ノーマーク爆牌党、紙の本も持ってるんですけど、密林焚書で全巻をあらためて購入しました。まず5巻から最終巻までを読み直して、やはり他の漫画では味わえない面白さであることを再確認できました。むこうぶちが「麻雀という賭博をめぐる人間ドラマ」とするなら、ノーマーク爆牌党は「麻雀というゲームをめぐる競技ミステリー」とでも言えるでしょうか。前者が麻雀を知らなくても人間ドラマのみで楽しめるのに対して、後者は少なくとも「麻雀のルールを知っている」、願わくば「麻雀を狂ったように打っていた時期がある」ことが、ストーリーを楽しむための最低条件となっており、少々ハードルは高めです。本作の後半においては、主人公が前半と別の人物にスイッチされて、メジャー大会を9連覇する天才をいかに打倒するかが描かれていくのですが、麻雀における「不敗性」って、もし充分な説得力を持たせられれば、最高の面白さへと昇華するネタなんですよねー。
将棋やチェスなら、プロが「ルールを知ってるだけの素人」に負けることは、まずもって120%ありえません。そのありえないことが、麻雀ではまま起こりうるからです。しかし、この事実をもってして、ゲームとしての完成度の低さを指摘するのは、間違っています。麻雀というゲームの本質は、「運のパラメータの可視化」にこそあると言えるでしょう。日々「ただ死なない」という事実にさえ薄く消費されていく個人の持ち運の総体を、暗闇でフラッシュを焚くように、一瞬だけ目に見えるものにしてくれる装置なのです。個人的なことを言えば、何か大きな決断を伴う行動があるときなど、ネット麻雀の東風戦を1回だけ打ち、その時点の運の状態を確かめて、指針にすることがあります。オカルトめいた話に聞こえるでしょうが、存外これが馬鹿にならない精度で結果に影響するのです。
ノーマーク爆牌党に話を戻しますと、なんど手に取ったかわからない最終巻を再び通読して、「人智のみでゲームを支配してきた者が、ゲームの本質を理解した者に敗れる」という展開ーー流れはキミに47ピンをつかませるーーに、かつては気づかなかった深い人生訓を感じました。そして、その余韻を駆って1巻を読みだしたところ、麻雀をディスる残念な容姿に描かれたワンレン・ボディコン女性の顔面を、走ってきた主人公が勢いよくグーで殴るーー殴られた女性は道路を転がっていき、街路樹に激突するーーという見開きのシーンから始まっており、「いやー、忘れてたけど、カタチン作品はこれがあるからなー、一見さんにはハードル高いよなー」と思わずひとりこぼしてしまいました。ちなみに、2話の冒頭はゲーセンでの脱衣麻雀から始まることをお伝えしておきます。いや、本当に面白い作品なんですよ?