猫を起こさないように
崩壊スターレイル
崩壊スターレイル

雑文「Update of Romancing S…TARRAIL」(近況報告2024.11.7)

 ロマサガ2七英雄の逆襲、1周目をノーマルでクリア。プレイタイムは50時間ほどで、かなりガッツリと楽しませてもらった計算です。いにしえのスクエアにおなじみの、踏破に軽く数時間はかかる「ラストダンジョン」という名前のラストダンジョンを進軍しながら、「高速ナブラ」とか「乱れ雪月花」をはなっていると、未来への焦燥と自棄の放埒が同居していた学生時代のあの午後に、精神がタイムスリップするような感覚をいだきました。ほぼほぼ技と術は閃きつくしており、もはや作業としか呼べない最適化された行動のくり返しなのですが、それに安らぎをおぼえるのは、もしかするとファミコン時代のコマンド式RPGが、当時まだ病名の存在しなかった精神類型を持つ人々にとって、ある種のセラピーとして機能していたからかもしれません。カウンセリング室のカウチに深く身を沈めるような穏やかな時間はやがて終わりをむかえ、ラストダンジョンを永久に周回することへ後ろ髪を強く引かれながら、最終バトルへと突入してゆきます。スーファミ版は、たしか七英雄をたおせないまま投げだしたように記憶しているので、じつに30年越しのリベンジ(!)というわけです。まず、ラスボスの外見を描写しておくと、宙空に浮かんだ虹色ミートボールから七英雄の上半身だけが次々に生えてくるという、あらためて3Dモデルで見せられると、なかなかに気のくるった造形となっています(ただ、全員が生えそろったあとに、「七英雄」のキャプションが出現するところは、当時の1枚絵を再現していて、メチャクチャかっこいいです)。

 ドキドキしながら高火力技を連続で入力してゆくと、危なげなくゲージを半分まで削れてしまい拍子ぬけしていたら、オリジナルには存在しなかった「七英雄の七連携」による反撃をくらい、一瞬でパーティを壊滅させられたのには「さすがロマサガ2」と、落胆とも安堵ともつかない深いため息がもれました。調べても調べても、まともな攻略情報にたどりつかないのは、長い歳月を煮つめたスーファミ版の攻略サイトのせいか、数年前に発売されたリマスター版のせいか、はたまた本作が25万本ほどしか売れてないせいかはわかりませんが、ここで少し脱線をして、あとから来る人たちのために、七英雄の私的クリア手順を残しておくとしましょう。ラストバトルのオススメ陣形はもちろん、他をすべて無意味にするほど強力なラピッドストリームです。術役は2枚用意して、それぞれ「レストレーション」と「光の壁LV.2」を覚えさせ、毎ターンの詠唱を分担しましょう。さらに、アタッカーをふくめて「リヴァイヴァ」持ちを3枚用意して、敵の攻撃が弱かったターンに術役優先でかけてください。攻撃技は「乱れ雪月花」と「千手観音」がよく通るようです(「無明剣」は高ダメージですが、フィールド属性によるボスの回復を誘発するため、トータルでマイナスになります)。言うまでもないですが、「テンプテーション」と「ソウルスティール」の見切りを全員にセットしておくのも、お忘れなく! あとは、七連携によるパーティ半壊から、うまく態勢を立てなおせれば、勝利は目前です!

 閑話休題。ロマサガ2リメイクの評価をクリア後の視点からざっくり申しあげますと、「ゲームシステムとバランス調整は最高」「干支2周ほど遅れた品質のグラフィックは最低」「新規テキストはふんぷんたる臭気をはなつスカム」とでもなりますでしょうか。オリジナル版の七英雄は、ゲーム内でほとんど情報が示されないこともあり、謎のベールにつつまれた、非常にミステリアスな存在でした。今回のリメイクには「七英雄の記憶」として、「英雄たちは、いかに人類へ弓を引くようになったか?」の舞台裏を描写する15本の連作ムービーが用意されているのですが、これがまあ、本当にどうしようもない、もっとも控え目かつ上品に表現してさえ、カス・オブ・カスみたいなシロモノなのです。彼らが怪物に身をやつしてまで打倒を試みた相手が例の女王アリーーおそらく、エピローグにおけるリソースの都合ーーだったり、陰キャのクジンシーに対して陽キャの男女6名でイジメ的な言動をくり返したり、原典ではあれだけ魅力的に思えたキャラクターたちの個性を、まるで老婆の娼婦を白日の下に引きずりだすかのように、太陽光に劣化したプラスチックがボロボロとくだけるように、おまえの大切な記憶とやらは「くだらない、子どもだましのゴミ・オブ・ゴミ」だったのだと、執拗に上書きしてくるのです。きわめつけは、7人がアリの討伐から徒歩(笑)で凱旋したさいに、ひとりの子どもによる「7人のヒーローたちだね!」という発言を聞いた大人たちが「七英雄!」を連呼しはじめるシーンで、怒りのあまりあやうくコントローラーを画面に投げつけかけました。オリジナルでは、古代の戦争や各地の神話や古典の戯曲に由来する重厚な言葉だった「英雄」が、軽々しくもペラッペラなマーベル由来のアメコミ概念に置き換えられてしまってるんですよ! 中卒・高卒が構成員の大半を占めるかつての社会では、英単語はハイセンスな魔法のように響いたのでしょうが、令和のそれは当たり前のインフラ・イコール・下水道にすぎないでしょう。「ヒーロー」という単語にいまだ特別なマジックを感じるようなアホが、ボクらの七英雄を目の前でさんざんにテキスト・レイプするのを見せられる屈辱といったら! 王国の支配階層や七英雄たちのそもそもの行動原理も支離滅裂かつ意味不明なもので、あのスクエアがゲーム専門学校に通う学生の習作レベルを客へお出ししている現実に、もはや目をおおって天をあおぐばかりです。

 ある疑惑が確信へと近づいたので、いっときの感情で下品にブチまけてしまうと、かつてテレビや映画やアニメの各業界に全共闘の闘士たちが流れこんだのと同様に、ゲーム業界が就職氷河期のハイスペック無内定者たちの受け皿になっていた時期が存在し、業界の輝かしい一時期を作りだしていた事実は、あるんじゃないでしょうか。それがいまや、旧帝大の上澄みは外資コンサルに流れこみ、中上位の私立大の学生さえ、その空隙を埋める形で国内の大企業に席を得ることができてしまう就職状況の帰結として、ゲーム業界にはかつてのようではない、ロースペック人材しか漂着しなくなっているのかもしれないなと、ロマサガ2リメイクへの失望(主にシナリオ)から、ここに吐き捨てておきます。同時並行で崩壊スターレイルの「美少女忍者編」をプレイしていることをお伝えしていましたが、ニンジャスレイヤーそのまんまな世界観に、「しょせんは、大陸産のコピーキャットよ」などと唇の端をゆがめる軽い侮蔑からはじまった視聴が、ストーリーを進めるにつれて、カウボーイビバップのマッド・ピエロ回のような全容が立ちあがってきて、奇矯な彼女の言動は過酷な成育環境から文字通り、おのれの心身を守るための「忍者バリヤー」とでも呼ぶべき、精神防壁の一種だったことが明らかになるのです。この、小鳥猊下を名乗って25年が経過する疑似パーソナリティや、もしかすると肉の現実における本体の人格と言動さえ、劇中に語られる「忍者バリヤー」と等価なのかもしれないと遅れて気づいて、その妖しくも滑らかな語り口に、背筋がゾッと寒くなりました。彼我のシナリオが持つクオリティの差は、もはや天文学的な単位でしか表現できないとさえ言えるのかもしれません。

