猫を起こさないように
色川武大
色川武大

ゲーム「原神・閑鶴の章」感想

 原神の最新アップデート部分をクリア。「フォンテーヌと璃月はつながっている」という伏線の解消に、シルクロード的なエリアをはさんでくるのかと考えていたら、璃月エリアの拡張を中華の願望そのままに、ガチャッとフォンテーヌの隣へ接続させたのには、思わず苦笑してしまいました。原神はチャイナ発のゲームなので、同国をモチーフにしたエリアやキャラが増えていくのは仕方のないことですが、「鶴の仙人(鶴仙人!)をメガネ美女として擬人化するのは安直にすぎませんかね、更新頻度が高すぎてついに息ぎれですか?」などと、ヘラヘラ弛緩した笑いを笑っていたら、いつも通り原神のオハコである「家族の物語」を火の玉ストレートでキレーにみぞおちへと食らって、胃液を吐きながら号泣するハメになるわけです(学習しませんね)。実家を離れて都会に出た2人の娘を心配してコッソリ職場を見に行く母親の様子は、まさに子育てが終わったばかりの「空の巣症候群」の心情によりそったものだし、両親に先立たれて認知症のはじまった祖母と2人暮らしする少女について、ヤングケアラーなる珍奇な欧米の概念を用いず肯定的に描いているのも、その確信に満ちた手つきにほうと嘆息がもれます。つくづく思うのは、本邦において標準的な中央値の生活をしていると、「何者かの意図」みたいな陰謀論は申しませんが、うっすらと家族を嫌うように仕向けられていく気がしてなりません。当事者でない状況へわざわざ首をつっこんで口角泡をとばしたり、他者のルールをユニバーサルなお仕着せと信じて袖を通すのではなく、色川御大の言葉を借りるならば、我々はもっと「既製品ではない、手縫いの生き方をつくる」ことにのみ心を砕くべきだと強く思います。様々な形式の言語芸術が存在する中で、太古の昔より作りごとにすぎない虚構が途絶えず物語られ続ける理由は、自分ではない主観を通じて「手縫いの生き方」を追体験できるからで、その意味において、のちに仙人の弟子となるこの少女は、断じてヤングケアラーなる単語でおしはかれる存在ではないのです。

 永遠も半ばを過ぎると、多かれ少なかれ「取り返しのつかない後悔」はだれの中にも生じてきて、これを書いているのは大作ゲームを始める前に「ゲーム名」「取り返しのつかない要素」で必ずグーグル検索ーーバルダーズゲート3も2章の終盤で「取り返しのつかない要素」があまりに多くなりすぎて、頓挫してしまっているーーする人物なのですが、「あ、これ、ホンマに取り返しつかへんのや」との冷えた実感が、骨の髄まで浸透する人生のステージへとさしかかりつつあります。今回の伝説任務の終盤で、物忘れの果てに「人でも獣でもないモノ」と化す前に本来の姿へ戻ろうとする祖母へ孫がかける言葉、「おばあちゃんにとっては後悔ばかりだったのかもしれないけど、そのおかげで私はこの世に生まれることができた」は、物語の称揚による劇的な負の反転であり、ありえなかったはずの後悔の取り返しであり、「ジャパニーズ・フィクションa.k.a.中年男性が裏声でする十代のジャリの世迷言」では決してたどりつかない深い人生訓であると同時に、人間讃歌にさえいたっていると言えるでしょう。全共闘に端を発した「体制殺しによる国家解体」のカーボンコピーである「毒親殺しによる家族解体」をテーマとした昭和の物語群が、ついに新しく来た若い世代によって上品に忌避されはじめたことで、原神の大ヒットが生まれているのだとすれば、世界は確実に良い方向へと進んでいるのだと感じられます(いまなら、「昭和のフィクションたちの墓標」として、シン・エヴァンゲリオンに歴史的な評価を与えることができる気さえする)。また、「いやしい身分に己をやつしてまで、親の意に染まぬ相手とかけおちすることを選んだ娘」に対して、表面上の怒りとは裏腹に陰ながらゆるしと慈しみを与えるキャラの描き方は、「バブみ」や「オギャる」などの空疎なワーディングでしか、母性の輪郭を表現できなくなった本邦でのそれとは異なり、真の意味での「母なるもの」を篆刻していると言えるでしょう(本シナリオを読了後、レベルMAX・スキルMAX・聖遺物の軽い厳選・モチーフ武器への課金を最速で完了しました)。

 あと、パイモンが夢を見ていないことに気づく描写が一瞬だけ挿入されるのですが、いよいよ原神世界はペガーナの神々におけるマアナ・ユウド・スウシャイ(MMGF!の元ネタ)の、あるいは幸福な妖精の見る「夢そのもの」である可能性が高くなってきましたねー。

ゲーム「FGOダ・ヴィンチちゃん礼賛」、あるいはガチャと運の管理について

 人生は、とても楽しい(バスタオルで両目を押さえてワッと泣き出す)! 小鳥猊下であるッ!

 昔からそうだが、長く苦しみを味わってきたはずの人物が最後の最後で伝える、生きることを肯定する言葉に本当に弱い。古典でいうならファウストの「時よ止まれ、おまえはいかにも美しい」がそれだし、グイン・サーガでいうならサウル老帝が「わしはいつも、生きているのがとても好きであったよ」ともらす場面なんか、読むたびに泣ける。

 「人生は、とても楽しい」ーーここまでの伏線を考えれば、ほとんど遺言のようにさえ響く。種火周回もこの台詞を聞きたいがために、わざわざシステムとやらを組んで彼女の宝具を連発しては、そのつど涙ぐむ日々である。

 キミ、FGOを愛しながら、このキャラがいないカルデアでアプリの終焉を迎えるつもりなの? ほんと、嫁を質に入れてでも引いておきなさいよ。 彼女が永久に失われる前の、最後の夏の強い輝きを、ともに喜ぼうじゃないの。そう、私たちの人生は、ビューティフル・ジャーニーなのだから!

