猫を起こさないように
宇宙際タイヒミュラー理論
宇宙際タイヒミュラー理論

ゲーム「崩壊スターレイル・第3章前半」感想

 崩壊スターレイル、ピノコニー編を実装部分までクリア。本作のシナリオは、同社の他作品と比して「情の原神、理の崩スタ」とでも評すべき、仮面ライダーみたいなテイストの棲み分けになっています。「新規のSF的概念」「組織と人物の相関図」「各キャラの台詞と、その裏」を、かなり丁寧に読みこんでいかないとストーリーの本筋が理解できない作りになっていて、グラフィックというよりテキストに強く依存した形式は、かつてのゲームブックを彷彿とさせます。その一方で、JRPGに向ける怖いような畏敬から造形されたフィールド部分に、イヤというほど盛りこまれた大量のギミック群は、本邦のユーザーに「知育玩具」と揶揄されるぐらい、わざわざプレイさせる意味を哲学的なレベルで考えてしまうほど単純なものばかりで、「漢詩の教養が市井の一市民にまで浸透しながら、理系分野においてはいまだひとつもノーベル賞の受賞がない、スーパー文系国家」である事実に由来しているのではないかと、邪推しておる次第です。理系分野の根幹を成す数学という技術は、乱暴な言い方をすればIQテストのパターン認識と事物の抽象化であり、「重厚なシナリオと対極をなす、簡素きわまるパズル遊び」は、中華のその特性にピッタリと合致するように感じられます。

 第三章前半のストーリーについて言えば、今回も世界情勢との意識的なリンクをうかがわせる内容になっていて、故郷を失った「星間難民」であるヒロイン(ホタルたん!)が違法なデバイスを使って夢の世界に密入国したことを告白するくだりは、世界各国の12言語を相手に物語をつむぐホヨバにしか、正面から取りあつかえないだろうと思わせるもので、そこへさらに「筋ジス患者にとってのバーチャル・リアリティ」とでも表現すべきハードな詩情を盛りこんでくるのです。最近、タイムラインに流れてきた「現実が厳しい者は仮想現実を選び、現実に満足している者は拡張現実を好む。それを証拠に、メタクエストは500ドルで、ビジョンプロは5000ドル」という記事を読んださいには考えもしなかった、「現実への充足」とはカネや社会的地位だけを意味するのではないという気づきを前に、五体と五感が不足なく動くことを当然とみなす人物の背筋は、内省によってわずかに伸びる感じさえありました。パイモンのしゃべくり一人称で進行してゆく原神と比べて、崩スタは無言の主人公と距離をおいた三人称のカメラで語られるせいか、ただでさえ速いストーリー展開は緩へ急へとさらに大きな振り幅を見せ、そのドライな筆致によって重要と思われる人物を拍子抜けなほど、アッサリと退場させたりする。もしかするとその唐突ささえ、第三章の後半であつかわれるだろう「夢の中での死は、精神的な死である」という指摘が、いかなる実相をともなうかを種あかしの中心にすえたミステリー要素の一部なのかもしれず、いまはあらゆる想像や予断を外して心静かに続きを待ちたい気分でおります。

 そして、ここまでのマジメな考察と分析をすべて台無しにする萌えコションならではの視点を、我慢できず露出狂のようにまろびださせていただくならば、ピノコニー編に登場する多くの新キャラのうち、なんといってもその白眉は金槌花火(たぶん偽名)たんでしょう! この少女は、下品なワードなので自分のテキストに残すのも正直はばかられますが、いわゆる「メスガキ」というエロマンガ由来のネットミームからその造形をスタートしつつ、その概念をいったんすべて脱構築してから、異なる位相で再構築したキャラになっているのです。同ワードを用いて、本邦の創作者たちが描くだろうエレメンタリー・ガールを想像してみましょう。いま貴君の脳内にうかんでいる、魚類に関するワードを連発する記号まみれのコピーキャットから遠ざかって一個の人格を編みあげた上で、なお「メスガキ」と呼ぶにたるというのは、じつに見事な手腕です。これはまさに、足し算と掛け算をいったん別宇宙に分離してから再構築するがごときアクロバットの所業であり、金槌花火(おそらく偽名)たんの存在は、美少女ゲーにおける宇宙際タイヒミュラー理論だとさえ言えるでしょう(言えると思う……言えるんじゃないかな……まあ、ちょっと覚悟はしておけ)。画面外の大きなお友だちは大興奮なのに、画面内のキャラたちはだれもがうっすら彼女のことを嫌っていて、すでに「どうしてみんな、しかめっ面するの」みたいな負けフラグも口にしており、「登場時に必敗を前提とした優越を持つ」みたいなルールを付与されているところまで再現されていて、花火たんが今後いかに敗北するかを想像するだけで、もうワクワクがとまりません。

