猫を起こさないように
メタファー
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雑文「STARRAIL Odyssey and METAPHORIC Student Activism」(近況報告2025.8.24)

 崩壊スターレイルの最新バージョン3.5を読了。内実はプラモなのを駄菓子として販売するため、小さなガムを申しわけに同封していた往年のビッグワンガムを思わせる、内実は大河小説なのを課金ゲームと強弁するため、木枠のチルトでビー玉を外に運ぶ”知育玩具”を申しわけにマップの片隅へと置く仕草には、思わず笑みがこぼれました。先のビー・エル騒動からもうかがえるように、大陸では漫画や小説に対する当局の検閲があまりに強すぎるために文化として育たず、それらの分野をこころざす若きエンタメの才能たちは、すべてアプリゲームに集結していくとの指摘をどこかで読み、ホヨバという会社への解像度があがった次第です。最近の原神は、なんら構造性のない平板な「家族愛の一本槍」をふりまわすばかりで、当初の浮かされたような高熱は、ほぼ平熱まで冷めてきていますが、ストーリーテリングだけに特化した崩壊スターレイルのバージョン更新は、「世界最高峰の最突端を、現在進行形で走っていると信じる者たち」の輝かしい才気と荒々しい自負が、挫折した創作者の魂を熱狂でふるわせるのです。登場するすべてのキャラクターたちは、「大きな物語」を駆動するための狂言まわしとしての役割をあたえられ、あえて悪意的に言えば、本邦のそれらとちがって、物語を剥奪されたときに単体で自立する強度は、まだ持ちえていません。これはおそらく、「当局の検閲を意識するため、性的なニュアンスをあからさまには付与できない」ことに起因していると分析しますが、同時にシンエヴァを極北とした「キャラクターが、世界の構造に優越する」物語群に堕することから、遠ざけてくれているとも言えるでしょう。

 現段階において、「シミュレーション世界であるオンパロス」「オンパロスを演算するオペレーション世界」「スターレイル世界」「我々の住まう現実世界」の”四重入れ子細工”によって物語はつむがれているのですが、才能の枯渇したストーリーテラーにありがちな、そして近年、本邦の虚構で散見しがちな、”第4の壁“を越える愚だけはおかさず、おそらくのゴールである「シミュレーション存在の受肉」を語りきってほしいものです。これは、急速に発展する人工知能が人間という肉を介さずには、世界へ干渉できない事実に向けた思考実験であり、もっと卑近に言えば、「清潔な都会のデスクワーク」と「粉塵が舞う地方のドカチン」の対比であり、後者の環境で活動するためには、「アイの歌声を聴かせて」の感想でもチョロっと書いたように、ネット環境へ依存しない「安価で自立した、人間そっくりのガワ」が必要となり、そんなものはまだ世界のどこにも存在しないのに、だれもあえて言及しようとさえしない難題でもあります(ドカタ仕事は、無限リポップするとでも思っている、高卒ヤンキーにまかせとけと考えているのかもしれません)。

