猫を起こさないように
麻雀
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アニメ「ぽんの道」感想(あるいは、麻雀とはずがたり)

 ぽんの道を3話まで見る。ここからは本作にかこつけて、麻雀なる遊戯に関して世代間にわたる意識の違いを、独断的かつ一方的に記述する内容となる予定である。当時の市場規模なりに一世を風靡して、アニメ化にまでいたったスーパーヅガンで麻雀のルールを知り、阿佐田哲也のギャンブル小説群はすべて履修を終え、哭きの竜とショーイチをすりきれるほど読みかえし、スーパーリアル麻雀P3で人には言えぬ欲望を解放したリトル・ライフa.k.a.オールド・ファッションド・ラブソングにとって、麻雀なるもののイメージは「ヤクザ」「違法賭博」「裏社会」「脱衣」とわかちがたく結びついてしまっている。もう数年は前になるのだろうか、とある収録のバラエティ番組で、十代とおぼしき女性アスリートが「わたし、よく麻雀やるんですよー」とほがらかに語るのを聞いてギョッとして、すべてのながら作業を止めてテレビ画面をマジマジと見つめてしまったのを思いだす。生放送でないということは、テレビ局や番組スタッフや所属事務所や、もしかすると親御さんまでをも含めた複数の大人が、「編集で消さなくてもよし」との判断を下したということなのである。界隈の客層の悪さについては、主にフィクションから身にしみており、それこそ責任のある大人になってからは、「麻雀牌の存在する場所へは、決して近づかない」を意識していた身にとって、これはかなりの衝撃的な事件であった。この少女はスマホで麻雀をしているとのことで、おそらく使用アプリは大陸産の雀魂であろう。「ネット麻雀といえば東風荘」な世代にとって本来は、はぐれ者(出目徳!)の人生破滅遊戯であるのに、愛らしい萌えキャラの力によってここまでカジュアルな言及が可能なレベルにまで麻雀が脱色され、脱臭され、無害化されている事実に、大きな時代の変化を感じてしまったのである。

 ぽんの道についても、本作が竹書房どころではない講談社の、しかも「なかよし」連載であることに、サルトル的な実存のめまいをともなう強い異世界転生感をおぼえている。この気持ちを例え話で表現するなら、「天皇の崩御で恩赦を得た誘拐殺人犯が、近所の小学校で児童に人気の先生になっている」くらいの感じで、その先生の素性を知っている市井の一市民として、どこの教育委員会に密告しようかと小一時間ほど部屋の中をウロウロ歩きまわってから、例え話だったと思いだしてハッと我にかえるぐらいの狼狽ぶりなのである。読者アンケートによって、「雀魂を通じて、小中学生の女子に麻雀は静かなブームとなっている」みたいな分析から連載を決めたのだと推察するが、賭博愛好のうれしげなネット民のみなさんは、うかうかと口を開いて不用意なことを言う前に、大人として冷静になってくださいね。いったいぜんたい、どこの中高にマージャン部が実在し、甲子園に相当する大会めざして日々の練習を重ねているというのでしょうか。「酒、タバコ、麻雀」はヤンキー3種の神器であり、むしろ生徒指導により校内から排除される対象ですらあるのです。仮にですよ、御社を志望する就活生が、趣味やガクチカに「麻雀」と書いてきたらと想像してみてください。私が人事の採用担当なら、相殺できるよほどの加点要素がなければ、まちがいなく書類選考で落とします。会社のカネを、万が一にでもバクチに使われたら、たまりませんからね! すこし話はそれますが、最近では「親ガチャ」や「毒親」という単語がエス・エヌ・エスでカジュアルに使われすぎて、なんと採用面接で産みの親の悪口を言いだすヤツまで出てきたなんて話を耳にします。生まれたときからインターネットが存在する世代は、「現実において口にすべきでないことは、あるレイヤーから上において確実に存在する」ことに気づく機会をあらかじめ奪われているんでしょうねえ。いいですか、老婆心から忠告しておきますけど、雀魂やぽんの道で麻雀にハマッた学生さんは、ワンチャン若手のリクルーターには通用したとしても、ジェイ・ティー・シーの役員面接で、「大学時代に力を入れたことは、麻雀です! 雀荘は暴力をふるう義父からの、格好のシェルターになってくれました!」なんてぜったいに言ったらダメですからね!

