猫を起こさないように
スーパーカブ
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アニメ「スーパーカブ(最終話)」感想

 アニメ「スーパーカブ(11話)」感想

 スーパーカブ、最終話を見る。富士山に登る話とシーちょう救助の話をはぶいて、このツーリングを3話くらいかけてやれば、かなりマシな読後感になったのになーと思いました。しかし、最終話を見て強く感じたのは、これが多くのファンタジーと現実のオミットによって成立している物語だということです。まず私がシーちょうの親なら、うろんな友人たちとのバイク(しかも、スーパーカブ)による西日本横断の旅なんてぜったいに許さないでしょう。ソロでキャンプをするアニメもそうですけど、単独行動する若い女性たちへ向けた男性たちの危険な劣情を、わざと脱落させることで物語を成立させてませんか。次に、スーパーカブの「スーパーカブが守ってくれる 」という言葉は大ウソで、単車での交通事故がライダーにどれほど悲惨な結果をもたらすかは、皆さまもよくご存じのことでしょう。「出発1時間後に入念な整備をすることで安全が得られる」みたいな語りがありましたけど、どれだけ注意したところで、無謀な運転手からのもらい事故は避けようがありません。そして最も大きなファンタジーは、本作において乗用車と歩行者がほとんど申しわけ程度にしか描写されないところでしょう。車なしでは生活できない試練の大地・ナラフォルニア在住だからわかるのですが、乗用車と歩行者とバイクによる三すくみのトライアングルは、互いが互いを「死ね」と思っている実線で構成されています。つまり本作では、狭い車線を時速40kmくらいでチンタラ先行するバイクへと向けられた乗用車からのまなざしと舌打ちが削除されており、だからこそ爽やかなロードムービー感を醸成できているのです。

 スーパーカブ、1話は主人公の語りがほぼ存在せず、演出のみで見せていく形だったため、まんまとだまされてしまいましたが、この人物(イコール作者)の自意識がかなり独特であることが、あとになってどんどん判明していきました。原作では男性バイカーのむこうずねを靴で蹴り上げるシーンまであるようで、ファーストインプレッションからカン違いしたこちらが悪いのですが、やはり相当に奇矯な性格のキャラクターだと言えましょう。話は少しそれ、たぶんそれたまま終わりますけど、フィクションの中で女性が男性にフィジカルで優越する描写って、近年とみに多くなってきたように思います。これ、現実の若い女性にとって悪い教育になってませんかね? むこうずねを蹴り上げた男性は逆襲してこないし、逆襲してきても返り討ちにできるって思いこむようになりません? まあ、現代社会で全力のフィジカルをぶつけあう瞬間なんてスポーツ以外にほぼないわけですが、フィクションによる補正を無視して、「男性とやりあっても勝てる」という刷り込みが若い女性たちに生じるのだとしたら、日常のある瞬間に決定的な悲劇をもたらす原因になってしまわないか、心配します。ネットでペロペロと論議なさってる方々もそうですけど、「対面することの圧力」と「肉による暴力の予期」って、現実のコミュニケーションにまま生じる摩擦係数で、これを無視した計算でシューッと気持ちよく滑っている感じは、私にとってなんだかモゾモゾと気持ち悪いものです。

アニメ「スーパーカブ(11話)」感想

 アニメ「スーパーカブ(10話まで)」感想

 あかん、スーパーカブの11話がおもしろすぎる。あとでなんか書くかも。

 スーパーカブ11話、見る。作画崩壊って言葉があるじゃないですか。納期に追われて絵が間に合わなくなるやつ。いや、作画は安定してますよ。問題なのは、それ以外のすべてです。今回ついに、シナリオが崩壊し、演出が崩壊し、極めつけは主人公の一人称が「スーパーカブ」になって人格が崩壊しました。

 前回も言いましたけど、友人の遭難事故に際して、まず警察と相手方の両親に電話してから、それでも居ても立っていられなくなって、カブで走り出すならわかるんですよ。それを「スーパーカブが行く」などと自我と無機物との境界が壊れた言葉を放ったあと、無連絡の単機で救援へと向かうのです。そのあげく、ぬかるみに車輪を取られて二次遭難しかかる描写が丁寧に入っていたり、視聴者の情動をどう誘導したいのかサッパリわかりません(主人公のアホさへの苛立ち?)。