 いつものように話はそれますが、メタファー:リファンタジオに関する評をネットサーフィン(笑)でさがすうち、故・三浦健太郎と開発スタッフが対談する、数年前の記事を発見してしまいました(ゲームにうといウラケンがメガテンをほめまくるのに、「いやいや、それは金子一馬さんをはじめとする先輩諸兄の手がらであって……」ぐらいの謙遜さえないのには、たいそうムカつきました)。それを読みすすめるうち、プレイ中にずっと感じていた「恥ずかしさ」と「いごこちの悪さ」の正体がなんだったのか、ようやくわかりました。事前に予想していたとおり、制作の統括者たちとはほぼ同世代であり、この年代は学生時代にインターネット抜きの平和教育と人権教育を、べったりと魂の基底部に塗りつけられた経験があります。ゲームを起動すると、毎回ながれるムービーの冒頭に、市民が犬の獣人をののしって足蹴にするシーンがあり、これが本当に心の底から不快で、うっかりスキップに失敗したときには、プレイせずにシャットダウンしてしまうこともあるぐらいでした。その理由を言語化すれば、大卒で富裕層出身の全共闘がチンポみたいにゲバ棒をふりまわし、高卒で貧困層出身の機動隊をなぐりつける図式を連想させ、「部落差別」や「穢多非人」を小学生に語る大人の目の底にあった正義に酩酊し、反論をいっさい予期しない支配の強圧が臭気のかげろうとなって、眼前にたちのぼるのを幻視したせいでしょう。魂のおもてにこびりついた、コールタールのような黒い汚れをすっかりぬぐいとったはずなのに、遠目にはきれいな白い表皮から、あの特有のにおいはいまだ消えていないのです。この意味でメタファーの、主にストーリーに対する負の感情は、同族嫌悪に近いものだったと理解できますし、全共闘の大卒者たちが人生の最終盤をむかえて地上より消滅しつつある現在でさえ、いまだに彼らのあたえた色眼鏡を通してしか世界を認識できない人々の実在に気づいて、愕然とさせられます。

 崩壊スターレイルがわずか2年ーー6週間毎の大型アップデートを続けて2年ですよ、念為ーーで、人間存在の深奥にせまる巨大なSF叙事詩をみごとに織りあげつつある一方で、メタファーは7年もの歳月ーーウラケンも完成を見ずに亡くなってしまったーーをかけて、昭和の同和教育読本「にんげん」をファンタジー世界に再現しているのです。自戒をこめてテキストに残しますが、大陸の若き英才が文字通り、命を賭して虚構を通じた体制批判を敢行しているのに対して、単純な時間経過によって、上の世代が組織からロールアウトし、もっとも大きな責任をあずけられる立ち番になってなお、こんなイデオロギー未満の甘えーー両親、国家、権力者などへの攻撃ーーを捨てられない心性は、まったく恥ずべきものです。どうか若い世代のみなさんは、古い世代がさらに古い世代より押しつけられた価値観を忠実に体現するメタファーではなく、大陸の新しい息吹が現在進行形の世界と対峙する崩壊スターレイルから、人生への処し方を学んでください。

ゲーム「メタファー:リファンタジオ」感想(クリア後)

 ゲーム「メタファー:リファンタジオ」感想(開始35時間)

 メタファー:リファンタジオ、このウンザリするような超大作を95時間(!)かけて、ようやくクリア。「物語摂取」だけを考えた場合、映像やマンガなどに比べると、やはりゲームの時間あたりの効率は最悪です。このディスアドバンテージについて、物語そのもののクオリティや、ゲームならではの体験部分によって納得感ーー言い換えれば、映画40本に伍するエンタメという錯覚ーーをあたえるのが名作の条件であり、この意味で本作は、そのどちらにも失敗しています。最近のトレンドにあがっていたバクマンをひきあいに、週間少年ジャンプのアンケートシステムについて、「ワナビーの情念を火にくべて、当たるまで回し続ける物語ガチャ」と揶揄することもできましょうが、いわゆるAAA級ゲームを数百人が関わるプロジェクトとして立ちあげたあとの、制作撤回どころの話ではない、執行役員やメディアの前はもちろん、仲間であるはずの会社スタッフ相手ですら、ネガティブなことは微塵も言えないというスタークリエイターの地獄は、この対極に位置しているような気がします。メタファーの制作期間は7年の長きにおよび、制作チームのメンバー以外にも、さまざまな役割で本作が世に出ることへ貢献した人々がおり、彼ら/彼女らの中には子育ての時期がそのまま重なった方々も、きっと少なくなかったことでしょう。

