猫を起こさないように
呪術廻戦
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漫画「呪術廻戦」感想(27巻まで)

 連載終了が近いとの報を聞き、ようやく呪術廻戦に1巻から着手する。なんとなれば、遠くはグイン・サーガ、近くはベルセルクと、作者の死去による作品の中絶を幾度も経験してきたため、人生の残り時間を横目にしながら、「もう終わった物語しか読まない」との誓いを立てたからである。冒頭からさっそく話はそれますが、ブルーカラーへのナチュラルな差別意識を披露したゆえの炎上騒動を遅ればせに知り、中卒か高卒の両親を持つ昭和に生まれた人物は、「いい大学を出て、ホワイトカラーの高給取りになる」ことを、旧世代からの怨念に近い強迫として刷りこまれているため、ほんの少しだけ同情する気持ちにはなりました。結局のところ、時代の変遷にともなう「意識のアップデート」とは、古い世代にとって「公の場で口にしてはいけないことがらが増える」だけに過ぎず、心中に居座る「のちに間違っていると断じられた感覚」を完全に上書きするのは、ほとんど不可能に近いと言ってよいでしょう。そして、昭和生まれのオタクにとってさらに根深いのは、ホワイトカラーの上にクリエイターを置いてしまっていることです。このヒエラルキーは、現実社会に対する乖離度に正比例、貢献度へ反比例しているにも関わらず、おのれの仕事の価値をどこか相対的に低く考えてしまうという思考のクセから、いつまでも抜けだすことができません。呪術廻戦を読んでいるあいだ、この胸中にどよもしていたのは、少年ジャンプの歴史のうちで第5世代あたりの、「地方在住のパチンコ好き高卒ヤンキー」的な属性を持つ作者が、おのれの体験してきたオタク文化を悪びれずに剽窃しながら、ブルーカラーとクリエイターの「悪魔合体」を生き生きと体現している事実への感慨でした。毎週月曜日にエッキスのトレンドへと浮上してくるため、単行本に未収録のラスボスとの決着もうっすら知ってしまっているのですが、「高卒ヤンキーのまっすぐな善性」が、彼に主人公としての資格を取りもどさせるという展開は、人の減りゆく時代の問いーー「コンサルや投資家は、はたしてブルーカラーより価値のある仕事なのか?」ーーに対するひとつの回答のような気がしてなりません。

 さて、大上段な放言から、呪術廻戦の内容へと話をもどしましょう。古くからのマンガ読みとして、本作への印象をざっくり一言でまとめるなら、「孫悟空が主人公”ではない”ドラゴンボール」とでもなるでしょうか。じっさいに読むまで、なにかヒネリがあるのかと期待していた「呪力」は結局、「気」や「霊力」と同じエネルギーの言い換えにすぎず、戦闘を単調にさせないためのキモである「領域展開」も、「幽波紋」や「念能力」を変奏したものになっていて、あまり新しいアイデアとは言えません。バトルものとして最大の難点は、「新旧最強の呪術師と明言されている、五条悟か両面宿儺が関与する戦いに比して、その他は常に相対的に格落ちになる」ところでしょう。五条悟・イコール・孫悟空ーー偶然にも「悟」の字が共通ーーが戦うのを見たいのに、ヤムチャやクリリン、下手をするとギランやバクテリアンの試合に延々と紙幅を割いているーー「五条ー!!! はやくきてくれーっ!!!」ーーように感じたことは否めません。また、渋谷事変の途中くらいから、1ページあたり3コマ前後で描かれるバトルの筆致が荒れはじめ、作者の精神状態が心配になるのですが、ハンターハンターを彷彿とさせるネームと言いましょうか、コマを細分化した文字優勢の語りに変じることで面白さを回復させたのには、「参照する過去作品があって、本当に良かったな」と、メタフィクショナルな安心を得てしまいました。あらためて、先行作品のない地平を単独で切り開いていった鳥山明のすごさを、噛みしめておる次第です。

