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漫画「スーパーホース列伝 優駿たちの蹄跡」感想

 無制限焚書(Kindle Unlimited)でプロレススーパースター列伝の競走馬バージョンみたいな漫画を見かけたので、サクッとディー・エルする。プルルーン(いななき)! そうそう、これこれ、こういうのが読みたかったんですよ! この漫画では、レースでスポットライトが当たる競走馬やジョッキーやエンピツを耳にはさんだ赤ら顔のオッチャンだけではなく、その裏側にいる零細牧場の経営者や馬主や厩務員の人間ドラマが丹念に描かれているのです。一頭一頭の馬がこれだけの人々の想いを乗せて走っている事実を知ることができ、いまの気持ちは感動の一語に尽きます。競走馬という存在は、3年間のレース生活を安直に女子高生へとなぞらえられるずっと前から、人々の想いによって擬人化されてきた存在だったのですね。各レースに出走しているのは、地方の貧しい牧場から一発逆転の期待を込めて送り出された人の精髄としての馬であり、大きなレースでは同世代の数千頭から純粋に能力で選ばれた十数頭がガチンコの叩きあいをして、どの馬も勝たせてやりたい背景を持つ中で否応に勝者と敗者が生まれてしまう。いやー、ドラマですねえ! 競馬って、ドラマだったんですねえ。わたし、全然わかってませんでした。もっと早く教えてよ、もう! また、最近では地方の牧場がどんどん消えてて、競走馬の生産自体が大会社の寡占状態に近くなって、ブリードでかけあわせる血の多様性も減っていって、優秀な馬どうしが潰しあわないように、会社がどのレースに出走させるかコントロールしてて、みたいな寂しい話も見かけました。私がゲームとして体験し、漫画として読んだ競馬は、地方と都会の構図、持たざる者の富める者への挑戦、そして血の多様性が生み出す、競馬史上もっとも熱く輝いていた時代の話だったことがわかりました。例えば、都会の巨大ショッピングモールの商売を地方のいち小売店が叩き潰すのを見るような快感が、そこにはあったのだろうと想像します。それがいまや、日々のニュースは貧しさばかりを強調し、その裏にいる富める者たちの姿は徹底的に隠蔽され、持たざる者たちは勝負をすらさせてもらえない。そして何より、杭につながれた馬が無力感を学習し、やがてロープを外されても杭から離れようとはしないように、私たちは自分が勝者になることは絶対に無いと、心のどこかで信じてしまっているから。プルルーン……(いななき)

 あと、職場でエンピツを耳にはさむクセのある人物がいて、いい人なんだけどなんかずっと生理的な嫌悪感があって、この気持ちなんなんだろうなー、どっから来てんだろうなーと考えてたら、馬券売り場の赤ら顔のオッチャンだった。