 すでに成人してから、永遠をなかばまで生きている我々は、「キミ、ひとつのゲームつくんのに時間かけすぎや! いいかげん、オッチャンらの寿命のほうが先にきてまうで!」ぐらいの感じでヘラヘラ笑っていられますが、本来7年とは、新生児が小学生に、小学生が中学生に、中学生が成人をむかえるほどの、一個の無垢な魂が知恵と人格を身につけて、世界へと解き放たれるのに充分な、意味性の密度に満ち満ちた時間でもあります。基礎工事さえままならない、グズグズの沼沢地みたいな世界観とシナリオの上へ、多くの人生から年単位を供出させて、自立するかも不明な巨大伽藍の建造を強いる行為には、なんらかの罪名すらつくような気さえしてきました。鬼滅の刃が5年で連載を終えて、継続的なアニメ化による超ヒットが全国を沸かせているさなか、稚拙な政治観と浅い人間理解による陳腐きわまるストーリーを、ただただ制作費回収のために鳴り物入りで世に問わねばならないのは、良識ある人の親たちにとって、ほとんど恥辱と言えるのではないでしょうか(またもや週間少年ジャンプでたとえておくと、「10週で打ち切りになるはずの作品が巻末で7年の連載をゆるされ、単行本のリリースは随時ではなく、なぜか1巻から最終巻までを同時発売した」といったぐあいのイビツさです)。7年という時間は、たとえ大人であっても別人のように成熟ーーこの単語が人間に期待しすぎなら、変容ーーするのに充分な長さであり、個人的にも7年前に書いたテキストなんて、ちょっと怖くて読みかえせません。

 唐突に話はそれますが、最近の原神はナタ編の後半からずっと低調で、最新のバージョンにおいて、これまでなら時限マップにとどまったはずの夏期リゾート地を、正規マップとしてナタ本体へと合体させてしまいました(炎の印の数から判断して、確定事項)。くわえて、初期からの人気キャラであるベネットを「じつは、ナタ人である」としたのは、スターウォーズ8級なアトヅケのドッチラケで、いったん悪印象をいだくと幽霊になった両親との心あたたまる交流も、中共のプロパガンダとしか思えなくなってきます(次章のナド・クライを「ゴッサム・シティのような、原神という物語の中心地にする」との発言から、すでに開発リソースをそちらへ全振りしているのかもしれません)。「もうデイリー消化からは外して、ときどきログインするぐらいでいいかな……」とコントローラーを置きかけたところで、しかし、イネファの魔神任務に心を射ぬかれて、泣いてしまったのでした。たとえ悪性をもって生まれた者ーー両親との関係性や犯罪被害による、幼少期のトラウマと読みかえてもいいでしょうーーであっても、正しい人間関係と日々の生活を記憶や経験として積み重ねていけば、やがてみずからの悪性を乗り越えて、ついにはそれを消滅させることができるといった内容で、「別の人間を何人か育てても、いっさい変わることはなかったと思いこんでいたおのれの内面が、じつは善良なものに上書かれているのではないか?」というささやかな希望へ、救われた気持ちになったからかもしれません。このように、自己弁護ではなく、他者へ届こうとつむがれた物語は、書き手の見知らぬ場所で、大輪の花を咲かせることがあるのです。

 さわやかな感動から、話をけったくそ悪いメタファーへとイヤイヤもどしますと、「もしかして、このストーリー、全然ダメなのでは?」という、制作責任者として、周囲のだれに吐露することもできない、苦しい胸のうちを糊塗するかのように、物語終盤からラスボス撃破後のウイニング・ランa.k.a.長すぎる後日談にかけて、どんどん蛇足な補足の言いわけが、等比級的に増えていきます。あれだけ民主主義の価値を強調しておきながら、選挙なしで旅の仲間全員に国の要職をあてがうという、ゲバラとカストロも真ッ青の革命”オトモダチ”政権には、町のNPCから批判的なことを言わせ、暴力による政権奪取からわずか1年で、エンディングのためのエンディングを演出すべく、閣僚全員が統治の席をカラにして外遊へと出かけるさいには、「瞬間転移装置があるから大丈夫」と細かいフォローを入れます。山月記で虎が一晩だけ正気にかえるような、軍歌を耳にした恍惚の老人が一瞬だけ直立して敬礼するような、一種異様の「厳粛な滑稽さ」が本作の結部には満ちあふれているのです。「7年後の自分には、7年前の自分の頭がおかしかったとわかるが、数百人の人生をまきぞえにここまで作らせた以上、いまさら正気にかえるわけにはいかない」というガンギマッた悲壮感が、ひしひしと伝わって泣けますが、流れる涙のわけは悲しみというより、同情に由来するものだとお伝えしておきます。そして、まちがった世界設定をなんとか整合するため、どんどん言葉が増えていくのに対して、ゲーム部分はコピペダンジョンと使いまわしのエネミーで、どんどん先細りしてゆくのです(結局、最初に攻略したダンジョンが、いちばん豪華でギミックに富んでおり、制作途中での制作費縮減を疑いました)。

