猫を起こさないように
蒼天航路
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漫画「フラジャイル(24巻まで)」感想

 フラジャイル、焦らずじっくり2日間で最新24巻までを読了。最初は無料公開でチマチマ読んでいたのですが、あまりに面白かったので電子書籍にて全巻購入してしまいました。K2を読んでいると年がいもなく「うわー、医者になりてー!」と興奮させられるのに、フラジャイルを読んでいると「うわぁ……医者にだけはなりたくねぇ……」とヒイてしまう対比の感じは、とても面白かったです。原作者が主導権を持つ序盤を過ぎて、10巻あたりから女性の作画担当がストーリーテリングのグリップを握り出すーー私の方が、原作の先生よりキャラを知ってるんだから!ーーと、漫画全体に艶めきと疾走感が生まれ始めるのは、良い原作つき連載(蒼天航路!)の証で、とてもすばらしいと思いました。当たり前に人が死ぬストーリー前半の酷薄な世界観に対して、中盤以降は作画担当が充填する愛の量で物語の見え方が変質する感じさえあります。もっと正しく言えば、確かに変わらず人は死んでいるのですが、感情を廃してそれをドライに映す「原作者のカメラ」が消失したとでも表現できるでしょうか。例えば、血液ガンにかかった16歳の少女は、原作担当のつもりでは間違いなく亡くなっていると思いますが、作画担当はピリオドの落としどころをそこへは定めなかった(余談ながら、弁護士編は確実にベタコの影響だと思います)。

 作品テーマとしては、「医療」に「フラジャイル」とルビを打ったり、「自分の生きている間に、階段を1歩あがる」など、23巻の時点で完膚なきまでの見事さ(変な表現)で終わっているので、いまはこの先をどうするか、もっと言えばどう物語を閉じるかに大きな関心があります。本作がずっと宮崎先生の成長物語であり続けたのに対して、森井君が序盤での挫折以降は女性視点による便利なオールマイティとして扱われ続けているのも気にかかります。これは統計ではなく感覚の話で、シェヘラザードではないですけど、「男性は物語を終わらせるように語り、女性は物語をいつまでも続くように語る」と思うんですよね。24巻に突入したのは語り残しを語るため以上の、女性的な力学が働いている気がしてなりません。フラジャイル、どこか王様の仕立て屋を連想させるところがあって、よりわかりやすく「美味しんぼ問題」と言い換えてもいいんですけど、長期連載は「物語を終わらせるために主人公チームを解体する」か「同じメンバーで題材だけを変えて語り続ける」かの2択になっていきます。後者の場合、作者のモチベーションか寿命の終わりが物語のそれと否応にリンクしてしまう点で、私はあまり好きではありません。「同じ人間が、物語という巡礼の果て、まったく違う場所に立つ」というのが良いフィクションの条件だと信じるからです。

 この物語が23巻で終わら(れ)なかった後は、男性の原作者と女性の作画担当、どちらの意志が綱引きで勝つかによって、「物語の終わり方」を変えることでしょう。作画担当が勝てば、詳しくは言いませんが、本作はいよいよ3月のライオンのようになっていくと思います。もし、男性の原理が勝つならば、フラジャイルの結末はこうです。ある日、岸先生が原因不明の体調不良で倒れる。その病理診断を宮崎先生が行うも、未知の病気で手遅れになってしまう。その大きな喪失を乗り越えて、森井君の時間は再び医師の道を志すことによって動きだし、宮崎先生は岸先生を死に至らしめた病理の解明によって「階段を1歩のぼる」ーー何らかの形で、一個の死がすべての終わりではない「人類総体としての継承」であることを描き、終わりたがっている物語にほどこす「延命のための延命」が回避されるのを、切に願っております。

 最後に自分語りですべてを台無しにしておきますが、岸先生の革靴を映しながら「階段を1歩のぼる」台詞のコマに大号泣する裏で、己の日々の奮闘は「少なくとも自分がいる間は、この組織に『階段を1歩おりさせない』」ぐらいの内容に過ぎず、フィクションの登場人物との間に横たわる長大な覚悟の溝に、少し呆然とした気分にさせられました。あと、「JS1」にせよ「遺伝子病の目視確認」にせよ、ノンフィクション寄りのフィクションに感じるフラストレーションは、「修行によって必殺技が完成し、憎き仇敵をボコボコにくらす」シーンが決して見られないことですねー。

ゲーム「FF11の思い出」その7

ゲーム「FF11の思い出」その1
ゲーム「FF11の思い出」その2
ゲーム「FF11の思い出」その3
ゲーム「FF11の思い出」その4
ゲーム「FF11の思い出」その5
ゲーム「FF11の思い出」その6

 FF11をやめるのは簡単さ、それを証拠に私はもう5回も引退しているからね! これはあれや、何年も課金してへんアカウントを消さずに残しておいてくれるスクエニが悪いんや! 例えるなら、オノレの身持ちの悪さで離縁せざるをえなかった恋女房が、何年経っても再婚しないままで、立ち寄ったら家に上げてメシまで食わせてくれて、着物の裾をまくりあげてなんならオメコもしときます?みたいなもんや! おどれ、期待さすなや! オレみたいな(次第に涙声となり)ク、クズに優しくすんなや!

