猫を起こさないように
ブレイキング・バッド
ブレイキング・バッド

雑文「K2とFRAGILE(近況報告2023.4.25)」

 自由律俳句風の近況報告(ギュッ!)でお伝えしていた通り、K2を仕事の行き帰りにモーレツな勢いで読んでいる。ブラックジャックというよりは北斗の拳に近い面白さーージブン、絵柄だけで適当に言うてへんか?ーーであり、そこで感染した火照るような医療マンガ熱にうながされる形で、某医師から毎巻の激賞が流れてくるフラジャイルに手を出したのです。個人的なフィクション病理診断の鉄則である「激賞の裏に瑕疵の隠蔽あり」を念頭において、ガードを高くあげたまま読み始めたのですが、第3話でガンの告知を受けた若者が医者の白衣についたマスタードの染みを指摘する場面でたちまち相好を崩しました。オーッ、知ッテマース、ソレ、知ッテマース! ブレイキング・バッド第1話ノ、ガン告知オマージュデスネー! ヴィンス・ギリガン好キノ作家ニ、バッド・ストーリーテラーハイマセーン! そうなってくると、淡々とした演出ーーK2を基準点とするーーがベター・コール・ソウル的にも見えてくるから、我ながら現金なものです。

 確かに、余白の多い漫画ーー背景的な意味ではなくーーではあるんですよ。K2を読んだばかりだと、主人公の説教が遠景のサイレントと若手医師の動揺ぶりだけで表現されたのは不満だし、他の医療機関から子どもを誘拐しようと試みる回も突然タクシー内へ瞬間移動するーーしかも文脈なく母親が合流しているーーのもワケがわかりません。これがK2だったら主人公は「な、なんだね、キミは!」とかうろたえる相手の主治医を無言のままグーでなぐりたおしているだろうし、新人女医は子どもの病室へ忍びこむ様をスリラーとして描かれた後、カーテンを縄梯子に加工して3階の窓から逃走したことでしょう。まだ5巻くらいまでの感想にすぎませんが、余白が演出として機能している部分と単にネームのまずい部分が混在しているという印象です。しかし、おそらくこれは連載の進行とともに改善するだろう些末事に過ぎず、組織人の葛藤と協働の様子に強く感動するタチの人間として、語られている内容すべてに強い共感を覚え、落涙してしまうのです。

 それにしても、自分の選択したーーあるいは漂着したーーマイナーな職種について、こんなふうにカッコよくスポットライトを当ててもらうのは、なんとも言えぬ快感なのだろうと想像します。もし、「大企業なみの福利厚生を実現する業績を出し続ける中小企業がその実、片手で足りるほどのキーパーソンの働きでギリギリ成立していることに他のだれも気づかないばかりか、観客席からの野党めいた無責任な批判さえある」組織を与党側、つまり管理職サイドから描くような作品があれば、もしかすると同じ快感を抱けるのかもしれません。現段階で思い入れがあるのは放射線科の引退おじいちゃんで、ゼロから立ち上げた部署を拡大させて労働環境も改善したのに、後から雇われた昔を知らない人物たちからはそれさえ不満や批判の対象となり、最後には何の感謝もされず切り捨てられてしまうーーまったく予言的な、身につまされる話です。抵抗や反論をあらかじめハラスメントなる言葉で封じられてなお、最後の瞬間ーーそれが肉体と精神と時間、どれの限界になるかはわからないーーまで持ち場を離れずに職分を守り続けるだれかは、どの業界にもいるのだなあと感慨にふけりました。

 ザビーネ・ホッセンフェルダーの著作への感想でも言いましたが、自分が知らない分野の仕事人の「感情」を知ることができるのは、本作のズバ抜けてすばらしい点だと感じます。K2モードから頭を切りかえるためにも、6巻以降は焦らずじっくりと読み進めるつもりです。

