を侵食していったのです。なので、寛解までにはもう少し時間がかかりそうです。エヴァから現実へ帰る(笑)ためのリハビリだと思って、もうしばらくは「呪い」におつきあい下さい。まあ、正確には1日の3分の2ほど労働者として「現実」をやった後、床につく前の1、2時間の「夢」でこれを書いているのですが、資本家や使用者の方々には伝わらない話でしょう。

 2回目の視聴を終えて、話の内容を反芻してて気になったところのひとつに、クルーを全員退艦させた後で巨大アヤナミへとカミカゼ特攻する場面で、ミサトの一人称が「お母さん」になったことがあります。まあ、シナリオの流れで盛り上げるためにそうしてるってのは百も承知なんですけど、昭和の理想郷みたいな第三村の描写とかを見せられてからだと、文句のひとつもつけたくなっちゃう。特に現代の女性にとって、「お母さん」っていうのは子どもといっしょのときにかぶるペルソナのひとつであって、ひとりのときに自分を「お母さん」なんて言わないと思うんですよね。「お母さん」であることが骨がらみのアイデンティティと化すのは、それこそ磯野フネみたいな昭和の専業主婦ぐらいで、悪い言い方をすると少年だった監督が見上げる母親のイメージが平成・令和・還暦を越えて更新されていないのが、このシーンを通じて伝わってきます。これを「子育てをしてないから」と揶揄するのは、監督の放ったメッセージと同じレベルで下品だから言いません(言ってる)けど、別に子育てをしなくたって現代社会をふつうに生きてればふつうに更新されそうな価値観ではあります。むしろ、こんな現世のよしなしごとよりも魅力的な、いにしえの映像世界へと耽溺する、「日本のおたく四天王」の二つ名を持つ監督の面目躍如としておきましょうか。

 映画全体の構成バランスを考えたとき、カメラが最後に第三村へ戻ってこないのはおかしいと指摘しましたが、宇部新川の空撮に至るまでのシーンって、昭和の野暮ったさみたいのに映画全体を浸してきたのに、ここだけすごく令和っぽい(神木くんのせい?)というか、カッコつけてると思うんですよね。批評家の皆さんは、「この印象の断絶と飛躍こそが監督のねらいである」とか語るんでしょうけど、そんな商売と関係のない昔からのいちファンであり観客に過ぎない私には、監督がかつて「紅の豚」に向けた批判である「宮さんはパンツはいてる。その最後の一枚を脱ぐのが作品作り」と同じものを感じます。旧劇からさんざんカッコつけてきたけど、昭和のフィクションが発する重力から逃れられない、いつまでも昭和が輝いているように見える古びた感性こそが俺の正体なのだと、「パンツを脱いで」さらけださないといけなかった。つまり、「ミサトの特攻でブンダーが爆発する瞬間、呼ばれた気がして振り返るリョウジ」みたいなベタベタのベタな親子の絆の描写が必要だったし、キザッたらしい空撮ではなく「第三村の人々と夏祭りで『エヴァンゲリ音頭』を踊る浴衣姿のブンダークルー」をラストシーンに持ってくるべきだったし、エンディングテーマはUTD氏が藤圭子ばりのこぶしをきかせて歌いあげる「びゅうてぃふる・わぁるど(艶・怨・演歌ver.)」であるべきでした。半ばおもしろおかしく読ませるための冗談ですが、半ば本気でもあります。それでは、今日はこのへんで失礼することにしましょう。明日も「現実」がありますので!

2021年3月17日

 このアグー豚のチャーシュー、美味しーっ! (靴墨で丸く口ヒゲを書いた股引ハラマキが舌足らずに)え、いまチミ、「アグ波」っつった? 小鳥猊下であるッ!

 シンエヴァ肯定派の意見を読んでる。だいたい3つくらいに分類される感じでしょうか。まず、「疲れたから終わったことにしたい派」ですが、気持ちはわかります。いまさら旧劇の頃のように感情を沸騰させても、現実に何も得るところはありませんものね。私はどうも教務課の手違いで2度目の留年となったみたいですが、ご卒業おめでとうございます。次に、「還暦を過ぎた監督の労をねぎらう派」ですが、クリエイター職に多いようです。非クリエイター職からすれば、なんで旧劇で俺たちを全力で殺しにきたエヴァンゲリオンが、肩を貸してもらって介護されてんだというやり場のない憤りを感じます。年老いた毒親が肉体の衰えから生きることへ弱音を吐くのに、ちょっとは優しくしてやらなきゃいけないかなと譲歩させられてる感じが許せないですね。しかしながら、この二者は出されたものが自分の想像を越えなかったという点では共通しています。出力された感想に手心を加えたかどうかの違いしかないので、「否定派」と基本的には同じ立場だと言えるでしょう。そして最後に「大絶賛派」ですが、公開直後によーいドン!で駆けだして、「最高だった!」「監督ありがとう!」と大声で叫び回る段階が過ぎて、ジワジワと後ろから否定的な意見に追いつかれはじめていて、いまはレース場を引き返して、それらを順ぐりにけたぐりで潰しにいってるところでしょうか。「アナザー・インパクトとかアディショナル・インパクトとか、出てくる用語の響きがイマイチなのはわざとで、エヴァを終わらせるために作品そのものを無化しようとする意図がある」だとか、「補完計画中のイメージはすべて、フィクションであることを強調するためにわざとクオリティを下げて作っている」ーーええ? 「自らが率いて十年が経つ制作会社のCG班の実力をそのまま演出として使っている」ならまだわかるけど、すごいなーーとか、薄々は作品の弱点として気づいている部分をガードしに行きながら、攻め込まれてる個所の戦線を回復しようと躍起になってる感じが見ていて辛いです。大きな怖い声を出せば相手は言うことを聞くだろうという、お得意のマッチョイズムを貫きとおせばいいものを、ベトコンにつりこまれる米軍みたいに隘路へと入っていくのは、それこそ相手の望むところで得策ではないとアドバイスしておきます。枝葉末節に触れず、「シンエヴァの凄さがわからないヤツは、バカ!」を大声で繰り返すのが最善の策でしょう。そこでは勝てませんから。結局のところ、「絶賛派」も「否定派」もどう解釈したいかの違いだけで、見ている映像の中身が同じであることが「絶賛派」からの丁寧な指摘でわかりつつあります。1回目の視聴では、あまりに感情が沸騰していたのでエンドロールの直後につい「ゴミ」と大きめにつぶやいてしまったのですが、旧劇のときにはこの世にいなかった人の反応は「え、そんなに? わたしは面白かったけど?」でした。2回目の視聴では、旧劇のときにすでにこの世にいた人の反応は、「長いなーとは思ったけど、気になるところもなかったし、楽しく見れたわ」でした。この2人は一週間が経過して、もうまったくシンエヴァのことを話題にはしませんし、シンエヴァを見たことさえ忘れてしまったようですし、リビングのパンフレットはすでにナベ敷きとして使われています(3冊買ってあるから安心ですね)。大手検索エンジンの映画レビューに「長かったけど、面白かった!」と書いて4をつけて、その日のうちにシンエヴァのことが頭から消えてしまう人々が観客の95%で、残りの5%が1か5をつけて、もう見終わったのに延々とそこへと言葉を費やしている。つまり、シンエヴァを「見る」という行為だけで満足できず、何かを「語って」しまっている時点で、我々はみんな同じ穴のムジナなのです。シンエヴァは監督自身によって壊された、まごうことなき「ゴミ」ですが、どうかしばらくは仲良くやっていきましょう、ご同輩!

2021年3月18日

 ねえねえ、聞いて聞いて! 「エヴァQ」のQは「阿Q正伝」のQからとったらしいよ! (靴墨で丸くヒゲを書いた股引ハラマキが舌足らずに)え、なに、いまチミ、「アグ波」っつった? 小鳥猊下であるッ!

