『鈍感がクセになって、賞賛はウソばっか』
我が子を食らうサトゥルヌス(鏖殺)! きょうはアタシみんなにあやまらなくちゃならないことがあるの! 西の情弱エリア在住とか耕運機にまたがってフカシこいていたけど、よくよく調べてみたらピンドラが世界でいちばん早く放映される情強地域在住だったの! アタシのTLではピンドラのネタバレ禁止とかトラクターの上から見下してチョウシこいてたけど、いまから22話のネタバレ感想するね! ゴメンね! てへぺろ(シュヴァンクマイエル作品のリアルな舌で)!
今回は「ぼくたちはあらかじめ失われた子ども」とか「あれは美しい棺だった」とか、監督の自意識が漏れだしてるセリフを、キャラクターが与えられた自我を越えて話す場面がいくつもあったけど、アタシこういうのだぁい好き! 作り手が客観性を失うほどの情熱で作品に入れ込んでいることの証拠だから!
あと、ピクトグラムの警官が死体になった瞬間にリアルな描写に変じる場面の、監督の「ドヤァ!」が聞こえてくる感じがすごい好き! 書き割りに過ぎなかった他者が死によって実在感を取り戻す、このワンメッセージ、ワンシーンのために21話の演出を積み重ねてきたんだぜって表情が見えるようなの! この演出で監督が感じているだろう気持ちよさは、例えるなら21日後にオナニー解禁って感じかしら? きゃっ(羽生生純が描写した両手で酒焼けに紅潮した顔をおおう)!
何が言いたいかっていうと、他者にとって書き割りに過ぎない自分を想像して、日々無力感と無効力感に甘く痺れているアタシだけど(電気フグを装着した股間のアップ)、それを乗り越えて何か発信しようって気にさせる情熱を伝播する作品ってホントすごいわよねってことなの!
……そして、世界にとっての書き割りに過ぎないという事実を打破するには、現代社会ではほとんどの個人にとって自殺と他殺しか手段がないということだ。結局のところ、「死」だけが重要なのだ。自らに死を与えたものの芸術や、他者に死を与えたものの教義、それらが論理や科学の分析を超えた不可侵の意味をまとう様を見よ。この世界には何かがいる。超越的な何かが。それは断じてすでに名付けられた神などではない。そう、すべてが暴かれたこの場所では、ただ「死」だけが重要なのだ。
ドヤッ!