猫を起こさないように
真女神転生
真女神転生

雑文「ゲームは、アートかプロダクトか?」

 「あらゆる言語の感想を分析し、スプレッドシートにまとめた。これを元に、肯定的な意見と否定的な意見、両方の観点から批評を展開する」みたいな宣言で始まったソウルハッカーズ2の記事が、全編にわたって批判的なトーンに終始するのを読んで、爆笑している。ドぎついファンの悲嘆は傍目には最高のエンターテイメントで、シンエヴァ呪の楽しまれ方をご見物の立ち番から追体験している気分でした。やっぱり、昔ながらの熱烈な客がついている作品に、トム・クルーズぐらいの熱気や覚悟や真剣さを持たない人物が、あだやおろそかで触りにいっちゃいけませんねえ。「凡百のJRPGとしてなら、充分に遊べる。だが、これはソウルハッカーズだ」、わかるなあ! 「凡百のSFアニメとしてなら、充分に見れる。だが、これはエヴァンゲリオンだ」。前作の用語だけを無自覚に引用しているってのもうなずけるところで、例えばアナライズスキルの「ギボ・アイズ」が宜保愛子のもじりだなんて、もうだれも、本作の制作者さえわかってないでしょ。わかってれば、「ホソキ・カゾエ」くらいのアップデートはしたはずです(まあ、これでも古いですが……)。前作のキモだった「ビジョン・クエスト」にしたところで、本作では「ピジョン・クエーッ」くらいの感じにダウングレードされてる(意味不明)。

 真・女神転生5でも感じていたことですが、ソウルハッカーズ2を通じて、「ゲームは、アートかプロダクトか?」問題に、いよいよ結論が出たなと思いました。私たちの少年時代に三十代、四十代だった制作者たちが、現場を離れて役職についたり定年を迎えたりする時期にさしかかっていて、会社に命ぜられた若手たちがプロダクトとしてタイトルを残そうとした結果、「仏像つくって魂いれず」の、外殻だけを残した作品が頻繁に出現するようになった。最近、九重親方のインタビューを読んだんですけど、ネット論客のヒョロガリどもなら「有害なマスキュリニティ」や「ヤクザの搦手理論」などの言葉で冷笑するだろうその中身に、私はジンときて目頭が熱くなってしまった。結局、狭い場所に蒔かれて芽生えただれかが、己の意志でそこに深く根を張ることを決めて、同じ境遇に置かれた別のだれかに魂の熱を感染させるーーそれが、それだけが正しい継承の在り方なのだと思います。

 ゲームとはやはりアートであり、美術館の展示物が必ず特定の個人名と紐づくように、商標として会社に属する表象だけでは、少なくとも本邦においては成立できないことが、ソウルハッカーズ2をプレイして痛いほどにわかりました。少し話はそれますが、タイムラインへ頻繁に流れてくるブルアカと原神をちょろっとプレイしてみたんですけど、ひどく落ちこんだ気分にさせられたんです。この感情は、少林サッカーとカンフーハッスルを見たときに抱いたそれとかなり隣接しています。どちらも中国発のゲームで、特に原神はあからさまなブレワイのリバースエンジニアリングを土台に作った感じ、もっと言えば本邦の2次元文化の深刻な影響下にあるのですが、用語と外殻の組み合わせを越えて、ちゃんと魂が入っている。

 本邦は0から1を生むのが得意で、あちらはそれを苦手とする代わりに、模倣した1を100にも1000にもできる。かつての粗雑なコピー群とは違って、生み出された1への深い敬意とともに、異国の土壌と滋養でていねいに育てられているのが伝わってくる。本国で絶滅の危機に瀕している花が、異国の地で種を芽吹かせ、ひろびろと繁殖してゆくーー私を落ちこませたのは、進歩的な態度の下に切り捨てられてきた「イビツさ」「正しくなさ」の中にあった本質を、我々ではない人々がキチンと見ぬいて評価し、継承しているという事実です。ソウルハッカーズの本質を理解した正統な続編は、別の名前で異国の地から登場するような気がしてなりません。

ゲーム「真・女神転生5」感想(完全版)