 あと気になったのは、特に三月なのかや今回のヒロインであるホタルたんに顕著なんですけど、朗読されるセリフに息つぎのブレスが入りまくるところです。これって本来は編集で消すべきなのか、話し手がブレスの瞬間にマイクを外すべきなのか、どっちが正解なんでしょうか?(旧エヴァ第弐拾弐話のビデオフォーマット版で、「時計の針は元へは戻らない」というゲンドウの台詞の直後に、本放送版ではなかったかなり大きめの息を吸いこむ音が収録されていて、演出意図なのか消し忘れなのかわからず延々と悩んでいたのを、いま思いだしました) 最後に、中華サイファイから理論物理学へと連想ゲームを飛躍させた近況報告で終わります。以前、ピーター・ウォイトのブログを週イチでチェックしていることをお伝えしましたが、あれだけ厳しく弦理論をとりまく状況を批判しておきながら、リジェクトされた論文未満の万物理論に関するアイデアを科学誌のインタビューで得々と語ってしまい、ストリングスの専門家と同じ不健全さでマスコミを利用しているとブログのコメント欄が炎上していることに、満面の笑みを浮かべております。もっとも冷静かつ論理的であらねばならない理系分野のテニュアどもが、ほとんど2ちゃんねるやツイッターみたいなレスバトルをくりひろげている様子を極東の観客席から眺めるのは、(ビールの泡を白ヒゲに、破顔して)本ッ当に最高の娯楽ですね!

雑文「IUT続報に寄せて(近況報告2023.8.31)」

 宇宙際タイヒミュラー理論をめぐる状況の続報にふれて、満面の笑みを浮かべている。あらかじめ、以下は高校レベルの数学さえあやしい人物による外殻の政治的な「面白がり」だということを伝えておきます。そもそもの発端は、5年近く前に同理論の成否を確かめるため、ドイツから2人の高名な数学者が京都を訪れたことでした。一週間にわたる論文著者との議論の末、帰国した2人は「乗り越えられない決定的な瑕疵があり、証明は無い」との結論を10ページの報告書として発表します。同理論はあまりに長大で難解なため、理解できる者は世界で十指にわずか余るほどと言われており、多くの数学者はフィールズメダル受賞者のこの宣言に、もう余計なことを考えなくてすむとホッとしたのです。そこから現在まで続く集団的思考停止の状況を「数学にとって不健全」だとして、論文著者が報告書の撤回を求めるメールを昨年、2人のドイツ人数学者へ2度にわたって送りつけたにも関わらず、完全に無視される結果となりました。業を煮やした彼はつい先日、その私的メールをネット上に公開したのですが、最近はDeeplやChatGPTなど翻訳に便利なツールもあるので、ぜひ本文を読んでみてほしいと思います。

 まあ、最大限ひかえめに言ったとしても、相当に「態度の悪い、挑発的な」内容になっていて、「あなたが健康な状態であることを願っています」から始まり、「あなたが議論において、ささいなことに固執していたのを鮮やかに思い出します」とか、「仕事や金銭の調整は必要ですが、京都に来るなら解放的かつ自由な議論を約束します」とか、「なぜあなたほどの人が、こんな簡単な数学が理解できないのかわかりません」とか、「私の師匠に理論の誤りを指摘すると『権威を盲信すべきではなかった』とすぐに認めました」とか、「『真実を受け入れる者は解放される』という金言の意味をもう一度よく考えるべきです」とか、とにかく全編にわたって「格下の相手にレベルを合わせてお願いしてやっている」というアロガントな雰囲気を隠しきれていません。メール内の文章表記も相手の読解力を疑うように、単語をダブルアスタリスクで強調(初めて見た)したり、読み落とさせたくない箇所は一文中であってもわざわざ改行の上で段落化したり、どこの00年代テキストサイト運営者によるテキストいじりなのかと疑うばかりの粘着ぶりです。

