猫を起こさないように
ワールドカップ
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雑文「Captain T., Blue Leg and J. Dream」(近況報告2026.7.19)

 気むずかしげな見かけと文体をしていながら、根の部分がミーハーなので、最近は世界球蹴り合戦の影響を受けて、密林の無限焚書でサッカー漫画ばかり読んでる。まず、大定番であるキャプテン翼の小学生編ですが、いまではギョッとするようなラフプレーの数々を審判が流しまくり、まったくファウルもとらずカードも出ないのには、ビックリしました。小学生にケガの状態を自己判断させすぎだし、気温35度の炎天下で試合を決行するし、これが年をとったということなのでしょう、無責任な大人たちによる大会運営のずさんさばかりが印象に残りました。それにつけても、作者の加齢によって世界的な人気作品が、オリンピック編の下書き連載で終了しそうなのは、じつに残念なことです。いまはタイトルも思いだせない、プレートを目いっぱいに使って対角線上に速球を投げこむことを、クロスファイアと呼ぶ野球漫画を無かったことにして、キャプテン翼の話数を積み増すことができたらとさえ思います。ナレーションで過程をスッとばしていいので、最後のページは翼くんと若林くんがワールドカップをかかげる見開きで終わることを願っています。くれぐれも現在、人気の長編作品を連載されている漫画家のみなさまは、50代半ばくらいでご自身には寿命があり、そこからは目も体力も衰えていくばかりだと自覚してくれればと、思わずにはおれません。

 次に、エッキスで評判のいいアオアシですが、20巻をすこし越えたあたりまで読んだものの、全巻の半分を過ぎてもしょうもない国内レベルの試合(失礼)で、あれだけ圧倒的強者として描かれてきたユースAチームが、無計画の場あたりサッカーで大苦戦するのを延々と見せられると、もしかしてハイキュー!!エンドa.k.a.尻切れトンボなのではないかと、だんだん不安になってきました。一試合もどんどん長くなっていて、それは敵味方の双方の過去エピソードを挿入しまくるせいなのですが、「群像劇になると、主人公の特別性が薄まる」を地で行っており、サッカーの戦術にフォーカスがある漫画のはずなのに、「選手の感動エピソードが入ると、試合が大きく動いたり、点が入ることが事前にわかる」という妙な具合になってきております。このまま読み進めていいものか迷っておりますので、有識者のみなさまにはぜひアドバイスをお願いします。最後に、もっとも感銘を受けたのは「ドーハの悲劇」の前から連載がはじまったJドリームです。自分の家ではない本棚で読んだような記憶はあるのですが、全シリーズを通読したのは今回がはじめてだったように思います。特に無印の1巻は、「Jリーグ発足に間にあった者と、間にあわなかった者」にフォーカスしていて、今日にいたる本邦サッカー界の大幅な躍進の裏に、無数のこういった苦難や挫折があったのだと気づかされ、見えている現実が厚みを増す感じさえありました。

 また、2巻以降の主人公である少年には、「日本のワールドカップ出場を手だすけするためにつかわされた、正体不明の異国の鳥」としての描写があり、そのように美しく物語は閉じられるはずだったのに、現実ではまさかのロスタイム逆転負けを喫したせいで、盛りあげに盛りあげたストーリーも、泣く泣くそれにあわせる形で「本戦出場ならず」を結論として、尻すぼみに幕を閉じてしまいます。ここから、さらに4年後のワールドカップ出場とフィクションとの同期をもくろみ、Jドリームは「飛翔編」として再起動します。簡単にまとめると、ユース世界大会において、日本がアルゼンチンとイタリアをやぶって優勝するという会作なわけですが、これだけの活躍をしたファンタジスタ(笑)の主人公が、続く「完全燃焼編」では当時の本邦の状況を反映させられてその輝きを失い、イランやサウジアラビア相手に大苦戦を強いられる展開には、もうまいりました。このあたりから、「背景より人物を描きたい」とのたまう作者のクセが悪い方向に出はじめ、異様に近いカメラとバストアップの連続によって、画面は窮屈かつ閉塞感に満ちたものとなり、サッカー漫画版・修羅の門(なんじゃそりゃ)みたいな読み味になっていくのです。それでも、日本のワールドカップ本戦初出場にあわせた最終ページの、「夢物語をやめよう」というナレーションには、ジンと胸をうつ力がありました。