 脱線だらけでぜんぜん作品の話にならないため、最後にもう一度、ぽんの道へと話を戻してみましょう。本作の印象をざっくり一言でまとめてしまうと、「オッサンのニッチな趣味を、中高生女子に男子不在で取り組ませる作品群のひとつ」であり、舞台を地方都市としているところが、シンカイ某「ユア・ネーム」後の作品だと教えてくれます。「なかよし」連載であることからもわかるように、本作は小中学生の女子へ麻雀の楽しさを伝えることを目的としているはずなのですが、アニメ版はその初期動機とも言うべきものを完全に裏切った客層へ向けてボールを投げているのは、非常に気になるところです。そもそものキャラデザからして、原作の「小さくて、かわいい」から「大きくて、セクシー」へと、なぜか大幅に改変されており、特にお嬢さま属性を担当するキャラなどは、あまりの大きさに手元の牌を確認するさい、自前のパイしか見えないのではないかと心配になるほどです。また、1話の後半に「ざわざわ」のアレを皮切りとして、ネットバズをねらった過去の麻雀漫画パロディがなんの脈絡もないまま、これでもかと連発されるのですが、「原作ファン層には意味不明で、元ネタを知っているオッサンたちにもしつこすぎてサムい」という、だれも得しない仕上がりになっています。全体的に、女子小中学生を対象とした原作を「四十代以降の古い麻雀ファン」に向けて再チューニングしたようなサジ加減で、毎話のエンドカードにギョーカイのジューチン(「盈月の儀」からの悪い影響)がイラストを寄せているのも、「昭和を令和で断罪する」現代社会において、リスクにしかなっていないように思います。冒頭で言及したスーパーヅガンにせよ、面白い麻雀漫画である以上に「昭和のイキり風俗」の集積ーーパッと思いだしたのは、実在する麻雀プロの分厚いクチビルを「カポジ肉腫」と揶揄する場面ーーでもあり、いまとなってはとても若いオタクたちに、履修をすすめることなんてできませんもの! 個人的に、「干支がひと回り以上はなれた相手との、プライベートな接触はひかえるべき」という感覚があり、それに照らして言うならば、「和気あいあいと楽しんでいる学生のグループに、昔のギャグでしつこくちょっかいをかけにいく中年のオッサン」みたいなアニメになっちゃってませんか、これ?(自分の言葉に、南4局での大トップから役満の三家和をくらってダンラスに落ちたのと同じ衝撃を受け、そのエネルギーを推進力として飛翔し、恋人が乗るアメリカ行きの飛行機へと追いつく)

漫画「ノーマーク爆牌党(電子版)」感想

 ノーマーク爆牌党、紙の本も持ってるんですけど、密林焚書で全巻をあらためて購入しました。まず5巻から最終巻までを読み直して、やはり他の漫画では味わえない面白さであることを再確認できました。むこうぶちが「麻雀という賭博をめぐる人間ドラマ」とするなら、ノーマーク爆牌党は「麻雀というゲームをめぐる競技ミステリー」とでも言えるでしょうか。前者が麻雀を知らなくても人間ドラマのみで楽しめるのに対して、後者は少なくとも「麻雀のルールを知っている」、願わくば「麻雀を狂ったように打っていた時期がある」ことが、ストーリーを楽しむための最低条件となっており、少々ハードルは高めです。本作の後半においては、主人公が前半と別の人物にスイッチされて、メジャー大会を9連覇する天才をいかに打倒するかが描かれていくのですが、麻雀における「不敗性」って、もし充分な説得力を持たせられれば、最高の面白さへと昇華するネタなんですよねー。

 将棋やチェスなら、プロが「ルールを知ってるだけの素人」に負けることは、まずもって120%ありえません。そのありえないことが、麻雀ではまま起こりうるからです。しかし、この事実をもってして、ゲームとしての完成度の低さを指摘するのは、間違っています。麻雀というゲームの本質は、「運のパラメータの可視化」にこそあると言えるでしょう。日々「ただ死なない」という事実にさえ薄く消費されていく個人の持ち運の総体を、暗闇でフラッシュを焚くように、一瞬だけ目に見えるものにしてくれる装置なのです。個人的なことを言えば、何か大きな決断を伴う行動があるときなど、ネット麻雀の東風戦を1回だけ打ち、その時点の運の状態を確かめて、指針にすることがあります。オカルトめいた話に聞こえるでしょうが、存外これが馬鹿にならない精度で結果に影響するのです。

 ノーマーク爆牌党に話を戻しますと、なんど手に取ったかわからない最終巻を再び通読して、「人智のみでゲームを支配してきた者が、ゲームの本質を理解した者に敗れる」という展開ーー流れはキミに47ピンをつかませるーーに、かつては気づかなかった深い人生訓を感じました。そして、その余韻を駆って1巻を読みだしたところ、麻雀をディスる残念な容姿に描かれたワンレン・ボディコン女性の顔面を、走ってきた主人公が勢いよくグーで殴るーー殴られた女性は道路を転がっていき、街路樹に激突するーーという見開きのシーンから始まっており、「いやー、忘れてたけど、カタチン作品はこれがあるからなー、一見さんにはハードル高いよなー」と思わずひとりこぼしてしまいました。ちなみに、2話の冒頭はゲーセンでの脱衣麻雀から始まることをお伝えしておきます。いや、本当に面白い作品なんですよ?