序盤の感想

 真・女神転生5をサクッとディー・エルし、序盤をプレイ。(スッと挙手して)わたくし、このシリーズにはあまりくわしくないのですが、感想よろしいでしょうか。端的に言えば、はじめての「オープンワールド・女神転生」。プレイフィールとしては、ゼノブレイドクロスのフィールドでポケモンソードのワイルドエリアをやってる感じ。正直なところ、最初の2時間の印象は最悪で、プレイを止めてしまう可能性もあったと思います。ひさしぶりの据え置き機によるリリースということで、ナラフォルニアの邸宅に備えられたシアターでプレイを開始したのですが、ジャギジャギの画質は大画面への引き伸ばしに耐えず、音質も高級アンプを通してさえくぐもって聞こえ、おまけにサラウンド対応していない。主人公のモデリングはほとんどプレステ2時代のそれだし、さらには両腕を広げてアラレちゃん走りするし、イケボで「キーン」とか言ってそう(ゲームの評価と関係ない)。加えて、背後から追いかけるカメラの位置と動きも悪くて、画面全体をやや把握しづらい。3Ⅾマップそのものも、次の瞬間ポリゴンの隙間にハマって異次元に永久落下しそうなドキドキ感を提供する、なつかしくも疎で粗な仕上がりになってます。

 本作を大画面で体験する意味はきわめて薄いことがわかったので、自室のモニターにスitchyをつなぎなおして、先週ゲットしたZODルーンでヌーブをシャークしてやろうとPCでDiablo2のトレードチャンネルを開いて、ブツクサ言いながらプレイを続けたんです。それがですね、東京タワーを過ぎたあたりからやれることが増えてきて、俄然おもしろくなってくんの。まあ、プレスターンと悪魔合体のシステムは3の段階で完成しているんだから、新しい要素が邪魔さえしなければ、おもしろいに決まってます。ただ、フィールドについてはオープンワールド初期の本当に古いタイプの作りになっていて、ウィッチャー3などを経過して目の肥えたファンにとっては、やはり物足りない造形でしょう。極端な高低差で行動を制限するマップを最初にドンと作って、後からスカスカのエリアを埋めるために闇鍋式でバラバラの要素を放りこんだ感じと言えば伝わるでしょうか。ベセスダあたりがウレションしそうな文明崩壊後のトーキョーという最高のネタを仕入れておきながら、「大トロをじっくりコトコト煮込んで、砂糖と醤油で甘辛く仕上げてから、キッチンシンクへ鍋の中身をぶちまける」みたいになってます(わかりにくい例え)。

 そして、本作に登場する悪魔は過去作のデザインをすべて3Ⅾで作り直しており、その労力には頭が下がるのですが、個々のクオリティにかなりの差を感じました。例えば、ネコ好きを憤死させかねないケットシーのクソいい加減なモデリングと動きに対して、マーメイドといったら湿った肌の質感から、貝殻におおわれた薄い胸のたたずまいから、脇腹に浮いたあばら骨のエロチックさから、固有技を出すときの上半身のなよめいたモーションから、まさに「指先まで神経のかよった」仕上がりで、思わず「公私混同すなーッ!」と例のポーズで叫んでしまいました。まあ、昔からひそかに根強い人気悪魔で、何を隠そう私も前作では、ランダマイザとかコンセントレイトとかメギドラオンとかを継承で突っ込みまくったステータスマックスの最強マーメイドを作ったくらいですので、アナタの気持ちはわからないではありません。(サムズアップして)グッジョブ!

 あと、よく見るとマーメイドの顔って、どこか御無礼の人に似てるなー。タバコ吸いながら「人に魚と書いて、人魚と呼ばれています」とか自己紹介してそう(してない)。それと、3からの「強い主人公をサポートするための仲魔」って構図は、女神転生シリーズの解釈違いだとずっと思ってます。「いつ裏切るかわからない悪魔さえ、利用せざるをえない非力な人間」という2までの世界観が本筋だと思うので。個人的には、仲魔のレベル固定とマグネタイト制の復活を希望です。え、肝心のストーリーはどうですかって? 学園に戻ったくらいの進行状況だけど、ストーリーはダメそう。

