みんぞくがくにくわしいかしこいせいようじんのぼくがかんがえたさいきょうのいんしゅうときさい、あるいは前置きの長すぎる北欧ポルノ。キリスト教による強固な枠組みを、まったく異なる文化の価値観で揺さぶって怖がらせる、ホステル系の映画と思って大いに期待して視聴を開始しました。まず言いたいのは、緊張感の持続で恐怖を高めるホラーというジャンルに、147分の上映時間は長すぎます(聞けばディレクターズカット版はさらに30分ほど長いようで、余計なシーンや余計な長回しまみれの本編へ、さらに追加する要素があることに驚く)。最初のうちは、奈良コミューン在住なので法の埒外と理解不能性の話や、小鳥猊下という存在は正に異界の体現だ、みたいな話をしようと考えてたけど、開始1時間ぐらいでそんな気分はすっかり消え失せました。ホラーの怖さの本質って「理外にあること」だと思うんですが、本作はすべての場面が理に落ちていて、徹頭徹尾アタマ(西洋の)で作ってる感じがプンプンにおいます。そのくせ、72歳で姥捨てヘルダイブさせる共同体の大祭が90年周期だったり、ディテールたっぷりの儀式がどうやって世代を越えて継承(ヘレディタリー!)されているのか、劇中の情報だけではサッパリわかりません。ならば、そのディテールがよくてきているかと問われれば、「昨夜いたした美女が、翌朝見ると老婆でビックリ」みたいな古典のエピソードが示すように、太陽の光はあらゆるごまかしをまさに”白日の下に”さらす効果があるため、かなりポスプロで色を触ってるはずなのに、セットや小道具のテクスチャから漂ってくる作りごと感をごまかしきれていません。舞台設定にしても、昔なつかしい「人喰いクロンボ土人にさらわれる白人カップル」の逆を描くことでポリコレと新奇さを同時にクリアできると考えたのが着想の出発点ではないかと推測しますが、全体的にとても成功しているーー性交はしていましたがーーとは言えないでしょう。そうそう性交の話です! そもそも、あんな状況で男性のチンコは立ちません、それだけは確実に言えます。気の抜けた、男女の腰の動きがバラバラの(まるで挿入してないみたい!)おセッセ1回で手軽に着床できるなら、不妊治療なんてこの世に存在しないでしょう。閉じられたコミューン内での繁殖問題を真剣に扱うなら、もっと汗みずくの老若児童男女くんずほぐれつの大乱交をこそ描かなきゃダメじゃないですか! だれがだれの父親かわからないから、共同体のみんなが家族って呼びあえるんでしょ! 観客が本当に見たかったのは、大乱交・胎児を子宮からスマッシュ・アウト・ブラザーズ(ひぎぃ)でしょ! ホラ、次回作への素晴らしいアイデアの示唆にお礼は? ありあすたー(ありがとうございました)! あと、本作の白眉である「ババア介添え・だいしゅきホールド」でググッてもゼロ件でバズってる気配がないのは、直後の場面における白人男性のチンコの先端(亀頭)が赤すぎたことへの衝撃が原因ではないでしょうか。
ホステル
映画「ホステル」感想
左のつま先へ伸ばした右手の先端で触れ、左腕と右の肩胛骨でアーチを形作り、「パロール!」と深夜戸外へ絶叫することも稀ではない不安定の代名詞、生きる伝説a.k.a.小鳥猊下であるが、相も変わらず貴様らは俺をなめておるのか。アー・ユー・リッキング・マイ・ディック? 堪能な英語が思わず口をついてしまい、諸君の民族に固有の遺伝的白人フォビアの証左であるてんかん発作を誘発したのをたいへん申し訳なく感じているが、私には貴様らしかいないのだということを改めて、無言で口角泡飛ばす貴様らに懇願し申し上げたい。貴様らは王様の裸踊りをにやにや笑いで眺める通行人であり、そして王様は与えられた権威の絶対性が示唆するほど自立的に存在できるわけではない。私は今回の更新を二週間に渡り読み返しては改変し、その行為の不毛性自体を楽しんでいた。もう二週間は続けていたかったが、関心を得たいあまり気がつけば、愛されたい一心で発作的にアップロードを完了してしまっていた。私の意識は常に貴様らに脅迫され続けている。民衆は王様が手を振るとき、彼の瞳が潤む瞬間を見逃してはならないのだ。
ホステルを見た。素晴らしい映画だった。人物と舞台装置に与えられていた意味が、物語の進捗につれて次々と反転してゆく様は見事であり、また、アメリカへの世界的憎悪をアメリカ人自身が描いた心意気を褒めたたえたい。ワールドトレードセンターの壮大な腰の引けっぷりに比べ、なんといさぎよいことか。しかし、私が何より関心したのは、国際理解やグローバル化などという催眠による眠気がたちまちぶっとぶ、そびえ立つ異質の表現であった。疲労で脳神経が灼き切れ、それまで理解できていたはずの外国語から全く意味の消失するあの瞬間、笑顔に見えていた表情が顔面の筋肉の変化を伴わず眼前へ能面化する、ほとんど恐慌さえ伴う圧倒的なあの異国感――私にとって異国とはあれに尽きる――を感じたのは、少なくない映画視聴の中でも初めてのことだった。この感覚を、言語的マイノリティの日本人ではなく、9割がパスポートを持たぬというアメリカ人に体験させるのだから、彼らの感じる恐怖の正体の無さは、我々の比ではなかろう。hostelというタイトルはhostileを連想させる。本来中立の世界は”I”が介在することで敵意に満ちたものになるのだ。あと、この監督は日本女性に過大な幻想を抱いていると思った。それと、東欧のおっぱいはすごく堅そうだと思った。