 そして、沢で倒れている友人を発見したスーパーカブはほとんど垂直に見える濡れた岩肌を伝い下ります。てっきりスーパーカブが友人を背負って斜面を登るのかと思いきや、「オレはオマエをかつげない。サポートはするが、ひとりで登れ」などと星一徹だか百獣の王だかみたいなことを言い放ちます。これにはFF11をプレイする手が止まり、思わず「えー!」と声が出ました。友人が垂直の壁面を自力で登ったあと(登れるんかい!)、スーパーカブはカブキチガイの友人に電話をし、何ごとかを頼みます。間接的にですけど、ようやく相手方の両親と警察か消防に連絡してくれるのだとホッとしていたら、何を思ったのかスーパーカブは友人を抱き上げ(さっきかつげないゆうてたやんけ!)、スーパーカブの前カゴにダンケダンケとブチ込みます。困惑する友人が見上げたスーパーカブの顔は、ネットで道交法違反だと重箱の隅をつつかれたことへの怒りに燃える鬼の形相をしており、KOGUMAというよりAKUMAのようでした。しかし、BPOへの配慮からか、凄腕アニメーターの欠如からか、前カゴに女子高生を乗せたスーパーカブがサイレンを鳴らす多くのパトカーに追われながら公道を疾走する様を長尺で描かなかったのは、とても残念です。

 そして、てっきり病院か両親の元へ連れて行くのだと思っていたら、なんとスーパーカブは女子高生を自宅へと持ち帰ります(流行ってんの、この設定?)。沢に落ちて、その姿勢のまま動けなかったのだから、打身や捻挫や骨折や外傷性ショックや低体温症や脳震盪を疑ってしかるべき状況です。いや、一人称がスーパーカブの級友へまっさきに電話するぐらいですから、頭を強く打っていることは間違いありません。

 スーパーカブはこごえる友人を温めようとバスタブに湯をためるのですが、熱湯を水でうめるタイプの蛇口なのに、青へは触れず赤のハンドルだけをグイと強く回したのです。沢落ち以降、すべての行動が社会常識から逸脱していくことを考えれば、いよいよゆるふわ日常系アニメの枠から離れ、友人を熱湯風呂へダンケダンケと放り込み、全身やけどを負わせるようなサイコホラーへと変じたのではないかと疑いました。あやういところでカブキチがスーパーカブの自宅へと到着し、団塊老人の横顔で「オフロ、オフロ」と言いながら女子高生の煮汁たっぷりの浴槽へ向かって、かろうじて日常は回復します。

 スーパーカブが友人のパンツを部屋干ししようとすると、シーちょう(C調?)だかゆうこの人物は一種異様なまでにうろたえ、激しい羞恥を露わにします。いまどきの女子が、下着ぐらいでこれほどうろたえるものでしょうか。このシーンは団塊老人による願望、すなわち昭和の少女幻想を強く感じさせます。そして、なんでもレトルトで済ませる一人ぐらしの女子高生が、卵をあらかじめゆでておき、カラに極太マッキーで「ゆで」と書くだろうかという深淵な命題(演出の失敗)を我々に残したまま、カレーうどんの夕食(スカトロジーの暗喩?)が終わります。

 罪悪感から皿洗いに従事するシーちょうへ向かって、カブキチが唐突に満面の笑顔で「オマエの高級自転車はフレームがイカれてて、もう廃車だ」と告げ、スーパーカブからの電話が両親・警察・消防への連絡を依頼したものではなく、自転車の引き上げのみをお願いしていたという衝撃の事実が判明します。シーちょうの手にしたうどん鉢から水道水があふれて感情の高まりと決壊を暗喩するという、ツバキの落下が処女喪失を示すみたいな演出のあと、シーちょうは「冬はイヤなんで、いますぐ春にしてください」などとスーパーカブにウワメヅカイでしなだれかかるのです(前から思ってましたけど、この子ちょっと知能の発育に問題があるんじゃないですかね? FGO第2部ふうに記述するなら「恥丘白痴化」ですか?)。その未就学児ばりのムチャぶりに、スーパーカブは「それは、スーパーカブにもできない」と返答します。このくだり、くしくもブロント語と似たような話法になっており、不意をつかれて(ふいだま)思わず爆笑してしまいした。

 翌日、大きなママチャリに乗って登校してきたシーちょうを、スーパーカブはネットリと視線で追いかけます。1話からの行動を順にならべてもわかるように、スーパーカブはかなり発達に特性を持った人物です。しかしながら、シーちょうがママチャリに乗ってきたことを脳内で描写するト書きはその特性を越えて、リタイア後にブンガクをやり始めた団塊老人みたいなキモチワルイ筆となっていて、キャラとシナリオ崩壊の印象をいっそう強めるのです。