 呪術廻戦における戦闘のビジュアル表現は、「鬼滅の刃ほどわかりにくくないが、ドラゴンボールのわかりやすさには劣る」ぐらいの塩梅であり、描線の荒れ方が調子を崩しているときの冨樫義博ーーのちに慢性的な腰痛が原因と判明ーーソックリで、ある作者にとっての不本意をレスペクトすべき妙味として神格化している様には、ちょっと背筋の寒くなる感じはありました。そして、鬼滅の刃にも通ずることながら、「連載の初回からラスボスが登場していて、連載の最後までずっと変わらない」というのは、良し悪しではないでしょうか。ゴールと線路を最初に引いてしまえば、物語のフレームはカチッと決まるのかもしれませんが、週間連載を通じた作者の成長が敵キャラの魅力に反映される余地を、あらかじめうばってしまうことにもなりかねないからです(ハイキュー!!のネコマ高校を想起)。あらためて、ピッコロ、マジュニア、ベジータ、フリーザと、魅力あるボスキャラを変幻自在に登場させ続けたドラゴンボールの偉大さを、噛みしめておる次第です。さらに重箱の隅をつついておくと、「過去のフィクション群に全力でもたれかかった、ビルドアップのスッとばし」ーーこのキャラの設定(六眼など)は、あの作品のアレですよ!ーーも散見されます。もっとも顕著な例は「しゃけ先輩」で、作中でいっさい能力の来歴が語られない準主役級のキャラって、めずらしくないですか? 他に気になったのは、主人公の目標でありライバルでありバディでもある黒髪クールキャラの存在で、ハイキュー!!でも見かけましたけど、流川楓が源流なんでしょうかねえ(最近どの作品にも、ひとりはいる気がする)。

 さんざん過去作との比較で腐してきましたが、これまでの少年マンガと一線を画するビッカビカのオリジナルは、27巻での高羽史彦とケンさんによる「お笑い幽波紋バトル」であると断言しておきます。社会生活を営めるほどの軽度な鬱で、四角四面のドシリアスな内面を持ち、いつも生と死のはざまに引かれた白線の上を歩いている感覚があり、おもしろテキストをときどきインターネットへ記述することによって、死の側へとかしぎがちな身を生の側へと引きもどしているだれかにとって、永遠に倦みはてた者と一瞬の恍惚を去りがたい者、2つの魂が交錯する「やがて悲しき」顛末には、この上ない切迫感に胸を突かれて、顔をクシャクシャにした大笑いのまま大泣きするハメになりました。じつのところ、初回の読み味が忘れられなくて、いまでもここだけちょくちょく読みかえしてしまうほどです(まあ、幽遊白書の最終回パロディはどうかと思いますが……)。バカサバイバー編の存在で、呪術廻戦への評価が天井をたたいたため、評判のいいアニメ版も履修しようと、アマプラでゼロを冠した劇場版を再生して、ひっくりかえりました。エヴァQのキャラデザの人に加えて、シンジさんの声優を臆面もなく起用しており、「商業作家による、自作人気を利用した、他社作品の二次創作」というトンデモに仕上がっていたからです。乙骨憂太のセリフをノリノリのシンジさん演技で演じあげるのには、品行方正な勤め人としてのブ厚いペルソナを貫通して、リアルで「うっぜえ」と低い声が出ましたもの! これまで見聞きした中でも、最高(最悪)レベルの「クリエイターがクリエイターに向けて作った作品」になっていて、呪術廻戦への評価がたちまち底をうちました。