 さらに問題なのは、存命する数学者の中でトップクラスに入り、歴史上においても最高ランクに位置するだろう頭脳から、はた目にわかるほどの「激おこイライラ状態」でこれが出力されていることであり、選ばれる単語が高級で文章が難解なことをのぞけば、やっていることの本質は巨大掲示板での文系レスバトルとなんら変わりありません。そして何より悪いことに、わざわざ京都まで来て一週間を費やしてくれた相手の態度を硬化させている原因の最たるものは、間違いなくこれまでの論文著者のふるまいなのです。「証明なし」との報告書が公開された直後の彼の反応としては、「議論の最中、相手の説明する馬鹿げた解釈は自分の理論とは似ても似つかないと、ずっと考えていた」(なら、その場で指摘しようよ……)や「なぜこんな初歩的な数学が理解できないのか、同僚たちと爆笑した」などがあり、これだけでもかなりひどいのですが、きわめつけはドイツ人数学者2名を、名前の頭文字を並べてナチス親衛隊を意味する「SS」呼びしたことでしょう。なぜ非アカデミアのトーシロがこんなことまで知っているのかと言えば、これらすべてが論文の中に注釈としてそのまま書いてあるからです(!)。さらに、わずか10ページのその報告書に対して150ページ超の反論を公開したり、やってることはどこぞの訴訟インフルエンサーと大差ありません。

 今回の顛末について、以前にも指摘したように、コーケイジャンたちが99%の時間を意志と理性の力で抑制している人種差別の感情が、あるシリアスな一線を越えて噴出する領域へと論文著者が踏みこんでしまったことで引き起こされた可能性は、非常に高いと思っています。同時に、「アジアの黄色いサルに、ナチ呼ばわりされた。ヤツらモンキーどもに西洋文明の精髄である、数学のアルテを理解できるはずがない」という人格の底の底にある昏い負の感情が、メール無視による撤回拒否につながっているとすれば、外野の文系にとってこれほど面白い見せ物はありません(まあ、このへんは欧州の高位?数学者や数学倫理規定?みたいなものを引っぱりだしているあたり、薄々わかっているのかもしれません)。スーパー・ストリングスにせよ、インターユニバーサル・タイヒミュラーにせよ、もっとも冷徹に論理的であるべき物理学者と数学者が、「半世紀を捧げて己が権威となった分野が、すべて灰燼に帰すなどありえない」や、「30年をかけて完成させた究極の理論を、ポッと出の若造ごときに潰されるなど断じて許せない」といった感情にふりまわされているのを観客席からビール片手に眺めるのは、とうの昔に己の人生の相対的な無価値を受認した文系人間にとって、この上ない愉悦の娯楽だと言えましょう。

 いまの私の最大の関心事は、世界を席巻するAIがはたして人類にとって「我々はエヴァを生みだすためにその存在があったのです」という台詞の、エヴァに相当する対象になるのかどうかです。現存する人類すべての成果物を学習し終わったところでAIの成長が止まるのか、そこからさらに成長が続いていくのか、まだだれにもわからない段階とのことですが、これは私がよく使う例えであるところの「1を100にすること」と「0を1にできること」の対比によく似ているように思います。そして、前者に長けた人工知能がはたして後者の能力を有しているかどうか、すべての学習対象を消化したあとに無から有を生み出せるかどうかは、人の持つ知性と人の抱く感情が可分か不可分かの、数学的に言うならば、”conjecture”になっているような気がするのです。最高峰の知性さえも「乗り物」にしてしまう感情という制御不能のドライバーが、知的創造とは切っても切り離せない要素だと判明するなら、それは世界文学と同じ種類の人間讃歌だと言えるのではないでしょうか。私の生命が残っているうちに、人類全体をまきこんだ壮大な実験の結果が見られることを、切に願っています。そして、だれかが私のテキストに対して言ったように、「歴史上の数学者の人生を、リアルタイムに砂かぶり席で見ることができる」喜びを噛みしめたいと思います。