 さらに、ゲームバランスも調整不足を通りこして完全に崩壊していて、二度ともどれないくせに平坦な2マップだけの最終ダンジョンへと監禁されたあとは、ここまであれだけイジメのように制限をかけてきたMP回復が、なんと無料の無制限で解放されるのです! ストーリーをカレンダーどおりに進めたぐらいでは、とうていまかなうことのできない膨大なジョブ経験値をかせぐため、最終セーブポイントの半径数十メートルをぐるぐると何時間も周回する息ぐるしい作業には、ほとんど閉所恐怖症的なものを誘発させられ、アニメのながら見ーー瑠璃の宝石、おもしろいですーーがなければ、それこそ心がバターになってしまうところでした(わかりにくいたとえ)。満を持して登場するはずだった東京各地をモチーフにしたダンジョンは、7年にわたる制作費の蕩尽に業を煮やした執行役員の大ナタによって、渋谷?の1枚絵のみで処理され、ルシファーそのまんまの見た目をしたラスボス戦へと突入した時点で、”ニンゲン”なる表記は特に物語的な意味を持たない、メガテンの”アクマ”に対する逆張り連想ゲームにすぎなかったことが確定します。このラストバトル、強力なジンテーゼ持ち2枚とアルティメットガード役1枚をならべ、回避すると敵のターンをすべて潰せるブッ壊れーーおそらく、テストプレイが充分ではないせいーーアクセサリを装備したハイザメ先生を準備し、毎ターン同じコマンドを入力し続けるだけの”簡単なお仕事”なのですが、HPはほぼ無傷のままMPが先に枯渇し、MPを完全回復するアイテムを所持しているかの”持ち物チェック”が、最大の難所になるという腰くだけぶりでした。

 最高度に美麗な見かけをよそおいながら、ゲームや物語の内実がここまでそれと乖離している超大作ーー美女を誘蛾灯にする、ベルセルクの触に登場したモンスターを想起ーーは、近年まれに見る「羊頭狗肉の商売」ではないでしょうか。中高年期の貴重な余命である95時間を、生きたままむさぼり食われた哀れなこの先人の手記が、新たな犠牲者を生まないための一助となることを切に願います(人間の乳房の形状をした怪物の器官をもみしだきながら)。最後に言っときますけど、優秀なスタッフたちを飼い殺したまま、メタファーの完全版なんかに着手したら、ぜったいにダメですからね! 土台が腐って家屋全体が傾いてるのに、いまさら高価な家具を搬入したり、内装に凝ったってしょうがないでしょ! 仮に次回があるとすれば、彼ら/彼女らが子どもーーまあ、7年もの制作期間中に成人して、すでに家を出たかもしれませんけれどーーに誇れて、せめて学校でイジメられないようなものを作らせてあげてくださいね!

