猫を起こさないように
スパイダーマン
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ゲーム「ファイナルファンタジー7リバース」感想(初回クリア)

 コスモキャニオン到着

 ファイナルファンタジー7リバース、85時間で初回クリア。ここまでずっと120点の評価だったのが、最後の最後で80点ぐらいに収束したことを、まず最初にお伝えしておきます。全マップにおける探索要素の9割くらいを達成し、もう20時間はレベリングとミニゲームで遊び続けることもできたのですが、とりあえずエンディングをいちど見ておこうと、「もう戻れません」の警告を越えてストーリーを進めたのが運のつきと言いましょうか、好印象のさがり目でした。FFシリーズのラストダンジョンが伝統的にアホみたく長いのは、ファミコン時代からのファンにとって百も承知の事実ながら、本作のキモであるエアリスの生死をペンディングにしたまま、どの瞬間にセフィロスがボトッと落ちてくるのかビクビクしながら攻略を進めていくのですが、そこから優に5時間ほども寸どめの引きのばしが続くなんて、想像だにするわけないじゃないですか! 最後のほうは緊張感に疲れはててしまい、ソファの背もたれに深々と身体をあずけての、完全な精神的グロッキー状態でした。忘らるる都の最奥のドンつきで、ようやく天井からGのごとく(ダブルミーニング)降ってきたセフィ公の日本刀をクラウド氏が剣戟ではじきとばした瞬間だけは、さすがに例のミーム画像よろしく叫び声とガッツポーズが出たものの、そこからセーブ不能のラストバトルが冗談ぬきで2時間ほども続くのです。平日の仕事終わりにこれへ着手したものの、定時の入眠と起床を数十年にわたり自身へと課している社畜は、現実でのタイムリミットに中断を余儀なくされ、イチから3回やり直すハメになりました。

 エンディングを見るまでは、「30年前に400万人のKURAUDOのひとりだった者だけが、もっともリバースを楽しむことができる」とカウンター席で常連客の優越にひたっていたのが、穏やかだった店の大将(ノムさん)が突如、鬼の形相へと変じて戸口で塩をブンまきながら「一見さんは、お断りじゃーい!」と絶叫しはじめ、おびえた若い観光客たちに説明のいっさい欠落した理不尽をあびせたままで終わってしまった。物語を読み解く上での重要事項である「ザックスの生死」「クラウドの正体」「エアリスの顛末」「セフィロスの目的」について最後までボカしたままで、オリジナルをプレイしたことがある個人の脳内情報へすべて依拠した語り方になっているため、エンディングまでの道行きはそれ以外の新規層ーーもしいればの話ですが!ーーには、なにが起こっていて、どこが驚くべきポイントで、どれがストーリーの焦点なのか、まったく理解できないと思います。マーベルお得意のマルチバース展開は”なぞらず”に、量子力学をベースとして「オリジナル」「リメイク」「派生作品」の「可能性かさねあわせ(世界一有名な猫)」を描こうとしているのは、気宇壮大な志として百歩ゆずって受けいれたとしても、その試みが成功しているとはとても言えません。

 オリジナルの7もそうでしたけど、「語り口のつたなさと情報開示の下手さ」を受け手がミステリー要素として勝手に考察を重ねた側面があるので、本作も最後の最後でその弱点が露呈してしまったと言えるでしょう。せめて、伏線を張りまくった「エアリスの顛末」と「クラウドの正体」は、リメイク2の段階で確定的に語ってしまわなければならなかったーーきっと4年後には、だれも覚えていないーーのに、「どうにも決めきれないから、最終作へと先送りにした」ような、優柔不断の怯懦による漂着としか見えません(エアリスをライフストリームに還す有名な場面がオミットされているのも、生きているか死んでいるかをハッキリと決められなかったからでしょう)。ここまでオリジナルに依存した作りになっているのだから、「凶刃をしりぞけ、生存が明示される」だけで、近年の作品で例えるならば、スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのような深い感動とカタルシスを観客に与えられただろうにと、心の底から残念でなりません。「セフィロスの目的」についても、作中ではいっさい触れられていないのに、エアリスがエンディングで突然、「メテオをふせぐために、ここに残って祈る」とか言いだすのは、リメイク単体では物語が作れていない証拠でしょう。「コミカルパートは最高だけど、シリアスパートは前戯がヘッタクソ」と吐き捨てて、リバース全体に向けた最低の総括へとかえたいと思います。

 最後に、はじめてエフエフ7へ触れる若い世代のために、古きオタクの責任として「リメイクを真に楽しむためのネタバレ」を敢然と行っておきましょう。ふつうは「知ってしまうと、面白さが減ずるもの」ですが、本作は「知らないとなにが面白いかわからない」ので、しょうがないですよね! 「ザックスはクラスファーストのソルジャーだが、すでに死亡している」「クラウドはザックスに憧れる一介のモブにすぎない(冒頭でセフィロスと共闘していたのはザックスで、クラウドはヘルメットの雑兵)」「エアリスは忘らるる都でセフィロスに刺殺され、ライフストリームへと還る」「セフィロスの目的は自身とライフストリームに還れない者たちのために、星ごとメテオで破壊すること」ーー以上の4点を、古参どもはいまさら確認するまでもない当然の前提知識としてプレイしており、これらはなんとリバース中で、いっさい明示的に語られないのです。だからさあ、情報開示がヘッタクソやねん! なんでコミカルパートにあった鳥瞰的かつ客観的な視点が、シリアスパートでは消えてまうんじゃ、このダボが!

