猫を起こさないように
大人
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雑文「或るおたくの症例(艦これ2020年秋イベント実録)」

 ネット越しとはいえ、二十年ほどもおつきあいいただいていると、私の人格的な陥穽とか異常は親族のように理解いただいていることと思う。おたくを罹患した自分において、大人になるということは、精神的な成長や人格的に陶冶されることとイコールではないと警戒し続けてきた。二十歳ぐらいで固着した本性は、どれだけ時間を重ねようとも決して変わることはない。人格の歪んだ部分、欠けた部分に自らの意志でもって義肢をあてがい、正常のような見かけでふるまうことができる、それが私にとっての大人になるということである。幾度も手痛い失敗を繰り返し、そのたびに擬態の能力を高めていく繰り返しだった。けれど、うまく擬態を装っていける時間が長く伸びれば伸びるほど、もしかして本当に私は成長して、人格が陶冶されて、充分に成熟したのではないかと錯覚する瞬間が訪れる。もういまの私はかつての異常な私のようではなく、長く私を苦しめてきた症状は完治したのではないかという、都合のいい錯覚。アル中病棟で読んだ「ぬか漬けのキュウリが生のキュウリに戻らないのと同じ」で、異常な嗜癖を病んだ者は、おたくを病んだ者は、二度とそうでなかった状態へは戻れない。その事実を定期的に、痛烈に突きつけてくるものがある。そう、艦これのイベントだ。これまでの甲難度と同じレベルの乙難度ゲージ破壊に数万の燃料と数百のバケツを空費させられ、いったん攻略を中断して資源確保に当たっていた。そして昨晩、友軍艦隊が来ているのに気づき、これでようやく鬱陶しいやり残しの仕事を清算してしまえると、再び最終ゲージの攻略に乗り出したのである。するとどうだ、友軍艦隊はカスのようなダメージしか与えず、尋常ならざる敵最終編成の撃破にはまったく届かない。かりそめの希望がひるがえって絶望に転じるとき、それは限りなく深くなる。息苦しい暗がりの洞窟を延々と進んだ先、出口の陽光へと踏み出そうとした瞬間に、襟元をつかまれてグイッと暗闇に引き戻されたときに感じるだろう絶望。前衛艦隊が無傷のままボスの夜戦に突入し、すべてのクリティカルが敵旗艦に吸い込まれるという妄想を抱いたまま、やめどきを失っていく。撤退を繰り返すたび、心の中に昏く重たい感情が累積していくのがわかる。そして幾度目の出撃だったろう、最初の空襲マスで一隻が大破した瞬間に、それは決壊した。キーボードを殴りつけ、マウスのコードを引きちぎり、コントローラーを机に叩きつける。怒りの自失から我にかえると、モニターは倒れ、右手には血が伝い落ちていた。もしこの感情が人へ向けば、間違いなく殺してしまうような性質のものだ。穏やかな表情で日々を過ごしている自分、もしかしたら敬意や信頼を寄せられさえする自分の内側に、こんな制御不能の異常な汚れたものが潜んでいる。そして時折、外へ噴出しては自分を絶望させる。

 艦これは、きらいだ。ずっと忘れていたいのに、私が異常者であることを、幾度も幾度も思い出させるから。