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ゲーム「FGO新章:ワンセカンド・アフタータイム」感想

 FGOの新章を6時間ほどかけて読了。新章とうたいながらも、第3部ではなくファンディスクのような中身になっていて、新旧所長を一場面に同居させたり、失われたはずの人物がよみがえったり、本編ならばけっして踏みこまなかったところにまで踏みこんで、10年を伴走してくれたプレイヤーへのていねいなアフターサービスが行われます。それはとても愉快で楽しいものですが、「この物語はすでに語り終えられている」ことを再確認する行為でもあり、沈みゆくタイタニック号の広間で弦楽四重奏を聞くような、どこかうらさびしい気持ちにはなりました。とは言いながら、時の女神編が残り2章、フォーリナー編が残り7章、残された謎をすべて解明するトゥルー・エンドに1章と考えれば、これまでの実装ペースから逆算して、少なくともあと3年は祭りを継続することが確定しており、もしかするとタイタニックどころか、宗谷のような南極砕氷船である可能性も捨てきれません。なによりうれしかったのは、令和の最突端においてファンガスの最新テキストを読めたことで、第2部終章にただよっていた「あらかじめ書いてあった感」のない、同じ時代を生きる者による現在進行形のビビッドな生活感情が、あふれているように思いました。読み手にとってはポジティブな驚きであるドクターの復活について、主人公の口から「嫌な気分」と言わせたり、資産を公開していれば長者番付にのるだろうファンガスがキャラのセリフに仮託して、「個人の資産より未来の浪漫」と言いはなったり、そこここにかざらない真情の発露がかいま見られるのです。特に、現世利益の追求において空前絶後の大成功をおさめたテキスト書きが、「過去の栄光を反芻することの怠惰と醜さ」にまで、たとえそれが”フリ”であっても言及する姿勢には、この場末の管理人さえ背筋をのばして、直立しながら脱帽するほかはありません。

 ドクターの消滅の描き方も非常に示唆的で、「深夜のファミレスで、学生時代からの気のおけない仲間とダベりながら、なんどもくりかえしてきた話で笑いあい、そうしているうちに空がピカッと光って、最も楽しい意識のまま、一瞬で蒸発させてくれる死」は、たしかに「病院のベッドで多くの管につながれて、ひとり混濁した意識のまま、ジリジリと先のばされる死」よりもずっとマシなものに感じられます。テキストサイト運営者としての小鳥猊下が、だれにも読まれない文章を書き続けるのも、いまやメディアやSNSへはめったに表出しなくなった”根幹の本音”を、偶然おなじ100年に生まれてしまった同胞へと伝えたいからなのです。以前の指摘をくり返しますが、ファンガスの異能はそれを物語へと変換できることで、新章のシナリオを読む行為は、「彼/彼女という人間を深く知る」ことと同義だと言えるでしょう。私にとってFGOとは、すでにかつての個人ホームページにも似た存在になっていて、ファンガス以外の書き手が書くものに、ストーリーテリングの巧拙はおくとして、ほとんど興味はわきません。その意味において、またぞろストーリーの最後にアガルタの持ちキャラであるヤモリが登場して、次回のシナリオへの期待値が底をうった状態で虚無期間へと放りだされたのは、端的に言って最悪の体験でした。さらに、年単位ぶりに課金して引いたガチャは、万札シュレッダーとも呼ぶべき人類悪の体現となっており、近年のアジア産ゲームにおける付加価値の高いガチャと比べると、ファンの好意にあぐらをかいた、心胆寒からしめる邪智の所業そのものです。新たな星5サーバント以外、まったく当たりの入っていないゴミ箱をあさる権利をカネで買う作業は、新章の読後感を大いに汚したことを、ここにお伝えしておきます。