漫画「むこうぶち(56巻まで)」感想

 漫画「むこうぶち(20巻まで)」感想

 むこうぶち、既刊56巻まで読了。途中から読み終わるのが惜しくなって、1日1話にペースダウンしたので、ずいぶんと時間がかかってしまいました。こんなすごい漫画を20年も知らずにいたという事実に、古いおたくとしてはただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。舞台だったバブル時代はこの巻で終焉を迎え、いったん物語にはピリオドが打たれた感じですが、作品テーマを語り終えてから主要人物のひとりをキッチリ退場させましたので刃牙シリーズと同じく、ここからはどういう形で作品が途絶しても大往生と呼べるステージに入ったと言えるでしょう。基本的に単話完結なので、優秀な闘牌ブレインさえいれば、延々とバブル期の設定で連載を続けることはできたはずですが、いったん最終回を描いておきたい心境の変化が作者にあったのかもしれません。最後の頂上対決はたったの6話で完結しており、作者インタビューからも感じる、自作にのめりこみ過ぎない距離感に感服しました。アゴの尖った方の作劇なら、6話どころか20年かけて250話くらいに引き伸ばせただろう勝負ですのに!

 「長期連載はどこかの段階で必ず作者の人生や思想と骨がらみになり、大御所になっていく過程で編集者も口を出せなくなるため、歪みが修正されず大きくなってどんどん狂っていく」というのが私の持論だったのですが、むこうぶちは見事なまでにこれへ当てはまりません。あのね、強調しておきますけど、作画・ストーリー・キャラクターが20年の連載で少しも狂わないというのは、空前絶後の驚異的なバランス感覚ですよ! さらに主人公を「無人格の狂言回し」に置いたまま、最後まで正体を明かさなかったのも非常にポイントが高いです。本作は「人生で最高の漫画を10本あげよ」と言われたら、必ず入る一作となりました(もう一本は「ラーメン発見伝」シリーズ)。

 どの話もよくできてるんですけど、56巻478話のうちでもっとも印象的な回を2つ挙げるとしたら、まずは「石川さんの戦い」でしょう。軽度の知的障害を持つ工員が、作中はじめて御無礼の人にオーラスで振り込ませてトップを取るという展開に、いたく感動しました。他の作品だったら「聖なる白痴」みたいな描き方の女子高生とか出してきそうなところに、短躯でロンパリのオッサンを持ってくるのがすごい。そして、振り込んだときの御無礼の人の「信じられない」という表情が、とてもいい。これまでの何百話にわたる無敗があるからこその衝撃で、1分ほどまじまじとそのコマを眺めちゃいましたよ。もうひとつは事実上の最終話「バブルの終わり・完」で、御無礼の人がはじめて対戦相手の名前を呼ぶところです。これも475話の積み重ねがあっての名シーンで、いったんその台詞でページを繰るのを止めて、しばし虚空を見つめて感慨に浸りましたからね。勝手な投影ではありますが、麻雀を通じてしか他人と関われない奇形、そのディスコミュニケーションの極地が「思わず」ほどけた瞬間のように見えたのです。この作品を読むと、書き割りではない生身の人間が生き生きと描かれていて、いかに近年の虚構群が「記号によるキャラ化」で作られているかを対比的に痛感させられます。

 そして、エログロやギャンブルといった出自を持つ物語が高い普遍性を持ちながら、本邦では人口へ膾炙していく段階で、ある閾値を超えられないという現実は、じつにくちおしいことです。みんなもっと学校や職場や町内会やマンションの自治会で「ランス10」や「むこうぶち」を宣伝しよう!(無茶ぶり)

質問:麻雀出来ないので、麻雀漫画をスルーしてきた人生なのですが先日漫画家さんから麻雀漫画は麻雀を知らなくても面白いと言われ勧められたのがむこうぶちでした。猊下も推しとの事でしたら何を差し置いても読んでみようと思います!

回答:貴君の画業に間違いなくプラスの影響があることを確信しながら、「何を差し置いても」読むとの宣言には懊悩の微笑を浮かべる始末であります。むこうぶちの持つ美点として、男性の登場人物がじつに多彩であることが挙げられるでしょう。近年の虚構における男性はどれも、「イケメン」「イケオジ」「ブサメン」「キモデブ」ぐらいの単語を骨格に肉付けしてある感じといいましょうか、美醜と老若という2つのスライダーしか持たないキャラメイクになってると思うんですよねー。むこうぶちは基本的に単話完結になっていて、毎回ゲストキャラが入れ替わるのですが、外見を含めてひとりとして同じ造形の男性がいないのです。職業にもよると思いますが、現実でも日々交流がある人たちって、けっこう均質じゃないですか。そして年齢を重ねると、ますますその均質性は高まっていく。むこうぶちはフィクションなのに、「ああ、現実ってこんなにも多様だったんだ」とどこか気づかされる感じがあるのは、すごいなあと思っています。おススメである「石川さんの戦い」までは、ぜひ読んでほしいです。この人物をフィクションに登場させて、どの団体からも非難や抗議を受ける隙がないというのは、よく考えればとんでもない脚本力です。

ゲーム「ファイナルファンタジー14」感想、あるいは麻雀について

 土間式麻雀(土を突き固めて作った玄関口において、蚕や牛のかたわらで行う麻雀の意)! 小鳥猊下であるッ!