 さらに場面はシーちょうの実家である喫茶店へと移りますが、ご両親はスーパーカブとカブキチに手放しの感謝をしか示さないんです。ケガが無かったからよかったようなものの、ふつうの親ならスーパーカブのおかしな判断に嫌味のひとつも言うでしょうし、娘には奇矯な級友たちと今後は距離を置くよう裏でささやくかもしれません。山奥の自営業とアメリカ人だから、常識がブッとんでいるんでしょうか。かてて加えて、ご両親はスーパーカブとカブキチに向こう1年の飲食無料券まで渡すのです(このカード、店にあらかじめ備えてあったものみたいですが、どういう一般的な商いの状況で客に渡すんでしょうね?)。娘の生命と1年分の飲食代金が等価というのは、なんとも下品かつ卑しいジャッジで、山奥の自営業とアメリカ人だからこそ為せるワザなのかもしれません。これまでも娘の友人のよしみ、タダで飲み食いさせてもらっているのだろうと好意的に補完してたんですけど、このやりとりから食費を切り詰めるために自炊をするかたわら、500円以上する高級豆のコーヒーを自腹でガバガバ飲みまくっていたことが確定してしまいました。

 そしてラストシーン、シーちょうから白痴的笑顔を向けられた瞬間、なぜかスーパーカブの頭髪は前方から送風機を当てられたようになびきはじめ、初代SAWラストシーンばりの回想フラッシュバックが始まるのです。1話の坂道でスーパーカブの自転車を後方からブッちぎっていったのが、じつはシーちょうだったことが明らかになったり、スーパーカブが「このままではフユ(?)に殺されてしまう」とか言い出したり、マーダーミステリーにでもジャンルが変わったのかと一瞬、本気で戸惑いました。

 次回が最終話とのことですが、春の鹿児島でカブキチがスーパーカブの左足をスーパーカブの前輪で轢断し、「嗚呼、フユの毒素が下半身から抜けていく」とか言いながら息絶え、その遺体が団塊老人にメタモルフォーゼして終わったりしないか、怖くなってきました。

 ともあれ、「SHIROBAKO」を見てアニメ業界に入ろうと思っている諸氏は、シナリオ・演出ともに超高校級のバッド・サンプルであるスーパーカブ11話をケンケンフクヨーし、他山の石としましょう。

 アニメ「スーパーカブ(最終話)」感想

アニメ「スーパーカブ(10話まで)」感想

 恩義のある絵師が紹介していたので、スーパーカブ1話を見る。語りすぎない丁寧で静かな演出に心いやされるのですが、鬱病患者にとっての精神的おかゆみたいだな、とも同時に思うわけです。現代のオタクたちは咀嚼力を失っていて、ここまで噛み砕かないと栄養として摂取できないのか、つまりは直面する現実に疲弊しきっているのかという印象を持ちました(シンエヴァは、患者へ意志確認をしない胃ろうでしたが……)。

 いま隆盛を極めている、この「初老男性が愛好するニッチな分野を女子高生の主人公が体験する」ジャンル(名称あるの?)ですけど、これ男子高生だったらやっぱりダメなんですかね? ダメだろうとは感じるんですけど、ダメな理由を言語化できません。そこで提案ですが、「初老女性の愛好するニッチな分野を男子高生の主人公が体験する」ジャンルってどうでしょうか。この世にすでに存在するのだとしたら、ぜひ作品名を教えてほしいです。さっきの命題を逆照射することで、解答にたどりつける気がするんですよね。

 あと、スーパーカブの主人公って加害側の交通遺児だと思うんですけど、「若おかみ」みたいにテーマとしての焦点化はせず、最後までこの設定とは距離をとって終わってほしいなと思っています。

 映画「若おかみは小学生!」感想

 スーパーカブ、続けて見てるけど、無味無臭の白がゆから、どんどん味付けが濃くなっていくなー。富士山をカブで「うおーッ!」とか言いながら登る話には、「いやいや、そうはならんやろ」と思わず失笑が漏れてしまったし、文化祭の手伝いをカブでする話での主人公のセリフは、完全に「団塊世代の独居老人がする、女子高生へのウエメセ説教」と化してました。梅干しトッピングとか中華味とかいらんから、1話の白がゆに戻してほしいなーと思いました。

 スーパーカブ、アマプラだから一週遅れぐらいで見てるけど、どんどんヘンなアニメになっていくなー。なんていうんだろう、料理ではなくバイクですべてを解決しようとする、狂気と説得力に欠けた「美味しんぼ」って感じ。パーツのためにあれだけ食費を切り詰めてるのに、一杯で五百円以上はするだろう高級豆のコーヒーをガンガン飲みだしたり、沢に落ちた女子高生が親でも警察でもなく友人に電話で助けを求めたり、スーパーカブという重力場で作品内のすべての事象が曲がっていく。原作もこんななの?

 アニメ「スーパーカブ(11話)」感想