 しかしながら、トリリンガル以上を駆使する理系の博士号を持った人物たちによる崩壊スターレイルを、モノリンガルさえ満足にあやつれない専門学校卒のシロウトたちによるロマサガ2リメイクが確実に上回っている要素は、まちがいなく存在するのでした。それは、この場末のテキストを記述しているあいだにさえ、絶え間なく脳内に鳴り響き続けている、ゲーム・ミュージックです。崩壊スターレイルのピノコニー編で、ずっと不満に思っていたのは楽曲の弱さで、銀河の歌姫であるはずのロビンが、リン・ミンメイにもランカ・リーにもなれなかった事実に内心では失望していたことへ、いまさらに気づかされた次第です。今回、彼女が銀河のラッパー?としてマイクをDJコントローラーに持ちかえて臨んだ野外コンサートも、映像の美麗さに比べると音楽部分があまりにショボすぎて、まったくと言っていいほど耳に残りません。それに対して、ロマサガ2のバトル・ミュージックは50時間中40時間を聞き続けたせいでしょうが、油断すると頭蓋の内側で勝手に演奏されはじめて、もはや日常生活に支障をきたすレベルです。(満員電車の座席で、スーツ姿の男が跳ねるように起立し、よだれを垂らしながら)ぱーぱらぱぱっぱーぱーぱらぱらぱー、ちゃーちゃらららっちゃーちゃーちゃららららー、ぱーぱらぱぱっぱーぱーぱらぱらぱー、ちゃーちゃらららっちゃー、ちゃーちゃららららー……あかん、またプレイしたくなってきた! セブン・ヒーローズ(笑)のフヌケた裏の顔は見なかったことにして、グラフィックのダメさは薄目で物理補正して、冥術と陣形の取りのがしを埋めるために、いまからベリーハードの2周目いってきます! やはり、ゲームのバランス調整とBGMは、まだまだ半島や大陸のおよばない、本邦のお家芸ですね! ロマサガ2リメイク、新規のライティング部分は本当に、なんの擁護もできないほど、クソ・オブ・クソなんですけどね!

雑文「FUNGUS, HOYOBA and FGO(近況報告2024.7.25)」

 ホヨバ幹部とファンガスの対談記事を読む。崩壊サード(未プレイ)ローンチ時の反省をふまえて、ブレワイの影響下と揶揄されがちな原神に、英雄伝説のフォロワーと言われやすいスターレイルと、じっくりていねいに新規IPを育ててゆき、それらの世界市場におけるプレゼンスが充分に先人たちの実績を凌駕したことを何度も指さし確認してから、かつて好きだった作品や作家へ最大級のレスペクトをもって、コラボやイベントへの登壇(田中芳樹!)をおずおずと依頼するーーこの態度は、以前にも「本邦のエンタメ業界にとって、真の脅威である」と指摘した「謙虚で内省的な、かしこい中華人民」そのものだと言えるでしょう。本対談におけるファンガスのホヨバ作品へ向けた分析には、さすがにするどいものがありましたが、「ライターたちへ、もう心やすまる日々は訪れないとお伝えください」など、ウエメセの先輩風を接待ーーくれぐれもハニトラには注意して! ファンガスの性癖である「昼は聖女で、夜は娼婦」を体現する美人コスプレイヤーを当てがわれますよ!ーーで気持ちよく言わせてもらっている、小鼻の広がってる感がただよっており、完全に他業種の他人事ながら、エロゲー時代からのいちオタクとしてはどうにも忸怩たるものがありました。

 ここ10年近く、FGOからの課金でホヨバ以上の収益を得ていた時期がありながら、古くさい前時代のアプリを1ミリも刷新せず、新聞広告やリアルイベントに加えて、昔からのファンしかプレイしないような低クオリティの派生作品やリメイクの乱発に稼ぎを浪費しつづけ、たった5年ほどで作品クオリティと収益の両面において、完全にホヨバへ追いぬかれてしまった。本家の屋敷を粛々と増改築することに専念すべきだったのに、門外に安普請のバラックを何棟も立て続けたあげく、そのほとんどがすでに住む人もなく倒壊している事実を見れば、学生あがりの同人サークルからアップデートされていない組織風土と、ほとばしる情熱と分析的な視点をかねそなえた企業体との違いを、痛いほどに実感せざるをえません。学生ノリとは、この祭りは必ずいつか「終わる」ことを無意識のうちに内在化した、都の大路で銭をまきながらねり歩くような、瞬間のハレに特化した狂熱に他なりません。一方でホヨバの姿勢は、いつまでも祭りを「終わらせない」ために、神輿のメンテナンスや担ぎ手の健康管理という圧倒的なケを粛々と引き受けつづける、「祭りの外から祭りを見つめる者」であることを徹底しています。

 ファンガスのふるまいはその好対照になっていて、彼/彼女は神輿の上から民衆の狂乱をあおりたてる半裸の巫女であり、その死が祭りの終わりとわかちがたくイコールになってしまっている(もしかするとこれは、本邦のフィクション全般に当てはまるのかもしれません)。FGOがホヨバの作品群にかろうじて対抗できる要素は「巫女の託宣」、すなわちファンガスの筆のみであり、第2部終章へと向けた年単位の牛歩戦術がくりひろげられている現在、それすらもあやしいものとなってきています。原神やスターレイルのクオリティでFGOのキャラが実装されていく世界線も、我々がもっともふんだんに課金をしていた時期に有能なフィクサーがいれば、充分にありえたことを過去の後悔としていだくのと同じ強さで、めずらしく純粋に国籍と人種の観点から、ファンガス個人を応援したい気分もあります。彼/彼女がこの対談で高らかにうたいあげた「美しいものを書きたい」という宣言は、他のすべてのひねくれた見方をふきとばして、強く心に響きました。なんとなれば、小鳥猊下はnWo開設から25年を経てなお、この場末のテキスト墓場で、「美しいものを書きたい」という気持ちを失ってはいないからです。

 そして、ここからが重要なのですが、ファンガスの幽閉先である「さいはての塔」で行われたホヨバ幹部との交流を、「国家間の機密」とまで表現したことからわかるように、いよいよFGOは第3部からホヨバ謹製の原神規模アプリとして新生することが、確定的に明らかになったと言えるでしょう。サーバントの引き継ぎに関してはオレも動く。抗議デモだよ。はっきり言ってオレが声をかければ、元テキストサイト運営者の半数以上は動くだろう。皇帝、四天王、10傑(オレ含む)、3本柱などの超一流だ。なによりも強いのは、全員ツイッターでのデモをブッとおしで何日も可能なことだ。リアルでの予定が……なんてヤツは一人もいない。サーバント引き継ぎなしとかふざけんなよ。馬鹿ばかなの? 死ぬの? そもそも大量に課金しないと強くなれない仕様にしたのは型月だろう? 型月にはサーバント引き継ぎをする社会的責任があるはず。なんだよ星5キャラ1枚の天井が6万円で5枚引きの宝具最強を強要って、しまいにはコンテンツ参加にはクラス縛り。普通の企業なら優良な客には特典つけるのが常識(iTunesカードとか最たる例)。ちょっと顔なじみのエロゲー作家に話つけてくるわ。