質問:本物だ… 本物の方の言葉を拝めるの嬉しい…。文章が楽しい。かように色鮮やかで鋭利な、言葉と感情のアルバムに出会えたことに重ねて感謝します。

回答:過分な評価を、とは謙遜しません。私のエヴァ雑文集は、まさにファン歴25年の精髄、貴方の表現する通りの逸品なのですから! しかしながら、この文章が「本物」だとわかるのは、貴方が知性と審美眼を兼ね備えた「オタク」だからなのですよ。たいていの「ふつう」の方は、「なんやこれ、エヴァの感想やいうから見てみたけど、目のすべる読みにくい文章やなあ」と文句を言って、ブラウザの戻るボタンを押して、終わりです。私は怪文書の類として、「:呪」をはじめとしたエヴァに関するテキストを書いているつもりです。25年前、テレビ版放映終了から劇場版公開までの間、無数の怪文書が乱れとびました。そのうちのひとつを未だに手元に持っていますが、だれかにFAXされたとおぼしき手書きの文書で、何十回もコピーを繰り返した結果、文字は判別の難しいまでにかすれ歪み、書かれている内容を含めて、流行りの言葉に乗っかっておくと「呪物」としか言いようのないシロモノです。そういえば、出版物に収録される前から、テレビ版の企画書のコピーも持ってましたね。いま思い返すと、いったいどこが出元だったのか、怖くなります。エヴァにまつわる私の文章も、SNSのサービスを使ってきれいにまとめられて、もしかするとコンテンツ然として見えているかもしれませんが、私の中のイメージは25年前、関係者と称する人物がテレビ版作成の裏側を赤裸々につづった、あの「呪物」としての怪文書、判読の困難なA4の紙束なのです。

 雑文「建築物としてのエヴァンゲリオン」

質問:監督はシン・エヴァについて賛否両論のふきあれる今の状況をどう見てるんでしょうか。

回答:おっ、ええ質問やな。ケトゥ族のスピーカーがウエメセで多用するところの「グッド・クエスチョン!」やで。「シン・ウルトラマンの編集作業と追加撮影で忙しくて見てない」がホンマのとこやろうけど、こんな回答はつまらんし、オモロイかオモンナイかがワイら関西人の基準やから、オモロイほうで話を進めていくで。ふつうの監督でふつうの映画やったら、興行収入が評価のモノサシになるんやろうけど、コイツは腐ってもーー「腐ってやがる。遅すぎたんだ」ーーあのエヴァや。ふつうの監督やないし、ふつうの映画やない。カスのQかて、興収だけでいうたら前作を上回っとる。あれや、ドラクエシリーズでいうところの7みたいなもんや。どっちも売り上げ最高なんが、いっちゃんおもんないねん。アンタの質問への答えはズバリ、シンエヴァの「全記録全集」が発売されるかどうかで、監督がファンの感想に何を感じたかがわかるいうことや! Qとの合体版か分冊で鈍器みたいな本が出版されるんやったら、観客の受け止め方が監督にとって好ましいか許容範囲内だったということやし、もし出版されへんのやったら、耳の穴から湧いたウジが這い出てくるみたいな脳天ファイラーの結末に、監督自身が救われんかったことの証明になるんや。要するにやな、Qからの長い長い地下レジスタンス活動の末、あんなダボハゼみたいな完結編を公開されてしもた以上、「否定派」諸君に残されとる最後の勝利条件は死なばもろとも、「全記録全集」の出版阻止だけということや。オマエら、なに銃口さげて下むいて涙ながして抵抗をあきらめとんねん! まだ勝てる道が残されてんねんぞ! まだまだやり方がナマぬるいんじゃ! これが最後の祭りや、もっと盛大に「:呪」を拡散して、ワアワアやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、おっぱいモミモミしたろかい、ワレェ!

2021年3月19日

 UGGのブーツ、可愛いーっ! (靴墨で丸くヒゲを書いた股引ハラマキが舌足らずに)え、なに、いまチミ、もしかして「アグ波」っつった? 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、鎖骨ギシギシいわせたろかい、ワレェ! 小鳥猊下であるッ!

 シンエヴァ公開から10日以上が経過して、さすがに反応が薄くなってきた。アディショナル呪詛、続けるべき?
 総括や! 革命戦士として、監督に総括を求めるんや! 85.1%
 還暦を過ぎた作家に奴ら加減ってものを知らないのか! 4.3%
 痛いやろけど怪我したらもう呪詛を吐かんですみます! 10.6%

2021年3月20日

 ケンスケについて書いてたら、また感情が沸騰(フットーしちゃうよう!)してきて、「第三村節考」みたいになってきた。すでに五千字に迫る勢いで、公開するかどうかはアンケート次第ですが、その際は「アディショナル呪詛」から別記事に分離するかもしれません。

シンエヴァ「第三村節考、あるいはケンスケについて」呪詛

2021年3月21日

 またシンエヴァのこと書いてる。抜いても抜いても溜まる腹水みたいなもので、病気由来のものであることも理解してる。みなさんにとっては悪臭を放つ何かなのかもしれませんが、苦しむ患者にはもう出なくなるまで吐くぐらいしか方法がない。でも、「エヴァは人生」ですし、人生の一部を壊された人の語りとしては、比較的おだやかな方なのではないでしょうか。

「さながら『アウグスティヌスの告白』といったところですね」
「なんだって? アグリコラとしての綾波レイを意味する略称『アグ波』のことを君は言っているのかい?」
「い、言ってません。言ってない」
「つまり、『アグリコラ綾波レイ』では言いにくいので、『アグ波』というわけだ。なるほど、これは発明じゃないか!」
「言ってないよーッ!」

 年明けからエヴァに心を囚われ続けていたため、ずっとプレイが止まっていたドラクエ11Sをようやくクリアする。30周年の集大成として、ロト3部作へと至る「神話」が描かれており、MMORPGやスマホゲーなど、様々な枝葉へ派生していくドラクエシリーズの依るべき大樹の幹、堂々たるフラッグシップとして作られたことが伝わってきました。昔からのファンと新しく合流したファン、どちらも楽しめるように配慮しながら、ロト3部作につなげるために少々強引だったり、あとづけの部分もありますが、ドラクエという偉大なるマンネリズムへのレスペクトを保ったまま、余計な改変への色気を見せずに、キッチリとお話を終わらせました。ランスシリーズとはまた少し風呂敷の畳み方は異なりますが、長く続いたシリーズの自走性やキャラクターの持つ人格を尊重しながら、作り手が作品そのものと敬意のある対話をして終わらせた点では同様と言えます。以前、ハンターハンターの作者が作中のキャラ同士の掛け合いでストーリーを作っていくという話を紹介したことがありますが、これはつまり、「虚構のキャラといえど一個の人格であり、それを作者が改変することは基本的にできない」という強い信念からなされていて、同作が持つ魅力の根幹でもあります。