ゲーム「メタファー:リファンタジオ」感想

 前から気になっていたメタファーが蒸気のセールでほぼ半額になっていたため、ダウンロードして35時間ほどプレイ。本邦における「スタークリエイターの功罪」問題を極限にまで煮つめたような作品で、ここまでの印象をお伝えするならば、「最新の調理器具をそなえた、ビカビカにみがきあげられてホコリひとつない厨房に案内され、最高級食材の説明を受けていたら、奥からトップシェフが下半身まるだしで登場し、キメキメのポーズでとりだした小皿にぶりぶりと軟便をひりだすと、とめるいとまもあらばこそ、優雅な仕草でそれをフォン・ド・ヴォーに溶きいれだした」のを目のあたりにする唖然とでも表現できるでしょうか。すなわち、最高の美術とデザインに最低の世界観とシナリオーー「ライターはまともで、物語がエス・エイチ・アイ・ティー」なのは、めずらしいパターンーーという自己矛盾をはらんだ、FF16を彷彿とさせる「やっぱじんしゅさべつとせんそーはいくないし、なかまとみんしゅしゅぎはさいこー」な昭和時代のレフトウイングド平和教育の恩恵をぞんぶんに受けた、無思考的自動書記の脳天壊了ファンタジーになっているのです(システム面は後述します)。女神転生ではない新規IPを立ちあげるために、「王道ファンタジー」として企画され、7年もの制作期間を費やした本作は、近年の創作で言うなら「全修。」のような「自分の実力をカンちがいしたアホ」がやらかした感にあふれています。海外の児童文学と、たぶん偉大なるドラクエの影響から、本邦ではファンタジー作品を「気軽に作れるもの」として、フィクションのうちでも下に見る傾向がある気がしますが、本来はル・グゥインや栗本薫トールキンのようなレベルの創作者たちによる、作家人生の円熟期に全知全霊をかけた、世界をまるごとゼロから構築するヤハウェにひとしき御業(みわざ)なのであり、言語と文化はもちろん、歴史と宗教、重力の規模や大気の組成、物理法則や公転周期にいたる「ほしのなりたち」のすみずみにまで通暁していなくてはなりません。

 個人的に、生殖と交雑についての言及がゼロなのは大問題で、8つの種族のうち、どれとどれの生殖器が合致し、どれとどれが交配可能で、どれとどれが一代雑種にとどまるのかは、良識的なプレイヤーに生じて当たりまえの疑問でしょう。トールキンの強い影響下にあるD&Dをダイレクトに孫引きした、半世紀前の和製ファンタジー群ですら、「美形のエルフと人間のオッチャンはセックスできるヨー! チンチンマンマン、チンチンマンマン!」みたいないきおいで、ハーフエルフを登場させるぐらいの機転(性欲?)はありました。他ならぬクリエイター本人に聞いても、この質問に対する回答がまったく用意されていないことを想像できてしまうのは、アセクシャルな性嫌悪の時代を象徴しているとは言えるかもしれません。そして、ファンタジー世界を構築する上でなにより重要なのは「固有名詞のセンス」であり、貴族にはルイ(サイファー?)、武人にはなんたらベルグ、ミノタウロスまんまの見た目をした敵はモジってグプタロスみたいな、3秒の思考も感じられない借り物のネーミング(と、過去のメガテン制作者たちによる知恵の結晶である魔法名の丸パクり)で構築できるのは、「ファンタジーの王道」とはほど遠い「劣化した現実」でしかないのです。今後、小説を通じた民主主義の描写や、東京タワーの3Dモデルがオープニングに登場することから、真・女神転生4よろしく地下か天上に渋谷やら新宿が存在していて、「その通り、メタファー世界とは、我々が生きる現実の暗喩であり、その劣化が争いや差別の萌芽につながるという、一種の社会批評実験なのです!」などの、アタマが悪くプライドは高い人物(オマエが言うな!)による言い訳が用意されていたらイヤだなーと思っています。