雑文「SHINEVA, STARRAIL and FGO(近況報告2024.5.20)」

 Qアンノによる「エヴァの続編」発言が、弊タイムラインをゆるい便のごとく垂れ流れてくるのを目にし、ひさしぶりに心の底の底までがしんとする、あの冷たい怒りを思いだす。これは確認するまでもなく、会社経営だけを念頭においた初老男性によるマウス・サービスa.k.a.ブロウ・ジョブa.k.a.フェラーティオウであり、自らが殺めて山に埋めたキャラクターたちの遺体を、嬉々として掘りおこしにいくがごときサイコパスな言動は、目にするたびに背筋へゾッとしたものが走ります。アルコールへ肉抜きで耽溺し続けることに起因する前頭葉の萎縮および加齢による健忘の影響でしょうが、またぞろ「エヴァをガンダムのようなプロダクトに」へ類する妄言もとびだしているようで、手づから稀代のサイファイに凡庸な私小説を上書きして抹殺した現実は、先ほどすませたばかりの昼食を再び息子(非実在)の嫁にせがむ老父がごとく、まったく記憶からは消えてしまっているようです。2013年までに新劇を完結させ、2014年というエヴァにとってのアニバーサリー・イヤーで別監督によるGガンダム方向の完全新作を発表するーーそんな絵図も序破の段階では確実に存在したと思いますが、東日本大震災の影響でひりだした駄作をファッション鬱のせいにする、いつもの逃亡癖(例のセリフ)ですべて台無しのご破算にしたのは、他ならぬ監督ご自身じゃないですか! 新規プロジェクトを始めるにあたり、まったく同じ内容とクオリティを準備できたとして、「この瞬間しかない」という決定的なリリースの時宜があるのは、マネジメントのご同輩には痛いほどおわかりのことでしょう。いったんそれを逃してしまえば、どれほど手元にあるプランの質を高めようともいっさい無駄であり、のちにふり返るとすべてを捨てることがもっとも有効な損切りだったとわかるのです。「もしかすると、ワンチャン生きてるかも?」と、東日本大震災の犠牲になったキャラクターたちの埋葬塚を掘りかえしたときの遺骸は、どういう状態でしたか? グズグズに腐敗がすすんでいて、もはや原形すらとどめていなかったでしょうに! もうだれも、社長以外は時宜を逃したコンテンツにさわりたくないだろうし、会社の健全な成長を考えるなら、空白の14年(笑)とやらの映像をパチンコ新台の確定演出に細々と提供し続けるのが、現在のエヴァンゲリオンの”格”にもっともみあった展開だと、場末のコンサルから進言し申し上げておきます。

 さて、けったくそ悪い義務感からする感情労働はこのくらいにしておいて、口なおしに崩壊スターレイル第3章後編の話でもしましょうか。最近ではマトモな虚構を体験したければ、40代以降を対象とした低品質な続編とリメイクの跋扈する列島より、半島や大陸の新規IPをファースト・チョイスにするのが、テッパンで間違いのない世界線に我々は生きていますからね! 内容的には、「ライトノベル」とラベルが貼られる以前の古いジュブナイル小説の朗読を聞くような感覚であり、ゲームとして遊べる部分は極少で、昔の食玩についていたガムほどもありません。「ホタルよ…生きるために死ぬのだと」の場面に涙腺を刺激され、おんおん泣きながらストーリーを読み進めるのですが、カヲル君の声をした黒幕がその精神世界において「私が目指すのは、週休2日でも3日でもない……週休7日の世界だ!」と宣言するあたりから、だんだん雲ゆきがあやしくなってきます。ラストバトルでは、唐突にROUGH(ラフ)の大将軍が大艦隊を引きつれてやってきて、「しゃあっ! シンクン・ソード!」と必殺技をくりだしたのには、「いや、背後の軍艦やのうて、オマエが撃つんかい!」と思わずツッコんでしまいました。その後のエピローグでは、退場したはずのアベンチュリンが文脈ゼロでシレッと復活しており、ここまで影も形もなかったトパーズが「あのう、こんな状態ですが、カンパニーとピノコニーの調停って、できますか?」とおずおず申しでるのに、ROUGH(ラフ)の大将軍は「はい! 一生懸命お願いすれば、以前より関係を強くできますよ!」などとニコニコ笑いながら、無根拠に安請けあいする始末。きわめつけに白々しいスタッフロールが流れだし、思わず「なんじゃこりゃ? シンエヴァか?」と虚構に向ける最大限の侮蔑が口からほとばしりでたところで、「貴方はいつのまにか、都合のいい夢にすべり落ちてしまった……分岐点はいくつかあるけど、どこだと思う?」と驚愕の解決編が始まったのです! 読み手の思惑と感情を縦横にあやつるその手腕に、思わずコントローラーを額へと当てて謝罪しましたよ、「シンエヴァなんてひどいこと言って、ごめんなさい」って。まあ、花火たんの「相互破壊確証ボタン」とホタルたんの「3度目の死」が伏線として回収されていないような気はしますが、他ならぬホヨバのことですから、次の惑星(江戸星?)へワープする前の幕間でスッキリと解決されることでしょう(この信頼を抱けるかが、スタジオ・カラーとの大きな違いです)。

 あと、ひさしぶりにFGOへも言及しておきますと、「魔法使いの夜」のコラボイベントは、とてもよかったです。ミステリ要素のあるこのくらい規模の中編が、もしかするとファンガスにとってのホームグラウンドなのかもしれません。「売れなかったアイドルと、たったひとりのファン」という、文芸小説にでもなりそうなテーマを世界の破滅へまで持っていくのは、彼/彼女にしかできない剛腕だといつも感心させられてしまいます。物語フレームそのものはいわゆる「セカイ系」なのに、弱き者たちを描く解像度の高さとだれも裁かない慈愛のまなざしがあるために、よくよく考えればひどく荒唐無稽な内容にもかかわらず、大文字の文学として成立しているのが、他の追随をゆるさないファンガスのスペシャルな持ち味で、それは創作の最初期から数十年を通じて一貫しており、少しもブレていない。多くの者が長い歳月のうちに、思想信条など「生身からの浸潤」によって初期動機を変節していく中で、そのメトロノームのような「ブレなさ」は広く周囲を見回しても、小鳥猊下ぐらいしか他の実例が思いつきません。肝心かなめの第2部ストーリー本体は、引きのばしと設定の建て増しでひどい状態ですが、今回のように100%ファンガスの筆による上質な小品がときどきは読めるのなら、細々と追いかけていこうという気にさせられます(ガベッジしか排泄、いや排出されないガチャのひどさは、どこかで改善してほしいところですが……)。じつを言うと、PC版「魔法使いの夜」をプレイしたことがあり、内容自体はほとんど忘れてしまっている一方で、終盤の展開とビジュアルが完全にエヴァ序のフォロワーになっていて、微笑ましく感じたのだけはおぼえております。ファンガスからエヴァ破以降のクラップa.k.a.タワーリング・シットに言及があるのを見たことはありませんので、きっと私と同じ気持ちでいるのだろうと、一方的なシンパシーを抱いておる次第です。主人公格の拳児っぽい男子がミンチにされるスプラッタ描写を読んで、しばらくぶりに「もっともアナーキーだった頃のエロゲー」がまとっていた香気ーー鼻腔の奥からする鉄錆びのにおいーーをかぎ、ひどくなつかしい気分にさせられたことも、あわせてお伝えしておきます。

 しかしながら、2002年開設ーー忘備録として、nWoは1999年開設ーーというテキストサイト界の新参者であるバンブー・ブルーム・ダイアリーに、続編へ設定を先送りにすることをほのめかす記述を発見し、「おまえ、もしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」と真顔になりました。前作が12年前であることを勘案すれば、あと2作ぐらいでファンガスの健康寿命は尽きる計算になりますが、長年の持ちネタであるところの「まだ何か重大な秘密や、明かされていない設定があることの”におわせ”」はそろそろやめて、ランス10のいさぎよさを見習って、カタツキ世界をたたみにかかる人生の季節じゃないですかね! 中年期は身体への負債をまとめて支払う時期で、若い頃の無茶がたたって突然に死んだとして、なんの不思議もありませんよ! 仮にそうなったとしても、銭ゲバどもは「故人の遺志を継ぐため……」とか神妙な顔でショウ・マスト・ゴー・オンするのでしょうが、私はアナタ以外の書いた続きなんて、ぜったいに読みませんからね!