雑文「SSとIUT、そしてGBK(近況報告2022.5.8)」

 この連休中でもっとも胸のすいたできごとと言えば、「超弦理論の台頭により、数十年を停滞する物理学」の実態について知ったことでしょう。アホの文系アタマにできる最大限の要約をすれば、原子以下のあまりに微細な事象を取り扱うために実地の検証がほぼ不可能であり、理論だけが先鋭化していって、現実に有効な予言が生まれないという批判です。予測されていた超対称性が粒子加速器の実験では確認できなかったのを、「単に精度の問題であり、ないはあるを否定しない」みたいな理屈でダチョウが砂地に首を埋めるようにふるまっているのが現状だとかなんだとか。高度に発達したケトゥ族の知的遊戯が、やがて数式による創世神話と化していき、いまや論理の正しさではなく多数決と政治力が研究予算に直結する世界になっていると聞きおよび、思わず頬がほころんでしまいました。なあんだ、やっぱり理系クンたちもそうなんじゃん。

 本邦における超弦理論の研究者が、「理論をゼロから構築するのではなく、すでに存在する真理を発掘しているような手触り」と語っているのをどこかで読んだことがあり、用意された解答を探る快感に陶然となっているのが伝わってきて、まさに受験勉強を最大に延伸した究極の果てという印象を受けました。先日、国営放送で流された宇宙際タイヒミュラー理論をめぐる騒動のドキュメンタリーも、正味の中身(踏韻)は「文系しぐさ」そのもので、「千人がひとつの物語を読むとき、そこには千通りの解釈がある。しかし、千人がひとつの公式を見るとき、そこにはひとつの意味しかない」との豪語は、いったい何だったのかという気にさせられます。同理論が高度な数学を用いながら、文学的世界解釈のファンタジーに過ぎないとするなら、日々をクソ文系仕事に従事する小人の溜飲も大いに下がろうというものです。

 あと、連休中に快慶の仏像を見る機会があったんですけど、この仏師、グラップラー刃牙の強い影響下にありますねー(たぶん、逆)。

雑文「ウガニクとの邂逅、あるいは『平成最後のテキストサイト100人オフ』について」

 マジでウガニクくるの? マジか! 秒でエントリーした。ちなみに、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」での言及は、『日記・テキストサイト「猫を起こさないように(nWo)」開設。「虚構日記」はどう読まれるべきか。』でした。

 エイジ・ワン・カンパニーのミドル・マネジャーたる小生にとって、ちょうど象牙の社印をモンハンの如くストンプするビジー・シーズンにさしかかる頃であり、参加についてはクリアすべきビッグ・ハードルを残しているッ! がんばる。あと、萌え画像な。な?

 テキストサイト100人オフより、ほうほうの体で帰寧。生ウガニクと20年越しの邂逅を果たしたことを、まずはお伝えしておきます。

 @uganik ウ○○○先輩、土曜日はお疲れさまでした。いまは20年越しの憑き物が落ちたような、晴れ晴れとした気分です。それにつけても、○ガ○○先輩をさしおいてブシドーソウル?みたいな新参者の先行者にマイクを渡す行為は許せませんね! 思い出すだけで、猊下の怒りは有頂天です!

 @uganik そのこじらせた自意識、さすがです、○○○ク先輩! テキストサイト100人オフ、不敬な輩に対する「あとで呪殺リスト」は私もつけてました。もっとも、99人を越えたあたりで数えるのを止めましたがね……これはもう、オフレポをも辞さずでしょうか……

 質問:小鳥猊下のオフレポマダー!(チンチン

 回答:バカモノ! 欠けた茶碗を箸で叩く、もしくは下半身を露出するでないわ! オフレポはぼつぼつ書き進めており、すでに一万字を越えているが、少しも終わる気配がない。それもこれも、怒りのフラッシュバックで執筆中に高級万年筆の先端を圧し潰してしまうからだ。年内の上梓を目処とするがよい。