ゲーム「ドラゴンクエスト11S(PC版)」感想

 え、もうエヴァの話は聞き飽きましたよ、それより最近あそんでるゲームのことでも教えてくださいよ、だって? オーケー、オーケー、自分でも病んだツイートを連打してる自覚はあったので、ドラゴンクエスト11Sの話でもしようか。PC版なのにスitchy版のダウングレード・グラフィックであることに萎えたところまでは伝えたと思うけど、スチームパンク2077のタケムラ無言電話バグで最新のセーブデータが進行不可能になったのをきっかけに、しぶしぶ出もどったってわけなのさ。いろいろ調べて、INIファイルへ追記してアンリアル・エンジンに無理やり質の高い描画をさせる方法を見つけたのね。それでグラフィックはまあPS4以上になったけど、下生えの草の量とかは少ないままだから、イケメンのハゲみたいな状態で我慢してプレイしてんの。無印のときは忙しかったこともあって、結構な駆け足でクリアしちゃってて、加齢の影響でいい具合にシナリオも忘れてるので、じっくり腰をすえて最後のドラクエを楽しもうってハラなのよ。ファミコン版の2からリアルタイムでプレイしてる原理主義者なので、「ドラクエにボイスってどうなん」とか最初は斜めに構えてたんだけど、聞いてみると存外わるくない。キャラのモデリングと動きの付け方もすごくいいし、声と相まってベロニカがちょう可愛くなってる。最初のうちは声がキンキンしててうるさいなーって思ってたけど、慣れてくるとアスカ系の罵倒(またエヴァ!)とツンデレ・ムーブ(人を指さすんじゃない!)がクセになる感じ。いま命の大樹のとこぐらいなんだけど、あらためてドラクエって浪花節っていうか、昭和的な人情の世界なんだなーって思わされました。結婚式で「お母さん、生んでくれてありがとう。お父さん、育ててくれてありがとう」って何のてらいもなく泣きながら言えちゃう健やかな人たちが生きている世界ね。ドラクエ・シリーズって長い時間を経て今や和製ファンタジーの源流となり、音楽で言えばビートルズ、映画で言えばリドリー・スコットみたいな、革命が陳腐化してオリジナルが忘れられて、形骸化した雛形だけが残っていく段階に来てると思うんです。いまネットに氾濫している、なんてーの、NARROW小説?は、ファンタジーの雛形としてドラクエを引用してるようだけど、この世界観の根幹である浪花節の昭和人情は、はたして引き継がれているのでしょうか。今回、ドラクエをプレイしていて強く思ったのは、この世界の中に入れられたら(転生!)、私は苦しくて一秒も生きていられないだろうなってことです。ナウシカの最終巻じゃないですけど、人という種族はすでに汚れた環境に適応して進化してしまったので、来たる福音の世界は清浄すぎてそこでは生きていけないというアレです。両親を敬って、与えられた生命に感謝するぐらいなら、それこそ死んだ方がマシですから! なんだか大きな話になっちゃいましたけど、細かいところで言うと、「エッチ」「スケベ」「ムフフ」という少年漫画的語彙が表現するドラクエ特有のお色気要素ですけど、本作では「女性が許容してくれると男性が思う性的なライン」をかなりアウト方向へ逸脱しちゃってる感じがしました。シリアスな場面でロウがエロ本を落とすシーンは、なんど見ても唐突すぎてワケがわからないです(もしかして、笑わせようと思ってる?)。近年のクリント・イーストウッドじゃないけど、「他の人がやったらダメだけど、ホーリー遊児ならしゃーねーなー」という受け止められ方ーーなにが「ぱふぱふ」や、パイズリやろが!ーーなのかもしれません。無印のときはあまり感じなかったので、もしかするとこの3年余りで世間の潮目が変わったのかなー。あと、ドラクエをプレイするときの安心感から、ゲームの持つ最大の美点は「物語が完結している」ことだと改めて気づかされました。連載中の漫画とかそれを原作にしたアニメとかは、もうなかなか怖くて手を出せなくて、最近では鬼滅の刃とかチェンソーマンとか、完結した物語を指差し確認してから手をつける感じになっています。だって、自分より若い作家の未完結作品に、もし万が一でもエヴァのようなハマり方をして、完結より先に寿命が来たりしたら、死んでも死にきれないじゃないですか。流行りのじゅぢちゅ廻戦(舌が短いので、正しく発音できない)も遠目に面白そうだとは感じますけど、作者のライフワークとして大長編化する例の作品群と同じにおいがして、触れる勇気がありません。不謹慎な話、年配の作家なら例え物語が完結しなかったとしても、続きがもうこれ以上は発表されない瞬間を確認して安心できるじゃないですか。それに、グイン・サーガとかスター・ウォーズみたいな、作者の手を離れた続編ってサイアクですしね。あー、なんかすごい呪いをふりまくメンタルになってきたので唐突に、切断的に終わります。