コンテナヤードでの落下

 真・女神転生5、2つ目のマップに入ったら、いよいよ「ノーマルジャンプしかないマリオ64」みたいなゲーム性になってきた。コンテナを落ちては登る作業に終始イッライラさせられんだけど、副産物の御霊レベリングで明らかにエリアと見合わないほど強くなってくんの。そしたら、主人公の連撃とヨシツネの八艘跳びで敵にターンが渡らなくなり、ゲームとしてはほとんど破綻してしまっているのに、だんだん愉快な気持ちになってくるのが我ながらおもしろい。昔からバランスの壊れたゲームが大好きで、ディアブロ2への偏愛も同作の破綻した部分に依っているのかもしれません。エフエフ(ファイファン派は死ね)でいちばん好きなのはファミコン版の2で、初期の町から一歩も離れず、パーティアタックやチェンジの魔法で延々と育成を行ったことを思い出します。

 話を戻しますが、本作のマハタルカジャやマハスクカジャって魔法、またまたシリーズの解釈違いだなー、って感じました。メガテンの醍醐味って派手な大技や攻撃魔法ではなく、ギリギリのバトルで単体アタッカーに託すタルカジャやスクカジャだと思うんですよねー。長い長いダンジョンを抜けた果て、疲弊した仲魔たちと挑むボス戦、毎ターン壊滅ギリギリの攻撃をヒーラーで耐えながら、タルカジャやスクカジャを複数回かけることで辛くも通るアタッカーの攻撃をジリジリと、薄く薄く積み重ねていく。やがて回復手段も底をつき、最後の最後で南無三と繰り出した一撃がボスを倒したときの、得も言われぬ高揚感といったら! 近年の同シリーズがリソース管理の煩雑さとトレードオフにしたものの中に、作品としての本質が含まれていたような気がしてなりません……お、ようやっと中ボスのおでましやないけ。シリーズ初登場のラフムゆうてアンタ、若手スタッフがFGOの影響を受けまくっとるんちゃいまっか。ほれ、マハタルカジャ、マハスクカジャ、八艘跳びからの至高の魔弾どーん! らっくしょー! この一方的に蹂躙する爽快感、やめらんねー!

アキハバラでの落下

 真・女神転生5、きょうはアキハバラに来ています。けどここ、ちっとも秋葉原じゃありません。アキハバラ電脳組ぐらいの無関係さです。もはやテキトーに作った3Ⅾ迷路に、東京の地名をテキトーに選んでつけているだけです。ちょうど3つ目のエリアになるのですが、高低差はますます激しくなり、NPCのメッセージに「元の場所に戻るのタイヘンだから、落下しないように気をつけて!」なんてものがあるほど、制作側もひどさには自覚的なようです。でもこれ、強打者を迎えたピッチャーに対して「人類のまだ見ぬ変化球を投げろ」とサインを送るキャッチャーとほとんど同じで、クソの役にも立ちません。このエリア、さらに例えるなら「ハイジャンプの存在しないジャンピングフラッシュ」みたいなもので、正解ルートを探るために登っては落ち、登っては落ちを延々と繰り返すハメになります。おかげで、早くも主人公のレベルはカンストしました。固有技に強い物理攻撃があるのと、全属性の攻撃アイテムが買えてしまうので、本作のステータス振りは力速が正解のような気がします。定番の魔速で育成してしまいましたが、このクソマップをイチからやり直す気力は、もはやありません。もう早くクリアして、ディアブロ2に戻りたい気持ちでいっぱいです。

 そして2時間ほどをかけて、ほうほうの体で目的地へたどりついたら、ほんの短いやりとりの後、マップの反対側にある障害物を除去するアイテムをもらって終わりという、ファミコン時代のおつかいRPGみたいな展開にめまいがしました。ここまでの体感として、プレイ時間の10%が雑魚とのバトル、10%が悪魔合体、80%が道に迷ってるというバランスです。本編である「真シリーズ」は、いまやペルソナに軒下を貸して母屋を乗っ取られた状態ですので、ベセスダかCD ProjektあたりにIPごと売却して、フォールアウトサイバーパンクのチームに、崩壊後の東京を実際の地図ベースでシュミレートした内容へと作り直してもらうのがいいんじゃないでしょうか。え、英語版のタイトル? オー・マイ・ゴッデス・オブ・リインカネーションとか?(ダサい)

