諸君、アインシュテュルツェンデ(崩壊、の意)! 小鳥猊下です。
先のツイーティングで著名人にとってのツイッターを鋭く分析しながら、諸君のような一般ピーポー(救急車、の意)へ言及しなかったのは、全くの片手落ち(右手ないし左手に先天的あるいは後天的な器質の欠損がある、の意)であったことを深く反省している。
小生があまりにネット上で著名すぎるための見落としには違いない。しかし、言い訳をさせてもらうならば、今回の状況は諸君が蟻を踏み潰したのに気づかぬのと同様であるし、アスファルトに転がる蝉の遺骸が諸君の接近に伴い飛び立ったときの驚愕と同様である。
小生の著名さを表す逸話として、雨戸で閉めきった四畳半で平日の昼日中に「今や小鳥猊下はキリストよりも有名だ」とつぶやき、全国各地の耶蘇教を信奉する施設から抗議の電話が殺到しなかったことは、諸君もよく知るところだと思う。
閑話休題、なんとなれば、nWoは諸君のような名も無き無辜の市民の盲(右目ないし左目、あるいはその両方に先天的もしくは後天的な器質の欠損がある、の意)をとくために前世紀から(前世紀から!)存在しているのだから、あえて今回の御幸に恐縮することはない。
結論から提示するならば、諸君のような一般ピーポーにとって、ツイッターが有効に機能するために必要なエレメント(リュック・ベッソン、の意)は、人格ないし幻想の共有である。
例えば、現実に面識・交流があれば、「大便でした」等の意味不明の妄言的ツイートであっても、小学生時代、かの君が調理実習中に行った排便を想起して、たちまち文脈を立体化できる。
例えば、同じ萌えゲーを愛していれば、「君子ちゃんマジ君子」等の意味不明の妄言的ツイートであっても、冠位十二階の制を題材にしたあの美少女ゲームのことだなと、たちまち文脈を再構築できる。
そして、諸君とnWoはあらゆる現実を共有していない。連続性のあるツイートによって再三、小生が文脈構築を試みるのは、この事実を認識するがゆえだ。
さらに言うと、就職すれば職場の愚痴、結婚すれば家庭の愚痴のような、肉の養生に魂の独立を絡めとられているストレイト・ツイーティングを嫌うゆえであり、いかに現世から遊離した架空に浮き足立てるか、嘘と猥褻とアレを追求できるかに挑み続けたいがゆえである。
アレが何を指すのかはあえて伏せるが、まったく今回の文脈から乖離した豆知識としてツイーティングするが、回教徒の結婚および性交可能年齢は開祖の言行録に照らして、女子において9歳であることを付け加えておく。
では諸君、ノイバウテン(バウテン、ノイ。ではなく、再建、の意)!