 この態度の対極にあるのが、エヴァQとシンエヴァだと指摘できるでしょう。変えてはいけない作品の中核をなす深い場所へ手をつっこんで、作り手の語りたいストーリーを実現するために、シリーズの自走性とキャラクターを壊したことは、本当に罪深い。だれかの感想に「シンエヴァで『碇シンジ』というキャラクターは1秒も登場していない」というものがありましたが、全面的にその意見に同意します。碇シンジという尊厳ある人格はたぶん、シンエヴァが始まる直前、ロボトミーで消されたのです。フィクションの登場人物を「作品の外」で殺すことを裁く法律はありませんが、しかしそれは倫理的に許されるのでしょうか。物語の中盤、ブンダーの監禁部屋で、シンジがアスカから「なぜ私があのとき怒ったかわかる?」と聞かれて、「3号機に乗っていたアスカを生かすことも殺すことも自分で決めなかったから」と答えて、「やっとわかったのね」とそれが正解みたいに受け入れるやりとりがありました。私は最初にこれを聞いたとき、意味不明すぎてワケがわかりませんでした。3号機との戦いでシンジは自分の意志で「アスカを殺さないこと」を決めていたし、2人目の綾波を救出するシーンでも自分の意志で「レイを助けること」を決めていた。破の段階では、明らかに「主人公の決断」として肯定的な視点で描かれているのに、Qに移った途端に「必要な戦いを放棄したばかりか、ひとりの少女以外の破滅を願った」と、他ならぬ作り手その人によって解釈を反転させられてしまう。もはやシリーズとして、ストーリーの一貫した内的必然性は失われており、作り手の意図で各キャラクターを高次で洗脳する、いわば「魂の殺人」が行われたとしか思えません。

 シン・ゴジラが成功したのは、余所様の著作物なので壊してはいけない枠組みから距離を保てたことが大きかったのでしょう。シン・ウルトラマンも、この点についてはまず監督自身の作品に対する深い敬意があるため、安心できます。余談ながら、もし仮に映画の終盤でピンチに陥ったウルトラマンが自らマスクをはぎとり、その下から監督の素顔が現れる展開になって、昔からの特撮ファンが騒然となる様を見ることができれば、シンエヴァのことを許せる気持ちになるかもしれません。しかしながら、エヴァについては自社で権利を持ってしまったことで、「どこまでも自由に枠組みを壊せる」と考えてしまい、ストーリーは監督の自我に隷属し、キャラクターたちの人格へのレスペクトは失われた。監督は本邦随一の昭和特撮オタクであり、絵作りの天才だとは思いますが、ストーリーの語り手としてはまったく信用がなりません。「じゃあ、どんな続編だったら満足したの」と言われてますが、シンエヴァを拒絶する人たちが希望しているのはたぶん同じ中身で、脚本・設定・作画を副監督と旧劇の量産機戦を担当した人にすべて任せて、監督には編集権だけを預けた陣容で制作される、破の予告通りに語られたヱヴァンゲリヲンなのです。正味の話、シンプルな話をややこしくしてんのは、いったいどいつなんやってことやがな!

 あと、ブンダーを巨大アヤナミへ特攻させる場面で、イスカリオテのモヨコ(キャラ名なんだっけ?)が「ユイさん、人類の科学技術はここまできたよ」みたいなこと言うんだけど、あの瞬間の「ハア?」っていうシラケっぷりったらなかったです。序破のような人類の現在と地続きに見える地点から丁寧に設定を積み上げたのなら、まだ話はわかりますよ。Qシンの「リアリティが底を割った世界」でそれを言われても、「ナディアでいうところの発掘戦艦は、古代人のテクノロジー(笑)で今の人類とは何の関係もないし、もっと言えば君はただのアニメキャラに過ぎないのに、なんで急に人間の代表みたいな顔で科学技術を語りだしたの?」としか感じなかった。

 それとさあ、もう「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」になってるのわかった上で細かい話するけど、カヲルがrealityとimaginaryを並列の対比で語ってるところ、どっちも名詞で使ってるなら「現実」と「虚数」って意味なのに、作中では後者を「空想」「想像」の意味で使ってる感じなんですよね。なら、imageかimaginationが正しいんじゃないの? 元より定義とかどうでもよくて、自分にとって音の響きがカッコいいかどうかだけで語彙を選択してるんですよね。百歩譲ってそれは作り手のクセとして呑みこむとして、なんで高学歴の批評家たちが同じレベルのアホになってその語法を受け入れて、その語法で話をしてんの? 贔屓の旦那衆からの、最終回へのご祝儀にもほどがあるわ!

 質問:最後のほうで急に出てきた渚司令ってなんのことですか?

 回答:もう考える気も失せてるけど、ガイナックス時代の監督がゲンドウで、カラー時代の監督がカヲルって言いたいんじゃないですか、どうでもいいけど。カヲルと言えば、パンフレットで声優が放った「テレビシリーズのときから考えていたとしたら、年月の長さも含めて、すごい伏線回収ですね」みたいな挑発的発言が最高でした。「建て増し」「あとづけ」「路線変更」のコンボに嫌気がさしていた私は、当事者のこの遠回しの皮肉へ大いに溜飲を下げました。

2021年3月22日(NHKドキュメンタリー)

見てる。抽象的な言葉で部下を煙に巻いて、無駄な長時間労働を強いるタイプの上司。監督の言葉ひとつでお通夜状態になったときの、現場の表情ったらないですね。

スタッフによる、奥歯にモノが挟まった遠回しの批判。「頑張りが足らない」って、どの口が言うねん。あいだにシン・ゴジラを挟んで、アニメと水と油の手法を手に入れたことがよくなかったね。

「いま自分のこと、かわいいって思ってるでしょ?」。奥さんのインタビュー、すごく良かった。同じクリエイターだからこそ、彼のエゴを理解できるし、許せるし、助けようと思ったんですね。ちょっと泣ける。

ビデオフォーマット版を使うなよなー。

見てるのはコアなファンだけなんだから、エヴァのこんな復習いらないんじゃない? もっとパワハラ上司の側面を写してよ。

ネット掲示板、見てたんですねえ。「2階建てのスタジオから飛び降りても死ねないよ。関心を引くためのフリだよ」ってスタッフに突っ込まれてましたね。

自分に無いものを吐き出そうとしたことが原因ですよ。

奥さん、愛ですね。本当に、彼のことを愛してるんですね。

わかってましたけど、東日本大震災がエヴァに与えた影響については完全にスルーしましたね。宮崎翁と現場スタッフからの赤裸々な証言を聞きたかったんですが!

社長が周囲に理解を求めんなよ。社長がするのは指示だけだよ。

脚本からやりなおしすぎ。副監督、えらいなあ!

スタッフへは遠回しにしかいけないけど、声優には厳しくいける監督。実写なら俳優に厳しくいけるのが、気持ちよかったのかな。

指示が抽象的すぎる。おまえが自分でやれよ。

「もう間に合わない。作り上げることが最優先」。ぜんぶ自分が招いた結果なんですけど、カッコいいナレーションで肯定的に描かれて、良かったですね。

「物語は始まらない」。シンエヴァがエヴァ世界にとっての東日本大震災であることを裏書きする言葉。

MIYAMOOの台詞を聞いて、HEAVEN状態の監督の表情。

「甘き死よ、来たれ」を流すんじゃねえ!

監督とMIYAMOOのやりとり、もっと見たかったなー。

見ろよ!