風雲! 魔王城

 真・女神転生5、きょうは魔王城に来ています。またぞろコンテナのときみたいなジャンプゲーが始まって、心底ゲンナリする。この城に入ってから、ずっと「クソマップ・オブ・ザ・イヤー」と声に出して連呼しながらプレイ、いや、登っては落下してる。マリオ64が「高い身体能力を駆使して、様々なルートを発見する楽しさ」なのに対して、魔王城は「低い身体能力に制約されて、唯一の正解ルートを探す苦しみ」になってます。自由に動けるアナログ空間で、ゼロイチのデジタル解答を求められる苦痛ったらありません。監督チャンさあ、この扇風機のギミックだけど、ちゃんと吟味した上で面白いと思って入れてんの? ひとりがハッスルして作っちゃったのをバランス調整せず丸まま採用って、どこに監督チャンのディレクション要素があるわけ? 何の能力に対して給料もらってんのか、いちどちゃんと考えたほうがいいよ?

 話を戻しますと、レベルもとうの昔にカンストしており、雑魚との接敵も時間のロス以外のなにものでもありません。え、御霊レベリングはメガテンに慣れていない人への救済措置のようなもので、ふつうにプレイするときには自分で縛るものですよ、だって? だまれ、令和ベイビーズ(3さい)めが! ファミコン世代にとってのゲームってのはなァ、絶対にクリアさせまいと本気で殺しにかかってくる制作者との闘争そのものなんだよ! クリアできればプレイヤーの勝ち、できなければ制作者の勝ち、その瞬間に持っている全身全霊と全知力を注いで取り組むのがゲームをするという行為であり、ヤツらがウッカリこちらに有利なバグなど残していようものなら、それを利用することに一瞬の躊躇さえしてはいけない、そういう世界なんだよ! デジタルデビルストーリー女神転生の最終パーティが、ガネーシャ、ウォンロン、クリシュナ以外はありえないように、視界に入った御霊はすべて狩り尽くすのが、昭和ベイビーズたちのジャスティスなんだよ!

 ……というのは、話を面白くするためにワザとする吹き上がりで、実際は「すべてのエンディングを見るために3周はするから、1周目は引き継ぎ要素であろう悪魔全書の完成が最優先。すなわち主人公のレベル99はゴールではなく、単なる前提。御霊縛りの難易度ハードは2周目から」と考えての行動でした。しかしながら、メガテン本来のゲーム性とは何の関係もない、このクソマップ・オブ・ザ・イヤーを周回する時間も気力もありませんので、シリーズではじめてのトゥルー・エンドを動画で見る作品になりそうです。

マンコの神殿から至高天へ

 真・女神転生5、きょうはマンコの神殿に来ています。魔王城の息が詰まるようなキツキツさに対して、歩道と車道ぐらいの段差と時間停止のギミックが完全に死んでいる、ユルユルのマンコです。え、表記は万古だから読み方はバンコじゃないですか、だって? たわけが! 「シニアカーだと死にやカーに聞こえるから商品名はセニアカーにしよう」みたいな態度が言語を歪めるのだろうが! このバカバカマンコ!

 続くラストダンジョンも分岐の無い一本道で、あわせて1時間くらいアラレちゃん走りしていたら、あっさりクリアできてしまいました。たぶんカオスルートだったと思うんですけど、どんなエンディングかワクワクしていたら、新しい世界の顛末をなんとナレーションだけでぜんぶ説明して終わりでした。そこはルートを代表するNPCと主人公のかけあいとか、がんばってちゃんとビジュアルで見せてよ……まあ、マンコの神殿以降の出来を見るにつけ、発売を急ぐため開発に巻きが入ったのかもしれません。主人公が右から左にゆっくり歩いていくだけのスタッフロール、なんか既視感あるなー、なんだったかなーと考えていたら、俺屍2だった。

