猫を起こさないように
最終巻
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雑文「鬼滅の刃・最終巻刊行に寄せて」

質問:小鳥猊下の鬼滅の刃総括談話はまだですか

回答:ほんとに出してほしいの? まったくインターネットは沈黙の美とはほど遠い場所ですね。しぶしぶ懐から美しい言葉をチラ見せするけど、乞うた以上は責任をもって拡散しなさいよ。キミたちはもっと私をチヤホヤしていいと思う。

 ツイッターでは作者と作品は切り離して鑑賞すべきって意見が多いように思うけど、私はジャンルとかじゃなくて作者を追いかけてしまうタイプの読み手なのね。”Behold the man”、まさに「その人」が表現しているものを時系列にロードローラー(ネットミームに読解を邪魔されないで!)でならしていくように味わいたいわけ。作者の人格は、「ダダ漏れ」から「かそけく匂う」までの振り幅はあるけど、”必ず”作品に現れるというのが、私の意見なの。鬼滅の刃もそういう読み方をしてしまっていて、男性作家だったら一生をそこにとらわれてしまうような巨大な重力場から軽々と飛び去ることができたのは、女性の書き手ならではだと思う。このかろやかさを目の当たりにすると、二十年も同じ作品を連載し続けるのは、それこそ無惨様の所業で「生き汚い」なと思わされてしまう。これを言うと反発ありそうだけど、女性が人の営為にコミットしようとするとき、男性とくらべてかなり厳しいタイムリミットが設定されているので、鬼滅という物語を語り終えた女性が、次に命の鎖の先端へ己の写し身である輪っかを付け加えたいと願うことは、個人的にすごく得心するというか、すとんと胸に落ちる感じがする。この後も鬼滅のアニメ化は続いていくだろうし、今回ほどの大ヒットにはならないと思うけど、映画版の制作も続いていくことと思います。あらゆる出版社がコンタクトを試みるだろうし、ゴシップ誌は作者の現在を探ろうとするだろうし、遠い親戚によるカネの無心は絶えないかもしれません。様々なノイズによる苦労は多いと思いますが、漫画から離れた作者の人生が静かで満ち足りたものになることを心から願います。たぶんこの人は、鬼滅の刃を描いたことを自分の子どもたちにはすすんで言わないような気がするんですよね。

 数年後、どこかの地方都市でひとりの主婦が、息子の同級生の名前が数年前に流行した漫画のキャラクターに似ている(そのものではなく、似ている)ことに気づき、もしかしてあの優しそうな奥さんもファンだったのかしら、なんて思う。そして実のところ、息子の同級生の母親が作者その人だったなんて考えると、とても楽しい気分になります。

 さらに十数年後、だれもが鬼滅の刃をはるか昔に流行った作品として忘れてしまった頃、ある月刊誌の読み切りに、よく似た絵柄の漫画がひっそりと掲載される。ペンネームはちがうが、ごく一部のファンが気づく。でも、だれもそのことをネットに書きこんだりはしない。読み終わったあと、ただ暖かな気持ちで、こう思うのだーーああ、子育てが終わったのかな。あなたの消息を知れてうれしい、あなたがこの空の下のどこかで生きていてくれてうれしいーーと。