海外ドラマ「ベター・コール・ソウル」感想

シーズン5終了時

 ベター・コール・ソウル、前作と同じくシーズン5が最終だと思ってて、「ハハッ、どうせキム死ぬんやろ?」くらいの感じで見てたら、すごいヒキから来年のシーズン6へ続くとなって、今は「うわー、キム殺さんとってー、おねがいー」みたいになってて、リアルタイムの重要性を再認識した次第である。このシリーズ、ブレイキング・バッドの前日譚で、スターウォーズの456に対する123、FF11の三国ミッションに対するアルタナミッションみたいに、本編のシナリオを補完しながら干渉していく仕掛けになっている。前者が本編の意味を完全に変じて一部のファンから大ブーイングを浴びたのに対して、後者はキャラクター造形を深ぼりし既存ストーリーの読解へさらなる深みを与えている。ベター・コール・ソウルはこれまでのところアルタナミッション的であり、最終シーズンでもこの方向性を堅持してくれることを願う。

シーズン6第7話視聴後

 ベター・コール・ソウル、最終シーズンの7話を見終わった。これまた予想外のものすごいヒキに、思わず身を乗り出して大きな声を出してしまった。そして驚きから我に返って、この続きを見るのになんと一週間を待たなければならないことに気づいた。週刊少年ジャンプを毎週買っていた頃の感覚を思い出しながら、いまは名前を付けられない感情に身をもみしぼっておる次第である。本作はブレイキング・バッドの前日譚であり、ブレイキング・バッド本編に登場しない人物は、何らかの形でジミーの人生からいなくなったということが、あらかじめ視聴者にはわかっている。その「いなくなり方」をどう見せるかが本作のキモで、今回は6シーズン57話をかけて人間関係を丁寧に積み上げた末のまさかの展開で、制作者の感じているカタルシスーードヤ顔が目に浮かぶようだーーはいかばかりのものかと思う。リアルタイムでこれを体験できていることは、まさに僥倖という他はない。まったく先の見えない状況に置かれていることを嬉しく思うし、未見の君には昼夜を通じた前作からのマラソンでこの最先端へと追いつき、残すところ3話となった終わりゆく物語をともに伴走してくれることを願っている。

 (満面の笑みで)よおし、話そ? ……え、8話の公開は7月なの!? オレはいま初めて、心の底からコロナウイルスのことを憎いと思ったぜ……!!

シーズン6第8話視聴後

 ベター・コール・ソウル、シーズン6の8話を見る。これ、ドラクエ3で言うところのバラモス後のアレフガルドの話で、あの地には遺体が2つ眠っていることがわかりました。スター・ウォーズ3が4以降の解釈を永久に変えてしまったのと同じレベルで、本作はブレイキング・バッドを上書きしたのです。もう昨日までのようには、あのメス工場を見ることはできません。このエピソードが最終回でいいくらいの内容ですが、残り5話でキムの行く末はどう描かれることになるのでしょうか。

シーズン6第9話視聴後

 ベター・コール・ソウルのシーズン6第9話を受けて、ブレイキング・バッドのシーズン4と5を見かえしている。やはりと言うべきか、初見のときに抱いていた印象が大きく変わると同時に、「あれだけの修羅場をくぐりぬけてきたヴィランたちが、こんなハゲの高校教師に皆殺しにされるんだ……」と少々せつない気分にさせられてしまった。それもこれも、ただの前日譚だったはずの本作が、各キャラの人生と生き様を深掘りする出色の仕上がりになっているせいだ。この9話では、スター・ウォーズで例えるならダース・ヴェイダーが手術台から起き上がるところまでが描かれ、時系列はソウルがウォルターと出会う直前まで一気に繰り上げられた。本作の目的が、単にブレイキング・バッドへ接続するだけでなく、ソウルにとってのエルカミーノを描くことによって、アルバカーキ・サーガとして全体を上書きしようとする試みであることが、いよいよ明らかになったと言える。

 「ある人生の、どこを切り出してピリオドを打つかが、物語の性質を決める」とつねづね語ってきたが、自らの手で殺しすぎたウォルターのエンディングとして、ブレイキング・バッドは避けようもなくビターに閉じられた。その一方で、やり方こそ悪辣きわまるものの、自ら手を下したことのないジミーには、どんな結末が与えられるのだろうか。前作をも含めた物語のメッセージが、それによって永久に確定するのを、怖いような想いで待っている。「ネブラスカで再会したキムが、ブルーメス中毒になっている」というのが大方の予想だと思うし、「廃人となったキムの車椅子を押すジミー」などの場面が描かれて物語の幕が下りても、因果の応報として大いに納得するとは思う。けれど、14年にわたる悪徳と汚濁の果てに、最後の最後で「ほんの小さな、きれいなもの」を見せてくれるのではないかと、祈るような気持ちでいるのだ。