 小鳥猊下を名乗っていたサイト運営者だが、リアルイベントに参加すると眉目秀麗な容姿のせいだろうか、こういったプチ・ストーカーを招き入れてしまうからイヤなんだ。ああ、オフレポ? ドカチン・ワークの合間に毎日ポツポツと書き進め、ようよう二万五千字を越えたところだ。この感じだとおそらく三万字前後に収まるが、公開する場所もないし、公開したところで百人マイナス一人の敵を作るだけだろう。結局、自分がいちばん面白がるだけのテキストを公開したところで、だれも幸せにはならない。だが今、テキストサイトの更新を書いている実感だけはある。なぜそれをわざわざ公開するのかと問われれば、虚構日記だからとしか答えようがない。

 世界よ、これがオフレポだ。 #テキストサイト100人オフ

 ――ついに、nWoからテキストサイト100人オフ会のレポートが上梓されましたね。まさか旧サイトを復活させての公開とは思いもよりませんでした。

 ははは、本当は書くつもりは少しもなかったんだ。だが、参加者たちのレポートを読むうち、気の抜けたジジイのファックみたいな中身ばかりで、むらむらっときてね。イベント中心のなれあいじゃない、お前らにテキストで殴りあう昔ながらの、本物のオフレポを見せてやるぞって気持ちになったんだ。

 ――それにしても長いレポートです。文中リンクも異常に多い。

  さっき文字カウントしたら、32,000字を越えていたね。実のところ、あと20,000字くらいは密度をそのままに増やせるんだ。けれど更新を行うときの常で、書いていないときも脳のリソースの30%くらいがそれに占有された状態になる。いい加減、日々のドカチン・ワークに影響があるので、このあたりで見切った格好だ。数えてみたら、文中リンクも500箇所以上あった。

 ――少し多すぎませんか。

 オフレポは文中リンク多めで、とあったからね(笑)。あと、私のような古株と最近ネットを使い始めた連中とでは、色々な情報に対する前提条件が異なっている。その差異を是正する意味もあった。

 ――具体的には。 

 同じ単語でも辞書的な定義と、経験により獲得した意味への質感は違うということだ。

 ――難しいですね。 

 例えば、セックスという言葉ひとつとっても、君には同性とのアナルセックスだし、ぼくにとっては山羊との獣姦だろう。

 ――なるほど、猊下の感じる語彙への質感を、文中リンクを多用することで共有したかったと。

  その通り。あと、個人的に田中康夫フォロワーなので、「なんクリ」を現代的な手法で再構築したい気持ちもあった。

 ――ああ、芥川賞候補にもなった「なんとなく、クリトリス」ですね。

  クリスタル。クリスタルな。

 ――それにしても、物議をかもしそうな内容です。 

 文句があるなら、オフレポで殴りかえせばいいのさ。それが昔ながらの、テキストサイトの流儀ってやつだろ? もっとも、40字くらいじゃ皮一枚、傷つけられないだろうけどね(笑)。だが、九十九式の宮本には期待している。オフ会の直後、レポートを1,000字書いたがまだ公開しないとわざわざ宣言するような、昔気質のサイト運営者だ。もしかすると、彼なら私に敗北を教えてくれるかもしれない。敗北を知りたい。

 ――怒る人も出ませんか。

  むしろ、だれかが怒れば上出来なのさ。今後は、このオフレポに対する参加者の反応を注視したい。リツイート、いいね!、@ツイート、トゥゲッターへの追加、それらがこれまでと同じ温度とジャッジで行われるのか、それとも完全に黙殺されるのか。二十年間の経験から言えば三つのうち、最後のものが最も可能性としては高いだろうね。まあ、なんにしても一度は閉鎖したサイト、気楽なものさ。全部また、消せばいい。

 ――それにしてもウガニクです。本当に大丈夫なんですか? 許可とってるの?

  ははは、それこそ余計な心配というものだよ!  ウガニクは私だし、私はウガニクだ。ホラ、こうしてインタビューを受けている瞬間にも、君の後ろの本棚と壁の隙間から拳をふり上げて、私を鼓舞してくれている。「おい、小鳥! いいのか、こんなオフレポで大丈夫か? 俺ならもっと、歯向かう気持ちも失せるぐらいに、徹底的にブチ転がすぜ!」ってね!