奥さん、いいなあ。監督は自分に向けられたこの愛を、シンエヴァでは表現しきれていないと思いますよ。

奥さんの愛に支えられて、SF作品として正しくエヴァを終わらせれば、監督は男を上げる(昭和的表現)ことができたのに、奥さんの支えを作品そのものへと同化してしまった。本当に、残念です。

脚本の書き直しとかで毎回わざとギリギリまで追い込まれる状況を作ろうとするのって、ある種の病気だと思いますよ。少なくとも社長の態度としては、完全にアウトだと思います。

組織内に監督と同格の存在が副監督しかいなくて、彼が「恋女房」のキャッチャーみたいにいつも献身的に動いて、建設的な提案かワガママかのジャッジをしなかったことが、シンエヴァという作品の空気に良くも悪くも表われている気がしました。

2021年3月23日

 昨晩のドキュメンタリーを思い出してる。「失敗の舞台裏」として興味深く見ました。監督の意見はどんなものでも絶対で、女性スタッフの表情は「次に何を言われるのか」と恐怖にこわばってて、男性スタッフは「ボクは怖くないんだぞ」という虚勢から裏で社長のこと小馬鹿にしてて、社内の雰囲気はすごく悪いように見えました。「作品至上主義」はじつに結構なことですが、シンエヴァの仕上がりを見ると、今回ばかりはとても成功したとは思えません。エヴァ序破やシン・ゴジラに表出されていた、「人間は個人としてはダメだけど、組織ならば大きなことができる」というポジティブなメッセージはどこから出ていたんでしょう。その影響を与えた人物は、退社しちゃったのかな。社内には昔からの仲間と年下のスタッフしかいないみたいで、監督をいさめてくれる年上の相談役がそばに必要だったんでしょうね。社外や沖縄ではなく、すぐとなりで伴走してくれるペースメーカーが。今回はそれが奥さんだった。ジブリのプロデューサーにシンエヴァの脚本を読んでもらっていたという話を聞いて、つくづくそう思いました。旧劇とエヴァQは自分の男性が出すぎていないか確認するために社外の女性に脚本を読ませ、シンエヴァは妻という女性からの影響が出すぎていないか確認するために社外の男性に脚本を読んでもらった。制作に追いつめられると「社内から監督の姿が消え」、スタッフに頼らずすべて自分でなんとかしようとする。スタッフもどこかでそれがわかってるから、監督がすべてを差配しようとするまで真剣に仕事をしない(ちゃぶ台返しで無駄になるから)風土ができてしまっている。ゆえに、監督の期待を越える人物は育たないし、育ったとしてもそのシステムに嫌気がさして、辞めていってしまう。副監督の発言にもありましたが、監督は生粋のクリエイターであって、人材や組織を育てるような人間ではないように思います。若いスタッフの「これで最後だから」という言葉は、エヴァンゲリオンだけに向けられたもののようには聞こえませんでした。

 例のドキュメンタリーの感想つづき。会議の場面がいくつかありましたが、監督が一方的に何か言って、スタッフ全員が神妙な顔でシーンとそれを拝聴するみたいなのばかり。もっとケンケンガクガク、怒鳴り合いみたいな現場を想像してましたよ。制作の終盤、監督が涙目になりながら「こんなに理解されてないとは思わなかった」などと乙女のようなことを言うのが、会議で唯一あらわれた「感情」でした。シンエヴァが監督一色に染められたのも無理からぬことかと、少しだけ同情しました。会議でのダンマリに対して、監督がいない場所でのスタッフのゆるみっぷりたら見ていられないほどで、我ながら不思議な感情ですが、監督の代わりに連中を怒鳴ってやりたい気持ちになりました。「意見を出せって言うけど、結局おまえの考えるベストを後から出してくるんだろ?」と思っている部下に囲まれているときのトップの辛さって、わかるような気がします。まあ、トップのそれまでの運営の仕方が悪いんですけど、意見のすべてを直接にか間接にかで潰され続けるうち、だれも仕事の結果に責任を感じない操り人形になって、会議そのものが形骸化しちゃうんですよね。「それで、正解は何なんですか?」といった具合に、置かれた外的状況に向けた解決策ではなく、トップがあらかじめ持っていると部下が信じる正解を探しだすんです。もっとも先鋭的であるはずのクリエイターの世界で、それが行われているのを見るとは思いませんでした。ああいう自分の考えに固執する上役ーー監督は超弩級ですがーーってどの組織にもいますけど、二人きりで(みんなの前じゃ「恥をかかされた」気持ちが優先しちゃうからダメ)真正面から失礼なぐらいのトーンでガツンと直言した方がいいですよ。そうやって、もし懐の中に入れてもらったら、意見を求められるようになるし、助言も半分くらいは聞いてもらえる。でも、監督をクリエイターとして尊敬して、みんなが監督にあこがれて入ってきた、ある意味で完全に上位下達の組織では、その枠組みの外に出るのが難しいんでしょうね。なので、意見をできるのは昔からの盟友しかいなくなり、その朋友たちも監督の下に残ってあくまで支え続けるか、監督の下を離れるかの二手に分かれてしまった。そして直言をできる人間が組織内にいなくなり、監督は制作のある時点で頼みできない社員たちに期待することをキッパリと止め、結果としてシンエヴァは旧劇以上に監督の実存へと依拠したインナーワールドへと変貌したのでしょう。

 あのドキュメンタリーを見てから、老いた両親に優しくせねばと思う気分に心が寄ってきて、エヴァに妥協してエヴァに手加減しなければならないことが、本当に辛い。なんぴとの登頂をも拒む孤高の冬のエベレストが、いまや観光客にあふれる春の天保山と同じになったことを認めるのと同義なのですから!

 余談になりますが、UTD氏のインタビューも見たかったなー。出てくる女性が表情のひきつった部下と奥さんしかいなくて、もう少し距離のある人物(女性)から現場と監督がどう見えているかを知りたかったです。

2021年3月24日

 二週間以上も荒れ狂って、そろそろ冷静になってきた。肯定派はシンエヴァを単体の映像作品として見ていて、否定派はシンエヴァを連続した物語として見ている。だから、どこまで話しても平行線で、決して交わらない。「物語派」として、言いたいことはだいたい吐き出したので、そろそろこの「呪い」も終わりにしたい。正直なところ、語ろうと思えば永久に語れることはわかっている。しかし、この二ヶ月というもの、貴重な人生のリソースーー時間と情動ーーをいちアニメ作品へ注ぎすぎてしまっている。ここは私の戦場ではないし、そろそろ「エイヤ!」と叫んで、書くのを止める頃合いだろう。ちょうどいいタイミングで例のドキュメンタリーが放映されて、いま呪詛としての体は半透明に消えかかっている。ときどき単発のエヴァ語りツイートはするかもしれないけど(するんかい!)、シンエヴァに関する長めの感想はもうおしまい。2021年1月15日から3月24日までの69日間、合わせて10万字近い妄執の旅におつきあいいただき、ありがとうございました。

 蛇足ながら、感情的な罵倒にすぎるという「:呪」に対するご指摘への反省を踏まえ、「第三村節考」ではケンスケに感情移入させることで、シンエヴァの作劇がいかに歪かを証明してから罵倒するテクを使ってみました。こっちも拡散してね。小鳥猊下からシンエヴァを呪うみんなへの、最後のお願いだよ! それでは、カラーが資金繰りに行き詰まる、もしくはWアンノの破局によって新たなエヴァが再起動(笑)するその日まで、さようなら! 大丈夫、「さようなら」はまた会える「お呪い」(半透明の体が薄くなって、スーッと消える)!

THE END OF CURSE OF NEW EVANGELION (臭激、じゃない、終劇)

カルテ「シンエヴァ・リカリング呪詛(2021.3.26~)」

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」

*以下のリンク先を読んでおくと、呪いの効果が高まります。

アニメ「2021年のエヴァンゲリオン」雑文集(1/25~3/5)

 旧劇のときにはこの世にいなかった人と席をならべて見て、終わったあとはいっしょに少し話をして、本作を目にすることのないまま、この世を去った人たちに思いをはせました。旧劇からのファンと新劇から入ったファンでは、シンエヴァの受け止め方はかなり違うだろうことは理解しています。なので、ファースト・インプレッションでの言い過ぎをまず少し修正しておきますね。

 「一般的な映画としては佳作から凡作の間くらいかもしれないが、エヴァンゲリオンとしてはゴミ」

 2時間35分の半分ぐらいを過ぎたあたりから、もう腕時計ばっか見てました。私小説とプロダクトを両立するダブルエンディングは儚い妄想であり、「One Last Kiss」と「beautiful world(da capo ver.)」もスタッフロールで2曲続けてベタッと流すだけで、作劇と関連した効果的な使われ方というのはありませんでした。