シーズン6第10話視聴前(BB感想)

 ブレイキング・バッド、シーズン5の後半を見てる。全体として、良くも悪くも少年漫画誌の週刊連載を思わせる展開であり、「打ち切り回避」への力点を感じる瞬間も少なくない。一方、前日譚であるベター・コール・ソウルは、偉大な本編の存在により最後まで語り切ることをあらかじめ約束された作品で、ストーリー展開から伏線の張り方まで、想定する物語の総体を俯瞰的に眺めながら精緻に組まれている印象だ。このファイナル・シーズン、面白いことは間違いないが、ベター・コール・ソウルを経てしまったせいだろう、どうしてもガスがいないことに「丞相亡き後の世の混迷」を感じるし、王の不在を嘆くマイクの退場が決定的となって、どうにも見るべき所在を失わせてしまう。ウォルターが新たな麻薬帝国を築く展開は、コズミック・ジャスティスの観点から周到に退けられ、小悪党による小悪党との小競り合いで悪事の報いを描き、引いていくカメラが天井の梁を逆さ十字のように映して、この結末がキリスト教的断罪であることを強調しながら、物語は幕を閉じる。このバッド(アンド・スモール)エンドの先を、ベター・コール・ソウルの残り4話が「トゥルー・エンド」として描いてくれることを、切に願っている。いまから見ます。

シーズン6第10話視聴後

 ベター・コール・ソウル、シーズン6の10話を見る。シーズン1から5の1話冒頭にモノクロで挿入されてきた「ネブラスカ編」の完結回となっており、内容を忘れている向きは5分×5シーズン分を見直してから視聴することを強くおススメする。残りの話数から逆算した視聴側の想像を軽快に裏切る小品で、翻弄される我々の反応はさぞや制作側を楽しませているのだろうと思う。小悪党が小商いをするうち、最も重大な己の秘密と悔恨を、最も軽薄に赤の他人へとさらけ出す羽目になる滑稽さ。それはすべて、彼の生きざまが招いたものであり、「おもしろうて、やがて悲しき」を地で行く顛末だった。次週のサブタイトル”Breaking Bad”がタイムラインをザワつかせているが、今週の”Nippy”を振り返れば単に慣用句として用いているに過ぎないのやもしれず、もう余計な考察からは離れて、赤子のようにヴィンス・ギリガンへ身を預けたい気分になっている。

シーズン6第11話視聴後

 ベター・コール・ソウル、最終シーズン11話を見る。ブレイキング・バッドの第2シーズン8話”Better Call Saul”の裏側が過去のソウル視点から挿入されながら、現在のジーンが”Breaking Bad”、道を踏み外していく様が描かれる。前後編の前編といった描写で、まだ何か取りかえしのつかない事態が生じたわけではないのに、ウォルターとジェシーの掘った荒野の墓穴がベッドに横たわるジーンにオーバーラップしたり、ウォルターに関わらないよう忠告を受けたにも関わらず彼の勤務する高校を訪ねるシーンの後に、睡眠薬が切れる頃だから止めたほうがいいと言われたにも関わらず証拠を残す形での不法侵入を行ったり、すべての演出はソウルが破滅へと突き進んでいることを執拗に暗示する。生きてキムと再会するフラグは今回の冒頭で無惨にもへし折られてしまったし、これまで安しと侮ってきた老人が彼の犯罪を立証する存在になりそうだったり、ソウルにジミーとして幸せになってほしいという私のささやかな願いは、やはりかなわないかもしれません。

 最終話のタイトル”Saul Gone”の意味するところは、「ソウルというペルソナを捨て、ジミーに戻る」か、「ジミーに戻れず、ソウルのまま死ぬ」のどちらかでしょうが、ここまでのところ後者の可能性が8割くらいの印象です。でも、シーズン6の予告を見返していたら、マイクに「いずれにせよ、お前の思うような展開にはならない」と言われてしまったので、残り2話を心静かに待ちたいと思います。でもでも、次週のタイトル”Waterworks”だけど、ついに殺人を犯してしまったジーンが、ウォルターよろしく遺体を薬品で溶かして、上水道に流す展開を予告しているんじゃないかなー。