 クエストと悪魔の取りこぼしは回収するかもしれませんが、周回はしないでしょう。本作が低機能のスitchy専売なのは、後の完全版商法をあらかじめ見込んでいるためで、高画質高解像度、高フレームレート、サラウンド対応、ストーリー補完、新規悪魔およびマップ追加のFINALバージョンがPC/PS5で発売されることは、ほとんど確定しているみたいなもんです。なので、トゥルー・エンドでのクリアはそれを待ってからにいたします。

 よっしゃ、おつとめゴクローさん! これで晴れてシャバ(モーモー牧場)に復帰や! お、いきなりOHMポロリとは幸先いいやないけ! ハイルーン1個のドロップとメガテン30時間の楽しさは、ワイにとって等価みたいなもんや! ディアブロ2最高や! これぞゲームの至高天やで!

修正パッチに寄せて

 真・女神転生5、魔王城の修正パッチくるんですってね。あらためて、ネット社会における小鳥猊下の影響力を実感しました(範馬勇次郎が正拳で地震を止めたときの表情で)。んで、パッチノート読みにいったら、「連続ジャンプのギミック数削減」って書いてある。

 監督チャンさあ、オレの金言(オウゴン)のどこをどう読んだらそうなるワケ? 「ロケーションを嵐の海から凪の海に変更しました」って、あのさあ、オレらが不平をもらしてるのは、そこじゃねえのヨ! オレらプロの泳ぎ手たちは、「両手両足を縛られたまま海に突き落とされる」ことに文句つけてんのヨ! 「ダッシュジャンプに慣性をつけて飛距離を伸ばしました」とか「空中で姿勢制御が可能な2段ジャンプを追加しました」とかが、「顧客の本当に求めていたもの」じゃねえの? わかる、わかるよ、監督チャン、そんなことしたら全マップで挙動の確認と見直しが必要になるもんな? ナーフ中心で調整したほうが、修正後のチェック項目が少なくて楽だもんな? 100%のステータスでボス戦のバランス調整してから50%にキャラの能力を減じて、残りの50%を集めるべき装備品にパラメータとして撒いたほうが、チェック工程を最少にできて管理しやすいもんな?

 ハハハ、わかる、わかるよ……このクソたわけが! 勃起角度と最大膨張ばかりを気にする、女不在のフニャチン童貞野郎めが! ゲームってのは引き算じゃねえ、足し算で作るもんなんだよ! プレイヤーをてめえらの想定の内側に置くことだけに窮々としやがって! どれだけ工程を減らして作業量を抑制するかみたいな思考で、クリエイティブがつとまるかよ! プレイの可能性をどんどん拡張する、バフまたバフのビッグバン調整こそがゲーム制作の本懐だろうが! 過去作を丸コピして何体か萌え悪魔を追加した秘伝のシステム部分に比して、マップ部分の設計思想があまりにそのメガテン本来の自由度の高さを裏切ってることに、みなさん怒ってらっしゃるんだよ! 「なんか評判わるいみたいだから修正しときましたー」って、アリンコみたいなクソ修正を得々と自慢してんじゃねえ! 鎮火しかかってるプレイヤーの怒りにわざわざ油を注ぎにきやがって、オマエはシン・エヴァンゲリオン劇場版かよ! アヤナミ(ひとつ前のバージョンに費やしたカネと時間)を、返せッ!

 あのさあ、すげえイヤな顔して聞いてっけど、これぜんぶ監督チャンのためを思って言ってんのヨ? オレ、いまからエミリーと焼肉いってくっから、完全版の作業、進めといてくれよナ? マップの縮尺はマリオやゼルダじゃなくてフォールアウトと同じにして、ジャンプとアクションのバリエーションをガッツリ増やすんだゼ? ガッデムビッグ(中指を立てる)、ガッデムファスト(腰を振る)、ガッデムセクシー(胸をもむ)、これこそがゲーム本来の調整ってもんサ! おッ、この牛、LOルーンをポロリしよったで! よっしゃよっしゃ、これでgreifとfortitudeを完備した最強ワールウインド・バーバリアンの完成や! (金髪美女とドル札風呂で焼肉しながら)ディアブロ2、最高やないけ!