ゲーム「サイバーパンク2077(あるいはドラクエ11S)」感想

 FF14のシナリオに心萎えてFF11に出戻ったものの、カラドボルグ制作過程で時間ポップNMを他PCと取り合うという古いMMORPGに特有の時間グラインダーに心折られて、もうオフラインのRPGがしたい、ふつうのRPGがしたいとなって(と、なって!)、そういえばドラクエ11の完全版がPCで出たんだったとスチームボーイ(駄作)から体験版をダウンロードしたのです。ほどよくストーリーも忘れてて、やっぱドラクエは面白いなー、なんて最初は無邪気にプレイしてたんですけど、そのうち違和感が出てきました。色調が妙に明るくのっぺりしていて、画面に密度感がなくて、グラフィックも全体的に毛羽だってるというか、ジャギジャギしてる。「おっかしーなー、いよいよ老眼がはじまったのかー?」なんつって目をこするんだけど、画面のクオリティは低いままです。気になってググッてみたら、いちどPS4版からスitchyだかゆう低機能のマイクロマシン向けにダウングレード移植されて、その劣化版をベースにしてPC版を作ったよって書いてある。つまり、原本のコピーのコピーを見るときに感じる質への違和感だったわけで、激昂した私は「スクエニはん、ゲームゆうのは目利きの玄人旦那衆へ向けた嗜好品だっせ。なにがドラクエアイランドや、まず本業のゲームを大切にせんかいな。こんなクソ商売しとったら、企業として先があれへんで!」と土壁に向かって一人ごちる(笑)と、すっかりプレイする気を無くしてしまいました。

 そんで、新聞紙でふさいだだけの割れ窓(エヴァQのときのDVで割れた)からスキマ風がびょうびょう吹きこむ四畳半で「これはいよいよ鉄パイプでモニターを粉砕して、PCを捨てよ、町に出ようってことかー?(しかし、町には殺人ウイルスが蔓延しているぞ、どうする?)」などと中指で鼻ほじってたら、ツッタイーの縦長ウィンドウに生息するサナダ虫どもが、「サイバーパンク2077が本年度最高のオープンワールドRPG」「ウィッチャー3を作ったところだから、万に一つの間違いもなし」なんてジメジメささやきあってる。「よーし、嘘だったらみんな殺しちゃうぞー!」なんて朗らかに叫びながらサクッと購入して、パッチだけで45ギガもあるのをアホみたいな時間かけてダウンロードしてプレイをはじめるんだけど、結果として殺人者にならなくてすんだことは僥倖でした。ブレードランナーをより日本びいきにした世界観のオープンワールドRPGで、開始5時間ばかりの段階ですが、かなりの没入感に終始ワクワクさせられっぱなしです。でも、コントローラを握ってキャラを動かした瞬間に「またいつものだ」という強いマンネリ感を覚えたことは否定できず、ほんの10分ほどですけど、その感覚を乗り越えるのには結構なパワーを要しました。オブリビオンとフォールアウト3でオープンワールドゲームの基礎部分はすでに完成してしまっており、その後の15年間(15年間!)は与えられた共通の幹に対して自由度の振り幅とビジュアルのガワをどうするかの試行錯誤が個々の作品の違いを作っている状況だと指摘できるでしょう。少し話はそれますが、左右のトリガーでアクセルとブレーキ、アナログレバーがハンドルという「いつもの」車の操作には少しも慣れません。どのゲームも挙動が異様にセンシティブで、ふつうに車線を守ってまっすぐ走ることすら難しく、そろそろ前例踏襲でない操作性に登場してほしいところです。ネチネチ難癖つけた感じになりました(いつもの)が、ひさしぶりにコンプリートしたいと思える大作ゲームだということは、間違いありません。

 あと、ちんちんの長さや真性か仮性まで選べるのには感動しました。私はキリスト教徒ではないので、割礼なしのビガー・チンポを選びましたが、今後ゲーム内でこの特殊パラメータ(性器の長さ)がなんらかの影響を与えることを期待しています。