 最近のエス・エヌ・エスを眺めるにつけ、感受性を精細にするとか、能力や技術を身につけるとか、時間当たりの効率を高めるとか、同じモノサシの直線上で前後だか上下だかにワチャワチャ移動することに、ほとんど意味を感じなくなってきた。年くったせいだろうけど近頃とみに、大切なのは手に入れたものを意識的に手放すことだと感じている。蒼天航路で諸国漫遊の旅から帰ってきた荀彧が「あらゆる土地を見聞し、あらゆる知識を身につけ、すべて忘れて帰ってまいりました」みたいなことを曹操に言う場面があるんだけど、すごく本質を突いてると思うのね。意識というテーブル(メモリ)の広さは限られていて、そこにいったん知っていることを乗せてからアウトプットする手順だと、出力サイズに限界ができちゃう。覚えてから忘れるのは言わば身体化のプロセスで、忘却からダイレクトに出力することで意識の制約を超えることができると思うんだよね。余談だけど蒼天航路でもういっこ好きな場面は、劉備が対面座位でセックスしながら相手と笑顔で目を合わせて「あー、きもちいいなー」って言うところ。本邦のまぐわいって、たぶん黒船以降だと思うけど、羞恥や淫靡でどちらかがどちらかを支配しにかかる感じが濃くて、江戸時代以前はこういうあっけらかんとしたやりとりだったのかなー、とか思ったのを覚えてる。でもこれ、よく考えたらアメさんの「オーイエスオーイエス、カモンカモン」とあんま変わらないよね。ぜんぜん関係ないけど、あっちのビデオがハイパーポジティブの女性上位なのは、撮影後にレイプだと訴えられないよう契約書に「恥ずかしがったりイヤがったり受け身だったりしちゃダメ」って書いてあるからなんだって。文化の違いってアホみたいだけど、難しいね。

 閑話休題。ジョーカーの感想のときにも書いたけど、どんな役立たずの無能者でも受け入れて幸せに過ごせる豊かさを与えるのが、共同体の役割の本来だと思うのよね。なので私がいま目標としてるのは、言葉にすれば「昭和のハッピーなボンクラ」かな。午前中は新聞読んで爪切って午後の会議では居眠り、終業時間の30分まえにソワソワしだして5分まえには帰り支度がすんでて、チャイムが鳴った瞬間に「おつかれー」って帰っていくの。新入社員には創業社長のコネでもあんのかって陰口たたかれてるんだけど、じつは過去に一回だけ会社倒産の危機を救ってるみたいな。そうそう、釣りバカ日誌のハマちゃん的なヤツ。オススメのパーティプレイって、カリカリ(クポー)に数値をチューンした高性能ジョブどうしが集まって有機的に高効率で動くのが当たり前の前提になってて、無能な給料泥棒を許してくれない会社みたいな感じあるんだけど、唯一ボンクラでもパーティに居場所があるのがハマちゃん、じゃなかった、風水士なのね。前も話したイドリスってゆう人権棒(創業社長のコネ)はいるんだけど、他のジョブに比べればはるかに低いハードルで、私が理想として目指す「昭和のハッピーなボンクラ」そのものなわけ。え、でもこないだイドリスの作成をあきらめてませんでしたかって? うふふ、じゃーん! これなーんだ! そう、ユグの完全結晶! ついこないだね、限界集落みたいな田舎マッカレル(鯖)から都会マッカレル(鯖)へブレイキング・バッドの過去消し屋みたいのと「オイ、過去を消してくれ!」「100円になります」「やしー!」みたいなやりとり(えの素)をして移籍したのでしたー! ガイシ(骸死)系企業のリストラクチャリング・ストームを部間調整や明朗快活さなど、社内のヒューマン・ファクターだけで切り抜けたアタシにとっては、募集のシャウトさえとびかっていれば、陰キャ集団の末席にケツをねじこむなんてビフォア・ブレックファストなのだ(モハメド・アライさん)! んで、ユグの完全結晶を無事に納品して、あとは高純度ベヤルドを納めるだけになって、1回目500つ、2回目2500つと来て、最後は5000つくらいかしらね、なんて緑のガマグチ開いてはらおうとしたら、なんか突然9999つにハネあがってて、担当が愛人に電話しながら何も考えず適当に片手で入力したような数字を要求されるわけ。とは言いながら1回目と2回目はすでにはらい終わってて、サイフにはまだ5千万ギルくらい残ってるし、高純度ベヤルドの単価を調べたら1つ5000ギルでちょうど買えるわーって競売のぞいたら、なんか99つで90万ギルすんの。(首をかしげて)んー、広告チラシの裏とちびた鉛筆を用意するだろー、5000かける99で筆算するだろー(長い間)……よん? (チラシを引き裂きながら)ちげーよ! 49万5千ギルだよ! ふつうたくさん買ったらディスカウントするもんだろ! なんで倍ちかくの値段になってんだよ、ボッタクリじゃねーか!などと競売前で暴れてたら、ラクダのようにみっしりと長いまつ毛を生やした業者ガルカが伏し目がちに悲しそうにこっちを見てきたので、反社ミスラは気まずくその場を立ち去ってリヴァイアサン組へのカチコミ、通称「うなぎ狩り」に向かうのであった。9999ついる素材入りのハコがたくさん落ちる系のプライム鰻で、昔から金策の王道として親しまれているのだ。