シーズン6第12話視聴後

 ベター・コール・ソウル、シーズン6の12話を見る。キムがソウルの事務所を訪れていたり、キムとジェシーが出会っていたり、前作ファンに向けたサービスを織りまぜながらも、物語はいよいよ「贖罪」の段階へと進んだようです。ブレイキング・バッドの世界って、ピカレスク・ロマンの見かけを装いながら、キリスト教的な因果応報が極めて純粋に適用される世界なのね。中でも殺人が最大級の罪で、これを犯した者は必ず自らの死によって報いを受けることになってるの。今回はジーンにその危機が2度あって、ひとつ目は不法侵入した家宅で犬の骨壺を使って、家主の後頭部を殴打しようとしたところ。途中まで、ブレイキング・バッドのシーズン2でウォルターがジェーンの窒息死をあえて見過ごしたシーンが再演され、その対応によって2人の根本的な性質についての違いを示すのではないかと予想してました。ふたつ目はジーンが電話線を両手に巻きつけて老婆に迫る場面で、いよいよ一線を越えるのかと顔をおおった指の隙間から見てたんだけど、最後の最後で善人のジミーが顔を出して、決定的な事態は回避されました。キムがハワードの奥さんに真実を告白したこともそうですけど、「罪と罰」の最後の最後で描かれたような魂の救済が、アルバカーキ・サーガのエンディングとして用意されている気がしてなりません。ともあれ、次週最終話、あとはもう、祈るだけです。

シリーズ最終話視聴後

 「君は、その頃から何も変わらないんだな」。最後までゲームを楽しむ気でいたのに、キムの告白を知ったことで、彼は等身大の自分をついに受け入れる。ソウルでもなく、ジーンでもなく、ジミーでもなく、ジェームズとして。

 最終話の3分の2ほどを過ぎても、ソウルはソウルであることを止められないままで、展開は少しも予定調和のコースに入ろうとせず、制作者が物語をどこへ落とそうとしているか見せなかったのには、ほとんど窒息死するかと思いました。ラストカットへ至るギリギリまで抑制した演出には、「ここまでついてきてくれたのなら、きっと伝わるだろう」という、作り手と受け手の間へ横たわる共犯関係にも似た、深い信頼を感じることができました。

 もしかすると、本当の自分を受け入れ、罪を認めることで訪れる救済は、14年にわたる一大ピカレスク・ロマンの結論として、凡庸きわまるものなのかもしれません。けれど、ブレイキング・バッドからの14年を振りかえりながら反芻してゆくと、登場人物たちが持つ人格への敬意を失わないのならば、これ以外の選択肢はないことが痛いほどにわかるのです。

 そして、モノトーンの世界で煙草の先端にゆらめくオレンジの火は、この汚濁と悪徳に満ちた物語で最後の最後に訪れた、「ほんの小さな、きれいなもの」でした。

ジェームス・マッギルについて

 ベター・コール・ソウル、最終話追記。この観点で書かれた感想をほとんど見かけないので……。物語の終盤、裁判官にグッドマンさんと呼びかけられ、「マッギルです。ジェームズ・マッギルです」と応答する場面があります。ご存じの通り、ジミーというのはジェームズの愛称であり、目上の者から庇護する対象に向かって投げられる呼びかけです。ジミーとしての彼はずっと、「叱ってもらうために悪戯を続ける子ども」であり、父から、母から、兄のチャックから、そしてもしかするとキムから、「許してもらう」ために生きてきた。「許される」ことでしか、「愛されている」ことを実感できなかった。弁護士の道を選んだのも、外部に法という「許し」を仮構するためだったのかもしれません。しかし、自らをジェームズと呼んだとき、彼は法律や家族や恋人に「許し」を求めることを止め、自らのふるまいの責任を、自らの魂に照らして負うことに決めた。もっとベタな言い方をするならば、はじめて庇護される立ち場から離れ、本当の意味での「大人」になった。ソウル・グッドマンという名前は、他者からの揶揄を先回りして織り込んだ、石ころを黄金と呼ぶような一種の韜晦であり、心理的防壁でした。それを捨ててジェームズ・マッギルを名乗ることで、彼はついに「魂の善良な人間」という本質を手に入れることができたのです。

 ”And I’ll live with that”.

