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ゲーム「原神・Luna2」感想

 原神のバージョン6.1、別称「ルナツー」を実装部分までクリア。話が前に進んでいたころの日本ファルコムや、世界の謎に迫ろうとしていたころのスレイヤーズ!を彷彿とさせる展開になっており、「五大罪人」のひとりをナド・クライの総力戦によって、討伐・封印するところまでが描かれる。ストーリーのクオリティに文句をつける気はないのだが、新マップをいっさい追加せずに、セリフのかけあいと豪華なムービーだけでお話が進んでいくのは、原神というより崩壊スターレイルの手法になっていて、社内の別チームから悪い学習をしているなと感じた次第である。大トリのクライマックスにひかえるイベント戦闘も、どんなになぐってどれだけ元素爆発しようと、なぜか敵の体力は0.1ミリずつしか減らず、たいへんにイライラさせられるものだった。原神の魅力をズバリ言えば、簡易な操作による爽快アクションとギミックの作りこまれたマップ探索なのに、今回の更新部分にはそのどちらもが欠けていて、鳴りもの入りの広報で盛大に幕を上げ、タイトルロゴにまで併記された「空月の歌」の先行きには、すでに暗雲が垂れこめているように感じてしまった。もっとも、「少女」がプレイアブルとして実装されたあかつきには、雷電将軍ほど課金しようと心に決めているため、おのれのふるまいが「母乳の味に文句をつける赤子」みたいなものであることも、理解しているつもりである。

 ひらきなおって母乳への文句を続けると、原神がまだ海のものとも山のものともつかない中国産ゲームだった時代に、単価の安さが理由で選ばれたのだろう声優による、台本にないアドリブを入れまくったドリーの演技が、耳にした瞬間にサブイボがたつレベルできつくなってきた。どうせすぐにサービスを終了する泡沫の中華アプリだとタカをくくり、前日の酒が残った状態で中国語原文を無視した巻き舌とかドモリとか間投詞を入れまくったオフザケを仲間内でゲラゲラ笑っていたら、あれよあれよというまに原神は世界的な超ヒットとなってしまい、背中に流れる冷や汗とナメた姿勢への後悔をぬりつぶすかのように、いっそうアドリブを過激化させていったというのが実情ではないかと推測する。これまでの脇役的なあつかいなら、まだ捨ておけたかもしれないが、ナド・クライにおけるサングマハベイ氏は、メインストーリーにガッツリとからむ主演級のあつかいへと昇格してしまった。過去に姉を亡くしている設定など、ドリーを深掘りしていこうとする制作側の意志を感じるし、そろそろヘンな抑揚の西風騎士(名前失念)ともども、キチンとした演技のできる正統派の、単価が高い声優で全セリフを録音しなおすべき時期が来ているのではないだろうか。

 さて、いよいよ本アップデートにおける最大の懸案事項である、「星々の幻境」a.k.a.原神ツクールにふれていくことにしよう。まず最悪なことに、軽い気持ちで当コンテンツにログインし、テキトーに鼻歌まじりで着せ替えドールを作成したところ、本編のキャラクターリストに珍妙な同人誌みたいなオリキャラ(それはキミのせい)が追加され、なんと永久に削除できなくなってしまった。見た目をマシなものに変更するガチャの石を集めるため、他のユーザーが作ったミニゲームを泣く泣く遊ぶハメになるわけだが、まあ、どれもこれも、まともにクリアまで動けば御の字で、ゲームバランスなんてまったく考慮の埒外にある、最大限ひかえめに表現したとしても、タワーリング・エス・エイチ・アイ・ティーみたいな内容のものばかりなのだ。「ときどき粗悪品にふれないと、一級品の良さがわからなくなる」とはよく言ったもので、アマチュアの作る数々のガベッジにふれたことで、メタファーサイレントヒルfにはいたツバをのみこみたい気持ちにさせられた(マシンチャイルドは除く)。作成ツールのほうにも少しさわってみたものの、できることは膨大に提供されながら、トリセツもなく講師もいない、LEGOプログラミング教室のアッパー・バージョンみたいな手ざわりに、早々に離脱せざるをえなかった。「星々の幻境」のデイリーをイヤイヤ消化していると、小学生対象のプログラミング大会で審査員席に座らされた、どれもこれも赤点以下のクラップなのに、80点から100点のレンジで評価をつけるよう運営側から厳命された、現役プログラマーみたいな気分になってくる。

 そもそも、どうしてこんなハードディスクの容量を圧迫し、ネットのトラフィックを増大させるだけのジャンクを、高級な白磁の壺へ投げこんできたのかを分析すれば、中華の心性に由来すると指摘できるだろう。三体や原神や崩壊スターレイルでくりかえされてきた「個人の肉体が不滅と化したところで、精神の摩耗はわずか数百年を耐えない」という考え方がそれで、さらに内奥へ横たわるのがなにかと問えば、「永遠の繁栄を約束するものは、すなわち”家族”である」という思想なのだ。それは同時に、世界各地の中華街が体現する、中華人民の美徳と悪徳が表裏となった「生き汚なさ」の正体でもある。原神の本編は、いよいよロシア相当の国家であるスネージナヤを残すのみとなり、このままのペースでいけば2、3年のうちにメインストーリーを語り終えてしまうところまで来ている。地平線のかなたに見えはじめたエンド・オブ・エターニティを前にして、中華の心性にひそむ「生き汚なさ」がオートマティックに発動し、多国籍からなる数千万人のユーザーたちに、原神世界を永遠につむがせる方策をあわてて考案したのにちがいない。しかしながら、その決断が開発リソースを圧迫し、原神本体のゲーム体験を毀損ないし劣化させていることは、大きな問題だと言える。フォンテーヌまでの冒険と、ナタ、そしてナド・クライにおけるそれは、ほとんど異なるものになっており、根本的な原因は、新規マップを導入する頻度のあからさまな減衰だと指摘できるだろう。

 冒頭にも述べたように、原神の楽しさの本質とは、ストーリー進行と密接にからみあった新世界の探索であり、崩壊スターレイルとはちがって、セリフとムービーの紙芝居だけで自立できる物語強度を持つわけではない。制作陣が早くこの事実に気づき、しょうもない原神ツクールに貴重な人員と工数を割くのをやめて、まずは本編の物語を最高のクオリティで語りきるのに注力してくれることを、心から願っている。ここまでを読みかえすと、驚くほどに愚痴ばかり(いつもの)となってしまっているが、「傀儡」がプレイアブルとして実装されたあかつきには、炎神ほど課金することも辞さない萌えコションの手によるテキストであることを、まずもって諸君は念頭に置くべきであろう。終わる。