雑文「政治的アべンチュリン礼賛(近況報告2024.4.20)」

 エフエフ7リバース(嘔吐)のせいで長く放置していた、崩壊スターレイル第3章中編?を実装部分まで読了。もうほとんどゲームというよりは小説か戯曲で、複数の視点から2つの死の真相を追いかけるという超絶のSFミステリーに仕上がっています。ホヨバの幹部が熱烈な日本ファルコムのフォロワーであることは有名な話で、原神の世界的ヒットを受けて着手された崩スタは、ミステリアスな大組織における2つ名を持った幹部たちの登場など、いよいよ4以降の英雄伝説シリーズっぽさを隠さなくなってきました。その上で、この中華ゲームはただのコピーキャットにとどまっておらず、ストーリーテリングがじつに巧みであり、キャラどうしのかけ引きと心理描写がバツグンにうまい(本邦の転生モノに顕著な「なにかの優秀さを表現するため、劣った存在や文化を仮構して引きあいとする」という”卑しい”手法には決して手を染めないのも、視座の高さを感じます)。本章を読みはじめる前は、フィーメイル・キッドであるところの花火たんの華麗なる敗北をギラギラした目で欲望していたのが、完全にノーマークだったアベンチュリンに感情をぜんぶ持っていかれることになるとは思ってもいませんでした。この人物を、金髪痩身な優男の見かけに加え、軽薄な口調に傲岸不遜の態度という「CLAMP型ハンコ美男子」のごとき特徴に乏しい造形にしていたのは、逆にそのファースト・インプレッションを与えることが企図された、言わば周到な擬態だったわけです。

 彼は例えるなら、ロシアの少数民族におけるジェノサイドの生き残りであり、滅びた一族が消費できなかった幸運を女神の名の下にすべてあずけられ、その呪いに紙一重の「祝福」と自身の才覚をもって、アメリカの巨大企業で幹部の地位にまでのぼりつめていく。正気とは思えない賭けによる勝利には、生育史に由来した「養育者への試し行為」が無意識に内在化していて、敗北による祝福(イコール呪い)の否定をどこかで強く求めてもいる。派手な見かけと自信に満ちたふるまいの裏に、慎重さと自己評価の低さを秘し隠し、ギャンブルに向けた忘我の熱狂のさなかにも、やがて死によってすべてが終わるのならば、おのれの道行きに何の意味があろうかという自棄と諦観がどこか潜んでいる。彼が自身のイドとの対話で交わした「人は正しい決断だけを続けることはできない」という言葉、これはまさに至言であり、オカルトに聞こえることは百も承知ながら、間違った選択をしてしまったときにこそ、個人の持ち運によるリカバリーが発動するかどうかが非常に重要なのだと思います。以前、「早くに亡くなった祖父母の、人生で使わなかった分の運が血脈へと埋設されており、それが致命的な事態を遠ざけてくれている」といった思想未満の感覚を披露したことがありましたが、このような考え方を持つ人間にとって、アベンチュリンの描き方は深く心に刺さりました。

 少し話はそれますが、テキストサイト風の文章が好きでフォローしていた、おそらく年齢と人生の状況が近い人物から先日、脳梗塞でたおれて入院しているとのツイートがあり、それを読んでいろいろと考えさせられました。いまこの瞬間、拍動する脈がわずかに強くなって重要な血管を破らないこと、一日の終わりにコピーミスの生じた細胞を正しい細胞が上書きしてくれること、その微視的な連続にさえ、運の総体がわずかずつ消費されていくのをまざまざと幻視します。「未来を予知したくば、家族の病歴を見よ」との金言を思いだすとき、この血脈へもっとも頻繁に訪れる死は事故による死であり、「毎日、同じ時間に同じルートを通り、同じ人間に会うこと」を外れたがらない、ほとんど疾患に近いおのが精神特性の由来を再確認した気分になって、背筋がゾッとしました。

 とりとめのないざれごとから崩スタに話を戻しますと、今回のガチャは復帰者を増やす目的でしょう、日本刀をエモノとする長身長髪の巨乳(死語)美女で、必殺技を放つときは髪の色が白く抜け、極めつけに名前は黄泉という、まさに「中2病による想像力の数え役満」なキャラをピックアップしています。ホヨバ作品の持つ特徴のひとつとして、キャラ造形はセクシャルな魅力ーー特に、ワキと下半身へフェチが集中ーーを前面に押しだしているのに、ストーリー部分へはいっさい性的な視点を混入させないことが挙げられるでしょう。今回のクライマックスにおいて、虚無を前にアベンチュリンと黄泉が交わす問答である「どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか?」は、じつに中2病的な問いかけでありながら、成熟した大人の回答が与えられており、ゲームの歴史が充分に長くなったことをひしひしと感じました(ファミコン時代のゲーム制作者を第1世代と仮定するならば、いま最前線でゲームを作っているのは第3世代、下手すると第4世代くらいになるのでしょうか?)。エフエフ7リバースでのKURAUDOが、その劣等感と夜の遊興「以外の」部分でひと皮むけられなかったーー挿入される、挿入されないアザラシのイメージーー事実を、後発の崩スタがやすやすと乗りこえていくのは、どこか国をまたいだ世代交代の感さえおぼえます。

 そして、近年のホヨバに顕著である「時代性との意識的なリンク」に関して言えば、数百年におよぶジェノサイドに対して行うたった1回の反撃が、カンパニーによる報道で「人道へのテロ」と断じられる場面に表出した、ニュースに登場する人間と等身大の個人とのあいだへ横たわる、絶望的な隔絶でしょう。「一方的な殺戮の渦中にある人物と、その内面を深く知るほど親しい」という経験をプレイヤーに擬似体験させながら、「おまえはいったい、どちらの側につくのか?」と厳しく迫り、判断を保留した傍観者の立ち場にいることをゆるしてくれない。さらには、いま我々が穏やかな場所でぬくぬくと粗末に生の実感を薄めている裏で、現在進行形に無数の「アベンチュリン」が生まれているのだという事実を容赦なく突きつけてくるーーこんなゲームを、私は寡聞にして他に知りません。

ゲーム「崩壊スターレイル・第3章前半」感想

 崩壊スターレイル、ピノコニー編を実装部分までクリア。本作のシナリオは、同社の他作品と比して「情の原神、理の崩スタ」とでも評すべき、仮面ライダーみたいなテイストの棲み分けになっています。「新規のSF的概念」「組織と人物の相関図」「各キャラの台詞と、その裏」を、かなり丁寧に読みこんでいかないとストーリーの本筋が理解できない作りになっていて、グラフィックというよりテキストに強く依存した形式は、かつてのゲームブックを彷彿とさせます。その一方で、JRPGに向ける怖いような畏敬から造形されたフィールド部分に、イヤというほど盛りこまれた大量のギミック群は、本邦のユーザーに「知育玩具」と揶揄されるぐらい、わざわざプレイさせる意味を哲学的なレベルで考えてしまうほど単純なものばかりで、「漢詩の教養が市井の一市民にまで浸透しながら、理系分野においてはいまだひとつもノーベル賞の受賞がない、スーパー文系国家」である事実に由来しているのではないかと、邪推しておる次第です。理系分野の根幹を成す数学という技術は、乱暴な言い方をすればIQテストのパターン認識と事物の抽象化であり、「重厚なシナリオと対極をなす、簡素きわまるパズル遊び」は、中華のその特性にピッタリと合致するように感じられます。

 第三章前半のストーリーについて言えば、今回も世界情勢との意識的なリンクをうかがわせる内容になっていて、故郷を失った「星間難民」であるヒロイン(ホタルたん!)が違法なデバイスを使って夢の世界に密入国したことを告白するくだりは、世界各国の12言語を相手に物語をつむぐホヨバにしか、正面から取りあつかえないだろうと思わせるもので、そこへさらに「筋ジス患者にとってのバーチャル・リアリティ」とでも表現すべきハードな詩情を盛りこんでくるのです。最近、タイムラインに流れてきた「現実が厳しい者は仮想現実を選び、現実に満足している者は拡張現実を好む。それを証拠に、メタクエストは500ドルで、ビジョンプロは5000ドル」という記事を読んださいには考えもしなかった、「現実への充足」とはカネや社会的地位だけを意味するのではないという気づきを前に、五体と五感が不足なく動くことを当然とみなす人物の背筋は、内省によってわずかに伸びる感じさえありました。パイモンのしゃべくり一人称で進行してゆく原神と比べて、崩スタは無言の主人公と距離をおいた三人称のカメラで語られるせいか、ただでさえ速いストーリー展開は緩へ急へとさらに大きな振り幅を見せ、そのドライな筆致によって重要と思われる人物を拍子抜けなほど、アッサリと退場させたりする。もしかするとその唐突ささえ、第三章の後半であつかわれるだろう「夢の中での死は、精神的な死である」という指摘が、いかなる実相をともなうかを種あかしの中心にすえたミステリー要素の一部なのかもしれず、いまはあらゆる想像や予断を外して心静かに続きを待ちたい気分でおります。

