猫を起こさないように
東欧
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映画「ホステル」感想

 左のつま先へ伸ばした右手の先端で触れ、左腕と右の肩胛骨でアーチを形作り、「パロール!」と深夜戸外へ絶叫することも稀ではない不安定の代名詞、生きる伝説a.k.a.小鳥猊下であるが、相も変わらず貴様らは俺をなめておるのか。アー・ユー・リッキング・マイ・ディック? 堪能な英語が思わず口をついてしまい、諸君の民族に固有の遺伝的白人フォビアの証左であるてんかん発作を誘発したのをたいへん申し訳なく感じているが、私には貴様らしかいないのだということを改めて、無言で口角泡飛ばす貴様らに懇願し申し上げたい。貴様らは王様の裸踊りをにやにや笑いで眺める通行人であり、そして王様は与えられた権威の絶対性が示唆するほど自立的に存在できるわけではない。私は今回の更新を二週間に渡り読み返しては改変し、その行為の不毛性自体を楽しんでいた。もう二週間は続けていたかったが、関心を得たいあまり気がつけば、愛されたい一心で発作的にアップロードを完了してしまっていた。私の意識は常に貴様らに脅迫され続けている。民衆は王様が手を振るとき、彼の瞳が潤む瞬間を見逃してはならないのだ。

 ホステルを見た。素晴らしい映画だった。人物と舞台装置に与えられていた意味が、物語の進捗につれて次々と反転してゆく様は見事であり、また、アメリカへの世界的憎悪をアメリカ人自身が描いた心意気を褒めたたえたい。ワールドトレードセンターの壮大な腰の引けっぷりに比べ、なんといさぎよいことか。しかし、私が何より関心したのは、国際理解やグローバル化などという催眠による眠気がたちまちぶっとぶ、そびえ立つ異質の表現であった。疲労で脳神経が灼き切れ、それまで理解できていたはずの外国語から全く意味の消失するあの瞬間、笑顔に見えていた表情が顔面の筋肉の変化を伴わず眼前へ能面化する、ほとんど恐慌さえ伴う圧倒的なあの異国感――私にとって異国とはあれに尽きる――を感じたのは、少なくない映画視聴の中でも初めてのことだった。この感覚を、言語的マイノリティの日本人ではなく、9割がパスポートを持たぬというアメリカ人に体験させるのだから、彼らの感じる恐怖の正体の無さは、我々の比ではなかろう。hostelというタイトルはhostileを連想させる。本来中立の世界は”I”が介在することで敵意に満ちたものになるのだ。あと、この監督は日本女性に過大な幻想を抱いていると思った。それと、東欧のおっぱいはすごく堅そうだと思った。