猫を起こさないように
ポケモンレジェンズZA
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雑文「Mario, Pokémon and Switch2」(近況報告2025.12.14)

 フラッと立ち寄った家電量販店にスイッチ2が入荷されていたため、まったくその気はなかったにもかかわらず、衝動的に購入してしまった。そのまま自室の床に放置して1週間、スイッチ1からデータ移行してさらに3日間、バーチャルコンソールを通じてマリオ64と時のオカリナで郷愁を接種して1日、このままではいけないと、身内によどむ強力な億劫病を休日の力を借りておさえこみ、ようやくマリオカート・ワールドとポケモン・レジェンズZAをダウンロードするにいたる。以前からたびたびお伝えしているように、ニンテンドーのゲームが持つ唯一の弱点は、「ただひたぶるにゲームのみへ没頭する」ことを、プレイヤーに強要しすぎるところである。1日の終わりに2時間も余暇を持てれば御の字であるところの、昭和の働き方をなぜか令和に敢行しているーー謎の定額サービス「働かせホーダイ!」下においては、すべての労働法規がキャンセルされるためーー社畜系美少女マネジャーにとって、これをゲームだけに消費するのは、あまりに現実的ではないと言わざるをえない。よって、これから述べるのは1日20分程度をそれぞれ数日あそんだぐらいの、酷薄(こくすい)印象レビューにすぎないことを、あらかじめお断りしておく。

 マリオカート・ワールドは、多彩なキャラクターと変化に富んだコース、ポップな色調による秀逸なデザインに加えて、もはや懐メロと化した過去作群からの膨大な楽曲が、ハイレベルに融合した傑作であることを頭では理解しながら、三島由紀夫転生体であるにも関わらず、ディズニーランド的なるものにまったく興味を持てない身にとって、すべての表面的な虚飾を削ぎ落としていった先に残る本質は、ファミコン版F1レースから変わらぬ、アクセルボタンを押しっぱなしにしながらレバーの左右で障害物をかわすだけのゲーム性であり、バックミラーと攻撃アイテムが搭載されていることをかろうじて勘案すれば、マッハライダーのそれとなんら変わるところはないのである。美麗な画面をドット絵ほどにしか感得できなければ、「やることが少なすぎて、ゲームをしているのにヒマ」という哲学めいた状況を離人症的に俯瞰ーーもうええですやろ!ーーするハメになるのだった。そうなると、過去に養育者からかけられた呪いが、ヒナの飛び去った空の巣へ不機嫌に座るクック・ロビンの耳元で、「オマエはもう、任天堂の顧客ではないのだ……いい加減にピコピコは卒業して、まっとうな大人の趣味を見つける人生の季節がやってきたのだ……」などとささやきはじめる始末であり、壮麗なマリオカート世界をこれ以上、走り続けられるような気はしていない。

 ここからは、ポケモン・レジェンズZAの感想を雑に述べていくが、最後にプレイしたのはソード、その前にプレイしたのはゲームボーイ版の金銀という程度の、相性も個体値もわからないファン未満の泡沫による妄言と、どうか聞き流していただきたい。原神スターレイルを毎日プレイしている身にとって、「プレステ2なみのルックス」「自キャラのぎこちない操作性」「令和の御代にフルボイス”レス”」という、ソウルハッカーズ2級の凡作に対して、なぜかネットには革新的だと褒めるちぎる評があふれかえっているのが不思議でならず、新興宗教の総会にまぎれこんでしまった無神論者のような気分にさせられている(ダイマックスやらメガシンカやらの用語も新興宗教の祝詞、あるいは低偏差値ヤンキーが好む珍走団語録に聞こえる)。ドラクエ11ばりの無意味なフリーランが特徴のリアルタイムバトルもどきも、技ゲージが満タンになった瞬間の最速入力が最適解なので、ただ操作がいそがしくなったことをのぞけば、これまでのコマンド式ターン制とまったくゲーム性の変化がないように思える。シリーズのお約束である、タイプ別の弱点相関をボンヤリとしか認識していない”一見さん”にとって、ググるスキマもないあわただしさは非常に敷居が高く、かたくなにドラクエ1ばりのワン・オン・ワン・バトルを変えようとしない依怙地さをふくめて、強い息苦しさをおぼえてしまった。

 また、エッフェル塔を中心としたパリを彷彿とさせる街並みを用意しながら、パルクール要素が絶無ーージャンプなし、滑空(ほぼ)なし、ボルダリングなしーーなのも、率直に言って現代のゲームらしからぬ、両手両足をしばられたような窮屈さを感じる。街中はチュートリアルにすぎず、壁の外に広大な世界が用意されているのかと思いきや、どうも舞台はこのパリ中心街だけであり、半島や大陸産のゲームを経験してしまったあとでは、対戦のバトルゾーンや捕獲のワイルドエリアを、せまいワンマップにぎゅうぎゅうと詰めこんだ、「極小クローズワールド」としか表現できない、閉塞感に満ちた場所になっているのである。ポケモン界隈とシリーズ最新作へいだく印象を、批判にひびかぬよう婉曲的にたとえ話でお伝えすると、ちょうど「顔面の造作が不出来な女児の七五三写真を、上司から満面の笑みで見せられたときに、表情筋がこわばるのをなんとか隠そうとするさいの心の機微」そのものだと言えるだろう。ゲームボーイ時代の効果音や鳴き声が、いまだにそのまま使われていることをふくめて、ひさしぶりのポケットモンスター(幼児語でペニスの意)体験を通じて、「初代からのポケモンマスター」という言葉が称賛どころではなく、もはやなんらかの特性か疾患を揶揄しているようにすら聞こえはじめていて、昔からのファンの前では、ぜったいにレジェンズZAをプレイしていることを告げるまいと決心した次第である。なぜならば、深刻な汚言癖をわずらった者のように、リアルで上司の娘への罵詈雑言が口中よりほとばしるのを、止められないだろうからだ。

 以上、本邦の最新ゲームたちに向けた不快かつ不要の”お気持ち表明”であったが、すでにしてスイッチ2はバーチャルコンソールでレトロゲーを遊ぶだけの、実体エミュレーターになりそうな予感がしている。あと、スイッチ2が引き起こしたスモール・イシュー・ビッグ・プロブレムは、とうに解決していたはずの「A決定B決定問題」が、平穏な日常にふたたび姿を見せはじめたことであり、PCゲームをプレイするさいの誤操作が頻回となる現象に、イラだつ今日このごろである。終わる。