 そして、ここまでのマジメな考察と分析をすべて台無しにする萌えコションならではの視点を、我慢できず露出狂のようにまろびださせていただくならば、ピノコニー編に登場する多くの新キャラのうち、なんといってもその白眉は金槌花火(たぶん偽名)たんでしょう! この少女は、下品なワードなので自分のテキストに残すのも正直はばかられますが、いわゆる「メスガキ」というエロマンガ由来のネットミームからその造形をスタートしつつ、その概念をいったんすべて脱構築してから、異なる位相で再構築したキャラになっているのです。同ワードを用いて、本邦の創作者たちが描くだろうエレメンタリー・ガールを想像してみましょう。いま貴君の脳内にうかんでいる、魚類に関するワードを連発する記号まみれのコピーキャットから遠ざかって一個の人格を編みあげた上で、なお「メスガキ」と呼ぶにたるというのは、じつに見事な手腕です。これはまさに、足し算と掛け算をいったん別宇宙に分離してから再構築するがごときアクロバットの所業であり、金槌花火(おそらく偽名)たんの存在は、美少女ゲーにおける宇宙際タイヒミュラー理論だとさえ言えるでしょう(言えると思う……言えるんじゃないかな……まあ、ちょっと覚悟はしておけ)。画面外の大きなお友だちは大興奮なのに、画面内のキャラたちはだれもがうっすら彼女のことを嫌っていて、すでに「どうしてみんな、しかめっ面するの」みたいな負けフラグも口にしており、「登場時に必敗を前提とした優越を持つ」みたいなルールを付与されているところまで再現されていて、花火たんが今後いかに敗北するかを想像するだけで、もうワクワクがとまりません。

 あと気になったのは、特に三月なのかや今回のヒロインであるホタルたんに顕著なんですけど、朗読されるセリフに息つぎのブレスが入りまくるところです。これって本来は編集で消すべきなのか、話し手がブレスの瞬間にマイクを外すべきなのか、どっちが正解なんでしょうか?(旧エヴァ第弐拾弐話のビデオフォーマット版で、「時計の針は元へは戻らない」というゲンドウの台詞の直後に、本放送版ではなかったかなり大きめの息を吸いこむ音が収録されていて、演出意図なのか消し忘れなのかわからず延々と悩んでいたのを、いま思いだしました) 最後に、中華サイファイから理論物理学へと連想ゲームを飛躍させた近況報告で終わります。以前、ピーター・ウォイトのブログを週イチでチェックしていることをお伝えしましたが、あれだけ厳しく弦理論をとりまく状況を批判しておきながら、リジェクトされた論文未満の万物理論に関するアイデアを科学誌のインタビューで得々と語ってしまい、ストリングスの専門家と同じ不健全さでマスコミを利用しているとブログのコメント欄が炎上していることに、満面の笑みを浮かべております。もっとも冷静かつ論理的であらねばならない理系分野のテニュアどもが、ほとんど2ちゃんねるやツイッターみたいなレスバトルをくりひろげている様子を極東の観客席から眺めるのは、(ビールの泡を白ヒゲに、破顔して)本ッ当に最高の娯楽ですね!

雑文「STARRAIL SENSATION(近況報告2023.10.26)」

 崩壊スターレイル、PS5版の登場による実装分を最後までクリア。以前、「西洋のSFは空間の横軸的な広がりを志向するのに対して、東洋のSFは時間の縦軸的な経過を志向する」と指摘しましたけど、新キャラの専用イベントを通じて、その確信はますます強まりました。さらに、ファンガスの記述するFGOが「生命の一回性を通じて、人間讃歌をうたう」一方で、崩スタは一貫して「不死は呪いである」と繰り返すことで「定命である尊さ」を逆説的に浮きあがらせることに成功しているのです。メインストーリー部分では現在、ロシアと中国をモチーフにした2つの惑星が実装されていて、中華人民とその歴史を魅力的に語るーー皮肉ではないーー段階をようやく終えて、今回は3つ目の惑星へと旅立つまでの幕間が描かれたのですが、いまを生きる人々が読むべき緊張感をはらんだ内容となっています。幹部たちが2つ名で呼びあうカンパニーなるアメリカ(の企業体)相当の組織が登場し、先祖の残した数百年前の借金をカタにロシアへ主権を売りわたすよう詰めより、その代わりに極寒の大地をテラフォーミングでかつての温暖な気候に変えてやると迫る。若い君主が国体の維持と国民の幸福を天秤にかけられて苦悩する中、日本人・中国人・ドイツ人・異星人から構成される「列車組」ーー武力介入しまくるので、国連というよりは「沈黙の艦隊」的な存在ーーが両者の調停に立ちあがる……どうです、そこの未プレイ組のアナタ、読みたくなってきたでしょ?

 パッと見は、美少女・美青年を美麗に彫刻する超絶3Dモデルの「萌えゲー」なのに、ほんの一皮をめくれば現代の世相に対して、かなりハードに接近した物語になっている。そして、すべての組織のメンツをつぶさないまま、「絶対悪」を想定しない解決を語りきる手腕は、もう脱帽という他ありません。まさに、ホヨバの企業理念である”Tecn Otakus Save the World.”を、絵空事ではなく実践してやるんだという気概が、ビンビンに伝わってくるのです。かつて栗本薫が好んで使った「飢えた子どもの前で、文学は有効なのか?」という問いに、彼らは「少なくとも、私たちは有効だと信じている」と歯を食いしばりながら答えるだろうと信じさせてくれる。この、創作物を用いて現実と真正面から対峙する「意気と視点の高さ」は近年、界隈において見つけるのが難しくなってしまったものでもあります。そして、これだけ今日的に重要な課題に取り組んでいるにも関わらず、崩スタにせよ、原神にせよ、本邦において批評的な言説の俎上にのぼるどころか、ほとんど感想をさえ見かけません。今回の幕間劇は、「どれだけキレイごとをならべても、最後の解決は暴力によって行われる」という矛盾、すなわちJRPGというシステムの宿痾に対して、アンサーを与えるべく苦心しているようにも見えるし、かつてのエロゲー全盛期に存在した「傍流に一流が集結する」、あの梁山泊的な熱気が吹きあがっていて、現在進行形で追いかけるべきゲームであることを、強く感じさせてくれます。

 古いオタクたちは、16bitセンセーションなる「初老男性の懐古的な自分語り」を目的とした昭和の談話室に引きこもるのはやめて、令和の不愉快な黒船である崩壊スターレイルをこそプレイするべきだと、ここに断言しておきましょう。ゲイカ、あっちのアニメの制作者インタビューにもイヤイヤ目を通しましたけど、どうしたらあの本編からこの内容が出てくるんだという感じの、コンサルそっくりの語り口になっていて、「いやー、豪華なパワポやねえ」というのが、商材の実際を見てしまった者のいつわらざる感想でした。「どんなガラクタでも売ってみせますよ」というのは、居酒屋で放言する個人の自負としてはけっこうなことですが、企業としては魅力的な製品を作っていただくことが、まずもって先決ではないでしょうか、知らんけど。その点、ホヨバさんの商品はどれもこれも生地と縫製がしっかりした(て)はるわー。今後も贔屓にさせてもらいますさかい、あんじょうよろしゅうお願いします。