 昨年、先行的に公開された冒頭10分の映像を見たとき、もしかすると「破滅を目前にした人類の共闘」、あるいは「エヴァ世界の拡充(GガンダムならぬGエヴァ!)」を目的としてパリが舞台に選ばれたのではないかと少しだけ期待していましたが、まったくそんなことはなく、ただエッフェル塔をFATALITYとして用いた戦闘を描きたかっただけで、ナウシカの再アニメ化でクシャナ殿下のこのアクションだけを映像にしたいと宮崎御大に申し入れて、「オマエはそんなことだからダメなんだ!」と叱られたときから、1ミリも前進していないことがわかりました。

 序盤では、エヴァQにおいて語られなかった舞台の裏側にあったものを丁寧に描写していこうとするんだけど、テレビ版で言うところの3人目の綾波を主役として「となりのトトロ」をコピーした田舎ぐらしを延々とやる。夏休みに帰省する両親の実家の大家族が、人生の幸せやまっとうな人間のイメージとして提示されるのって、補完時のゲンドウの語りにも通じていきますけど、あまりに昭和的で安直すぎませんか。田舎の大家族から離れて都会に出た核家族の子どもの、さらに子どもである若いファンが唐突すぎる「里山生活」の描写をどのように見たのかには興味があります。近年の朝ドラが描く戦前から戦後にかけての農村のイメージの中に、ヤマト以降に顕現した特殊性癖であるところのプラグスーツを着たままの綾波がウロウロ歩いてるのは、ほとんどギャグにしか見えませんでした。奥さんの影響を受けた、モノ余りカネ余りの都会人だからこそ可能な、ファッションとしてのロハス&ビーガン生活に、監督はきっと脳髄までどっぷり浸かっているんでしょう。新劇内のテーマとしては、すでに破のスイカ畑のシーンで「土のにおい」として過不足なく示されていた中身であり、それを延々と薄めて再提示しているに過ぎません。

 以前、エヴァQについて「依拠する現実を失ったがゆえの、リアリティの底割れ」と指摘しましたが、そこへの反省(オア、反発)から現代の都市ではなく昭和の田舎を寄る辺としたのは、これまでの世界観からはひどく浮いてしまっています。「出されたものを食べないのは、失礼じゃないか!」とシンジを叱りつけるトウジの父親なんて、宮崎駿作品を模した亜流みたいなキャラでした(ゲド戦記かよ!)。素朴な疑問なんですけど、たった14年で家の内装があんなに古びて詫びた感じになるものなの? たった14年であんな老若男女そろったコミュニティが形成できるものなの? トウジが村のために人を殺めたことをほのめかすような台詞があったり、監督の中で「戦争帰りの殺人(に傷つき、悔いている)者がすぐそばで暮らす昭和」が聖域として極限に美化されていて、材料をぜんぶ使い切った後で最後の引き出しを開けたら、少年時代の原風景的なイメージとしてそれが出てきた可能性はあります。

 数分の描写しかないミサトと加持の子どもってのも唐突で、のちにシンジとの和解を演出する目的で、作劇のために置かれた書き割り以上には感じられません。「Qのミサトさんがシンジに冷たい態度をとっていた裏には、こんな葛藤があったんですね」とか感動している向きもあるようだけど、それは逆なんですよ。「Qのミサトの態度を観客に納得させるためには、どう演出したらいいか?」の設問ありきで、回答はどれもこれも9年を費やしたあとづけの言い訳ばかりじゃないですか。荒れ狂うDV夫にしこたま殴られたあと、優しく「ゴメンね」とささやかれながら手当をされて傷が癒えたとして、殴られた事実は消えないし、夫の急な変貌に妻は恐怖をしか感じないでしょう。自分でマイナス100にした状況へ2時間35分かけて少しずつ他所様と過去作から引いてきた水を注いでいって0に戻すって、こんなひどいマッチポンプ見たことないですよ……いま書いてて、いや、前に見たことあったなーと思い直しました。

 エヴァQとシンエヴァの関係は、スターウォーズで言うところの「最後のジェダイ」と「スカイウォーカーの夜明け」の関係と酷似しています。他者の意見を聞き入れない自己陶酔的な思い込みの暴走で、それまで積み上げてきた歴史ある作品の舞台をちゃぶ台がえしでグチャグチャにしたのを、続編で本来的には不要の長尺を使って丁寧にまた一から積み上げ直して、なんとか無様ではなく終わらせる形だけを作ったというあのやり方で、盛り上げようとするシーンはことごとく過去作のコピーなところまでソックリです。スターウォーズの方は8と9が別々の監督だったので、ライアンへの恨みとエイブラムスへのねぎらいという感情にそれぞれ落ち着き(け)ましたが、エヴァに関しては自分でちらかしたのを自分でかたづけて、「えらいねー」と取り巻きの女性に頭をなでてほめてもらう得意顔の子どもがいるようにしか見えません。しかも、脱糞後の尻をふくだけの行為に「落とし前をつける」とか、まさに昭和任侠モノの語り口でカッコよさげに宣言されても、どんな共感が生じるっていうんですか。

 本作はQの挽回と新劇の総括として、批評家連中が旧エヴァと関連させて語りやすい要素をストーリー全体のそこここにまいてあって、「あ、これはあれとからめてこう語れる!」という喜びがきゃつらの好印象の正体で、そこで話される内容は昔からのファンの受け止め方とは何の関係も連絡もありません。監督は外部への発信や折衝について専属の担当を置いてやらせてるみたいですけど、今度はシンエヴァに関するファンとのコミュニケーションを批評家たちにやらせようってわけです。自分の口で語りさえしなければ、間に入った人間の「勘違い」で後から「解釈」の修正がききますから。これ、実に日本的な忖度のシステムで、トップの真意を限られた取り巻きしか知らされないことで形成する権威の仕組みなんです。あんまり詳しく語ると怖い人が来るので短く言うと、「御簾ごしのミカド」を源流とする本邦に特有の土人的な支配構造です。今回、かなりそこを意識的にやっていて、挑戦者だったエヴァが批判を許さない権威者になったことをまざまざと見せつけられました。

 そして、中盤でシンジが再びブンダーに戻ってから延々と続く戦闘シーンを、楽しんで見ることのできた昔からのファンはいったいいるんでしょうか。次々とブンダーの姉妹艦ーー見た目の違いはほぼないのに、出てきた瞬間に名前を言い当てるリツコ。「確か4番艦があったはず」の台詞の直後に真下から4番艦がぶつかってくるの、笑わせる以外の演出意図は無いですよね?ーーが現れて、どれだけ被弾してもダメージ描写が皆無の緊張感に欠ける砲撃戦を繰り返すのもそうですが、Qの段階ですでにお腹いっぱいのアスカとマリによるオレツエエ・バトルを、喉の奥にじょうごを突っ込まれたガチョウみたく流し込まれ続ける苦痛ったらありません。ギャンギャン叫びながら目から極太バイブみたいのを抜き出したり、もう何ひとつ画面と気持ちがシンクロする要素がないまま、Qで指摘した魅力絶無のスーパーロボット・アクションでストーリーが進んでいるような雰囲気だけを醸成していきます。もう言うだけヤボですが、工業の壊滅した世界でのヴィレ側の修理・補給問題は農村パートで不充分ですけど示されましたが、おじさんとおじいさんだけの組織であるネルフ側のそれらについては、完全に説明を放棄していましたね。