トゥルーエンドに寄せて

 真・女神転生5、周回せずにトゥルーエンドへ到達できるという情報を得たので、一週間ぶり?くらいにプレイを再開。クエストをクリアして順にフラグを立てていくんだけど、シヴァとの戦闘で序盤以来、2回目の全滅を経験する。もうアッタマきて、主人公は無反吸の完全耐性に仕上げ、仲魔もレベル99にして香と経典をブチこみまくって再戦するんだけど、ここまでやってようやく戦況が均衡するくらいの感じ。プレイヤー側の完全耐性を見越した万能属性の全体攻撃と、倒しても倒しても無限に続く手下悪魔の召喚にゲンナリする。これ以上は強くしようがない状態で、回復アイテムが枯渇するかしないかでHPを削りきれるよう調整されてて、一度でもディアラマが来たらジリ貧になって負けがほぼ確定する。何度かやりなおしたら無事に撃破できましたけど、ちっとも楽しくありません。ラスボスまでは旧来のシステムとパラメータを踏襲しているーーと言えば聞こえはいいけど、もうだれも怖くて触れないーーから、ちゃんと積み上げ式のバランスになってるのに、シヴァだけ強さの作り方が異質なんですよ。前も少し言いましたけど、プレイヤー側の成長限界から引き算で作った性能になってるんです。なので、ここだけゲームジャンルがRPGというより、パズルになってしまっている。しかも運要素がからむもんだから、単純に試行回数の勝負になって、倒せたところで達成感がない。

 某MMORPGにもそれを感じて、イヤだなって思って離れたところあるんですけど、こっちは勇者・バーサス・魔王ゴッコがやりたいと思ってプレイしてるのに、最近のゲームは最終的にバーサス・クリエイターの意図になってしまうものが多くて、その構図がメタ的に俯瞰できた瞬間、冷めちゃうんですよね。なあんだ、これ、よく見たらツクリモノじゃんって。シヴァ戦がまさに「それ」で、戦ってませんがDLCの人修羅もさらに「それ」なのでしょう。そんな冷めた気分のまま、強化ルシファーを一蹴ーーシヴァ打倒が条件なのに、シヴァよりはるかに弱いってどうなのーーして、トゥルーエンドを見ました。本作をプレイして改めて気づいたのは、メガテンは強い作家性の複合からできているゲームであり、オリジナルスタッフ不在のまま存続可能なプロダクトへ寄せようとしすぎると、ゾンビの登場するメタルギアみたいになってしまう危険性をはらんでいるということです。個人的に、真シリーズを真シリーズたらしめてきたのは、「今日的な問題と作品テーマのリンク」だと思うんですけど、今回は過去シリーズへの強い意識ばかりが先行していて、最後までそれを感じられませんでした。

 アオガミとの訣別をWHO女史への目くばせタップリに描いてから、オープニングのムービーをちょろっと改変したのを見せられて、「それは大宇宙の意志だけが知っている」みたいなナレーションで終わり。オマエさあ、唐突に「大宇宙の意志」ってどないやねん。FGOの抑止力からの影響か知らんけど、文脈から浮きすぎて、なんや新興宗教みたいになっとるで。ラフムといいフィン・マックールといい、ちょっとFGOの影響を受けすぎとちゃいまっか? これ、あの偉大なメガテンの本編、言わば正史のほうでっせ? 「メガテンに影響を受けた英霊システムに影響を受けたメガテン」という、ゲームの歴史が充分に長くなったがゆえの顛末に世代交代の感慨はありますが、嬉しいのはファンガス本人だけでしょう(いや、こんな劣化コピーみたいなレスペクトは喜ばないかもしれません)。

 あと、本作で追加された悪魔のほとんどが美女か美少女かイケメンで、「悪魔を造形する」のがいかに特異な才能であったのかを再確認できました。SNSでもてはやされる類の絵のうまさが、要素として作品にそのまま流れこんでいる点にだけ「時代とのリンク」が見られるのは、じつに皮肉なことです。

 というわけで、完全版を待たずして、私の冒険はここで終わりました(ざんねん! きみのぼうけんはここでおわってしまった!)。そして、モーモー牧場へと出もどったわけですが、休日返上で100周しても何ひとつ出ません。マックス品にこだわりがない(メリケンどもは異様にこだわる)ので、装備の更新はずっとプラトー状態が続いており、貴重な人生の時間をただ空費している事実に、ひどく気持ちが沈みます。おッ、LO……なんやIOルーンかいな、まぎらわしい。ディアブロ2、最低や!