雑文「STARRAIL, DIABLO4, OTAKU-ELF and KYLIELIGHT(近況報告2023.6.9)」

 崩壊スターレイル、最新イベント「パンクロード精神」を最後まで読む。正直なところ、ログボ取得とデイリー消化の、所謂「ボイド・ターム」が続いていたため、ほとんど視界から消えかけていたのですが、心のファイヤーが再び着火されたことをお伝えしておきます。いやー、やっぱり億単位のユーザーを相手にする会社はちがいますねえ! いまの自分が奪われたらもっともダメージのあるものが何かと問われれば、やっぱりあちこちに課金したゲームのアカウントなので解決編に納得感があるし、何よりこのシナリオにはアホがひとりも登場しないのがいい。原神もそうですけど、膨大な数のプレイヤーにはあらゆる属性の人間が含まれるわけで、そのだれひとりをも軽んじないシナリオというのは、もはや世界を相手にするメーカーにとっては、必須とも言える要件なわけです。不興を買った1名が毎月数千万ドルを課金するアラブの王族だって可能性も、冗談ではなくあるわけですからね! また、新たな固有名詞によって明かされる世界観がほんの氷山の一角に過ぎず、まさに宇宙レベルの広がりを想像させてくれるライティングもすばらしい。どこぞの死ネヴァーー*おおっと、ミスタイプ!*ーーみたいに、世界はベニヤ板の書き割りでキャラは還暦オヤジが裏声のゴッコ遊びで演じわけてるような、ペラッペラの情けない土人サイファイとは格の違いを感じますね! 崩スタ、原神ほどはプレイあたりのカロリーが高くないーーある程度まで進めたあとは、週日10分週末1時間くらいでOKーーので、ぜひ体験しておくことをオススメします。

 ついでにディアブロ4の近況報告もしておきますと、サブシナリオで各地をウロウロしているだけでレベル40台も半ばに近づき、そろそろメインストーリーを進めようかと着手したら、レベルと装備は充分なはずなのに、節目節目のボス戦でなかなか勝てない。説明しておくと、手持ちのポーションが何個かあって、ボスの5目盛りほどのライフゲージを1目盛り削るたびに、新たなポーションが2つ落ちる仕様なのね。そして、ボスはプレイヤーのライフを半分以上フッとばす必殺攻撃をときどき放ってきて、ボス戦以外ではほぼ使わない新アクションならぬ死にアクションのダッシューー無敵時間もないのに長めのクールタイムはある、なんとなくの思いつきで入れたポンコツーーでぜんぶ回避する必要があんの。あのさあ、ディアブロにアクション要素なんてビタイチいらねーんだよ! 反射神経の衰えたアルコール・ソークト脳なミドルエイジでも、コツコツ装備を集めればやがてどんな難敵にも余裕をもって勝てるっていう爽快感が、ハクスラ最大の売りじゃねーか! なんで偉大なジャンルの創始者がその面白さの本質を理解せずに、わざわざゲームの間口を狭めにいってんだよ! 大味なマウス操作でボスの攻撃の狭い隙間をぬっての回避なんて、できるわけねーだろうがよ! ここだけゲーム性がファミコン時代のアクションか、昔のイース・シリーズみたいになってんだよ! オレがなりきりたいのはバーバリアンであって、アドル・クリスティンじゃねーんだよ! ボス戦だけまんま3のクソさを継承してて、「ディアブロ2に似てる」なんて言ったオレがバカみてーじゃねえか! 「キチンと成長させれば、どんな強敵にも余裕をもって勝てる」っていう、ホヨバのバランス調整を見習えよ! いちばんカネを余らせてる世代の親指5本ブッチャーに不快なゲーム体験を与えて、いったいどうしようってんだよ! Buriza-Do社のエイジ・ハラスメント、最低や!

 あと、ディアブロ4のオトモに話題の江戸前エルフを再生したけど、昭和生まれの独居オタクをねらいうちにしたレトロなキャラデザと内容で、メチャクチャおもしれえじゃねーか! 生まれ落ちた性別を捨てて不老不死となり、世話をしてくれる美少女たちを衰えた性欲から孫子に向ける視線で愛で、スのままの自分をいっさい変えずに近隣住民と地域社会へ受け入れられるーーまさに初老オタクにとってのトリプル数え役満、男性版ハーレクイン・ロマンスな盛り盛りの願望充足器ぶりには、画面の前で思わず「すげえ!」と感嘆の声がほとばしりでちまったほどだぜ! 願望充足器で思い出したけど、オイ、目をそらしてんじゃねーぞ! オマエのことを言ってんだよ、FGOサンよ! 全サーバントの中でもっとも絆レベルの低い薄情な盾女(箱男の文化的対偶)の宝具を、見えないところでしれっと強化してるんじゃあないぞ! ここまで何年も何年も、さんざんっぱら引っ張りに引っ張っておいて、昔からのファンであればあるほど絆レベル上限解放にあわせて、第2部終章あたりでシナリオと連動した宝具強化をするんだろうと、ジリジリしながら待ってたはずなんだよ! 「いつまでも宝具スキップの実装を許さない、ファンガスの意固地なまでのスタボーンネス」にしても、その偏執狂的なまでのこだわりがシナリオのクオリティにつながってることをみんなわかってるからこそ、生あたたかい微笑で見守ってきたんじゃねーか! 建て増しと耐震補強でなんとか持たせている古臭いアプリを皆が見離さずにいる理由として、「ストーリーテリングにおける手抜きの無さ」の他に何があるってんだよ! よりにもよってその、いちばん裏切っちゃならねえファンの信頼の部分を裏切りやがって! 怒りすぎて血管の強度が心配になってきたのでこのくらいにしておくが、後付けでもかまわないから納得のいく行間の補完をしろよ……しろよ!(まあ、本当に怖いのは「ファンガスが事故や大病で、いま現場のジャッジをできない状態にある」ことなんですが、関係者のみなさん、大丈夫ですよね?)

ゲーム「FGOリリムハーロット」感想

 崩壊スターレイルの合間に、FGOの最新イベントを読む。アーケード版は未プレイであり、物語の背景はよくわかりませんが、すべてファンガスの筆なのでたいへん気持ちよく読めました。しばらく翻訳ダラダラ長文ばかり読んでいたので、日本語ネイティブの達人による各単語の定義がカチッと決まった畳みかける短文は、まるでぼやけていた視界のピントをしぼられるようで、少し背筋の伸びる感じがあります。しかしながら、PSP版エクストラ?の世界観について、かけた労力と思い入れに比して満足な反応を得られていないと感じているのでしょうか、FGOを含めて何度も何度も再話されるのには、いささか食傷ぎみなことも事実です。特にこのネロ・クラウディウスというキャラクターは、ファンガスにとっての惣流・アスカ・ラングレーに相当しており、作り手の思い入れが観客のそれを凌駕してしまっている点でも共通しています。また、第1部終章における人類悪の概念は文学方向にもっと普遍的な解釈を許すものでしたが、その候補者たちがすべて出そろったいま、結果としてFate世界におけるキャラクターの話になってしまったのは、非常に残念なところです(「人類悪は人類愛」なるスットコドッコイの定義も、Fate世界の神であるファンガスによって明言されてしまった)。

 崩スタは第2章の公開されているところまでストーリーを進めましたが、「不老不死を終わらせるため、非人間的な概念に近い神を殺すことを目途として、宇宙を彷徨う船団」という設定と展開には、ひさしぶりに背筋がゾクゾクしました。もしかすると、「神が人の知恵と言語で定義できる内面を持つべきではない」というのは、かつてラブクラフトやムアコックを愛好したがゆえの、抜きがたい「刷り込み」となっているような気がします。ドラコーの内面を記述するテキストの見事さに嘆息しながらも、書かれている内容へ共鳴する部分が少なかったのは、個人的に「泣いている子ども」の話はもういいかなと思いはじめているからでしょう。その一方で、毎夜アルコールを入れつつ推しの子のミュージック・ビデオを見てはらはらと落涙しており、もしかするとこれは「愛されること」から「愛すること」へとうの昔に視点が移動していた事実に、ようやく気づかされたゆえなのかもしれません(ちなみに、第2話以降のサスペンスには、やはり関心が持てませんでした)。