 終盤の人類補完計画の下りは、旧劇がシンジを通した全的な補完だったのに対して、ゲンドウ、アスカ、カヲル、レイを列に並ばせて順番に補完しては退場させる同人誌みたいな中身なんですけど、絵ヅラを旧劇から借りてきてアップグレードしようとして、大失敗している。コピーに感情とセンスをブチこむことで作品を作ってきた人物が自作のコピーに手を出した結果、若かった頃の己の感性と向きあって昔からの客に新旧を比較されるはめになってしまった。率直に言って手法だけがトレースされてて、音と画面は豪華になったのに、感情とセンスは劣化してしまっている。実写ふうに置き換えられた巨大アヤナミの顔ーーたぶんシンジの声優の顔演技が下敷きにあり、ツイートの「未体験の試練」がこれーーが結婚披露宴の高砂の金屏風みたいな背景で出てくるの、もうこのへんから疲れてきて真面目に作ってないでしょ? 公開前に不安を吐露した、第三新東京市で行われる初号機と13号機のバトルは、自社のCG班がいつまで経っても期待通りのモノを上げてこないのに業を煮やして、テレビ版の最終2話と同じ「赤点とるくらいならマイナスにしてやる」という心境になって、その後のギャグみたいな場面ーーミサトのマンションや学校の教室でエヴァが戦うーーを含めて、ヤケクソで演出をつけたようにしか見えませんでした。巨大アヤナミの頭部めがけて小さなブンダーが突撃していく横シューみたいな画面は超兄貴そのものの絵ヅラで、これも笑わせにきてますよね? 旧劇とは比較すべくもない、しまりのない、だらしのない、緊張感に欠けるシーンの連続です。

 ねえ、CG班の人たちは、何の進歩もないままずっと給料はらってもらって、あのエヴァを時代遅れのポンコツな仕上がりにして、いったいこの9年なにしてたの? 「俺たちの親分に恥をかかせちゃいけねえ!」みたいな昭和任侠の気概をだれも持たなかったの? オーケーもらってホッとしてんじゃねえ! あきらめられてんだよ! 最高にカッコいい絵作りをしてきた編集とコラージュの極みにいる人物が、かつてのようには良い素材を与えてもらえなかった末の、昔だったら絶対にオーケーを出さないような自棄に見えるシーンがいくつかありましたが、カラー設立から10年以上が経過したのに、監督の眼鏡にかなう人材は育ってないんでしょうね。それもあってか、エヴァをたたむのに監督の私小説的な心情を用いるしかないという結論こそ旧劇と全く同じですが、映像的には「まごころを、君に」の自己模倣に終始するわけです。「コピーに魂を込めることでオリジナルを超える」人が、還暦を迎えてアニメ界の大御所になった結果、周囲を見渡したらもうコピーする先が無くなっていたので、自分の過去作をしこしことコピーし始めるのを劇場の大画面で見せられるのには、もはや悲しみしかありません。しかしながら、旧劇で「甘き死よ、来たれ」が鳴りはじめた直後の、各話タイトルと裏返しのセル画が連続で流れるシーンを、プロジェクターで撮影所の壁面へ映す演出ーー新劇のタイトルが追加されてるーーには激しい怒りが沸騰し、端的に「商業にまみれた人買いの汚い手で俺の旧劇に触るな、殺すぞ」と思いました。

 そして、「己の人生をフィルムに熱転写する」人が、カネのかかった自費出版の私小説で最後に提示してきたのは、妻と出会うまでの己の精神史をゲンドウへと仮託した赤裸々な告白と、添い遂げられなかったかつての恋人と互いに別々の伴侶を持つようになってから交わす「好きだったと思う」「好きだったよ」という言葉、つまり旧劇の裏にあった泥沼の恋路の清算だけでした。アスカの声優との距離感がエヴァの終わりに当たって重要ということを半ば冗談みたいに話しましたけど、違う意味で的中してしまった形です。今回のアフレコでアスカの声優が監督からかけられたという「宮村がアスカでよかったよ」という台詞は、人生や人間関係のすべてを秘し隠さず、作品作りへ流用していくクリエイターとしてのおぞましさが最大級に伝わってきて、背筋に寒気が走りました。

 ぴちぴちのラテックス・スーツに身を包みリアルよりのキャラデザで描かれた大人アスカ(MIYAMOOによるコスプレを意識させている)が例の砂浜に横たわっているのにシンジが「僕も好きだったよ」と声をかける場面には、「おまえら、こんなのアフレコの合間に喫茶店とかで二人きりでやれよ! 劇場の大画面で俺らに向けて中年のオッサン、オバハンの気持ち悪いやりとりを垂れ流してんじゃねえ!」と絶叫しかけました。ここ、怖いところだと思うんですけど、監督からの一方的な恋慕を、作中のキャラに「好きだった」と言わせることでまるで両想いだったみたいに改竄してるんですね。まさにエヴァンゲリオン・イマジナリーというわけで、パンフレット冒頭に寄せた監督の文章でも破の直後から、迷いなくQの世界観で続編制作を始めたことに「なっている」。「イヤな現実はエヴァに乗って変えてしまえばいい」じゃないですけど、ごまかそうとしてるふうではなく、強いイメージ力で本当にそう信じていることをうかがわせ、周囲にその誤認を正す人物はもういないのかと、ゾッと薄ら寒い気持ちにさせられました。

 補完の終わりに、旧劇でセル画を裏返して撮影したのを業界の先輩から「凄まじい脱構築」と激賞されたのがいつまでも頭から離れないのか、今回も延期につぐ延期で作画は間に合ってるはずなのに、線画とラフによる制作の裏側を見せるんだけど、斬新だったのは当時だれもやらなかった初めての試みだったからで、25年を経た今ではもうマンネリ感しかありません。巨匠の手クセをみんなが「そうそう、これだよ、これ」って褒めそやす感じも気持ち悪い。前も言いましたけど、こんなの最初の相手が偶然スカトロマニアだったから成功した「sixty-nine中の脱糞」だって、だれか監督の頬を張ってでも止めてあげて下さいよ。旧劇の表現は尖りまくってて最高にロックでしたけど、シンエヴァは「アニメ映像の面白さ」とやらがもはや伝統芸能の域に突入してて、スローな雅楽って感じですね。

 そして、真希波マリが何者であるか監督はずっと決めていなかったーーサブの監督に声優の演技プランを丸投げするほど無関心ーーのを、シンエヴァでとってつけたように安野モヨコとイコールの存在に変えてきました。つまり、多くの観客にとってどうでもいい中盤の派手なバトルは、かつての想い人といまの奥さんを大好きなロボットに乗せて戦わせるという、監督にとってだけ最高に気持ちいいゴッコ遊びだったことが明らかになります。まさに「最低だ、オレって」から1ミリも進展のない、オナニーによってしか作品を完成させることのできない開き直りを、再び我々は見せつけられたというわけです。そら、オールド・ファンの大部分が望む、シンジが初号機で大活躍という至極簡単なカタルシスを描けないのも、無理ないわ。だって、情けない還暦のオッサンが乗ったロボットじゃオナニーどころかインポでチンポさえ勃たんからな! おっと、失礼。

 それと前も言ったけど、英語ってもう日本では人口に膾炙し過ぎて三周くらい回ってダサいってことにそろそろ気づこうよ。インフィニティ、アナザー、アディショナル、アドバンスド、コモデティ、イマジナリー……音の響きが自分にとってカッコいいって理由だけで使ってるでしょ? ファイナル・インパクトを批判されたからって、アナザー・インパクトやらアディショナル・インパクトやら、あのエヴァでセンスの無さとカッコ悪さに悶絶するときが来るなんて、思ってもみませんでした。

