猫を起こさないように
パラサイト半地下の家族
パラサイト半地下の家族

漫画「こづかい万歳」感想

 ネットでの流行りに影響を受けやすいリバース(吐瀉)・アルファ・ブロガーであるところの小生は、おそらくボン・ホリデイズに起因するアンバスおよびリリス(キャバ嬢)混雑の待ち時間を埋めるために、本作をぴえん・ぱおん・アマゾンでサクッと購入して読了した。そしておそらく、物質的な優越に基づいたタチの悪い大笑いのファースト・インプレッションが通り過ぎると次第に怖くなっていき、いま現在も進行形で怖くなり続けている。

 夫はこづかいの内訳に窮々とするばかりで家計全体を把握しているのが妻だけというのが怖いし、夫が自由業で妻が専業主婦(のように見える)なのが怖いし、四十五歳で未就学児を二人も抱えていることが怖いし、夫が何か事故(バイクが趣味なのも怖い)にあったり大病をしたらと思うと怖いし、子どもたちに器質的な疾患や発達の問題が発覚したらと思うと怖いし、妻が裏でホストに貢いだり不倫して逃げたりしたらと思うと怖いし、この家族の周囲に頼れる親族の気配がまったくないのが怖いし、とにかく本作の一家には人生にまま起こりうる突発的なアクシデントへ対応するマージンが一切ないのが怖い。私は長い間ずっと生きることが怖かったが、これから過ごす時間をこれまで過ごした時間が上回り、この瞬間に我が身が消えたとしても残された者たちは少し悲しんだ後、それぞれの人生をやっていくだろうと思えるようになってから、ようやく生きることの怖さが薄らいできた。

 少し話がそれるが、特に私生活をネタにする漫画家は自分や身内にマイナスの出来事がふりかかった場合、それをネタに昇華できるかがポイントだと思っている。例えば、私がサイバラ女史をはじめて知ったのは「まあじゃんほうろうき」の3巻だった。この巻からすでに現在へ至るキャラと絵柄が確立しており安心して見ていられるが、同作品の1巻(と2巻の途中まで)はまったくひどいものだった。没個性で絵もヘタクソ、麻雀業界には珍しいから声をかけられた「美大卒の若い女性」以外の何者でもなかった。「まあじゃんほうろうき」の1巻で消えてしまったサイバラ女史を想像する怖さが、この漫画にはある。

 もしかすると、作者自身やその家族へすでに何か大きな不幸が訪れていて、いま読者たちは「半地下の家族」の前半部分を笑っている状態なのではないかと思うと、本当に怖くなってくる。2巻、3巻と読み進めるうち、数十円、数百円の駄菓子に貧困の苦しみを慰撫されていた者たちが、家族にふりかかった不幸をきっかけとして格差社会に飼い殺されている事実へ気づかされ、暴力的な蜂起へと至る後半部分がこの先に待ち構えているのではないかーー私は、いまこの瞬間も怖くなり続けている。

 「こづかい万歳」の2巻と3巻をまとめて読む。1巻の感想で冗談みたいに書いたことが、いよいよ本格的に冗談ではなくなってきた感じ。作者がホラーだと意図せぬままにつむぐ極上のホラー、本邦の大衆が陥っている袋小路を絵柄だけは剽軽に、これ以上ない生々しさで描き出している。我が子に安い中古の玩具を買い与え、その審美眼を養うでもない、家名を継がせるでもない、「末は博士か大臣か」を期待するでもない、己の自我を延長しただけの、ペットにするのと同じ飼育。自我の未分化なうちの服従をそれと認めないままキャラ化して、SNSやフィクションに己の人生の一部として登場させる愚かしさ。寿命や品性をベニスの商人よろしく「肉の量り売り」にすることを「節約」なる言葉にすりかえる浅はかさ。作り手はそれらをユーモラスで肯定的なギャグとして描こうとしているのに、読み手にとって本邦の悲惨な現状を見せつけるドキュメンタリー作品としか受け取れないレベルにまで到達している。個人的な感覚を言えば、他人の手垢がついたものなど触りたくもないし、どこの馬の骨が運んだかわからない食糧に口をつけるなんて想像するだけでゾッとする。そして、私の感覚の方が本邦においてはマイノリティになりつつある事実に、絶望的な気分にさせられている。いよいよ、我が人生に「森の生活」を実践する季節が訪れており、すべてから切断された場所でひとり隠遁する他ないのやも知れぬ。

映画「パラサイト 半地下の家族」感想

 『なんだかここで結婚したような気がするし、ここで生まれたような気がする』

 視聴後、最初に思ったのは万引き家族と同じ手法を使っているなということ。つまり、弱者による明確な犯罪行為へ感情移入させ、自分が同じ立場だとしたら同じ行動を取っただろうと思わせることで、現行の社会システムの不足や不備を可視化させるやり方だ。本作で言えば社会的階級と結びついた「臭い」がそれであり、執拗に臭いを言われた後に目の前で鼻をつままれれば、私でも殺すかもしれないと感じさせてしまうところが他のメディアにはない映画芸術の一種、暴力的なまでの伝播力である。前半の一時間はコメディタッチで描かれ、半地下に住む家族の貧しさを安全圏の観客として笑わせておいて、後半のパートでは貧しい人々を笑ってしまったその事実こそが差別に気づかず虐げる側と同じふるまいであることを強烈に突きつけられるという構成になっており、視界にあり理解もしていると思っていたものが全く別の何かに変じていく落差が見事である。万引き家族が枯淡の味わいだったのに対して、本作は彼の国の伝統料理を思わせる濃い味付けで、それぞれの社会に対する両作品の価値は完全に等価でありながら、後者がアカデミー賞受賞へと至った理由なのだろう。もう一つ要因を挙げるならば、彼の国はハイパー格差社会でありながら、対外的には巨大電子機器会社ときらびやかな芸能活動を全面に押し出して、実状を糊塗する宣伝ばかりが行われてきた。そこへ非常にリアルな社会風刺の作品が現れたのだから、初代ゴジラではないが、そのインパクトが西洋にとって大きかったのかもしれない。個人的なことを言えば、家人が彼の国の芸能イコール虚構へ耽溺していく様を苦々しく見ていたこともあり、西洋の審査員と同じく評価のパラダイムシフト的なものが生じた。この視点を持つ人物がいるなら、彼の国は大丈夫なのだろう。

 あと、是枝監督的な上手さを指摘するなら、金持ちほど西洋文化に傾倒してゆき、貧乏人の中に父を敬い救おうとする儒教精神が息づいているという描き方がそれだ。冷静に考えれば常に正となるテーゼではないのだが、物語の中への落とし込み方が巧みなので、否応に真実として受けとめさせられてしまう。社会の半数以上を占める貧しき人々を共犯者にする、狡猾きわまるたくらみだと思う。

 それと、ものすごいひさしぶりに韓国映画みたなー、いつ以来だったかなーと考えてたら、火山高ぶりだった。