 あとさー、今回のイベントに「きれいはきたない、きたないはきれい」ってフレーズが出てくるんだけど……貴様ッ、見ているなッ(星マークの刺青)! もちろん、シェイクスピアからの引用だってことは百も承知だけど、そう考えたってしょうがないじゃん! 昔っから小鳥猊下って無名なのをいいことに、エロゲ作家とか、ラノベ作家とか、純文学作家とかから、無断で引用されまくってるんだもん! 最近、AI絵師が商業絵師にオリジナルであることを否定されて暴れてる様子がタイムラインに流れてきたけど、なんだか気持ちはわかるって思っちゃったなー。クリエイター職の人って、非クリエイター職の人に対して、ときどきビックリするほど冷淡なことありません? それも、他の職種からは決して感じないレベルの、かつての地域差別に近いようなトーンなのです。あの感情って、いったいどこから来てるんでしょうね?

 それと、原神の新しい伝説任務を読みましたけれど、これってほとんど「Kの一族」の話じゃないですか? 来たる鍾離先生ピックアップのためにコツコツ貯めていた石をぜんぶ使って、白朮先生を引くハメになったことを最後にお伝えしておきます。原神って、「永遠の否定」をテーマとして強く押しだしているので、この人がラスボスでもおかしくない感じ、出てきちゃったなー。

 FGOの新イベントに関する感想をつぶやいたら、半日もしないうちに2名ほどの匿名オタク(or本人)が現れて、「特にキミのファンでもないんだが、ふだんあまりゲームもしないんだが、ファンガスが書いたというのは事実誤認なんだが? リリムハーロットはスチールアロー刃の手によるものなんだが?」と中指で眼鏡を押しあげながら、一方的に宣言して去ってゆかれました。わざわざご指摘いただき、誠にありがとうございます。余計なお世話なんだよ、テメーら! テキスト嚥下障害のあるウチのオジキがちゃんと飲みくだせて症状も緩和されてんだから、だれが書いたものだろうと何の問題もねーじゃねーか! それをプラセボだのジェネリックだの、いちいち小うるせーんだよ! 気になって調べてみたらよ、スチールアロー刃が所属していた良く効く心臓病の薬みたいな名前の会社は、オレがインターネット便所壁へと上梓した「慟哭ゲー」の内容を剽窃するエロゲーを、贄の刻印の如く明白なエア・マルシーを無視して、強引に発売へと踏み切ったところじゃねーか! 「ヒロインを選択する際の一回性」や「USBイコール小型HDが販売メディア」というクリティカルな部分のアイデアをシレッとパクりやがって! まどマギのライターからニチャッと横目で社内回覧されたんだろうが、オマージュならオマージュでぜんぜんかまわねえから、元ネタにはキチンと言及して敬意をもって紹介しろよ! なんでリアルにくらべてネットでのオレの扱いは、いつもいつもこんなにぞんざいなんだYoYoYoYoYoYoYoYo, Yo Men! コイツらもじっさいに会ったら、どうせ「昔から読んでました」とか「あまりに恐れ多くて」とか言うんだろうけど、そんな身銭を切らないオツイショーはもうビタイチいらねーんだよ! 初対面での親しみやすさと距離感が最接近状態で、その後はどんどん出ッ歯ムーンウォークで遠ざかっていく系のオタクを救えるのは、現世のオーソリティであるキサマらだけなんだよ! 遠巻きに後頭部へ片手を当てて会釈してないで、ただただオレのテキストに現世の利益を誘導してくれよ! この度は、ご指摘ありがとうございました。真摯に受け止めて、次へ生かしたいと思います。

雑文「GENSHINとSTARRAIL(近況報告2023.5.3)」

 崩壊スターレイル、第1章クリア。シリアスのテキストは原神に軍配が上がりますが、ギャグ・小ネタ・設定のテキストはこちらの方が好みです。そうそう、また冒頭から盛大にレイルを外れますが、原神の最新イベントはまさにそのシナリオが持つ魅力を臨界にまで凝縮した内容でしたね! 崩スタの終始ツッコミ不在の感じに比べて、パイモンの狂言回しとしての優秀さもあらためて理解できました。「性格は運命になる」ーーボーイズ・ラブにおわせの目的で唐突に投げこまれたように思えた「CLAMP型金髪美青年」がここまで大化けに化けるとは本当に、想像だにしていなかったです。これだけ多くのキャラを動かしながら、NPCを含めてだれひとりとして下げずに語りきるのは、原神の特筆すべき美点と言えるでしょう。余韻としての後日談は「かゆいところ」をあらかじめマッピングして、ひとつも余さず順にかゆみを消していったばかりか、「失われた手紙」という将来への伏線までキッチリと用意されているのは、もう脱帽という他ありません。本邦における近年の創作界隈で特に顕著な、「特定のキャラをアホか悪役にして、主人公が作者の化身となってそれを一方的に断罪してスカッとする」作品群が、いかに精神的な未成熟から発したものであるかを、原神の成熟は教えてくれます。

 さて、強引に崩スタのギャグ・小ネタ・設定の方へとレイルを戻しますが、特にゴミ箱とか公衆電話とか、街の設置物を調べることによって次第に明らかとなる主人公の狂気じみた内面(ピエロ方向)は、本作のユニークな見どころだと言えるでしょう。皆さんの感想を読みたくて、ツイート検索しようとしたらサジェストに「微妙」というワードが出現し、「おッ、キッズ諸君、元気にやっとるねえ!」と愉快な気持ちになりました。確かにこのゲーム、プレイ入口の手触りはJRPGの窮屈さを完璧に擬態しながら、それ以外すべての要素が湯水の如く金銭を投じたハイパーさという異常な作り方になっているので、本質を見抜くにはある程度まで長く触ることが必要でしょう。繰り返しになりますが、この世界観を原神のマップとアクションで再現「できる」のに、あえてそれを「しない」選択が意識的になされているのが、おそろしいのです。例えるなら、歩行の不自由なヒョロガリ(JRPG)がよろめいて転倒するのを、筋肉質の大男が指さしてゲラゲラ笑っていると思った次の瞬間、そのマッチョは真顔になって五体投地から額を地面に擦りつけ、ウラナリ(JRPG)を伏し拝み始めるみたいな異様さが、全編にわたって横溢している。また、模擬宇宙を始めとするテキストにかつてのゲームブックを想起させるものが多くあり、「ファミコン世代の生き残りが、人生におけるアナログとデジタル双方のゲーム体験をふりかえりながら、JRPGの衰退を歴史的な文脈で鳥瞰する」ときに、本作の面白さは最大化される気がします(私だけ?)。

 あと、課金をためらわせないためにプレイヤーへ与える納得として、なにが最も重要だと思います? ワクワクするストーリー? 魅力的なキャラクター? 高精彩なグラフィック? 戦略性にあふれたバトル? いやいや、正解は「自分の興味が無くなるまでは、サービスの継続が約束されていること」です。崩スタは、少なくとも6年先までの運営とアップデートが明言されており、加えて原神の世界的な成功がその実現性を担保しているのです。本邦のスマホゲーの多くが大陸と半島に負け続けている理由がまさにこれで、調子のいいときはエコノミック・アニマル的な下品さが全面に出てくる一方で、いったん負けがこんでくると敗北の受忍を「引き際の潔さ」に読みかえた破滅を、逍遥と受け入れる傾向が我々の根っこに横たわっている。それは、彼らの「生き汚なさ」と真逆の位置にあるモーメントで、単なる資金繰りや経営の話がいつのまにか哲学や美意識の話へとすりかわってしまう(そして、負ける)。

 さて、最後に再び大脱線した話を元のレイルへと戻して終わります。原神のアクションをタッチパネルでプレイすることは、親指5本の中年にとって文字通りの「無理ゲー」でしたが、崩スタはコマンド制なので切迫的なアクション要素がなく、外出先でのスマホプレイに向いている点がすばらしいです。それとよく見ると、「崩壊スターレイル」のタイトルロゴのデザインが、まんまファイナルファンタジーなのは笑いました。あのな、キミたちのレスペクト、ちょっと重ためのメンヘラ片想いみたいになっとるで? 悪いけど、ウチ(以下、語尾あがり)らにはもう、そんなふうに想ってもらう資格なんかないねん……だって、ウチらは、ウチらは……ヤリーロ・セックス(韜晦帝翁真君)!