 さすがに若い人が全巻とおして読むのはたいへんだろうので、この駄テキストで興味がわいた向きは、無印1巻と完全燃焼編の最終話、そして当時の日本サッカーの赤裸々な状況がよくわかる各巻末のコラム漫画を読むとよいでしょう。あと、作者が女性であるからなのか、小鳥猊下が栗本薫の影響下にあるせいなのか、登場するすべてのキャラクターに”受け”か”攻め”かの連想を強いる感じがあって、キャプテン翼には無数にあったようですが、本作にもそういった同人誌(婉曲表現)が存在したのかは、気になるところです。そして、新旧代表キーパーのどちらが”受け”でどちらが”攻め”なのかは、一目瞭然と言えるでしょう。へへ、おまえ、代表戦とちがって、こっちのゴールはだらしなく開きっぱなしじゃねえか……(最低)。

漫画「呪術廻戦モジュロ」感想

 呪術廻戦モジュロ全3巻を、温泉と漫画喫茶が複合したような施設にて読了。本編のその後を描く短期集中連載で、わざわざ作画担当を別に立ててのぞむというのだから、事前の期待はかなり高まっていました。結論から申せば、「設定を作るのが好きで、描きたいシーンはあれど、ストーリーテリングが下手」という薄々は感じていた作者の弱点を、赤裸々に露呈した作品になっています。冨樫義博に影響を受けて、本筋とは関係ないサブキャラをつっこんでくる手クセも健在で、致命的なのはコピー元とちがって、それらに主役を食うような魅力がまったくないことです。じっさい、サメのカブリモノをした呪術師が登場した瞬間、どうでもよすぎるあまりいったん単行本を閉じて、汗を流しにサウナへと向かったほどでした。思いかえせば、本編も五条悟のキャラ造形だけが突出していて、サブキャラのバトルはけっこう読みとばしがちでした(高羽史彦は例外)。また、これまではかろうじて臭みにいたっていなかった「政治や世相にモノ申したい」「おのれの思想信条を語りたい」「大上段から一方的な高説を垂れたい」という気持ちが、本作ではビックリするほどダダ漏れになっていて、この作者はファンガスのフォロワーでもあると聞きおよびましたが、そんな悪癖の部分をマネしなくていいのにと思いました。そもそも設定の大元が「宗教による民族対立」「移民難民への差別」「エネルギー資源の枯渇」などの社会問題を、宇宙人と謎パワーにあずけて語る目的で立てられていて、作劇としてはほとんど「はじめに、説教ありき」になっており、前作の続きを期待するファンにとっては本末転倒もいいところでしょう。5万人を収容できるモノリス型宇宙船も、謎の鉱石から設計図もなしにマジカル呪力錬成で一瞬(ひとコマ)のうちに完成するし、恒星間航行を可能にする推進力はまったくの不明で、そのあいだの衣食住をどうまかなったのかにはいっさい言及がなく、そもそも5万人を収容しているスケール感を作画のウソでごまかしきれていません。

 新キャラである「三つ目がとおる!」も最初のバトルでの開眼でオッと思わせたのが最高潮で、そのあとはギミックとして完全に消滅します(なんで涙を流すの? 重力操作じゃなかったの?)。そして、なんら伏線も脈絡もなく脳腫瘍におかされている設定をつっこんできたかと思えば、意識が混濁した状態の女子を車椅子ごと飛行機から放りだしたのもビックリで、そこにいたる組み立てが下手クソすぎるため、「ウナゲリオン降下と同じ構図が描きたかった」以外の理由を見つけることはできません。とにかく徹頭徹尾、虚構を虚構として成立させるためのビルドアップが雑なせいで、印象的になるはずの数々のシーンが、どれもウソくさいものになっているのです。ビッシリと紙面を埋めるネームの多くは、登場人物のセリフに仮託した作者のウンチクーーキャッチボールの説明、いる?ーーか説教で、わずか3巻なのに遅々としてストーリーは前に進まないばかりか、次第にどの方向が”前”なのかもわからなくなってくる始末です。新世代のキャラたちの魅力を充分に表現することができないまま、物語をまとめるためだけに旧作の最強キャラ2名を引っぱりだしてきたのには、思わず「ワレ、なにがしたいんや」のツッコミがもれました。純粋に後日譚として見ても、孫子の代まで時間をスッとばし、前作の腫瘍、じゃなかった主要キャラはのきなみ死んでいるかジジババになっていて、主人公だけが不老不死の「さまよえるオランダ人」として生きさらばえているのに、はたしてファンのみなさんは納得しておられるのでしょうか。あまつさえ、その口から特級呪物・イコール・両面宿儺と同じ存在になるだなんて言いだして、「有限の者たちによる継承と、巨悪をうがつ市井の小さな善意」というFGOを彷彿とさせる前作のテーマと結論を、すべて台無しにしてしまうのです。