後日談

 ディアブロ2、メフィスト・ランでのソーサレス突発死とキーボードの損壊率が強い相関関係にあることへ気づいたため、いよいよCall to Armsの作成を決意する。毎月のキーボード代がバカにならないし、何より両のこぶしに包帯を巻いて得意先を訪問する営業担当なぞ、剣呑以外の何者でもないからだ。このCall to Arms、HP・MP・防御力を飛躍的に向上させるバーバリアン専用スキルを全クラスへと解放する超級アイテムなのだが、いかんせん可変値の幅が大きすぎるため、ズルズルと実作を先のばしにしていたのだった。近所にある神社の境内で全裸水垢離をすませ、「神様仏様、664とは申しません。443、いや、332くらいで構いませんから、なにとぞ!」と祈りながら使用ルーンをカバンに並べていきます。100回くらいルーン名と使用する順番を指差喚呼した後、世紀末覇者の顔でマウスボタンを「ぬん! ぬん!」と強く圧迫して念を込めながら、ベースアイテムのフレイルへとはめこんでいきます。するとどうでしょう、できあがったのはなんと211、可変値最低のCall to Armsだったのです! 「もう1回つくれるドドドドドドドン!」などと衝動的に叫びながら無呼吸連打で4Kモニターを破壊しそうになったため、「アラ、メガテン5に視野角調整のパッチが来ているわね」とオネエ言葉で怒りの発作をリセットし、クリア直前のデータで冒険を再開しました。

 「若干カメラが引いたところで、クソマップに変わりはねーな!」などとずっとボヤきながらプレイしていたら、気がつけばミマンを200体すべて発見し、サブクエストをすべてクリアし、人修羅以外の魔人をすべて撃破して、2周目ハードでの「美少女ロリコン悪魔とゆく魔界転生」へ突入していました。あれ、もしかしてオレ、このゲームのこと好きなんじゃ……(トで始まる例の擬音)。ち、ちがうんだから、こんなゾンビの出るメタルギアみたいな続編、ちっとも好きじゃないんだから!

最強デビル・ロリコン軍団

 就職氷河期世代がアイスエイジをマーメイドに継承させなければならないという残酷物語! 小鳥猊下であるッ!

 真・女神転生5、周回で地形を覚えてしまうとマップへのストレスが低減し、前作までで完成している育成システムの楽しさが前面に出てきた。最強デビル・ロリコン軍団の筆頭であるステータス・マックスのアリスを作るため、まず「つはもの誕生」の恩恵を最大化させるのに合成素材の悪魔4体をレベル99にして、その前に必要なスキルをそれぞれの素体に継承させる合体をあらかじめ行なって、そのスキル継承の元素材も念のためレベル99にして……みたいな作業の入れ子細工ループに入りつつある。完成したところでゲーム内に活躍できる場面は皆無なのだが、黙々と取り組んでしまう。

 思えばダークソウル・シリーズも、ゲームバランス的には1と3を絶賛しながらも、最も長時間プレイしたのは不出来な2だった。通称オジェイ・マラソンにて無限にソウルを稼ぐことができるため、止めどきを失って延々と周回レベリングしたからである。この偏執狂的なプレイスタイルの初源を探れば、FC版ウィザードリィへとさかのぼるだろう。定番のグレーターデーモン養殖から連写パッドを使ったマーフィーズゴースト自動狩りまで行い、ゲーム的にはまったく無用の強さを持つレベル1000のニンジャなどを作成しては悦に入ったものだった。

 ……などと、いにしえの時代をなつかしんでいるうちに、必要スキルを仕込んだ素材悪魔4体がレベル99に到達しました。コイツらを4身特殊合体すると、ホラ、この通り! 魔力150総ステータス500越えのハイパー・アリス誕生です! ではさっそく、そこの赤い御霊を試し切りしてみましょう! 呪殺プレロマと呪殺ギガプレロマと、貫く闘気(小声)かーらーのー、「死んでくれる?」! キッヒッ、死ぬ死ぬぅ! このジト目からの即死ダメージ、たまんねえ! まあ、固有スキルに貫通がついていないせいで、使い勝手は最悪なんですけどね! さて、あとは香でステータスをカンストさせるだけ……あれ、これ200が上限じゃないな……もしかして、999めざしてオダイバ・マラソンで香あつめしろ、ってコト?