 何やら無料で四人対戦ができるとのことで、東風荘の閉鎖からこちら遠ざかっていたネット麻雀を再開してみた。何を隠そう、私は麻雀が弱い。雀歴は20年以上、阿佐田哲也や片山まさゆきや押川雲太朗の著作をすべて読破し、戦術などへの理解は深いはずだ。しかし、とにかく弱い。今日も今日とて「久しぶりに麻雀ってヤツをやってみるか」などとワニ蔵の顔でつぶやき、対局相手全員の手牌を読みながら、捨て牌の手出し・ツモ切りをすべて把握しつつ、真剣に打った。するとどうだろう、4連続ラスを引き、うち2回はトビ終了だった。内容はと言えば、12局連続ノー和了、数少ないアガリはすべて低目、勝負牌はことごとくドラを抱えた相手のペンチャン・カンチャン待ちにつかまる。

 麻雀というのは本当に怖い遊びで、ドラ集めと絵合わせでなく、真剣に取り組めば取り組むほど、その人物の現在のカンや運などのパラメータをじつに正確に反映するようにできている。私が株やギャンブルの類を一切やらないのも、麻雀を通じて必ずトータルで負けることを知っているからである。

 しかし、読書をしながらの片手間とか、酒を飲みながらの絵合わせとかになると、かなり勝ててしまうのである。私が物事に当たるとき、少し力を抜いて正面から組みにかからない理由も、ここにあると言えよう。

アニメ「咲-Saki-」感想

 アイ・アム・ワーキング・ライク・ア・ドッグ! 小鳥猊下であるッ! 激務を終えて久しぶりにメールボックスをのぞいてみたら、一枚の萌え絵も献上されておらぬとは、貴様らは俺様をナメておるのか! ユーブ・ガッタ・マニー・トゥ・バイ・ア・プロスティテュート?

 Huluで昔のアニメに加え、最近の萌えアニメが配信されていることに気づき、いくつかをつまみ食い的に試聴する。おたくディスをネットでの生業とする小生にとって、己のリリックを研ぎ澄ませるために必要な自己鍛錬であり、最低限の教養の習得であると言えよう。

 人生でいつか言ってみたい台詞ナンバーワンが「サンカンツリンシャンカイホウ、マンガン」であるところの小生にとって、萌え版・哭きの竜みたいな主人公が活躍する麻雀アニメが面白かった。対局中の女子が常に内股へ手をつっこんで恍惚の表情を浮かべる(たぶんマンコを触っている)ことへの違和感は最後までぬぐえなかったが、闘牌シーンのリアルさ(中身ではなく質感、為念)にはいたく感動させられた。最後に見た麻雀アニメがスーパーヅガンであるところの小生にとって、おそらくCGによるのだろうこの進化は、ファミコンからいきなりプレステ3くらいの衝撃だった。Havokエンジンの如く、あらゆる麻雀アニメに搭載されるデフォルトとなって欲しい。そしてこのエンジンで是非、ノーマーク爆牌党をアニメ化して欲しい。商業的な成功の困難が予想されるならば、登場人物全員を女体化しても一向に構わない。

 あと、関節部分をピンク色に着色する萌え表現が気になった。あんまり気になったので、都内の高級マンションに呼びつけた高級プロスティテュートの膝をファック中にチェック(リリックだ)したが、特に紅潮するようすは見られなかった。萌え業界のトレンドなのだろうか。有識者からの回答を待ちたい。

 それと、麻雀の役に例えると、私の人生はいつまでもシーサンプートウみたいだな、と思った。

 『多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える』

 質問:嗚呼、敬愛なる猊下。あー、それ普通にあります。関節と頬はピンクのブラシとばして中心にハイライトのホワイト。瑞々しさのお手軽表現と心得てます。

 回答:うむ? 瑞々しさの表現とな? てっきり肉欲の昂進か、脚気などの疾病か、畳の上で行われるバックからのファック(リリックだ)のいずれかを暗示しているのだろうと思っていた。しかしながら、この表現のパイオニアが、なぜ関節をピンクにすれば受け手に瑞々しさを想起させると考えるに至ったかについては、依然として謎に包まれている。萌えは難しい喃。