 ゲームシステムについて言えば、そのまんまペルソナ5を踏襲していて、傑作と名高い同作を終盤でほうり投げ、クリアにいたっていない身には、かなりきびしい仕様であると言わざるをえません。なんとなれば、完璧なデータを作るためには日数とMPのリソース管理をかなり厳密に行わねばならず、後追いで攻略サイトをフル活用するばかりの社畜ゲーマーにとって、チャートをカタワらに置いて指呼確認しながら、他所様の粘液トラックを1ミリも外れないようなぞるだけの作業と化してしまうわけです(ペルソナ5はどこかでトレースしそこねて、「取りかえしのつかない要素」が生じたことに、嫌気がさしてやめた)。公転周期の話をしましたが、異世界なのに1ヶ月30日のカレンダーが存在するのも意味不明ーー週5日で日曜が多いのだけは好印象ーーで、本邦に住まう者たちの共有財産であるところの、学生生活を下敷きにしていたからこそ有効だったフレバー要素を、無思考でファンタジー世界に敷衍する態度には、「作り手の怠慢」以外の言葉が見当たりません。プレイヤーの行動を制限すればするほど、全体のゲームバランスはとりやすくなるのでしょうが、なにも参照せずにプレイを進めると適切な強化を得られず、明確な”詰み”が生じるのは、いかがなものかと思います。うすうす、このシステムの欠点に気づいているのでしょう、ネット経由で他プレイヤーによる同日の行動を見られる機能もあるのですが、溺れる者へ投げわたされる竹の棒くらいしか役にたちません。

 また、とりこぼしのないデータを作るためには、タイトなスケジュール管理を要求され、ダンジョンの低レベル攻略をなかば強いられることになり、20年間を改善なくこすり続けられているプレスターンとの食いあわせは最悪です。フォロワーが生まれないことからもお察しである、「弱点」「回避」「クリティカル」で彼我の行動数が増減する戦闘システムは、特に低レベル帯において運の要素を大きくしすぎるからです。ボスが最弱行動を選択し、できるだけ多く味方の回避とクリティカルが出ることを祈りながら、幾度も「戦闘をやり直す」ボタンを押すのって、RPGの楽しさからはもっとも遠い作業のように思えてなりません(しかしながら、「格下をフィールド攻撃で一掃でき、ダンジョンの出入りで敵が復活する」仕様を悪用して、無限にレベリングできることに気づいたあとは、いっきにヌルゲーと化してしまいました)。全体的に、用意された多くの要素がたがいにかみあわずチグハグとなっており、完全新規のゲームシステムを求めて、7年間をかけたスクラップ・アンド・ビルドをくりかえしたあげく、タイムアップでペルソナのシステムにもどしたような印象を受けます。最近、似たようなことを感じたゲーム、あったなー、なんだったかなーと考えていたら、モンスターハンター・ワイルズだった。また、タウンマップより遷移する全体マップからは各地のロケーションに直接は飛べず、いちいち鎧戦車へと移動しなくてはならなかったり、装備・アイテム・アーキタイプの階層が絶妙に使いにくかったり、7年間の建て増しによる弊害ーーステータス画面のデザインを変更できなかったのか、右下の余白に三角アイコンでジョブ着脱のボタンが追加されたのには、微苦笑しましたーーだろうとは察しながら、「日本人はゲームを作るのが、本当に下手になったなー」と思いました。最近、似たようなことを感じたゲーム、あったなー、なんだったかなーと考えていたら、ドラクエ3リメイクだった。

 ……などとブツクサ言いながらプレイしていたら、やっぱり出てきましたよ、現代都市が作中の古代都市として地下に眠ってるヤツ! あー、もう! こんな手クセのマンネリをいつまでも続けるくらいなら、前から言ってるみたいに、ファミコン版の女神転生2から関西をロケーションにして、順にリメイクしていきましょうよ! 梅田、なんば、天王寺、三ノ宮、四条あたりをダンジョンにして、奈良はフィールドマップで再現、東大寺、法隆寺、唐招提寺をめぐり、盧舎那仏、百済観音、鑑真和上をたおすと、興福寺の阿修羅戦がアンロックされる、簡単なメインクエストです! もちろん、文明は崩壊していますから、移動手段は徒歩のみとなります(暗黒微笑)。