 5年前は勝率5割ぐらいだったのが、とてむず(とてもむずかしい)で9割5分くらい勝てるようになってて感動すんだけど(負けるのはヨランオランのアホがチョロチョロしだして水攻撃にまきこまれて死ぬときだけ)、強くなった理由は3000万ギルしたチョッキと闇のネイグリング(暗黒微笑)と頭上に輝く3ツ星なのね。最後のを説明しとくとジョブポイントってのを6000万ぐらいかせぐとジョブマスターってのになって、脳天ファイラーみたいなマークが消せなくなるという辱めを受けるかわりに、廃人地獄登山の三合目ぐらいに到達した強さを手に入れられんの。「とりあえず青をそだてて安定してうなぎ狩りできるようになってから好きなジョブをプレイするといいですよ」なんていうハイエルフどもの狂った甘言にだまされて青魔道士を選んでからずっとソロひとすじ、マスターへ到達したのは休止も含めて苦節8年目のことであった。自分を育ててくれた青魔法への恩返しとして思いついたのは、一日7匹のうなぎに向けた感謝のシャンデュシニュだった。そしてある日、異変に気づく。うなぎをたおしても、まだマイティガードが切れていない! あのね、ふつうにプレイしてたら気がつけばマスターになってますよ、みたいにイモータルどもは言うけど、ぜったいに信じたらアカンからね。きゃつらのふつうって「365日休まずログインして、毎日最低3時間はプレイして、そのうち半分は金策、半分は戦闘に1秒の無駄もなく費やすこと。できればこれらを複アカで行うことが望ましい」だからね。アタシなんかログインしたりしなかったり、ログインしても10分でログアウトしたりで、今回の復帰でマスターになるまでに、足かけ3年ぐらいかかってるからね。生涯年収4億円以上の老人がバリバリの生存者バイアスで「人生は照る日曇る日あるけど、あっという間だよ。いまは苦しいのを楽しみなさい。それをなつかしく思う日がきっと来る」みたくウエメセで生涯年収1億円以下の若者に言うときの感覚と同じだから、純朴な新人のキミはぜったいに「そっかー、暗黒すきだけど、青からそだてるかー」なんて思っちゃダメ! アタシはそれで3年を棒にふったの! 心にしたがいなさい! 暗黒騎士をそだてなさい(「お父さんを喜ばせなさい!!!!!!」の作画で)!

 ここ数日はログインして、暗い森に複アカ立たせて範囲狩りして、ポイントがカンストしたらうなぎ狩りに行って、何匹かうなぎ倒したらまた暗い森に帰って……を繰り返してて、間違いなくカネは増えるし、ジリジリとだけど確実に複アカも強くなっていくの。でもこれ、本当に何の工夫もクリエイティブもいらない、感情にさざなみのひとつも立たない、まごうことなき作業なのよ。いまさらカネをかせいでイドリスを手に入れたところで、スタートから2時間経過してから先頭集団に追いつこうと走り始めるマラソンみたいなもので、母親から地上最強の生物が満足するように戦えとかムチャぶりされた13歳の格闘少年みたいな気分になってくる。5年前にアルマス作ったときも、鬱の身には心を消せる逃げ場だったろうけど、こうやってファンタジー世界がリアルの仕事と同じになってやめたのかもしれないな。ハハハ、まさにファイナル・ファンタジーというわけさ……ドヤッ!

ゲーム「FF11の思い出」雑文集
雑文「私とカラドボルグ(FF11とはずがたり)」