猫を起こさないように
踊る大捜査線
踊る大捜査線

映画「室井慎次・敗れざる者」感想

 室井慎次・前編を映画館で見る。踊る大捜査線シリーズについての印象を言えば、非実在警察署の捜査現場で起こる小規模なできごとをコミカルに描く小品ーー大上段な「大捜査線」とのギャップを笑うーーだったものが、映画版の1と2が空前の超ヒットとなり、それまではフレーバーにすぎなかった「本庁と所轄の対立」「警察機構の腐敗の是正」という、フィクションでは解決しようのない問題へと本格的に着手せざるをえなくなり、2の撮影後にいかりや長介が亡くなってからは、3と4でキャラクターの成長とテーマの前進が完全に停止して、同じ棒の周辺をグルグルと回る犬のようになり、おそらく制作者にとっても不本意な形でシリーズを頓挫させるハメになってしまったのです(もううだれも、2以降なんておぼえてないでしょ? 当時、いっしょに映画館へ行ったはずの家人にたずねたら、「え、3なんてあるの? 4も?」という返答でしたからね!)。

 そして、なにより忘れてはならないのが、大捜査線シリーズは脚本・撮影・音楽などの多岐にわたって、これ以上ないほど明々白々とした、旧エヴァの初期フォロワーだったという点でしょう。話はそれますが、シン・ゴジラにおいて、テレビ版エヴァの象徴である「でん・でん・でん・でん、どんどん」ーー加齢のせいで曲名を思いだせないーーを使ったのも、かつて踊る大捜査線に許諾を与えたことが、Qアンノの一線を越える決断を後押ししたのかもしれないなと、ふと思いました。フィクションの新旧を判断する個人的な基準として、旧エヴァをゼロ地点に置いているため、踊る大捜査線シリーズにはかなり新しいイメージをいだいていたのですが、もう20年以上前の作品であるという事実を前に、あらためて衝撃を受けておる次第です(じっさい、当日の劇場に座っていた客層は中高年ばかりであり、若いカップルなどは一組たりともいませんでした)。

 オープニングで過去作のダイジェストをラッシュで見せることで、脳ミソにウロの来はじめた観客たちに内容を思いださせ、本編終了後には作品内にちりばめられた小ネタの元となる旧作の場面を提示し、エンドロールの末尾で後編の予告をドンと打つーー全体を通じて、きわめて正しいパッケージングで作品が包装されており、さすが腐っても大手テレビ局の仕事だと感心させられました。かつてスタイリッシュで鳴らしたはずの演出も、令和の視点でながめると、スローテンポな浪花節みたいになっていて、演歌が古びていったのと似たような時代の推移を痛いほどに感じます。おしむらくは、私自身が本シリーズの熱心なファンでないことはない(二重否定)ため、完全新規の観客にとって、「はたして1本の映画として、成立しているのか?/おもしろいのか?」に回答できる立ち場にないことです。しかしながら、同行した家人の言を借りれば、「登場人物が役者としてではなく、ちゃんと物語内のキャラクターとして出てくる」ほど、作りこまれた世界観を楽しんだ劇場版第2作までのファンにとって、本作が120点の仕上がりであったことは、やはりお伝えしておくべきでしょう。

 大捜査線シリーズはスピンオフをふくめて、「すでに語りつくされた物語」であり、さらに言えば、劇場興収の誘惑から着地点を見いだせないまま、蛇足的に続編を重ねた「正しく終われなかった物語」でもあります。室井慎次・後編において、現在の「青島君」や「すみれさん」を登場させ、彼らの人生の変遷を描きつつ、「解決はまだ遠いものの、警察の状況はベターにはなった」ことを、現実社会の変化と重ねあわせて語る最後のチャンスを逃さず、今度こそ大捜査線シリーズが真の大団円をむかえることを切に願います。仮に本作がスピンオフの位置にとどまり、5などの本編がのちにひかえているとするならば、それは相当に厳しいと指摘せざるをえません。20年後からふりかえってみれば、このシリーズはいかりや長介の最晩年にレッドカーペットを引いた功績が最大のもので、それを証拠に彼の死による退場と物語の失速は完全に同期しています。いろいろ言いましたが、邦画史上、最大級のヒットとなった作品の末路が4のアレでは、どうにもしまらないじゃないですか。リブートへの余計な色気を廃して、今度こそ大捜査線シリーズを「正しく終わった物語」のカテゴリで上書きしてくれればと、いまは祈るような気持ちでいるのです。

 あと、本作の回想シーンを通じて、ひさしぶりに小泉今日子の怪演を目にしたのですが、昭和のピン・アイドルって「若さに由来する普遍的な美しさ」が消えたのちに、「美しい生き物として愛でていたら、その正体はおそろしい”けもの”だった」とでも言うような、「ほとんど怪物性に近い本領」の立ちあがる人物が少なくない気がします。近年のグロス販売なアイドル集団の中に、長い歳月に耐える怪物性を持った存在がはたしてまぎれているのか、むこう20年を楽しみに待ちたいと思います。