オークション入札について

 暑さで気がくるって、ベター・コール・ソウルのオークションに1万ドルぐらいビットしている。おそらく終了間際10分の勝負になると思うが、何かひとつでも手に入れたい。フィクションにまつわるグッズについて、こんな気持ちになったのは、生まれて初めてかもしれない。

質問:S1から見直してみると、確かになぜその選択肢を取ったか分からなかった所を許しを求めてると見ると腑に落ちる部分ありますね。デイビス&メイン事務所で許可を取らずに勝手にプロモーションビデオ作る所などはなるほどとなります
回答:ジミーの改悛については、それこそ人生の数ほど解釈があると思いますが、私にとって「許し」というのは有効な補助線でした。そんなことより、ベター・コール・ソウル最後のお祭に参加しようぜ! オレぁもう、1万ドルも溶かしちまったよ(まだ溶けてない)!
https://propstoreauction.com/auctions/info/id/342

オークション結果について

 うん? ベター・コール・ソウルのオークションどうなりましたか、だって? イヤミか貴様ッッ!! いちばん欲しかったのは、キムと煙草を吸うラストシーンの囚人服だったんだけど、早々に5,000ドルを越えてきてて、最大の激戦区になることが予想されたため、あえて候補から外しました。最終的に、「ギリガン・グールド・オデンカークのサイン入り名刺」「ジーン収監時の囚人服」「チャック回想時のスーツ」「凶器になりそこねた犬の骨壷」の4アイテムにビッドをしぼったのです。オークション終了時刻が日本時間の深夜で、「社畜に徹夜は難しい」ため、だいたいの予想で順に3,500ドル、2,000ドル、2,500ドル、2,000ドルと、現状のラインから1,000ドルほど積み増しをして、就寝しました。

 それでは、(突如、声を張って)結果はっぴょーう! 4アイテムの落札価格は……(ドラムロール)順に、5,500ドル、4,500ドル、5,500ドル、3,000ドル(涙目)! ちなみに、ビッドを見送ったラストシーンの囚人服は、9,000ドルと意外に伸びず、ここに1点集中しておけばと、いまは激しく後悔しております。落札価格を眺めていると800ドルくらいのものもあり、アイテム選択の段階で完全に戦略ミスをおかしていたわけです。今後は、イーベイで安価なベタコTシャツとかを落札して、この傷を癒すことにしたいと思います……失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した(以下、無限ループ)

ゲーム「FF11の思い出」その6

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5

 みんなイヤがってるみたいだから、FF11の話、手短にするね。復帰から一ヶ月半が過ぎて、ログインしてドメイン行ったら即ログアウトみたいな、プレイオンラインの表示時間のほうがむしろ長いような日々になってて、これ5年前と同じで、いよいよ引退へのカウントダウンが始まってんの。んで、もう心残りの無いようにしようって、やったことのないバストゥーク出身のガルカでたぶん最後の、「最初から」プレイを始めたのね。バストゥークのストーリーって他の二国と違って、「産業革命後における労働者階級の形成および被差別部落の誕生」みたいなファンタジーとはほど遠い内容で、特にガルカでプレイしてると鬱々としてくんの。そういえば直近のアップデートで、業者対策のためにエミネンスとかのポイント交換へ週あたりの上限が設けられたのね。どんな騒ぎになってるか興味半分でネ・ジツをのぞいたら、複アカの業者がエスカ・ジ・タからいなくなった話してて、「あいつら、本当にガルカ好きだよな(笑)」とかいつもみたくウエメセ(上から目線の略称)でバカにしてんのよ。わたしそれ見て、すっごく悲しくなったわけ。じっさい、ギル販売業者と思われるキャラのガルカ率はとてもとても高い(FF11語)んだけど、なぜかっていうとゲーム内のガルカはヴァナ・ディールにおける被差別民だからなの。いまRMT(リアル・マネー・トレードの略称)のサイトを検索してみたら、1億ギルが8〜9千円ぐらいで販売されてんだけど、複アカを駆使して最大限効率を高めたところで、本邦に住んでるだれかにとってはコンビニバイト以下にしかならなくて、時給で考えてもとうてい割にあう金額になってないわけ。つまりこれが意味するのは、ギル販売は円でもドルでもない通貨の国の住人が、先進国のバックドアからカネをかすめとるためにやってるんだろうなってことなの。貧しい彼らにとってガルカは虐げられる側の象徴で、RMTという行為自体に先進諸国に対する一種の反逆や、義賊的行為としてのメッセージが込められているように思えるのね。そうやって18年が経過して、ガルカという存在はいまやゲーム内の設定を越えて、現実世界の南北問題(経済の搾取構造)とさえリンクしていると考えると、バランスの悪い体躯に短すぎる爬虫類の尻尾とか、歩幅が大きいからタルタルとくらべるとスローモーションにしか見えない移動の様子とか、かつては欠点にしか思えなかったものが、とてもとても味わい深く感じられてきて、自分のキャラの広い背中を眺めているだけで、なんだか涙が出てきちゃった。流行り言葉にのっかれば、ガルカ・ライブズ・マターって感じ? 涙が出たといえば、最近のFF11のオトモはベター・コール・ソウル(ブレイキング・バッドのスピンオフ作品)なんだけど、弁護士で白人の主人公が自分の味方だと思っていた実の兄から「サモア大みたいな三流私立のオンライン教育で取った弁護士資格なんか認められると思うのか。おまえは俺と対等じゃない」みたいな罵りーーしかも兄はその思いをずっと弟に隠してて、問いつめたら感情とともに思わず、といった感じで吐き出された本心なのーーを受ける場面があって、「ヒュムなのに、同じヒュムどうしなのに!」って、ヴァナ・ディールと感情が混線して、号泣しちゃった。天は人の上に人を作らないけど、人が人の下に人を作ろうとする。