映画「スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム」感想

 スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホームを見てきました。こちらは前作の感想ですが、こういったヒネクレた視点を持つ人物に平手打ちして、ハッと目を覚まさせるような快作でした。ネタバレ厳禁みたいなふれこみに、「どうせ別世界でロバート・ダウニーJr.と再会して、アベンジャーズのリーダーを改めて任されるんやろ?」とかなり斜に構えた態度で見始めたのですが、最初の敵の登場に「あれっ、まさか」と思ったらそのまさかで、あとは2時間半が瞬く間に過ぎ去る大号泣の大冒険。よくぞ思いつき、よくぞ権利をクリアし、よくぞ撮ったと思います。

 アメイジング2の感想を読み返すと、かなり辛辣にこきおろしていますが、ラスト直前で落下していくヒロインへ必死に追いすがり、地面から数十センチのところで彼女の胴体を糸でつかまえるも、引き上げる衝撃で海老反りとなって後頭部をしたたかに打ちつけ、死ぬ。このシーンを真横からのカメラで見せつけられたのが長年のトラウマになっていたことに、今日ようやく気づきました。手を伸ばすトム・ホランドが敵の攻撃に吹きとばされ、「ああ、また!」と脳裏にあのビジュアルがまざまざと再生された次の瞬間、颯爽と現れたアンドリュー・ガーフィールドが追いすがり、ついに8年越しの無念をはらしたのです! 救出直後の彼の表情にとても強くシンクロしてしまい、知らず多量の涙がマスクの上にまでほとばしり出ました。トラウマの存在を自覚したと同時に、それがそのままスーッと消滅していく体験であり、「憑き物が落ちる」とはまさにこのことでしょう。

 そして、怒りに支配されるトム・ホランドがあわや人殺しとなるのを、すんでのところでトビー・マグワイアが食い止めた場面は、憤怒の演技がヘイゼン・クリステンセンそっくりだったせいか、「ジェダイ聖堂でアナキンの殺戮を阻止できたオビワン」を連想して胸が熱くなったのは、自分でも驚きでした。それにしてもトビー・マグワイア、相変わらず童顔ですけど、いい年の取り方をしましたね。口元のはにかみ方が若い頃のままで、すごくいい。

 ノー・ウェイ・ホーム、少年が喪失を乗り越えて大人になる話であると同時に、スパイダーマンという作品を本来あった場所へと戻す話でもありました。アベンジャーズは東映まんがまつりのヒーロー大集合に過ぎないのに、各主人公の本編を乗っ取っていく感じが気に食わなかったのですが、今後の展開がどうなるかはいったん置くとして、本作でかなりその溜飲が下がりました。シンエヴァも、シンジがアスカを鳥葬から助けて日本に四季が戻るぐらいの展開でよかったんですよ、本当に。また愚痴になってしまいましたが、ともあれ、「スパイダーマン8部作」という新たな概念が誕生したことに、ブラヴォの拍手を送りたいと思います。

 余談ながら、3人のかけあいがどれも楽しくて、特にトビー・マグワイアが「君はアメイジング」とアオりまくり、アンドリュー・ガーフィールドが「オレなんて」と自己卑下しまくるのには、大笑いしました。当時はあんなに悪しざまに言って、ごめんね。いまさらながら、アメイジング3を撮らせてあげてほしいなあ。内容に期待はしてないけど、9部作のほうが収まりがいいからね(ひどい)!

映画「スパイダーマン・ファー・フロム・ホーム」感想

 ここ数日、スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホームの大絶賛がタイムラインに続々と流れてくるので、もうマーベルのヒーロー物は見るまいと思っていたんだけど、ネトフリで前作のファー・フロム・ホームーーこちらもずいぶんと評判がいいーーを視聴する。あのさあ、キミたち、サム・ライミにはあれだけ辛辣で、アメイジングも2作で中絶させたくせに、アベンジャーズに組み込まれた途端、評価基準がダダ甘になってない? コロナ以前を強く感じさせるヨーロッパ観光地巡りみたいな中身で、「よーし、エンドゲームも公開されたし、スタッフの慰安旅行をかねて、軽くもう1本撮影すっか!」みたいなノリでカメラ回してません? やっぱり、私にとってのピーターは幼少期を孤児院で過ごした(サイダー・ハウス・ルールと混同)トビー・マグワイアだし、私にとってのMJは顔面アファーマティブ・アクション女優のキルスティン・ダンスト(一目で処女ではないとわかるド迫力)なのです。

 シネマティック・ユニバースとやらに組み込まれちゃうと、映画単体で主人公の運命が決まらないからどこか緊張感に欠けるし、現代社会に対する批評性が消滅してコミック世界の内側へと閉じてしまうような感覚があります。

 あと、金髪碧眼少女とアジア人のおたくデブが恋仲になるみたいな挿話だけど、ちょっとあからさまにポリコラれすぎてて、逆にバカにされてる気になりません?

 映画「スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム」感想