クイーンズ・ギャンビット見はじめたけど、すごい面白い。SF愛好家だったので、「偶然、女性という容れ物に入ってしまった知性体」みたいな女性に弱いんだと思う。「内ももに流れる初めての経血を水道水で洗おうとする」演技はエイリアンじみててグッとくるし、「向精神薬を服用すると幻のチェス盤が天井に現れて勝つ」とかも異質な肌触りのビジュアルで素晴らしい。リトルグレイみたいな目でガンにらみしてくる2話以降の女優もいいんですけど、ホラわたしSF愛好家であると同時に小児愛好家なんで、1話の子役がひさしぶりの大ヒットで、大量のカプセル剤をむさぼり食うシーンで思わず「キャーッ!」って黄色い声をあげちゃいましたよ、中年のオッサンなのに。
クイーンズ・ギャンビット見終わった。1シーズン7話で完結という物語サイズが、たいへんに具合がよろしいと思いました。ヒットが生まれにくい時代に、ヒットした作品を薄く薄く引き伸ばして延命させる手法があちこちのエンタメ業界で横行してきましたが、本邦では例の作品の大ヒットから「誰でも途中参入できるサイズ感で、キチッと物語を完結させる」のが大事だとわかってきたように思います。百巻とかシーズン10とかになってくると、見れば面白いのかもしれないけれど、それだけで参画の意志をだいぶにくじきますもの。張られた伏線なんかもストーリー全体が長すぎるとわからなくなってくるし、作者と熱心なファンに「96巻のこれは1巻のこのコマが伏線になってて〜」とか語られても、もはや生温かい笑顔で聞き流す何かでしかなく、作品の魅力や面白さのプレゼンになってないんですよね。
本作の感想として「終盤、かつての敵と味方が大団円に向けてピースのようにはまっていく快感」から「少年ジャンプの漫画みたい」というものが散見されるようです。私はと言えば、「孤独とアイデンティティ」「才能とディスコミュニケーション」というテーマから、これはチェス版の「あしたのジョー」だと感じました。もちろん主演女優のビジュアル的インパクトと演技力はこのドラマに不可欠ですが、物語の本質部分に性別はほとんど影響を与えていないように思います。さて、隙あらば有名作にからめた自作語りをしていきたいのですが、「偶然、女性という容れ物に入ってしまった知性体」というモチーフはMMGF!の6章に見ることができますし、同作の「終盤、かつての敵と味方が大団円に向けてピースのようにはまっていく快感」もじつに少年漫画的であると言えましょう。つまり、クイーンズ・ギャンビットを楽しんだ誰かは、MMGF!の潜在的な読者だと言えるのです(同心円状の黒目で)!
ともあれ、ピリオドを人生という全長のどこへ置くかが物語の質を決めると指摘してきた身として、本作のそれは正にハッピーエンドとして非のうちどころがなく、エンディング後にたどるだろう主人公の余生について、幸福を手に入れる展開が全く想像できないことをのぞいては、完璧な幕引きだったと思います。