 『(ガルカ詩人の歌声で)たかいたかいヤシのき、おおきなおおきなヤシのみ、サモアのしま、たのしいしまよ』

ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

ゲーム「FF11の思い出」その2

ゲーム「FF11の思い出」その1

 んで、こないだのFF11の悲惨な話の続きするね。たぶん1年ぐらいかけて貯めた億単位のギルとアイテムがぜんぶ無駄になって、完全に虚脱したシンジ君状態で、目標のオークをセンターに入れてシャンデュシニュ、とかつぶやきながらアンバスケードってコンテンツの第1章を薄暗い部屋でひたすらリピってたわけ、過去ジャグナーとマウラ往復しながら。湿ったところが大好きな節足動物どもが「ヌフフ、今月もヌルカポォでござるな」とか言いながらHimechanといっしょに3分でとてむず回して、あっというまに交換品を底までさらっていなくなるかたわらで、いつまでもジトーッとふつうを20分かけてソロってるわけよ、死んだ目で。んで、数日かけてようやくいくばくかのポイントが貯まって、何と交換するかなーって両手をスリスリしながら景品を眺めてたら、以前はなかった武器チケットってのがならんでるわけ。んで、どんなものがもらえるか調べてみるじゃん。そしたら、もらえる片手剣の最終強化先がごっついわけ。まえ右手にアルマス持ってる話したけど、左手は鈍色(にびいろ)うんこソードなのね。そういえば、ティソーナ作るかーってアトルガン行ったら、「お客様の役職ではちょっと……」っつって慇懃に追い返されて、そんじゃーセクエンス作るかーっつってパーティ参加希望だしたら「青魔導士の方の席はちょっと……」っつって職業差別されたの思い出したわ。話もどすけど、ハハハ、でもそうは言ってもオススメのことだから強化に一年ぐらいはかかるんでしょ?リフトなんとかが9,999つぐらいいるんですよねえ?なんて半笑いで後頭部に片手を当ててたずねたら、アンバスのポイントが三万くらいあったら強化素材をぜんぶ交換できますよっておっしゃるわけよ。え、マジでっつって三度見ぐらいすんだけど、ちょうど手元のポイントでぜんぶアイテムとれちゃうの、マジで。んで、トッコソードもらってナゲットとかオーブで強化していくわけ。4段階目まであっさり手に入って、やったー、これでジケジケした庭のはっぱの裏のナメクジどもと同格だー、なにがティソーナや、セクエンスなんかいらんかったんや!とか言いながらカジャソードとマターをタルタルのデコスケ野郎に、さんをつけろよ!なんてアキラごっこしながらグリグリ押しつけんだけど、何回やっても受け取ってくんないの。あれかー、マンション住みの職あり陽キャどもが上半身正装・下半身陰毛まる出しでオンライン会議やってて、全体の回線が重くなってんのかーっつって調べるけど、ド田舎の荒野のロサンゼルスの掘ッ立て小屋なので、陽キャどもの影響はまったくない。んで、用語辞典みたらパルスアームズってのをマターといっしょにトレードしろよ、このミスラのデコスケ野郎って書いてある。イヤな予感しかしなくなって薄目のロンパリでググッたら、ヴォイドウォッチの敵が落とすって書いてあんの、パルスアームズ。ヴォイドウォッチ! オレは思わず胸をなでおろしたね。