ゲーム「崩壊スターレイル」感想

 崩壊スターレイル、シアタールームで現世を遮断して、どっぷりと10時間ほどプレイした感想を書きます。冒頭から脱線ーーレイルだけにな、ってやかましいわーーさせていただきますと、日本ファルコムの株主総会に毎年参加する謎の中国人が、原神の制作会社社員だったという話をどこかで読みました。PCエンジン版の初代英雄伝説(アグニージャ!)をくるったように周回ーーハイ・レスポンスの快作だったので、周回数だけなら月風魔伝を越えるかもしれないーーし、その後リリースされた風の伝説ザナドゥの1と2は私の中でかなり神格化されている作品です。そこからしばらくは疎遠となり、ひさしぶりに軌跡シリーズの零と碧をプレイして、老いた会社が老いたファンより細々と集金するための装置である「終わらない物語」のにおいを嗅ぎとり、離れてしまったユーザーでもあります。最近、ゲーマーとしての「老い」を実感したのは、原神のアンケートで生年月日を選択する項目に「1980年以前」の表記を見たときです。いまや昭和は我々にとっての明治くらいなんだなと、とても愉快な気分になったのを覚えています。本邦のロールプレイングゲーム、いわゆるJRPGの現在位置を赤裸々に示す作品としては、ソウルハッカーズ2が挙げられるでしょう。あらかじめプレイしておくと、本作と比してのフリーフォール級の落差を実感できると思います。

 長い前置きでしたが、崩スタ(天理スタミナラーメンの略称みてえ)は戦闘とマップをのぞくと、システム部分はほぼ原神のそれを踏襲しています(課金や育成まわりのギミックも同じ)。しかしながら、もっとも注目すべき点は戦闘とマップの仕様であり、まずもってこの令和の御代に、いまをときめくゲーム会社が、わざわざ古臭いターン制コマンドバトルを持ってきたのは、純粋な驚きだと言えるでしょう。ぜひ、ソウルハッカーズ2で最も作りこまれているリンゴたんの動きと比較してほしいのですが、「前進してなぐって、元の位置にバックジャンプ」をあざわらうかのように、本作では個体毎に違うモーションを与えられたキャラたちが、超絶的なカメラワークでギュンギュンと動きまくります。リリース直後にもかかわらず、すでに20体以上はいるプレイアブルキャラのどれもが、ハッカーズ主役チーム4体のうち、最も作りこまれているはずのリンゴたんをはるかに凌駕する仕上がりなのです(当然、戦闘だけでなく移動用のモデルも用意されている)。

 次にマップですが、細かくエリア毎に区切られているばかりか、エリアの終端を表すラインがご丁寧に空中へ明示されており、エリア間の移動にはロード時間が伴います。さらにジャンプの機能は実装されておらず、わずかの段差も徒歩で乗り越えることはできません。まるでどこぞのJRPGのようですけど、いいですか、原神のマップを作れる技術力の会社がね、これをシームレスで自由に上下へ動き回れるようにできないはずがないんですよ! リワードのひとつに「オープンじゃないワールド」って揶揄があるんですけど、本邦の技術力の無さから逆算された窮屈な仕様を面白がりながらも、コイツら「敬意をもって」わざと模倣してやがるんです! これを例えるなら、両手両足を縄でしばったフルチンのスイマーが全日本選手権に現れ、まったくふざけた泳法で全種目の日本記録を塗りかえていくようなもんですよ! しかも、それぞれで10秒以上を短縮しながら! 馬鹿にされてるならまだ戦いようもありますが、停滞したJRPGの「破れたズボンの膝に色のちがうパッチを当てる」がごとき貧乏くささを「尊敬」して、自らをダウングレードしてまで目線を下げて、わざわざ我々のレベルにまで「降りて」きてくれているんです! 原神のときは「まさか、負けるのか! このオレ様が!」とひどくうろたえる感じがありましたが、崩スタでは余裕に満ちた強者の手加減を目の当たりにして「ああ、俺たち、負けるんだなあ……」という脱力感にも似たあきらめを覚えます。

 半ば虚脱状態のまま続けますが、ゲーム導入部の印象としては、スレイヤーズ!の作者が書いていたSF作品(名前は忘れた)をなぜか思い出しました。そして、中国哲学を宇宙の成り立ちに敷衍した「神々と世界の謎」は、膨大なテキスト量で深い考察を許してくれます。さらに、星神たちの設定にはクトゥルフ神話やゴッドハンドの狂気を連想するものがあり、「1惑星1物語」の展開はデュマレスト・サーガを彷彿とさせます。これが軌跡シリーズなら、惑星ごとに作品が分割販売され、後から来た者たちが見たらとっちらかった順序に、追いかける気をなくすことでしょう。「いや、20作品あるけど、ホニャララ編だけでも面白いから!」と熱弁されても、いまさらメンドくさい古参からウザがらみされるためのニワカになる気は起きません。

 ワンパッケージでどの時期から参入しても混乱なくストーリーを追うことができ、潤沢な課金で制作費をまかないながらどんどん世界を拡張していくクリエイティブの永久機関とも呼ぶべきこの仕組みを、なぜ本邦において日本ファルコムあたりが構築できなかったのか、心の底から残念でなりません。もしかすると、最初期の哲学なき拙劣な課金ゲームーー「ボクたち、任天堂の倒し方を知ってますよ」ーーへの嫌悪感のせいで、それを自分たちの「芸術品」と合体させるという発想から遠ざけられてしまったことが原因なのでしょうか。そんな「あいのこ(ラブ・チャイルドの意)」には、家名を継がせられないと考えたのかもしれません。結局、我々はどの業界においても、たとえ滅びてゆくとしてさえ、我々の本性を形づくる「潔癖さ」と心中する他に道はないのでしょう。

 あと、古くからの読者は知っていると思いますが、小鳥猊下の誕生日は3月7日って設定なんですよねー。崩スタの「三月なのか」ってキャラ、え、あれれ、もしかしてそうなの? いやー、まいっちゃうなー、本邦の気難しい中年オタク層にテキストで原神をエヴァンゲルしたのは確かだけど、その功績がホヨバに認められたのかなー、こいつはとんだハニートラップだなー。正直、ガチャで引いたキャラのほうがぜんぜん強いんだけど、よーし、オジサン、なのチャンをご指名して最後まで育てちゃおうかナ! あッ、崩壊スターレイルの致命的な欠陥を唐突に思い出しました! それはこのキャラの一人称が「ウチ」なのに、語尾さがりで発音するところです! このジャリ、けっこうな頻度でウチウチ連発しよんねんけど、ぜえんぶ語尾さがりになっとうから、関西人のワイはごっつうイラつくねん! こんだけで、パーティから外したろか思うわ! 「ウチ」の発音は語尾あがりがフツウやろがい! 「ウチは日本いち不幸な少女や」やろがい! この件に関してはな、全セリフの再録を求めて徹底的にホヨバと戦っていくで!

 雑文「GENSHINとSTARRAIL(近況報告2023.5.3)」