 サイバーパンク2077、毀誉褒貶あるようですが、オープンワールドRPGなんてのは2年ぐらい経過してMODが出そろってからが本番なので、今のところ楽しんでプレイできています。世界観に合わせて、草薙素子とかスパイクとかネオ(キアヌ!)みたいなロールプレイを心がけて進行してきましたが、アラサカ社に潜入したあたりから戦闘が厳しくなりはじめ、リトライ地獄と化してきました。敵の体力がアホみたいに多すぎ、FPSが苦手でエイムが下手すぎ、頼みの綱のグレネードの威力が弱すぎ、ハッキングのシステムがわからなすぎ、銃撃もステルスもうまくいかず死にまくりなのです。おそらくサブシナリオやトレハンでキャラを強化しながら進めていく前提のバランスなのでしょうが、メインストーリーを進めたくてしょうがないイラチの私が最終的にたどりついたのは、被弾しながら無理くり近づき、強パンチからの左右ラッシュでボコボコに殴りたおすというステゴロ花山薫プレイでした(じっさい、強化外骨格でも仕込んであるのか、銃でのヘッドショットよりも強パンチの方が3倍くらいダメージが出る)。そしてデジタル娼館で刀を入手して以降はブレードのパークを取りまくり、近接戦闘の手段が殴打から斬撃に変わりました。ついさっきも、エヴリンを奪還するために発電所へ乗りこんできたのですが、同行するジュディが「隠れて、見つかっちゃう」とか小声でいさめてくる(いちいちかわいいんだからコイツ、もう!)のを尻目に、監視カメラも索敵もガン無視して抜き身を引っさげ猛進し、狭い室内でキチガイのように刃物を振りまわしまくり、八つ墓村(あるいは津山三十人殺し)プレイで鏖殺(みなごろし)にしてやりました。PC版は死体欠損ありなので、四肢や生首があちこちに転がって、画面越しにも濃厚な血の匂いが漂ってくるような凄惨きわまる現場だったことをお伝えしておきます(もはやロールプレイもクソもない)。思うんですけど、オープンワールドRPGの近接戦闘に足りないのは、蹴り技ですね。ここはキアヌをキャスティングしていることですし、思いきってこの世界観でバーチャファイターの格闘アクションを導入してーーってそれ、シェンムーやないかい!

 (刀を正眼に構えた小鳥猊下がモールの中央で銃を持った輩の集団に囲まれながら)早くも37564戦法が限界を迎えるとはッ……!! 「発砲には2アクション必要だ。刀なら1アクション、この距離なら確実に私の方が速い」とうそぶいていたあの頃がウソのよう……!!

 年末恒例「慈愛のようす」、今年は高度36,000km、軌道ステーションに格納された魂の座「神輿(みこし)」よりお送りします。眼下のジャンク街では、様々の煩悶や葛藤がありましたが、すべては漂白された遠い過去となり、いまは満ち足りた穏やかな気分です。わずかの余命を伴って地球に帰ることもできのたですが、魂をデジタル化するという体験へのSF的な興味がわずかに勝りました。その瞬間まで主人公としてのロールプレイを心がけてきたのに、「最後の選択」では画面の前に座る現実のプレイヤーとしてふるまってしまったというわけです。魂を肉体から分離したあとは、銃夢の続編のような宇宙規模のお話が展開するのだろうとワクワクしていましたが、そのままスタッフロールに突入したのにはガッカリさせられました。ともあれ肉体を喪失し、青いホログラムとして机上に投射された状態ではありながら、今年も「慈愛のようす」を粛々と執り行ってまいります。皆さまからの問いかけすべてに丁寧にお答えしていきますので、遠慮なくお声かけ下さい。もちろん、萌え画像などの寄贈もお待ちしております。致死バイラスの蔓延により外出を禁じられるというSF的展開による皆さまの無聊(あるいは多忙)を、少しでもなぐさめられればと思います。

 ゲーム「サイバーパンク2077(2週目)」感想