 ――ありがとうございました。 (企画・制作:nWoエンタープライズ)

 おい、お前ら! あれだけキャッキャウフフ・ステイトで盛り上がってたのに、急にシーンとなるなよ! 俺が全裸で舞台にとびでた瞬間、毎回真顔でシーンとなるのやめろよ! 市井の小鳥猊下であるッ! 毎晩、酒飲みながら読み返して、ゲラゲラ・ステイトで大爆笑してるのに、「復活させてのレポートありがとうございます」やら「久しぶりに猊下の文が読めて良かったです」やら、無表情で話しかけてくるのやめろよ! 自分の同人誌を読み返すときもクライマックスでは毎回、オイオイ・ステイトで号泣するくらいなのに、なんでお前らは俺の文章を読みながら常に無感動でいられるんだよ! 綾波レイかよ! むしろ怖いわ! (入道雲パーマが両手を口元に当てて)一般人との感じ方のズレが、いまのコリツ・ステイトを作り出していることに少しも気づかないなんて……!! あと、オフレポを読み返すたびに文中リンク追加してて、私的リンク集みたいになってきました。リンク集と言えば、「日曜日には僕は行かない」も地味に改変してるので、貴様らもシミジミ・ステイトで懐古するがいいです。

 質問:オフレポ読みましたけど、ぜんぶ本当にあったことなんですか?

 回答:実際にあったかどうかは、全く問題ではありません。歴史とは、ある事象に関与した当事者がすべていなくなったあと、残されたモノから当事者以外のだれかが推測する何かのことです。小鳥猊下およびウガニク周辺に関するまともなオフレポが存在しない以上、これはやがて「事実になる」のです。

 「テキストサイト100人オフ」のオフレポ公開からちょうど一週間が経過したので、状況を振り返ってみようと思う。

  リツイート:2/88 いいね!:3/88  @ツイート:0/88  トゥゲッター追加:yes

 分母の88とは参加総数であり、実際の参加者以外から寄せられた反応はカウントしていない。ちなみにリツイートした2名は、直接に名指しをした九十九式の宮本と、私に性的魅力を感じているだろう兄貴の館の兄貴だった。私のオフレポより、体裁も文章も中身もはるかに充分ではないものが、より多くの反応を得ているこの不可解な現状をどう解釈するべきだろうか。私は長くテキストサイト系とは、文字通りテキストのクオリティがすべてを決するグループだと考えてきた。アクセス数(今ならフォロワー数)に判断を左右されず、だれが書いたものであろうと、そのテキストが良いものなら手放しの賞賛を惜しまない。管理人が持つテキスト審美眼への絶対的な信頼が、このグループをかたち作っているのだと。

 しかし、今回の結果が明らかにしたのは、当該の人物と過去に面識があったかどうか、そして実際のイベント等を共にしたかどうかが、テキストそのもののクオリティに優越するという動かしがたい事実である。マナコをクリックするとなまこのウィキが表示されたり、「なんでも言うこと聞きマス」に傑作ミュージカルナンバー“I can change”がリンクされていたり、まさにこれは、爆笑と感嘆のメリーゴーランドやないかー! 目の前にある至高のテキストに言及もせず、「ホニャララさんがつぶやいてたお店に来ちゃいましたー」とか、もう見てらんない。おまえらアホかと。馬鹿かと。テキストサイトってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。

 すなわち、今回行われたのは「テキストサイト100人オフ」ではなく、「リアルイベント出会い系100人オフ」であったことが確定的に明らかとなった。この「リアルイベント出会い系100人オフ」について、私からもう積極的には触れるまい。なぜなら、現存する最後のテキストサイト系管理者である私がこれ以上、より低いものへ対等にとりあえば、ウガニクを始祖ジュラとした過去の英霊たちの名へ、泥を塗ることになるからである。

 @uganik オフレポを通じてパイセンの権威と威光を再びインターネットに蘇らせようとしましたが、どうやら力およばなかったようです。すいません……

 小鳥猊下が現存する最後のテキストサイト系管理人であるという主張に対して、あなたは賛同しますか?(企画・制作 nWoエンタープライズ)