 そしてエンディングの、故郷の街を実写で空撮しての結婚報告エンドって、「旧劇の『現実に帰れ』をすごく前向きにやってる!」みたいにニワカどもが騒いでますけど、そう読ませたいという意図が先行して、ひどく空疎で皮層的に感じました。結婚という営為の高揚感だけを描いて、異なる価値観の相手と相手の家族ごとなんとかやっていく苦しさみたいのはバッサリ切られてる(まあ、Qが結婚生活での苦難を表現していたのかもしれませんが……)。でも、結婚報告って相手の両親に会うときの方が感情の比重は高くないですか? それを奥さんの地元じゃなくて自分の地元を映して映画をしめてんのって、ああ、徹頭徹尾ジコチューの自分クンなんだなって印象しか残りません。「いい大学を出て都会で稼いでるのかもしれんが、結婚もせず子どももいないなんて、どこか人間的に欠陥があるんじゃないのか?」みたいな昭和の田吾作マウント、農耕馬の土くせえアオリに、あれだけ先鋭的なサイファイだったエヴァが25年を経てすっかり同調してやがるんですよ。「俺は結婚して救われたよ? 君がどうかは知らんけど、やってみたら?」って、思うのは勝手だけど、それを救済のメッセージとして伝えたいなら自分語りじゃなくて作品の内容で表現しなきゃダメじゃないですか。

 20年前に結婚して、子供も二人いて、どっちもそろそろ成人を迎える年齢になって、マイホームのローンも返済し終わって、子育てもようやく終わりにさしかかってて、でもそんなのは社会的な皮一枚の外殻に過ぎなくて、オレの本質や魂の在り処とは何の連絡も関係もないんだよ! 現実の個人がどんな生活を送っているかとサイファイのセンス・オブ・ワンダーの間には何の連絡もないし、むしろ何か関係があったらダメなんだよ! SFファンなんだったら、アーサー・C・クラーク御大を見習えよ! マイナス100のオタクだった私が、結婚を契機に少しずつ昭和の「常識的な価値観」をおのれに注いでいって、今ではプラマイ・ゼロの真人間になりましたって、そんな情けないフィクションを堂々と書くなーッ(島本和彦の作画で襟をつかんでガンガン壁に打ちつけながら)! いいか、オマエが最後に観客たちへ提示したのは、だれかがオマエに「この種無しが!」と罵るのと同じ、やっちゃいけねえ類の倫理に欠けた下品なメッセージなんだよ! 旧エヴァでアニメのファンダメンタルになって、だれもちゃんとオマエを叱れなくなった、あるいは叱ろうとした人間を遠ざけた結果がシンエヴァの結末へそのまま表れてるじゃねえか! 還暦を迎えてんのにそんな貧相な社会常識しか持ってねえのかよ、クソが!

 すいません、興奮のあまり少し、ほんの少しだけ冷静さを欠きました。ちょっと監督は妻という究極的には他人である存在に、レゾン・デートル(笑)を依存しすぎじゃないでしょうか。もし今後、仮に二人が破局を迎えるとしたら、次のエヴァが作られる土壌になるのは確実で、その内容も展開も完全に予想できますが、もはや私には関係の無いことです。奥さん、こんなふうに精神的に依存されてることを盛大に全国のスクリーンで公開されて、イヤじゃないのかなあ。わたしだったら激怒するけど、クリエイターなので気持ちはわかるって感じなのかしら。相手の感じ方を無視して、相手が喜ぶと思って、自分が愛情と信じるものを一方的に押しつけ続けるのって、25年前の想い人へのやり方からまったく進歩していないように思えます。わたしが今もっとも感想を聞きたいのは、横目に互いを見ながら最終回のご祝儀で好意的な感想に終始する自称エヴァファンどもではなくて、奥さんからですね。二人の間に子どもがあれば、監督は己の自我と子どもの自我を区別できず、幼少期には成長記録をドキュメンタリー映画で作るなど溺愛したあげく、思春期には支配的な毒親と化した可能性が高いでしょう。そして反抗する子どもへの感情を勝手にアニメ化して一方的な贖罪と考え、家庭内のことを全国公開された子どもはますます父親と距離を置いたことでしょう。

 結局、エヴァはガンダムのようなプロダクトにはなれず、ロボットアニメなのに監督の私小説という正に人類未到のイビツにたどりつき、それは続編や派生作品にだれも手を出せない場所で、ここからはもう古典として消費されていくばかりかと思うと胸が詰まります。作中で「仕事」って言葉が繰り返されてて耳に残りましたけど、スタジオを残していくためには新劇でエヴァをプロダクトにしておかなくてはいけなかったし、新劇制作の初期動機はそれだったはずでしょう。エヴァを愛して貴方の下に集まった人々を庇護するために、エヴァをガンダムと同じものにすることこそ、貴方の本当の「仕事」だったんですよ。これから何年かが経過して、ジブリみたいにスタッフを首切りで整理して、著作権の管理会社として存続する未来がありありと見えます。新たな挑戦でクリエイターとして恥をかきたくない気分がまさった自分クンが、自分を慕って集まってきた人々の未来のためではなく、自分のためだけに旧劇へ依拠した無難ーーエヴァに無難なんて言葉を使うことになるなんて!ーーなやり方で新劇を終わらせようとした軌跡が、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のすべてです。

 よかったところですか? 「終劇」の後にシン・ウルトラマンの予告を持ってこなかったのは、少しだけ大人になったのかなと思いました。私のようなこじらせたオールド・ファンを痛めつけ、失望させ、関心を無くさせるという意味をもあらかじめ織り込んで「さらば、全てのエヴァンゲリオン」と宣言していたのなら、監督の悪意は底抜けで、まったく大したものです。見事に、貴方の意図はかつてエヴァファンであった私の一部を永久に殺しましたよ。

 想像するだにおぞましいことですが、再延期にあたって3月11日を新たな公開日に設定するプランも監督の脳裏をよぎったに違いありません。そうならなかったのは、監督が分別のある大人になったからというより、思いつきで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と東日本大震災をリンクさせようとしたことが、あまりに深く隠蔽しておきたい事実だからに他なりません。

 10年前の今日、多くの生命が失われ、エヴァンゲリオンが壊れました。

 どれだけ監督による正史が否定し、隠蔽しようとも、この事実が消えることはありません。私にファンとしての使命が残されているとすれば、この事実を語り部として後世に伝え続けることだけでしょう。あの偉大なエヴァンゲリオンの終わりが、東日本大震災に影響を受けたリブートの大失敗を自己回収する作品になってしまったこと、あの偉大なエヴァンゲリオンが持っていたポテンシャルが、過ちを認められない人物による自己弁護に消費されてしまったことは、本邦のフィクションにおける巨大な損失であり、心から残念でなりません。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の続きを見たかったと切望する死者たちと、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の続きを見たかったと切望する生者たちによって、この先も永久に呪われてあるでしょう。

 拡散し、届いて、偽史として権力に焚書されることで、この呪いは完成します。どうか、私の想いが彼の元へと届きますように!

有志による英語版:[Full spoilers!] In Memoriam of “Shin Evangelion: Curse”

シンエヴァ「第三村節考、あるいはケンスケについて」呪詛

ドキュメント「シンエヴァ・アディショナル呪詛(2021/3/6~3/24)」

雑文「エヴァQ生実況(2014.9.5)」

 すごい早回し。この併映いらなかったよな。

 この巨神兵がセット販売なのも、Qの嫌いなところだ。明らかに現実のとある災害を本作へ紐付けようとしている感じが。

 すべてのエヴァファンをだまくらかした(気難しい、何も褒めないことを信条とする批評家連さえ!)伝説の8分が始まるよーー‼︎

 思えば金ローでこの先行放送を見て、実際に劇場へ向かうまでの20時間くらいが、もっともエヴァ熱が高まり、いちキモオタとして存分に二次創作的な妄想を膨らませるのできた、楽しく幸せな時間だった。

 これまでカントクが関わった作品へのオマージュをふんだんに盛り込んできた新劇である。ラスト二作はバイオレンス・ジャック的な大お祭りのエンターテイメントをやるんじゃないかと想像していた。

 たとえばこの場面に先駆けての、戦略自衛隊が迫る中でのオネアミスばりの弐号機打ち上げシーンが見られるのかもしれないと期待していた。

 そして、地球に帰還したシンジ君の大活躍を、何の疑いもない未来として、まざまざと幻視していた。

 それが、あんなふうに、陰惨に裏切られることになるとは……

 サターンファイブみたいな小ネタにイラッとくる。うるせえ。

 なんか画面暗くない? ジバニャン好きの小学生に配慮しているの?