FF11で1、2を争うほどつまんないハズレコンテンツなんだけど、ヘヴィメタル集めるために空島まで進めてたの思い出したの、すっげえつまんねえクソコンテンツなんだけど、ヘヴィメタル集めるために仕方なく。んで、アイエロっつーノートリアスモンスターが片手剣のパルスアームズ落とすってわかって、空島へどうやって行くかおもいだすために四畳半の部屋をぐるぐるまわって、よっしゃ思い出したっつって、どういう仕組みかわからんけど本に話しかけてワープするわけ、なに言ってんのかわかんないと思うけど本に200ギルわたして。んで、ラピュタは本当にあったんだ、なんてパズーごっこしながら地面から噴き出てるエネルギーみたいなのにヴォイドストーンを投げ込むわけ。そしたら、デビルマンのシレーヌのパクりみたいなデザインのモンスターが出てきて、内心ソロれるかドッキドキなんだけど、2分ぐらいシャンシャンしてたらあっさりたおせるわけ。あ、ちなみにシャンシャンってのはアイドルマスターシンデレラガールズのプレイ音じゃなくって、シャンデュシニュシャンデュシニュ光連携の略称のことね。んで、地面に出てきた宝箱パカーってあけたら、ゴミみたいなアイテムばかりで装備品がいっさいないの。おっかしいなーこのハコ不良品かーっつって調べたら、エフェメロンのドロップ率は極めて低い(キリッ、みたいなことが書いてある。知ってたわー、オススメだもんなー、知ってたわーっつって、でもヴォイドストーンは5年間でアホみたいにたまってるし、「?ぶき」を求めて玄室を周回しまくることで貴重な少年期をドブに捨てたボクの苦痛への耐性(タンポポのせみたいな単純作業の繰り返しへの)をナメるな!っつって、アイエロマラソンが爆誕するわけよ、日曜の昼さがりに。ぜんぜん関係ないけど、クッソつまんないポケモン映画シリーズの唯一の功績って、日本人の語彙に「爆誕」を追加したことだよね、ぜんぜん話ちがうけど。んで、最初こそマジメに画面見てシャンシャンしてんだけど、べつにそこまでやらなくてもオートアタックとフェイスだけでも倒せるのがわかってくるわけ。んで、海外ドラマ見たりしながら(ブレイキング・バッドの履修完了はこのおかげ)シャン……シャン……ぐらいの感じで倒し続けるんだけど、これがもうぜんぜん出ない。その日は5時間ねばって成果ゼロ。空島でひさしぶりに寝落ちみたいなログアウトして、また次の休みにシャン…………シャン…………ぐらいのテンションで再開するんだけど、体感(笑)で「?ぶき」の百万倍ぐらいで出ない。初期のMMORPGが人生の時間を吸引していくすさまじいバキュームぢからを体験しながら、「しまった、アンブラルマロウの方を換金するのが正解だったか……オレってつくづくオンラインに不向きな日本人だな、むぐむぐ」なんっつって休日にひとり孤独のグルメごっこしたのが最近の私的FF11クライマックス。じつはいまもやってるけど、まだ出ない。もはや、シャン………………シャン………………ぐらいのテンションで、ジジイのコイトスみたいな棒振りぐあい。  

ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6
ゲーム「FF11の思い出」その7
ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」

海外ドラマ「ブレイキング・バッド」感想

 長くて不快なの出るお! リム……いや、ミュート! ミュートぐらいにしておけ!