 アトラスはん、なんちゅう、なんちゅう御褒美を用意してくれたんや……時間をかけたらかけただけ報われる金髪白皙碧眼美少女へする奉仕活動に比べたら、有色人種のオッサン・オバハンと数十時間を無為に過ごすブリザードはんのディアブロ2はカスや!

ゲーム「FGOハロウィンイベント感想」

 承前

 ハロウィンイベントをイヤイヤ読んでる。FGOの主人公って、数年にわたる冒険を経て、奇しくもビルグンドゥス・ロマン的というか、古典文学が人々の「生き方」や「在り方」を教化するために描いたような人物造形になってきてると思うんですよね。

 少し話はそれるけど、鬼滅の刃に出てくる善玉サイドの人物たちもまさにそれで、あちらは特にロスジェネ以降の大人たちが抱える欠落に焦点を当てているようにも読める。「富める者は貧しき者に分け与え、力ある者は力なき者を助けなくてはならない」という倫理感の裏返しが鬼舞辻無惨という悪玉であり、わずかの富を我利我利に抱えこみ、社会に裏切られた己の不遇だけを嘆くロスジェネ世代の醜さを痛烈なまでに戯画化している。それは同時に、人としての生き方の「良い見本」と「悪い見本」の提示になっていて、正しいふるまいへの憧れによる共鳴と我が身をふりかえって恥入る気持ちが、既存のヒットの閾値を超えさせた要因だと考えるのです。ある大御所の漫画家がアクションシーンの拙さを理由に、「ここまでの大ヒットになったのはアニメ化による偶然だ」と愚痴めいた批判をしてましたけど、本質がわかってないなあと思いました。

 話をハロウィンイベントへ戻します。FGOの世界観にはかすかに女神転生からの影響を感じるのですが、キリストの人がロウ・ルートなら、主人公はニュートラル・ルートを描いていると思うんですよね(ちなみにカオス・ルートはオベロン)。そして物語が進むにつれて、「ファンガスが正しいと信じる人間像」へと共感させることによる教化がますます深まっていき、読み手・イコール・プレイヤーを事件の当事者として否応に巻き込んでいく(第2部6章ではその没入を分離するような伏線があり、これがどう回収されるのか、今から楽しみでなりません)。なのに、今回のイベントの書き手はそれを理解しないまま、ベタベタ主人公に触ってくるのが不快でしょうがない。意に染まぬ相手から逃れられぬ閉鎖空間で、合意を求めず始められるペッティングみたいなもので、直近の展開にはほとんど絶叫しかかりました。「些かの人」はもっとファンガスのテキストを読みこむべき(特に第2部6章)だし、もっと漢字をひらがなに開くべきだと思います。まあ、何度も言ってきたように、いちばん求めてるのはFGOに「関わらない」ことなんですけどね!

 ハロウィンイベント読了。低品質なばかりか、支離滅裂のグチャグチャで、登場したキャラクターすべての価値を下げる同人誌未満の内容でした。ジャック・ド・モレーにしても、後のメインシナリオ登場に先駆けた顔見せなんでしょうけど、うんこ(失礼)をなすくったみたいなファーストインプレッションになってしまい、たいへん残念に思いました。アガルタとセイレムのテキストは、間違いなくFGOの抱えるセキュリティホールですが、ファンガスの監修なしに肛門(失礼)を通過させるぐらいなら、むしろ惰性の季節イベントなんて開催しなくていいくらいでしょう。

 あと、自分のツイートを読み返して思ったんですけど、「女神転生」ってタイトル、例のしょうもない作品群の隆盛のおかげで意味を汚染されてしまった感じ、ありますねー。