 旧劇と同じく四人に囲まれて銃を向けられる主人公。戦自と同じデザイン?のコスチューム。いま思ったけど、スターウォーズep3の感じで新劇から旧劇へと巻き戻そうとしたのかな……

 おい、ポッと出の新キャラごときがシンジさんをにらんでんじゃねえよ!

 おい、状況を説明してやれよ! ブッ殺すぞババア!

 寒々しいまでに上滑りしたブンダー起動シークエンス。ここ、地球のどこなの……

 Qの中で、この「緊張するわー」だけはゆるす。

 なんで登場人物の全員が同じ語彙レベルなんだよ……

 ポッと出の新キャラごときがシンジさんに舌打ちしてんじゃねえよ!

 だから、説明してやれよ!

 なんで説明しないのかさっぱりわからない。ねえ、説明したら死ぬの?

 明らかにこの場面、膣内に槍イコール陰茎を突っ込んだ子宮口ないし処女膜の破砕を連想させようとしている。ここまでの新劇には無かった、あからさまなセックスの暗喩である。

 子ども向けのアニメにセックス要素を取り入れるなんていう、90年代全開のアングラ感、カッコイー‼︎ コウノトリを信じる(以下略)!! これがライブ感なんですね、カントク(cunt-Q)⁉︎

 唐突にサラリと明かされる、時空制御さえ可能とするスーパーテクノロジー。

 ほんとここ、地球のどこなの……

 たった十四年でここまで科学が進歩することをもはや信じることはできない。なぜならぼくたちは、自家用車が空を飛ばない2014年をすでに生きているから。

 ギターのウィープが視聴者の慟哭を表しているんですね!

 人類も滅んだみたいだし、もう地球を捨ててどっかいっちゃえよ。いや、もしかすると今後のギャラクティカ路線への伏線なのかもしれない。

 いや、なんで技術屋じゃなくてテストドライバーが事故の責任負わされんのよ。社長もだんまりやし。悪いの君らやないの。

 そんな効果音じゃ、強化ガラスは割れないよ!

 出た、「エヴァの呪縛」! 古い鯖に当たったときのような深刻な蟻走感が全身を包む!

 だから、説明しろよ! クソババアどもが!

 この期に及んで高圧的な命令口調……毒親の典型例……

 勘弁して欲しいのはこっちだよ!

 アウト・オブ・レンジ(ファンの心が)。

 そうこの、ネルフ本部とブンダーしか劇中に存在しない感じ。アングラ演劇を思わせる閉塞感。制作側が意図してその雰囲気を作ったのでは「ない」ことが透けて見えるのが、絶望に拍車をかける。

 ちょっと待って! なんであのドーム状のものを見ただけでエヴァってわかったの?

 旧劇の殺戮会場。

 ピアノの上達スピードが速すぎる! 3秒で雨だれ式から両手を!

 ジェネシスつながり?

 たぶん回収されない伏線。

 「元気少ない」「おなか満腹」。脚本家の自意識が鼻につく。

 言葉だけで解説すんなよ! わけがわからないよ!

 ダッシュがついてた。

 なんでピアノの内部構造を3D化するのに何千万もかけたんですかァーーッ‼︎ 何千万もかけてるのになんでテレビ版ではバッサリ編集しちゃうんですかァーーッ!! 無意味の浪費が本作の裏テーマなんですか、カントク(cunt-Q)ゥーーッ‼︎

 エロゲっぽい写真。旧劇の巨大アヤナミの残骸。

 旧劇の記憶の洪水を連想させるシーン。突然の絶叫を少しズラして、エヴァファンをビックリさせるという、憎らしいセルフパロディ演出。

 ふたりで完成できるようなものなんだ、エヴァって……

 まさか、これを見た誰もが「エヴァなんてどうでもいいんだ」と考えるようになるとは……ライブ感?

 「君になら」「君となら」。日本語最大の特徴であるところの、助詞を上手く処理した名セリフの誕生だァーーッ! と、脚本家が考えていそうなところがすごいムカつく。

 ほんと、ネルフ本部とブンダーしか存在しないのね。

 インフィニティ……もう英語の単語はダサいってことに気づこうよ。

 いや、テレビ版ではそんないうほど連弾しなかったし。

 マークシックス……バックセックスみたいなポーズだな。

 だから暗いよ! もっと光を!

 だから武器をおいて説明しろよ! 28歳なんだろ! おまえが馬鹿なガキだよ!

 旧劇に逆行した血涙という露悪趣味。

 操縦席に飲み物がたくさん散らかっばってるってことは、13号機がフタを開く前からそこにいたんだよね。どこから入ったの?

 いや、どうでもいいんだけど。もうキミ、ほんとどうでもいいキャラになりさがったよね。意味深なセリフのすべてに、なんの意味もないことがわかったからだよ。

 男とか女とか言わないのが新劇だったのに、いまのセリフは旧劇そのものだ。

 エヴァの特撮的対比による巨大感がことごとく失われる状況設定。たぶん、制作側の意図したものでは「ない」ことが絶望に拍車をかける。

 いや、だからなんでその黒いソウメンが使徒だってわかったの……

 新規ファンに旧劇のアレっぷりを体験させるためのQなんですよね? 次回は破の続きなんですよね、カントク(cunt-Q)?

 本作では碇司令の婿養子設定が消滅しているが、これはカントク(cunt-Q)が自分のスタジオを持ったゆえの主体性回復を、お得意のライブ感覚で表現しているのではないか。

 さらに、Q制作の中で多くの離反者を生んだことが、廃墟に立つ孤独な王としての自己イメージを碇ゲンドウに投影させたと思われる。カントク(cunt-Q)ならではの、疾走する山吹色のライブ感だ。

 改訂できるんだ。聖書とコーランもあとから書きかえできるよ!

 冬月先生の電源コード抜き削除とか、やっぱQには余計なシーンが多すぎたね!

 俺たちは中指を立てたい気持ちでいっぱいだ!

 ブラックボックスを抱えたリアルロボットを人の知恵でなんとか制御しながら運用していくもどかしさがエヴァの魅力だったのに、この弐号機は原理不要の絵作りスーパーロボットと化してしまっている。おそらく、ライブ感によるものだろう。

 全身がコア……全身がクリトリスみたいな感じ?

 ほんと、支離滅裂なストーリーを音楽で無理矢理ひとつにつないでる感じ。

 旧劇っぽいセリフ。Qってカントク(cunt-Q)がほとんど脚本書いてるんだろうな。

 あれ、モザイクかけないの?

 また男と女に拘泥したこのセリフ。すごい旧劇っぽい。

 なんや、世間って。人類ほろびたんとちゃうんか。

 テレビ局のお偉いさんたる「ゼーレ」がいなくなった今、物語のすべての帰結はカントク(cunt-Q)の責任ですよ!

 旧劇の記憶がないと「自分のことばっかり」なんて発言は出ませんよね。

 L結界密度……放射能を連想させようとしてるのか……

 NEXT。EVANGELION3.0+1.0。これは破の続きからの急やりなおしで決まりだね!

 最後に不謹慎を承知で、フォロワーの減少を覚悟で言わせていただきます。東日本大震災における本邦最大の喪失のひとつは、エヴァンゲリオンです。あの震災さえなければ、エヴァンゲリオンは今度こそまっとうなエンターテイメントとして終わることができたのに!

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」