 ブレイキング・バッド、シーズン3の途中ぐらい(ハエたたきの回)で脱落してたんだけど、このたびヒマにあかせて、ようやく履修を完了した。最終シーズンの話がどれも良くて、やっぱり物語というのはいかに作り手側の思い入れが強かろうとも、必ずすべてのキャラクターが不可逆に変わってーーあるいは壊れてーーいって、その終わりには始まりとまったく違う場所にいなければならないのだと改めて感じさせられた次第である。打たれたピリオドに成長と喪失のどちらが多く含まれているかが、物語の質を決めるのだと思う。物語が長期化すればするほど、作り手がキャラクターを愛しすぎるようになり、壊せなくなっていく。彼らと遊ぶことのできるこの瞬間が永遠に続けばいいと願うことが、「終わらない物語」の正体だ。グイン・サーガはある時点から(たぶん、アルド・ナリスを殺せなくなってから)確実にそうだったし、絆は腐るほどあれど喪失がないゴム人間ーー仲間のだれかが欠けることを想像できない、蝕の後の狂戦士のようにキャラ全員が「作者に守られた、弛緩した安全圏」の中にいるーーもそうなのだろうと思う(これ、オウガ・デストロイング・ブレイドがいかに特異であるかの説明にもなってる気がするな)。漫画に「終わらない物語」が多いのは、亡くなった「ン」の人も言っていたように、キャラクターがストーリーに優越する作りになっているからなのかもしれない(で、キャラクターを変化させられなくなって、ストーリーの永続化か頓挫の二択へ向かう)。

 まったくの余談だが、私はこの奇妙な二ヶ月間でゴム人間が受け入れられる本邦の土壌が、まざまざと可視化されたような気がしている。なので、医療関係者をカッコよくイラストにして応援、みたいなプロによる企画?が現場の看護師のヒステリックな絶叫で一瞬にかき消されたのを見たときは、じつに胸のすく思いがした。同時に亡くなった祖母(大陸帰り。敗戦直後、丸坊主にされて自害用の毒瓶わたされた話、したっけ?)が、戦争になったら必要なくなる仕事はするな、みたいな話をしていたことも思い出した。実業に対して虚業なる言葉があるけれど、演劇界隈の重鎮たちが己の生業を虚業と定義していないようなのには、驚かされた。「虚」から始まる無用物の絶望が、すべての創作を「実」に勝る高みへと至らせる原動力だと長く信じてきたので。ほんと、年くってから突然、名士になりたがるよね、あいつら。エロゲーとか見下してそう、同じカテゴリなのに。野良犬だからこそ届く牙もあろうに、まったくランス10のツメのアカでも煎じて飲んでほしいよ!

 脱線しまくったが、ブレイキング・バッドへ話を戻す。人が何か大きなことを成し遂げたり、ある集団の中で登りつめてゆくためには、5つの要素が必要だと思っている。まず内に秘める「知恵」と「才覚」は不可欠で、それらを100%外界へ発出するためには「胆力」が無ければならない(少ない「胆力」の分だけ、「知恵」と「才覚」の出力は減ずる)。それから、目指すべき達成の中絶を許さない、不断なる「意志」の力だ。実のところ、「知恵」と「才覚」を持つ人間は世の中に数多い(いや、ほとんどの者がこの2つを持っていると言っていいくらいだが、私を含めた多くが自分にしかない持ち物だとどこかで錯覚しており、気づいたときには手遅れになっている)。しかし、「胆力」の段階で半数ほどがふるいにかけられ、「意志」の段階でさらに多くが脱落する。そして最後の要素は、「他力」である。それは、敬愛する色川御大のギャンブル小説に表現される、すべての技術を究極に突き詰めた先で、純粋にそれぞれの持つ運だけが勝敗を決める状態に似ている。選抜の末に残った者たちの中から、最後の高みへ一人を押し上げるのは、自分の内側にはない外部からの力なのだ。独力で何でもできる人物が、赤子のような無力で他者へ身をあずけて、高い場所へと「置いてもらう」。このプロセスを抜きにして、人は誰かの上に立ったり、大事を成し遂げることはできない。もしかすると「他力」とは、人間存在への「信頼」なのかもしれない。この物語には、5つのうちの4つまでを備えた何でもできるはずの男が、1つの欠落に最後まで気づくことができない(視聴者はずっと気づいている)滑稽さとーーたぶん、悲しみが描かれている。

 え、だれかの境遇にそっくりだって? 言うな、言うな、ここまでの名調子が台無しになる(台無し)!