 じつは、世界球蹴り合戦を気のないフリで7大会ほど横目に見てきているのですが、「個人を越えた継承による集団の成長」をこれほど強く実感させられるイベントはありません。だれひとりボールを足下でキープできず、わずかのプレッシャーでバックパスに次ぐバックパス、撃つシュート撃つシュートすべて枠を外れた宇宙開発、中央を突破できないからサイドで縦ポンするほかなく、コーナーキックからの偶発的な事故でしかゴールは期待できず、1点先制されたらどれだけ時間が残っていてもたちまち終戦ムード、技術は低くプライドは高くチームの雰囲気はつねにギスギス、往年の名選手に「私なら両脚にギプスをはめていても決めることができる!」とまで言わせたキュー・ビー・ケー、専属のカメラマンに撮影させるためのトラベラーによるフィールド寝ころがりなど、数々の茶番をリアルタイムで苦々しく見てきたからこそ、本大会におぼえる感慨はいっそう強いものとなっております。突然のサッカー方向への脱線でなにが言いたいかといえば、シンジさんの孫たちと宇宙難民をさしおいて、物語のシメに「未来永劫にわたり存在し続ける虎杖悠仁」をお出しするのは、ファンサを越えた本編への冒瀆と作者の自己満足であり、チームプレイをガン無視してボールの供給だけを求めるロートル・ストライカーみたいな醜悪さであると感じたということです(げいかくんのごういんなイグザンプル!)。あと、ジェネリック・ファンガスであるがゆえの疾病だろうと推察しますが、そろそろ「フィクションが世界を救う」という妄想ーーもちろん、個人を救うことはありますーーから距離をおいたほうがいいとアドバイスして、この低級テキスト呪物を閉じたいと思います。

雑文「世界球蹴り合戦、その本質」

グループリーグ進行中

 7大会ほど世界球蹴り合戦を見続けてきながら、いまだにニワカファンを自認している場末の皇族である。「知識の蓄積によってバランスを失い、レーダーの感度が下がることを嫌う性向」は、どの分野においても私がおたくになりきれない原因だろう。話を戻すと、「4年に一度」というのは世代交代と技術継承を目途とした、人間版の式年遷宮みたいなものであり、世界規模の大きな流れに身を預けて浮いている感じがとても好きだ。いま記憶に残っているものを3つ挙げるとするなら、「高校選手みたいな動きなのに、なぜかヘディングだけで点を取り続けるジャーマン」「漫画なら明らかに脇役のオモシロ容姿なのに、なぜか一人で組織をブチ破るブラジリアン」「力石徹みたいなバシバシ睫毛で美形なのに、なぜか決勝戦で選手にヘディングして一発退場になったフレンチハゲ」であろうか。最後に挙げたものについては、激情のさなかでも手を使わない、ジョブ「球蹴り士」連中の本性を垣間見た気がしたものだ。ヤツらはきっとパブや路上におけるケンカでも、頭と足だけで戦うにちがいない。

 そして何より、このニワカが世界球蹴り合戦に強く感じ続けてきたのは、東洋人へ向けた西洋人のゾッとする差別意識である。普段の生活では理性の力によって99%を抑えこまれているその感情が、勝負のアヤを迎えたり形勢が不利になった瞬間、相手チームだけでなく審判のジャッジごと噴き出してくるのだ。言葉にすれば、「アジアの黄色いサルどもに、文明の長たる西洋諸国が劣るなどありえない」という、歴史に根ざした強烈な優越感情である。心の奥底に潜む殺意とも似たそれが、ゲームの結果にまで影響を及ぼすのが世界球蹴り合戦という舞台であり、その場所は令和を迎えてなお、私の中にある「物心ともに汚らしい昭和」と類似したイメージを保持し続けてきた。それが本大会ではどうだ、ピッチ全域に感情も国籍もない人工知能の目がはりめぐらされた途端、バーバリアニズム最後の聖域から人種差別は一掃され、清浄なる公正が実現したのである。球蹴りの本質と骨がらみで切り離せないと信じていた汚辱が、いとも簡単にヒョイと外科手術で分離されてしまったことに、得も言われぬ感動を覚えている。

 もしかすると人間世界は、良い方向に進むこともあるのかもしれない。

質問:サッカーワールドカップのことで質問です。VARのおかげで「人種差別は一掃され」と書かれていますが、どのへんを見てそう感じられたのですか?
回答:具体的には、アルゼンチン対サウジアラビアとスペイン対日本の試合です。これまでの大会ように人間のレフェリーだけだったら、どちらも結果は逆になっていたでしょう。いろいろ記事を眺めていたら、さっそくVAR廃止論が持ち上がってて、笑いました。西洋諸国のホワイトな方々は、悪い意味でブレませんねえ。自由があれば「自由を我らに」と叫ぶ必要はないし、差別がなければ「差別をなくそう」と叫ぶ必要はないのです。

アルゼンチン対オランダ戦後

 ごめん、やっぱこれ撤回する。サッカーって、バーバリアニズムの聖域だわ。