 質問:小鳥猊下…ダ・ヴィンチちゃんマジで出ねぇっすけど…

 回答:「出る」のではない、意志をもって「引く」のだ。今回のような大きな機会をピンポイントでモノにできるかどうかは、貴君が常日頃から己の運をいかに管理しているかによるだろう。もしそれを行ってこなかったのならば、色川武大の「うらおもて人生録」を購入し、二度、三度と熟読せよ。人生における勝ち負け、そして運のなんたるかを理解すれば、次のピックアップでは必ず引けるにちがいない。とはいえ、貴君がツッタイーに貼り付けた、あまりにも漫然とした「爆死」画像群を見るにつけ、もう少し技術的なアドバイスが必要だと感じたので、そうする。『(巨デブが声音を作って)ーー五十連分の聖晶石があれば、ピックアップの星5は9割以上の確率で引いてみせる』。ありがたく拝聴したまえ。

 FGOのガチャは、ファンガスの素晴らしい文章を勘案してさえ、企業の強欲なる収奪を目的とした許しがたい倫理欠如(人類悪)である。実際、サービス開始からプレイしている古参にとっては、ピックアップ・サーヴァント以外のカードはもはや全く必要のない、文字通りのデータ・クラップと化している。いまや日本銀行券を直接シュレッダーに投入するが如きマシンと化したこのガチャに対して、貴君のように徒手空拳で当たるのは、ブルーカラー的労働(ドカチン)を資本家に搾取させることと同義だ。

 例えば一般に、ポーカーや麻雀は運の要素が大きすぎる遊戯と思われている。しかしそれらにも、最善の結果をたぐりよせる技術やセオリーが確かに存在するのだ。FGOのガチャはおそろしく勝率のしぼられたギャンブル沼だが、ポーカーや麻雀のような遊戯としてとらえなおせば、勝ち筋が見えてくる。「十連の内容(星4以上の出現数および礼装とサーヴァントの比率)をエクセルに記録し観察する」「フレポの星3サーヴァントおよび星5種火の排出頻度を記録し観察する」「強化時の大成功、極大成功の出現頻度を記録し観察する」、これくらいはやって当たり前である。もしひとつもやっていないとすれば、それは腹をすかせた猛獣の群れの中を全裸で歩くようなものだ。そして、「星4が礼装一枚の場合は連続では引かず、時間帯を変える。どうしても欲求を抑えられないなら、少なくともアプリを再起動する」ことも忘れてはいけない。

 さらに付け加えれば、貴君がクレジットカードの審査にパスできるほどの社会的な強者ならば、「課金をコンビニ等で購入するプリペイドカードに限る」ことも重要だ。繰り返すが、FGOのガチャはイカサマの横行する場末の賭場である。手放す日本銀行券の額面と生活とをリンクさせて失うものへの実感を持つと同時に、賭場を出るまではそれが紙切れと等価である状態を維持するためには、カード決済は後者に寄りすぎる。体感に満たない気配を細く細く積み重ねていけば、どのタイミングでガチャを回すべきかが見えてくるはずだ。ガチャを引く際の、自分のフォームを作ることが肝要なのである。どこで引けば星5ピックアップを引く可能性を最大化できるかのルールを決め、それに己を殉じさせる覚悟が、胴元の圧倒的に有利なーー運営(ビースト)の、十一連開始みたいな目くらましに騙されてはならぬーー賭場で胴元を出し抜くには不可欠である。

 最後に、「うらおもて人生録」から少し引用しておこう。『フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。(略)ことわっとくが、フォームに既製品はない。自分で手縫いで作るんだよ』

 とりあえず、貴君の長年の忠誠に応えて、入り口部分だけは伝えた。これ以上を知りたければ、指定の口座に現金を振り込むか、棚ざらしとなっている萌え画像を寄贈するとよかろう。「描くと出る」らしいよ?

 質問:小鳥猊下が突如ガチャ必勝法めいたツイートをおっぱじめたが、まだまだ精度の低い初歩的な内容であるが、それでもそこに羅針盤を求めてのことだと思う。「ガチャ必勝法などと言う世迷いごとを言う暇があれば毎日ログインしろ!ログイン1日以上はリムーブ対象だ」と言われたことを思い出していた

 回答:喝ッ! 「必勝法」などという万人が利用可能なティップスぐらいに、色川御大の金言を矮小化するでないわ! 運を人為的に操作するのではなく、運を感得し管理することこそが重要なのだ! 貴様に足りないのは、「いかに負けるべきときに負けるか」の視点である。「必勝法」とやらで浮いた端金で御大の著作を百冊ほど購入し、致命傷を負う前に負け方を学ぶがよい。あとログイン間隔が一日を超えると、どんなカネのかかったアカウントだろうと即座にリムーブするのが、俺様のフォームである。このブラック労働に耐える自信があり、なおかつ俺様とエフ・ジー・オー・フレドンになりたいのならば、ディー・エムせよ!

 レベル100にした女史とする種火周回を通じて、例の台詞に心が動かされるのは、絶妙なラインを踏まえた演技(ファンガスの監修に違いない)もまた、素晴らしいからだと気づいた。ぬけるような青空の下、生命の絶頂がかすかに死の陰を帯びるーーすなわち、本邦に生きる者たちの心性に深く刷り込まれた「盛夏の滅び」への共鳴を惹起するには、あれ以上はしゃいでも、あれ以上おとなしくても、ダメだ。

 この意味で、スキルをまくときの「とても楽しかったさ」は少しマイナス方向へ逸脱していると感じました。